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kumikoのほとんど毎日ページ
2004年5月


一度会った人―三井三池労働組合灰原書記長

わたしが最初に三池に行ったのは登山グループの女性2人とだったが、大阪へもどってから人にしゃべりまくったので、いろんな人とのつながりが新しくできていった。また三池で知り合った人からは手紙をもらっていたから、なにか大阪で自分ができることで支援したいと思っていた。
たまたま組合員の娘さんたちが、労組どうしの支援ということで、大阪で就職しているのだが、彼女たちが元気でいるか会ってもらえるだろうかという手紙をもらった。彼女たちはわたしの家のそばに本社がある阪急バスで車掌をしているという。当時のバスには女性の車掌が乗っていて、停車駅を告げ、ドアの開閉と料金の徴収をしていた。それで阪急バスの労組に連絡して、彼女たちに会い家によんでお茶しながらしゃべったり、本を貸してあげたりした。わたしは阪急電車で通勤していたけど、回り道になるバスに切り替えて、バスの中で出会うのが楽しかった。その他にも娘さんを雇いたいというお店に紹介したりした。
そんなことで半年ほど経ち、三池がいまどうなっているかも知りたいということで、もう一度、今度は一人で行った。そのときはもう大闘争は終結していたのだろうか。これは調べないと記憶にない。主婦の会のメーンバーの家に泊めてもらって話し合ったのだけど、なにを話したんだったか覚えていない。ものすごく厚い布団をかけてもらって、暑いほどだったことはよく覚えているのに(笑)。
ある日、労組の事務所にいると(なにしに行ったんだか)、灰原書記長が入ってこられた。だれかがすぐ紹介してくれたのだが、なんと、握手をしてくださった。「あなたのことはよく聞いていますよ。お世話になってます」とチンピラ娘に灰原さんは言ってくれた。生涯の感激!!!ここに極まれり、である。だって、密かにあこがれていた人だったんだから。それから何十年も経ち、数年前の新聞で灰原さんが亡くなられたことを知った。住まいは東京になっていた。

2004.5.31


「がんばろう」のころ

昨日の夕刊に「がんばろう」の作詞者である森田ヤエ子さん死去の記事があった。ずいぶんと丁寧な記事で「がんばろう」ができたいきさつや、“総労働対総資本”と言われた三井三池炭坑の闘争のこと、そして1番の歌詞もあった。
わたしは三井三池のホッパー攻防戦に参加すべく三池まで駆けつけたことがある。うんと若いころで、山登りグループの女性3人で「いこ、いこ」と決めて、家や職場には1週間程アルプスに登ってくると言って出かけたのである。いま考えても、この3人のえらいところは、労働組合や社会党や共産党からの参加でなく、まったく個人的動機だったことだ。若者の正義感でさっさと動くのは、いまでこそ当たり前のことだが、当時はあんまりなかったんじゃないかな。そして大学へいく年令だったけれど、3人とも働いていて、自分のお金で行ったことである。えらいもんや(笑)。
夜行列車で熊本へ行ったのか大牟田へ行ったのか忘れたけど、本部受付みたいなところへ行って登録して滞在費を払ったら、炊事班にまわされてしまった。不満たらたらだったけれど、まあよく風来坊を引き受けてくれたものだ。これも闘争中なればこそね。
1週間のあいだ昼間は主婦の会のもとで炊事の手伝い(じゃま)をし、時間があると労組の人に話しかけ、夜は主婦の会の集会に参加させてもらった。私のアタマでは闘争中のご飯っておにぎりとかお弁当くらいしかなかったが、お刺身を主にいろんなおかずがあるのにびっくりした。たしか“オバケ”というクジラの真っ白な身をはじめて食べた記憶が残っている。わたしの家はほんまの都市プロレタリアで、晩ご飯にお刺身なんて考えもできなかったから、やっぱり大企業の労働者は違うものだと、ひがみました(笑)。
すぐに1週間が経ち、なにごともなくまた夜行列車で家に帰ったが、いまの言葉で言ったら自己責任で行動したってことかな。
「がんばろう」の歌はすでに知っていたが、三池帰りということで、どこかの労組へ歌唱指導(!)に行ったのだからたいした度胸だ(笑)。でも女性の作詞になるものだからこそ、いま歌っても「くろがねの男のこぶしがある」の次に「もえあがる女のこぶしがある」という歌詞にぐっとくるものがある。
最近よく三池闘争がなんであったか、わたしにとってなんであったかを考えるのだが、あれって「ラストサムライ」だったんですね。石炭から石油にエネルギーが代わるのは経済の必然ということをわかっていて、負けるに決まっている闘争をするのは、自分たちの筋を通そうとする武士道だし、わたしの参加のしかたも負けて行くものの最後の美しさへの共感があったのだと思う。

2004.5.30


近所にビオトープができた

数日前に散歩の帰りにビオトープを見つけたと相棒が言った。うちから7・8分で行ける明治小学校前の公園で見つけたそうだ。うつぼ公園に行くとき横を通ることがあるのだが、あんまり中に入らない公園である。さっそく今日散歩がてら行ってみた。
この公園は一角がビルに沿って行き止まりになっているため、斜めに通れないのであまり入らないのだけれど、そのどんづまり的角を役にたてた感じでビオトープが作られていた。(ちなみに、ビオトープとは、鳥や虫・動物などの生き物が、食事や休息・隠れ家・繁殖地などの全ての機能を果たせる環境をいうらしい。)
まだ植物を養生中ということで、金網の塀が張り巡らされているので、中に入ることはできないのだが、そのうちに楽しめるようになるだろう。金網に貼ってあるお知らせによれば、去年の秋から春にかけて何回も手伝う人を募集して作業していたらしい。明治小学校校区の人とあるので、うちは校区が違うから知らなかったのかな。
池が掘ってあって水草が見える。その周りにさまざまな草が伸びている。モンシロチョウが舞い、トンボが1匹飛んでいる。水の中にはミズスマシかなんかいるみたいで、水面がゆらいでいる。向こう側は前からある木が数本あるが、その木がドングリ系の木らしい。というのは、そばに立て看板があって、アラカシ、クヌギ、コナラ、マテバシイなどの木と実の絵がある。金網の塀がとれるのが楽しみだ。
ビオトープの外側に遊具がいろいろとあるが、そのあたりにクローバーがいっぱい咲いているので、つい見たら、四葉のクローバーが2本も見つかった。ラッキー! さっそく手帳にはさんだ。そしたら「ひまわり少女愛唱歌集」にあった歌が浮かんできたのでびっくりした。アタマの中のハードデスクは古いものが出しやすくなっているみたいだ。
お腹が空いてきたので、うつぼ公園を通って京町堀に出てモンスーン(マンゴーシャワー)でランチ定食を食べた。タイ風の焼き飯がおいしかった。ついている飲み物にハウスワインがあったのでもらったらいい気分になった。帰ってから昼寝もしたし今日はよい休日だった。

2004.5.29


剣客という生き方―池波正太郎「剣客商売」13冊目

このシリーズは秋山小兵衛が年を取りながら進んでいくので、読み進むとだんだんシリアスになっていくのがつらい。そして、田沼意次の失脚は実際にあったことなので、いかに小兵衛ががんばっても、世の中は思わないほうへ転がって行くのがわかっているからなおつらい。
苗売りの声が聞こえると「もうすぐ夏か…」と小兵衛はうんざりする。昔は夏が好きだったが、いまは冬のほうがよい。なぜなら「冬には炬燵があるからのう」なのである。老年に達した小兵衛の淋しさが伝わってくる。でもなにごとかあると元気になって活躍するのでほっとする。
「剣士変貌」では剣客という生き方について考えさせられる。【絶えず、おのれの剣と人格を磨きつづけ、剣客としての充実をこころがけてゆかぬと、結局は「いてもいなくても同じような…」剣客に……いや、人間になってしまいかねないのである。】道場を持っても自分よりも弱い弟子だけを相手にしていると、【(これでよいのか。弱い者だけを相手にしている、いまのおれは、これでよいのか……)その不安につきまとわれていたに相違ない。】こうして引用していると、剣客の生き方とは人間の生き方そのものではないか。
わたしは以前自分の暮らしを浪人に例えて“浪人暮らし”と書いたことがある。浪人の傘はりのようなパソコン仕事をして、浪人と似通った暮らしであると思っていた。いまは「違う、うちの暮らしは剣客だ」と考え直しているところである。雇い主からクビになって浪人をしているのでなく、自らが仕官の道を選ばす、独立して自らの腕で仕事をしているのだから、剣客そのものである。自分の腕で仕事をしていくばくかのお金を稼ぐ剣客商売じゃん。なんてカッコつけたけど、ああしんど。(新潮文庫 514円+税)

2004.5.28


新ニンニク

ポランのカタログに新ニンニクが登場したので注文した。紫がかった皮を剥くときれいな身が現れてよい香りがする。さっそくキュウリの浅漬けをつくった。浅漬けの器は先日東急ハンズで買ったもの。2人前のご飯にちょうどよい大きさのガラス瓶で、ふたに工夫があり、ふたをすると重しの効果があるようになっている。大根やキャベツの浅漬けも簡単にできて便利だ。
キュウリを1センチの輪切り、ニンニクとショウガを刻んで、全部をあわせて塩揉みし、容器に入れてしっかりとふたをする。冷蔵庫に入れて1時間で食べごろになる。キュウリとニンニクとショウガそれぞれの香りが引き立てあっておいしい。
ニンニクは6月に入ると安くなるので、醤油漬けと酢漬けをつくる。ニンニクの醤油漬けは毎年漬けているので、順番に3年前のを食べることになる。酢漬けはそんなに長いこと置かないほうがいいみたい。
今夜の献立:ビール、イカの塩焼き+パセリ、トマトとレタスのサラダ、ご飯、みそ汁(揚げと小松菜)、漬け物(キュウリ、ニンニク、ショウガ)、納豆、梅干し+紅ショウガ、焙じ番茶。

2004.5.27


さまざまなカップル―池波正太郎「剣客商売」12册目

「剣客商売」のシリーズは秋山小兵衛とおはる、大治郎と三冬の親子カップルが主役だが、その他にもさまざまなカップルが出てくる。もと料亭「不二楼」にいた板前の長次と女中のお元がいっしょになって「元長」をはじめた。ご用聞きの四谷の弥七は女房のおみねが小料理屋をしているので、心置きなく仕事に打ち込める。
12冊目でわたしが好きなのは「罪ほろぼし」。主人公の永井源太郎が農家の寡婦おふくの家で抱き合っているところからはじまる。源太郎は旗本の子だったが、父親がお目付衆という役職にあったとき、辻斬りの快楽にはまって小兵衛に斬りつけたところを、つかまって切腹お家取りつぶしとなった。源太郎は苦労の末、知人の世話でおふくの家の物置小屋で暮らすようになり、おふくと愛し合うようになった。商家の夜の用心棒となって暮らしを立てていて、月に2・3度はおふくのところに帰る。その商家に盗賊が目つけて、まず用心棒の源太郎をやっつけてしまおうと、浪人どもが切り掛かかったところを、通り合わせた小兵衛が助ける。そして大掛かりな押し込み強盗を小兵衛ともどもやっつけるのである。
最後に小兵衛の家へ弥七がやってきて事件の後始末の話をし、源太郎が雇い主に了解を得てふくと結婚し、ふくの家から通っているそうだと言う。
そこへ永井源太郎がふくを連れてやってくる。8歳年上で子どもがいる上に美しくないふくだが、「このたび、妻を迎えましたので、御礼かたがた、御挨拶にまかり出ました」と源太郎は顔をあからめつつ言うのである。

2004.5.26


小樽のカフェー光 〜嶽本野ばら「カフェー小品集」を読んで〜

ジュンク堂で友だちに贈ろうと、嶽本野ばらの最初の本「それいぬ」を探したのだが見当たらなかった。1998年の本だからもう廃盤ってことか。その代わりになにかないかと探したら、「カフェー小品集」という短編集があった。タイトルに惹かれて本をめくると、12の短編小説には作品名の下に実在のカフェーの名前が入っている。わたしが行ったことがあるのは、京都の「フランソワ」と小樽の「光」だけだが、両方とも何度も行っている。「フランソワ」はまた行くことがあるだろうけど、「光」にはもう行くことはないだろう。
今夜は「光」の思い出話でもいたしましょう。と言ってもラブストーリーがあるわけじゃない。たまたま失業しているときに、小樽に住む連れ合いの母親が倒れて入院したので、1カ月の予定で介護に行っただけのことである。もう25年前くらい前になるけど、誕生日を小樽で迎えたので覚えているのだが、9月のことだった。入院しているのは小樽の大きな病院だったが当時は付添人が必要だった。それで毎夜病院の付添いベッドで眠り、お昼前に義妹と交代する。家で昼食を食べるとすぐに散歩に出た。ここで気がついたのだが、わたしってネオンが見えないと生きていられない人種なのだ。白樺が植えてある広い公園や港が見える丘へも行ったが、たいていは都通りという商店街へ出て喫茶店に入るのだった。気に入った店がそのときでさえ古ぼけた「光」で、コーヒーを頼むと一切れのカステラがついていた。そこでゆっくりと本を読みながら、交代時間まで時間をつぶすのだった。
いろいろとあって結局1カ月もたずに2週間くらいで帰ってしまったのだが、小樽の商店街だけはもっと滞在してぶらつきたかった。昔は流行っただろう閉められたダンスホールの入り口や壁なんか、すごく淋しげでうらぶれた感じがよかった。そしてそのころは商店街といえども8時頃には電気が消えてしまう。いつもがらんとしている通りが、電気が消えたらもひとつ淋しくなるのだった。

2004.5.25


阿木譲さんの jazz cafe "nu things" が細野ビルジングでライブ

住まいの近くにあるクラシックな細野ビルジングには、前々から興味を持っていた。去年のいまごろ地下室で個展をやるというチラシをビルの前でもらったので、個展よりもビルの中に入れるのがうれしくて行った。そのときは持ち主の細野さんがビルの中を案内してくださったことをこのページに書いている。その次はビルができてから66年ということで、6月6日に「66展」という美術のイベントをやったときに行った。今年も6月に「66展」を開催するとのことである。
なにかにつけ気になるビルなのだけれど、先日ビルの前にこんなお知らせがあったと相方が持って帰った。「another side of nu things 5月のイベント案内」というもので、主催者のURLがあったので見たら、なんと nu things というのは20年ほど前に知っていた、「ロックマガジン」(超過激でおしゃれな音楽雑誌)の編集長、阿木譲さんが経営しているジャズカフェなのであった。5月いっぱい細野ビルジングでライブを展開するということで、おととい相方が行ったのだが、阿木さんとパートナーのユキさんが再会を喜んでくれたと言う。また「オクサンはお元気?と2人とも聞いてたで」ということで、今夜は私もジャズライブに行くことにした。
8時からなのでご飯を食べてゆっくりと行った。夜の細野ビルジングはとっても素敵。外観もいいし内部も古風な室内が淡い光に照らされていて素敵。
ユキさんも阿木さんもおしゃれで攻撃的なところが昔と少しも変わっていない。この2人が好きなことをやりながら生きている姿を見ると、もっとわたしも好きなことをすることにどん欲にならなきゃと思ってしまう。
ジャズのライブ(NEW4)は久しぶりだったので圧倒された。最近のジャズを聴いていないから、ジャズ一般について語れないけど、今夜聴いた限りではとても優しい音楽になっているように思えた。ちょっとU2の音を思い出させるところもあった。
帰りに阿木さんが、ホームページに今夜のことを書いてくださいよと言ったので、そう阿木さんが言ったと書きますねと笑って別れた。阿木さんがご自分の名を検索したときに、私が書いたものが出てきたそうで、わたしがVFCをやっているのもご存知だった。ふーっ、悪口を書いてなくてよかった(笑)。

2004.5.24


今度の洗濯機は・・・

忙しくて天気が良いのか悪いのかを気にしている暇がなかったが、夕方になって一段落したので、昼夜兼用ごはんを食べに梅田へ出た。シャーロックホームズで生ギネスを頼んで料理を4種類食べて、元気が出たところで、ヨドバシカメラに行くべく大阪駅へ出た。
大阪駅にきたのは久しぶりだ。うろうろして東口へ行ってしまったが、明るくきれいになっているのにびっくりした。カフェがありけっこう客が入っている。その横がイカリスーパーでその次が化粧品店で、一番北側がブックスタジオという本屋である。それぞれこぎれいだ。このへん、なんかうらぶれた感じのところだったので変わりようにびっくりした。
ヨドバシカメラは2回目である。プリンターのインキなどを買ってから4階の家電売り場へ行って洗濯機を見た。いまの洗濯機は20年以上使っているから、今度買えば洗濯機よりこっちの寿命のほうが短いかもね。見た目にいいなぁと思ったのは松下電気の150,000円のやつ。でもこんなにいいのはきっと一戸建ての広い家事室に置いたら似合うものだろう。2万円くらいのもあるがちょっと淋しい。そうそう、話題になったサンヨーの洗剤不要とかいうやつ、と探したら3種類ほどあった。値段は3万円台から5万円台まででちょうど手ごろだ。一応これと心に決めて帰ってきた。
いままで家電は近所の電器店で買っていた。年に2回松下電器のカタログをとどけてくれる。それを見て注文するから、うちは松下電器の製品が多い。違うメーカーのも取り寄せてくれるのだが、たいていは松下でいいかとなっていた。この間そこの店主に道で出会ったら、先月廃業したとのこと。不便ではあるが、自由になったような気もする。というわけで洗濯機はヨドバシで買うことになった。

2004.5.23


おしゃべりは万病の薬

わたしは黙っているときはいくらでも黙っていられるが、しゃべり出したらだれにも負けないおしゃべりである。しかも口が軽くてなんでもしゃべってしまう。だからわたしに打ち明け話をたら、すぐにどっかでしゃべるからご用心。なーんてウソよ、言ったらいけないことは一切他言はしておりません。どうでもいいことしかしゃべってないですから大丈夫。
このどうでもいいことをしゃべる快楽が楽しい。今日はVFCの例会日だったが、この1年間の不振の続きで、たった2人の例会であった。でも楽しいおしゃべりをしてストレス解消して、おいしいビールを飲んで幸せであった。おしゃべりの相手がよいことも大切なことだ。VFCという場があり、ヴィクが好きということでわかりあえる友がいるって、ほんとに幸せだ。

2004.5.22


プールができて1週間

歩いてプールに行けるようになったら毎日でも行ったるでと思っていたけど、昨日で1週間経ったがようやく3日であった。今日から2週間目になる。まず今日行って1日目。なんとか4日は行きたいものだ。
プールが近くなってよいところはいっぱいある。まずバス代がいらない。次に時間が節約できる。いままで2時間半かけていたのが1時間40分くらいですんでいる。それと下福島プールでは50分経つといっせいに上がることになっていて、5分の休憩と5分のラジオ体操がある。だから泳ぐのも歩くのも50分で区切られ、連続1時間できない。休憩時間にはジャグジープールに入ることになるが、混んでいるときは様子を見て早めに上がって席をとる。話をしたくない気分のときでも、ジャグジーに入れば付き合いというものがある。それで仲良くなる人もできるからいやなわけではないのだが。ここはそういう決まりは一切なく、次のバスの時間を気にしなくてよいから、好きな時間いて好きな時間に帰る。とりあえず、顔を見合わせた人にはあいさつすることにしているが、ジャグジーやサウナに入る時間をずらせば話し込むこともなくてすむ。
仕事の都合で、お昼ごろ、3時過ぎ、夕方、夕ご飯どき、と時間を変えていくことになったが、3時の子どもの群れがいたときを除いて、たいていは空いていた。下福島のときは普通の日に子どもをあんまり見かけなかったように思うが、ここは子どもが多い。3時から5時くらいまでがピークかしら。これから夏にかけて土・日も混みそうだ。お昼ごろとご飯どきがよさそうだ。プール通いが日常化してこなんこと書かなくなる日がくるかな。

2004.5.21


ベランダで収穫

洗濯機、エアコン室外機、物入れ、そして洗濯物がぶらさがっているベランダで、わが家の鉢植えはけなげに生きている。この花がジャスミンティーになる本物のジャスミン、と言われて買ったジャスミンがつぼみをつけている。1日しか咲かない花だが、毎日次々と咲くからうれしい。トネリコも元気に新しい葉が出ている。そうそう、忘れずに朝顔の苗を買わなくちゃ。
今朝はチャイブを摘んでオムレツに入れた。チャイブは3年前に「プランターに植えておいたら、いつでも葱みたいに食べられて便利よ」とヴィクシリーズ翻訳者の山本やよいさんが教えてくださった。冬を越して春になると元気に新しく葉が伸びてくる。切って食べるとまた新しい葉が伸びてくる。
この間うつぼ公園でお弁当を食べたとき、帰りに植物屋JALで買ったのがミント(なにミントか名前を忘れてしまった。細かい葉っぱがついている。乾してネコの首に巻いてやると虫除けになるとか)とタイム(なんとかタイム、これも名前を忘れた)である。夏に向けてバジルをそろそろ植えなくては。

今朝はチャイブとミントを収穫(?)しての朝食となった。
今朝の献立:胡瓜とミントのライタ(「堀井和子の気ままな朝食の本」より)、チャイブ入りオムレツ+ハム、グリーンアスパラガスとトマトのサラダ、トースト(オリーブオイルを塗って)、紅茶。

2004.5.20


夜の公園

うつぼ公園のそばのビルで仕事しているTさんと、昔うちの事務所の隣の部屋にいたMちゃんと、長い付き合いの4人で久しぶりに焼き鳥を食べに行くことになった。京町堀の焼き鳥屋は立ち食いの店で、テーブルとドラム缶が数個備えてある。冷蔵ケースにあるビールなんかを勝手に出すし、おしぼりは熱いのが電子レンジの中に入っているのを勝手に出して使う。隣室に行って注文すると炭火で焼いたトリをさっさと運んできて無言で置いて行く。客はそれぞれのテーブルやドラム缶の前でしゃべりながら食べるのである。4人とも今日はこれで終わりでなく仕事をかかえている身なので、飲み方はおとなしかったけれど、1人1500円でお釣りがくる安さにびっくりした。
1時間半くらいしゃべりまくったあと、うつぼ公園を通って帰ったのだが、雨の夜の公園は美しかった。1メートルくらいの高さの電灯がいっぱい立っていて、ほの明るい中に薔薇が満開である。あまやかな匂いが立ちこめてなんとも言えない。
ひとまわりして外に出ると、お腹に余裕があるような気がして、それに寒いので暖まろうと理由をつけて、うどん屋に入ることにした。いつもバスから見ていた店で、雑誌の大阪のうまい店特集などにも入っている。おすすめのカレーうどんを食べたのだが、これはわたしたちには向かない味であった。肉丼のうどん版と言ったらいいのかな。茹でたうどんの上に肉を入れカレースープを注ぎ、その上に刻み葱をたくさんのせてある。色は焦げ茶色。
わたしのイメージしていたカレーうどんは黄色くて、出汁は片栗粉でとろみがついているやつ。大阪の商店街によくある「力餅」のカレーうどんが無性に食べたくなった。

2004.5.19


ご近所さまの植木鑑賞

こまごまとした文房具を買いに出かけた。まとめて買うものはアスクルに頼むが、領収証1冊とか気に入った色の蛍光ペン1本は文房具屋でないといけない。散歩がてら遠いほうの文房具屋を目指してあちこちの道を選びながら歩いたが、やっぱりあの家の前を通らなきゃ。
以前、事務所へ通勤していたころの楽しみは、西保育園の前にあるおうちの前の植木を眺めることだった。毎朝毎晩お花を眺めさせてもらっていた。季節の草花が家の前に5層くらいに置かれている。いつも咲いているのが置いてあるということは、どこかで養生して咲きそうになったのを持ってきているんだろう。ぎっしりと置かれた植木で、玄関は1人通れるくらいしか空いていない。
今日は紫陽花が中心になっていろんな花が咲いていた。筋向かえに駐車場があるのだが、そのまわりも鉢植えが囲んでいる。ゆっくりと眺めていたら、ハハコグサが大きく伸びた鉢もあった。この間は満開だったライラックが終わったようでもう鉢は片付けてあった。
その近くに事務用品のプラスの大阪本社があったのだが、移転したかしてビルが閉じられている。玄関に大きな木犀が1本あって毎年見事な花を咲かせていた。今年の秋にはもうないだろうな。

2004.5.18


わかやまけん「きつねやまのよめいり」

古書店ベルリンブックスで見つけた絵本。片山健の横にあったので、てっきりかたやまけんと思って手にとったら画風が全然ちがう。わかやまけん、だった。戻そうとしたのだが、表紙の狐の嫁入りの絵に惹かれた。開いたら1ページ目の和菓子のような色が目に入った。空中がピンクでグレー、ブルー、茶と渋い色合いの山に白い雪が一面に降っている。
そこはきつねやまで狐の一家が住んでいる。一番上の娘が嫁にいくのだが、提灯に灯をともしてピンク色の空間を行列が進む。二番目、三番目となっていくうちに、人間による開発が押し寄せてきて、道には車が通るようになり、ダム工事が進む。嫁入り行列は、もっともっと奥の山を越えなくてはならない。五番目の狐の嫁入りは、ダダァンという音がして提灯だけが取り残されていた。嫁入りしていた上の狐たちもやってきて必死で探すのだが、「きつねたちは どこまでも さがしつづけて いきました。」で物語は終わっている。わたしは牧歌的な絵本だと思って買ったのに、悲しい絵本だった。
わかやまけんをネットで調べたら、たくさんの絵本を書いている人だった。かなり絵本を知っているつもりでも、わたしの守備範囲から抜けている幼児用なので知らなかったんだ。「こぐまちゃんのえほん」のシリーズが人気で、「しろくまちゃんのホットケーキ」はとてもおしそうで、ちっちゃい子たちによろこばれているのだろう。(こぐま社 1500円)

2004.5.17


左手でマウス

この上のiMacの写真を見てメールをくださった人はたった2人でした(いや、別にメールの請求をしているわけではありません)。かっこいいと書いてくれた人が1人、kumikoさん左利きだったのと聞いてくれた人が1人でした。ここでお返事します。
住まいは狭いけど、iMacを置いてある机だけは広いです。せっかく広いからものを置かないようにしています。それから・・・画面にあるネコの花子の写真は壁紙ではありません。写真を張り込み合成しました。壁紙ってあんまり好きでないんです。昔はトースターが飛んでいたり、熱帯魚が泳いでいたりしてましたが、最近はシンプルがいちばんいい。なんぼ愛猫というたかて、毎日画面であの顔を見とったらいやになるで(笑)。
マウスが左側にあるので左利きかと思われたようですが、わたしはまったくの右利きです。右利き過ぎてなんでも右手だし、筆圧が強いのと同じようにマウスを握りしめる力もバカ力をかけていたみたいで、親指の付け根がおかしくなりました。特に冬がいけなくってジンジンしてました。それで左手にマウスを持ってみようとやってみたら、調子よくてもう3年くらい左にしています。最初はとまどいましたが、最近は左のほうが合理的なような気がします。数字を打つとき、左手をマウスにおき右手でテンキーを打つとものすごく早いです。なにかにつけ、右手を空けているのがいいみたいで、さまになっていると思っています。左手だとなぜかあんまり力を入れてないんですね。

2004.5.16


おいしいオリーブオイル

スペイン旅行のおみやげにもらったオリーブオイルがおいしい。パンにつけたりサラダに使ったりと、もっぱらそのまま食べるのに使っている。ふだんは酒類の安売り店心斎橋のマルシェで、そのとき安いエキストラバージンオイルを買っている。その他はポランの宅配で、オーガニックの紅花油、菜種油、ごま油を買っている。ポランの国産オリーブオイルはけっこういい値段なので買ったことがなかったが、こんなに味に差があるのなら、買って使い分けすることにしよう。マルシェにも輸入高級品があるのでいろいろ試してみよう。
何カ月か前に、アメリカの作家の作品の中で料理に使われているキャノーラオイルがどういうものか、どっかの掲示板で話題になったことがあった。たまたま丸元淑生さんの本で知っていたので「従来の菜種油には有毒な脂肪酸も多く含まれていたため、カナダの研究者が遺伝子工学によって品種改良し、それを従来の菜種油と区別してキャノーラオイルと呼んでいる」と要約して返信したが、返事はありがたそうではなかったなぁ。キャノーラオイルは先日スーパーの特価品で売っているのを見た。あれから後にポピュラーな商品になったのかな。
うちでは先日から家で揚げ物はしないことにしようと決めた。その以前からだってそんなにしていたわけではないけど。いよいよ伝統食で腹八分目だ。と言いながら、昨日は仕事が忙しいのをいいことに、昔なじみの博多ラーメンでギョウザとチャンポンをたらふく食って、ビールを飲んで、店の人に「よう食べたねぇ、残すと思った」と感心されてしまったけど(笑)。ま、たまにこういう日があっていいでしょう。

2004.5.15


西屋内プールがオープン

新しいプールがようやく今日オープンした。わたしがプールに行きだしてから3年たつ。膝を悪くしてからプールでの水中歩行がいいと言われ続けていたが、なんとなく行きそびれていた。一念発起して行くべきプールを探したが、どこも地下鉄かバスで1区間離れている。午前中に行くと安いというので、決めたのが港区の幼稚園に付属しているプールだった。
その後、下福島公園に市民プールがあるのを知って切り替えた。一日中好きな時間に行けるし、水泳教室に誘われることがないのもよい(個人的に教えたがる人はいるけど)。ここに2年ちょっと通っていたが、往復の時間とバス代がかかるのが難であった。
今日はお昼ごろ出かけ8分くらいで着いた。松島公園のいちばん北側にあり、とても瀟洒な感じのする建物である。プールは2階にあり階段を昇るところで靴を脱ぐように言われた。設計上はそうなっていないのだから、なにを考えているだか・・・。靴はビニール袋に入れて持ってあがる。脱衣室に入ると先日行くと言っていたTさんがいた。もう一人は朝一番に来たらしい。
プールに入ると水がきらきらと光ってとてもきれい。深さ90cmが2コース、120cmが6コースある(長さは25m)。わたしが歩くのは90cmなので、もし全部120cmだと困ると心配していたのでよかった。
広い窓からは、足下が木津川、北のほうはビルがいっぱい見え、西梅田のホテルハイアットも見えた。幼児用の小さいプールがあり、ジャグジーがひとつある。それと広いサウナ室(室温52度)がある。シャワーの個室が5つあるのだが、もちろんシャンプーなど使用禁止。下福島では禁止なのだが、使っている人がけっこういる。ここは個室のドアに鍵がないし、シャワーのお湯が豪勢に出ないようになっているから、使おうと思っても使いにくかろう。
いろいろモンクを言っても、近くに新しいプールができたのがうれしいです。帰りもすぐだもん。るんるん。

2004.5.14


池波正太郎「剣客商売」10冊目「春の嵐」

今日は春の嵐だった。強く吹き込む雨風にあわててベランダの棚にある鉢植えを中のほうに避難させた。狭いベランダにあれもこれもと鉢を置いてあるのでややこしい。
「剣客商売」10冊目、シリーズ中の長編小説2冊のうちの1冊「春の嵐」は、小兵衛とおはる夫妻、大治郎と三冬夫妻がいっしょにご飯を食べるシーンからはじまる。鯛の刺身は皮にさっと熱湯をかけ、ぶつぶつと乱切りにしたもの。それを食べ終わると、次は軍鶏と葱の鍋で。三冬は「私、このように、めずらしきものを。はじめて口にいたしました」と言う。とてもゆったりとした出だしを快く読んでいる間に、よそで大治郎の名前を騙った凄惨な事件が起きているのである。
三冬の父であり幕府の要人田沼意次にまで及ぶ危機を、小兵衛一門が総出で智慧と力を尽くして戦う。
この巻では根岸流手裏剣の一種「蹄」投げの名手、杉原秀の活躍が楽しい。小兵衛へ連絡するために大川沿いを走ると、束ねた髪が風になびき、居合わせた人が通り魔かと怖がるほどである。小兵衛の居場所に着くと家の周りを悪者が取り囲んでいる。秀は小兵衛を次の活躍の場に行ってもらおうと、ここは自分が受け持つと言う。そして「蹄」を投げて片付けるのである。
三冬と秀、「剣客商売」はこの二人の毅然とした武術の達人である女性の物語でもある。(新潮文庫 552円+税)

2004.5.13


元気な人たち(2)

一昨日ここに書いたのはプールで出会った80代の元気な人たちだが、今日は元気な有名人をテレビで見た話です。情報ステーションでオノヨーコさんは見るのを忘れたけど、秋吉敏子さんはちゃんと見た。両人とも年を重ねていよいよ華やかになっているのがうれしい。

ちょっと前だけど、NHKで大正時代の子どもの雑誌「赤い鳥」を特集していて、編集・発行者の鈴木三重吉についてくわしく知ることができた。夏目漱石の弟子であることや、「赤い鳥」には芥川龍之介、北原白秋、西条八十など、第一級の作家や詩人が執筆していることなどは知っていたが、芥川の書いた「蜘蛛の糸」の原稿を子どもたちが読んでよくわかるように、手を入れたという話は初耳でおもしろかった。あの芥川がそのまま受け入れたというのもすごい話だと思った。
その鈴木三重吉が抱いていた女の赤ちゃんが成長してアメリカに渡り、ファッションデザイナーとして活躍して、いまは横浜で一人暮らしで仕事を続けている。80歳を超えて華やかに仕事している姿に魅せられた。
オノヨーコさんも秋吉敏子さんも鈴木さんも、アメリカで自立して生活してきた人たちである。日本国内で生活してきても、あのように元気で自己主張できるのか、うーん、がんばらなくっちゃ。
今朝の新聞に田辺聖子さんの全集発売広告に大写し写真が出ていたが、顔の表情が童女のようにあどけなく、しかも知的で、お顔と髪型とお洋服の襟元がよく似合っていた。

2004.5.12


春の菜っ葉「うまい菜」

スーパーに行ったら京野菜の売り場に「うまい菜」があったので、うれしくなってホイホイと買った。ここ数年食べていない。ということは売ってなかったんや。売っていたら買っていたはずだ。そしたら、大丸百貨店地下の野菜売り場で売っていたことを思い出した。あそこに行かないようになってからは、ポランの宅配にはないしスーパーでも売ってなかったんだ。わざわざ探すというものではないしね。
何度も書いているけど、わたしの育った家は関東出身なので、関西の料理というものをあんまり知らない。父親が本で読んだ知識で、ハモの皮、ハンスケ(うなぎの蒲焼きのあたまだけ)が大阪の味だと言ってたのを信じていたくらいである。貧しい都市生活者だったから、毎日の食事はサバ、サンマ、イワシ、クジラを焼いたり炊いたり、それにほうれん草や大根や水菜という質素なものであった。関東も関西もありゃあしない。
独立してからは自分の部屋に人を呼んでご飯を振る舞うのが好きになった。人にご馳走をするのにできる料理はしれていたから、かえっていろいろと教えてもらった。うまい菜もその一つで、「うまくもないのにうまい菜」とその友人は言ったけれども、わたしは関西の野菜というだけでうれしくなった。うまい菜だけでなく、とり菜、しろ菜などと薄揚げを炊くことも上手になった。
家庭菜園でつくると次から次にとれて食べきれずに困るという話を聞いたことがあるから、すぐ育つ安い菜っ葉だったんだと思う。当時の職場の年配者においしいと言ったら「あんなもんのどこがうまいねん」と一喝されたことがある。
今夜はひろうすと薄味で炊いてみた。小松菜やしろ菜とはちがった、ちょっと苦みのあるような春野菜の味だった。今度は薄揚げとしめじといっしょに炊いてみよう。

2004.5.11


元気な人たち

近くにできた大阪市立西屋内プールが今月の14日にオープンとなった。パンフレットによると、火曜日定休で午前9時から午後8時半(最終受付8時)まで利用できる。温水プールは25メートル×8コースで幼児用もある。いま行っている下福島プールといっしょだし、大阪市立プール共通の定期券がそのまま利用できる。ありがたい話である。
今日は下福島プールに行って、ここへくるのもあと何回かなんて思っていたら、「いつからあっちへいくの?」と聞かれてしまった。最初の人は野田阪神から赤バスで来ている。バスを待ってここへくるより、老人定期券があるから地下鉄千日前線でそっちへ行ってみようかなと言う。次の人は西区民だが北のほうなので、歩いて下福島まできている。やっぱり老人定期券で阿波座から地下鉄で行くことにするという。お二人ともかくしゃくたる80代である。「せっかく行くんやったらオープンの日からいかんとな」と元気なもの。「ジブンが行ってる時間をめがけて行くわ、だいたいこの時間くらいやな」と言われたら、私はその時間に行かざるを得ないじゃありませんか(笑)。
でも2年半通ってなじんだこのプールに来ている人たちや係員の人たちにまた会いたくなるだろうな。バスの回数券が残っているのでたまに来ておしゃべりしよう。
※ご存知でしょうが、大阪では相手のことを「自分」と言います。

2004.5.10


江國香織「きらきらひかる」

関東方面に住んでいる姪が上等のチョコレートとネコグッズと江國香織の文庫本を4冊送ってくれた。彼女とは長いこと音信不通みたいな感じだったが、メールというものができ、このページも読んでくれるようになって、お互いをとても近くに感じるようになった。かなりの読書家で、ミステリーではクレイグ・ライスがことのほか好き、若いのに「怪盗ニック」「悪党スターク」が好きという変わり者である。最近は女性探偵ものに目覚めたので、あれこれとメールでしゃべりあっている。わたしがまだ江國香織の本を読んだことがないと言ったら、さっそく持っている本を送ってくれた。
書名を知っている「きらきらひかる」から読み出したら、これがとてもおもしろくてやめられない。短いし一日で読んでしまった。読まず嫌いですみませんでした、と言わねばならない。
夫の睦月は勤務医で、妻の笑子はアルバイト程度のイタリア語翻訳をしている。見合い結婚をして10日、睦月は同性愛者であり、笑子はアル中に近い酒飲みである。睦月には紺という恋人がいる。この3人に睦月と笑子の両親がからみ、医師の友人がからんで物語はすすむ。こう書いたらどろどろした話みたいだけれど、主人公の3人の細やかな気持ちや行動で、とても繊細な恋愛小説になっている。笑子というちょっとない主人公の名前が、すこし雰囲気に笑いをかもしだしているところもうまい。
こういうシチュエーションでしか現代の真実の愛は語れないのではないかと思わせる。あと3冊はどうだろうか。

2004.5.9


うつぼ公園近辺散歩

たまにはお昼ご飯を外で食べようと、おにぎりをつくって、高野豆腐の炊いたんと蕗とピーナツ、お茶と冷たい水を魔法瓶に入れて、湯のみ、箸と揃えてカゴに入れた。ビールは途中で買おう。つばの広いパナマ帽子をかぶって、行き先は久しぶりのうつぼ公園である。
うつぼ公園の北側半分が半年以上も工事中だったが、ようやく出来上がって入れるようになった。まだ芝生とバラが養生中ということで、ロープを巡らせている真ん中のスペースには入れない。木のベンチが空いていたので落ち着いた。東の端からバラ園の真ん中を水が流れていて、最後は噴水のある池になっている。それまでに広くなったり坂になったりと、うまい具合にデザインしてある。少し人工的だが以前よりずっとよくなった。野バラばかりのところがあったのでうれしくなった。
前からある周りの木々が新鮮に見える。せんだんの木が満開だ。楠はこんもりと繁り、メタセコイアがたくさんそびえている。お弁当を広げたら黒いネコがやってきてちょこんと横に座った。おにぎりと高野豆腐をやったがだめらしい。蕗の葉といっしょに炊いたチリメンジャコを選んでやったらようやく食べた。
食べ終わって公園をうろうろしてから、公園の南側にある植物屋 JAL によって、ハーブの苗を買った。そのすぐ横のしゃれたビルに画廊 MAISON D'ART があるのだが、2階だし入ったことがなかった。今日は入ってみたら、個展の主の松下絹代さんと画廊の人がいて感じよかった。松下さんは造形作家なのだが、怪我をして造形物が作れなかったと小品のみ2点だったが、それがとても不思議な感じがしてよく、その代わりの絵もよかった。

2004.5.8


「大橋歩の生活術」

古書店「ベルリンブックス」で買った本の1冊(2001年発行)、生活の楽しみ方についての、写真を主にイラストと文章があるおしゃれな本である。最近は本屋に行っても、こういう本の棚の前に行かないので、ナウい(あはは、古い表現!)古書店のデザイン関係のところで見つけたときは新鮮だった。大橋さんのイラストはずーっと昔の「平凡パンチ」の表紙のときから好きだった。雑誌「クロワッサン」もけっこう長く読んでいて、大橋さんデザインの小物を売っている「クロワッサンの店」が阪急百貨店の6階にあったときはしばしば行っていた。いまもなんやかやと台所などに残っている。
この本には、食べ物(ふだんの食事、お弁当、もてなしの食事など)、インテリア、ペットとの暮らしなどについてご自分の生活を語っている。考え方はわたしも同じなのだけれど、収入の差でかなり違うのは仕方ないか。ただビタクラフトの鍋を使っているところは同じであると声を大にして言っとこう(笑)。
最後にこの本のスタイリスト高橋みどりさんとの対談がついているが、気に入った言葉があった。「生活を楽しみたいけど、お金がないからダメというのはウソだと思う。そう言う人は、お金があってもダメよね」。気には言ったけど、お金があってこそ言いたくなる言葉ではある。なーんて言ってても、こういう本を眺めているのが好き。(マガジンハウス 1300円+税)

2004.5.7


焙った茄子の味噌汁―池波正太郎「剣客商売」11冊目

10冊目を飛び越して11冊目です。10、11、12と連休中に読みまして、10冊目について書くつもりだったのですが、今夜のみそ汁がおいしかったので11冊目を先行です。
「初孫命名」の最後のほう、事件を解決したあとに旧友松崎助右衛門が訪ねてくる。語り合ううちに時が経ち、おはるが昼餉(ひるげ)の支度をした。〈手長海老の付焼に粉山椒を振りかけたものと、小胡瓜の糠漬け。それに茄子を丸ごと焙ったのを二つ切りにして濃目の味噌汁へ入れたものだけのもてなし〉であるが、これがうまいと客は目を細めて箸を運ぶ。
わたしが今夜つくったのは、海老ではありません。茄子を焙って味噌汁に入れるほう。わたしは茄子の味噌汁が好きで、小さめに切った茄子と素麺を入れる。精進料理みたいだと言われるけどおいしい。ところが昨日ここを読んでこれはうまそうと思った。茄子を焙ってさっと皮とヘタをとってタテに二つに切る。濃い目に出汁をとって味噌も濃い目にして、そこへ茄子を入れてさっと煮立てる。これはうまかった。今年の茄子の味噌汁はこれに決まり。茄子を焙る面倒もうまいので帳消し。
この「初孫命名」で、小兵衛は大治郎と三冬の間に生まれた子どもの名前を、両親が“小太郎”にするのがいやで、意見を聞こうと旧友を訪ねる途中で事件に出くわす。しみじみ人の一生について考えさせられる。
もうひとつ「その日の三冬」もよかった。三冬に憧れている身分が低くて醜男の岩田勘助が、ある日稽古の帰り、上野の茶店で、三冬の掌に顔を押し付けた。やがて飛びはなれた岩田は「一期のおもい出にござります」とうめくように言って立ち去る。その夜岩田は自分もつとめている旗本の家来を殺して出奔してしまう。その岩田が次ぎに三冬の前に洗われたとき、その日の三冬はすごい。
今日の献立:日本酒(呉春本醸造)、鰹のたたき、茹でたレタスの辛子マヨネーズ和え、ごはん、味噌汁(焙った茄子)、おから(海老入り)、きゃら蕗、キムチ、黒ごま、焙じ番茶。(新潮文庫 514円+税)

2004.5.6


イアン・ランキン「貧者の晩餐会」

いまわたしが一番好きなハードボイルドミステリーの主人公は、イアン・ランキン描くスコットランドの首都エジンバラで活躍するリーバス警部である。仕事にのめりこみすぎて上司とうまくいかないし、妻には去られるし、というのが多い警察小説の主人公の中でも、特別にひどい一人ではないかしら。でも、ハリー・ボッシュ刑事より乾いていて好き。ロックをよく聴き、ローリング・ストーンズが好きなところにも共感している。最初読んだときはびっくりしたけど、ストーンズに熱狂した世代も50代になってるんだ。自分のことを忘れて考えたらあかんね。
この本には、リーバス警部が出てくる作品が7編、その他が14編収められている。リーバス警部が出てくるとうれしいけど、短編だから物足りなくて欲求不満になってしまった。早く次の長編が読みたい。かえってリーバスものでないほうの、ノワールという感じの作品に、ランキンの魅力や短編作家としての能力があるように思った。昨日このページに書いたローリング・ストーンズを主題にした作品「グリマー」は当時の雰囲気がよく出ていてよかったし、「会計の原則」の結末の「帳尻がきっちり合うこと」という会話がうまい。
今年のエドガー賞は日本人の桐野夏生さんが候補作に選ばれたことで、日本でも早くから話題になっていたが、イアン・ランキンの「甦る男」が受賞した。これでもっと読者が増えたらいいのにね。(ハヤカワ・ミステリ 1600円+税)

2004.5.5


イアン・ランキンとローリング・ストーンズの「貧者の晩餐会」

イアン・ランキンの短編集「貧者の晩餐会」の帯に「リーバス警部が走り、ストーンズが叫ぶ」とあったので、どういうことかと思ったら「貧者の晩餐会」と」いうタイトルはストーンズの「 Beggars Banquet 」からなんですね。わたしはあまりストーンズにくわしくないので、相棒に教えてもらった。「これやったらうちにあるで」とCDを出してくれ、「LPレコードはジャケットは白地に筆記体(パレススクリプト)の文字が書いてあるだけやったんや。CDを出すときは、時代も変わって最初の写真を使おうということになったんやな」と言う。なるほど、CDの表側は便所の壁のリアルな写真のジャケットで、裏側には昔と同じ白地に文字のものが使われている。
それからにわか勉強で「 Beggars Banquet 」を何度も繰り返して聴いた。もともと、どれということなく聴いているから馴染みのアルバムである。でもイアン・ランキンが作品集のタイトルに使い、そこにローリング・ストーンズに捧げる作品「グリマー」が納められているのだから、リーバスファンとしてはおろそかにしたらいけない。
「グリマー」には「 Beggars Banquet 」を出すときの状況が語られている。ローリング・ストーンズにとってもミック・ジャガーにとってもたいへんなときだったらしい。ブライアンはA・A・ミルンがかつて住んでいた家に引っ越したばかり。その家でブライアンは死んだ。そしてその1969年にオルタモントでコンサートが行われて、ヘルス・エンジェルスが暴走した。イアン・ランキンの熱い息づかいが聴こえる。

2004.5.4


休日の堀江のんびり散歩

世の中はゴールデンウィークだそうだが、帰る故郷もなし遊びにいくお金も元気もなしで、相も変わらず住まいにこもってiMacの花子ちゃんと遊んでいる。
散歩くらいは行くかと、相方と一昨日も堀江方面を歩いて雑貨店を見てまわったのだが、今日もまた堀江へ行くことにした。まずチャルカに行って野菜スープとパンのランチを食べた。若い人でいっぱいの店内、花束の注文もたくさんあるようで忙しそうだ。雑貨のコーナーも賑わっている。ハトロン紙のレターセットがおもしろいので買った。その他マレーク・ベロニカの絵はがきなど。
そのあと古ーい路地を入った奥にある画廊「MOGURI ROOM」に行った。絵はもひとつだったけど、女主人にわたしの持っていたアシビのカゴを可愛いとほめられてうれし。画廊は路地を入って右側にあり、雑貨店「いろはいちば」は左側にある。店に入るなり店主が「よいときにきてくれはった、6月6日で閉店するんです」と言う。いよいよこの古い建物が取り壊されるらしい。そしたら、昔からある路地(ろおじと発音する)もなくなってしまう。古い大阪がなくなっていくのは、もう仕方ないことだけど残念だ。店主製作のこまごまとした駄菓子風雑貨を買った。中でも楽しい買い物はフロッピーケースを写真立てみたいにしたもので、ネコのお嬢さんのイラストがあり、その周りをビーズで飾ってあるオブジェで、500円だった。
ナニワ筋を西へ渡って、趣味の良い食器がある雑貨店「neat」で友人の誕生祝いの品物を買った。いつもわたしの誕生日に楽しい贈り物をくださる人なので、こちらもアタマを使う。今日は気に入ったものがあってよかった。
帰ってからオブジェをiMacの花子ちゃんの横に置いて、猫の花子の写真やお気に入りの猫の小物も並べた。すっきりした白いデスクの上が急に賑やかになった。
※「いろはいちば」が6月6日で閉店します。楽しいお店ですからぜひ行ってみてください。閉店までにお芝居やイベントを計画されているので、日によって入れないことがあるかもしれません。行かれるときはネットで調べてからお出かけください。http://www.lily.sannet.ne.jp/iroha-ichiba/

2004.5.3


山本やよいさん訳 キャシー・ライクス「骨と歌う女」

女性法人類学者テンペランス(テンペ)・ブレナンが主人公のミステリー第3作である。作者のキャシー・ライクスはテンペと同じ女性の法人類学者だから、丹念に死体の骨を調べるところなど、信頼して好奇心を満足させてもらえる。ちょっと書名がヘンだけど、女性探偵ものらしく真面目すぎるほど真面目な作品だ。
テンペはアメリカ南部のノース・カロライナ大学で教えながら、頼まれてカナダのモントリオールで法医学研究所の仕事もこなす忙しい人である。ブレナンという姓はアイルランド系だとあって、西部劇によく出ていたアイルランド出身の俳優はウォルター・ブレナンだったなんて思い出した。
今回のテーマは「ヘルス・エンジェルス」からの流れにある暴走族による暴力である。1969年オルタモントにおけるローリング・ストーンズのコンサートで名前をはせたヘルス・エンジェルスについては知っていたけど、その流れの暴走族が現在の北米でどんなことをしているかは知らなかった。いまは大組織を維持するために厳しい条例を作って、会員を統制しているという。男性優位の世界で、女性はヒエラルキーの底辺に位置している。女性は買われ、売られ、ハードウェアのように交換され、ひたすら利用され、虐待されているという。
物語はエミリー・アンヌという美しい9歳の少女の額に弾丸が2発めりこんでいた、という書き出しで始まる。その前にアメリカにいたテンペはケペックからの緊急呼び出しを受けて、爆弾で吹き飛ばされた暴走族2人の遺体鑑定作業に取りかかっているところだった。テンペは司法管区の枠を超えて結成された〈クズリ作戦班〉のメンバーとなり、仕事することになる。テンペの仕事場はモルグと解剖室である。猫と暮らす住まいに19歳の甥キットを預かることになるが、オートバイ好きのキットも事件に巻き込まれてしまう。
事件とかかわるところはハードボイルドだけど、甥との関係となるとちょっとウェットになるし、恋人のこととなると乙女のようになるところが少しかなわんけど、暴走族というのは21世紀のマフィアであることをしっかりと勉強させてもらった。(講談社文庫 1048円)

2004.5.2


おはるのように―「剣客商売」9冊目

和歌山の友人に蕗がおいしかったと伝えたら、柔らかいうちにもう一度と、またたくさんの蕗と野蒜をぎっしりと箱に詰めて送ってくれた。それはそれはたくさんあったので、昨日はその始末に大わらわであった。大鍋で蕗の葉をちりめんじゃこと佃煮ふうに炊いたのを、美容院の2人にもお裾分けして、保存しておく分を冷蔵庫にしまい込んだ。今日は茎を茹でて、鰹節の出汁であっさりと炊いたのを食べた。残りは長時間しっかりと醤油で炊いてキャラブキにした。これもご飯がもう一杯余分に食べられるうまさになった。
台所に長時間立って、土のついた野菜をいじりつつ「まるで今日はおはるやわ」とつぶやいた。「剣客商売」のおはるは台所にいることが多い。いつもこうして土のついた野菜の始末をし、生きている泥鰌や鯉を料理し、絞めた鶏をさばいて煮炊きし、食卓に乗せる。我が家が頼んでいるポランの宅配の野菜は昔は土がついたものが多かったが、最近はよく洗ってある。便利だけど少し淋しい。たまに土がついたものに触るとうれしくなる。
さて、「剣客商売」も9冊目まできた。「小さな茄子二つ」は新宿の小さな道場で、近辺の農家の若者たちに剣道を教えている孫六が主役である。元の師である秋山小兵衛に、月に一度は江戸に出て、大治郎のところへ泊まって指導を受けるように言われているのに、さぼってしまう。事件に巻き込まれて、小兵衛に救われるのだが、最後にこう言われる。「・・・その年齢(とし)をして、まだまだ剣術にしがみついていたいのなら、それ相応に一歩ずつでも先へすすまなくては、生きる甲斐もないではないか。な、そうだろう。ちがうか…?」なんかわたし自身に言われているようで身がひきしまる。
40歳年の離れた夫婦の小兵衛とおはるのごく自然なやりとりが、このシリーズを読む楽しみを格別なものにしている。年の差は「シャーロック・ホームズの愛弟子」のホームズとメアリ・ラッセルと同じくらいかな。ホームズ/ラッセル組は3人の子どもに恵まれるが、小兵衛/おはる組は子どもはいない。
本日の献立:日本酒(呉春本醸造)、のびるの酢みそ、蕗の炊いたん、厚揚げとさつま揚げを焼いたのに土生姜と木の芽つき、ごはん、みそ汁(まいたけ)、塩鮭、蕗の葉の佃煮、胡瓜の浅漬け、焙じ番茶、羊羹(夜の梅)。

2004.5.1

写真:わたしのiMacの名前は花子、写真ははめこみ合成です。

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