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kumikoのほとんど毎日ページ
2004年2

 


曾根崎書店のおっちゃん


覚えている人がいるだろうか。阪急東中通りの近く、バナナホールの少し手前の左側に、曾根崎書店という小さな本屋があった。小さいのに有名だったのは、左翼関係の雑誌や新聞を扱っていたからで、1970年頃は学生や労働者の客で賑わっていた。わたしはそこの経営者の神野さん夫婦と40年近くつき合いがあった。夫婦で本屋をはじめて、夫が配達に行っている間は妻が店番する。子どもが産まれると、子どもをヒザにのせて店番し、トイレに行くのもたいへんだった。
わたしは本を買いに行くうちに、だんだん話をするようになり、ツケにしてもらったころには、あらゆる本をここで買うようになっていた。生活に追われる夫婦のためにとか言って、坂口安吾、泉鏡花、室生犀星、中野重治、南方熊楠、内田百けん、夏目漱石、プルースト、その他の全集を買った。広辞苑も牧野植物図鑑も買った。雑誌もたくさん買っていた。店番しながらおしめを替えていた2人の子どもが、成長して結婚しても、週に一度は行って本を買い続けていた。
左翼関係の本に関係ない文学好きの客が、おっちゃんのファンとして自然に集まり、狭い店の中でお酒を飲んだり、わいわいと文学論があふれていた。店番以外には1個しかない折り畳み椅子に腰掛けているのはたいていわたしだった。そしてその後はジャズ喫茶やロック喫茶、安い中華食堂に行ったものだ。わが家でてっちりパーティをやったこともあったし、おっちゃんが突然、風呂に入れてくれと立ち寄ったこともあった。
80年を過ぎたころだったと思うが、店が入っている小さなビルが改築するとかで、突然閉店が決まった。最後の夜はたくさんの常連客が集まった。
その翌年に夫婦で事務所まで訪ねてきてくれたが、おっちゃんに会ったのはそれが最後になった。文通は続けていて、震災の翌々年の2月の終わりごろ、ハガキを出したら奥さんから電話があった。「ハガキがいま着いたから電話したんやけど、彼は昨日亡くなってん」と泣いて言う。ガンで入院していたのだが、昨日は外泊日で、家のお風呂に入っていて倒れたそうである。「後で言うつもりやったけど、こんなときにハガキが着いたのは縁があったからやね」とのことで、翌日お葬式に行った。あれから7年経った。

2004.2.29


バーバラ・クーニーの絵本とレターセット


例会前の1時間を有効に使おうと早めに家を出るのが習慣になっている。今日はまずL・L・ビーンに寄って春のセーターを買った。紺色の丸首コットンセーター、基本中の基本なのに、なかなか見つからなかったものがあってよかった。
次に北の新地を通ってジュンク堂へ行った。「剣客商売」6・7・8の3冊を買って絵本売り場へ行ってみたら、洋書のところに小さな箱があった。その箱には、なんとー、バーバラ・クーニーのレターセットとカードが入ってる。ローズ色のレターセットと大型カードを5枚買った。どちらもクーニーの絵本の中の絵が入っていてとても素敵なもの。ついでに絵本も1冊買った。「ちっちゃな女の子のうた“わたしは生きてるさくらんぼ”」という長いタイトルの本。「5歳から」となっている。わたしも5歳から上なのでちょうどぴったりだ。文がデルモア・シュワルツ、訳が白石かずこである。ちっちゃな女の子が自然や家族の中で感じたこと考えたことが言葉になり、それを生命力のあるクーニーの絵が彩っている。
あれ6時だと気がついてあわてて例会場所へ。人数は少なかったが、おしゃべりと笑いで楽しく過ごした。ヴィクのこと、ミステリーのこと、掲示板のこと、K1に初出場した山本のこと、等々わいわいと楽しい時間をもてて幸せ。
「ちっちゃな女の子のうた“わたしは生きてるさくらんぼ”」(ほるぷ出版 1300円+税)

2004.2.28


長女・次女・便所(究極の三女論)


やしきたかじんが出ている深夜テレビ番組(毎日放送)を、月に一度くらい見ている。関西だけの番組で、たかじんの独断と本音のすさまじい大阪弁トークがおもしろい。今週も週刊誌の深読みをしたり、女性キャスターの品定めなんかしていたが、なんの話からだったろう。突然「長女・二女・便所」と言った。司会者があわてて「これは昔から言われている言葉を言ったまでです」とフォローした。そして、次に「長男・次男・○○男」と言ったのを笑って聞いたけど忘れてしまった。やっぱり悪い言葉だけれど、「便所」ほどではなかったよ。
しかし、「長女・二女・便所」とはよく言ったものだ。わたしは三女として生まれた者として、このページで何度も三女論を書いてきた。「シンデレラ」にしても「美女と野獣」にしても、三女の一発逆転の物語である。こういう物語があるくらいに、三女に生まれてきた者は差別されてきたのである。
考えてみれば、ひとつは「長女・二女・便所」は男の側からの言葉で、三女とつきあってもいいことはないという功利的なものであろう。長女と次女なら親の愛とともに財産が付いてくる。もひとつは、三女は性格が地味でひがみっぽく、便所みたいな存在ということかもしれない。わたしを見ればそうかも(笑)。わたしの場合は、親に厄介をかけないでいると、親はそういう手間のかからない子ということで、手間をかけてくれなかった。長女・次女・四女は手間がかかったので、可愛かったのだと思う。
それにしても、「長女・二女・便所」という言葉は究極の三女論だと感心してしまった。昔からの言葉には真理が宿っている。

2004.2.27


春近し


毎年のことだが、日射しが明るくなると台所の汚れが気になる。今日は仕事の納品がすんでほっとしたので掃除にかかった。壁や物入れの戸を入念に拭いた。冷蔵庫の掃除は来週の野菜が届く前にしよう。
狭い台所だからうまく収納して快適に作業したい。なにか工夫ができるかと、心斎橋の東急ハンズへ行くことにした。久しぶりに晩ご飯にワインを飲みたいからフランスパンも買おう。
今日は寒い風が吹いているが、お店の中はぽかぽかとしているので気分は春。東急ハンズで台所用品をいろいろと眺めてごちゃごちゃと買った。大丸のポールボキューズでパンを買い、婦人服や雑貨を見た(見ただけ)。柔らかい色調の春物が気持ちよい。
このまま帰りたくなく、昔得意先があってよく歩いた北心斎橋方面をぶらぶらした。芦池小学校跡にある大きなクスノキが、元気に繁っているのを見てにっこり。最後にオーパの6階にあるユニクロに行ってTシャツを5枚買った。
晩ごはんは頂きものの赤ワインとフランスパン、シーフードとエリンギの炒めものとブロッコリーサラダ。仕事が一段落した後の一杯はたまらなくおいしかった。

2004.2.26


そろそろ…


一昨日、今日とプールで「久しぶりー」と声を掛け合った人が多かった。なーに、みんなはいつもの通りちゃんと来ていて、わたしが休んでいただけである。忙しかったからとはいえ、1ヵ月定期券を買いながら、今月は4日しか行ってなかった。もったいなー。
運動をしないのとなぜか正比例して、たくさん食べている。おやつを食べるのがいつの間にか習慣化してしまった。忙しさのストレスを、食べて解消していたみたいだ。そんなもんで体重計に乗るのがこわい。
今日はバスを降りてから急ぎ足で歩いていたら、動悸が速くなったような気がしてヤバーと思った。こんなことでしんどがってどないする。もっとも、足を悪くしてから早足で歩けなかったからしかたないけど。
そして、去年の秋にせっかく落とした体重が元に戻ってしもたら、これから暖かくなって薄着になったときどないするねん。ジーパンがはけなくなったらどうするねん。ああ情けなー。これからは忙しくてもちゃんと水中歩行をがんばって、おやつもそこそこにしよう。夜のホットチョコレートもそろそろやめねば。

2004.2.25


山本やよいさん訳 アガサ・クリスティー「書斎の死体」


少女時代にドロシー・L・セイヤーズの洗礼を受けてしまったせいで、最初からアガサ・クリスティーに偏見を持っていた。でも、家に探偵小説がたくさんあり、クリスティーもたくさんあったので、好きでないと言いつつけっこう読んだものだ。実は好きだったのかも(笑)。とはいうものの読んだのは若いときのことで、30年くらいは全然手にしていない。
「書斎の死体」を山本さんにいただいたので、絶対読まなあかんし、つまらんかったらどないしょう、感想を書くのがしんどいんとちゃうかと、なぜか大阪弁で考えつつ読みだしたのだが、最初からおもしろくてよかったです(笑)。
「書斎の死体」というテーマで、典型的なイギリスの探偵小説を書いてみせようという、クリスティーの芸が光っている。なんかもう、余裕の一作という感じ。ミス・マープルのシリーズは、まだヴィクトリア時代の光がかすかに残っている、イギリスの田舎の人間関係や暮らしのさまが書かれていて興味深い。ミス・マープルはその田舎の社会を鋭く(意地悪く)観察しながら、生活している老いた独身女性である。
田舎の大きなお屋敷の書斎で、金髪の若い女性の死体が見つかる。その女性は高級ホテルのダンサーで、ホテルに宿泊している実業家が養女にしようとしていた。大金持ちとその周りにいる人たちについてのミス・マープルの観察から事件が解明される。
普通の文庫本よりもやや大判で、文字が大きくて読みやすかった。中身はもちろん山本さんのこなれた日本語で読みやすかった。(ハヤカワ文庫 640円+税)

2004.2.24


「ゼー六」の語源


老舗の喫茶店「ゼー六」の元となった「贅六(ぜいろく)」という言葉に、わたしがはじめて出合ったのは、小学校6年生の夏休みであった。わたしは家にあった水上瀧太郎の小説を引っ張り出して読んでいた。「大阪の宿」というタイトルで、東京から大阪に転勤で移り住んだ会社員兼業の独身の作家の話であった。その作家が言っていたのか、誰かが言っていたのかは覚えていないが、大阪人のことを「贅六」と蔑称とわかる呼び方で言っていたのである。この小説では「うわばみ」とあだ名された酒飲みの芸者が出てきたり…なんで小6で読んだこんなこと覚えているのかしらね。
いまさらながらだが、辞書で調べたら【江戸っ子などが上方の人をあざけっていう語】とあった。「大阪の宿」で使っていたのはこれだと、何十年も経ってから言っている(笑)。
朝日新聞の「ゼー六」紹介の記事には、その元の差別語が先にあったのをふまえて、逆説的に上方商人が自分たちの心意気を表す言葉として使ったとしている。引用させてもらいます。【緑、閥、引(コネ、引き立て)、学、太刀、身分という、商人に無用な贅物(ぜいぶつ)6つを指し、逆説的に「そんなもんいらん」という上方商人の心意気を表す言葉】。ゼー六の先代が店の名前につけた心意気がわかろうというものである。

2004.2.23


「ゼー六」のシュークリーム


今朝の新聞に「ゼー六」が紹介されており、なつかしいおっちゃんの写真も載っている。30年くらい前の7カ月間、わたしは毎日のように、ここで100円の最初から砂糖を入れてある甘いコーヒーと50円のシュークリームを2個食べていた。コーヒーを砂糖抜きで、なんてよう言わんかった。だって、そういうコーヒーなんだもん。そのお陰でいまの太り気味の体の基礎ができたんだと思う(笑)。
いまや大阪のおいしい店というと必ず紹介される「ゼー六」は堺筋本町を東へまっすぐ行って、東横堀川にかかる本町橋の西側で東警察署のそばにある。わたしの職場はそのすぐ近くにあった。このページの1月31日に書いた、テレックスが1日中カタカタいってた会社である。
有名なアイスクリームは50円(いまは100円)で、新聞紙にくるんでくれる。溶けないうちに持って帰る人で、午後はいつも行列ができていた。サクサクした昔の海水浴場で食べたような素朴な味だった(昔の海水浴場と言ってもなんやらわからんやろなぁ)。
わたしが就職したのは夏で、アイスクリームは秋になるとシュークリームになった。アイスクリームもシュークリームも早朝からの手作りである。いま75歳のおっちゃんは40代で、夫婦でがんばっておられた。毎日シュークリームを食べながらよくおしゃべりしたものだ。
毎日おやつを食べに行けた呑気な会社だったと当時の同僚に後々言ったら、それはあんただけだと言われたけど(笑)。
秋から翌年の春にならないうちに会社を辞めてしまって、また遊びにきますと挨拶はしたんだけど、それからは一度も行っていない。

2004.2.22


今年も花粉症


このページは1998年9月から書き始めた。最初は3日に一度くらいだったが、いつの間にか毎日書くようになって今日にいたる。今日は花粉症のことを書こうと思って、そう言えば去年も書いたなとバックナンバーを見たら、2003年は2月19日、2002年は2月25日、2001年は3月5日に書いている。毎年花粉に悩まされているんだと改めて感心した。
ここ数日は朝起きて窓を開けるとクシャンである。今日は夕方買い物に出て、帰るとクシャンで、何度も鼻をかむことになった。新聞の花粉情報を見たら「少ない」だが、わたしの場合は早くなるが、あまりひどくならないで本格的な春になると治るのである。
目がしょぼつきアタマが重くなるのがかなわない。なんとかやり過ごして春を迎えたい。でもまだこれから奈良のお水取りがある、それからようやくお彼岸がくる、と毎年同じことを考えるのである。

2004.2.21


寺島しのぶの三冬


さっきニュースステーションを見ていたら寺島しのぶが出ていた。今年の主演女優賞を総なめしているんだそうだ。よかったねとお祝いを言いたい気持ちである。
わたしはテレビで前回の「剣客商売」を見るまで寺島しのぶを知らなかった。三冬になっている彼女を見て、感じの良い人やなぁと思っていたら、女性週刊誌の広告で「捨てられた」とか「見返した」とか出ていて、そんなに有名な人だったのかとびっくりした。
実際年齢より10歳も若い役ということで、違和感がある人もいるようだが、原作を改めて読んでみると、昔の人は成熟が早いので、三冬ははたちと言っても、いまの20代よりもずっとしっかりしている。寺島しのぶの落ち着きがちょうど似合っているとわたしは思う。
「剣客商売」3冊目を読み終わった。「陽炎の男」でお風呂に入っている三冬が二人の男に襲われる。一人を叩きつけ、もう一人は両目に指を電光の如くに突っ込み、衣類を素早く着て大刀をひっさげる。そして庭に出て、第三の男に「何者じゃ!!」。
よいぞ、三冬さま! わたしは読みながら三冬を寺島しのぶに当てはめていた。
それはそうと、彼女のお母さんは藤純子(昔の芸名)だそうだ。わたしは1970年前後に東映のヤクザ映画をたくさん見た。藤純子ははじめは鶴田浩二や高倉健の相手役の芸者なんかをやっていて、それも哀切な感じがよかったけれど、「緋牡丹博徒」のシリーズでは任侠道の女性を生きていて、その姿がたまらなく美しかった。(新潮文庫 514円+税)

2004.2.20


エドモンド・ホワイト「ジュネ伝」(上)


わたしがはじめてジュネの本を読んだときは、まったく内容を理解できていなかった。これはすごい本だとは思ったが、読み直すこともせずにいまに至ってしまったのが残念でしかたがない。この伝記を読み終わったらすぐにジュネの本にとりかかろう。
エドモンド・ホワイトは優れた作家である上に、ジュネと同じく同性愛者であり、伝記を書くのにこれ以上に適した人はいない。
先日、ローラン・プティがテレビで「ストリートダンサーではいけない。ABCから練習してこそプロの踊り手だ。基礎がきちんとできているからこそ、自分の言うことをダンサーがすぐに理解でき踊れる」というようなことを語っていた。(ついでに、この本の最後のほうに、ジュネの台本によるバレエ「マダム・ミロワール」について書かれているのだが、成功を収めた公演について、ジュネはローラン・プティの踊りを嫌ったと書いてある。なにかイミシン。)
そういう見方で言えばジュネはストリートダンサーなのだけれど、文学はありがたいことに独学できる。ジュネは子どものときから読書家だったが、刑務所で本を読んで学び書くことに目覚め、自分の才能を信じてつき進んだ人である。わたしが共感するのは、わたしもまたストリートで育ったからだ。わたしの図書室は阪神電車の中だった。10代のわたしは通勤のときはもちろん、仕事で出かけたときに降りるべき駅で降りず、本を読み続けていた。刑務所と電車の差が、ジュネとわたしの差だわ(笑)。
ジュネは生後30週目にして母親に児童養護施設の遺棄窓口に連れて行かれた。そして貧しいフランスの田舎に里子に出されて大きくなった。村を離れてからは感化院や軍隊で過ごし、脱走し逮捕されることを繰り返した。上巻はその生い立ちからはじまって、感化院での生活、軍隊生活、盗みと逮捕と裁判と刑務所の詳しい記述が延々と続く。最後のほうになってようやくジャン・コクトーの知遇を得、パリの上流階級やインテリとつき合い、しかし泥棒を続けて捕まる生活が描かれる。
第二次大戦後フランス文化がいっせいに日本に入ってきた時期に、輝いていたフランス知識人や俳優の名前がいっぱい出てくる。わたしがせいいっぱい背伸びして、兄や姉の話を聞きかじり、映画雑誌をむさぼり読んでいた時期である。ジャン・コクトーの恋人ジャン・マレー、サルトルとボーヴォワール、ジャン・ジューヴェ、香水のゲラン、それらの人たちがジュネとどうかかわったかを知った。

2004.2.19


中田ファン


わたしは1997年11月16日からの中田ファンです。この日のイラン戦をテレビで見て、中田選手のかっこよさにしびれました。それ以来だれがなにを言おうと、ずっと彼を応援しています。いや、母か姉の如く見守っています(笑)。
いまや、だれもなにも言えないところにいて、まだまだ上を目指している彼はとっても素敵。わたしの母親は山梨県出身なので、わたしは半分だけ山梨県人なんです。中田選手と同郷というのが自慢です(笑)。
今日のオマーン戦をずっと見ていて、彼の闘い方にまたもやしびれました。とにかく今日は勝ってよかったです。予選を勝ち抜いてワールドカップに出場してほしい。中田選手がそこで活躍するのを見たいから。

2004.2.18


橋を渡って税務署へ


毎年早めに確定申告に行くことにしているが、初日は混んでいると思うので、たいてい2日目に行く。早めに行くのは、先に源泉徴収されている分を精算して、早く返してもらうためである。
税務署のある川口のほうへ行くには木津川を渡るのだが、今日は本町通りから木津川橋を渡って行った。橋を渡ってみなと通りにでると、すぐに煉瓦建ての美しい川口教会がある。そして西区の警察署、税務署、府税事務所がある。年に一度だけくるところだが、20年ほどあまり変わらなかった風景が、今日は新築の建物が多いので驚いた。相棒が入院したことのある古びたエキサイカイ病院も新館が3月から診療をはじめるらしい。
税務署の受付は待たされずに終わって、帰りは松島公園の一画にできつつある西区民プールを見に行った。下福島プールはとても広いので、比べたらどこにプールがあるのかと思う。すっきりとこぢんまりとした建物である。回転ドアができかかっているので、ここから入るのか、じゃあ1階はホールみたいな感じかな。それではプールは2階にできるのかしらと考えながら眺めた。なに、もう1ヵ月もすれば、水着でこの建物の中にいるんじゃん。
帰りに渡った橋はいま建て替え工事中の伯楽橋。橋を渡って行くのが好きである。春からはしょっちゅう橋を渡ってプールに行くと思うとたのしい。

2004.2.17


ジジ・ジャンメール


昨日の夜のNHK芸術劇場で、ローラン・プティのピンク・フロイド・バレエを取り上げているのを見ていて、突然ジジ・ジャンメールを思い出した。ローラン・プティとおしどり夫婦だったけど、いまどうしてはるのかしら。彼のほうは80歳ということだが、振り付けだって自分で踊って見せるくらいに元気である。その体の動きの美しいことったらない。70歳のときの「コッペリア」の一部をやったけど、等身大のお人形のコッペリアを抱いて洒脱に踊っていた。映画かテレビでコッペリアを踊ったジジ・ジャンメールを見たことがあるけど、とてもコケティッシュだったのを覚えている。普通のバレエダンサーと違うところがあった。
それから記憶が甦って映画「ブラック・タイツ」を見たのを思い出した。ローラン・プティのバレエ劇の映画化で、しゃれたオムニバス映画だった。たしか「赤い靴」のモイラ・シャーラーも出ていたと思う。
それからずっと後のことを知らないので調べたら、50代になって「カルメン」を踊り、「こうもり」にも出演して評判がよかったみたいだ。いずれもローラン・プティの演出である。ずっと仲良くやってきはったんやと、なんか安心したような気持ちになった。

2004.2.16


昼寝と腰湯


昨日の朝は目覚めが絶好調で朝食の支度をするのもルンルンしていたのだが、その後に張り切りすぎて夕方にはダウン気味だった。今朝は目覚めから疲れがとれてなくて絶不調。パソコン画面を見ながら校正仕事をしていたら、目の奥に疲れがある感じで肩も凝ってきた。こいうときは眠るに限ると横になったら、またたく間に2時間眠ってしまい、相方が買い物に出ていったのも知らなかった。目が覚めたら外は暗くなっていて、気分はだいぶ回復したけれど、もうひとつなので、こういうときは腰湯にかぎる。
ぬるめのお風呂に入ったらアクビの連発で、ハナをかんだり涙が流れたりとかんばしくなかったが、20分ほどしたら治って元気いっぱいになった。しかも、髪を洗ってお風呂を出たら、晩ご飯がおおかたできていた!
友人が送ってくれた日向の焼酎「平蔵」とメバルの煮付けがよく合って、鬼平さんか秋山小兵衛先生の晩ご飯みたいだったですよ。

2004.2.15


リスベス(リスベート)・ツヴェルガー「ヘンゼルとグレーテル」


わたしが最初にリスベート・ツヴェルガーを知ったのはいつごろだったろう。洋書の「くるみ割り人形」(1987年)を見つけて喜んだのが最初だが、彼女の本はそれよりずっと前に翻訳発行されていたのである。知らんかった。
先日ジュンク堂で見つけたこの本の原書は、1978年発行で1980年にボロニア児童図書展グラフィック賞を受賞した。それが早くも1980年に日本で翻訳発行されたわけだ。またこの本のレイアウトはケルスティン・ティニ・ミウラさんという超一流の人の手になっている。手に入ったのがうれしくてしかたがない。
全体の色調がセピア色が主で暗い。「ヘンゼルとグレーテル」って子どもが深い森に捨てられる話で、可哀想で昔からあんまり好きじゃなかった。最後はハッピーエンドなんだけど、子どもに読ますための付け足しのような気がする。こんなにうまく逃げられないよ。逃げるだけでなく宝物を持って帰るなんてできすぎではないか。子どものとき、わたしはそう思っていた。あっは、現実的な子どもやな。この絵本は最後のハッピーエンドも暗い色調である。こうでなくっちゃとわたしは思ったのであった。(かど創房 1200円+税)

2004.2.14


紅ショウガ


半月くらい前に新聞に紅ショウガの天ぷらの記事があり、紅ショウガの天ぷらは大阪だけにしかないと書いてあった。そうなのかと知ったら急に食べたくなって、スーパーで出来合の天ぷらを買ってきた。1つ80円だったかな、割と大きかったので、1つだけ買って半分こした。もちろんこれは彩りで、他のもいろいろと買いましたよ。紅ショウガの天ぷらは上品ではないが不思議なおいしさがある。人工着色の紅色がぴったりなアクの強いところがいい。
田辺大根の漬け物を送ってくれた友人もこの記事を読んでいて、送りついでに実家の母上が漬けた梅干しと紅ショウガを入れてくれた。これがおいしいのなんのって! 梅干しも紅ショウガもやっぱり自家製に限るなんちゃって。これを食べ終わったら出来合いにもどるのにぃ。
そして食べ方も教えてくれた。これはわたしは作らないけれど(できたのを買う)、いなり寿司の具に入れたらいいとのこと。もうひとつ、薄く切って卵焼きに入れるんだって。これはやってみたらおいしかった。いつもは桜エビを入れるんだけど、同じ紅色でも違う味でよかった。食べるもののレパートリーが増えるのはうれしい。

2004.2.13


最近のお気に入り、ホットチョコレート


去年の夏「ショコラ」の小説を読みビデオを見たら、やけにチョコレートを食べたくなった。それ以上にチョコレートを飲みたくなった。映画の中では出てくる人たちが、老若男女みんなチョコレートを美味しそうに飲んでいたので。
あれを飲みたいと掲示板に書いたら、るりこさんが簡単な作り方を教えてくれた。お鍋に板チョコを削ってミルクを入れて、沸かしたらいいんだって。そして生クリームを入れる。そのときは夏だったから、涼しくなったら作ろうと思ったまま忘れていた。
去年の暮れからわりとチョコレートを買っている。ポランの宅配のカタログにあったスイスの有機ミルクチョコでなかなか美味しい。売り切れたのかもうカタログにないのが残念だ。それでいまは国産の有機チョコを買っている。
先日、仕事がばたついて、このページをお休みしたとき、姪がゴディバのチョコレートをたくさん送ってくれた。大切に食べているのでまだ少々残っている。その姪は新婚なのだが、バレンタインデーには彼にゴディバのチョコを買ってあげて、私が食べると言っている。さすがわたしの姪である(笑)。
そうそう、ホットチョコレート作ってみたらうまかった。一度お試しください。わたしは生クリームをまだ入れたことがなく、ミルクだけで作っているが、それでもけっこううまい。ほとんど毎日飲んでいる。

2004.2.12


休日なのでたっぷりプール


休日なのでいつもより長時間プールで過ごすことにした。いつも90センチプールで50分水中歩行して5分の体操、5分のジャグジーであわてて帰ってくる。今日は1時間10分の歩行、5分の体操、15分のジャグジーで、トレーニングをしたような気分になった。
最後の10分の歩きは一人だったので、いま話題の“ナンバ歩き”をしてみた。歩くときに同じ方の足と手を上げる歩き方である。小学校のとき、いつのまにかナンバになっていて先生に怒られたことがあるが、あれって勝手になってしまうのよね。とにかくドンクサイ子どもであった。
“ナンバ歩き”をすると普通よりも力強く歩けるような気がする。意識して足と手を出すからゆったりと動作が大きくなる。これからもちょいちょい試みよう。上方落語でナンバのことを“次は大国町”って言ってた。難波の次は大国町なのだ(大阪以外のみなさま、地下鉄御堂筋線の駅の名前です)。
西区の市民プールが3月オープンらしい。そしたら歩いて行けるので便利になる。バス代が浮くのがうれしい。

2004.2.11


火曜日はテレビドラマ


火曜日の夕方は7時から「剣客商売」があるので忙しい。7時ジャストに箸を持てるように用事を段取りする。そしてご飯を食べながら「剣客商売」を見る。いま3冊目を読んでいるので、読書に花を添える感じと言ったらいいかな。寺島しのぶと山口馬木也がよい。
その後、10時から小雪と草なぎ剛のドラマ「僕と彼女と彼女の生きる道」を見る。これは先週から見はじめたのだが、見るなりおもしろいセリフに出合った。
話の説明からいくと…草なぎ扮する小柳は大銀行のやり手の行員で、仕事第一の人生を選んで疑問を持ったことがない。ある日娘のりんを残して妻が突然家出し離婚すると言う。それから彼の苦悩がはじまる。りんの家庭教師をしている小雪は、外資系の会社を辞めた人である。彼女はりんの世話を通して小柳に影響を与える。彼はりんといる時間を増やそうと、収入は半分だが早く帰れる会社に転職を決意する。
その間に、りんは学校で持ち物を隠され登校拒否になる。その件で学校へ話し合いにいくが、教師は取り合わない。そのそらぞらしい言い訳を聞いて彼は笑ってしまう。そして「この間までの僕だ」と独り言。こちらも笑ってしまった。彼みたいな人が増えたらわたしも生きやすくなると思うけど、なかなかそうはいかない世の中よね。

2004.2.10


1ヵ月ぶりのプール


明日からプール再開と書いて、その明日は行ったものの、その後はずっと休みっぱなしだった。仕事がごたついて休んで、後は寒さで休み、その後はずる休みを続けてしまった。もともと運動嫌いだから行かないほうへ気持ちが転がっていく。でも肩は凝るし目はぼやけるし、行かずばなるまいという気になりようやく出かけた。行けばいったで、だれかれとなくしゃべって陽気なものである。
いつも思うのだが、わたしを含めてプールのお仲間って小学校4・5年生という感じなのだ。まずイロケがなくて、無邪気で考えがない、等々大人とは信じがたい。今日も今日とて、一人が新しい水着を着てきたのをみんなで大評定である。新発売だという、水をはじき体を冷やさない水着というのを、みんな水をかけてみたり裏をひっくり返したりで納得。今度はお金。メガネをはずして水着をあれこれ着てみたので、値札が13,000円に見えたんやけど、レジで18,000円と言われてびっくりしたと本人が言うと、ようそれだけお金持ってたなぁとか、あたしやったら戻して安いのと買い換えるとか、この水着だと6枚買えるとか、うるさい、うるさい。このプールでいちばん高い水着を着てええやん、とわたしが言って水着の話は一件落着した。
みんな陽気にしていても、実はいつ倒れるか病気になるかと気に病んでいるのが透けて見える。ぽっくり逝きたい、嫁の世話になりたくない、一人でどうしたらよいやら…、それで少しでも体の調子をあげておこうと頑張っている。誰か来なくなると、病気かしら、転んで歩けなくなっていないか気になるのである。

2004.2.9


アマゾンもよいが本屋もよい


先日はアマゾンで本を注文して翌日到着に感激したが、今日はジュンク堂へ行って本屋の良さをたんのうしてきた。
わたしは「剣客商売」を買うほかにミステリーと子ども向けの本を見たい、相棒はウェブ関係の本を探したいということで、梅田のジュンク堂へ行くことにした。それぞれ別行動で本を買ってから児童書のところで合流する。
「剣客商売」3・4・5巻、S・J・ローザンの新刊「苦い祝宴」を買ってから、文庫本をゆっくり見て、アートのところで画集を眺めて、児童書のところへ行った。相棒がなかなか現れないので、これ以上ないほどゆっくりして、見つけたのがリスベス・ツヴェルガー(リスベート・ツヴェルガーのこと)のグリム童話「ヘンゼルとグレーテル」。1981年発行の初版だからずいぶんと古い本である。最近のツヴェルガーの絵より昔の絵のほうがずっと好きだ。この本も暗ーいところがとてもよい。「かど創房」という聞いたことのない出版社のもので、レイアウトはケルスティン・ティニ・ミウラさんである。
レジから戻ってもまだ相棒が現れていないので、「ポリアンナの青春」を立ち読みして、だいたいのストーリーを知ってしまった。私が子どものころはなぜか「少女バレアナ」だったが、いつからか「ポリアンナ」になっている。続編を読んだことがなかったので、あらすじがわかってよかった。
ようやく相棒がうれしそうに本を抱えてやってきた。もう他にすることはなく、シャーロックホームズへ直行。ギネスの生とおいしい料理で晩ご飯にした。

2004.2.8


田辺大根の種が漬け物になってもどってきた


去年の9月だったと思うけど、田辺寄席へ行ったとき、受付に田辺大根の種が持ち帰り用に袋に小分けして置いてあった。厚かましいかなと思いつつ、去年欲しいと言ってた人のことを思いだして、自分の分も含め5人分もらって帰った。結局、自分はめんどうになって、蒔きそうな人に送ってしまったというお粗末な結末(笑)。
当サイトのエッセイページ、前田さんのところに育ちはじめた田辺大根の写真があるから見てください。その大根が育ったのを収穫して漬け物にしたのが、今日わが家に宅急便でとどいた。わたしは種をもらってきて送っただけで、見事な漬け物に変身! それだけでなく、他の漬け物や梅干しや紅ショウガもついてきた。藁しべ長者もそこのけやん(笑)。
さっそく食べたらうまーい。今夜はおでんと漬け物でビールにして、明日の朝はご飯を炊いて、みそ汁と焼き魚と漬け物にしよう。

2004.2.7


ジョゼ


田辺聖子の小説「ジョゼと虎と魚たち」が映画化されて評判が良い。いまも上映中という広告を今朝の新聞で見た。わたしは小説は読んでないし映画も見ていないのだが、“ジョゼ”ってなんでだろうと興味を持った。わたしの知っているジョゼはフランソワーズ・サガンの3冊の小説の主人公である。それで映画紹介を読んだらやっぱりそうであった。田辺聖子の原作の主人公がサガンが好きで、だから自分でジョゼと名乗っているそうな。
わたしもサガンが好きだった。好きで好きでしかたがない時期が長くあった。中でも好きなのがジョゼ・サン・ジルという女性が主役の三部作で、このひとは「一年ののち」(1958)「すばらしい雲」(1962)「失われた横顔」(1975)の中で恋をし、結婚し、結婚に破れ、金持ちの男に救われるがその男につきまとわれ、最後にようやく、ほんとうにぴったりの人と出会い結ばれるのである。
わたしがいちばん好きなのは最初の「一年ののち」である。
ジョゼは親からの仕送りで遊んで暮らしていて、医学生のジャックと同棲している。作家志望のベルナールはニコルというおとなしい妻がいるが、ジョゼに惹かれている。野望に燃える若き女優ベアトリスは役のために、劇場支配人のジョリエと利用しあう。そしてベアトリスに惚れ込んだ青年エドワールがいる。夜会を催すのは初老の夫婦アランとファニー・マリグラスだが、アランはベアトリスに夢中である。
アンドレ・モーロアがプルーストのゲルマント家の夜会を思い出させると言った、マリグラス家の夜会ではじまり、それから一年後の夜会で終わる。
夜会の最後のシーンが好きだったのね。
【「いつか貴女はあの男を愛さなくなるだろう」とベルナールは静かに言った。「そして、いつか僕もまた貴女を愛さなくなるだろう。我々はまたもや孤独になる。それでも同じことなのだ。其処に、また流れ去った一年の月日があるだけなのだ…。」「ええ、解っているわ」とジョゼが言った。】
あと数行で物語は終わるのだが、よかったなぁ。こんな言葉に若いわたしはしびれていたんだ。

2004.2.6


あのインフルエンザはひどかった


インフルエンザが流行っているらしい。「今年のインフルエンザの流行は東高西低」と新聞に出ていたが、兵庫県の友人が、息子の学校でも学級閉鎖したクラスがあるとメールに書いていた。気をつけなくっちゃ。
わたしがひどいインフルエンザに罹ったのは、震災のあと(9年前)で猫の花子が死ぬ前(4年前)だから5〜8年前のことである。
遅いめの晩ご飯にイサギのお刺身を食べて、少しお腹具合がおかしいと思いつつベッドに入った。普通のお腹いたなら眠れば治ると思ったのだが、夜中過ぎ目が覚めた。その後は13回(数えてました)トイレに走って、上げたり下げたり生まれてはじめての大腹痛だった。落ち着いたら体が冷たくなって寝付くまで一息かかった。朝になっても脱力感で起きられないし食べられない。白湯だけを飲んで夕方になり、這うように近所の医者に行った。わたしが医者に行くなんて滅多にないことだが、このときばかりはどうのこうの言ってられない。インフルエンザやねと薬を出してくれたときは、ふらふらで倒れそうだった。インフルエンザの菌が腸に入ったらしい。
その後は5日間寝たきりであった。熱は出なかったが脱力感で、うとうとと昼も夜も過ごした。3日目くらいからおかゆを食べられるようになった。
その間、人のふとんの中に絶対入らないおかしな猫の花子が、ずっと一緒に横たわってくれていたのである。あれだけはいま思い出しても涙ものだ。
6日目の夕方になって起きあがり「お腹が減ったー」と言った。「なにが食いたいねん」と言われて、「スキヤキー」と叫んだときは、われとわが耳を疑ったわ。うちは牛肉をほとんど食べないので、家でスキヤキって食べた記憶がない。もちろんすき鍋もない。それで上等の牛肉を買ってきてもらって、ビタクラフトのフライパンでスキヤキした。うまかった〜 あれ以来、スキヤキ食べていない。あのときはよっぽど血糖値が下がっていたに違いない。

2004.2.5


池波正太郎「剣客商売」2冊目


&Botchさんが、それはよかった、いま出ているのは表紙カバーも変わっているし、本文の文字が大きいよと教えてくださった。1冊目を眺めながら、そうなのかと思ったが比較のしようがない。先日2冊目を買ってわかった。カバーが派手になっているし字も大きい。うちの近所の本屋のは売れ残りだったんだ。3冊目以降は気をつけなくっちゃ。このシリーズは食後のお茶のときに読むことに決めた。先が長いからうれしい。
いくさのない時代が百何十年も続いている世の中に生きて、剣で身を立てようとすることは容易ではない、という前提で、「剣客」を商売にするという認識が秋山小兵衛にはある。息子の大治郎が剣で生きたいと決めてからは、道場を持たすところまではやり、後は本人にまかしたわけだが、なにかにつけ気になる親の情が細かく描かれている。
わたしはここに収められている7つの作品のうち「悪い虫」がいちばん好き。道で乱暴者をやっつけた大治郎を見込んで、うなぎの辻売りをしている又六が頼みにくる。細かいお金までみんな合わせて五両を差し出し、10日で剣術を教えてほしいと言う。小兵衛がちょっと手を貸し、大治郎が10日で又六を仕込むのである。その甲斐あって又六は辻売りに出た日に、いやがらせにきた乱暴者の腹違いの兄の暴力をものともせぬようになった。又六が汗水流して稼いだ五両をもらうのは…とこだわる大治郎に小兵衛は「あいつはこれから五両はおろか、十両も五十両も稼げる男になったのだ。あれだけのちからをつけてやって、五両なら安い」と言うのである。(新潮文庫 476円+税)

2004.2.4


エドモンド・ホワイト「ジュネ伝」を買った


ここのところ本は図書館で借りてばかり、買うとなれば文庫本ばっかりだったが、ついにどかんと高い買い物をした。エドモンド・ホワイト「ジュネ伝」(河出書房新社)上下で9,450円。正月ごろの新聞広告の端っこで見つけて切り取り、パソコンの横に貼っておいたのだが、「今月は忙しかったからご褒美だ」と独り言を言って、アマゾンに注文した。そしたら次の日に届いたのでびっくり。買いに行ったら時間と電車賃がかかるところを送料なしで翌日届くなんてすごい。
本は大判で厚くて2段組で、それが2冊。いつまでかかって読めるかわからないけど、とにかく当分これ一本槍でいく。読みだしたらおもしろいので大丈夫最後までいけそう。
ジャン・ジュネと出会ったのはずっと昔で、サルトルの「聖ジュネ」を読んで興味をもったからだ。さきにサルトルの言ったことを信じて読んだので、目に曇りがあったような気がする。それ以来のジュネである。この本を読み終わったら改めて読み直そう。
何度もこのページに書いたけれど、数年前にテレビの番組(BBC放送の制作になるもので、他にもダリやデュシャンなどのシリーズになっていた)で見たのが、パリの歩道を歩くエドモンド・ホワイトだった。その姿に見惚れて、ゲイ文学に詳しい友人に話したら、それはエドモンド・ホワイトでしかないと断言されて、彼の作品を探しまくって読んだ。去年はプルーストの伝記「プルースト」を読んだ。ジュネ伝を書いているのを知って、待ち続けていたのをようやく手にしてうれしくてしかたがない。

2004.2.3


毎朝のスープ


昨日つくった朝のスープはおいしかった。いつもの通り冷蔵庫にある残り野菜とスープストックでつくっただけだが、一工夫でうんとおいしくなった。まず、冷凍してあったスープストックを解凍。鍋にオリーブオイルをひき、ニンニクをつぶして入れ、火が通ったら定番のタマネギ、ニンジン、セロリの薄切りを入れる。解凍したスープストックを入れて、エリンギ、カリフラワー、ピーマンの細切りを入れる。そこでふと、カレー味はどうかなとひらめいたので、塩、カレー粉、クミン、コリアンダーを入れてみた。次はそれならとヒヨコ豆の水煮を入れ、最後に1本残っていたリーキとトマトを1個つぶして入れた。グラムマサラを入れて、弱火でよく煮込んで味見をしたらうまーい。昨日今日と朝のスープは満点の味になった。
毎朝スープを食べるようになってかなり経つ。夏も冬も熱い野菜スープである。基本はなにがあっても野菜の宅配がくる毎水曜日につくるスープストックである。1週間分の野菜屑と新しい野菜の不要なところを煮出して、牛乳パック3個に入れて冷凍しておく。スープは1日おきに2日分をつくる。たまにベーコンやソーセージや鶏肉を少々入れて味に変化をつける。野菜をたっぷり食べたと実感できる素敵なスープです。
野菜スープが面倒なときは、簡単にカボチャスープ(カボチャをひたひたの水で炊いてつぶしてミルクを入れるだけ)、キャベツのミルク煮、冷凍コーンを入れたミルク等でごまかしている。元気の素は野菜スープにあり。

2004.2.2


マンゴー シャワー カフェでランチ


今日は良い天気で暖かいので、お昼ご飯を外で食べようと心斎橋へ出た。行き先は先週京町堀で出会った、昔よく行ってた店の経営者がいまやっているという、心斎橋アクタス地下のマンゴー シャワー カフェに決めてある。
アクタスの地下にはイタメシ屋など4軒の店が入っていて、マンゴー シャワー カフェはいちばん奥にあった。ネパール風な雰囲気がなつかしい。単純なテーブルや椅子、そこここに掛けてある絵や布の雰囲気もなつかしい。でも心斎橋という土地柄のせいか清潔な感じがする。
ランチタイムは3時59分までで、カレーは780円、飲み物を頼むとプラス200円ということで、茄子の入ったキーマンカレーとチャイを頼んだ。昔みたいにアルミのお盆みたいな容器にいろいろと乗っているのではなく、厚手の陶器の皿に盛ってあったが、味がたいへんよく、辛い好きのわたしにちょうどであった。
途中でマスターが来て、使ってくださいと割引券をくれた。1枚に50円割引券が5枚印刷してあって1人が1回使える。この券がケッサクなのである。レディスコミック風な絵が1枚ずつあってセリフが吹き出しになっている。1枚には【4人グループでチャイを飲んで、このチケットを使って私がまとめて払って、後で割り勘にすれば二百円も得したことになるのね】とある。ぷっと吹き出してしまった。なんと大阪的! 今度友だちと来てやったろ。
次は夜来てビールを飲もうと言いつつ出て、東急ハンズへ行き少し買い物して、アメリカ村の遊べる本屋さんに行った。
若いカップルがシドとナンシーがカッコイイと言っており、若い娘さんがオードリー・ヘップバーンの写真集を手に取っている。ふーむ。寺山修司の本が沢山あり、夢野久作の「ドグラマグラ」が平積みされてあり、鈴木いずみの本が全部揃っている。わたしはそれぞれの(夢野久作はもっと昔だが)同時代を生きていたんだよね。

2004.2.1

写真:エドモンド・ホワイト「ジュネ伝」上下 河出書房新社

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