KUMIKO PAGES/TOP PAGE
KUMIKO/BACKNUMBER

kumikoのほとんど毎日ページ
2004年4月


いまのお気に入り、小島麻由美と浜田真理子

iMac を買っていちばん喜んでいるのが iTunes で、音楽を聴きながら仕事をしたりメールを書いたりできることだ。CDをかけるよりずっと簡単だし、ラジオで聴きたくないのに聞こえてくる曲もない。一昨年の暮れに買った iMac に相棒が家にあるCDをかなり入れているので、わたしはラクチンである。さぁ、なにを聴こうか、クラシックかジャズかと迷うところだが、実は小島麻由美と浜田真理子の2人の2枚ずつのCDを繰り返し聴いている。
小島麻由美は都会的なモダンな音楽。特に「愛のボルダーガイスト」に入っている「ロックステディ ガール」がお気に入り。気のはしっている少女という感じがたまらない。最初にラジオで聴いたときに名前を覚えておいたところ、アメリカ村の本屋ヴィレッジヴァンガードでCDを見かけたので買った。「さよならセシル」とともに大切なアルバムである。小島麻由美を想うと“はしけやし”という言葉が浮かんでくる。一度テレビで見たけど、とてもキュートな人であった。いま「セシルカットブルース」を聴いているけど、なるほどフランソワーズ・サガンの世界だわ。
浜田真理子は島根県松江市で日常生活を送りながら、東京に事務所を持ち、各地でライブを行っている人だそうだ。最初に相棒が堀江の貸本喫茶ちょうちょぼっこでバックに流れている、ピアノの弾き語りを聴いて、お店の人に聞いたら心斎橋のベルリンブックスで売っているとのこと。さっそく行って、最初は「MARIKO」を買ったのだが、女の情念が浮かび上がる歌い方がすごい。おととい買ったもう1枚の「Love song」に入っている「アカシアの雨がやむとき」は独特の歌い回しで、わたしとしては、いまは亡き阿部薫が天王寺のジャズ喫茶マントヒヒでソプラノサックスで聴かせた演奏と双璧だと思う。

2004.4.30


古書店 ベルリンブックス

お昼前に四ツ橋の銀行に行ったらよく混んでいた。これじゃ午後から来たらかなり待たされるところだった。早めに出ていってよかった。世間は月末月初めが連休なのでややこしい。
今日はとりあえずはこの用事がすめばよいので、心斎橋まで出て先日から行ってみようと思っていたベルリンブックスへ寄ろうと思いついた。
ベルリンブックスは長堀通りの少し北側、心斎橋筋の少し東側、東急ハンズに近いところにある農林会館というビルの2階にある。1階は何十年というくらいにスーパーサカエが入っていたのだが、つい最近閉店してしまった。地下はフレンチとイタリアンのレストランがあるし、同じ階にはヘアサロン、雑貨店、ブティック、デザイン事務所など、おしゃれなテナントが入っている。そのいちばん奥にBerlin Booksとしゃれた文字で書いたガラスのドアがある。
壁にそった本棚にぎっしりと本が並んでいる。そしてCDがある。カップルのように見えるお店の2人が古本の整理をしていて、うるさくてすみませんと言ったけれど、なんのなんの、本の背表紙を見てさえいたらわたしはゴクラクである。見かけた本はウィリアム・バロウズ、ボリス・ヴィアン、スティーブ・エリクソン、ドナルド・バーセルミ、荒木経惟、稲垣足穂、植草甚一、岡崎京子、片山建、金子國義、鈴木いづみ、寺山修司、町田康、矢川澄子など。主張のある古書店なのである。
いま我が家は浜田真理子さんという歌手がお気に入りで、ここに行けばCDを売っていると聞き、相方が半月くらい前に買いにきた。それがよかったので、もう1枚「アカシアの雨がやむとき」が入っているのを買うつもりでいた。それで聞いてみたら、すぐに出してくれて、ちゃんとこの前にきた相方を覚えていた。おかしな老夫婦とあとで噂されているかも。
片山健とわかやまけんの絵本と「大橋歩の生活術」とCDを買って幸せいっぱい、元気いっぱい。

2004.4.28


かわはぎの煮付け

「鬼平犯科帳」を読む楽しみのひとつに食べることがある。それで本編を探す手間が省ける便利な「鬼平料理帳」を台所において、季節が変わると開いて参考にしている。四季にわけて各12種ほどの料理が載っている。春の部に「鮎並(あいなめ)の煮付け」があってうまそう。食べたいと思うのだけれど、最近はあまり見かけない。春よりも初夏の魚だと思うのだけど、どうかな。もっとも見かけても高いから買えないのでどうでもいいけど。
今日はカワハギが安かった。大きいのが2匹で300円。鍋物に飽きて買う人がいないのではないかしら。今日は寒いくらいだから鍋にしてもよかったが、なんとなく春なのにと思って、煮付けることにした。捌くのと煮るのは相棒の仕事である。肝が大きい上に子持ちやでと張り切って料理してくれた。魚は姿のまま、大きなビタクラフトの鍋で白ネギと薄めに煮付けて皿に盛り、残った汁に醤油を足してちょっと煮詰めて魚の上からかける。手際のよい仕事である。うまかったです。
今夜の献立は、日本酒(呉春)を冷やして、カワハギの煮付け白ネギ添え、山芋短冊、ごはん、みそ汁(たまねぎ)、蕗の佃煮、黒ごま、酢かけ梅干し、焙じ番茶。(佐藤隆介編 鬼平料理帳 文春文庫 400円)

2004.4.27


大岡昇平『ルイズ・ブルックスと「ルル」』

毎日パソコンを前にしていると、そしてパソコンという道具でメールとなって運ばれてくる、人間関係の糸にからまれていると、本を読みたいという欲求がふつふつとわき上がってくる。今夜は読みかけのミステリーや秋山小兵衛でなく、こころが安らぐ本を眺めていたい。となると絵本だけれど、今夜は写真と大岡昇平による丁寧な解説のついた『ルイズ・ブルックスと「ルル」』を出してきた。大きな四角のおしゃれな本で1984年に出版されたもの。
この本が出たときはうれしかった。ルイズ・ブルックスはそのころのわたしの女神みたいなもので、また好きな人もいたらしく、ちょっとしたおしゃれな雑貨店には彼女の絵はがきを売っていた。はがきホルダーにはいまも数枚のモノクロ写真の絵はがきが入っている。おかっぱあたまの神秘の美女である。「ルル」という映画を見た気持ちになっているが、実際見たのかどうかを覚えていない。この本や絵はがきや雑誌を見すぎて、見た気分になっているのかもしれない。
今夜も文字は読まずにひたすらめくっては写真を見ている。こんなに美しい人がいたんですね。性悪な女、宿命の女、わがあこがれの女性。眠る前のひとときの快楽である。(中央公論社 2800円)

2004.4.26


長州力はいまもかっこいい

昨日の朝一番に阪神大震災ボランティアでいっしょだったMくんからメールが来た。3時半からテレビに長州力が出るから見ろというもの。
なにから話が出たのか、お互いにプロレスファン、しかも長州ファンということで、ボランティア活動後の居酒屋で盛り上がっていた。そのときはもうわたしにとってプロレスは過去だったんだけど、彼はずっと現役で応援していて、いろいろと情報を知らせてくれていた。長州が引退したその日の夜に、三宮の「ごんた」でいっしょに飲んだと言われて、そうそう、気炎をあげていたっけと思い出した。
わたしがプロレスを見にいっていたのは、もう20年も前のことだが、金太郎さんのような長州力に惹かれていた。アントニオ猪木と藤波のコンビに対する、長州のファイトがかっこよかった。昔の大阪府立体育館はずいぶんと汚くて、アリーナ席が高かったから、その次のコンクリートの階段みたいなところに座って見ていた。それでも6,000円くらいしたように覚えている。仕事が終わってからタクシーに飛び乗って、体育館に急いで行ってもらった。運転手に「体育館でなにがありますねん」と聞かれて、「プロレス」と答えたら、「夫婦でプロレスだっか、よろしいなぁ」と言われたのを以前このページに書いたことがある。
さて、テレビになつかしき長州力が昔と同じ黒のトランクス姿で出てきた。全盛期よりも肉体の衰えは隠せないが、昔はむき出しにしていた闘志が静かに内にこもっている。
試合はとてもスピーディでおもしろかった。昔藤波に使った技をうまく決める。技の名前をみんな忘れてしまっているのが残念。ロープに相手を固定して自分はロープの一番上に上り、いっしょに落下する技を2回連続でやった。長州の本領発揮だ。
相手の橋本真也がこの日の主役だから、最後は主役が勝つのが決まりだろうが、そこへいくまでの長州のすごい内容のある闘いぶりに心を揺すぶられた。
今週28日に長州力が大阪府立体育会館にやってくると、これもMくんからの情報である。わたしは行けないけれど、ナマの長州を見たい人はぜひどうぞ。

2004.4.25


池波正太郎「剣客商売」8冊目

今週のNHKドラマ「お宿かわせみ」では、深夜の狐の行列が江戸の住民を驚かしていた。人間の姿をした狐が10人くらい、中心にある駕篭を守って行列している。行列が止まると、その駕篭が空中にそろそろと上っていく。その周辺には火の玉がゆらめいている。昔の夜は真っ暗だったから、見た人はとても怖かったろう。
池波正太郎の作品の中で狐が出てくるのは、まず「鬼平犯科帳」の「狐雨」。鬼平さんの部下の青木助五郎に狐がついた話である。狐がついた助五郎は鬼平さんの家の座敷で出された料理を手づかみで食べ、「油揚げは、まだか、まだか、まだか、まだか?」と催促する。「油揚げをどうして召し上がります?」「生でよい。生で、生で、生で」。何回読んでもおもしろい。「鬼平犯科帳」の中でも好きな1編である。
前置きが長くなったが、「剣客商売」8冊目にも「狐雨」という1編がある。これもわたしは好きだ。主人公の杉本又太郎に狐がつく話である。恋人の小枝が昔、狐の命を助けたことがあった。その狐はもう死んで、いまは伏見稲荷にいるのだが、小枝へのお礼のために又太郎の危機を助けようとやってきて、又太郎の体にとりつく。そして三年間は助けるから、三年間のうちに剣道をしっかりやって強くなれという。死にものぐるいで又太郎は大治郎の道場で修行することになる。
その狐の話し方がおもしろい。「このたび、小枝さまとあなたさまが苦しめられていると聞きおよび、上方からやってまいりました。アノ、お手助けをいたしたく存じます。私がアノ、あなたさまの体内へ乗り移れば、あなたさまは天下に敵うものなき剣の達人となられまする」。とても色気のある狐なのである。(新潮文庫 514円+税)

2004.4.24


土の香りの贈り物

お昼前に和歌山の友人から宅急便がとどいた。箱を開けると野蕗、野蒜、蓬、三つ葉、シトラスゼラニウム、ミント、アロエの香りが入り交じってすごい。ミントはガラス瓶に、ゼラニウムとアロエはベランダの桶に、ヨモギは草餅をつくる根性がないから今夜のお風呂に入れることにした。
三つ葉は今夜のみそ汁に入れよう。ノビルはさっと茹でて酢みそをつけて食べよう。そしてフキは葉っぱと茎に分けて、まず葉っぱをたっぷりのお湯で茹でた。そのあと水に入れて少し置いておく。それから茎を茹でて濃い出汁で時間をかけて炊いた。葉っぱはチリメンジャコとちょっと炒めてから出汁でゆっくりと炊いた。
一昨日からはじまっているけど、今日もまだiMacのお祭り気分なので、日本酒を飲むことにした。今日は池田の酒「呉春」である。アジを焼いたのと、ノビル、フキがおいしかった。ノビルを食べるのは久しぶりである。わたしはフキの本体よりも葉っぱのほうがずっと好き。残りは冷蔵庫に入れてあるから数日は楽しめる。
明日の朝はミントとキュウリの薄切りを浮かべたミルクとヨーグルトの飲み物をつくろう。
ひろこちゃん、ありがとね。

2004.4.23


マックとともに17年

昨夜は3時頃までなんやかややっていたので、今朝起きたら肩ががちがちに凝っていた。
日本語入力をいままで「ATOK」でやっていたのを、「ことえり」にしたので慣れるまで少しかかりそう。キーボードも少し違うしね。昨日今日の感じだが、OSXの「ことえり」は使いやすいと思う。
こうして新しいマックを使いだすと昔を思い出してしまう。1987年にはじめてマックを買った。そのときはメモリ1MBで、2MBにするのに100,000円かかった。ハードデスクは40MBで150,000円した。それがいまや、メモリは1000倍の1GB、ハードデスクは2000倍の80GBである。
うちがマックプラスの次にSE/30を買ったときのことをいまだに覚えている。いまをときめくウェブ界のトップクリエーター福井信蔵さんは、当時得意先のデザイナーだった。若き日の彼はその事務所に自分のマシンを持ちこんでいて、うちの事務所にもマックがらみの用件で来たことがある。
その福井さんに「SE/30を買いましたよ」と言ったら、「ハードデスクは何メガ?」と聞いて、大自慢で「100メガです」と答えたら「おう、がんばったやんか」と言い、「そのうちギガの世界になるよ」と続けた。そのときはまさかーって感じで笑っていたが、夢のような話が20年経たないうちに現実になった。
その間に相棒と2人でマックを9台、ウィンドウズ機を1台、合計10台のパソコンを買っている。それにずっと周辺機器とソフトを買い続けてきた。いまの現役はマック3台、ウィンドウズ機1台だ。

わたしの人生って前半は現場に行ったり現物に触れることだったけれど、後半はパソコンの前で生きていることになる。

2004.4.22


iMacがやってきた

4年前のことだけど、なにを思ったかiMacを買うという兄と、いっしょに日本橋のソフマップへ行った。そのときはすべてまかされたので、本や雑誌で下調べして行き、プリンタと基本のソフトも併せて買った。そのとき、わたしもiMacが欲しかったんだー。あのカラー5色だったか、きれいだったわ。わたしはイチゴ色と決めていたんだけど・・・その後ヒョウ柄や花模様もあったよね。そのどれも買えなかった。

一昨年の秋にそれらを飛び越して新型のiMacを買ったけど、それは相方の専用機で、わたしはたまにDVDを見せてもらったり、CDを聴かせてもらっていたくらいだった。パソコンって自分のものにしたいよね。

ついにお金の都合がついてわたし専用のが買えるときがきた。この前の日曜日、田辺寄席の帰りにソフマップに寄って注文したのだけれど、そのとき在庫がなくて、他の店舗も調べてもらったがなかった。そしたらもうどうしても欲しくなってアップルストアにネット注文した。日曜日の深夜に注文したのが、もう今日の午前中に着いて、もう使っている。実は昨夜発送したとメールがあったので待っていたのだが、チャイムがなったので「ハイハイ」と出たら1年に一度くらいしか会わない兄であった。スペイン旅行のお土産を持ってきてくれたのが、オリーブオイルとゲルニカのマウスパッド。その兄がいるうちにiMacがとどいたのがおかしい。4年前にさんざん人をうらやましがらせたんだもの。

今日は疲れたので続きは明日書きます。とにかく快適、ここにあるのが夢のよう。

2004.4.21


勝ち負けを超越する

先日新聞の雑誌広告を見ていたら「FRaU(フラウ)」という女性誌が目についた。「今、勝ち負けを超越する美人の条件とは?」というもので、ニコール・キッドマンをトップにいろいろとハリウッドやヨーロッパの人気女優の名前があがっている。最近は映画雑誌も買わないから、映画の記事も読みたいし、さっそく買いに行った。わたしの生活には関係ないけど、たまにファッションやメイクの記事を読むのも楽しい。
もちろん、「勝ち負けを超越する」という記事に一番の関心がある。最近「勝ち組」「負け組」という言葉は、世間の流行に疎いわたしの目や耳にもよく入ってくる。「負け組」の人たちの遠吠えのような言葉も、知り合いやネットから耳に入る。そんなに気にせんでも、と思うのは「負け組」にも入らないわたしの余裕であろう(笑)。だから勝ち負けに全然こだわらずに正々堂々生きていけるということを、「FRaU」の記事を読んで気がついた。
ということは、勝ち負けを超越した美女ニコール・キッドマンと通じるところがある! ということに気がついたってわけ。ルンルンしちゃうわね。

2004.4.20


もう一度田辺寄席

昨日は眠い目をこすりながら落語の一席一席を思い出して書きました。書こうと思っているから、聴くのも身が入っております。とは言え、いっしょけんめい思い出そうとしてもオチを忘れていることが多いんです。なんでやろ。それに恥ずかしながら、オチの意味がわからないときもあるんです。「百年目」は「ここで会ったが百年目」からの言葉なのでわかりやすかったです。
ええっと、田辺寄席は開口0番が終わると本席で、四人の演者が五つの噺をします。「たっぷりじっくり」ということで、一人だけ二席ということになっています。昨日は桂米左さんが二席やりました。
三席目が終わると仲入りで、ロビーでお茶とお菓子が振る舞われます。わたしはこれが大好きです(笑)。会場の裏側は木の植わった庭があって、その向こうは桃ヶ池です。湯飲みとお菓子を手にして池の端に出ると、池の中に白い動くものが見えました。「なんやろ」と言ったら、横の人が「あれは鯉」と答えてくれました。大きな鯉でしたよ。片方では男女二人が、誰それのなんやらはと、落語のうんちくを傾けあっています。落語オタクですかね。
噺が全部終わると、クイズの抽選があります。入ったときに渡された紙と鉛筆は、今日の落語の感想だけでなく、クイズの答えを書くためでもあります。私はさっぱりわからないので、あてずっぽで書くから当たったことがありません。それと文太さんは「イロハ順」で三・四題を出して、なにをやるか当てさせます。昨日は「た」で「代脈」でした。これにも賞品が出ます。
生のお囃子もいいものです。出囃子というらしいんですが、人によってでしょうか、噺によってでしょうか、違うのをやります。これも勉強しなくっちゃ。
田辺寄席はいつもびっしりとお客が入るので、落語家さんたちはうれしいと思います。田辺寄席に出してもらってうれしいとマクラで述べる人が多いです。昨日は先日亡くなられた桂喜丸さんについての追想を、「開口0番」の終わりに三人が出てきて述べられました。桂喜丸さんは去年3月の田辺寄席に出ていて、写真が「田辺寄席サイト」(リンクページからいけます)の「寄席の写真」にあります。

2004.4.19


第362回田辺寄席(2004年4月18日)

今年になってはじめて行った田辺寄席。12時40分に着いて席をとり、本を読んでいるうちに、どんどん人が入って満席になり、1時20分に浴衣姿の桂文太さんの開口0番「いい加減」がはじまった。
林家市楼「青空散髪」は天王寺公園の散髪屋に行く話。今年撤去させられた青空カラオケを思い出したが、この噺は中川桂さんの解説によると、先代染語楼作で市楼さんまで三代続くお家芸だそうである。
桂米左「持参金」は借金をめぐって話がめぐる。借金返済のためにお腹が大きい女性を持参金目当てに嫁にすることにした男。下女に手をつけてしまいお金をつけて縁を切ろうとする男。
笑福亭遊喬「禁酒関所」はサムライがいたころの噺。酒が入ってのケンカで二人の家来を亡くした殿様が酒禁止令を出す。その裏で酒を飲みたいサムライは、関所をうまく通って酒を運ぶように命令する。酒をお菓子(水カステラ)に見せたり油に見せたりたんへん。
桂文太「代脈」は住み込みの医者の卵が先生の代診に行かされる。先生に言われたとおりに振る舞おうとする若い医者のアホさ加減がおもしろい。文太さんのブルーグレイの着物に紺の帯がよくあってステキだった。
桂米左「百年目」は先日の朝日新聞に大きく出ていたが、桂米朝に入門して20年記念の独演会で演じた大ネタ。米朝も「一番難しい落語」と言っているそうだ。春の落語である。マジメ一方で知られる番頭さんが、店を抜け出して花見で騒いでいるところを、旦那さんが知り合いと語りながら通りかかる。番頭さんは旦那さんと気がつかず、ちょっかいを出してしまった後で気がつく。これで終わりだと観念した番頭さんに、翌日、旦那さんが、お前が店にきたのは十二のときやったなと語りかける。花見の宴の華やかさ、一転ナイショの遊びがばれた間の悪さ、そして主従の愛が通い合うところもよく、よい噺だった。

2004.4.18


野田藤と藤

桜が散ってうるわしき緑の季節となった。公園にはいろんな花が咲いている。散歩していてよそのおうちの前の花を見せてもらうのも楽しい。
下福島公園では伝統の野田藤が咲き出した。花の房が短いので豪華さはないが、色がきれいで房の数が多いところがよい。これだけたくさんの藤棚が見られるなんてうれしいことである。ただ鳥が花芽を食べるのを防ぐために全部に網をかぶせてあるのが残念だ。聞くところによると、一時は鳥のために全滅になるところだったというから仕方ないね。
プールで、ここの公園は地味だという人がいたので、「あら、野田藤がたくさんあるのにー」と言ったら、「奈良や京都の藤の花は長うて立派やけど、ここの藤は短くて貧弱やん、よその藤の半分もあれへんで」と言う。「あれは藤の花で、ここは野田藤の花やから、これでええんとちゃう?あたしは好きやけどー」と返事した。そしたら「そうか、そうか、藤と野田藤はちゃうねんな。そやけど、太閤秀吉さんも遊びにきはったって、こんな地味な花で遊べたんかいな、信じられへんわ」だって(笑)。

2004.4.17


猫の運命

久しぶりで近所の商店の女主人と出会った。ここへ住んでからずっとその店で買い物しているから長いなじみなのだが、最近とんと買い物してないのでちょっと気がひける。「ネコちゃん元気?」と言われて、あれっ、そんなに長いこと会ってなかったのかと思ったが、何回か会っている。実は彼女のほうの一方的な話しか聞いていなかったのだ。それは息子が雨の日にどこかの公園で捨て猫を拾ってきたので、医者に連れて行き、お金も手間もかけて元気にしたという話だった。何回か会ったのだが、その度にいかにその猫が可愛いかをまくしたてられて、わたしは合いの手を入れていただけだった。猫自慢は可愛いからいいけど。
それで、うちの猫はもう4年前に死んだと言ったら、「猫がいないのにどうして生きていられるの?」ときた。うーん、そうやねぇ、花子がいないのにどうして生きていられるのだろう、花子の思い出で生きていられるのかなぁ、なんて考えた。でも、そんなことは生きている猫がいる人に言ってもわからないと思って、言わなかったけど…。
彼女はつい先だって、また子猫を、今度は産まれて間もなくの子を拾ったと言う。これもたいそうな手間をかけて大きくした。そして、猫の運命ってちょっとのことで変わるんやなぁとしみじみと言うのだった。

2004.4.16


椿油で美人になる

いつも野菜や健康食品を頼んでいる「ポランの宅配」のカタログに、久しぶりに椿油があったので頼んだ。顔はお日様に晒しっぱなしだし、髪は水をつけてブラシをかけているだけなので、いつもぼさぼさ。椿油でパックしたら、少しどうにかなるかしらと思った(笑)。
わたしは化粧とかメイクとか生まれてからしたことがなくて、つけているのはヘチマコロンだけである。シャンプーやリンスも使わないで、石鹸で顔も体も頭も洗っている。リンスは気が向いたら千鳥酢を使っている。眉毛だけは美容院でカットしてもらっているけど。
椿油(伊豆利島産の100%椿油)がきたので、さっそく顔のパックをした。お風呂にはいるとき、顔を洗ってから椿油を顔全体に伸ばして20分くらい湯につかってから洗い流す。お風呂からあがるとつやつやして気持ちよい。髪を洗ってから数滴たらしてリンスしたら髪もしっとりと気持ちよくなった。今度はヘアパックもしてみよう。

2004.4.15


うるわしきつながり─大中洋子個展

大中洋子さん(ネットではYOKOさん)の個展「居場所」が、12日から17日まで東京南青山の画廊 SPACE YUI で開かれている。
わたしは1年ほど前にYOKOさんからメールをいただいて知り合い、まだお会いしたことはないが、お互いのホームページを通じて親しくさせてもらっている。
YOKOさんは絵本作家のビネット・シュレーダーを検索していたら、わたしがこのページに書いた文章に行き当たったという。メールをいただいてからYOKOさんのサイトに行って絵を見たら、まったくわたし好みの絵だったのでうれしかった。注文をつければ、もう少し少女の表情が無垢な感じだったらいいな…。
今回は個展のための絵を何枚か描いているころから、だんだん個展の日が迫ってきての制作、額縁づくり、絵の搬入など、わたしなど考えつかない制作者側の仕事があることがわかったのも収穫であった。街を歩いていてふと立ち寄る個展だって、このように作家のたいへんな努力があるのだ。
そして、今日のことだけど、昔ちょっと知っていた人と縁のある方からのメールがあった。これもネットがらみの話になるが、わたしがこのページに、あるミュージシャンのことを書いた。その名前を検索してわたしのページを知ったそうである。その方がこのページをずっと読んでいてくださって、YOKOさんの絵も知り、今日個展に行ってくださったそうである。お二人でわたしのうわさ話なぞもしてくださったそうで、なんという“えにし”であろうかと、なんかもうとってもうれしいです。

2004.4.14


割干し大根とさば

近所のスーパーは超安売りの店と、ちょっと高級品が置いてある店があって便利である。高級品があるほうは、京野菜の売り場があるし、高いけど京漬け物もある。先日京都の割干し大根というのを買ったのを炊いてみた。料理のしかたを書いたメモが入っていたが、戻し方(熱湯に10分つけておく)だけそのとおりにしてあとは自己流で炊いた。
シイタケをもどしてその汁と出し汁を合わせて火にかけ、後はそのシイタケとニンジン、揚げ、薩摩揚げがあったので入れた。いつも炊く切り干し大根と比べると、切り干し大根のほうが好きかな。
主菜を出来合いにたよると、あとをなんか手製でカバーしなきゃと思うので、結局なにをしているかわからへん状態になる。今日はその上に買い出しにいった相方が、今晩の出来合いの天ぷらの他に、サバが安かったと言って1匹買ってきた。明日の晩ご飯のために、後片づけをしながら、2枚におろして炊いたんやけど、なにをしているのかわからへん。ま、明日はラクでしょう。こんなことを掲示板のほうにも書いてしまいました。

2004.4.13


初夏のような日

今日は暖かいを通り越して暑かった。午後からちょっと心斎橋まで出かけたのだが、すごい日射しで、大阪の長い夏がいまから思いやられる。
御堂筋のイチョウ並木は若葉が出かかってきれいだ。心斎橋筋へ出て南に向かって歩くと、大丸の向こうにアフタヌーン・ティがある。1階はティールームで2階はリビング用品とのことで、2階をうろうろ。3階が食器類らしいが今日は敬遠した。なにも買うつもりはなかったが、すごーく可愛いゴム製の黒猫のキーホルダーがあったの買ってしまった。それと薔薇もようのレターセット。
周防町の角にあるパレットは古くからあるなつかしい雑貨店だ。以前はここで俣野温子さんの雑貨をいろいろ買っていた。今日は欲しいものなし。
御堂筋へもどって今日の目的であるエディ・バウアーに行き、コットンセーターと長袖Tシャツを買った。これで5月いっぱいの着るものを確保できた。
エディ・バウアーを横の出口から出るとすぐ御津八幡宮がある。桜はもう終わりに近く、花と葉が入り交じっていたが、奥にある椿の数本が見事に咲いていた。アメリカ村を通って本屋に寄ったが、このところお金をよく使っているので、眺めるだけ。歩いて堀江を通ったが今日はお茶も雑貨もなし。
長堀通りの遊歩道が完成していたので、ナニワ筋から阿弥陀池筋まで歩いてみた。見晴らしをよくするためか灌木と草花ばかりをうまく植えてある。土の道が足の裏に優しい。

2004.4.12


体調がいいとメールがはかどる

今日は朝の目覚めがよく(お昼ごろ起きたのによう言うわ)体調がよかったので、メールの返事をたくさん書いた。ここんところ溜まりがちだったのが、片づきかけてやれやれである。もう少し返事の遅れているのが残っている。まだ返信が行ってないかたは、もう少し待っててください。
とどいたメールにすぐ返信をすればいいのだが、あとで書こうとおいておくと溜まってしまう。掲示板の返事はすぐにするのになんでやと怒られそう。
わたしは昔から手紙を書くのが大好きだった。返事もちゃんとするほうだったが、最近はちょっとあやうい。それだけつき合いも増えているわけだけど…。
しかしメールっていいね。ちょっとした用件で1日の間に何度もやりとりできるのが楽しい。メールを確認するたびにいろんな人から入っているのも楽しい。勝手ながらこちらから出さないでも入ってくるのはうれしい。最近はスパムとやらが増えてるが、ま、わたしのとこにくるくらいは数がしれている。でもメールを確認するとき、届いているのがスパムだけだったりするとめげる。楽しくメールのやりとりしましょう。

2004.4.11


エドモンド・ホワイト「ジュネ伝」下

1ヵ月も前に読み終えたのだけれど、他の本を読みつつ、日常生活を続けつつ、ずっとジュネのことを考えていた。プルーストに次ぎ、セリーヌと並び20世紀の大作家として認められたと言えるジュネの生涯を、いまいちばんジュネを語るにふさわしい作家の筆で読めて幸せだった。とにかく詳しくジュネの生涯を辿った本なので、ジュネについて知りたい人には読んでもらうしかない。客観的な歴史でなくて、ジュネという希有な作家の歩みと20世紀の歴史が重なる。
作家であると同時に、政治にも関与したジュネは、アメリカに行きブラックパンサーと共闘する。1970年には友人の住む日本に来て労働者と全学連のデモに参加している。またパレスチナに行きアラファトとも会っている。左へ左へと傾斜していくジュネの心の動き、そして行動に移すところが納得できる。いろんな人との出会いが興味深い。話したいエピソードがいっぱいある。読んだ人と話をしたい。ジュネってすごくおもしろい人なんだもの。
ジュネが死んだのはパリで、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの死の翌日だった。ボーヴォワールは盛大な葬儀で見送られたが、彼の遺体は静かにモロッコのララシュに送られ埋葬された。飛行機から降ろされたとき、麻の袋に包まれた棺には「移民労働者」という札が貼られていた。
わたしがジュネに親近感をもったのは、性格に似ているところがあるからだ。若いときに読んだフロイトかなんかの本にあったのだけれど、“幼年時代を孤独に育った人は、大人になると好きな人に溢れるような愛を注ぐようになる。だが突然なにかの理由でいやになると、おそろしく冷たくあしらう”そうである。わたしはそれを読んで、わたしのことだと思った。ジュネにもそういうところがあって、自分の思いこみで入れあげ、いやになると冷たくなる。わたしとジュネとでは入れあげかたにも、冷たくするにもおっそろしく規模が違う。それは幼年時代の孤独の差かもしれない。三女という環境からきたわたしの孤独は、母親に捨てられたジュネの孤独に遠く及ばないのだと思う。(河出書房新社 4500円+税)

2004.4.10


春は忙しい

わたしが家事で忙しいというとフンと言われそうだが、わたしとしては忙しい季節なのである。部屋の中のホコリが目立つので掃除機をかける回数が増える。部屋に置いてある鉢植えの水がよく乾くので気を使う。暑くなるまでに換気扇の掃除しとかなきゃ。
冬物をクリーニングに出して、自分で洗える物は洗う。今日は当分天気のよい日が続くというので、マフラー、手袋、毛糸の帽子を洗った。セーター類は明日洗おう。5月になったら毛布類を洗う。
最近はクリーニングに出す物が春以外はほとんどないので、今月はクリーニング代がかかるのがイタイ。
家で仕事していると、仕事と家事のけじめをつけずに、時間が空いたときにできるのでいいです。実は昼寝もした。ああ、忙しい(笑)。

2004.4.9


見納めの桜

いつのころからか桜を見ると、今年も桜を見られたなぁと感慨にふけっていたが、それも去年まで。そういう気持ちって、やっぱり若かったからだわ。今年はもうそういう感傷的な気持ちの余裕がないような気がする。せかせかと、あ、咲いてるな、もう散るな、くらいな気持ちである。どんどん時間が経つのが早くなっている。今年の桜が見納めみたいな気持ちを下敷きに日々刻々を大切に生きて行こうと思う。
桜よりも椿のほうが奇麗だしずっと好きなんだけど、でもこういう哲学的(?)なことを考えるときはやっぱり「桜」です。

2004.4.8


京町堀から江戸堀へ

夕方知人が用事で来たのでいっしょに晩ご飯を外で食べることにした。うつぼ公園は桜が満開で、花見の宴会の人が集まりだしている。公園を通り抜けて、京町堀に新しくできたモンスーンにしようと思って行ったのに、モンスーンは夜の営業は16日からだと言う。この店は昔アメリカ村にあったが、今は心斎橋のマンゴーシャワーという店をやっていて、今回またモンスーンという名で京町堀に店を出した。
それじゃ先日行ったネイチャーコーリングはどうかとぶらぶらとしゃべりながら行ったら、今日は休みの日だった。だんだんお腹が空いてくる。それじゃ開いている店に入るしかないと決めたのが、江戸堀に昔からあるインド人がやっているインド料理店。
まずはビールでベジタブル入りサモサと、こんがりと焼けたタンドリーチキンが美味しかった。カレーはキーマンとベジタブル、そしてナンを頼んだ。いつも行くネパール系の店とひと味違う美味しさだった。チャイも美味かった。こちらの用事で来たのだからとご馳走してもらったのもよかった?
帰りは肥後橋から地下鉄に乗ったのだが、突然わたしが思い出して「阪神どうかなぁ?」と言ったら、すぐ横に座っていたおっちゃんが「8対0で負けてまっせ」と教えてくれた。「ええっ?」「ボロ負けでんがな、2塁を踏んだもんが1人もおれへん」。おっちゃんは片耳をラジオに宛てて教えてくれたけど、帰ってからニュースを見たら17対0だったよー。わたしはファイターズが勝ったからいいけど〜

2004.4.7


池波正太郎「剣客商売」7冊目

「剣客商売」全体をまだ読んでいないのだけれど、最後はどうなっているのだろう。「鬼平犯科帳」のほうは連載されていた「オール読物」をずっと買っていて、次号を楽しみにしていたのに、最後の作品は未完で終わったのだった。
「鬼平犯科帳」でも鬼平さんが疲れを感じるところがあったが、「剣客商売」は最初から秋山小兵衛は老齢なので、作者が自分の身に老いを感じたことを、そのまま小兵衛の身にあてはめて書いているようだ。そして、読者のわたしもまた「鬼平犯科帳」を読んでいたときと違い、老いを感じはじめているので、そのあたりに敏感になっている。
でも、老いを感じて共感しているだけではありません。こんなところがある。「隠れ蓑」では大治郎との会話で「といわれても、口や筆に出してあらわすことはむずかしい。わしもお前同様、その二人の身性については何も知らぬことよ」「はあ……」「なれど、胸の内に、言葉にならぬものががあって、わしのような老いぼれになると、何やらわかったような気もちになるのさ」。わかる、わかる、こういうのは年を取らぬとわからぬことじゃよ。
「徳どん、逃げろ」に出てくる、店の名前がなくただ「菜めし」と書いてある「六道の辻の菜飯屋」。大根や蕪の葉、小松菜など、青菜をきざみ、炊きまぜた飯はいつでもあり、そのほかには酒、熱い味噌汁、それだけしか出さぬ。こんな店で熱燗を飲んでみたい。(新潮文庫552円+税)

2004.4.6


マルシャーク詩 レーベジェフ絵「しましまのおひげちゃん」

「しましまのおひげちゃん」は「幻のロシア絵本1920-30年代展」で手に入れた復刻絵本である。復刻絵本は数冊あったけど、わたしが欲しいと思ったのはこれ1冊だった。展示されている絵本の中で、いちばん欲しかったものなのでうれしい。ネコ絵本のコレクションに1冊加わったこともうれしい。
サムイル・マルシャークは日本で何度も上演されている「森は生きている」の原作者である。俳優座がやった「森は生きている」を見たのは、ずーっとむかーし、千田是也演出、岸輝子主演だったと覚えている。ロシアの民話からとった美しい物語だった。岩波少年文庫から本が出ていたはずだ。
マルシャークという忘れていた名前を、ここで見つけたときはびっくりした。少女がネコを抱いてネコ型のソファに座っている表紙。マルシャークの詩を別に訳してあるのがありがたい。4歳の女の子が子猫をいろいろとかまってやるお話で、わが子のように世話する女の子を裏切ってばかりいる子猫の様子がかわいい。詩はもちろん素敵だけど、淡い色合いとやさしいタッチの絵がすごくいい。モダンで都会的で…。
美術館では「ロシア絵本の幕開け」からはじまって、隆盛を迎え終焉にいたるまでがわかりやすく展示されている。エピローグは「そして誰もいなくなった」というタイトルになっているのが悲しい。1950年代のはじめに、マルシャークとレーベジェフはこの「しましまのおひげちゃん」をリメイクするのだが、マルシャークの詩はそのままなのに、レーベジェフは全体を描き直した。その絵本も展示してあるのだが、それは、いま大量に出版されている絵本と変わらない普通の絵本になってしまっているのだ。上手な絵だけど、ただそれだけの。

2004.4.5


花冷えの夜の夫婦善哉(めおとぜんざい)

昨日は電車やバスの窓からあちこちの桜を見た。谷崎潤一郎記念館の庭には紅しだれ桜が咲いていて風情があった。
今日は一日中雨で寒かった。夕方出かけるときは雨はあがっていたが、寒さは変わらず、しまってあったセーターを出して着込んだ。
札幌から大阪に転勤していた知人夫婦が、今度は東京に転勤する。お別れにミナミでお好み焼きを食べようということで、道頓堀の風月に行った。ビールでイカの焼いたのやお好み焼きやキムチを食べておしゃべりした。明朝は4時起きで5時過ぎの始発の地下鉄、そして6時の新幹線に乗り、8時半に東京の会社に着いて9時から会議だという。SOHOの労働者は夜中まで仕事でたいへんだが、大企業のサラリーマンは朝早くから会議でたいへんなのだ。
満腹になったのでぶらぶらと法善寺横丁へ行き、水掛不動さんに詣って「夫婦善哉」へ入った。大阪に長く暮らしているが、このお店に入るのははじめてである。こんなに小さい店とは知らなかった。ぎっしり詰めて10人入るかなという感じである。だが座ると同時にぜんざいがテーブルに置かれ、終わったらさっさと片づける。これでは長居できないから効率がよいわ。ぜんざいをお椀二つに入れてお盆にのせてある。だから夫婦(めおと)ということなのね。直径2センチくらいの丸いお餅が真ん中に入っていた。適度な甘さと量でご飯のあとにちょうどよい。お茶は冷めにくい銅のやかんに入れて置いてあり、湯飲みがたくさん伏せてあって各自が勝手に飲むようになっている。わたしたちの後に入ってきたのは陽気な台湾の女性4人で、写真を撮ってはしゃいでいた。
明日早い夫婦を見送ってからジュンク堂に行った。今日買った本はイアン・ランキン「貧者の晩餐会」、マイクル・Z・リューイン「探偵家族・冬の事件簿」。先日書き忘れていたが、マーシャ・マラー「沈黙の叫び」も買ってある。それと「剣客商売」は10冊目まで買ってある。

2004.4.4


幻のロシア絵本1920-30年代展

芦屋市立美術博物館で2月の末からやっている展覧会なのに全然知らず、数日前の新聞で4月11日までと知って大慌てで行ってきた。この3年間で地下鉄と市バス以外に乗って出かけたのは、京都の伊藤若冲展、リスベート・ツベルガー展以来3回目である。阪神電車で芦屋へ行き、タクシーに乗ったらすぐであった。芦屋図書館と谷崎潤一郎記念館とが並んでいる静かなところだった。
日本の画家吉原治郎氏等3人の蒐集になる貴重なコレクションである。1920年-30年代、革命後のソヴィエト連邦(ロシア)の新しい国づくりの理想に燃えた若き芸術家たちが、未来をになう子どもたちのために絵本づくりにたずさわった。紙は粗末だし印刷も汚くぺらぺらだが、ロシアアバンギャルドの魂がひしひしと感じられる絵本の数々に出会えた。マヤコフスキーが文を書いたものもあった。
文字の扱いや色づかいやレイアウトにチャペック兄弟の本と通じているところもあるし、先日買ったハンガリーの絵本「ラチとライオン」に通じているところがある。
展示では表紙と見開きにした部分しか見られないのが残念だったが、主なものはコピーしてファイルしたものが、別の場所で見られるようになっている。そして復刻本が数冊あって売っている。カタログには展示しているページ以外のページもあって楽しめる。絵本好きにはこたえられない興味ある展示であった。カタログと復刻絵本を1冊と絵はがきをたくさん買った。
帰りは隣りにある谷崎潤一郎記念館に寄り、バスで芦屋駅前まで行き、西村珈琲店でおいしいチョコレートケーキとコーヒーでくつろいだ。こんな休日久しぶりだ。

2004.4.3


春の匂いがします─フランソワーズ・サガン「熱い恋」

セロリの大きな株があるので、丸元淑生さんの料理の本で教わった「ジャガイモとセロリのブレイズ」をつくることにした。実はポランの宅配にセロリがあるときはほとんど毎週つくっている。簡単にできておいしいし、セロリを一度にたくさん食べられる。
今朝、そのセロリを切っていたら、すんごい良い香りがただよった。春のセロリの匂い。
その瞬間「窓を開けましょうか。春の匂いがいたしますよ」という言葉が浮かんだ。フランソワーズ・サガン「熱い恋」の一節である。この本は一時熱狂して読んだが、数年前に整理してしまって手許にない。それで記憶のままに書くことにするが、もしかしたら記憶違いがあるかもしれない。違っていたらごめんね。
社交界でも評判のよい独身の実業家シャルル(60代前半という感じ)は、若い女性リュシールといっしょに暮らしている。リュシールは物憂いしぐさとものを持つことを嫌う性格の美しい女性である。シャルルはリュシールに新型のスポーツカーのキーををさりげなく贈る。早春の朝、黙って早起きした彼女は、家政婦(長いことここで働いている)に言付けをして新しい車で出かけてしまった。家政婦が言う言葉が「春の匂いがいたしますよ」で、ふだん詩的なことを言わない家政婦をいぶかしげに見たシャルルに、淡々と「リュシールさまがだんな様がお起きになったらそう言うようにと…」と言うのである。そして朝食をとったのかと聞くと「オレンジをひとつ持たれて、早く春に会いにいかなきゃ、と言って…」と答える。
そのリュシールが真実の恋をして出ていき妊娠してしまう。子どもを産んで普通の暮らしをしたい男を愛しながら、スイスでの中絶費用をシャルルに出してもらうリュシール。最後がシニカルでよかったなぁ。この本捨てなきゃよかった。
「別離」というタイトルで映画化されてカトリーヌ・ドヌーブが主演だった。ドヌーブは堂々としすぎて、しおたれた女の魅力を出せなかった。サガンの主人公はあまりにも映画的すぎて、いざ映画にしてみるとその魅力が映像で表せないのである。

2004.4.2


「おまえ」とはなんだ?

昨夜のNHKテレビ新番組「今夜は恋人気分」に、伊達公子とミハエル・クルム夫妻が登場した。わたしは伊達公子が好きでずっと応援してきたし、結婚してからもいろいろと活動されているのに好意を持っている。どんなパートナーとどんな生活をしてはるのか興味を持って見た。彼は食後の片づけをするというし、とても楽しい生活をしてはるようでなんとなく安心した(笑)。
クルム氏はテレビで見たキミコスマイルに魅せられて、それから本人にアタックしたそうだが、日本語をきちんの話す言葉遣いに育ちの良さを感じた。
話の中で彼女が言ったのだが、彼が「おまえ」と言って彼女がえらく怒ったそうだ。彼のほうは気軽に日本人の真似をしたらしいが、彼女のほうは「その言い方は大嫌い」と声を強めた。そう、わたしも「おまえ」と言われたくないし、もちろん言われたことがない。
若者が言うのをアメリカ村あたりを歩いているとよく耳にする。その度に言った人と言われた人の顔を眺めてしまう。親愛の情で言ってるのだろうけどね。若い女性がカレシのことを話すときに、なんのこだわりもなく「おまえのことが好きや」と言われたなんてうれしそうに言っている。わたしやったら「おまえとはなんだ?」で一巻の終わりやな。

2004.4.1

写真:「幻のロシア絵本1920-30年代」カタログ

VIC FAN CLUB  連絡先:kumi@sgy2.com