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KUMIKOのほとんど毎日ページ
1998年12月

今年の風邪はしつこい

12月のはじめごろから、朝起きたら喉がおかしい状態が続いていた。朝一の電話に出るといつもがらがら声で、風邪を引いたのかと聞かれる。お昼ごろにはなおったし、薬を飲むのも、医者へ行くのも嫌いなので、生姜湯を飲んだりカイロをつけたりしてだましだましやってきた。
でも、年末になって父親が入院している病院へまる一日居た翌日に、ついにくしゃみ、鼻水など風邪引きそのもの状態になり、お正月に熱でもでたら大変だと思って医者へ行ってきた。たんなる風邪引きだが「今年の風邪は長いですよ」とのこと。
これは寝る前に飲む薬ということでもらった薬を飲むと、ものすごくよく眠れる。休みに入ったと思ったら昼も夜も眠ってばかりでなにもできない。それに正月中入院している父親の付添にも何度か行く予定なので、どうやら計画していたことはぜんぜん無理みたいだ。しゃあないなあ。

1998.12.30

旅の仲間「週末ボランティア」の望年会

週末ボランティアに参加してから2年8ヶ月経ったが、今年は7月から行ってないので、あまり偉そうに言えない。かんじんの活動に半年も参加していないのに望年会(ここでは忘年会と言わない)というのも厚かましいかと思ったが、メンバーのみなさんの顔を見たくて行ってきた。
(※週末ボランティアは毎週土曜日午後から夕方まで、阪神大震災で住まいを失った人たちの住む仮設住宅を訪問して、お話伺いする巡回型ボランティアです。公営住宅に移転された人が多い現在は公営住宅訪問もはじめました。)
神戸・元町のとある会館の一室に、手づくりのちらし寿司をメインにして48人の参加者が語り合ったんだけど、このグループの特徴は、仲間が寄るといつまでも延々としゃべり続けること。いつも話を聞いてばかりだからでしょう。
わたしは参加していると言っても月1回ペースだし、今年は後半休んでいるけど、みんなと親しくしゃべれるのは、週ボラホームページのせいだと思う。掲示板を作ったから何か書いてと言われて、2年前におそるおそる発言した。今から思えばうぶだったわ。慣れてからはどんどん書き込んで、インターネットというものに親しんでいった。いまや週ボラでは有名人の一人となっているくらい(笑)。こうしていまVFCのホームページに臆せず書き込んでいるのは週ボラ掲示板のおかげです。
もうひとつうれしいことは女性たち。しっかりと自分の足で歩いている。彼女たちと知りあったわたしはすごく運がいいと思う。週末ボランティアのメンバーたちは共にきびしい山を行き、やさしい谷間で憩う「旅の仲間」だ。

1998.12.29

映画「ギルティ・オブ・ラブ」

新聞の映画欄を見ていたら深夜映画だったのでためらった。なぜかというと、我が家のビデオは故障していて再生専門機となっているのだ。長い間この状態なので、別に不自由も感じず過ごしているが、深夜映画だけは困ってしまう。「ギルティ・オブ・ラブ」って知らない映画なのだが、出演がウイリアム・ハートのほかに、先日感激した「シーズ・ソー・ラヴリー」のふたりショーン・ペンとロビン・ライト(ペン)が出ているのだ。起きていることにして終わったのは4時近くだったけど眠くならなかった。
この映画も暴力をふるう男を愛した女性の話だ。ウイリアム・ハートの検事役は、仕事用のスーツもふだん着もソフトな服を着こなしていてリベラルな印象。自殺した若い人妻の夫(ショーン・ペン)の暴力性を検証するために昔の恋人(ロビン・ライト)を召喚する。その女性の家族や検事の思いとは別に、彼女は恋人に暴力をふるわれたときの心理状態をたんたんと述べる。いま話題のDV(ドメスティック・バイオレンス)が主題だが、単に加害者・被害者という解決法でないところに問題のより深いところを考えさせる。 ウイリアム・ハートが召喚した女性を知るために近づくにつれ、どんどん惹かれていくところも良かった。ロビン・ライトはわたしには今年最高の女優です。
ショーン・ペンとロビン・ライトはこの映画で知りあったのだろうか? 「シーズ・ソー・ラヴリー」ではロビン・ライト・ペンとなっていたので結婚したのかしら?

1998.12.26

松井ゆみ子さんの「アイルランドのおいしい毎日」

なにげなく本屋さんの料理本のところで手に取った1冊。レイアウトと写真がきれいなので買ってしまった。著者は音楽業界の裏方仕事をしていたが、フォトグラファーとして再出発した。音楽で惹かれていたアイルランドのダブリンと日本で半年づつ暮らしているそうだ。この本で初めて知った人。
料理の作り方が、だれにでもすぐできるように書いてあるのがありがたい。アイリッシュシチュー、マッシュルームスープ、ハッシュブラウンを読んで覚えてしまって作れた。つまり、途中で老眼鏡をかけて読み直すという手間がいらない、ありがたい本です。そしておいしかった。シチューやスープはこちらのみそ汁やかす汁を作る感じ。
全体に率直で明るい人柄がにじみ出ていて、ダブリンの友人たちやその家族たちとも楽しくつきあっている様子が気持ち良い本だ。食べ物もお店も人間もよく撮れているので、買ってから毎日眺めている。明日はなにをつくって食べようか…。

1998.12.13

落ち葉

栗林さんから来た手紙の間から京都鞍馬山の紅葉の押し葉がはらりと落ちた。栗林さんはこのホームページの「ニュース」のページに散策情報を書いている、旅と散策の達人である。紅葉を見に郊外へ出かけることが、この数年ないわたしにはありがたい贈り物。
このごろ落ち葉というと街路樹ばっかり。なにわ筋の銀杏の落ち葉を踏んで歩いたときさえうれしかった。そんなもんでつい数日前、仕事帰りの寄り道で天神橋から天満橋の川端のサクラとケヤキの落ち葉を踏んで歩いたときはむしょうにうれしかった。だれもいなかったので、ひとりで落ち葉の上を縦横に歩きまわってきた。
来年はなんとか電車に乗って、秋の野の花や、紅葉をゆったりと見にいきたいものだ。

1998.12.12

木村仁良さん訳「32台のキャディラック」

ジョー・ゴアズの作品はほとんど読んでいる。でも、わたしはずぅーっとネオハードボイルドの作品と探偵たちに惚れこんでいたので、ダン・カーニー探偵事務所ものは「少し好き」くらいだった。ところが最近ハメットを読み返して、乾いた、突き放したところにとことん引き込まれてしまった。そこでようやく、そやそや、ジョー・ゴアズって現代のハメットだってわかったのだ。そしていまハメットであろうとすることのしんどさもよく理解できた。
この作品の前の「脅える暗殺者」は刑事ものだが、正面切ってではなく、蘊蓄を傾けたり、楽しんでいるふうを装いながら、ジョー・ゴアズはいまの現実の世界を切り裂いて書いたということが読み取れた。
この「32台のキャディラック」を読みはじめて、「なんやこれ、ウェストレイクやんか」って思ってしまった。(一時でも木村さんがウェストレイクを訳した後だからこんな文体になってしまったと邪推してすみません。)そして、ちょっと読むのを中断してしまった。でも「脅える暗殺者」のことを思い出すと、きっとゴアズのことだからなにかあるはずなのだ。
再度読み出すと、がぜんおもしろくなった。ジプシーたちのペテンの手口と、ダン・カーニー探偵事務所の強者どもの駆け引きに引きずられて最後までいった。文体はゴアズがウェストレイク風にやったんだということもわかった。
わたしにはこの作品でのジプシーたちのやり方が良いとか悪いとか言えない。ただこういうふうに生きている人たちがいることを知ってよかったと思う。
ダン・カーニー探偵事務所に発音障害の人が入ってきて紹介されるところで、《生まれて初めて、まさに初めて、ケン・ウォーレンは彼の話し方などを気にしないグループの仲間入りを果たしたという気分を味わった。彼がどんな話し方をしようとも、彼はみんなと同じ言葉をしゃべるのだ。》とあるのだが、さりげなくてやさしくて好きなところ。
もうひとつ、黒人の元ボクサーのヘスリップについて、《差別主義者どもがヘスリップを嫌う以上に、ヘスリップは差別主義者どもを嫌っているのだ。》とあって、共感以上!

1998.12.7

中央公会堂最後の客

日曜日だから午後に散歩に出ようと言っていたのに、テレビの女子マラソンを最後まで見てしまった。
夕方になって御堂筋まで出かけた。心斎橋方面とどっちにしようと思案したが、人の少ない本町方面にして、歩きだしたら銀杏はきれいだし淀屋橋まで来てしまった。暗くなったが、ついでなのでライトアップしている図書館でも見ていこうと思ったら、中央公会堂に明るく電気がついている。前まで行ってみると看板があって、今日12月6日までいろいろと催しがあったらしい。今日が最後の日で、入館は6時30分までと書いてある。あと数分なんで大慌てで入ってきました。
3階の特別室を特別に見せてくれている。外から見ると真正面でステンドグラスがあってドームになっているところ。ドームの天井の絵と大きい壁画は日本神話をモチーフにしてある。カーテンもドレープがたっぷりとしていい感じ。柱は大理石だし、床はモザイク模様の木である。こんなところでフランス料理の会食でもすれば最高だろうな。
開館80年、コーラスで舞台に立ったこともあるし、映画もたくさん見た。いろいろとお世話になった中央公会堂が2002年まで保存・再生工事のため閉館される。予期せず最後の客になってしまった。

1998.12.6

ホームページはじめて3ヶ月

9月4日にはじめたので、今日でちょうど3ヶ月たちました。
お世辞にせよ評判はいいです。「きれい」とか「しゃれてる」とか「ほっとする」とか言ってもらってます(微笑)。
この「ほとんど毎日ページ」については、ま、たいていのかたから「ようやるわ」と言われております。親しい友は途切れがちなのを「最初からそんなタイトルをつけへんほうがよかったのに…」とか、「私は毎日書くのが大変だからホームページは作りません」など冷やかし気味ながら好意的。一人だけ「あのページはどうなったんですか」と詰問調がありました。「ええカッコしてたけど、もう書かれへんやろ」という意味。あたしはなあ、そんな言葉にくじけるほどやわやおまへんでー(笑)。
ええ…「ニュース」12月号にも書いたんですが、各ページにのせているのは、ニュースとサラ・パレツキーさんのページ以外は会報の原稿です。会報の原稿はまだまだあるんですが、初めて読む人には新鮮でも会員のかたにはなーんだと思われてしまいますね。
そこで新しい企画を考えています。徐々に実現していくのでお楽しみに。ホームページは鉢植えといっしょで、毎日水をやらないといけないのがよーくわかった3ヶ月でした。

1998.12.4

きんいろの銀杏の木

窓を開けて下を見ると街路樹の色が明るくなっている。この辺の街路樹はいろいろな木がちぐはぐに植えてあって、もうひとつぱっとしないので散歩に出かけることにした。
なにわ筋の銀杏並木が初冬の午後の光を浴びてきんいろに光っている。靫公園に近いところが木が大きくそろっていて見事だった。公園に入るとケヤキが紅葉している。ここのケヤキは大きさといい、木のそろい具合といい、とても見事で四季さまざまに見ごたえがある。
期待の御堂筋へ出た。だが、なぜかここの銀杏はまだ緑色をしている。また出直そうと、心斎橋までぶらぶら歩き。本町から心斎橋まで、ずうっと銀杏の根元にはもうクリスマス・歳末用の電飾の用意がしてあった。葉が落ちた銀杏の枝に細かい電球の花を咲かせるわけだ。きれいだけど、わたしはあんまり好きではない。

1998.12.1
タイトルバックは初冬の御堂筋(大阪市)

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