悲しみを強さに変えて
ジャクリーン・ウィンスピア『夜明けのメイジー』

夜明けのメイジー (ハヤカワ・ミステリ文庫)  漆黒の髪に夏の真夜中の空のような濃紺の瞳が印象的な女性、メイジー・ダブズ。メイドからケンブリッジの学生となり、第1次世界大戦時に従軍看護婦としてフランスの野戦病院で働いた経歴を持つメイジーは、恩師モーリス・ブランシュの跡を継いで大戦後のロンドンで探偵事務所を開業する。最初に来た依頼は、ある紳士から妻の素行調査だった。妻を尾行して墓地に来たメイジーは、ファーストネームだけの墓石が数基あることに気づく。

 同じころ、メイジーは恩義あるレディ・ローワンから、相談を持ちかけられる。負傷して除隊した後ふさぎ込んでいた一人息子が、財産も称号も捨てて、ある農場で暮らしたいと言い出したのだ。メイジーは事務所の管理人で片腕とも言えるビリーを農場にもぐり込ませる。

 戦争で負傷し、顔を著しく損傷した元兵士のためのリトリート――避難所――と呼ばれるその農場は、傷つき、居場所をなくした元兵士らのよりどころとなっていた。だが、その農場にはもうひとつの顔があった。調査を進めることで、メイジーは、胸の奥深くしまい込んだ痛みと向き合うことを余儀なくされる。

 凄惨な戦争と癒えぬ苦しみを描きながらも、不思議な明るさを秘めた作品である。その明るさは、メイジーをはじめとする個性豊かな登場人物によるところが大きい。メイジーの聡明さに気づき、教育の機会を与えたレディ・ローワン、メイジーを常に温かく見守る父フランキー、フランスでメイジーの看護を受けた恩義を忘れないビリー、同じ部屋で暮らしたメイド仲間のイーニッド。確かなぬくもりを感じさせる人物たちのなかにあって際立った存在感を示すのが、メイジーのメンター、モーリスだ。

 激動の時代に生きながらも、メイジーの心は夜明けの空のように清澄である。そんなメイジーを導いたモーリスは、大戦下で重要な役割を果たしつつ、貧しい人々を無料で診療する「はだしの医者」でもあった。彼の言葉は、不条理だらけの世の中でどう生きればよいかを示す道しるべとなって、読むたび心に響く。

 出会いと別れが交錯する4月、新たな世界に踏み出した人々が、よきメンターと出会えることを心から願っている。

「謎をおおっているヴェールは早朝にとりのぞかれる。すべてを見とおす瞳は、一日が目覚める前にのみ開いている。夜明け前の数時間の神聖なときに、まどろみから知恵が解放される。そのとき、心の内なる声が聞こえるのだ。」『夜明けのメイジー』p42

『夜明けのメイジー』ジャクリーン・ウィンスピア 長野きよみ訳 ハヤカワ・ミステリ文庫

(2010年4月)