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MYSTERY


古代史ミステリー

岡田 春生
Haruo Okada

 自分史風に“我が宗教観”を書いているうちに、日本古代史上最大のミステリーに突き当たった。
1.邪馬台国の女王卑弥呼は天照大神ではないか。
2.天の岩戸隠れ神話は日食の皆既食ではないか。
3.卑弥呼女王の死は民衆による殺害ではないか。
等々のテーマである。

 事は地味な天文学研究から始まり、元東京大学東京天文台教授の斉藤国治氏が“古天文学、パソコンによる計算と演習”(恒星社刊)。“古天文学への道”(原書房刊)に発表した記事で、この日本列島に国があったと史料の上で確認できる1世紀から、魏志倭人伝にある邪馬台国の時代までに、日本列島上で観察できた皆既日食はたった2回しかない。
 紀元158年7月13日と紀元248年9月5日の2回である。
 斉藤氏はこの後者に目をつけた。これが神話にある“天の岩戸かくれ”は日食ではないかと考えたのである。天の岩戸かくれは神話で、日本の始祖・天照大神(アマテラスオオミカミ)が、弟のスサノオノミコトの乱暴(大神の神聖なハタ織り場を汚した)にいきどおって天の岩戸にはいって身をかくしてしまった。
 天照(アマテラス)とは文字通り世界を照らしている太陽のことである。そこで世界は急にまっくら闇となり、困った神々はなんとかせねばと額を寄せ合って知恵を出し合った結果、岩戸の前に鏡や玉を榊(サカキ)の枝をかけて神楽(カグラ)を奏し、アメノウズメノミコトという女神が足をふみならして踊った。スターのアメノウズメは乳房をあらわにしてストリップダンスを演じ乗りに乗ってホトをちらつかせたので、並居る神々は一斉にドッと笑った。アマテラスは何事かと岩屋の戸を少し開けて覗かれたところを待ちかまえていたタジカラノオノミコト(手力男命)が引きあけて、アマテラスの手をとってお出ましを願ったという物語である。
 これを斉藤氏は皆既日食と思った。
 ところが邪馬台国の女王ヒミコ(卑弥呼はシナ人の中華思想からくる軽蔑した意味の文字を音韻であてはめたものであり日御子か日巫女と呼ばれていたと思われる)の死は紀元248年となっている。皆既食と同じ日である。しかし斉藤氏はこの2つの出来事の暗合、符号の意味は考えなかった。
 作家の故・松本清張氏はそこに目をつけ、両者をフレーザーの“王殺し”の理論で結びつけた。
 民俗学者のフレーザーは名著“金枝篇”(永橋卓介訳、岩波書店刊、第24章、2.力が衰えると殺される王)で世界各地の実例を紹介して、古代の国々で一大異変が起こった時は王のせい、力不足のためであるとして、立ち上がって、それまで崇(あが)めていた王を殺したというのである。
 この稿は数冊の底本より抜粋して書いているが、謎の女王ヒミコについては様々の説がある。
 先ずヒミコの出身、素性について、騎馬民族征服王朝説(江上波夫)の後継者小林恵子氏はいう。
 ヒミコは江南の巫術者・許氏の娘だった。シナ大陸の江南地方では伝説的に超能力の巫術を崇拝し祭政一致の統治が行われていた。その中の1人、許昌が重税に反抗して叛乱を起し、鎮圧されて(172年)一族と日本列島に亡命したが、その中に少女のヒミコいたと推測した。
 彼らは北九州の伊都国に居ついて、北九州の諸国の争いに乗じて、そのカリスマ性(鬼道をこととし=魏志倭人伝)によってヒミコが日本28カ国の連合国家の女王に担ぎ上げられた。そして約30〜40年、女王として君臨したのである。(小林恵子、興亡古代史、文芸春秋社刊)
 ヒミコは1000人の召使いに仕えられていたが、男子は1人だけで、その人が宮殿に出入りを許されて飲食を給し神託を取りついでいたとあるが、ちょうど沖縄でも明治までは王の姉妹の1人が聞得大君(きこえおおぎみ)といって生涯独身で巫女となって王に神示をつたえたのと似ている。
 このようなヒミコに政治力があったとは思えないが、ゆるやかな国家連合体の象徴的女王と仰がれて、どうやら治まっていたらしい。
 ヒミコは239年(魏の年号で景初3年)にはじめて難升米(ナシメ)を長とした使節団を半島の帯方郡経由で魏の首都、洛陽に派遣し、大変歓待されて、金印、銅鏡100枚、太刀2口、大量の貴重な織物などをもらったが、ちょうど大陸では三国志の名将・諸葛孔明がいた時代で、魏国で実権を握っていたのが諸葛孔明と戦った司馬仲達だった。魏は北方の公孫氏と対立していたので、後方の呉をけん制するために、一大島国である倭国を味方にしたかったのである。
 倭国はその後、南方の狗奴(くぬ)国と対立していたので、魏の援助を受けるために243年(正始4年)に再び使節団を送ったりしたが、ついに狗奴国は245年(正始6年)に女王国と戦端を開いた。
 女王国の難升米はただちに使者を帯方郡に走らせたが、魏にも応援する余裕はなく、帯方郡の武官・張政に、天子の旗・黄幢と詔勅を持たせて、行って戦をやめるよう調停するよう命じた。
 張政が女王国に着いたのは247年(正始8年)で、そのときヒミコは老いて病床にあり、その年の暮れごろになくなったらしい。
 この説は古代史研究家、八木荘司氏の“古代からの伝言”第5部・日本建国・卑弥呼死す、角川書房刊 によっているが、病死か殺害か、いろいろ意見が分かれる所である。
 和歌森太郎氏はいう。“彼女(ヒミコ)が 狗奴国との争いの中に巻き込まれて戦死したなどということは到底考えられない。神霊と一体化することで、その意志を身につけてことばを発するという役割の巫女(みこ)が戦陣の現場に臨むということは、日常奥深いところに居して女たちだけに回りを囲わせ、わずかに一人の男子である審神者に接触するだけという神秘な閉鎖状況の中にとどめられていた巫女にとってありえなかった。したがって自然死でこの卑弥呼は死んだのである。(邪馬台国99の謎、和歌森太郎著、サンポウブックス刊)
 また樋口清之氏は“北九州で発掘された甕棺(かめかん)の中に、正面から矢を何本も撃ち込まれて死んだ女性が葬られているものがある。(中略)それにみな下腹部だけに集中して矢が当たっている骨なのですから、しかも老人の骨です。だからこれは霊能がなくなった(中略)女性が殺されてものだと思います。そういうことから卑弥呼は自然死ではなく、おそらく他殺でしょう”と言っている。(「女王卑弥呼の謎」樋口清之著、広済堂出版刊)
 危機的情勢のなかに突然起こった皆既食という自然現象は政局に決定的衝撃を与えた。なにしろ日御子・日巫女は太陽神に仕える女性である。
 松本清張氏は推理する。“わたしはヒミコの死を殺害と考えた。…(中略)…いわゆる女王国連合諸部族の首長たち(諸国王)は敗戦の責めをヒミコに帰し、まさにこれを殺すべしと一致して言い合わせた。宰相の難升米はこの決定を張政に伝え、張政はその旨を檄文にして告諭(こくゆ、告げさとす)した。よってヒミコはそれを受けて死んだ(殺された)のであろう。”(清張通史1“邪馬台国”講談社刊)
 おまけに松本氏は後漢書にある夫余伝(半島北方のツングース系の国)の麻奈王が、天候不順で不作の責任を王の不徳のせいとして殺され、6才の遺児が王となったという記事を傍証としてあげている。
 病死か、他殺か、ヒミコも女王として君臨して30年か40年は経過し、推定60才か70才の間くらいで、もう老齢で霊力もなくなっていたのかもしれない。
 筆者に究極の判定をする能力はないが、何れにせよ松本清張が皆既食の記事にとびついて、アマテラスとヒミコをフレーザーの“王殺し”の理論に結びつけた驚天動地の発想には驚嘆せざるを得ない。当否は別として皆既食の日から推して歴史上謎の人物であるヒミコの死を紀元248年9月5日と決めつけたのには凄さを感じさせられる。
 日本人は模倣は上手だが独創力に乏しいといわれてきたが、江戸時代中期に“大乗非仏説”を発想した大阪の商家出身の富永仲基や、空気の研究とか日本教で新しい日本人観を開いた山本七平に次いで松本清張も異能といえるだろう。歴史は司馬、推理は清張といわれただけある。
 彼はミステリーの世界では、従来の名探偵登場の定型をやめて、周囲の人を主役として、社会派といわれ戦後のミステリーを書き換えたと言われているが、歴史ミステリーでも新局面を開拓した。

 ここで思い出すのは“時の娘”(The Daughter of Time…Josephine Tey)というミステリーである。平凡で一風変わった小説である。翻訳も出ているが紛失してしまったので原典を見ながら大筋を紹介してみよう。

 スコットランドヤードの警部アラン・グラントは悪漢ベニイ・スコールを追跡中うかつにも落とし穴に落ちて脚を折り、退屈な病院生活を強いられることになった。たまたま友人の女性のマルタ・ホラードが見舞いにきて、お見舞いとして肖像画の画帳をくれる。肖像画を見てその人の性格を当てる遊びができて、その中に特に興味をそそられる人相があった。
 それは英国王リチャード3世で、史上最悪の人間とされているが、画像の人相は感受性ゆたかで知性に富んだ風貌であった。
 長年悪人とつき合ってきたグラントは、そんな人相の人が悪事を犯すだろうかという疑問を感じた。怪物国王リチャード3世の名は歴史上最もわるくて残忍な殺人者であった。身体的にもせむしで醜い王は王位を奪うために兄の遺児の可憐な幼い兄弟をロンドン塔で殺すなど歴史上、彼の年譜は血まみれであった。
 トーマス・モアが最初に彼を告発し、シェークスピアが彼の罪を不朽のものにした。彼は幾世紀にもわたり酷評され罰せられてきた。グラント警部が大昔の事件を新しい目で見るまでは……と序文では言っている。
 グラント警部は退屈な病床で一々疑問点を解明し、助手の手を借りて史料を集め、一枚一枚紙をはがすように悪評をくつがえし、遂にリチャード3世が世評と正反対のよい人間、慈悲深い君主であったと証明する。
 今までも安楽椅子探偵(armchair detective)というのがあったが、これはベッドの上の探偵である。ミステリーは初期のルコック探偵などは頭と共に足を使い、滑ったり転んだりしながら犯人を捕らえる、実際の刑事物に近く、日本の捕り物帖や警察小説に近かったが、シャーロック・ホームズ以来、捜査の要点は机上の推理で片付けられ、それが恰好よくて次々と亜流を生んで、主流となっている。
 もっともルパンのように犯罪者が主役となり活躍したり、スピレーンのようにセックスと暴力を2枚看板とするものもあるが、大体はエラリー・クイーン型になっている。
 この“時の娘”は歴史の別名だそうだが、平凡に見えてなかなかの名作で、世界のミステリーベストテンで5指にはいるだろうともいわれている。
 松本清張の古代史推理も劣らぬものと思う。古代史の世界にはまだまだミステリーの史料が多い。だからファンをやめられない

2003年8月

VIC FAN CLUB:MYSTERY