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2002年5月


サッカー大会がはじまった


今夜は野球中継を見るのを途中でやめてサッカーに切り換え、開会式の後にフランスとセネガルの試合があったので、用事をしながら続けて見ていた。開会式は趣向をこらしていて見応えがあった。韓国の伝統色で彩られた衣装が美しかったし、たくさんの出演者の熱気が韓国の勢いを現しているように感じられた。開会式が好きというわけではないが、オリンピックは夏も冬もたいていテレビ観戦している。最近のオリンピックはやりすぎ、このくらいにしておけばよいのにと思った。もっともサッカーには選手入場とか聖火を運んでくるとかないもんね。
その後はすぐに第1回の試合があった。フランスとセネガル、フランスは前回の優勝国であり、セネガルは初出場である。1:0 ジダンを欠いたフランスが負けてしまった。セネガルが点を入れたとき、得点した選手がシャツを脱いで地面に置き、そのシャツを真ん中にしてみんながグルグル周りをまわって喜んだところがおもしろかった。
途中で野球に切り換えたら、ちょうど終わったところで、阪神はヤクルトに3:1で勝っていた。なんだかややこしい夜であった。こんなんが1か月続くのかな。

2002.5.31


石原郁子 ザ・トランス・セクシュアル・ムーヴィーズ「菫色の映画祭」


昨日の新聞に二人の女性の訃報があった。一人は登山家で料理研究家の黒田初子さんで99歳だった。わたしは少女時代に雑誌「ひまわり」などで彼女のエッセイや料理の作り方を読んでいた。黒田さんの登山服姿の写真も覚えている。黒田さんの青春時代はまだ登山が一部エリートのもので、女性が山に登るのは珍しかった。行動も考えも当時の女性の枠を超えている人だった。あっぱれな生涯を送られたことと思う。
その隣にあったのが映画評論家の石原郁子さん、乳がんで48歳で死去。早すぎる死の知らせに眩暈がした。石原さんはわたしが大切に持っている本 ザ・トランス・セクシュアル・ムーヴィーズ「菫色の映画祭」の著者である。この本は1996年に出版されている。本を開くとまず[きわめて個人的なまえがき]がすごい。サラ・パレツキーの「ウーマンズ・アイ」の序文で、わたしは心底フェミニズムに目が覚めたと自覚しているのだが、このまえがきでわたしはジェンダーに目覚めた。
当時わたしはVFC会員のSさんに教えられて、やおい小説というものと「小説JUNE」という雑誌を知ったところだった。そのノリでこの本を買ったのだが、[きわめて個人的なまえがき]を読んで気を引き締めたのを覚えている。石原さんは、自分は女性という少数者の一人と書かれているが、少数者というのは女性の実際の数の問題でない。そして男性にも少数者がいることにも気がついていく。その立場から映画の紹介や評論を通して常識への異議申し立てをしている。だからといって理屈っぽくなく、広い知識と愛をもって映画について語っている。書かれている映画の本数の多さに驚くし、センテンスの長い文章で映画の内容を語っているのを読むのが楽しい。

2002.5.30


ウィリアム・スタイグの絵本


スタイグの絵本に惹かれて図書館で探したら7冊見つかった。前に読んだのを入れると10冊以上になった。どれもほのぼのして気持ちよい。作者紹介を読むとスタイグは1907年生まれ、1930年から「ザ・ニューヨーカー」に漫画を連載しはじめてから描き続けていたが、1968年、60歳になってから〈子供の本〉に力を注ぎはじめたとある。それで彼の絵本には余裕があるのがわかった。60歳までを楽しんで過ごした人生の達人が描いた絵本なんだ。だから教訓のようなものがなく(ほんとはあるんだけど)、自由自在で自然なのだ。
人間が主役なのが2冊で、あとは動物が人間みたいに暮らしている。ウサギの一家の末っ子が鼻をこすると釘になり「ぼくはウサギだ」と叫ぶとウサギにもどる「くぎになったソロモン」、カエルのいたずらっ子が空を飛ぶ「空とぶゴーキー」、ロバの子供が希望がかなう魔法の小石を手に入れる「ロバのシルベスターとまほうのこいし」、それぞれ子どもが一人でなにかをし、苦難に陥るが独力で暖かい家庭に帰る話である。それぞれとぼけた顔の動物が好奇心と冒険心で出かけ、ネコやキツネやライオンなどの狡猾なやつらに襲われるが、知恵をしぼって脱出し幸運が味方する。
人間の子どもを描いた2冊は、悪い人に出会う物語でなく、母親が風邪を引いたので代わりに吹雪の中を出かける少女「ゆうかんなアイリーン」、なぜかすねてしまい家族がもてあましてしまう少年がキゲンを直す話「いやだいやだのスピンキー」で、ちょっと物足りないけど、絵が微笑ましく何度でも開いてしまう。

2002.5.29


にせサフランごはん


うちではビタクラフトのお鍋でご飯を炊くので、暖かいままで何時間持つということはない。しかし2回分を炊いたほうがご飯が美味しいので、1回目はあったかご飯で、2回目は冷めたご飯になる。その冷めたご飯をそのまま食べないときは、おかゆ、おじや、焼き飯なんかにするのだが、もうひとつ美味しい食べ方があるのを最近発見した。それをうちでは“にせサフランごはん”と呼んでいる。かなり前のことだが、知り合いが近所でカレー屋をはじめた。女性2人がインドの家庭にホームスティして覚えた味とのことだったが、カレーについているごはんが黄色い。つい「サフランごはんとは豪勢やね」と言ったら、「まさか〜、750円の定食でサフランが使えるかいな、ターメリックや」との答え。その後、店で食べている客が「サフランご飯!」と目を輝かせるので、お節介にも横から「ターメリック!」と言ってやったこともあった。それを思い出してやってみたらけっこういける。
まず、フライパンにバターを惜しみなく溶かす。そこへ冷やご飯と冷凍のグリンピースを入れて炒める。塩を少々、そしてターメリックをふる。黄色いごはんにグリンピースがきれいである。アジのムニエル、野菜サラダを取り合わせて食べるのがわが家の定番。

2002.5.28


清潔な台所


先日メガネを買いにいったのだが、遠近両用なので1週間ほどがかかるとのことで、まだ新しいメガネは手許にない。明日くらいにはとどくかな。
目の検査をするときにメガネ屋さんに言われたんだけど、遠視が進んでいるので、ふだんもメガネをかけているほうがいいらしい。遠視の目で焦点を合わそうとして無理しているのが、肩こりの原因にもなっているそうだ。つい面倒で、本を読むときとパソコンとテレビを見るときだけかけている。これではなんで遠近両用にしているか意味がないんだけど、メガネをかけているときに声をかけられたり、他のことをしたりするときに便利なのである。老眼専用のようにすぐはずさなくてもいい。そんなことで家事をするときもはずした状態に慣れっこになっていた。
先週からメガネ屋さんの忠告にしたがって、家事をするときもメガネをかけることにしたら、なんでもよく見える(笑)。とにかく台所の壁が汚いのがよく見えて、今日はこちゃこちゃと拭き掃除をした。また今日は長いこと使っていたガステーブルコンロの魚焼きの下に、穴が空いてしまったので買い換えした。お掃除した清潔な台所に新しいガスレンジが光っている。揚げもの温度調節機能とかいうものあって、天ぷらやドーナツを揚げる人はいたくゴキゲンである。
いままで使っていたのを買ったときは大阪ガスは割引なしで、ゴム管を50センチばかりつけたのもちゃんとお金を払っていた。ところが今日はセール期間中なので、テーブルコンロは50パーセント引きで、設置したときのゴム管もサービスであった。

2002.5.27


ウィリアム・スタイグ「ばしゃでおつかいに」


スタイグの絵本はそんなに好きというほうでもなかったのに、亭主が図書館で借りてきた「ばしゃでおつかいに」を先取りして絵を見ていたら、とってもへんなので、ついでに文も読んでしまった。もひとつ、ついでに声に出して読んでみたら笑える!
農場を持つお百姓さんのパーマーさんというのがブタだけど人間みたいなの。ちゃんと服を着ていてね。彼が朝まだ暗いうちに納屋へ行って起こしたのはエベネザーじいさんなんだけど、じいさんはウマなわけ。ここらへんでスタイグのおかしな世界に突入。ウマに荷車を取り付けて、農場で穫れた野菜をいっぱいのせて出発。町に着くと野菜を売って、奥さんと子どもたちにお土産を買う。そしてエベネザーじいさんには日よけの帽子を買ってやると、じいさんは喜んで店の中でパーマーさんに抱きついてお礼を言う。帰り道、一雨降ればいいと話し合っていると、森に入ったころから大雨になり、大木が倒れてきて馬車が下敷きになる。木を切り倒しているパーマーさんを、奥さんのお土産に買ったカメラでじいさんが記念撮影。と、今度は車輪がはずれてどんどん走っていってしまう。パーマーさんは次男に買ったハーモニカを吹くと、その曲を聞こうとして車輪は止まる。直した馬車で進んでいくと、今度は疲れたじいさんが足を捻挫する。車にじいさんをのせてパーマーさんが歩きはじめるが、下り坂で車がぶっこわれてバラバラになる。そこで、パーマーさんは娘に買ってやった自転車の荷台に長男に買ってやった大工道具をのせ、その上にカメラ(三脚つき)を背負ったじいさんを座らせ、そのじいさんを自分の背中にくくりつけて自転車で走り出す。農場に午後には帰れるはずが暗くなってしまった。家族は心配していたので大喜び。
ブタのパーマーさんの顔もおかしいけど、ウマのエベネザーじいさんのすっとぼけた顔がめちゃくちゃおかしいの。こんな絵本をつくったスタイグってどんな人なのか知りたくなってしまった。

2002.5.24


ジャスミンの花


狭いベランダと部屋の窓際の植木鉢の花が次々に咲いていく。多肉植物が待望の花を咲かさせてくれた。サボテンに似た三角錐のかたちのに小さい赤い花がついたが、花の付け根が盛り上がってきた。もしかして、それが枝になりY字型になるのかもしれない。そしてハーブ。タイムは1ヶ月ほど前から薄紫の小さい花が咲き続けている。数年間うちで生きていて茎は樹木のようだが、常に新しい葉っぱがついていて毎日のように料理に使っても、またまた伸びてくる。次はミントがつぼみをいっぱい持っている。こちらはまだ咲いたら困るけどバジルがよく伸びてつぼみがついている。
そこへいま咲こうとしているのが、ジャスミンである。去年の夏の終わりにウツボ公園横の植物屋ジャルの片隅に売れ残っていた1鉢を買った。もう花の季節は終わっていたが、うちにきてから数輪が申しわけのように咲いてくれた。店の人が来年はたくさん咲くと言ってくれたのをたよりに冬中世話をしていたら、いまつぼみがたくさんついている。よい香りの真っ白な可憐な花が咲くのはもちろん楽しみだけれど、もっと楽しみにしているのは、ジャスミンティである。お店の人によると、この花を干してウーロン茶に混ぜたらジャスミンティになるそうである。それを信じて、先日ジャスミンティの在庫が切れたんだけど、買わないで待っている。

2002.5.23


早くもワールド杯


わたしはワールド杯決勝戦が行われているサッカー場の満員の大観衆の中に座っていた。ものすごいどよめきが下のほうの観客席から沸き起こってきたところで目が覚めた。蚊が耳元でプーンとうなっている。ありゃま、いまのは夢だったのか…。
ふとんの外に出していた右手の手首から手の甲にかけて何カ所も蚊にかまれていて痒い、痒い。明け方5時過ぎといういちばん眠い時間である。起きて蚊取り線香を探し出したが、マッチもライターも見あたらない。台所へ行ってガスの火でつけた。今年も蚊の季節がはじまったんやなあ。
先日から中田選手のインタビューをテレビで2回見て、nakata.netも毎日チェックしているので、心はすでにワールド杯になっているみたいだ。それにしても、夢の中の試合はどことどこがやってたんやろ。

2002.5.22


C・S・ルイス「ライオンと魔女」


C・S・ルイスの伝記を買った夙川のオーク書店の話を書いていて思い出した。はじめて読んだのはずっと昔で「ホビットの冒険」を読んだのと同じころ。小学校3・4年生以上が対象と書かれた岩波書店や福音館書店の児童書を読みあさっていた。それから10年以上経ってから、ホビットの会に入って本格的(?)にイギリス児童文学に打ち込むということになる。
「ライオンと魔女」は「ナルニア国ものがたり」シリーズ全7巻の1冊目で、全部持っていたのだが、2冊目以降はあんまりおもしろくなくて処分してしまった。1冊目の「ライオンと魔女」だけを大切に持っている。
第一次世界大戦中、ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーの4人きょうだいが空襲を避けてロンドンから田舎に疎開する。そこは広いお屋敷で学者のおじさんと家政婦と3人の女中がいる。子どもたちは雨の日に家の中を探検するが、がらんとした大きい部屋に古い衣装ダンスが置いてある。ドアを開けると毛皮の外套が何着もつり下がっている。末っ子のルーシーはその中に入ってみる。後の板にさわるはずと思ったが、さわらないので大きいたんすなんだと、さらに入ってみると、足が木の床ではなく冷たいものにさわる。今度は顔と手に毛皮ではなく、木の枝のさきのようなものがさわる。こうしてルーシーはナルニア国に足を踏み込んだのだ。最初に出会ったのはフォーン(ヤギと人の入り交じった野山の小さな神)だった。
それから4人のきょうだいとナルニア国の物語が発展していくわけだが、その物語もおもしろいが、わたしが好きなのは、衣装だんすの奥から異界に入っていくところである。子どものときって衣装だんすや納戸の中ってぞくぞくするような魅力があった。この本の最初の数ページを読むとその感覚が甦る。

2002.5.21


木村二郎さん訳 エドワード・D・ホック「サム・ホーソーンの事件簿 2」


「サム・ホーソーンの事件簿 1」を読んでこのページに書いたのは、ちょうど2年前の5月だった。あのときはエドワード・D・ホックがどういう作家か全然知らずに読んだので、少しまごついてしまった。去年7月に同じく木村二郎さんの訳による「夜はわが友」を読み、解説も読んで、ようやく納得がいって好きな作家になった。
この本は(1)に続いて、アメリカニューイングランドの小さい田舎町ノースモントに診療所を開いた医師サム・ホーソーンが、若いときに解決した事件を思い出して語るというかたちをとった短編集の(その2)である。
サム医師は話し相手が現れるとうれしそうにお酒をすすめる。なにを飲むのか気になって1章ずつ見ていったら、ブランディー1、シェリー4、白ワイン1、単に酒6となっている。話はお酒を注ぎながらはじまり、そして話がすむと「もういっぱい御神酒(おみき)はどうかね。今度は○○の事件の話をしてあげよう」となる。この情景に慣れてきて、ニューイングランドの田舎で隠居している元医師の、いまはちょっと退屈な日常が浮かび上がる。そしてサムが若かったときの話を聞く気分にさせられる。
禁酒法の時代というとすぐに、シカゴのアル・カポネという名前で知っていた子どものころを思い出す。セント・バレンタインディの虐殺の話は父親からよく聞かされていた。その禁酒法の時代はニューイングランド地方の一般人ではどうだったか、また世界大恐慌の起こったときとも重なるわけだが、田舎の投資家の慌てようなども出てくる。
そしてサム医師はずっと独身で通してきたようなんだけど、ときどき知り合う女性が出てきて、その女性がフェミニストである場合もある。【「わたしたちの生きているあいだには見られないかもしれないけどね、女性が外で働いてるあいだ、男が料理や育児をする時代がそのうちにくるわ」この言葉を聞いて、集まった男たちが大笑いをした。彼女は応援を求めようと、わたしのほうを向いたんだ。「どう思う、サム?」「わたしはそういうことに関わらないようにしてるんだ」わたしは言った】サム医師はこんな人ではあるけれど、犯行の可能性があれば男女関係なく容赦なく調べ上げる人である。(創元推理文庫 920円+税)

2002.5.20


10日ぶりのプールで


ちょっと足の調子がよかったもので、調子にのって連休ごろからよく外出した。まだしっかり治ってなかったのに無理をしてしまったせいだろう。ぶり返しがきたようで、どうも具合がよくない。こんなときはじっとしているに限ると外出もプールもお休みして、ひたすら家でぐずぐずしていた。おかげで時間の余裕ができ、会報は順調にできたし本もかなり読めた。
今日はプール・ボランティアからメールもいただいているし、これを機会に話せたらいいなと思って出かけた。この2・3ヶ月、時間やいる場所が違ってボランティアの人たちとはすれちがうことが多かった。今日は気をつけて彼らがジャグジーにいるときに、こちらから声をかけにいった。彼らといっしょに楽しそうに子どもと接しているスリムな若い女性が事務局の織田さんで、少しの間だったがお話できてよかった。
プール・ボランティアをはじめたときは長居の障害者用プールに行っていたが、最近はそれぞれの地域の市民プールを利用するようになったそうだ。一般利用者からも受け入れられているのがうれしいとのこと。ホームページを開設してから問い合わせが増えたそうである。そして、わたしのページも役にたっているとおっしゃってくださった。
今日はかなりの人数が来ていて、いつもお母さんと来ている女の子が、女性のボランティアと遊んでいた。
その後、わたしとしてはめずらしく、こちらから声をかけて3人の女性と話をした。おかげでためになる話を2つも聞けた。(1)プールの建設は5年くらいかかるそうだ。この下福島プールがそのくらいかかったとのこと(それじゃあ西区のプールはそんな後になるのか〜バス代がまだかかるのか〜)(2)1年間で18キロ痩せた人がいるそうである。(毎日行けば痩せるって???)

2002.5.19


サッポロ一番塩らーめん


テレビのコマーシャルを見てなにかを買うというようなことは、まずしないほうだけど、サッポロ一番塩らーめんを感じのよい若いカップルが食べてるのを見て、ちょっと食べてみようと思って買ってきた。
最近の昼ご飯は簡単に作れるものが多い。うどん、そば、焼きそば、焼きめし、それにパンケーキ類が定番になっている。たまに札幌から送ってもらうラーメンは、インスタントではなく一手間かけるもので、うまいがいつもあるわけではないから、ほとんどラーメンは食べていなかった。
今週久しぶりに食べたラーメンはサッポロ一番塩らーめん。2回つくってうまく食べるコツがわかったからお教えします(笑)。まず、アスパラガス、にんじん、ブロッコリーなど野菜をたくさん茹でる。野菜を取り出し、その茹でた汁にラーメンを入れて3分間煮る。味付けしてどんぶりに入れて上に野菜を盛り上げ、薬味のネギをのせ香辛料をふりかけて食べる。

2002.5.18


うちの多肉植物に花が咲いた


多肉植物に凝っているわけではない。ちょっと植木屋さんに寄ったときに、これおもしろいなあと手にした植木がたまたま多肉植物だというだけのことだ。1・2年の間、葉っぱや茎を見せていただけの植木が今年花を咲かせた。そのことを書こうと思ったんだけど、なにも知らないので「多肉植物」のサイトを検索して調べてみた。
まず多肉植物ってなんだろう。サボテンは多肉植物であるが、普通「多肉」という枠には入れない。またラン科も多肉植物の特徴である貯水器官を持っているけど、すでにラン科であるので入れない、というええかげんなものであるとのこと。わたしが見たサイトにはオモト、アロエ、カランコエもあった。
うちのはなんだろうかと写真を見たが、ひとつは同じではないが「アエルギノーサ」というのに似ている。三角錐を立てたようなカタチで5ミリおきくらいにサボテンの針のようなものが出ている。お店にあった値段の高い(4500円)のは枝が出ていたが、わたしが買った(2800円)のは真っ直ぐに立った1本もので高さ20センチほどである。最近、これのてっぺんに小さい赤い花が1個だけ咲いた。可憐である。
もうひとつは「松風」に似ている。淡い緑色で、水を含んだ枝が線香花火のように、あちこちしている。これには花が咲くのかな?
さて、もうひとつ、写真では見つからなかったが「多肉」っぽいと思っている。もしかしたら多肉でなくて、どこかの熱帯の雑草かもしれない。へんな具合に厚い葉っぱが丸まっている。その茎から黒いニキビのようなものが突き出してきたと思ったら、だんだん伸びてきて、その周りから23本の線が出てきて先っちょが金平糖そっくりのピンク色の蕾となった。それが一晩でパッと咲いて1週間楽しませてくれて今日散った。

2002.5.17


チムとネコ


エドワード・アーディゾーニ「チム」シリーズのことを2回も書いたのに、かんじんのことを書き忘れていた。ネコである。ネコがいるからなにも知らないシリーズを4冊も買ったんだった。
ほとんどの巻にネコがいる。船ネコというのか、船に住みついているネコがいる。チムの家にもネコがいる。特別に可愛がるというのではなく、自然にネコがいる風景がいい。しかしチムが孤独なとき、ネコはチムの話のとてもよい聞き役になってくれる。
チムが海に出るとたいてい安全な航海にはならず、難破船から助けた水夫たちが海賊だったり、嵐になったりする。沈没する船から逃れるときに、置き去りにされるところだったネコを助けるのも一度だけではない。
「チムの犬タウザー」だけに犬が出てくる。チムとジンジャーは船で子犬を見つけるが、船長が犬嫌いなので、自分たちの船室で隠れて育てる。そのときだけネコにはタイガーという名前がある。2人は犬がどんどん大きくなりたくさん食べるので、自分たちのご飯をみんな犬にやり自分らは痩せ細る。そうして大きくしたのだが、船長に見つかってどこかへやってしまえと言われる。タウザーはタイガーを追いかけていじめるが、嵐のときを2人と2匹がいっしょに過ごして仲良くなる。最後は船長もネコと仲のよい犬がだんだん可愛くなる。
他愛ない物語ばかりだが、今週は会報を作りながらこの本で楽しんだ。10冊目の終わりでチムは大人になって立派な船長になったという結末になっている。つけ加えの1冊でジンジャーが立派なコックになるだろうと予想させて全巻が終わる。

2002.5.16


プール・ボランティアのこと


去年の12月、わたしはこのページに下福島プールで見かけたプール・ボランティアのことを書いた。自閉症の子たちと遊んでいる姿を何週か続けて見ていたのを親子かと思っていたら、ボランティアの人たちだとわかったというようなことだった。それが当のボランティアの人たちの目に触れていたなんて、思いもよらないことでびっくりした。
プールの採暖室でAちゃんを間にして話した彼が、3月頃このサイトを発見して事務局にメールしたという。昨夜その彼からメールをいただき、びっくりして返信したら、今度は事務局からていねいな返事をいただいた。なんと、わたしの文章をプリントアウトしてボランティアスタッフに配り、また『さとちゃんず』という下福島プールで活動している子どもたちのグループの、お母さんたちにも読んでいただいたとのこと。わたしの知らん間にそんなことがあったなんてね。自分の体のために行っているプールで、少しだけでも他人様のお役に立てたと思うとうれしい。
プール・ボランティアとはどういうものか、事務局からのメールを引用します。
【プール・ボランティアはプールが好き!水が好き!というメンバーで構成し、水の楽しさを障害者にも伝えたい!とはじめた団体です。ボランティアスタッフ数は現在約300名です。大阪市内、府内、奈良、兵庫で活動中です。(大阪市内の市民プールが活動の中心)サポート利用者の98%が知的障害の子ども達で、あとは、脳性まひの方、頚椎脊椎損傷の方、高齢者(リハビリ)です。】(http://www.pool-npo.or.jp)
事務局の織田さんは阪神大震災の被災者で、あの震災がなかったらこの団体は創っていなかったろうとおっしゃっている。

2002.5.15


エドワード・アーディゾーニ「チム」シリーズ(2)


シリーズを11冊揃えるとすごい。それも40年かかって出版されたものである。こんなに安易に読んでしもてええんかなあ。日本語に訳されているとストーリーを追って文字ばかり読んでいる。持っている原書4冊は文字よりも絵をじっくり見ていたのに…。
いちばん好きなのが4冊目の「チムとシャーロット」だ。1冊目はチムが海と船が好きで勇敢で運がよいということがわかる。2冊目にはルーシーという女の子が出てくる。チムといっしょに海に出ようと船を買ってしまうほどのお金持ちだが、もうひとつパッとしない子で、この巻だけの出番である。3冊目で親友のジンジャーが登場する。赤毛で背が高く、意地が悪くて怠け者という“よい子”のチムと正反対の子どもだが、チムとの友情が最後まで続く。
4冊目にシャーロットが出てくる。チムとジンジャーが海辺を散歩しているとき、女の子が流されていたのを救って家に連れて帰る。目が覚めると記憶を喪失していたので、あちこち問い合わせるが返事がなく、チムの家で引き取る。母親から家の用事などを教えてもらい元気に暮らしているところに後見人が現れる。親はもう死んでいて、大きい家にたくさんの使用人と後見人とがいる家にもどったものの、うつうつとして寝込んでしまう。医者がチムのところへ行かせるように言う。かたや、チムはシャーロットに手紙を書いていて級友に冷やかされ大げんかをする。ジンジャーも味方するが2人はボロボロにやっつけれる。がっくりと家に帰るとシャーロットが待っていた。ケンカした相手の子どもたちとも仲良くなる。その後の7冊にはシャーロットがよい友達となって度々出てくる。
わたしが感心したのは、チムとジンジャーが船に乗りたくて、両親のOKをとり港に出かけるのだが、いつも漫然と船に乗せてもらうのでなく、労働することである。甲板磨きやコックの手伝いや給仕の仕事を真剣にやる。親切な船員もいるが意地悪なやつにこき使われることも多い。

2002.5.14


エドワード・アーディゾーニ「チム」シリーズ(1)


1990年代前半は洋書絵本をよく買っていた。阪急百貨店の子どもの本売り場(5階の子ども用品のところにあったおしゃれな売り場で、本にちなんだ小物もたくさん売っていて大好きだった)やアセンス書店や木馬館にあったオーク書店が輸入した洋書絵本をたくさん買った。そのオーク書店の直営店が夙川にあって、一度だけ行ったことがある。プーさんのぬいぐるみなどに飾られた出窓がある可愛い本屋で、たくさんの絵本をいっぺんに見られてうれしかった。そして「黒猫ジェニー」や「ナルニア国ものがたり」シリーズのC・S・ルイスの伝記の原書、たくさんのネコの絵本を買って帰った。
そのあとすぐに阪神大震災があった。また行きたいと思っているうちに「オーク書店が倒産したよ」と知り合いの本屋が痛ましげに言った。わたしの好きなちょっと風変わりなおしゃれな店が、バブル崩壊と地震後になくなってしまったのが残念でたまらない。
オーク書店が元気なころに木馬館で買ったのが「チム」のシリーズである。シリーズ中の4冊があって、古風な絵がとても気に入ている。ときどき出して眺めていたが、最近本の整理をしていて、全部で11冊あるのに改めて気がつき、図書館で探したら訳書が11冊ちゃんと揃って福音館から出ていた。福音館書店は1963年に出していたものを、2001年エドワード・アーディゾーニの生誕100年を記念して、新規の製版で出版したということである。
第1巻「チムとゆうかんなせんちょうさん」はむすこのフィリップのために書いて1936年に出版され、最後の「チムもうひとつのものがたり」は40年後、77歳になってから、たくさんの孫のために書かれている。息の長い作品を2日で読んでしまった。

2002.5.13


日曜日の昼ご飯は手作りドーナツ


3食を外食ですませた時代もあったけれど、最近はふところ具合と健康志向の両方で、3食とも家で作って食べることが多い。家で仕事をしているから、どっちか気が向いたほうが作るのだが、最近は連れあいが作ることが多い。得意な料理が別なのがケンカをしない秘訣だと思う。わたしの場合は昔からしていたものを習慣で作る。おから、ひじき、切り干し大根、菜っぱを炊くとか…。不器用なので、だいたいにおいてかきまわして作るものが得意。味付けのうまさは格別だと自分では思っている。
あちらはきちんとした料理を作る。種類が多くお皿をたくさん使ってテーブルの上はご馳走になる。それらがお金を使った“男の料理”ではないところがえらいです。
最近は“粉”に凝りだして、いろいろと食べさせてくれる。わたしが粉を使うっていうとムニエルぐらいで、メリケン粉を最後には捨てるはめになっていた。最近はパンケーキ、クレープなどを作るので、薄力粉、強力粉、全粒粉、上新粉、そば粉、オートミールと粉類の在庫が増えている。わたしにはわけのわからないものを入れたガラス容器が戸棚に鎮座している。スパイスも増えた。
今日は堀井和子さんの本を参考にドーナツを作ると言うので、それをお昼ご飯にすることにした。早くから粉その他を混ぜて置いておき、それをまな板の上で伸ばしてタテヨコに切ったら24個分になった。ドーナツといってもドーナツ型ではなく、四角いドーナツである。油で揚げるといい焦げ色になっていく。粉砂糖をかけて、濃いコーヒーをいれて食べた。うまくて食べ過ぎてしまいました。

2002.5.12


今日もウハウハ・・・


今年くらいテレビで野球を見ている年はちょっとない。タイガースが優勝した18年前の夏以来かな。読売テレビはもろジャイアンツ側だから解説がうるさいので、いつもはラジオをかけておくのだが、今日は川藤さんが解説なのでテレビオンリーにした。
最初は井川投手が2点とられたが、それからは踏ん張り打線も点を入れ出して、アリアスの2ランホームランが出て、その後も点を入れ楽勝ムードに。10時前にテレビ中継が終わったのでラジオに切り換えた。9回裏、東京ドームの1塁スタンドからも「あと1球」コールが聞こえたのには驚いた。東京でももしかしてタイガース人気が沸騰しているのかな。関東在住関西人が駆けつけているのかな。中継ぎの伊藤投手が「あと1球」までいくのは珍しいことだからテレビで見たかったなあ。まあ10時過ぎていたからしょうがないか。結果7:2で勝ち。
今日勝ってゲーム差なしだったのが1ゲーム差になった。まだ1位を独走しているやん。web design bilboの「阪神タイガース」ページ(http://www.sgy2.com/bilbo/osaka/)を見てください。黄色い1本の線が最初から一番上を独走している。いつまでも続くはずないと思っていたが、もしかしたらずっと続くのかも。

2002.5.10


コナン・ドイルとローリー・キングのシャーロック・ホームズ


ローリー・キングの「シャーロック・ホームズの愛弟子 バスカヴィルの謎」を読んだらコナン・ドイルの「バスカヴィル家の犬」を猛烈に読みたくなった。そしてドイルを読んでからまたキングのほうを読み返した。明治時代に書かれた小説を読むのと、いま現在明治時代のことを書いた小説を読むという違いがあるが、それなりにどちらもおもしろかった。
かたや親友のワトソン博士が語るホームズで、かたや妻のメアリ・ラッセルが語るホームズである。ワトソン博士は善良なる助手であるが、ラッセルは同志であり妻である。そういう違いがあるのだけれど、この2作品にはダートムアに対する愛情が共通しているので、違和感なくすいすいと読んでいけた。2冊の本が書かれた間は120年ほどあり、2冊の本の中では30年の間がある。わたしは違和感なく30年後の物語と思って読んでいた。と言ってもキングのほうは理屈っぽく現代の小説であるのだが。ワトソンとラッセルの違いのように。
今回の事件の依頼人であるセイビン・ベアリング=グールドという老人が出てくるのは、ラッセルが彼が書いたダートムアについてのたくさんの本を読んで、事件の核心をつかむのと同時に、グールドが持つダートムアへの愛に心をうたれるという二重の効果を考えたのだと思う。
ローリー・キングはコナン・ドイルに深い尊敬と愛を持っていて、シャーロック・ホームズに当時のもっとも新しい女性、自ら女権拡張論者(フェミニスト)と言っているメアリに遭遇させ結婚までさせてしまった。ぐずぐず言う人もたくさんいるだろうけれど、わたしはすごいことだと思う。

2002.5.9


朝の野菜スープ


わが家では毎朝の野菜スープが体調維持のチカラとなっている。寒いときはアイリッシュシチュー風とかジャガイモを入れた温まるスープが多かったが、これからはトマトの出番になる。ニンジンは1年中なんにでも使えるありがたい野菜よね。
毎度のことながら丸元淑生さんの本(丸元淑生のシンプル料理 講談社)から、自己流にアレンジしたのを紹介しましょう。二日酔いの朝とか風邪を引きかけたかなというようなとき、強力な味方になってくれます。
材料は2人分で、トマト1個、ニンジン1本、タマネギ1個、レモン半分、そば粉大さじ1、パブリカ、塩、黒コショウ。
タマネギを薄くスライスしてオリーブオイルで炒める。かさが減ってきたら、ニンジン(グレイターでおろしておく)を入れ、オリーブオイルを少し足してて5分ほど強火で炒める。そこに湯むきしてざく切りしたトマトを加える。トマトをつぶして弱火にしてふたをしておき、トマトが煮くずれたらそば粉を加えよく混ぜ、お湯を1.5カップ加える。パブリカをふり、しぼったレモンを加え、塩コショウしてできあがり。レモンはレシピではオレンジなんだけど、いつも買うのを忘れてレモンになっている。オレンジのほうがマイルドな味かもしれないが、レモンでもけっこう甘いです。

2002.5.8


お腹いたの記憶


今日の掲示板でyukariさんが「食べ過ぎて帰る前、お腹痛くて寝てました」と書いているのに「それは帰りたくないからお腹が痛くなったんでしょうね(笑)。」と思わず書いてしまったが、これは“経験者は語る”なので、yukariさん許してね。
子どものころ、学校が嫌いだった。勉強も体操も嫌いだった。それでときどき仮病を使って学校を休んだのだが、仮病とほんとのお腹いたと区別がつかないときがあった。またお腹いたばかりではいけないとアタマを使って頭いたになったことも再々あった。お昼ご飯を遠慮しても、じっとフトンの中にいるのが大好きであった。天井の汚れをじっと眺めて、その汚れをなにかに見立てて想像するのもけっこう好きだった。
父親が「こんな大雨の日に学校へ行くこともないやろ」と言うような人だったので、これでいいのかなと思ったりはしたけど…。それでも学校を休んで本を読んでいるのが快楽だった。
去年だったか、小学校5・6年がいっしょだった人から電話があった。ずいぶん捜したと言う。わたしは同窓会とかに1回も行ったことがない。そんなもんで、ちゃんと同窓会に行っている兄を捜し出して聞いたそうである。でも東京にいる人から突然会いに行きたいと言われてもねえ。返事の言葉を濁してしまったけれど、「あなたは頭が良かった」んだって(笑)。

2002.5.7


コナン・ドイル「バスカヴィル家の犬」


コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズの物語がこんなにおもしろいとは思っていなかった。私が買ってきたのは創元推理文庫、初版が1960年のもので53版である。ロンドンやダートムアの描写も100年前を偲ばせる古風で節度ある訳で自然に物語の中に入って行けた。訳者の阿部知二は、インテリ女性が主人公の小説を昔「婦人公論」などで読んだことがありなつかしい。
イギリスを舞台にした物語や映画で、底知れない財力で建てられた邸宅の描写が好きである。「レベッカ」で主人公が夫の邸にはじめて行くときの、門を入ってから家までの距離がすごい。「高慢と偏見」でエリザベスが叔母と訪ねるダーシー邸もすごい。「炎のランナー」もすごい邸だった。「ジェイン・エア」のロチェスターさんの邸が怖ろしくもすごい。もちろん、ピーター・ウィムジイ卿の実家のあちこちと先祖の幽霊がいる邸もすごい。秘密の花園があり人の入らない部屋がたくさんある「秘密の花園」の邸もすごい。
と書きつつ、ロンドンの下町の暗黒ものも好きなのである。ディケンズの物語や切り裂きジャックのロンドンが好きでたまらない。だったらシャーロック・ホームズも好きなはずなのに、子どものころに読んだきりであった。
「バスカヴィル家の犬」を読むとロンドンの街の出番は少ないが、ロンドンからの汽車から若きヘンリー卿が眺める田園風景、田舎の駅で降りてから馬車に乗りダートムアのバスカヴィル邸に着くところがよい。やっぱり門を入ってから邸まで、ながながと続く並木道がある。

2002.5.6


連休も明日で終わり


予想どおりぐずぐずしているうちに連休も終わっていく。ちょっとていねいに家の掃除くらいしようと思っていたが、いつもと同じようなことで終わってしまった。どこへ行くでもないのにこの調子なんでいやんなっちゃう。
3日に母親の13回忌ということで兄の家に行った。ありがたいことに宗教抜きというので、久しぶりに会ったきょうだいとその家族たちとレストランで昼食を食べて談笑しただけである。話題はやっぱり阪神タイガース関連が抜群に多かった。銀行員が1人いるのだが、得意先に行くと雰囲気が明るいのがありがたいと言う。経済効果なんて言う前に大阪の人間が明るくなっているそうだ。ほとんどの家にパソコンがありホームページやメールの話も行き交っていた。
地下鉄で行ける場所であっても、千里まで行くと緑が濃いし空気がきれいな気がする。行きしは一戸建ての家が並んでいるところを通り庭先の花を観賞しながら歩いた。ローズマリーの大きな株が垣根に被さって外にあふれ出している家があった。野ばらが咲いている庭もよかった。
帰りしは千里阪急ホテルの横の池を散歩してきた。菖蒲が何種類もあるのだが、咲いているのは黄色いのだけだった。空き地にハルジョオンがたくさん咲いていた。実はうちの近くの会社の前の植木コーナーにハルジョオンをわざわざ植えてあるとしか思えない一角がある。いつもそこを見てから地下鉄やバスの停留所へ行くのだが、やっぱり雑草は雑草らしいところに生えているのを見るのがいい。
今日は4日休んだプールに行った。昨日は時間的には行けたのだが、コナン・ドイルの「バスカヴィル家の犬」がおもしろくてプールはさぼってしまった。すごいスピードで読んで結末までたどりつき、安心して今日はプールに行ったのだが、まだ消化しきっていない。明日になったら感想書けるかな。

2002.5.5


「スター・ウォーズ特別編」を見て思い出したこと


テレビで「スターウォーズ特別編」(1997)をやるというので、ちょっと最初のほうだけでもと見だしたら、おもしろくて最後までいってしまった。「スター・ウォーズ」の製作は1977年で、日本で上映されたのは1978年6月であった。当時この映画のことは早くから雑誌「ポパイ」なんかで取り上げられていて、ハワイへ見に行った人もいるという記事もあった。そのころは泉北の団地に住んでいたのだが、泉ヶ丘の駅前の商業施設にC-3POとR2-D2のロボットの模型が並んでいてずいぶんと気持ちをあおられたものだ。
わたしが「スター・ウォーズ」でいちばん好きなところはタイトルである。頭の上をタイトルが進んでいくというか、文字組が前へ進むかたちになっている。そのあと宇宙船ががーっと頭の上を飛んでいく。これで心は宇宙へ飛んでいってしまう。映画館で2度見て、テレビで放映されるたびに見ているが、いつ見ても感動してしまう。
25年前にはわからなくて、いま非常にわかることはコンピュータが日常化したせいだ。レイヤ姫がR2-D2に挿入したデータを、反乱軍が吸い出すところなんぞ、フロッピーデスクやMOを日常的に扱っているいまでこそ理解できる。
当時はレイア姫をやったキャリー・フィッシャーが評判悪かった。この映画でたった一つの欠点だと言う人もいた。わたしはレイア姫には好意を持ったが、ハン・ソロのハリソン・フォードのいい男ぶったところが嫌いで、そのせいで「ブレード・ランナー」をすぐに見に行かず、話題に乗り遅れてしまったことがある。

2002.5.3


少しだけたくさん歩けるようになった


あれよあれよとばかりにさっさと毎日が過ぎていく。明日からは4日間の連休だが、あっという間に過ぎていくんだろうな。
今日は休みに備えて銀行や郵便局に行って、7日と10日引き落としのお金の案配をしてきたのだが、ふっと気がつくとずいぶん歩いていた。買い物もあったので四つ橋まで出て、四つ橋筋を本町のほうまで行き、なにわ筋へ出て帰ってきたのだが、足の調子は上々だった。
久しぶりに以前借りていた事務所のビルの前を通ったら、1階の居酒屋のおかみさんに呼び止められて、なんやかやと長話をしてしまった。そのうち飲みに行かねば。脇道を通ってあちこちの家の前の植木を眺めたり文房具屋に寄ったり、大好きな歩きができてうれしくてしかたがない。石楠花の花も見た。そう言えば、昨日もずいぶん歩いたんだった。階段の下りはやっぱりナンギだが、上りはかなりいけるようになった。水中歩行のおかげです。
昨日は当サイトのエッセイページに「旅のはがき」を連載している井上夫妻が、愛知県から出てこられたのでシャーロック・ホームズでおしゃべりした。お二人が大阪での用事ををすませた後でジュンク堂で待ち合わせたのだが、写真でのみ知っている人と会うのはスリルがある。
8年前にサラ・パレツキーさんが来られたとき、東京でミステリー評論家と待ち合わせたのだが、パソコン通信のメールで打ち合わせをした。当時はまだパソコン通信の時代だった。「わたしはチビデブです」と書いたら「私もチビデブです」と返事があり、新橋という人の多いところだったのに一発でわかったのがおもしろかった。

2002.5.2

写真:うつぼ公園ローズガーデンの「マリア・カラス」

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