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MYSTERY


わたしの好きなミステリー/4

デイナ・スタベノウ「ケイト・シュガック シリーズ」

杉谷 久美子
Kumiko Sugiya

 

(1)アラスカ先住民アリュート人の女性探偵

 アラスカ生まれの女性作家デイナ・スタベノウが書いた、アラスカ先住民アリュート人の女性探偵ケイト・シュガックを主人公にしたシリーズをわたしは大切に読んできた。第1作『白い殺意』が書かれたのは1992年、翻訳されたのは1995年で、それから1999年発行の『白銀の葬送』までの6冊、ハヤカワ文庫から1・2作は芹澤恵、3〜6作は翔田朱美の訳で出ている。他の女性探偵もののように派手なイラストのカバーではなく、アラスカの風景の写真がブルーの濃淡で統一されている。この表紙で内容を推し量らないでほしい。現在出版されているものの中で、もっとも突出したハードボイルド私立探偵小説だとわたしは思っている。

(2)アラスカ

 デイナ・スタベノウは自分の生まれたアラスカを舞台に小説を書こうと決意し、アラスカ最大の公園を下敷きにして小説の場所を設定した。第1作『白い殺意』で公園が読者の前にはじめて現れるわけだが、二千万エーカーの広さの国立公園は…となっており、公園の尽きるところはクィラク山脈とアラスカ湾、カヤヌク河となっていて、それはわたしには想像もつかない広さで、アラスカの地図を広げてみても、ただため息をつくだけである。解説によると、【実際に、この公園が存在したとすれば、アラスカ州の三分の二ほどの広さになってしまうそうだ】から、雄大な構想で書かれたものだということはわかる。
 【実際には、飛行機を手配することができ、なおかつ、しかるべきところでしかるべき相手に眼をつぶってもらえるだけの政治力を持った者だけが、原始のままの大自然を堪能できるというわけだった。(中略)が、それでもやはりそこはすばらしい公園だった。雄大で壮麗で、まさにアメリカの宝とも言うべき公園だった。それは誰もが認めていた。とりわけ、そこに住んでいる者たちが。ただ、よそ者の手の届かない場所であるというだけのことだった。】というところなのである。
 その公園を舞台にして、どんな人間が住んでいるかを考えながら書いたそうで、登場人物がみんなくせのある性格と面構えで出てくる。
 また、アラスカに住む先住民であるアリュート、エスキモー、インディアンの土地に、18世紀にロシア人が、19世紀後半からはアメリカ人が侵入した歴史を学ぶことにもなる。そして、アリュート人の故郷、ケイトの祖母エカテリーナ・シュガックの出身地アリューシャン列島は、太平洋戦争中にアッツ島やキスカ島を日本軍が占領し玉砕したという歴史の場所なのだ。1943年日本軍がアッツ島とキスカ島を占領したとき、米軍が中部と東部のアリューシャン列島で暮らしていたアリュート人を、南アラスカに強制移住させた。西部のアッツ島からは日本軍により北海道へ強制移住させられて人たちがいた。こういうこともわたしはこの本で学んだ。

(3)第1作『白い殺意』

 『白い殺意』の書き出しは、アラスカ地方検事局捜査部門責任者のジャック・モーガンとFBIの捜査官が入植地にあるケイトの家を訪れるところから始まる。スノーモービルに乗って大柄なジャックとその半分くらいしかないFBI捜査官が原野を走ってくると、その轟音にムースが驚き、ハクトウワシが目覚める極北の原野の描写が読む者を驚かす。スノーモービルは不意に開けた場所に出る。入植地の一隅に建つケイトのログ・キャビンは自然に生えたように見える。キャビンの側には車庫がありスノーモービルと小型トラック、さまざまな器具類が見える。建物のあいだは几帳面に雪かきしてつくった道があってディーゼル油のドラム缶、薪の山がある。ジャック・ロンドンの隠遁所とも言えるようなキャビンに入ろうとすると、巨大な動物が駆け寄ってくる。狼の血が半分入ったケイトの愛犬、雌犬のマットだ。
 キャビンに入ると一人の女性がいた。痛々しいほどしゃがれた声の持ち主、ケイト・シュガックである。整然と整えられた室内にはひとりでアラスカの冬を過ごすためのあらゆる必需品と本やCDが揃っている。

(4)ケイトとジャックと愛犬マット

 FBI捜査官の見たところによると、ケイトは大学を卒業して1年間の訓練機関を経て、ジャック・モーガンの下に配属されたはずだから年齢は29歳か30歳か。身長5フィート、体重は110ポンドくらい、ブロンズ色の肌で頬骨が高い。微妙な陰影を宿した淡い茶色の目、漆黒の髪。リーヴァイスのジーンズに赤い格子柄のシャツ。猫のようにしなやかな身のこなし、動作の端々に自信がみなぎっている。そしてジャック・モーガンとの間に強烈なエネルギーのようなものが行き来している。彼女の動きでシャツの襟元がはだけて喉の傷がのぞく。それは咽喉首を真一文字に横切って左から右の耳に達しようとしている。しゃがれ声はその傷のせいらしい…。
 FBI捜査官は国立公園管理局のレインジャーが一人行方不明になった件で訪れたのだ。ジャックの部下が捜査をはじめたのだが、その捜査官も行方不明になっている。レインジャーの父親が下院議員ということでFBIの出番となったわけだ。FBIは最高のスタッフを求めているというので、ケイトに頼むことにしたとジャックは言う。ケイトが1年以上この入植地にこもっているのをなんとか引っ張り出したいのだ。他人としゃべることも必要だと言う。
 ケイトは観光シーズン中に筏下りやハンターのガイドをしてお金はあるし、セックスの相手のケンもいると拒み続けるが、行方不明になった捜査官がケンであると知り仕事を引き受ける。

(5)傷痕

 外に出た男2人の会話でケイトの咽喉首の傷痕がどうしてつけられたかわかる。幼児に強制猥褻行為を働いていた男とナイフで格闘したのだ。ジャックが言う。【「保健福祉局の家庭問題担当課に匿名の電話があったんだ。五人の子どもを持つ父親が幼児虐待の常習者で、子どもたちは五人ともその餌食になってるって。福祉局のほうからうちに連絡があって、ケイトが捜査に赴いた。そして、その父親が四歳の子どもを相手に行為に及んでいる現場に行き合わせた」中略「そいつは死んだ」中略「一四カ月と三日と七時間まえのことだ」中略「事件のあった翌日、彼女は自分で歩いて病院を抜け出し、わたしのオフィスのドアにナイフを突き立て、それで退職届を留めていった。まえの日に犯人から奪い取ったナイフで」中略「彼女は歌がうまかった」】

(6)ケイトの育った家

 そこから物語が展開していくのだが、ケイトが出かけるときの描写にも驚く。彼女の愛車(スノーモービル)アークティック・キャンパー・ジャグはアークティック・キャット・シリーズのトップモデルで、アラスカ奥地の移動手段には最適のマシンだそうだ。オプションを残らず搭載した深雪の走行も楽にこなせる最新鋭車。トランクにはサヴァイヴァル・キットが入っている。うしろにマットを載せて極北の冬の中に飛び出して行く。
 訪ねて行ったアベルが一人で暮らす入植地は、ケイトの父親が残した(いまケイトがいる)入植地に比べると3倍の広さで、雪が消えると滑走路が現れる。畑と温室と墓地がある敷地に立派な建物、飼い犬の大群がケイトとマットを歓迎する。アベルはケイトの遠い親戚で、8歳のときに両親を亡くしたケイトが祖母のいるニニルトナに行くのをいやがったので、自分の家に引き取り育ててくれたのだ。シトカオグロジカの仕留めかた、刺し網の繕いかた、ムースを仕留めてからのさばきかたと料理、なにもかもアベルが教えてくれた、という関係だ。
 ケイトはアベルにレインジャーと捜査官が行方不明になったことを話して、彼らを知っているかと聞く。ちょっと違和感のある応答のあと、彼女は祖母のいるニニルトナへこれから行くと告げる。彼女はアラスカを知りたがっている捜査官のケンに、本当のアラスカを教えるために、ニニルトナまで連れていったことがあるのだ。ハイキングや魚釣りもしてアラスカに親しませたからこそ、ジャックはレインジャーの捜査に行かせたのにちがいない。だから責任を感じているとアベルに言う。

(7)偉大なる祖母エカテリーナ

 そこでの話でケイトの祖母エカテリーナが登場するのだが、この人はこのシリーズの最重要人物で、これからのケイトの生き方にかかわってくる。
 ニニルトナはカヤヌク河の岸辺にある、人口800人ほどの村。だが夏にサーモンが来ると人口は倍に膨れあがる。アラスカ奥地の基準から言えば立派な大都会である。少し前まではバラックの寄り集まりの貧しい村だった。【1971年、アラスカ先住民請求権解決法(ANCSA)が連邦議会で可決成立し、その結果、四千万エーカーの土地と十億ドルの資金が、アラスカ州内の六つの異なる民族グループに分配された。彼らの先祖たちの土地を長年にわたって侵害し、奪ってきたことへの、うわべだけの代償として。皮肉な見方をする者は、それを賄賂と評した。州のどまんなかを貫くトランスアラスカ石油パイプラインの建設予定地が、アラスカ先住民の土着権で認められた猟場を貫くことになっている点を考え合わせれば、ANCSAはパイプラインの建設に反対する部族を懐柔し、工事の差し止め請求を撤回させるために、政府が差し出した賄賂にちがいない、と。】
 というわけで、その時点からニニルトナは変わった。村に1軒ある食料品店ではいい値段でバナナ、アボカドを売っている。アメリカ本土からアンカレッジと2度にわたって空輸された商品である。唯一の2階建ての学校、体育館、滑走路がある砂地から数ヤード離れたところに祖母の家はある。生年月日はわからないが80歳になっているはずの祖母は各巻にわたって登場する。
 捜査の話のあと、ケイトは祖母に従姉妹のジーニアが都会に出たがっているのを留めるように頼まれる。しかし、ケイトはジーニアをここへ引き留めておくことはできないと、アンカレッジで仕事を世話することになる。ジーニアに会うために行ったのは《バーニーのロードハウス》という飲み屋である。バーニーは若いころの古き良き時代の記念として後退していく髪をボニーテールにしてカウンターに立っている。ここでもレインジャーについて聞き込みをはじめる。と、酔っぱらいが銃を振り回すという事件があり、警官のジム・ショウピンが現れる。こういう具合にシリーズの登場人物がつぎつぎ現れるので、1冊目をていねいに読むことがかんじんだ。
 ジーニアも然り。ケイトに、村で籠を編んで、セイウチの牙を刻んで、ジャコウウシの毛から糸を紡いで、退屈で死ぬことはいやだと言う。【「あなたはいいわよね。逃げ切れたんだから。学校だって行ったし、市で仕事にもついた。そうやって、選択の余地のある人はいいわよ。さすが、頭のおよろしい白雪姫さまだわ。知ってた? 村ではみんな、あなたのことをそう呼んでるのよ。…」】という登場で、あとあとケイトを嫉妬し邪魔する存在になっていく。

(8)ボビーは信頼できる友

 その後にケイトが訪れるボビー・クラークはジャックの次ぎに重要な人物である。ベトナム戦争で膝頭から下の両足を失った黒人で、車椅子もスノーモービルもセスナ機も特殊改良したほどスピードに執着している。ここでは海洋大気局の気象観測官の仕事を引き受けているが、それは微々たる報酬で、その他、物々交換と無線通信とで快適な生活を送っている。
 第5作『燃えつきた森』で宗教家が事件を引き起こしたとき、ボビーは過去をはじめて話しだす。テネシー州南西部の出身の彼は高校のとき、初恋の相手が妊娠し、非合法の中絶手術をしたが結局病院にかつぎこまれた。その結果、教会から姦通者として親、家族、会衆の前で糾弾された。恋人は自殺し彼は故郷を出て海兵隊に入った。

(9)きみと一緒にいたい

 事件はよそ者に公園を荒らされることを拒む人間のしたことだとわかる。祖母はそのことを知っていた。【「公園のレインジャー、本土で生まれて本土で教育を受けた人間」と祖母は言った。(中略)「しかも新参者。それに、アンカレッジから来た捜査官。どっちも似たようなもんだ」エカテリーナは肩をすくめた。本当はそこで指でも鳴らしそうな顔をして。「そして、そのふたりを殺した男も死んだ」】祖母の本心は、ケイトに他の厄介者を犯人にしてほしかったのだ。真実がわかって祖母と孫娘は眼を見据えあう。ケイトの心は引き裂かれる。
 途中から捜査に協力したジャックにケイトは言う。【あたなたちの見当はずれの括弧でくくれるわけじゃないの。みんながみんな、酔っ払ったり、他人の配偶者に手を出したり、人を殺したりしてるわけじゃない。わたしたちだって、普通の人間なのよ。このくそみたいな世の中と、なんとか折り合いをつけてやっていこうとしている、みんなと同じ人間なのよ。ただスタートするのが遅かっただけ。今、一生懸命、追いつこうとしているだけだわ」】そしてこの公園から出て行けとジャックに言う。
 1カ月後、ジャックが公園に来て、もう一度アンカレッジの事務所にもどるようにと説得する。それは断るが、1日400ドルの報酬、経費別なら仕事をするとケイトは言う。それとは別にジャックには言うことがあった。【「わたしがアラスカに来たのは、最後のフロンティアで暮らすのがどういうものか知りたかったからだ。そのまま残ることにしたのは、きみと一緒にいたかったからだ」】ケイトが閉じこもっていた城門をあけたとジャックは感じた。気持ちよく第1巻が終わる。

(10)第2作『雪解けの銃弾』

 第2巻『雪解けの銃弾』は春がやってきた最初の朝からはじまる。家事をこなしているケイトのところへ、ヘリコプターが降りてくる。降りてきた州警察のジム・ショウピンがライフルを持って村の人間を撃ちまくっている男が、ケイトの家の方に向かっているらしい言う。【「ともかく気をつけてくれよ。自分のケツは自分で守る、それがシュガック流だろう?」】というわけだ。ケイトとマットは格闘の末、その殺人者を逮捕する。しかし、殺人は同じ時刻に別にもあった。捜査するケイトは大怪我しながらボビーの家までたどり着く。ボビーは凍えきったケイトを裸にして自分の体で温める。次の朝ジャックが来て疑惑のまなざしというところはユーモアがあって楽しい。全体に会話がとてもユーモラスなので、陰惨な事件の物語なのに落ち込むのを救われる。
 最後の章で犯人を追いかけて、ケイトとマックはクィラク山脈のアンクァック峰に登ることになる。途中で事件は解決するが、彼らは山頂を目指して登っていく。最後の山頂でのオーロラの描写の美しいことったらない。

(11)第3作『秘めやかな海霧』

 第3作『秘めやかな海霧』では、ケイトはジャックからの依頼で、アリューシャンの海のカニ漁船での仕事を引き受ける。10月のアリューシャンの海は凍える海だ。カニ採りの重労働に従事しながら捜査するケイトに襲いかかる悪人たちを、味方になった青年と助け合って闘う。カニを採るカゴに閉じこめられ、厳寒の海に放り出されたケイトが、必死で浮き上がるところは圧巻だ。
 ケイトとジャックが訪れるアヌア島、ウナラスカ村の伝統のカゴ作り、アイボリー製のスートーリーナイフを持つ少女など、アリュートの人々の伝統にふれるところも心暖まる。

(12)第4作『死を抱く氷原』

 第4作『死を抱く氷原』では、ジャックの紹介でケイトはロイヤル石油会社の内部に入り込んで、麻薬の出入りを捜査する。祖母は石油会社の仕事をしているケイトを批判する。ケイト自身も石油流出事故で、油まみれのラッコが苦しみながら死んでいったのを目の前で見ている。そういう状況下で仕事をしていくこと、生きていくことの苦しみを読む者にも考えさせる。
 とはいえ、作風はぐっと軽快になってくる。アンカレッジでのアラスカ地方検事局の捜査官を辞めて1年のあまりの一人暮らしを経てから、大きな3つの事件を解決し収入も得たし、ジャックとのゆるぎない愛を交わしているケイトの自信からかもしれない。もちろん犯罪と捜査に入れ込むケイトのやり方はハンパではなく、体を張っての仕事は続く。
 ここではじめてジャックの息子ジョニーの登場だ。ジャックは前妻ジェーンと離婚しているが、息子の親権問題で争っている。ジョニーは父親と暮らしたがり、裸足(母親に出て行けないように靴を取り上げられた)で家を出たのを、途中のコンビニまでケイトが迎えに行き、靴と服を買ってやる。裁判がずっと継続してあとの作品につながっていく。

(13)第5作『燃えつきた森』

 第5作『燃えつきた森』は森林火災でかつての原生林が燃え、たくさんの木が全滅、ベリーなど実の成る灌木も全滅するが、翌年キノコが大豊作になり、ケイトもそれを採りに行っていると設定ではじまる。
 同行しているのはボビーと、突然ニューヨークから来てガス欠になり、キノコ採りで稼ごうというブロンド娘のダイナである。ダイナはフォトジャーナリストで、写真を撮りまくっていたが、ケイトと歩いているときに熊に出くわしたりする。なごやかに物語ははじまっていく。ボビーとダイナはいつのまにか恋人どうしになっていて、キャンプしている3人の会話が楽しい。ところが、ケイトとダイナはキノコの群落のなかに全裸の死体を見つけてしまう。
 その夜8歳くらいの少年がケイトをキャンプ地に訪ねてきて、行方不明の父を捜してほしいと言う。調べると、彼の祖父は進化論を認めていないがちがちの宗教家で、近くの町の人たちを洗脳している。死体は公立中学校の教師で、宗教家の息子であり、少年の父だった。
 この作品は宗教と教育についてが主題になっていて、ケイトの宗教観が再会した昔の教師との対話で語られる。そしてジャックとの会話で、ケイトが大学へ行ったいきさつ、大学での寮生活が語られる。【「わたしが落ちこぼれたりしたら、これこそ祖母の面よごし、一族全体の不名誉となり、いわんやアリュート族全体の屈辱となるのよね。とにかく故郷へ帰りたかったら、ちゃんと卒業するしかなかった」】18歳のケイトの孤独を思うジャック。【どうりで、きみはおれのことなんか必要じゃないわけさ、と内心思っていた。故郷から遠く離れ、孤独地獄のなかで大学一年生を送った筋金入りだもんな。だれひとりそばにいなくても生きていける術を身につけてしまったんだ】

(14)第6作『白銀の葬送』

 どの作品も出だしがとてもよい。第6作『白銀の葬送』は特にいい出だしだ。10月、狩猟シーズンが解禁になる日、1頭のムースがケイトの入植地に迷いこんでくる。ライフル銃で仕留め、大喜びでマットに組み付きはしゃぎまわる。そこへ祖母エカテリーナがやってきて、一緒にムースを解体処理する。内臓を出し、皮を矧ぎ、切り分ける。挽肉をつくり、ステーキ用、シチュー用、焼き肉用と分けて貯蔵庫に入れ、内臓を先ず食べる。そしてケイトは冬を迎えるすべての品物、野菜、ベリー類、乾物類、粉類、薪、灯油を点検し満足している。
 しかし、祖母がやってきたのは事件調査の依頼だった。ニニルトナ先住民協会の年次大会が開かれるアンカレッジに行ってほしい、料金は払うと祖母は言い、ポケットからしわくちゃな10枚の100ドル札を出す。ということで、今回は都会でおきた事件である。協会の理事のうち、開発反対派の2人が突然死亡した。長い期間、原生林の残る土地の所有権をめぐって争いがあり、祖母たちは先住民の食糧自給地として残そうと開発反対してきた。今度の大会では開発の賛否を投票することになっていた。ケイトは理事会周辺の動きを探り出す。
 ジャックの家に滞在することにしたケイトだが、ジャックは息子のことで悩んでいる。前妻のジェーンが全面的に親権を要求して裁判を起こしてきたのだ。怒り悩むジャックと、父と仲の良いジョニーを見て、対応策を探るべくケイトはジェーンの家に忍び込む。弁護士の費用などがどこから出ているか疑問だからだ。そして生活ぶりをチェックするが、公務員の給料では賄いきれない高価な買い物の山と預金残高に驚く。そこでケイトのしたことって言ったら、道徳観にしばられた人が読んだらびっくりするだろう。ジェーンのカードを見つけ、暗証番号もたやすく探り出し服のカタログを持ち出す。そして公衆電話で、カタログからサイズ違いの買い物をジェーンにとどくように注文するのだから。現金を引き出して家族計画協会あてに寄付金を送ったりする。もちろん自分でも使っちゃう。
 あとの話になるが、ジェーンは結局弁護士に払った小切手が不払いになって、弁護してもらえなくなり、裁判所はジャックの言い分を認めて、ジョニーは晴れて父親の許に来る。ジェーンの家に探りに入ったときに気が付いた業務上横領については、なにかあったときの手に使えるとケイトはほくそ笑む。もーっ、ようやるわ。あとで知ったジャックも、そこまでやったのかと開いた口がふさがらない。

(15)先祖伝来の大地

 そのあとは祖母に頼まれて年次大会のパーティに出席するのだが、ジャックが大喜び。アンカレッジ一の高級店に連れて行きパーティ用の服を買わせるところは笑わせる。エディ・バウアーとヘインズの通信販売の服しか着ないケイトにドレスを買わそうとするのだから。結局タキシードパンツとビーズ刺繍した真っ赤なジャケット。靴も買い、髪も美容師にいじらせて、パーティ会場に乗り込むと、大もてである。作家の大満足顔が見えるようだ。そしてデイナ・スタベノウがここまでケイトに入れ込んでいるか、と微笑ましくなる描写が続く。
 祖母がケイトを引っぱり出したのは祖母が自分の死期が近いのを自覚したからだった。年次大会で司会をつとめる途中でケイトを呼び、代理をするように頼んでホテルに引き上げていく。ケイトは戸惑いながら司会をする。いままで祖母に反発し、一人で暮らしてきたのだが、ここで彼女自身でも驚くような演説をしてしまう。【「わたしがあのムースを撃ったのは、かつて父がムースを撃った場所、祖父がムースを撃った場所、先祖伝来の大地でした」(喝采)「わたしがベリー類を摘んだのは、かつて母がベリー類を摘んだ場所、祖母がベリー類を摘んだ場所でした。先祖伝来の大地でした」(喝采)「大地はわたしの文化なのです。大地はわたしの歴史なのです。大地がわたしの生活を支えているのです。大地がわたしに衣食住をあたえ、教えてくれたのです」(喝采)「ムースもベリーもカリブーもサケもテンもラッコも、オオカミも、みんなわたしの母であり、父であり、兄弟や姉妹なのです。彼らがわたしに衣食住のすべてをあたえてくれたのです。年老いた〈潮をつかさどる女〉がわたしのために潮をつかさどってくれたのです。レイヴンがわたしに土地と明かりをくれたのです。そしてアガダーがわたしを導いてくれました」(喝采)「わたしがいいたいのは、一千年をほこる歴史と文化が違法だというならまちがっているのはその法律のほうであって、そこで暮らしてきた民ではない、ということです」】喝采されてびっくりして、聴衆を扇動することなんて上達したくないと思いつつ、ケイトはそれを自分が楽しんでいるのに驚く。
 捜査を続け、核心にせまろうとしているとき、自分のみならず、ジャックとジョニーの生命まで狙われ、ケイトの怒りは爆発する。命がけでマットを連れ犯人の家に乗り込み、ひとまずの解決をみる。
祖母は亡くなり、年次大会では祖母を偲んでその業績を讃えるが、もう新しい時代だと開発派が演説しだす。そのとき祖母の意志を継ぐ女たちによって太鼓が響く。ケイトは踊り出していた。みんなが椅子を片づけて踊り出す。そして踊りの終わりで大会は終了した。

(16)アラスカへの深い愛

 ケイトとジャックは祖母の遺灰を川に流した。全アラスカから人が集まって追悼集会が開かれた。だが、土地の問題は二派に別れてまだまだ抗争は続きそうだ。ケイトにこれからどうするつもりかジャックが聞く。ケイトはかかわっていくことにする、と答える。第1作から徐々に民族意識に目覚めていったケイトは、これから祖母の遺志を継いでいく覚悟を決める。長い闘いを覚悟するケイトの頭にも体にも心にもエマア(祖母)は宿っている、いつでもここにエマアはいる。そう言ったケイトはジャックに先に家に入ってもらい、マットと身を寄せ合う。月が天空をよぎっていく。
 物語の最初と最後に、祖母エカテリーナ・シュガックがあの世に入っていくところの語りは神話的で、デイナ・スタベノウのアラスカへの愛を胸いっぱいに感じさせてくれる。
2000年5月

2000年5月

※本の写真『白い殺意』『雪どけの銃弾』『秘めやかな海霧』『死を抱く氷原』『燃えつきた森』『白銀の葬送』はすべてハヤカワ文庫

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