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kumikoのほとんど毎日ページ

1999年9月


秋の花

天神橋方面に用事に行った帰りに、昔ながらの家が並ぶ街をぶらぶら歩きした。たいていの家の前に植木鉢が置かれている。花よりも木の鉢植えが多い。目立つのはムラサキシキブと萩だ。ムラサキシキブは名前も花も実も秋にはまりすぎていて最近は好きでなくなった。
萩はええなあ。花の色は好きな紫がかったピンク、柔らかくしなった枝。よその萩の鉢植えを見て、こんなのが欲しいと思った。花屋さんにもなかったので、これはどこかの山に行って採ってくるしかないな、とあきらめていたら、なんと靱公園の植木市で夫が見つけてきた。1メートル近い枝が何本もある。これが1300円というのは安い! 部屋に置いて眺めながらご飯を食べた。窓から入ってくるわずかな風にゆらぐ枝、ほろほろこぼれる小さな花。

好きな秋の花、追加。はぎ、すすき、けいとう、しおん、あかまんま。あ、まんじゅしゃげを忘れたらあかん。
子どもの頃、母の故郷の庭で紫苑がひとかたまり、すっと伸びて薄紫の花を咲かせていた。ずっと後になって、室生犀星の小説「かげろふの日記遺文」で紫苑の上という名前を見つけて、あの淋しそうな美しい花を思い出したのだった。室生犀星に紫苑と名付けられた藤原道綱の母はわたしの永遠のあこがれだ。

1999.9.27

映画「愛しのジュリアン」

疲れているので楽しそうなビデオでも、と思って借りた1本。「マンハッタン花物語」のすぐ後につくられたクリスチャン・スレーターの主演作なら大丈夫と思った。それがどんな映画やったと思う?「ほんまにもうっ!」って怒りたくなるよ、まったく。
と言ってもくだらない映画ではない。じゃあ、なんだと言えば、なんなんだろうね。全然、「愛しのジュリアン」でなくて、ジュリアン・ポーという名の青年が田舎町で出会う不条理な出来事の映画。
ジュリアン・ポーになにがあったか、仕事や住まいはどうしたのかわからないが、どこかへ行く途中、クルマが故障しキーを投げ捨てて鞄を抱えて歩いている。そして行き着いた小さな町の汚いホテルの部屋でテープに日記を吹き込んでいる。その町の警察、教会、町長その他がじっと監視している。そして逃亡中の殺人犯と嫌疑をかけられる。そのとき、殺したいのは自分自身だという、やっぱり普通でない返事をしてしまうポー青年。さあ、町の人々は…。
クリスチャン・スレーターはずっと嫌いだったが、「マンハッタン花物語」で好きなほうに変わった。普通の人っぽいのに、ニューヨーク中のスターリングローズを買い占めて好きな女性に贈るという、異常なところを持っている青年がとてもよかったので。

1999.9.26

映画「ブロンクス─破滅の銃弾─」

レンタルビデオ店の棚に並んであるのを見れば、「ブロンクス─破滅の銃弾─」というタイトルなら、ドンパチものだと誰でも思うよね。わたしもそう思って借りてきた。監督がローレンス・カスダンだからちょっとおかしいなとは思ったんやけど。しかし、出演者にサミュエル・L・ジャクソンとあれば、やっぱりドンパチかと思うやん。ところがサミュエル・L・ジャクソンはブロンクスのユースセンターの館長さんをやっていた。このユースセンターへ集まる黒人の子どもたちが、未来への希望をかいま見せてくれてほっとする。
ささやかな暮らしの兄(白人)のところへヤク中の弟が愛人(黒人)と一緒に忍び込んで、ヤクを買う金を泥棒しようとする。気がついて捕まえた兄がすごい剣幕で殴りつけ、どうするかと思ったら、父親の墓に連れていき、名前を記してある墓の蓋を鉄棒で殴りつける。そんなこんなでだんだん兄のほうは精神が切れているのがわかってくる。墓地で一夜過ごしたあと、2人は育ったブロンクスの街を歩き、ユースセンターでシャワーを浴びさせてもらい、母親のところへ行くのだが、その間いろいろあるわけ。ブロンクスの荒廃した街並みが恐ろしい。
結局ブロンクスで育った貧しい人間は浮かび上がれないって映画なのだ。身にしみてしみじみしてしまった。しかし、今夜はもっとアホな映画が見たかった夜だった。

1999.9.21

映画「THE BEAT GENERATION AN AMERICAN DREAM」

なんとビート・ゼネレーションを描いた記録映画をレーザー・デスクで持っていた。そこにニール・キャサディ本人が出ていた! 映像が残ったいたのだ。レーザー・ディスクの解説によるとニール・キャサディはジャック・ケルアックの「路上」と「ゴディの幻想」のモデルで、サー・スピード・リミットと呼ばれていた。1968年メキシコで、裸で鉄道線路に身を横たえて凍死した。42歳だった。
1冊残した書簡集が映画「死にたいほどの夜」のもとになった。「死にたいほどの夜」のthomas janeは、しぐさとか雰囲気とかほんもののニール・キャサディそっくりだ。
買ったとき1回見ただけでしまってあったこの映画を改めて見た。女性監督のせいか、女性の目で見たビート・ゼネレーションという面が強くて好感が持てる。わたしはこの映画ぐらいしかビート・ゼネレーションを知らないので、1回だけ見て「そうだったのかぁ」と思っただけだった。改めて彼らの残した作品を読む気持ちが起こってきた。

1999.9.20

映画「死にたいほどの夜」

レンタルビデオ店で見つけて興味をそそられたのだが、キアヌ・リーブスが「スピード2」への出演を断ってまで希望した映画で、50年代の青春をえがいたものらしいとしかわからなかった。ビート・ゼネレーションを駆け抜けたニール・キャサディを描いた映画である、というのはあとで知った話。
スピード感あふれるジャズが流れて、ニール(thomas jane)がランニングシャツ姿で登場する。その躍動感、流れるような動作、ええっ! どういう人なんだ? 実在の人か、フィクションか? と身を乗り出して見たのだった。
つきあっている女性が彼と過ごしたあと自殺を図るが、ニールは病院で側についていることができない。病院の廊下で看護婦に言われても中に入らず帰ってしまう。そして友人と玉突きと酒に逃げている。その友人がキアヌ・リーブスで、30代のどうしようもない男、頬にも肉が付いてしまらない男を演じている。キアヌが入れこんでやっているのがうれしい。
その女性が立ち直って向こうから手をさしのべてきた。その気になって、昼間働くようにしよう、一戸建ての家に住みたいと夢見るのだが、友人のしつこい誘いと昔の女性関係がたたって、夢は全部壊れてしまう。キアヌはいやらしくしつこくて、ええかげんにしてやれよ、と言いたくなるほどのところまで淋しい男の役をやっている。
結局、振り切れなかったのは友人のせいではない。ニールはそちらへ行きたくなかった。気持ちでは行くつもりでも深いところで行く気持ちにならなかったのだ。
2回見てから、タイトルと最後の言葉を確認した。原題は「the last time i committed suicide」でニール・キャサディの書簡集に基づいている。
映画の最後に知り合いだったローレンス・ファーリンゲティが語っている。「彼はハスラーのポール・ニューマンのように不滅だ。彼は馬の代わりにクルマに乗ったカウボーイだ。恋のためだけにたちどまり、絶え間なく語った。」(もっと長いのだが、覚えているところだけ)
脚本・監督 stephen kay 音楽 tyler bates 良かったので名前を記録しておきます。

1999.9.19

映画「疑惑の幻影」

以前このページでメラニー・グリフィスのことを書いたときに、この映画がきたら見たいと書いていたのに見逃してしまった。
ビデオレンタル店で見つけて大喜び。晩ご飯もそこそこに、後片づけもほったらかして見始めた。メラニー・グリフィスは敏腕の弁護士で、トム・ベレンジャーが別れた夫で検事、それも次期大統領候補の司法長官が約束されている。
金持ちの娘が殺されて、これから売り出す予定のメキシコ人の歌手が逮捕される。歌手を抱えているレコード会社が依頼してきて、彼女が弁護をすることになる。専属のような私立探偵がいて調査するんだけど、私立探偵といったって尾行や張り込みをするわけではない。大型バンの側面いっぱいにコンピューターを組み込んだところで仕事する。超おたくっぽい。その探偵がカレーを作って晩ご飯を食べさせてくれたりする。いい感じ。
話はちょっと都合のよいところがあるが、息をつかざず引っ張っていく。メラニー・グリフィスはスーツがよく似合ってすてき。わたしは彼女の甘い声が好きなのだ。英語がわからないので、断言できないけれど、弁護するときも甘い声を変えない。甘える声でなくて甘い声である。日本の女優がやれば、張り切っていかにも弁護士らしい声を出すところだ。
うん、満足した。

1999.9.16

葛の花が咲いていた

父親のいる施設に向かうバスの窓から、空き地に他の草木にからまって咲いている葛の花を見ることができた。その場所で降ろしてもらえないのが残念。
“葛の花 ふみしだかれて いろあたらし”と折口信夫が歌ったように、ただの蔓のうるさくからまる雑草で、いくらでも咲くから、ふみしだかれもしようが、踏みつけられた赤紫の花の色の美しさは例えるものもないって感じがする。
わたしの好きな秋の花は、われもこう、ふじばかま、みずひきぐさと葛の花。

1999.9.7

映画「バッファロー'66」

友人が行けなくなったと、映画の前売券を1枚送ってくれた。最近は映画雑誌も女性誌も買っていないので、どんな映画かわかりようがない。チラシもついてないし、券にもタイトルのほか a film by VINCENT GALLO としかないので、VINCENT GALLOを知らないからわけがわからない。もの心着いてから、こんな状態で映画を見るのははじめてだ。
まあ、それもおもしろいと、アメリカ村の映画館パラダイスシネマに行ってきた。平日の午後なのに、けっこう若い人が待っている。ポスターを見るとヴィンセント・ギャロの脚本、監督、主演らしい。どんなやつかな?
はじめは「なんや?」って感じだったけれど、ぐんぐん引き込まれてしまった。カサヴェテスの「チャイニーズ・ブッキーを殺した男」でけったいな男伊達を見せたベン・ギャザラが父親役なんだけど、やっぱりけったいで気持ち悪い。アンジェリカ・ヒューストンがやってる母親は、フットボールチーム「バッファロー」の猛烈ファンで、何十年の間にたった1回優勝した66年のその日に、息子を出産したのがくやしい(まるでこちらの阪神ファンのような)、やっぱりけったいだ。
回想場面や想像画面がコラージュ的な映像になるところなど新しい感じ。作品全体はサミュエル・フラーって感じがした。赤いブーツをはいたヴィンセント・ギャロは男前のところと異常なところとがあって、キース・キャラダインにちょっと似ているような…。次の映画が楽しみだ。脇役陣が彼を盛り立てているのが感じられて気持ちよかった。
相手役のクリスティーナ・リッチ、この人もブルーのアイシャドーが不気味な女の子で、ヴィンセント・ギャロと愛し合ってしまうんだけど…まあ、ええか。
バッファローという街への愛が感じられた作品だ。

1999.9.6

ルーマー・ゴッデン「すももの夏」

木馬館の新刊書のところで見つけたきれいな本。ルーマー・ゴッデンは岩波少年文庫に入っている「人形の家」くらいしか読んでないが、表紙がとてもきれいなので買ってしまった。
イギリスの小説で、第1次世界大戦が終わってまもなくという時代の話だ。お父さんはチベットで植物の研究をしていて留守。お母さんと夏休みにフランスへ出かけた4人姉妹と弟だが、お母さんが敗血症で倒れ入院、5人は言葉もなかなか通じないフランス郊外のホテルで一夏を過ごす。
少女から大人になろうとする時期の微妙な気持ちと、取り巻く男たちのやりかたがうまく書かれていて、読んでいてとりこになってしまった。エリオットという優しさと勝手さの入り交じった親切な男の正体が、やがて判っていくのがとてもスリリング。作品全体が次女セシルの目で書かれているのだが、長女ジョスの美しさと大人になりかけの女の勝手さがすてき。

1999.9.5

ホームページはじめて1年

早い、早い、毎日が過ぎるのが早い。
このホームページを開設してから、早くも1年経ってしまった。
気ばかりせいて、あれもこれもとアップしているうちに、「木を見て森を見ない」状態になってしまった。それで先日全ページの詳細を調べてみたら、けっこう発展しているんですねえ。驚いた。これからは全体の様子を見つつ、楽しいページを作っていきたい。
ファンのみなさま(いる?)楽しみにしていてくださいね。

1999.9.4

写真はアリスン・アトリー「むぎばたけ」(福音館書店)

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