18. アメリカでの出産

予定日より3日早い6月24日午前1時23分、長男悠哉(ゆうや)が生まれました。2690グラムと日本でも小柄なので、ここアメリカでは相当小さかったのでしょう。病院では「Tiny!(ちっちゃ〜い)」の連発でしたが、今のところ何の問題もなく、ミルクもたくさん飲んで元気に育っています。育児報告は次回に譲って、今回はアメリカでの出産についてお便りします。

前回少し触れましたが、アメリカでは無痛分娩が一般的。麻酔剤の助けを借りて陣痛の痛みを和らげる分娩法です。麻酔といっても普通は局部麻酔なので、意識ははっきりしていて、自分の力で産んで産声を聞くこともできます。もちろん本当の痛みを体験したいという人は自然分娩も可能。でも友達から「とにかく痛かった」という話ばかりを聞いていたので、私は迷わず無痛分娩を選択しました。

23日の夕方、陣痛が7〜8分間隔になったところで、担当医ドクターKに連絡をして病院に直行。この時は痛いことは痛かったのですが耐えられないわけではなく、水着姿で写真を撮ったりビデオ撮影したりしていましたから、今思えばかなり余裕があったのでしょう。で、病院に着いて内診してもらったところ、子宮口の開きはすでに4センチ(10センチで全開)。すぐにでも麻酔することができると言われ、二つ返事で承諾。ラッキー! と思ったのは言うまでもありません。その後病室に案内され、同意書にサインをした後、背中にチューブを入れて麻酔剤を注入。それから15分もたつと痛みはウソのように消えてしまいました。その時そばで見守っていてくれたダンナは、私の顔が和らぐのを見てホッとした反面、痛々しい姿には可哀相で見ていられなかったと言います。というのも、麻酔剤のチューブは背中につけたまま、口には酸素マスク、右手には血圧と脈拍をチェックするクリップをつけ、左腕には陣痛促進剤の点滴、お腹には分娩監視装置(子宮収縮の強さや赤ちゃんの心拍数を測る)と、あちこちにいろんな装置がついていたからです。私はこんなものかと別に気にしていませんでしたが、日本ではどうなんでしょうか。

さて、入院してから5時間。本来なら激痛と格闘しているはずですが、麻酔剤のお陰で痛みのない私は、備え付けのテレビで野球観戦をするほどの余裕。ダンナはというと、夕食を食べに外出したり読書をしたりと、これまた余裕。この部屋は分娩室も兼ねているので移動もなく、最後はさすがに少し痛みは感じたものの、あっけなく赤ちゃん誕生となりました。安産だったから余計に「これでもお腹を痛めた子って言えるのかな?」と、少々申し訳ない気もしましたが、終わった後はさすがに満足感でいっぱいに。特にダンナは、へその緒を自分で切ったこともあり、大仕事をしたという達成感に満ち溢れていました。アメリカでは、夫が妻の出産に立ち会い、へその緒を切るのが一般的、というか当たり前。日本でも増えてきましたが、「2人の子供」という意識を強く持ってもらうためにも、重要なことだと思います。

ところで、出産という一大イベントをしたというのに、アメリカでは2日で退院、帝王切開でも4日と日本では考えられない早さです。大きな理由は出産費用がべらぼうに高いこと、それからアメリカ人の女性は総じて体力があって回復が早いということです。医者の許可が下りればその日に退院できるくらいですから。ところが日本人の私はそうはいかない、そう思っていたのですが、実際退院の日になってみると意外と元気なのには自分でもびっくりしました。無痛分娩だったので、余計な体力を使わない分回復も早かったよう。それに加えて、出産前日まで毎日水泳してたのが良かったのかな? 日本では、産後すぐは目が疲れるから本を読んではいけないとか、貧血になりやすいなどと言われますが、私に限ってはそんなことはなく、両親が来てくれるまでの5日間も昼間ひとりでなんとか育児をすることができました。無痛分娩のメリットがこんなところにもあったなんて、なんだかお得な気分です。

そんなこんなで無事に床上げし、慣れない海外での育児もあっという間に2ヶ月。アメリカの便利な育児グッズをフル活用しながら、まだまだぎこちない手つきで“母”をしております。次回は育児についての報告。こちらも日米で違いがあっておもしろいですよ。

写真は
(上)待機室兼分娩室
TV、CDカセット完備、ソファもある
(中)病院で出された朝食
ご飯が食べたかった
(下)たった2日で退院
でも無痛分娩のお陰が意外に元気

2001年8月