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2003年9

 


40,000カウントまできましたよ


当サイトのカウント数が昨日40,000を超えました。9月中にとどいたらいいなと思っていましたら、29日に達成しました。うれしいです。
1998年9月に出発して10.000カウントになったのが2001年4月のことで、2年6ヵ月かかりました。最初は自分ひとりが見るだけという日が続いたりして、1日10あがるとうれしかったものです。あっ、そうそう、最初からエクセルで毎朝の結果を記録してあるのです。
20,000になったのが2002年4月、丸1年です。10,000になるまでよりめちゃくちゃ早かったです。パソコンを持つ人が増えたからでしょうか。2003年2月には30,000カウントになりました。10ヵ月です。リンクしたり掲示板をはじめた効果がでてきたんでしょうね。そして2003年9月に40,000カウント達成。7ヵ月でした。
もちろん数がすべてではなくて、内容が問題ですけどね。どっちかというと、内容のわりにカウント数があがらないくらいに思っていますけど(笑)。kumikoページに直接来られる人が多いんですよね。トップページから入ってほしいなぁ。
さて、50,000カウント達成はいつかな? 半年くらいでいくかしら? 楽しみながら毎日書き続けます。これからもよろしくね。

2003.9.30


長谷川摂子 再話 片山健 絵「きつねにょうぼう」


久しぶりに迫力のある絵本に出会った。「きつねにょうぼう」という民話は日本のどこの話を再話したのか知らないけれど、いろんなところに伝わっている話なんだと思う。いまや知らぬ者のない「陰陽師」の阿倍晴明の母も狐であったという。わたしは若いときに歌舞伎で「芦屋道満大内鑑」(あしやどうまんおおうちかがみ)を見て、晴明を置いて阿倍安名の屋敷を出る葛の葉(母親で狐)が、口に筆を銜えて歌を書くのを見て、歌舞伎役者はたいへんだと変なことに感心したことがある。この芝居も民間伝承を元にしているという。
この絵本は表紙の迫力ある狐の顔もすごいが、話がはじまる前の見開きの絵がすごい。壮大な天地の絵。この絵を見てから、「きつねにょうぼう」の話に入っていく。
貧乏な独り者の男が山の田圃から帰ってくると、後からついてくるものがある。見ると若い女であった。その女はずっと居ついて、男の嫁になり子どもが産まれる。子どもは元気に育っていき、女房はよく働き楽しい家庭になる。ところがある日、亭主が田圃に行き、女房が機織りをしているのだが、ふと外を見ると椿の花盛り。この椿の絵がこわいほど美しいのだ。女房が見惚れているうちに尻尾が出てしまい、息子がその尻尾を見つける。狐は息子を抱きしめて、「・・・かかは お山に かえるぞな とんぼや ちょうちょを とってくうな きつねのこ だてて いわれるな・・・」と言い聞かせ、独り山へ走っていく。時が経って、田植えのときに女房は手助けにくる。そして息子に乳を飲ませてまた狐になって去っていく。秋になって穫れた稲はたっぷりと実っていたという。
最後のページの椿の花群れと向こうの青空もきれいだ。めくるたびにすごい絵に出会える希有な絵本である。中央図書館で借りた。福音館書店から1997年に出ている本です。

2003.9.29


食器が新しいとご飯がおいしい


長い間使っているお椀の塗りがはげた上に形が歪んできたみたいだ。よくここまで使ったものだ。なにしろお椀が2つしかないので買いに行かなくっちゃ、ということで、心斎橋筋に輪島塗のお店があるのを思い出して行ってみた。お買い得コーナーがあって、使い勝手のよさそうなシンプルなお椀があったので2つ買った。
それから東急ハンズで蕎麦ちょこを2つ買った。白地に藍色のすっきりした模様である。先日気に入って使っていた2個のうちの1個を割ってしまったのだが、まあ2個揃いで買った。残った1個は小鉢として使おう。
そのあとロフトへまわって、うろついていて見つけたのが、卓上で使える小さなすり鉢である。白のセラミック製でお椀ぐらいの大きさ、短いすりこぎがついている。これは今日のヒットである。1700円という値段にちょっと考えたが、このすり鉢をテーブルにのせたところを思い浮かべて買った。
今日は蕎麦ちょこを小鉢に使って、切り干し大根の煮物を入れてみた。すり鉢で黒ゴマを摺ってご飯にのせて食べた。シジミのみそ汁が新しいお椀でうまかった。

2003.9.28


18年前の甲子園(2)


昨夜はサンテレビ「懐かしの阪神名場面が甦る」という番組で、1985年10月10日甲子園での対ヤクルト戦の実況放送を1時間20分に編集して放映した。池田が完封し、北村がセンター金網に足をかけて捕球する美技を見せ、バース、掛布、岡田の3豪傑が塁を埋めたところへ、平田が満塁ホームランを放った。マジックは6になった。ヒーローインタビューは池田、北村の2人で、池田は可愛らしく、北村は木訥な話しぶりだった。なぜかわたしはそのころ北村ファンだったんだよね。
ヤクルトの若松が昨夜2000本安打を達成したのでベンチで休んでいると、若松の顔が写ったときにアナウンサーが言ったので思い出した。わたしはその前日10月9日に甲子園の試合を見に行っていた。若松が2000本安打を達成して花束をもらったのを、阪神ファンも暖かく拍手を送ったのだった。1塁側の席が取れなくて3塁側に座っていたのだが、見渡す限りほとんど阪神ファンばかりだった。もちろん試合は悠々と勝った。
観客はユニフォームやはっぴ姿が少なくメガホンの形が違う。そして紙吹雪だ。いつからか禁止になったんだろう。友人はいつもいっぱい紙を切って袋に入れて持っていったものだ。上のほうから舞ってくる紙吹雪でアタマが紙切れだらけだったなぁ。

2003.9.27


桂雀三郎と桂文太


昨日の夜は桂雀三郎と桂文太の二人が出るというので、NHK上方演芸ホールを待ちかまえていて見た。上方落語では雀三郎さんと文太さんの二人がわたしの贔屓である。雀三郎さんの落語はまだライブで見たことがないが、一昨年の夏、わたしの友人がこれから雀さんに会うと言うので付いていった。そして初対面の雀三郎さん相手にいっぱいしゃべったあげくおごってもらった。友人は元関西人だが東京でバーを経営している。夏休みに戻ってきて、時間調整しながらわたしたちと会い、次に雀三郎さんに会うという具合に旧友との出会いのハシゴをしていたのだ。
&G」という老人がロックバンドをやる噺だった。派手な紫系の着物で、髪は相変わらずポニーテールであった。倒産した工場跡がロックにふさわしいと演奏する老人たちを、ギターを抱えて熱演し芸達者ぶりを見せた。元気な老人の相手になる、ほんとに老人らしい老人がおもしろかった。
文太さんは7月の田辺寄席で聴いた「火焔太鼓」を演った。鼠色の細かい縞の着物がすごく粋だった。古道具屋が大きな太鼓を仕入れてきたのを、女房がバカにする。小僧に太鼓をきれいにするよう言うと、拭きながら太鼓を叩いてしまう。そこへ通りかかった殿様がその太鼓を屋敷に持ってこいという。そこまでの夫婦の会話がめちゃくちゃおもしろい。文太さんが年増女を演ると、ちょっと毒のある色気がただよって独壇場だとわたしは思っている。思わぬ大金を手にした夫婦の姿が楽しい。あんまり最後にお金が入る落語ってないんとちゃうかな。わたしが知らんだけかな。ここまで書いて思い出した。富くじがあたるのや、「芝浜の皮財布」なんちゅうのもあったっけ。

2003.9.26


ステーションシネマ


今朝の新聞にJR大阪駅構内で寄席「すてんしょ亭」が催されているという記事があった。10月17日まで毎週月〜金(13日は除く)の午後7時50分〜8時半に行われるそうである。写真もあっておもしろそうだ。
そこで思い出したのが「ステーションシネマ」。大阪駅の北東の隅にあり、東側のガード下から入る映画館だった。いまは食堂かなんかになっているところだ。いつなくなったんだろう。
わたしは何度かここで映画を見た記憶があるが、しっかりと憶えているのは、ルネ・クレマン監督「鉄路の闘い」と石原裕次郎主演「錆びたナイフ」の2本立てである。なんでこんな2本立てになったのかしらね。「鉄路の闘い」を見にいって、裕次郎をはじめて見たんだった。
「鉄路の闘い」は第二次大戦中のフランス人民のレジスタンス活動を描いた映画で、ドイツ兵に殺されるフランスの鉄道労働者が、処刑されるときに壁に止まっている小さな虫を眺めている。そして銃声がして彼はばったり倒れる。そのシーンのみ記憶にある。
その後に「錆びたナイフ」だったのだ、けっこうおもしろくて、主題歌が好きになっていまでも歌える。日活映画は友人の親が日活の株を持っており、タダ券がもらえたので、しょっちゅう見に行っていた。はじめて見たのが小林旭の「銀座旋風児」シリーズで、アホらしくてカッコよいところに夢中になり、日活はアキラと決めていたのだが、裕次郎も悪くはないなと思った。

2003.9.25


テレビの映画 加藤泰監督「浪人八景」


京都テレビで加藤泰監督の「浪人八景」を見た。1958年の東映映画で市川右太衛門が主人公の浪人になっている。大和郡山藩の当主が亡くなったが、跡継ぎを決めていないとお家が取りつぶしになるので、その死を公儀には隠しておく。そして長男を殺して(だったと思う)次男が跡継ぎの座と兄の婚約者を奪おうとしている。市川右太衛門は次男の側近の悪者をやっつけて、長男の許嫁の姫(幼なじみ)の危機を救うのだが、最後はお家のために姫に次男に嫁ぐように勧め、自分は一生独身で通すと言って旅に出る。
当時の他の時代劇映画と違って退屈しないし、時代考証とか、ちょっとした脇役の仕草とかにも目が行き届いて、さすが加藤泰監督である。
68年頃は映画をよく見た。わたしの好みは洋もので、ゴダールやトリュフォーに夢中で、読む雑誌は「フィルムアート」「アートシアター」だった。友人のAさんは日本映画が好きで「映画芸術」「キネマ旬報」を読んでいたが、加藤泰の映画を見せたいと上映会に誘ってくれた。その頃は映画館も行ったけど、上映会というのによく行ったものだ。ドイツ表現主義の諸作品に驚き、ドキュメンタリー映画ではヨリス・イヴェンスの「川」がよかった。ブニュエルの映画「アンダルシアの犬」「黄金時代」「忘れられた人々」にも行った。
そんなわけで森ノ宮の青少年会館だったかで見たのだが(タイトルを忘れてしまった)、あんまりよくなくて、Aさんも「他の作品はもっとおもしろいんだけど…ごめんね」と言ったのは覚えている。映画の後に加藤監督を囲んで懇談会のようなものがあった。大きな輪になって座ったが、司会者の青年が、「あなたのお隣りの女性は○○のシーンで泣いてましたよね」とわたしに言うのである。みんなが加藤監督にかしこまっているのに、わたしが「なんやねん」と言う顔をしていたからか。「あほか…」とわたしは言い、Aさんはきょとんとしていた。
そんな初印象で申し訳なかったと思う。その後、「緋牡丹博徒」「人生劇場」を見て、加藤泰に開眼した。今日の「浪人八景」もよかった。右太衛門の他にこれだけのスター(里見浩太郎、長谷川裕美子、堺駿二、藤田進、千秋実、志村喬、他)が出ているのにも感動した。

2003.9.24


18年前の甲子園


今日の阪神巨人戦をテレビで見ていたら、18年前に甲子園へ行ったことを思い出した。あのときは神宮球場で優勝が決まったのだが、その前に甲子園に行ったときに、巨人戦のキップがまだあると聞いて買って帰った。結局、消化試合になってしまったのだが、なぜキップが手に入ったかというと、10月のウィークデーの昼間だったからだと思う。
せっかく2枚買ったキップだが、事務所を休むわけにいかないから、代表してわたしが行くことになり、隣りの音楽事務所に机を置いていたイラストレーターのMちゃんを誘った。
消化試合だし席はあるし気持ちはのんびりだった。梅田で待ち合わせ、阪神百貨店でお弁当とおやつを買っていった。天気が良くてピクニックみたいだった。試合そのものは江川投手を打って阪神が勝ったことだけを憶えている。さわいでさわいでさわぎまくったが、まだゴム風船はなかったし、いまと比べると雲泥の差であった。
六甲おろしと応援歌を、球場で歌い、甲子園駅で歌い、梅田のプラットホームで歌い、疲れ切って帰った。2人ともチビだけど声は人並みより数倍デカかったなぁ。
そのときに球場入り口で先着何百名様にくれたタイガースの旗やメガホンなどのグッズと、新聞、雑誌、そして号外をしまってあったのだが、10年くらいで処分してしまったのがちょっと残念。

2003.9.23


「中原淳一の幸せな食卓」


「クッキング・ママの供述書」を買いに行ったとき、同じ集英社文庫の本書が隣にあった。昭和22年から46年までの「ひまわり」「それいゆ」「ジュニアそれいゆ」「女の部屋」に掲載された料理とその周辺の記事を集めた可愛らしい本である。わたしは小学校に入ったころから、姉の雑誌や小説で中原淳一と吉屋信子に入れあげていたから、この本に出てくる料理や絵は全部知っていた。
1月から12月まで少女のイラストが最初にあり、季節に合ったお言葉がある。淳一先生はものすごい真面目に少女たちに呼びかけているのだ。私がいまも真面目なのはこのお言葉のせいかもしれない(笑)。
そして4人の料理研究家が季節の料理の作り方を教えてくれる。その料理の盛りつけのイラストがすべて中原淳一なのである。容器に盛られた食べ物がリアルでほんとにおいしそうなのだ。料理家が作って盛ったものをスケッチしたのに違いない。
料理の他に、エプロンのデザイン画がたくさんある。小布のテーブルセンターもある。贈り物のエチケットというページはラッピングのしかたがいまに通じる。わたしがラッピングがうまいのは、淳一先生のおかげである。夢の作業机、夢の台所インテリアも楽しい。わたしはこの机がどんなに欲しかったことか。
今日は9月の料理のページから「ブレーメン風じゃがいもサラダ」というのをつくってみた。簡単でおいしかった。(集英社be文庫695円+税)

2003.9.22


ハモの皮


昨日道頓堀のさの半へ行ったのは、天ぷらだけでなくハモの皮も買いたかったのだ。今年はハモの皮の胡瓜もみを食べていない。ほんとに高級品になってしまった。高島屋で見てびっくりして買わなかったもん。ケーキだったら買うけど、それは考えが違う。ハモの皮は安いものだったのだ。でも1回くらいは食べておこうと思って、せっかくさの半へ行ったのに閉店していた。
それで帰りに近所のスーパーで小さいパックを買った。細かく刻んだのが298円だった。今日はそれで胡瓜もみをした。おいしかった。しかし、昔は(なんて、ほんとに年寄りのたわごとになっちゃうよ)皮をべろっと剥いたのを火にあぶってハサミで切っていたのだ。いつごろから刻んだのがパックされるようになったんだろ。
わたしが育った家は関東者なので、わたしは郷土料理というか大阪の料理って知らないのだけれど、父親が上司小剣という人の小説「鱧の皮」を東京にいるときに読んでいて、大阪へきたときに食べたいと思ったそうだ。それで夏になると、ハモの皮は大阪の味とうるさく言って家族に食べさせた。
小さいときから大阪で育った弟なんか、東京で働くようになって、大阪へ来たときは阪神百貨店でハモの皮や関西の魚を買って帰るようにしていた。荷物を持てないときは魚売場を見るだけ見て帰っていったらしい。

2003.9.21


「さの半」がなくなっていた


今日は道頓堀で晩ご飯を食べようと知り合いの夫婦に誘われたので、早めに難波へ出て本屋へ行ったり買い物をすることにした。知人は大阪の人でないので、お土産に「さの半」のかまぼこや天ぷらを上げたい、またうちでも長いこと食べてないから、久しぶりにキクラゲ入りシロテンを食べたいと喜び勇んで買いにいったのだが…。
「さの半」は道頓堀を東に向かって角座よりもうちょっと先なのだが、お店がない。他業種のお店になっていて、内装がいやに明るい。中に入って「さの半は?」と聞いたら「閉めました」と胸に手を当てて×印をしてみせた。
えーっ、じゃあ、あのおいしいキクラゲ入りシロテンはもう食べられないのか…。おでんをするときは絶対にここのてんぷら(ごぼ天、ひら天)でないとダメなのに…。そしてよいハモを使っているからハモの皮もおいしかったのに…。池波正太郎がこよなく愛した大阪の味がもう食べられないのか。
風月でお好み焼きを食べ、珈琲の青山でコーヒーを飲んで、食い倒れ前で写真を撮って戎橋に向かった。戎橋は相変わらず大にぎわい。かに道楽のかにの目玉を眺めて(優勝騒ぎのとき、だれかが目玉を取ったそうで、片目は応急処置だそうだ)、タイガースのユニホームを着たグリコ前でも写真を撮り、知人夫婦はゴキゲンで帰っていった。お土産に阪神百貨店で買ったタイガース印の缶入りお菓子をくれて…。

2003.9.20


優勝バーゲン


今日は3週間ぶりにプールに行った。みんなにどうしてたんと聞かれて、夏風邪で2週間、阪神優勝で1週間と合計3週間休んでしもたと答えた。たいていは夫か子どもが阪神ファンとのことで、ご本人たちは優勝バーゲンを楽しんだらしい。阪神ファンのくせにバーゲンに行かないなんて、オトコと同じやんかと言わんばかりである。と言ってたいしたものを買ったわけでもなく、ふだんの生活にいるもの(水着、パジャマ、カッターシャツ等)を安く買って満足しているみたいだ。
帰りのバスには5人の女性がばらばらに優勝バーゲンの大きな紙袋を何個も持って座っていた。みんな疲れているが満足そうである。こうしてあらゆる方面に向かうバスが、一日中バーゲン帰りを乗せているとしたらすごい人数だよね。
今日も阪神は巨人に6対0で勝った。すげえなあ。藤川投手、関本選手、平下選手、ヤングタイガースが元気いっぱいやん。この調子では来年もいけるぞ。阪神連覇も夢ではないんとちゃうかな。

2003.9.19


星野監督の笑顔と文太さんの落語で気分よし


明後日はもう彼岸の入りというのに暑くてたまらない。いつまでTシャツ1枚で過ごすのやら…。早く涼しくなってほしい。
この3週間ほど近くの図書館とその横のスーパー、銀行と郵便局と髪結いさん以外どこも行っていない。ご飯の量を少し減らしているので、体重は変わっていないが、運動不足で肩がばんばんに凝っている。明日から週3回プール生活にもどらなきゃ。阪神優勝でテレビの特番を見たりして夜更かしに輪をかけている。夏風邪が長引いたからって、ごろごろばかりしてたらあかんで。
さっきニュースステーションに星野監督が出演していた。茶系統のスーツが似合っていて感じがよかった。オトコマエだ。話の受け答えがすごくうまい。久米宏が引き出そうとする質問を軽く受けて、自分の意見をさらっと言う。冗談がきつくてうまい。優勝のときの挨拶もよかったけど、今日もよかった。
今夜は12時15分からNHKで、桂文太さんが出演する上方演芸ホールがある。文太さんの落語を毎月聴くようになって、我ながら落語への理解が深まったと思う。その上にすっきりとオトコマエで着物の着こなしがよい。
今日は座ったままで野球と落語のオトコマエ2人を見られてゴクラクである。

2003.9.18


秋の色


わけあって(わたしが鉢をひっくり返して折っただけだが)育ちの遅かった朝顔が、残暑のお陰かどんどん伸びて毎日のように花を咲かせている。でも色合いは真夏に咲いたのより淡い。なんか申し訳ないが健気に咲いてくれるのがうれしい。まだまだたくさんツボミがついている。秋の朝顔ってどっか淋しいけど。
夏中トマトを食べるときに重宝したバジルがそろそろ終わりだ。風が吹くと強烈な匂いが部屋の中まで漂っていたが、いまは切っても淡々とした匂いしかしない。もう今年のトマト料理は終わりやな。
トネリコも暑さに疲れたのか、葉っぱがぱらぱら落ちてくる。いま持ち越せば冬も緑の葉っぱが元気なんだけど。どうかなぁ。
ミントとタイムの新しい葉が出かけていたんだけど、残念ながらそこまでで、根がだめになったみたい。来年新しい苗を買うことになりそう。
狭いベランダでもなんだか健気に咲いたり、食べさせてくれたり、元気をくれている植木たちに感謝である。
ジャスミンは元気で白い花を咲かせ続けている。ホヤ、細長いサボテン、リュウのヒゲ、薄緑色のゴムの木など、部屋の中に置いている植木はみんな元気だ。でも夏はしんどかったね。秋がきて喜んでいるのがわかる。

2003.9.17


桂あやめさんのかっこいい着物姿


田辺寄席で桂あやめさんの着物姿に見とれた。わたしの生活は着物どころではなく、また1枚の着物も持っていない。でも着物を上手に着た女性を見るのは好きである。自分では着ないくせに、どうのこうのと批評をしたりほめたりする。もちろん、自慢じゃないが、自分で着物を着て帯を締めるなんてことはできないっす。
あやめさんの一席目はオレンジ系の赤い着物だった。二席目は色鮮やかな空色で、どちらも無地だったと思う。どちらもベージュの地に細かい模様のある帯であった。帯は広めにきりりと締めて、帯揚げ、帯留めはなしで少し低めに粋に結んでいる。単衣物の着物を、素人ではもちろんないけど、玄人と一口に言ってしまえないような独特の個性で着こなしていた。
あやめさんの落語は大阪で働く女性が主人公の創作落語である。登場人物のそれぞれに、わたしと同じこと考えてるやんかと言いたくなる現実感がある。そしてその落語がうまい。いまや上方落語の実力派として颯爽たるものだと思う。

2003.9.16


阪神優勝!


今日はこれしかないでしょう。大好きな赤星選手がかっこよく決定打を打ったので大満足です。
18年前の優勝時は自然に体が動いて梅田に走り、阪神百貨店前に行ってました。阪神と大阪駅の間にどんどん人が溢れてきて、六甲おろしの大合唱。自然に御堂筋へと出ていました。そして御堂筋をキタからミナミまで歩いて道頓堀へ着きました。また六甲おろしを何度も歌っている間に、目の前で一人目の道頓堀飛び込みが・・・続いてまた一人と大騒ぎでした。出会う人たちと握手を交わし抱き合い、夜中を過ぎても興奮してました。あのときは掛布と真弓と北村のファンでした。
今夜は喜びを噛みしめつつ、静かにテレビを見て過ごしました。
相棒はちゃんと道頓堀まで出かけて写真を撮ってきました。その写真を「 News 」ページにアップしましたのでご覧ください。

2003.9.15


田辺寄席 第355回(2003年9月)


日曜日の昼間から出かけるのは、月に一度の田辺寄席の日だけである。大慌てで朝昼兼用のご飯を食べて行ったのだが、1時過ぎに着いたら受付で「遅いなあ、もうはじまってるでー」と言われた。かなりの人が入っていて文太さんが舞台にいる。早くから来てくれた人にサービスだって。そうこうしているうちに、どんどん人が増えて満員になり立ち見の人もいて熱気があふれてきた。
開口0番は「数字」がテーマで、浴衣姿の文太さんがいろっぽい。筆文字が書き連ねてある浴衣なんだけど、藍と白の割合が抜群なのだ。
「犬の眼」桂しん吉、目の調子が悪くて医者に行くと、荒っぽい療治をする医者で目玉を抜いて洗ってもどすという。洗浄した目玉が水分で大きくなり、縁側で乾かしていると犬が食べてしまう。その犬の眼を取って患者に入れると、入ったのはいいが、犬の気持ちになってしまうというバカバカしい噺。
「セールスウーマン」桂あやめ、あやめさんの噺をはじめて聴いたのはもう11年も前のことで、まだ桂花枝さんの時代であった。元気すぎて声がアタマに抜けて出てくるところがかなわんかったが、今日のあやめさんは大人の女にならはって、とても見事な創作落語を聴かせてくれた。マクラのテーマがコミニュケーションということで、阪神大震災のときの避難所のおばちゃんたちのしゃべりのことなど。本題は自作の古いネタで長いことやりながら育ててきたきたのがわかる。化粧品のセールスウーマンがひっかけようとする相手にひっかかってしまう。
「悋気の提灯」桂文太、お妾さんを持ったダンナさんが本妻と妾の間をうろうろする噺。奉公人に提灯に火を入れさせ、足元を照らさせながら歩いていく。妻は妾のところで泊まれと言い、妾はそれじゃあ義理がすまないと言う。提灯を下げて行ったり来たりするうちに夜が明けてしまい提灯が不用になる。文太さんが中年の女性を演じると、他に比べる人がいないんじゃないか。
仲入りがあって、「看板のピン」笑福亭瓶吾(びんご)、愛嬌のある人で、阪神ネタもいやみがない。ピンというのはサイコロの1のことで、ばくち場で振る役をした江戸人の真似をして失敗する噺。
そして最後にもう1回、「コンパ大作戦」桂あやめ、30歳を過ぎて結婚を焦りだしたビジネスウーマン3人が、若い男のグループとコンパをする。28歳に化けようと作戦を練るのが面白い。用意万端整えてのコンパ大作戦だったが、1人が酔っぱらって全部ばらしてしまう。結局ばらした彼女がオトコを仕留めたのだが、その理由は正直なところにあったって。

2003.9.14


アンソニー・ボーディン「キッチン・コンフィデンシャル」


一昨年新潮社から発行された本なんだけど全然知らなかった。大阪中央図書館の料理本の棚にあったのを手にしたのだが、まるで洋書のペーパーバックなのだ。日本語の縦書きだから右から開くのだけれど、本の側面が3面ともちゃんと黄色いし、藁半紙みたいな紙、表紙と扉のデザインがそのままペーパーバックなのである。
中は余白のない紙面にびっしりと大きめの文字がつまっている。著者はニューヨーク生まれでニューヨークの有名店の総料理長で作家だとのこと。「前菜」の章は「シェフからひとこと」となっており、シェフであり作家である自分のことを書いている。「ファーストコース」は小学校4年生のとき家族で客船に乗って、ヨーロッパに行ったときの体験である。船での食事、フランスへ着いてからの食事になじめなかったため、母はどこのレストランでも苦労していた。ところがだんだんフランス料理の旨さに目覚めていき、極めつけは牡蠣であった。フランス南西部の海でのこと、顔を海中へつっこんで砂まみれの貝を一個手にしてもどった漁師は、巨大な牡蠣の口をナイフで開けて差し出した。教えられたとおりに、いままで生きていた牡蠣を一気に口に流し入れ飲み込むと、海水の味がして、なぜか未来の味がして、すべてが一変したとある。このとき作者は食べ物の魔力を知ったのだ。
こんな調子で「セカンドコース」「サードコース」「デザート」「コーヒーと煙草」と物語は進んでいく。現役のシェフとして仕事をしながら、大学の創作コースへ通って文章の勉強をし、えっ! ハードボイルドミステリーを書いているんだって! 「シェフの災難」「容赦なき銃火」の2冊が早川書房から出ているなんて知らなかった。本書は3冊目なんだって。
この本が文学の棚になくて料理のところ(ちゃんと「生活・教育」とシールが貼ってある)にあるなんて…、本の分類ってだれがするのだろう。

2003.9.13


蒸し暑くてやりきれない


涼しい夏から寒い夏と7月からお盆過ぎまできたが、その後の暑さときたらたまらない暑さである。クーラーをつけない生活だから、何回もシャワーを浴びてTシャツを着替えている。今日も掃除機をかけたらすごい汗で、雑巾がけまでできなかった。ホコリでは死なないと誰かが言ってたっけ。
夏風邪を引いてからプールを休んでいるのだが、今週そろそろと思っていたのに、結局疲れが抜けず休みっぱなしである。夏バテなんだろう。運動不足なのに食欲はあるので、体重が心配である。今月のはじめに1キロ減った。この1キロが25年くらい下がらなかったところなので、下がったのは画期的なことなのである。体重計に乗るのがコワイ。明日乗ってもどっていたらどうしよう。つまらん悩みだなぁ。
明日から連休らしいけど、土・月は会報づくりだ。日曜日は田辺寄席に行く。今月は桂あやめさんが二席やるのがものすごく楽しみ。寄席で咳が出ないように、明日は養生しなくては。

2003.9.12


コミュニケーション能力


午後“髪結いさん”(うわっ、口癖になったよ、るりこさん)に行ってきた。しゃべること、しゃべること、若い子の他愛ないおしゃべりに合わせていると時間が経つのを忘れる。眉毛を整えてくれて、顔が変わったというので、「大人の女性に見えるかしら」と言ったら、「私よりちょっと下くらいかな」と言ってくれた。これって、会話の妙ちゅうもんですね(笑)。
ずっと前に行っていた心斎橋のお店は係りの女性が急死して行かなくなり、その次に行った店で仲良くなったら、店主が不景気のグチをぶつけてくるのでいやになった。その次は大型チェーン店に行ったのだが、会話はマニュアルに書いてあるだけで、一方通行。こちらから言う言葉は全然伝わらないのである。それはそれでラクではあったが…。
「コミュニケーション能力」というテーマを掲示板でるりこさんが提案されたので、考えながら返事を書いて、また返信をもらって、だんだんわかってきた。まず「誠意」なんですね。誠意なくして書き込みなし。そしてその誠意をうまく言葉に表す技術だと思う。
その点、いま行ってる“髪結いさん”はうまい。客の話をよく聞いて的確な返事をする。自分のことを話すときはボケる。

2003.9.11


吉屋信子「返らぬ日」


6月に吉屋信子の「暁の聖歌」について書いたのを、ゆまに書房の編集者が読者の反応を調べようと検索して読んだとメールをくださった。わたしが堅い出版社がなぜ吉屋信子なのかと書いたことにも返事をしてくださった。編集部にファンがいらっしゃるからだそうである。そのファンというのはきっとメールをくださった人なのでしょう。
続いて出版される本を“図書館で借りて”読んでほしいとのことで、今日は「返らぬ日」を図書館で探してまいりました。続いて出る「紅雀」はちゃんと買いますので…。
わたしが吉屋信子の本で好きなのは、一番が「紅雀」、二番が「屋根裏の二処女」である。「紅雀」は新書版の本をずいぶん前に買って持っているのだが、ゆまに社から中原淳一装幀のきれいな本が出たら買って大切に持っていたいと思う。
「返らぬ日」を読んだのははじめてである。彌生とかつみ、二人の処女(おとめ)の愛の物語である。大商人の妾腹の娘として生まれた彌生と、上海生まれのかつみはカソリック系の女学校の寄宿舎で出会う。この時代はたいていの少女は女学校を出ると嫁にいくことになる。それで女学校の卒業式は涙、涙なのだそうだ。だからこそ、二人の愛は燃え上がる。めちゃくちゃ“耽美”で、いま流行りの“やおい”よりもすごくて圧倒された。なんかもう、文章がすごい美文でね。解説ではそれをバロック(語源=ゆがんだ真珠)と表現している。
表紙と挟み込まれた中原淳一の絵がすてきで、やっぱり買って持っていようかな。

2003.9.10


月と火星


今日がいちばん月と火星が接近して見えるというので楽しみに待っていた。7時のニュースで月の左下に火星が見えるところが映され、もっとも接近するのが9時ごろというので、9時を待って外の見晴らしのよいところまで行った。
大きな月の右下に火星が見える。ときどきちょっと雲がかかるところが粋である。双眼鏡で見ると月の模様がリアルに見えた。うん、とても楽しい宇宙見学だった。
昨夜は寝る前の2時ごろだったか、南西の方角に火星が光り、その右下に煌々たる月が見えた。傾きかけた月って大きく見えるので好き。
昨夜は掲示板の書き込みの返事をしてて、京都のジャズ喫茶のことを書いたんだけど、阿部薫のことを思いだして書いてしまった。今朝になって、9月9日は阿部薫の命日だったと思い出した。掲示板を見たら書いたのは8日の夜だけど、日付はもう9日にかわっていた。怖いなぁ。
続いて掲示板で「阿部薫ってだれ?」という質問があったので、「ここを読んでね」と阿部薫のサイトのURLを書いた。ついでに久しぶりに、自分の文章「阿部薫の思い出」を読んできた。熱っぽくてなかなかいいじゃん。

2003.9.9


イギリスの田舎、アントニイ・ギルバート「薪小屋の秘密」


国書刊行会から出ている世界探偵小説全集の1冊。この全集の他の本と同じく、わたしは作品名も作家の名前も知らなかった。アントニイという男性の名前だが女性作家である。1899年生まれ、日本では40年以上前に「黒い死」(ハヤカワ・ポケミス)が翻訳されているだけという。男性名で作品を発表していたので、しばらくは男性作家と信じられてきたそうだ。
この本は弁護士探偵アーサー・クルックのシリーズの中の1冊で、解説によると初期代表作と言っても過言ではないそうだ。アクのつよいクルックが活躍する本を続けて読みたいものだ。
第二次大戦中のナチ攻撃下のロンドンに一人住まいの中年女性アガサが、新聞で「妻求む」の広告を見る。父親の遺産を弁護士が運用しているのだが、手紙の往復ですぐに年収などを教えてしまう。すると相手は会いたいと言いだしたので出かけていく。エドマンドは感じのいい男で、アガサを大切にしてくれ、すぐに結婚することになる。その男の住まいが幽霊が出るとウワサがある屋敷で気持ち悪いが、今までの独身生活から脱却できたし幸せである。アガサはその家よりましなところに住みたくて、自分から家を買うお金を弁護士を説得して株を売り払いエドモンドに渡してしまう。
読むほうはアガサの態度にいらいらしてしまうが、アガサは独身で一生を終えるだろうと父親も友人も信じていたような女性だから、当初はエドモンドと結婚して幸せなのである。
クルックは「妻求む」の新聞広告を読んだときから事件になるとよんでいたが、やっぱり事件が起こり、依頼人アガサのために仕事をする。インテリアや服装に細かい気配りのある作品で、また、脇役の女性たちがいきいきしていて楽しい。(国書刊行会 2400円+税)

2003.9.8


読書とテレビの1日


今日の午後は久しぶりに本を連続して読めてうれしかった。風邪が治りかけていて体調も良く、そして大事をとってまだプールに行っていないので、午後の時間がたっぷりあった。クラシックなミステリー「薪小屋の秘密」をもうちょっとで読了だ。
野球を見ながらご飯を食べた。阪神は最後にもたついたが横浜に勝ってマジック5になった。よーし。
ちょっと見るつもりだった10時からの芸術劇場「小沢征爾指揮 ベルリンフィルのピクニックコンサート」を最後まで見てしまった。ガーシュインナイトということで、「ラプソディ・イン・ブルー」などをジャズのマーカス・ロバーツトリオを加えた演奏であった。1時間半くらいじっと見ていたがあきなかった。ジャズと言っても昔と違う。すごく巧いしエリートみないな感じの人たちで演奏も端正である。ほんと聞き惚れていた。好きかと聞かれたら困るけど。
そのあとで、これを書くつもりだったんだけど、クラシック番組案内でおしゃれなオペラやバレエの紹介があったので、また見てしまった。それで終わらず0時15分からの「芸能花舞台」も見てしまった。作曲家の石井真木さんの追悼番組で、西洋と東洋の融合というのか、3つの作品がとてもよかった。大きな桜の木の下で舞う中村雀右衛門がよかったし、熊野から船で出ていく僧侶のもよかったし、最後にやった安珍清姫伝説を現代風に解釈した「大蛇」もよかった。

2003.9.7


今夜も丸元さんの料理


晩ご飯はなに食べよと相談しても案が出ないときは、丸元さんの料理に決まっている。本を開いて決めるときもあれば、スーパーで魚を眺めつつ、丸元さんの料理方法を思い出すときもある。今日は連れ合いがスーパーでイワシがうまそうだったから「酢なます」をしようと買ってきて、ついでにつくってくれた。つくってもらうと倍おいしい。
作り方は、生姜を炒めて、手開きして骨を取ったイワシと、大根と人参の千切りを入れて炒める。醤油と砂糖で味付けし、火を止めてから酢を加えて混ぜる。酒のサカナによし、ご飯のおかずによしである。
丸元淑生さんの名を知ってから20年以上は経っていると思う。最初は文庫本だった。「システム家庭料理」というようなタイトルだったかな。
その頃はあんまり料理が得意でなく外食大好きだった。持っていた料理の本は「別冊 暮らしの手帖」の中華と和食くらいだったが、100くらいある料理のうちでできるものは20くらいしかなかった。手をかけるのがめんどうくさく、魚を刺身か焼くか煮るか、野菜を炒めるかおひたしくらいだったなぁ。それにみそ汁、漬け物、納豆くらいだったか。あら書いてみるとへんなものは食べてないな。エンゲル係数が高いのを自慢にしていたくらいだから、大食らいでもあった。
そんなときだったから、理路整然としたシステム家庭料理の本を読んで、ほんまに気持ちを入れ替えた。それ以来丸元料理の本が出版されると、必ず買ってつくって楽しんで食べている。食材や火加減など、書いてあるとおりにするとちゃんとできあがるのである。うちのビタクラフトの鍋はみんな貫禄がついてきた。

2003.9.6


栗田 勇「花のある暮らし」


栗田勇さんの本を知ったのは70年代だったろうか。ロートレアモン「マルドロールの歌」、アンドレ・ブルトン「ナジャ」などフランス文学の翻訳書がいまも本棚にある。その本を読みこなせないうちに年月が経ってしまった。1986年のはじめ新聞広告で見たのが「神やどる大和」、フランス文学から古代日本へと興味を移されたのかと、さっそく買い求めた。この本のことはまたいつか書くつもりです。
岩波新書の「花のある暮らし」を読みだして1年近く経つ。出かけるときにバッグに入れておいて、時間待ちのときや、喫茶店に入ったときに読んでいる。好きな花のところを読み、現在の季節のところを読みというぐあいに、同じところを何度も読んでいるが飽きない。
内容は四月 牡丹、五月 つつじ、六月 あじさい、七月 朝顔、八月 撫子、九月 桔梗、十月 すすき、十一月 いけばな、十二月 盆栽、一月 竹、二月 柳、三月 桃、となっている。それぞれの月の花について語っているわけだが、古い和歌などの引用や、源氏物語や枕草子などで語られていることなど、とてもやさしい文章で書いてあるので勉強になる。
ひとつひとつの花についての文章はそれぞれ楽しいのだが、「盆栽」の章になって、あっ、これを栗田さんは言いたかったのかと思い当たった。【鉢植えは見る人と見られる樹木が対立関係にある。】しかし、【盆栽ははっきり言いますと、自然の、全宇宙の、生命のシンボル=象徴です。】こう言える栗田さんは、盆栽に魅せられて盆栽を育てようと思い、勉強することにする。いろいろと調べてNHKのカルチャーセンターの盆栽教室に、2年間毎週通って免状をもらったという。なるほど、なるほど、言葉に説得力があるはずだ。わたしはまだ対立関係にある鉢植えを眺めている段階で、まだなんにもわかってないのだな。(岩波新書 740円+税)

2003.9.5


VFCホームページ5周年


1998年9月4日にホームページをはじめてから5年経ちました。今日から6年目に入ります。掲示板はだいぶん遅れて2年弱です。ヴィク・ファン・クラブをはじめてからは12年近く経っています。よく継続してやってきたものと、われながら感心しています。これからいつまでできるかわからないけれど、できるだけやっていこうと改めて思いました。
最初は2・3年したらいいさと思ってVFCの世話人を引き受けたのでした。それが12年間休まず会報を発行し続け、よろけながらも例会を維持し、そしてホームページを持ち、掲示板では新しい友人たちができました。会員のみなさまの積極的な参加があったおかげです。
このサイトをつくるきっかけになったのはサラ・パレツキーさんの一言でした。サラさんが日本語のホームページが欲しいと言われたのが、早川書房の編集者だった村上さんから私に伝わりました。それから夫を巻き込み、4ヵ月の後にVFCサイトが発足したときはほんとにうれしかったです。
「 SARA PARETSKY SITE 」は、サラ・パレツキーとヴィクに関するページをつくりたいと思い、会員でミステリー評論家の広辻万紀さんにお願いしました。広辻さんはサラ・パレツキーとヴィクを紹介する「パレツキーズ・アイ」(日本語と英語)を書いてくださり、完璧な「著作リスト」をつくってくださいました。2年前にお亡くなりになったのがとても残念です。後をついで「ヴィク・シリーズの人々」や書評などをアップしています。最近ちょっと停滞していますが、「著作リスト」の引き継ぎや書評など充実させていくつもりです。
VFCの会員は米寿に近い男性から20代の女性まで多彩です。それは「 SARA PARETSKY SITE 」「 CHICAGO 」「 MYSTERY 」「 ESSAY 」「 KUMIKO PAGES 」の各ページを読んでいただければわかってもらえるでしょう。これからも会員の新鮮な原稿をアップしていきます。そして掲示板で新しい友を得たいと思っています。ようやくきた5周年ですが、今後も毎日毎日を楽しみつつ前へ進んでいきたいと思っています。

2003.9.4


堀切ミロさん


いつごろからか新聞を広げると、阪神タイガース関連記事のつぎに、お悔やみ記事に目を通すことが多くなった。経済人や政治家など知らない方が多いけれども、たまに知った名前に出会う。わたしが若いころに活躍していた人だと、あの人が…と感慨無量になることも多々あるようになった。
今朝の新聞のお悔やみ記事に堀切ミロさんがあった。60年代の「平凡パンチ」や70年代の初期の「アンアン」で活躍していたスタイリストである。わたしはそのころ東京の雑誌をかっこいいと思っていたが、たいていそれはマガジンハウス社の雑誌だった。堀切ミロさんはスタイリストとして裏方の仕事をしているだけでなく、「スタイリスト」という新しい女性の仕事をしている女性としても雑誌に登場していた。モデルもやっていた。
ぜんぜん美人でないけれどド派手な顔立ちと、流行をリードする過激な色づかいの服装とインテリアはかっこよかった。なんか女性に好意をもたれるところがあった。イロケはいっぱいあるけど、それを表面に出さないで大口開けて笑っているという感じがよかった。59歳とは若すぎる死だ。

2003.9.3


アイスワイン


暑いと思ったら今年最高の暑さの35.5度だったという。しんどいはずである。風邪引きは相変わらずだが、BBSでるりこさんが教えてくれた対処法でだいぶましになった。梅醤番茶(土生姜をしぼったのと梅干しに醤油をたらして熱い番茶を注ぐ)を飲んだら、汗がどばっと出て壮快になった。そしてイソジンでウガイだ。わたしは実はイソジンが苦手なのだけど、そうは言っておられない。さっそく買ってきてもらってウガイした。明日の朝は気持ちよく目覚めたいものだ。
誕生祝いにアイスワインを3本もらったのを、2日早いがさきほど1本飲んでみた。アイスワインという名前を聞くのもはじめてである。極めて小さいがおしゃれな瓶から小さいコップに注いで飲んだ。高貴な味というか、上等なケーキを液体にしたという感じ。文字通り甘露だった。
説明書とネットで調べてみた。アイスワインは、葡萄が氷結したときに一気に収穫し一気にしぼったもので、果実の中の水分は凍るが果糖は凍らないので、しぼるとぽたぽたと液体になって出てくるのをワインにするそうだ。
さて、阪神タイガースは7対4で広島に勝ち、めでたくマジック9となった。ここまできたらあと少しだ。これから毎日たいへんだなぁ。

2003.9.2


今夜は立原道造の詩を


たまたま調べたいことがあって古い作家や詩人の文章が載っているサイトがないかと探していたら、「つれづれの文庫─趣味の文書室─」に行き当たった。ずっと古いところは「梁塵秘抄」「閑吟集」があり、あとは明治・大正・昭和で俳句、詩、随筆、アイヌ神謡集などがある。
探していたのより先に立原道造の名前がなつかしくて、本なら手に取るところを、クリックして開いた。なんと言っても「萱草(わすれぐさ)に よす」、その中の「のちのおもひに」なのだ。
  夢はいつもかへって行った 山の麓のさびしい村に
  水引草に風が立ち
  草ひばりのうたひやまない
  しづまりかへった午さがりの林道を
声に出して読んでいると、昔持っていた詩集の立原道造の写真が浮かんでくる。草の上に寝転がってきれいな目でこちらを向いている姿。広い額、幸せそうな表情。
軽井沢や追分みたいなロマンチックなところではないが、山梨県の祖母の家の近くにそんな草原があった。小川が流れて岸辺に水引草があえかに赤い細かい花を見せていた。わたしにはじゅうぶんな野原であり小川であった。夏休みの終わりごろ、だれもいな野原に寝転がっていた。泉があって水がわき出し、空が青かった。
そのときからすでに何十年もその場所には行っていなくて、心の中の野原だけが残っている。「しずまりかへった午さがりの林道」を桑の実を食べながら歩いたのは、ほんとにあったことなのだろうか。

2003.9.1

写真:南堀江のカフェ

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