VIC FAN CLUB
VIC FAN CLUB: CHICAGO

冬のシカゴ 1993.1


望月節子
Setuko Mochizuki


 職場(精神薄弱者通所施設)の研修で、シカゴへ行ってきました。1月の6日から10日のうち、4日間だけで、クリスマス明けという全く観光に向いてないシーズンでしたが、まさしくシカゴの風を肌で感じてきました。

 私ときたら英語だめ、方向音痴、海外旅行はじめて、おまけに暮れからかぜをひいて最悪の状態でしたので、一緒に行った若い同僚たちにずいぶん気を使ってもらったわけですが、それはさておき。
 オヘヤ空港は、2,3日前に降った雪で真っ白、あまり雪は降らないけれど、降ると溶けないとか。降りた途端に、冷たい空気の洗礼を受けました。

 宿と研修と通訳とその他もろもろを引き受けてくださったY氏の車で、荷物と乗れる人数だけまずは氏のアパートへ。このへんからヴィクのシカゴの地図がたより、一体どこへいくのか人任せなもので、さっそく蛍光ペンで書き込みしました。トライステート有料道路、アイゼンハワー高速道路を経て、OAK PARKにある氏のアパートへ。
 レンガ造りで、キッチン、食堂、寝室、子供部屋、バスルームというつくり、イリノイ州立大学院留学中なので、それでも贅沢はしていないそうなのです。ヴィクのアパートもこんなふうかなと思いました.。それにベルをならしてドアを開けてもらうのも初体験。外の気温が低いので、暖房が行き届いた室内はうれしい限りでした。
 以下は、行ったところ、乗った乗り物、食べたもの等々です。

 歓迎夕食会ということで近所のメキシコ料理店へ。家々にクリスマスの飾りがまだ残されておりとてもきれい。夜空の月も星も葉を落とした並木に実によく似合って、感動してしまいました。

 高架鉄道Aでダウンタウンへ。バスに乗り換えて自然史博物館へ。気がつかないで急行に乗ってしまってレイクショアドライブを走るというおまけつき。昼食は館内のマクドナルドにてフィレオフィッシュ(日本と同じやね)。凍ったミシガン湖は雄大でしたが、氷がぎざぎざでスケートはできないそうです。夜はシカゴ名物(?)の出前ピザでした。

 昼吹きまくっていた風が止み、雲が吹き払われて、シアーズ・タワーからの眺めは最高。どこまでもまっすぐな道路に同じ光の街灯、車が渋滞しているのかブレーキライトの赤い列も飾り模様のようでした。通りを歩いて、ギリシャ料理パルテノンへ。給仕さんが腕に何枚もの皿をのせ一挙に火をかける一瞬の芸当は注文主だけでなく、近くのテーブルの人みなが大きな歓声をあげます。むろん我々も頼みました。ついでながら料理名はMOUSSAKAでした。

 Y氏の案内はない日で皆でダウンタウンへ。まずは判りやすい美術館から。朝は暖かだったのに、街につくころから名物の風が出て、体感温度は下がる一方。帽子、耳あてがないととても歩けるものではありません。とにかく建物の中へというわけで美術館へとびこみました。

 昼食後、また街を歩いたわけですが、あっちの店、こっちの店となるべく建物の中で過ごした感じ。夕方地下鉄AでY氏宅のあるオースチン駅へ。駅の名前は電車通りと交差する通りの名前になっていて、慣れればわかりやすいと思うけど、A列車か、B列車か見分けるだけで結構疲れる。

 帰り着いたころには雪が本格的に降りだした。シカゴ最後の夜というわけでドイツ料理店へ。ソーセージやじゃがいもなど、結構なじみの味でおいしいのだけれど、内心はご飯に大根おろしが食べたかったりして。さて、夜が更けて、ジャズを聴きに行くことになり、わざわざタクシーを飛ばして行ったのに、男性2人が21歳未満に見られて、入れてくれない。
 1人は私の息子で自閉症だし、幼く見えるので仕方がないけど、もう1人は日本人から見て21歳以下には決して見えない大人。こんな場合若く見ええるのも良し悪し。思い切り悪くパスポートを持ってこなかったのを残念がったり(持ち歩くと危ないというのも本当のことらしいけど)。

 前夜の雪で空港閉鎖、昼の便でノースカロライナに行くことになっていたので、Y氏は皆の心配を一手に引き受け、空港やら航空会社に電話交渉。なんとか5人、夕方の便に乗れそうとのことで、Y氏夫人の心尽くしのうどんを頂き、乗らない(乗れない)2人を残して空港へ。ところが荷物だけは乗せたのに、乗れたのは私と息子だけという結果になってしまいました。

 以上でシカゴの報告はおしまいです。はじめての海外旅行がヴィクのシカゴで幸運でした。思いきり歩き回れるほど、英語力も冒険心もないのが残念でしたけれど、Y氏という心強い知り合いがいてくれたので実現した旅行でありました。

1993年2月

写真:美術館の門外不出の絵の前で私と息子の亮(日本の美術館で写真を写させてくれるところはないと思う)