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kumikoのほとんど毎日ページ
2002年6月


木村仁良さん訳 ドナルド・E・ウェストレイク「骨まで盗んで」


いつものように本の内容を紹介をしてしまうと、これから読む人のお邪魔になるので、読んでいるうちに思い浮かんだことを書いていこう。わたしは“ネタばれ”とかあんまり気にしないでやってしまうほうだけど、この本はストーリーそのものがおもしろいので、こういう展開でとかいうのも避けたい。読みだした最初は少しめんどくさいけど、途中からどんどんおもしろくなる。
さて、ご存知でしょうがドートマンダーはプロの泥棒である。泥棒の仲間が集まって打ち合わせ中に、この仕事は“いそぎばたらき”だというところがあって、あれまあ鬼平さんじゃないかとおかしくなった。そしたら、どんどん連想が広がってドートマンダーと奥さんのメイは、大滝の五郎蔵とおまさみたいだと思われてきた。「鬼平犯科帳」で元盗賊の密偵達が集まって話しているうちに、昔みたいに泥棒をやってみようというのがあった。彼らは盗んだ物を後日ちゃんともとに戻したんだけど、鬼平さんはちゃんとわかっていて、それとなく諭すというストーリーだった。それぞれに得手の仕事があって、その仕事がうまくつながると完璧な泥棒ができる。
ドートマンダーと仲間が相談しているところは、これぞプロって感じ。それでまた連想は飛ぶんだけど、サッカーの試合で11人がそれぞれ自分の仕事をしながら、それがチームプレーにつながっているみたいなところがある。
ドートマンダー、アイソもクソもなく陰気な男だが、突然発する言葉にユーモアが宿る。泥棒の下見に行って警護が固いと、「仕事が簡単すぎたら、おれは多分退屈して、やりたくもなくなるだろう」と言う。この仕事ではじめてつきあう相手が「本気か?」と聞くと「いいや」と答える間合いのよさ。けったいなタイトルの本だけど、最後まで読めばその意味が納得できる。(ハヤカワ文庫 980円+税)

2002.6.30


平穏な日々


今日はサッカーがないし、テレビをつけたら阪神は横浜に負けてるので、静かにお酒を飲み晩ご飯を食べ、教育テレビで「あなたの知らない宇宙」というのを見て、ビッグバンの謎について勉強(?)した。
サッカーはあと2試合で終わるし、阪神は定位置に着きかけている(どうなってるねん、8連敗、去年もしてない8連敗)し、7月以降は平穏な日々を送れそうだ。いまとなっては信じられないが、4月からこっち、毎日浮かれた生活をしてきたものだ。サッカーはもうこれから一生味わえない出来事だからいいけど、もうひとつはどうなってるねん。
掲示板にも書いたんだけど、Mさんからのメールに『阪神もなんだかサッカーと一緒に「夢をありがとう」ってかんじになって来ました。』とあった。思わず吹き出したが、まったくもう・・・なんやねんなである。でも、まだ「夢をありがとう!」とは言いたくない!

2002.6.28


室生犀星「かげろうの日記遺文」と「山吹」


室生犀星の本でいま持っているのは文庫本の「かげろうの日記遺文」だけである。これは平安時代に道綱母によって書かれた「蜻蛉の日記」をもとにした小説で、道綱の母を“紫苑の上”と名付けている。日記には数十行しか出てこない“町の小路の女”が冴野と名付けられて、重要な存在になっている。正妻の時姫とあわせて、原作の日記では道綱母の主観で書いていることを、藤原兼家をめぐる3人の女の生き方、考え方を客観的に捉えている。書かれた3人の女性の姿に犀星の女性観が現れている。ちょっとかなわんところもあるが、ときどき読んで紫苑の上に心を重ねる。紫苑の上という素敵な名前を道綱母に与えただけでも犀星はすごいわ。
わたしはこの本の他にやはり王朝物の「山吹」も好きだった。古本屋で見つけたのだが、戦争中に出版されたものだから、藁半紙のような紙の粗末な本だった。山吹という少女が地方へ転勤した恋人を待っているのだが、貧乏になって金持ちの家の下働きをしている。ある日、出世した恋人がこの地方を通るという話があり、山吹は冬の川で髪を洗う。気が狂ったかと家の人々が言うのを聞き流して男の行列を待つ。めでたく恋人と出逢っていっしょに暮らすようになるのだが、恋人が病に倒れてしまう。村の小さな家で看病する暮らしになるが、そのときの2人の会話がよかった。いまわたしたちが眺めているこの月を、後の世の人もわたしたちと同じような気持ちで眺めるであろうか、と男が言う。眺めているよとわたしは切なく心の中で答えたものだ。

2002.6.27


梅雨寒にオイルヒーター


“つゆさむ”と打ったらATOKが変換してくれないので、こちらが間違っているのかと辞書をひいた。ちゃんとある言葉やんか、なんでかな。
この数日寒い日が続いている。昨夜は遅くまで仕事をしていて、このページをアップしたのは夜中を超えて3時だった。足のふくらはぎのところが冷たくなっていたので、お風呂で温まって寝た。おかげでぐっすり眠ってしまい、明け方に消防車が何台もけたたましく通り過ぎたらしいが気がつかなかった。
梅雨寒というと、すぐ鬼平犯科帳を思い出す。梅雨になって寒い日が続き、奥さんの久栄さんが火鉢に炭を熾して運んでくる。いい場面だ。梅雨寒は昔からあることなんだと思うとなつかしいような気持ちになる。それも鬼平さんがちょっと体を弱らせていて寒さを感じたところがいいのよね。意気盛んなときはそんな寒さは感じないもん。その例にならって、今夜はオイルヒーターのスイッチを入れた。火鉢に比べて情感がないのはしかたない。でも暖かいのがご馳走。今夜も夜更かしになりそうである。
こんなことを言っていても、ある日一転、蒸し暑い梅雨の季節に入り、それから梅雨明けして本格的な暑い夏がはじまり、天神祭の季節がやってくる。

2002.6.26


「杏っ子」室生朝子さん


1週間くらい前の新聞に室生朝子さんが亡くなられたという記事が出ていた。少女雑誌などで知っていた名前を、なつかしく見るのが訃報というのはしんどいものである。
朝子さんは作家室生犀星が大切に育てたお嬢さんである。犀星一家が第2次大戦中に軽井沢に疎開していたときの話をわたしはいまも覚えている。堀辰雄夫妻といっしょにご飯を食べたとき、朝子さんがトーストの両側にバターを塗ったので贅沢だと堀辰雄に言われんだって。作家の娘、疎開といっても軽井沢、堀辰雄と知り合い…、羨ましかったんだなあ。この話は犀星が書いたのか、堀多恵子さんが書いたのか、朝子さんが書いたのか…。
わたしは若いころ室生犀星が好きで好きでたまらなかった。無理して全集を買って持っていたし、新刊は必ず買っていた。「杏っ子」は新聞連載小説でずいぶん評判になった。朝子さんをモデルにした杏子という娘の、産まれたときから、結婚そして離婚にいたるまでの物語である。このときは作家の娘ってたいへんだとつくづく思った。
犀星が亡くなったあとしばらくしてから、わたしの犀星熱は引いていき、わたしはオトコと旅するために全集を売ったのだった。

2002.6.25


堀井和子「朝ごはんの空気を見つけにいく」


うちは3食中で朝ご飯がいちばんたくさん食べる。お昼はわりと簡単に麺類が多い。夜は和食で、ご飯、みそ汁、魚、野菜で簡素である。お酒を飲むときはそれに1品つけるくらい。それを早めに食べて、あとは寝るまでなにも口にしないから、朝起きたらお腹がめちゃくちゃ空いている。
だから朝はミルクとヨーグルトとバナナ、野菜スープ、ハム類+卵料理、生野菜、トーストにバター+はちみつ(またはメイプルシロップ)、紅茶、とたくさん食べる。先日も書いたけど、「堀井和子のきままな朝食の本」にはとても影響を受けた。
それですごく楽しみにしていたのが、新しく発行された「朝ごはんの空気を見つけにいく」だったのだが、期待が大きすぎてちょっとがっかりであった。堀井さんの家族や友人に朝食についてアンケートをとり、それを参考に各家庭に出かけて話したことなどが書かれている。食べ物だけでなく食器やインテリアへのこだわわりもあって参考になるのだけれど、なんかおさまりがよすぎるっていうか、行儀がいい本になっている。そして肝心の朝ご飯はうちのほうがよっぽどいいもの食っている。もっとも彼らは夜に大ご馳走を食べているに違いない。上等のワインとか。
本屋で堀井さんの本がたくさんあったので立ち読みしてきたが、最初のスプリング綴じの4冊がいちばん楽しいし活気がある。あのころは自由な外国暮らしで、本もその気持ちを反映していたようだ。この本は特に東京の人って感じがする。モンクを言ってるけど、きれいな本です。デュアリットのトースターが欲しい!(講談社 1400円+税)

2002.6.24


関心を向けたら勝つ?


阪神タイガースの成績がむちゃくちゃ悪い。いつのまにかずるずると3位に落ちている。サッカーばかり目を向けているうちに、今日で6連敗じゃん。土曜日のNHKスポーツニュースで、男女のアナウンサーがなんて言ったと思う?(この時間だって、実はあたしは韓国の試合の様子を知りたくてつけたんだけど…)阪神は調子悪いけど、みんなの関心がサッカーを向いてるからで、これから野球に関心がもどれば、連敗も止まるんじゃないでしょうか、だってさ。
NHKのアナウンサーさんにもバカにされたのか、好意を持っていただいているのか、わからんけど、阪神タイガースの選手のみなさま、そろそろあたしも野球に100%の関心を向けますので奮起してくださいませ。

2002.6.23


プール生活がまたはじまった


プールが清掃のため8日間休みだった。さすが市民プール、定期券も日にちを延ばしてくれて良心的だわ。休みが終わって初日の今日は、ピカピカの壁が光っているし、プールの底もさっぱりした足触りで気持ちよかった。半年以上通っているから、さすがに顔見知りも多くなっていて、「久しぶりやね」と挨拶もたくさんした。
プールを休むと時間ができてラクだった。ほんとはその時間に体操しないといけないんだけど、本を読んだり会報を作ったりメールを書いたりしていた。おかげで体重が増えてしまったと思うが、こわくて量れない(笑)。これからはまたマジメに1時間水中歩行にいそしもう。20分のジャグジー浴で足のマッサージもちゃんとしよう。肩こりも防げるし、その時間は目を使わないから目にもすごくよいはずだ。
昔はものをおもわざりけり、若いときはからだのことなんて、これっぽっちも思わず生きていたんだわねえ。

2002.6.21


矢川澄子「アナイス・ニンの少女時代」


矢川澄子が亡くなってすぐ、6月9日の朝日新聞読書欄に「アナイス・ニンの少女時代」についての種村季弘の書評が出た。この本が著者から届いた日の朝、自死が伝えられたそうで、書評の最後は矢川澄子への追悼の言葉になっている。
わたしはアナイス・ニンのことは名前を知っている程度でほとんどなにも知らなかった。映画の「ヘンリーとジューン」は見たけど、そんなによいと思わなかったし、ヘンリー・ミラーの恋人であり、たいへんな人であることくらいしか理解していなかった。矢川澄子が死ななければ、そして種村の書評と追悼文を読まなければ、買って読む気にならなかったろう。宿命的なものを感じてしまう。矢川さんはすごい本を残して亡くなってしまわれた。
この本はアナイス・ニンの11歳から生涯にわたる膨大な日記から、少女時代のものを資料にして矢川澄子が書いた伝記である。なぜ少女時代を取り上げたかというと、見事に自立をつらぬきとおした美女、アナイス・ニンの少女時代にはよっぽどの秘密が隠されているに違いないと考えたからだ。日本で言えば明治36年生まれのアナイスの日記は慎しみぶかい。フィジカルな話題が登場したことは一度もない。生理についても一言もでてこない。淫らなことなんては書くことは恥ずかしいという自制が働いていた。その秘密に矢川さんはせまっていく。行間から読みとり、推理を働かせ、またアナイスの書いた小説から推測していく。
矢川さんの文章の後に、アナイス・ニンの小説「あるモデルの話」がある。この作品についても解説がついていて、史上はじめての女性の立場から書かれたポルノが誕生したとある。その解説の最後で矢川さんはこう書いている。【アナイス・ニンが女性であるかぎり、「性と愛がともに脈打ってこそ、無上の官能の歓びが得られる」とする立場を維持しつづけるかぎり、わたしは最後まで彼女をわが大先達として敬愛しつづけることをやめないだろう。】わたしもまた、アナイス・ニンと矢川澄子を大先達として敬愛しつづけることをやめないだろう。「あるモデルの話」はとても上等なポルノ小説である。(カバー絵:合田佐和子 河出書房新社 2000円+税)

2002.6.20


テレビの映画「続・座頭市物語」


勝新太郎の魅力というものを長い間知らなかった。兄さんの若山富三郎の魅力は60年代後半から70年代前半の東映ヤクザ映画で充分わかったのに、勝新太郎がなんであんなに人気があるのかわからなかった。それが去年だったか、同じ京都テレビで「悪名」シリーズの第1作・第2作を見てびっくりして、遅まきながらファンになった。
今日見たのは「続・座頭市物語」、20作もあるシリーズの第2作である。いや驚いた! かつしん、すごく色気があって美しい! ストーリーは第1作の続きになっているらしく、去年殺してしまった平手神酒の法要をしに戻ってきたところだ。そこに実の兄がいて、その役を若山富三郎がやっている。許嫁を奪った兄と斬り合いになるが、最後は悪徳官僚とヤクザに囲まれ、深手の兄を引っ張って川へ飛び込んで逃げる。
居合い抜きというのか、仕込み杖での立ち回りがすごくきれい。また、居酒屋で知り合い、一夜を共にする水谷良恵が美しい。モノクロ、シネマスコープで、川や林の風景が美しく、建物のセットも気合いが入っている。役者が揃っているのは言うまでもない。
だけど平手神酒を座頭市が殺したというストーリーには驚いた。平手神酒って武士で剣道の達人だけど、ヤクザの親分笹川重蔵の食客になっていたんじゃなかったっけ? 肺病で酒飲みで。どういうつながりで座頭市が殺すハメになっちゃったんだろ? 原作は子母沢寛だから、ちゃんと話は合っているんだろうな。原作を読むか、第1話を見れば納得できると思うが。

2002.6.19


ウィルとニコラス「ふたりのあか毛」


同じ町内に住んでいるあか毛の少年とあか毛のネコは嫌いあっていた。少年の大切な金魚をネコがねらうからだ。都会、多分ニューヨークの下町、街の中ですれ違ったりする2人だが無視しあっていた。それが少年は街の少年たちの「ノロシ団」の集まりをのぞき見して、団員たちに追われ、ネコは魚屋のサカナを失敬して魚屋に追われる。2人は別々に逃げていたが街角でぶつかる。そして全員が折り重なって倒れてしまう。ぱっとよその家の玄関の階段に腰かけるあか毛の少年とあか毛のネコ。その前を「ノロシ団」を追いかけて魚屋が走っていく。そのときから2人のあか毛は仲良くなっていつもいっしょにいる。
久しぶりに見つけたネコの絵本、去年の秋に発行されているので新しい本かと思ったら、アメリカでは1950年に発行されている。いま描いたと言われても信じてしまう、おしゃれなタッチの絵だ。ネコの表情や仕草がほんとにネコという感じだし、少年がまた可愛い。50年前の子どもなんだけど、ほんとにいまっぽい。いいネコ本にめぐりあったものだ。ウィルとニコラスの絵本はほかにもある。けなげな小さなおんどりの話「ちいさなおんどり」で、こちらは田舎の風景がよい。(両方とも童話屋出版 1500円+税)

2002.6.18


デボラ・エリス「Xをさがして」


カナダの児童文学って読んだことがないので、図書館で見つけてどんなのか借りてきた。著者は若いときから政治活動にかかわり、いまはトロントでカウンセラーとして働くかたわら作家活動とアフガン難民支援NGOの中心にいる女性である。
主人公のカイバーという女の子は11歳、母親タミーは元ストリッパーで双子の弟は2人とも自閉症である。父親は双子を妊娠中に出ていった。親子4人は生活保護で暮らしている。貧しい生活だが、カイバーの夢は探検家になることだ。学校友達はいないが、Xという大人の友達がいる。Xはいつも公園のベンチに座っているので、カーバーはパンを持っていってあげて話をする。
こういう暮らしでずっときたのだが、タミーが大きくなっていく自閉症の子どもたちを、田舎にあるグループホームに入れることにしたのでカイバーは反発する。ケンカしたり家出したりの結果、タミーの友人や家出中に知り合った人たちに助けられる。最後は双子のいるグループホームの近くで暮らすことにして引越しする。
自閉症児についてよく理解できるように書いてあるし、グループホームやソーシャルワーカーについても好意的に書いてある。そして家出したときに知り合うホームレスや、謎の友人Xについてもその過去がなんとなくわかるように書いてある。学校の教師など抑えつける力に対して、カイバーやタミーはちゃんと自分の意見を言うところが気持ちいい。
1999年に発表された作品なので、カナダの現在の人々の生活ってこんなんかと勉強になった。貧しいけれどがんばる、というメッセージが解りすぎるところがちょっとかなわんかったけど。(さ・え・ら書房 1300円+税)

2002.6.17


朝をさわやかにするキュウリとミントの香り


この間の新聞の新刊案内に堀井和子さんの朝食の本があった。これはさっそく買いに行かねばなるまい。それで思い出して、以前このページでも紹介したことがある「堀井和子のきままな朝食の本」(1988)を出してきた。最初から見ていくと、この本を買ったときに作った料理で最近やってないのがある。通勤していて朝が忙しかったころにはできなかったものもある。そんなわけで数日前から堀井式朝食を試みている中から、蒸し暑い今の季節の朝にあう、すっきりした飲み物を紹介しましょう。
「キュウリとミントのライタ」というもので、材料は2人分でヨーグルトと牛乳適当、タマネギ1/4、キュウリ1本、ミント少々。ヨーグルト、牛乳、塩、黒コショウをよくかき混ぜて冷やしておく。タマネギとミントはみじん切り、キュウリは薄い輪切りで混ぜて冷やしておく。食事の直前に両方を混ぜる。ミントとキュウリの香りですっきりさわやか大人の味やね。このあとは熱いスープとハムエッグとサラダとトーストの朝ご飯がおいしい。ミントの鉢植えがあれば便利です。

2002.6.16


大阪の夜


11時前から強い雨が降ってきた。道頓堀の人たちはどうしているかな。今夜は「チュニジアの夜」にならなくて「大阪の夜」になった。(アート・ブレーキーに「チュニジアの夜」という好きな曲がある)
中田選手のヘッドで入れたゴール、執念がこもっているようで美しかった。この瞬間、あたしはこれを見たくて、3試合とも気を入れて見ていたのだと覚った。とにかく、中田選手がゴールに入れたんで安心した。これで決勝戦へいける。また活躍が見られる。うれしいな。
大阪の野次馬人間はこういうときは道頓堀に行くのである。でも、あたしはそんなことをしたら、せっかくプールで回復してきた足を悪くしてしまう。現場へ行ったら、火事場の馬鹿力みたいにがんばってしまうから後々がたいへんだ。というわけで諦めたのだが、うちには野次馬がもう1頭いる。そいつがさっさとデジカメを持って飛び出していった。出かけ先はもちろん、ひっかけ橋(戎橋)である。興奮して何度も電話が入る。騒音で聞こえなかったり「いま飛び込んだ」「続々飛び込んでる」「バタフライで泳いでいる」とか、ややこしいったらありゃあしない。
デジカメで撮った写真を見せてもらった。真っ裸で飛び込む人、欄干を走ってから飛び込む人、女性が2人手をつないで飛び込むところもある。御堂筋は機動隊の車がずらりと並んでいる。車道にも人が溢れている。大阪の暑い長い夜はお祭りがよく似合う。

2002.6.14


俣野温子さんの雑貨


昨日はネコ柄のハンカチーフのことを書いたので、ついでにもうひとつ。俣野さんデザインの雑貨である。まず食器、日常的に使う食器は無地が主だけど、アクセントに柄ものも使っている。ご飯茶碗、湯飲み、小皿などに小さいネコやサカナやウサギ、それと少女のイラストがついているのを、なにげなく使っているけど、俣野さんの作品なのである。切手やシールなんかを入れている小箱もそう。しぶい色合いに可愛い模様が入っている。大胆なネコ柄のお盆もあったんだけどあれどこへやっちゃったかな。
最近はシンプルな文字ばかりのカレンダーを使っているが、数年前までの10年くらいは彼女のカレンダーを数冊買って妹や友人に配ったものだ。いろんなネコのイラストが魅力だった。気に入ったのは切り取ってファイルしてある。
絵はがき、レターセット、これはたくさんある。ネコが主であとはウサギが多いかな。近ごろは雑貨店めぐりをしないので在庫が増えない。東急ハンズに俣野さんのステーショナリー売り場があるが、わたしにはちょっと大人っぽくて(笑)買ったことがない。いま思いついてインターネットを検索してみたら雑貨販売のサイトがあった。ヒマなときゆっくり見て、気に入ったのがあれば買うことにしよう。

2002.6.13


俣野温子さんのハンカチーフ


夏が近づくと新しいハンカチーフがほしくなる。わたしは百貨店の洋品雑貨売り場を見るのが好きでよく見て歩くが、あんまり買い物をしたことはない。自慢じゃないが、食料品売り場以外でお金を使うってめったにない。けど、夏が近づくと大いばりでハンカチを買いに行く。
先日もVFCの例会に行く前に阪神百貨店をのぞいて、お気に入りの俣野温子さんのハンカチーフを見つけた。可愛らしい小さなネコ柄である。つい自分のだけでなく友人のぶんも買ってしまった。家にはまだ使ってないネコ柄ハンカチがたくさんあるのにね。小花もようも好きなので買うが、こちらはどんどん使っている。俣野さんのネコの絵のはもったいなくて使えない。たまる一方である。
去年のクリスマスに友人が細長いタオルを送ってくれた。深い紫色の濃淡で大きなネコが織り出されている。俣野さんデザインのタオルである。タオルとして使うのはもったいなくて、マフラーということにした。いいマフラーねと褒めてくれた人は、ビロードみたいな生地のマフラーだと思っていたとのこと。大いに気をよくした。

2002.6.12


腰湯(半身浴)は効く


お風呂に入るということは、肩までお湯に沈めてゆっくりとつかるものだとずっと思いこんでいた。子どものころ、10数えるまで肩まで沈めていろと大人に命令された経験が誰にもあるはずだ。
10年くらい前に腰湯がいいと本で読んだり、ハリの先生に聞いたりした。それでやってみたらほんとに調子がよくなったので、それから毎日のようにやっている。お風呂に入るときは必ず腰湯、こんなラクな健康法はない。胸の下くらいまでぬるめのお湯を入れて20分ほどつかっているだけである。すると頭から顔から肩から汗が流れてくる。あとはきれいなお湯で流すだけ。体も気分もすっきりする。夏もシャワーだけでなく腰湯をすると、出先きのクーラーで冷えた足腰によい。
腰湯を昔から知っていれば、かなり偏頭痛を防げていたのではないかと思う。わたしは20歳くらいから偏頭痛持ちであった。月曜日から土曜日は緊張して過ごすので、日曜日ほっとすると頭痛が起こる。全部の日曜日ではなくハイキングや遊びのときは出ない。家でほっとしたらなるのである。ものすごい頭痛がして吐き気がし、汗がにじみ出てきて、目の前に火花が飛ぶ。ただ横になって死んだように眠るしか治す方法がない。数時間眠るとケロッとして起き出す。そんなぐあいで何十年も過ごしてきた。それが更年期が過ぎたらなくなってしまった。なんだか残念なような(笑)。偏頭痛の前触れのようなものを感じるときがあったので、そんなとき腰湯をしたらどうだったかなあ。

2002.6.11


冷やご飯をおいしく食べる


おかゆ、おじや、焼きめし、にせサフランご飯(作り方が当ページ5月28日にあります)に続いて、冷やご飯のおいしい食べ方です。またかとお思いになるでしょうが、やっぱりすごい丸元淑生さんの本に教えられました。
材料は2人分で、ニンニク1片、タマネギ1個、ピーマン2個、トマト1個、冷やご飯とオリーブオイル少々。
フライパン(ビタクラフトなら言うことなし)にオリーブオイルを引き、ニンニクを細かく刻んで入れます。その上にタマネギを細かく刻んで入れて、弱火にして蓋をしておきます。タマネギの色が変わってきたらピーマンを刻んだのを入れて、蓋をしてちょっと置いておき、食べられそうになってきたら、かきまわして、そこへトマトをつぶしたのを入れてかきまわします。最後にご飯を入れて蓋をしておきます。適当な時間を見計らって、かきまわせばできあがり。火はずっと弱火で、味付けは塩だけです。
かきまわす以外にはほっといたらできるので、ビールを飲みながらでも、ときどき見に行っているうちに仕上がります。味はあっさりです。イワシの天ぷらと大根おろしでビールを飲んで、あとはおしゃれな野菜入りご飯で楽しい夕食になります。

2002.6.10


今年も猛暑かな


梅雨前というのにやたら暑い。大阪は30度を超した日がもう何日もあった。昨日なんか、大急ぎの仕事をしていたら、キーボードを叩く指が汗でじっとりしていた。Tシャツの裾で拭きながら…なんて、ほんまに色気があれへんね。
公園へ行くとクチナシとアジサイが咲いている。昨夜は少し夕立みないなのが降ったが、この太陽の照りつけには、あのくらいの雨はどうにもならない。雨が降ってやらないと可哀想だ。ドクダミやユキノシタがよその家の前で咲いているが、これも雨降りの景色に似合う花だから、なんか可哀想。雨が降ったら降ったで、またモンクを言うのだけれど、目下のところ一雨欲しい。梅雨が待ち遠しい。
また阪神優勝の年の話になるが、あの夏は6月の終わりまで雨が降らなかったように覚えている。今年のようにむちゃくちゃ暑かった。そして降り出したら毎日毎日降っていた。部屋中に洗濯物をぶらさげてアイロンをかけていた。親不知を抜いたのもこの年だったんだわ。へんなことを覚えているなあ。
さて、今年は阪神が優勝した年として後々思い出す年だったらいいのになあ。そうそうワールドカップサッカーのあった年やったやん、と言って後々思い出すなんてかっこいいなあ。

2002.6.9


モリー・ハスケル「崇拝からレイプへ 映画の女性史」


最近とんとヒマがなくてやっていないが、図書館の本の間を歩くのが好きである。あまり読まない本のところも歩きながら本の背を眺めて時間の経つのを忘れる。もちろん関心のある本の棚を見て歩くのはもっと快楽。きれいで広い大阪市立中央図書館が住まいの近くにあるのがありがたい。
モリー・ハスケル「崇拝からレイプへ 映画の女性史」も図書館のそぞろ歩きで見つけたのだが、読んでよかったので身近に置いておきたくて買った。(平凡社4200円)
映画の本が好きなのは、書いている人が好きな映画の話を情熱的に語るところで、石原郁子、金井美恵子、山田宏一の映画の本を開くと、その圧倒的な語り口にくらくらしてしまう。この本はその点で誰にも負けない。1920年代から80年代の終わりくらいまでの映画が、フェミニズムの立場から語りつくされている。
モリー・ハスケルという人をわたしはこの本を読むまで知らなかったのだが、ミュージシャンのモリッシーの本を読んでいたら、彼はフェミニストの友人がいると名前をあげていて、その中にモリー・ハスケルが入っていた。へーっと感心し、そして2人を身近に感じたものだ。
女性たちはヒロインを演じる女優たちに自分を重ねあわせ映画で夢を見てきた。ハスケルはそれぞれの映画を分析し、ヒロインの生き方を語り、演じるさまざまな女優の生き方も語っている。わたしはハリウッド女優の顔写真を集めた写真集を2冊持っているので、ときにその写真集をめくりながらこの本を読む。女優たちの苦しい闘いが美しい顔の中から浮かび上がってくる。

2002.6.7


また、また、新しいヘアサロンへ


なんやかやと生活がばたついているうちに髪が伸びてきた。パーム(マックの中に入っているやつ)のカレンダーを見たら、前回行ってから1か月半経っている。心斎橋まで行く時間の余裕がないので、2・3か月前に開店したすぐ近くの新しいお店に行ってみることにした。
前を通るときにちらっと見ると、白い壁に真っ赤なソフア、ぴかぴかの機能的な椅子が大きな鏡の前に置かれているのが見える。若い女性が2人で仕事をしている。ちょっと高級感があるが、いまを盛りの堀江からは少し離れていることだし、めちゃくちゃ高くはないだろうと入ってみた。
毛染めとカットをしてもらったのだが、ゆっくりと落ち着いてしてもらえて気持ちがよかった。いままで髪を洗うときは、どこも上向きで顔にタオルを置いてだったが、今回はほとんど前向きに座ったままで洗ってくれる。洗うほうも真っ直ぐ後に立って洗うので体がラクだとのこと。いままでこの洗髪仕事で腰を悪くしてやめた人もいるそうで、この椅子があったらあの人もいまは一人前の美容師になっていたのにと思うそうである。
北堀江の喫茶店チャルカの話や、友人がマック教祖なのでマックを買ってしまったという話などで盛り上がった。いままでお客さんにパソコンを持っているかと聞くと、200人ウィンドウズで、ようやく1人マックなんだって。いまや、200人に2人の割合になったわけだ。料金は以前行っていたところと同じだった。じゃ、新しいし、話は合わせてくれるし、当分ここにしよう。

2002.6.6


スティーヴン・グリーンリーフ「最終章」


前作「憎悪の果実」から1年、私立探偵ジョン・マーシャル・タナーものの新しい翻訳を読むことができたと思ったら、このシリーズはこれが最後だという。前の前の「過去の傷口」で撃たれたところで、もうお終いかと思ったら立ち直って「憎悪の果実」があり、ジルという素敵な女性と出会いがあった。それで、まだ書いていくのかなと思っていたのだが、今度こそお終いらしい。
わたしは私立探偵小説が特に好きで、長い間にわたってさまざまな私立探偵に入れあげてきた。タナーはその中でも好きな人だった。どの探偵もお金に縁がないが心は気高く、貧しいもの弱いものの味方として活躍していたが、中でもタナーは“清貧”という言葉が似合う人だった。しかし、今回恋人の検事補ジルは弁護士の父親から遺産を受け継いでいる人で、もう仕事は辞めると言っている。タナーはどうするのかと思って読んでいったら、最後にクジが当たった隣人の遺言で600万ドルという大金を受け取ることになるのである。“清貧”はどうなったんや? ということで考えてみたら、時代の変化ですね。もう貧乏とか清貧を第一義にはできない時代なんだと思う。
私立探偵小説あるいはハードボイルド小説の主人公は、女性やゲイなど闘う意義をもつ人たちのものになったようだ。
わたしは“清く貧しい”タナーが好きだけれど、それは20年以上の間14冊も読み続けてきたから好きなのである。そのタナーが柄にもなく大金を手に入れたってねえ。しかし、最後が撃たれて終わりではなかったことにほっとしている気持ちもある。
そうそう、ストーリーは女性ミステリー作家のボディガードに雇われるところからはじまるんだけど、その作家がパトリシア・コーンウェルみたいな人なのだ。アメリカの人気作家と彼女を取り巻く人たちの姿がおもしろい。でも恋人のジルとの会話はてんでおもしろくない。

2002.6.5


合歓の花


野田藤を見て以来、プールへは堂島大橋北詰でバスを降り、厚生年金病院前を過ぎてすぐの狭い道から下福島公園に入ることにしている。そしたら先日病院の入り口に合歓の花が咲いているのに気がついた。春先に紅梅が満開だったとき、横にある大きい木はなんの木か気になっていた。合歓の葉っぱによく似ているとは思っていたんだけど、花が咲いたので、ほんとに合歓の木だとわかった。薄いオレンジ系のピンク色が美しい。こんなところでネムの木を見つけるなんてね。
昔、友人が能勢の妙見山の近くの山にある家を借りた。それまではクリスチャンのおばあさんが一人で住んでいたという家で、鉄製のベッドがある板の間がモダンだったが、なぜかお風呂は五右衛門風呂だった。よく泊まりに行ってその近辺を散歩し、食べられる草や木の実やキノコ類をいろいろと教えてもらった。そこへ行くのに利用したのが能勢電で、当時はたしか山下という駅から先が単線になっていて、電車は山の間をゆっくり走っていくのだった。その車窓から大きなネムノキが見えた。眠そうなのどかな木が1本立っているのがおもしろかった。初夏には見事に花をつけていたのを思い出す。いつか近くの駅で降りてそばに行きたいと思った。でもそのまま歳月は過ぎて今日にいたる。
厚生年金病院には公園との境にザクロの木もあって、真っ赤な花がいま盛りだ。車いすで通った人に「これザクロの花ですよね」と声をかけたら、「そう、そう、ザクロです。きれいな赤ねえ」と答えが返ってきて、ちょっとの間だったけど話しながら赤い花を鑑賞した。

2002.6.4


「東大寺のすべて」目録


東大寺展に行きたいのだけれど、足の調子が気になるので今回は見送るしかない。行っても混んでるからよく見えないんじゃないかと勝手な理由をつけている。
そこへ数日前の朝日新聞に東大寺展の目録を宅配サービスすると、告知が出ていたのでさっそく申し込んだ。1部2500円+送料が900円で3400円を代金引換とのこと。このサービスは当たると思う。重いから買うのを控えた人がいるはずだ。3日後に到着。
一昨年の秋、伊藤若冲展に行ったんだけど、目録は同じく2500円だった。これは絶対買って帰ると決めていたので、重いのを承知で買ったが実に重かった。一緒に行った関東からの知り合いが大阪まで持ってくれて助かったけれど、その代わりにまっすぐ帰るところを京都をあちこちしたもんね。
展覧会はわりと行くほうであった(最近の状態では行くほうであるとは言えない)。そして目録と絵はがきを買うのが好きだ。本棚にけっこういろんな展覧会の目録が残っているので、たまに出してきて眺めている。今回の「東大寺のすべて」の目録がそれに加わった。まあ今回の東大寺展には行かないけれど、ずーっと奈良へ行くのが好きだったからね。目録の写真を見ても、秘仏の執金剛神立像が見られないのは残念だけれど、戒壇院の四天王は5回以上は見ているし。あとは写真で想像することにしよう。解説も勉強になりそうで、当分楽しめるわ。

2002.6.3


矢川澄子さん


矢川澄子さんの死を今朝の新聞で知った。長野県の自宅で自殺だとのこと。3日前の石原郁子さんの病死はショックだったけれど、今日の矢川さんの死はもっとショックだ。自分よりちょっと年上の人の死はこたえる。
1か月くらい前の朝日新聞日曜版の読書欄「いつもそばに本が」に、矢川さんの幼時からいままでを振り返る文章が、3週続けて掲載されていたのを読んで気になったので、切り抜いておいていたのだけれど、持っていてもしゃあないなあと思い直して捨てたところだ。
60年代後半、わたしは少しだけ文学少女だった。たむろしていた本屋さんにごろごろしていた若者たちとの間でよく話題になったのが、バタイユ、埴谷雄高、夢野久作、澁澤龍彦・・・だったような覚えがある。当時矢川さんは澁澤龍彦と結婚していた。澁澤夫妻が渡欧するときの写真が雑誌に載っていて、可愛い人やなあと若者たちが憧れたものだ。
70年代に離婚して文筆家として独立されてから、たくさん翻訳をされ著作もあり、信州で一人暮らしといううらやましい生活だった。知り合いでもなんでもないけど、ちょっとやっかみ気味に気になっていた人だった。
「いつもそばに本が」では、子どもを持たなかったことについて、ちょっとくどいほどに書いておられた。彼女の世代では男性と同じに勉強していく上で、子どもを持つことは考えられなかったと。もう少し後の世代はゆうゆうとその問題をクリアしているけれど、私の時代ではそれはできなかったと。また学生のときは同じように勉強してきたのに、結婚してからはそうはできなかったと。子どもの本を訳すことで、自分の子どもは産まなかったけれど、子どもの役に立てたと思っていると書いておられたと記憶する。
1か月も前に読んだ文章をわたしなりに覚えているのは、矢川さんのこの世に別れを告げる気持ちが、あの文章の底にあったからではないかという気がする。

2002.6.1

写真:窓辺で咲く「ホヤ」の花(2002.5.17)

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