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DOROTHY L. SAYERS
大学祭の夜

毒を食らわば

わたしの好きなミステリー/1
ドロシー・L・セイヤーズ

大学祭の夜

杉谷 久美子
Kumiko Sugiya

やたらと本好きな父と姉2人兄2人がいた私は、第2次大戦の3月14日の大空襲で大阪市西区の家を焼け出され、豊中市のはずれ、田んぼの中の文化住宅へ避難した。なんにもない焼け出され生活のなかで、不思議に本だけは不自由しなかった。夕涼みの縁台や遠い町のお風呂屋へ通う道で、幼い私が父から聞いた物語は『浴槽の花嫁』『セントバレンタインデーの虐殺』『駅馬車』『暗黒街の顔役』『スカラムッシュ』と大衆小説、犯罪実話、犯罪映画で、字を読めるようになったときには、たくさんの少女小説とともに、探偵小説を抱えていた。小学校のときには、古本屋巡りについていったし、中学生になってからはひとりで古本屋通いして、探偵小説を読みまくった。 読み棄ての本の中でたった1冊、何十回も読み、なにがあっても手放さなかった本がある。ドロシー・L・セイヤーズ『大学祭の夜』。昭和11年発行のこの本は表紙も取れてボロボロだが、一生の友となってここにある。

 ドロシー・L・セイヤーズは1893年6月13日イギリス、オクスフォードで生まれた。オクスフォード、サマヴィルカレッジを中世文学の最優等で卒業。1916年処女詩集を出版している。
 『大学祭の夜』は1935年に発表された。主人公のピーター・ウィムジイ卿は1923年の『誰の死体?』で初登場。貴族で、金持ちで、頭が良くて、性格が良くて…。ものすごくかっこよく書かれている。ドロシー・L・セイヤーズ薄給時代(広告代理店で文案家をしていた)のあこがれを彼に託したと言われている。1930年の『毒を食らわば』にヒロインの探偵小説作家ハリエット・D・ヴェーンが登場する。ピーター・ウィムジイ卿は愛人を殺害したという容疑で逮捕されたハリエットの無実を証明して救うのだが、ここでピーター・ウィムジイ卿の一目惚れの恋が生まれる。1932年の『死体をどうぞ』で2人は協力してハリエットがハイキング中に発見した殺人事件を捜査する。ここにきてもピーター・ウィムジイ卿の求婚にたいしての答えはノーである。このへんのハリエットの気持ちが実によくわかる。今の仕事を持つ女性達の気持と共通しているように思う。そして1933年の名作『ナイン・テイラーズ』を経て『大学祭の夜』が書かれた。

 ハリエットは母校オクスフォードのシュルスベリイ大学の大学祭に招かれて出席する。そこで怪事件が起こり、探偵小説作家という職業がらと、女子大のため女性が調べたほうがよいということでハリエットが大学の研究室に住み込むことになる。そのシチュエーションを訳者の黒沼健は前書きでこう言っている。《制服の処女、制服を脱いだ処女、結婚愛を享受している女性、愛恋の破綻を嘆く女性等の心理がシュルスベリイ大学を背景に、男性には窺い知れぬ雰囲気を醸し出す。女史の人生感が多数人格の上に分岐したものであろうが、そこには同時に、女流探偵小説家ハリエット・ヴェーンの口をかりて、女史自身の創作上の態度を秘かに披瀝している微苦笑的な情景も散見する。謂わば探偵小説としての「恋愛と結婚の書」でもある。》
 私が最も影響をうけたのは、大学祭でハリエットが昔の学友と再会するシーン。学生時代は才色優れた女性だったのに今は生活苦で見るかげもない人や、反対に相変らず元気いっぱいの人もいる中で、大の仲良しだったメリー・ストークスの変わりようだ。《彼女の子供のことでも賞めようか。その以外には別に手段がないように思われた。メリーが今日までに完成したものと言えば彼女の生んだ子供だけだったから。》が、中学生であった私の生き方の原点となった。
 事件は段々複雑になりピーター・ウィムジイ卿の手を借りることになる。2人は険悪な雰囲気の大学で協力して捜査にあたる。犯行の動機は男性の論文の不正を女性の学者が見破ったことにあった。事件解決と同時にピーター・ウィムジイ卿は最後の求愛をして受け入れられる。男性と女性について、学問と結婚について、2人は事件でじゅうぶん学んだから。

 1937年『忙しい蜜月旅行』は2人の結婚式に始まる。シュルスベリイ大学の教授達が出席してほほえましい結婚式である。殺人事件つき新婚生活でピーター・ウィムジイ卿とハリエットのなりゆきを知っている者には、この小説はとても面白い。ドロシー・L・セイヤーズのもうひとつの面である上品なユーモアがあふれている。 1938年『ある殺人風景』では子供が生まれた夜の、落ち着かない気分のピーター・ウィムジイ卿が出てくる。結局1943年には3人の息子に恵まれるのだが、ハリエットはメリー・ストークスのように”自慢できるのは子供だけ”にならない自信にあふれた結婚生活だったんだ。

 ドロシー・L・セイヤーズは1957年12月17日ロンドンへクリスマスの買い物に出かけ、疲れて自宅に帰り愛猫のごはんをとりに台所へ向かいかけて倒れた。発見したのは翌朝出勤してきた秘書であった。

1992年1月

〈注〉
この原稿は1992年1月発行の『VI』第1号に書いたものです。嬉しいことにドロシー・L・セイヤーズの作品は、現在創元推理文庫から浅羽莢子さんの訳で続々出版されています。原稿中の本の題名は1998年8月現在に出版されている本の題名に入れ換えました。
『大学祭の夜』が新しい訳で出ることをどんなに待ち望んだことでしょう。もうすぐ出版されるというときに、この原稿をホームページに発表することができて最高にうれしいです。

本の表紙(上から)
ドロシー・L.・セイヤーズ
『大学祭の夜』春秋社 1936年発行の扉
ドロシー・L.・セイヤーズ
『毒を食らわば』創元推理文庫 1995年発行


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