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2003年5

 


あつもりそば


昨日「出石そば」という生そばを買ってきたので、今日のお昼はざるそばにすることにした。蕎麦つゆをつくったのだが、お腹が空いてつゆが冷めるのを待っていられない。昨日のるりこさんの献立日記(「子育ち食堂」の中にあります。リンクページからいってください。献立日記にはわたしも朝食メニューを書いてます。)に「あつもり」があったのを思い出した。冷たいそばをあったかいおつゆにつけて食べるのを「あつもり」というそうだ。真似したらおいしかった。今度から自分でつゆをつくったときは「あつもり」にしよう。
それで思い出したんだけど、友人の蕎麦屋「そば切り天笑」では、鴨しる蕎麦というのがあった。あれは一昨年のことと当ページのバックナンバーを調べたらありました。2001年7月のこと、京阪枚方市の駅からすぐのお店である。ざる蕎麦を鴨とネギの入った熱々の汁で食べる。これはうまかった。すぐまた行くようなことを書いているが、そのまま2年近く経ってしまった。今年は絶対行くぞと改めて決意した(笑)。

2003.5.31


アーシュラ・K. ル=グウィン「ゲド戦記 最後の書 帰還」


第3巻の感想を書いてから1週間経った。3巻までは冒険の物語だから、全体にただよう生真面目さと細部へのこだわりに感心しながらも、一度読めばよかったが、今度は違う。もう一度ゆっくりと読み直した。
このシリーズのもう一人の主人公テナーは、25年前ゲドの助けで死の国から甦えり、ゲドの言葉に従ってゴントに住むゲドの師オジオンのところに身を寄せた。しかし、女として生きたいと村の農園主と結婚し子どもを持つ。夫は3年前に病死し、息子ヒバナは船乗りになり、娘リンゴは結婚して街に住んでいる。
いまテナーがいっしょに暮らしているのは、強姦され火に投げ込まれたのを助けた少女テルーである。死の床のオジオンに呼ばれて丘の家に行ったテナーは、オジオンを葬ったあとで、竜が飛んでくるのを見た。竜の背に乗っていたのは瀕死のゲドであった。ゲドは前作の冒険で魔法使いの術を使い果たし、普通の男として現れたのである。というところから、テナーとゲドのゆっくりした恋物語がはじまる。
テルーを強姦し火に投げた男はまたも2人につきまとってくるが、逃げた先でうまく王の船に助けられる。王はゲドを探してこの港に船を留めていた。テナーの嘆きはDV被害にあったいまの女たちの嘆きと同じである。テナーが1年かかって癒してきたテルーの恐怖心が、またつきまとわれたことで、元にもどってしまう。
大魔法使いで大賢人であったゲドが闘いで魔法を使い果たしてしまい、故郷へもどって山羊の番人として山で暮らし、ついに山を下ってテナーのところにくるのだが、そのときにテルーを狙っていた男を熊手で刺し2人を助ける。テナーが言う。「さあ、あなたはいよいよ一人前の男。まず、別の男を田楽刺しにして、それから女と寝たんですもの。それこそ順序どおりっていうものでしょう。」男女ともにかっこいいわ。
テナーとゲドとテルーの家族が身を寄せ合って暮らしているところがよい。農園での日々の労働と快い語らい。息子が帰ってきたので、3人はオジオンの家で暮らすことにするのだが、そこへ行く途中、ずっと彼らを目の敵にしていた領主の魔法使いの手で、崖から突き落とされる瞬間、やってきたのは竜カレシンであった。

2003.5.30


ソロバンからパソコンまで


公園の植物にも確実に季節がまわってきて、見事に咲いていた花が終わって緑が濃くなった。その代わりにアジサイが咲き出し、クチナシがツボミをつけ、ムクゲが主張しだしている。
先日プールの指導員に言われた「運動も食べるのも80%に」という言葉を守って(食べるほうは無理だが)、ガンバルのを抑えて八分目、そして人の話にはできるだけのるように心がけている。青年があれ以来姿を見せないのは、就職かなんかで辞めるので、最後に言ってくれたのだろうか。感謝です。
プールの隅での会話だが、なにか仕事をしているのかと聞かれて、「自営業、パソコンで…」とあいまいに答えたら、「若いときからパソコンやってたらできるわなぁ」だって(笑)。「えーっと、若いときはソロバンで、それから電卓になって、15年前からパソコン」と答えたら、「ほんまやねえ、私も働き出したときはソロバンやった」とわかってもらえた。60歳まで働いていたが、定年で仕事を辞めて年金暮らしだという。「働きたいけど雇ってくれるところがないやん。自営業はいつまでも働けてええなぁ」と言う。うちら働らかな食われへんがな。
そのあと思い出にふけってしまったのだが、えらく長い道のりを歩いてきたものだ。50数人の従業員がいる会社で経理をしていたときは、ソロバンで給料計算も決算の計算もしていた。年末調整の報告で1年分のタテヨコ計算が合わなくてナンギした。電卓が入ったときは、計算が合ってるのかとソロバンで検算してみたっけ。いまはファイルメーカーやエクセルで一発やもん、ラクなもんやわ。

2003.5.29


田辺くんか松本くんか


お正月のテレビで忠臣蔵(大石内蔵助が中村吉右衛門で妻の役を黒木瞳がやっていた)を見たときに、だれよりもぐっときたのが清水一角役の田辺誠一だった。陰影があっていままでの忠臣蔵の清水一角とはちょっと違っていた。一目惚れ。
それで田辺の名前を覚えていたところへ、テレビドラマに出るというんで、水曜日の10時から「私はペット」を毎週見ている。同名のマンガが原作で、エリート新聞記者のスミレ(小雪)がマンションの前でダンボールに入ったケガをした男の子(松本潤)を拾い、モモと名付けてペットとして飼うことにするという話。
それがおもしろいのは小雪の浮世離れした美貌と長身、そして松本潤のこれまた浮世離れした性悪な可愛らしさである。ふたりはセックスなしでお風呂に入れたりいっしょに寝たりご飯を食べたりと、飼い主とペットの暮らしを続ける。モモがいなくなるとスミレはネコがいなくなったときのマジナイをして帰りを待つ。つまり「まつとしきかばいまかえりこむ」と書いて、モモの好物のオムライスをマンションのドアの前に置いておくのだ。
そこへ海外赴任から帰ったエリート記者田辺誠一が、ずっとスミレのことが好きだったと言う。田辺には女子社員がからみつくように寄ってくるが、彼はスミレ一筋で、今日の放送ではエンゲージリングを買ってきてプロポーズしておりました。
かたやモモくんはクラシックバレエの天才的な踊り手なのだが、親の英才教育を逃れて新しい踊りで注目を集めているダンサーということがわかってくる。
さて、どないしょう。主人公もどっちにするか悩むところだろうが、わたしも田辺か松本か迷っている。どっちもいいけど、松本のほうが役としてはトクだよな。

2003.5.28


お帰りなさい、久慈選手


すんません、またも野球の話題です。時間がないとぼやいているのに、テレビで野球があるとどうしても見てしまう今日この頃です。今日は用事をしながら、お風呂に入りながら、ご飯を食べながらの、ながら見でしたが最初から最後まで見てました。
今日のわが家の話題のトップは久慈照嘉選手。1992年から97年まで阪神にいて、その後去年まで中日にいってたのですが、今年帰ってきました。あたしの母親と同じ山梨県出身(サッカーの中田選手も山梨県出身)で、目立って小柄なんだけど、巧いし、闘志あふれるプレーをするところが好きです。
ベンチ入りしているところを見て、もしかして途中から出るかも、と思っていたら、ほんと最後のほうでしたが守備に出てきました。お帰りなさい、久慈選手、応援しているからがんばってね。

2003.5.27


冨士見二丁目交響楽団シリーズ第五部「雪の宿だより」


約3年ぶりに「小説June」を買った。ジュンク堂2階で本を買ってエスカレーターで降りるときに、そや久しぶりにジュネを買おうと思いついた。たしか月末に新しいのがでる、それは多分7月号だと思ったが、いまさらなんでもいいやんと思い返して、そこにあった6月号を買った。もちろん、表紙に「秋月こお フジミシリーズ」とあるのを確認して。
最後に読んだのが、守村悠季がイタリアでバイオリニストの内弟子になっていて、恋人の桐ノ院圭がハンガリーでの指揮者コンクールに1位なしの2位という成績をおさめたときだった。しょうもないことをよう覚えてるなあ(笑)。
3年経って読んだいまは、圭はブザンソンとバーンスタインの2つのコンクールで優勝、来年から日本を代表する交響楽団の常任指揮者となるという25歳である。読みだしてから10年近い年月が経っているけど、小説では3・4年くらいしか経っていないようだ。1歳年上の悠季はまだイタリアで修行中の身である。年末年始をいっしょに過ごすために、2人は日本に帰ってきた。悠季の実家の近くにある旅館に泊まることに決めているが、大晦日に墓掃除のために2人で行く。そこで家を継いでいる姉に、ただの男同士の友人関係以上のものがあるのではないかと追求され、悠季は遂に2人は結婚した仲だとカムアウトする。隠れ家みたいな宿屋で3日間を過ごして…。さあ、来月はどうなるのかな。月が変わったらすぐ次号を買いに行きそう。後藤星のイラストがとてもきれい。
イラストと言えば「春を待つソナチネ」という97年に掲載された作品が名作復刻としてあるのだけれど、ハルノ宵子の挿絵が品があって美しい。

2003.5.26


田村セツコ「少女時代によろしく」


先週アメリカ村の本&CD&雑貨店ヴィレッジヴァンガードで買った本。ここは広い店内にジャンル別に本の売り場が島のようにあちこちにある。アート、絵本、料理、マンガ、文学は作家やテーマ別にあちこち、自殺本のコーナー、精神世界のコーナーなど。その中に乙女ものコーナーがあって、行くたびにのぞくのが楽しみなのである。
中原淳一、内藤ルネの本ががたくさん平積みしてあって、いまが盛りの嶽本のばらもある。先週行ったときその真ん中に平積みしてあったのが田村セツコ「少女時代によろしく」だった。わたしは中原淳一イノチだった時代があり、松本かつぢの「くるくるくるみちゃん」のドールハウスを持っていたことがある。内藤ルネはわたしの少女趣味最後の人であった。後々少女マンガに出会うまでの20年近くを少女ものから離れて生きていたのである。
だから、田村セツコの名前を知らなかった。表紙はあまり好きでない(あまりにも子どもっぽい)画風なので、フンとか思って手に取ったのだが、「アレ、マー、なんて楽しいんだろ、なんでいままで知らなかったんだろ」と幸せになった。もちろん買って帰った。疲れたときに手にする本が1冊増えた。
田村セツコは松本かつぢの弟子だというから、古い人なのだが、いまも現役でみずみずしく楽しい少女の画を描いている。昨日VFCの例会で私よりも20年ばかり若い人に聞いたらちゃんと知っていて、雑誌の付録によくあったと思い出して懐かしがっていた。1982〜90年ポプラ社発行の名作絵本シリーズの表紙があるが、ほんとに可愛い主人公たちである。サンリオの「いちご新聞」に連載続行中ということで、ちょっと見てみたい気がする。(河出書房新社 1400円+税)

2003.5.25


笑わず餅


四つ橋方面まで用事で行った帰り道、仲田まりこさんの絵はがきとバッジを画廊Erioで買い、ほんとにまあ新町は変わっていくなあと街を眺めながら歩いた。昔からあったお店がなくなって、いまはおしゃれなカフェになったり洋品店になっている。ほんとにミナミにもキタにも行くことないわ、このへんで充分遊べる。
古いお菓子屋「廣井堂」の前を通ったら、「笑わず餅」というポスターが貼ってあった。なんでも知りたがるクセが出て立ち止まった。食べるものは食べてみないとね。お店に入って2つくださいと言ったら、若いおかみさんが冷たいお茶とお菓子を出してくれ、笑わず餅の由来を話してくれた。お餅についている由来書を引用すると、【陰暦6月16日、江戸時代には疫病除けを祈願し『嘉祥の儀』が行われ、民間では、餅や菓子を『笑わずに食べる』とい云う風習がありました。】ということで、大阪のお菓子屋さん10数軒が売っている。笑わずに食べて、その後で大笑いしたら厄よけになるそうな。
絹こし豆腐のパックみたいな入れ物に水ようかんのようなものが流し込まれていて、小豆がところどころに入っている。1つ300円だから水ようかんより高いけど、2人で食べられるからいいかな。

2003.5.24


DVDで見た最初の映画「フェイス・イン・ラブ」


今日は野球もないことだしと、レンタル屋さんでDVDを借りてわが家のiMacで見ることにした。
「ためいきつかせて」のテリー・マクミランの小説の映画化で、ウェズリー・スナイプスが製作総指揮&主演の「フェイス・イン・ラブ」。iMacの17インチ液晶モニターはキメが細かくて色がきれいである。
ウェズリー・スナイプスはずっと昔のスパイク・リー監督「モ・ベター・ブルース」と、見ていてむちゃくちゃ疲れた「ブレイド」くらいしか覚えていないが、どことなく好きなので、恋愛物だしいいかなという気持ちだった。スナイプス以外は、製作、監督、原作、脚本、撮影がすべて女性という映画である。
雇い主以外は黒人しか出てこなくて、スナイプスは建築労働者、相手役のサナ・レイサンは音楽の教師をしながら作曲の仕事を目指している。彼女が引っ越してきた部屋の内装をしていた彼は、うまが合ってすぐにつきあうようになる。しかし、彼には子どもが2人と離婚手続きがすんでいない妻がいると告白する。それに失業はするわ、高校を中退していて資格がとれないわ、と難題続出だがなんとか乗り切る。
そのうちに妊娠して出産と続くが、仕事がなくてどうもならない彼に、彼女のイライラがぶつかる。それまではなんとか元のサヤにもどれた二人だが、彼女が切れてしまうと、彼は部屋の中を壊しまくって出ていく。
それから1年経って、街に彼女の歌が流れるようになる。彼は必死で勉強して高校卒の資格をとり、離婚もして、すっきりと彼女の家を訪れる。
スナイプスがいい味を出して建設労働者を演っている。「ブレイド」の後で地味な役をやってみたかったんだろうな。
二人が彼女の友だちの家に食事に招かれるところがあって、ワインが出てジャズが流れている。そこで、インテリさん相手にスナイプスが、「いまどきのジャズは白人と日本人が聴くものだ」と言ったときは、なるほどなーと思ったのでありました。

2003.5.23


アーシュラ・K. ル=グウィン「ゲド戦記 3 さいはての島へ」


とうとう半分以上きてしまった。「ゲド戦記」第3巻はローク島の魔法学校の庭園からはじまる。トネリコやニレの若葉が輝く噴水のある中庭で、一人の少年がナナカマドの根のところに座って、じっと噴水の水を眺めていると、ゲドがやってきて言葉を交わす。アレンという少年は大きな国の王子だが、最近の諸国のありさまがおかしいという情報を得る。そして自分の国でも邪なものが活動をはじめたので、ロークの賢人の智恵を借りにきたという。ロークの長たちも最近の世の中の様子を憂いていた。そしてゲドとアレンは出発する。さまざまなことを経験した後、2人は竜の導きで死の国との境界線を越える。
羊飼いだったゲドはこの作品では魔法使い中の魔法使いである大賢人として登場する。彼の力で腕輪がつながったことで、世界は平和になったが、また邪な力が世界を支配しようという企みがはじまり、それを阻止するため、凛々しい少年を連れて旅に出たのだ。
この作品では“生と死”が大きなテーマである。人間はいつか必ず死ぬということを知っているのは、天から授かった贈り物だといういうことをゲドは若者に語る。また、闇の王はどこにいるかという質問に、「わしらの心の中にだよ。」と答える。また、「死というものはたしかにたいへんなもの、(中略)そして、生もまたたいへんなものだ」、また、「向こうで、あの方は土になり、日の光になっておられる。木々の葉となり、また、ワシになって飛んでおられる。死んだ人々はみな生きている。」など、じっくりと吟味したい言葉があちこちに輝いている。
仕事を終えて息も絶え絶えなゲドを背負いアレンはもどっていくと、竜のカレシンがきて2人を背に乗せ、ローク島に連れて戻ってくれた。アレンはこの旅を経て成長し、立派な王として世界に君臨することになる。ゲドはなつかしの故郷へ戻っていく。

2003.5.22


よその人のスポーツ新聞


2週間ぶりに昼休みの時間にプールに行ったら、常連さんたちにあれこれとニュースを聞かされておかしかった。“なにごとも80%で”と考えることにしたら、うわさ話を楽しむ余裕もできて、いつになく立ち止まって聞いていた。
帰りのバスに乗ったら、向こう側にスポーツ新聞をがばっと広げて読んでいる人がいて、その外側の写真と大きな文字(つまり1面と最後のページ)が読めてラッキーだった。1面はもちろん阪神の桧山選手で、最後のページは相撲の栃東である。どちらも長いこと不振だった。桧山は濱中がケガした代わりに出て3安打の快挙、栃東は13連敗中の魁皇を破ったのだからめでたい。
今日も阪神が勝った。テレビをつけたら1点取られたところだったが、すぐに桧山のヒットと片岡のホームランで逆転した。しかもそのあとは順調に点を取って勝った。今年はほんまに強いわ。しかし、栃東は千代大海に破れてしまった。

2003.5.21


アーシュラ・K. ル=グウィン「ゲド戦記 2 こわれた腕輪」


「ゲド戦記」第2巻の最初にはゲドが出てこなくて、いきなりテナーという少女の生い立ちからはじまる。テナーは貧しい農民の5番目の子どもだったが、死んだ大巫女の生まれ変わりとして神殿に連れて行かれ、アルハと名付けられて教育される。成長して大巫女になり、男子禁制の暗黒の墓所を一人で歩くこともできるようになり、囚人への残酷な処刑命令もくだすこともする。ある日、その暗黒の墓所に一人の男がいた。ゲドである。ゲドを殺すことができたのに、生かしてしまったアルハはゲドに説得されて、失っていた自分を取り戻し、共に逃げ出してタナーとして再び生きはじめる。というようなストーリーなのだが、読者は準備万端整ってゲドが登場するまで、じっくりとした語り口にのせられて、暗黒の世界をさまようことになる。
第1巻でゲドは絶海の孤島に漂着し掘建小屋を見つける。そこには男女の老人がいた。彼らは赤ん坊のときにこの島に葬り去られて以来、ここで年を重ねてきた。老婆が大切そうに出してきた服は王女のものだった。彼女は腕輪の半かけをゲドにくれた。この腕輪が第2巻のテーマになる。
テナーのところにあった腕輪の半分と合わせてみると、腕輪はぴったりとつながった。ゲドとテナーは明るい世界にもどっていく。物語の最後は明るく輝いている。
わたしが気に入ったのは、緻密な物語の中に、ときどきほのかに明るい箇所があることである。「じゃがいもと春たまねぎの夕食」をとる場面、友だちの少女がリンゴを持ってきて、アルハは食べないで、友だちがおいしそうに食べるところがいい。また、イチイの木、ナナカマドの木が出てくるとなんだかうれしい。

2003.5.20


吉田真土個展(細野ビルヂング地下室にて)


1階の元事務室はついこの間まで長い間借りていた会社が引っ越していったばかりである。そこをいま修復作業中なのだ。わたしがビルの前を通ってこんなところを借りたいと思っていたころは、「区役所はこの先にあります」という看板と会社の看板が2枚あった。最近は外から見える2・3階の窓の中があか抜けしている。古い会社が出ていって、デザインや写真関係の事務所が入っているみたいだ。
親切なビルの案内に礼を言って、地下室へ降りていった。今日の吉田さんは2人目の個展とのこと。ここで個展をやりたいというアーティストがたくさんいるそうなので、これから素敵なスポットになっていくのだろう。
地下室は上から降りてくると冷え冷えする。部屋というより、がらんとした空間である。画は描いた紙をそのまま壁に貼ってある。白地の紙に墨で描いた画は60年代ポップアート風で、だけど新しい感性が感じられる。若い女、中年の女、年老いた女の顔が、同じ方向を向いて叫んでいる横に長い画がとても気に入った。一人の女性が年取っていっている、その時間を感じた。とても地下室と合っている。
ボイラー室も見せてもらい、ここに石炭が落ちてくるところも確認させてもらった。
ビル建設から66年目ということで、6月6日に「66(ろくろく)展」という催しを行うそうである。6月6日〜8日なので気になるかたはご連絡ください。場所をお教えします。
外に出ると、ほんとに異次元で過ごしてきた感じである。いつの間にか夕方になっていたので、その足でチャルカに向かい、ケーキと紅茶でくつろいだ。その帰りは最近決まったコース、アメリカ村の本&雑貨店へ行き、少女ものの本を買った。

2003.5.19


大阪の名建築「細野ビルヂング」


西区役所の並びにある古びたビル「細野ビルヂング」(1936年建設)が最近脚光を浴びている。雑誌や新聞に出たし、テレビでも取り上げていたらしい。スーパーや図書館に行く途中でいつも一度中を見たいと思っていたら、ビルの地下室で個展をやっているのがわかって、よい機会だと相棒と行ってみた。
個展をやっているアーティストがちょうど外にいたので、建物の写真を撮ってもいいかと聞くと、すぐにビルの持ち主のところへ案内してくれた。ビルの持ち主は建てた人の三代目くらいに当たる人だろうか。気さくにまず社長室に案内してくれた。床に木目込みの板を貼ってあるため、底が柔らかいスリッパに履き替え、66年前からここにあるというソフアに座らせてもらった。社長の机と椅子、書棚とその上の胸像と時計、応接セット、金庫、コート掛け、そして天井から下がったシャンデリア風の電灯など、すべて当時のままである。少し黴の匂いがこもる部屋で、当主は親切にいろいろと説明してくれた。その次は応接室、事務室、玄関、トイレ、階段と連れて回ってくれた。大理石の1枚板のカウンター、考え抜かれた壁や窓の線、受付に立ったときに内部を見たときの目線を考えた柱の位置、なるほどというばかりである。事務室の作りつけの書棚の立派なことといったらない。
外に出たらマンホールのようなものの蓋をあけて見せてくれた。ここから石炭を投げ入れると、地下の貯蔵室に落ちるそうだ。当時は地下室で石炭を焚いてビル内のスチーム暖房をしていたんですね。
長い間、ビルの中はどんなだろと思っていたのが一挙に解決して満足であった。肝腎の個展と地下室のことはまた明日。

2003.5.18


ほんまに「今年は違う」のやろか?


今年の阪神は違うのか、最近テレビでもよく取り上げられるようになった。いちおう新聞のテレビ欄を見て、関連の番組があれば見るようにしている。昨日のNHK関西版でもやったし、さっきはブロードキャスターの時間でやっていた。ファンへのインタビューでは半信半疑っぽい答えがまだ多かった。期待して裏切られるのが怖いのがありあり見えてかわいい。
甲子園での対巨人戦、同じ得点で昨日は負けて今日は勝った。ご飯を食べながらテレビを見ていたのだが、選手一人一人の紹介がある。血液型、星座まで出るのがうるさいなと思っていたら、今岡選手のとき、あたしといっしょの「A型、乙女座」と出たので大喜び〜
18年前は何度も甲子園に足を運び、梅田阪神百貨店前から御堂筋行進に参加してひっかけ橋の上で「六甲おろし」を歌ったあたしだが、今年は体力がないので無理。川へ飛び込むシーンはテレビで見てるしかないかな。

2003.5.17


木村二郎さん訳 ドナルド・E・ウェストレイク「鉤」


この前に木村さんが翻訳された同じ作家の「斧」はリストラされた管理職の男性が、競争相手と判断した人間を殺していき、最後に仕事を手に入れる話だった。普通に生活している人間が冷静に考えて殺人を続ける、という怖ろしさが淡々と綴られていることに戦慄した。(このページの2001年2月に紹介しています。)
今回は二人の作家が主人公である。妻のルーシーとの離婚問題に悩まされて、小説が書けないベストセラー作家ブライスは、図書館で昔の作家仲間のウェインと20年ぶりに出会う。ブライスが成功したのに反しウェインは不運だった。そこで二人の間で約束が成立する。ウェインが書いたものを手直ししてブライス名義で発表し、お金は半分支払うというわけだ。それだけではなく、ブライスは二番目の妻のルーシーを殺すことをウェインに頼んでしまう。
ウェインは慈善団体の傘下組織で重要な地位にいる妻のスーザンと愛し合って暮らしている。スーザンはルーシーを殺すことには反対せず、自分とは関わりのないところでの話として受け入れる。ウェインはルーシーと知り合い、彼女の部屋に上がって目的を達する。拳銃ではなく毒殺でもない、投身自殺に見せかけもしない、その殺しかたにリアリティがあって怖い。
木村さんの訳書だからいつものとおり、親切な解説を先に読んでわかったことだが、「鉤」には「売れる要素」という意味があるそうだ。つまりこの作品は、ニューヨークに住むベストセラー作家と文芸代理人の話でもある。書けない作家に次の作品を書かすためなら、なにをしても平気な文芸代理人の酷薄さがわかる。書けない作家が困ったあげくに他人の作品を差し出すと、次の作品も彼に協力を頼まざるを得ない状況に追い込んでいく。反対に売れない作家はお払い箱にされたままである。
スーザンがブライスのコネティカットの家が気に入って休暇を過ごしたいと言うので、二人の作家はそこで作品を仕上げることにする。ウェインはルーシーを殺したことで、ブライスがなにか言ってしまわないよう言動に注意している。しかし、ブライスはルーシーがどういうふうに殺されたかを考え続けていて、ウェインが出かけたときにプールからあがったスーザンに話しかける「ルーシー」と。最後の数ページが怖いです。(文春文庫 762円+税)

2003.5.16


ビデオの映画「コヨーテ・アグリー」


気楽な映画が見たくてこの間から3本ばかり借りて見ているのだが、いいラブ・コメディなんてそうあるもんじゃない。今日借りたのは若者客の多い近所のレンタルビデオ屋さんが、人気があると推薦していたもの。
「コヨーテ・アグリー」はニューヨークのイーストビレッジに実在するクラブだそうだ。ニニュージャージーから1人の女性が、ソングライターを目指して67キロ離れたニューヨークに出てくる。テープを持って歩くがどこも門前払い、借りたばかりのアパートが空き巣に入られ、困って朝食を食べに行ったところで、「コヨーテ・アグリー」で働く女性たちに出会い、そこで働くことになる。クラブでの彼女らの元気な働きぶりがよい。セクシーというより勇敢という感じ。
恋人ができるがうまくいかなかったり父親と仲違いしたり、いろいろあるが、最後には舞台恐怖症を克服してデビューに成功し、なにもかもうまくおさまって終わる。どうこういうことは全然無いが、あっさりとしていてなにも考えずにすんで、こんな映画が見たかったのね。ジョン・グッドマンのお父さん役がよかった。

2003.5.15


田辺寄席の桂文太さん


30年近く続いている大阪の地域寄席「田辺寄席」に通い出してからまだ1年経っていない。主催者のOさんと阪神大震災のボランティアで知り合うまで、上方落語を聴くなんて思いもよらないことだった。それが意気を感じて田辺寄席ホームページをボランティアで作るところまでいってしまった。毎月きちんと更新しているので見てくださいね。田辺寄席の一端がわかると思う(当サイトのリンクページからいけます)。
桂文太という落語家が上方落語の世界で人気があるのか、どこらへんに位置するかも私は知らない。毎月の田辺寄席で「開口0番」と称して落語や落語の周辺の話をする。そのときの普段着の着物姿がいろっぽくて好きだ。そして本番の一席は古典落語である。たまに私が子どものときから知っている噺があるのがすごく楽しい。こういう噺は上方から江戸へ、また反対に江戸から上方へと移って長く共感を得てきたものだろう。私は関東出身者の家庭で育って、子どものときは江戸落語が好きだったので、いまも聴くと思い出すのである。
さて、今月の文太さんの噺は芝居噺「本能寺」であった。11日にさっさと書いてしまったのだが、その日にこられなかった中川さん(上方芸能研究者)が読んでくださり、文太師匠は「本能寺」をやりたいと言ってたけど、お囃子もふんだんに入るしたいへんなネタだから実現できるかなと思っていたが、ホンマにやりはったんですね、とメールをくださった。それで、こりゃ、わたしはたいへんなものを見聞きしたんだと気がついた。そやからもう少しくわしく書きたいねんけど、知識がなくてあきまへん。勉強してからいつか書きますよってに、今日はかんにんしておくなはれ、である。
あの日は最初からお囃子がすごかった。もう始まると思っていたらいつまでもお囃子が続くのだ。どうなってるのと思ったくらい。ナマのお囃子はずしんとお腹にこたえた。
文太さんは黒紋付きであらわれた。わたしはスゲエかっこいい紋だな、桔梗かななんてエエカゲンなことを考えていたが、今日調べたら桂文枝系の紋なんですね。「結び柏(細め)」だった。明智光秀、森蘭丸を演じる文太さんから立ちのぼるイロケにくらくらした。

2003.5.14


アーシュラ・K. ル=グウィン「ゲド戦記 1 影との戦い」


この作品を児童文学とかSFとかで分類するから読まない人が多いんじゃないか。この本は修養小説だと私は思う。人間として産まれて子どもから大人へと成長し続ける人間の物語なのである。
黒い肌の少年ダニーは、村でまじない師の伯母にハイタカと名付けられ、呪文を教えてもらう。あるとき村が強力な軍隊に襲撃されるがハイタカが呪文で霧を起こし村を救う。その話を聞きつけた魔法使いがやってきて弟子にする。偉大な魔法使いオジオンはゲドという名前をつけてくれ自分の側におくが、ある時、ローク島へ修行に行くかどうか自分で決めるように言う。ハイタカは考えた末、ローク島の魔法使いの学園に行くことにする。
ローク島の学園で、終生の友カラスノエンドウ、また敵となるヒスイと出会う。学院の中でヒスイと出会ったことはゲドの嫉妬心や功名心を顕在化する。ヒスイの言動にカッときて立ち向かいながら、自分の愚かさと向き合い体を賭して解決していくことで自分を知っていく。
その後もゲドは自分の影と戦い成長していくのだが、細部の描写がよくできているので読んでいて少しも飽きない。オタクという小動物と行動をともにするところもとてもよい。カラスノエンドウが本名を明かすところもよい。名前を名乗るということの真の意味がわかる。だからなににでも名前があるのだ。また魔法は名前があるものにかけるものなのである。
私らは魔法使いというものを、西洋発の童話や映画で知っているわけだが、結局なんだかわけがわからない存在だよね。ここでは魔法使いというものをとてもうまく説明してくれる。海の水を呪文で真水にするとか、船が行く方向に風を向けさせる呪文とか、生活に必要なことをしてくれる人たちだったんだ。
だけど、この作品は魔法や魔法使いについて書きながら、実は一人の少年の成長と世界の真実について書いているのだと思う。

2003.5.13


アーシュラ・K. ル=グウィン「ゲド戦記」を読み始める前まで


イギリス児童文学研究会「ホビットの会」にいたころに、「ゲド戦記」の第4巻が出たと記憶する。「ホビットの会」はイギリス児童文学の専門家や愛好家が集まった会なので、みんなすごい読書量と知識を誇っていた。その中では「ホビットの冒険」の主人公からとった「ビルボ」という名前を仕事場の屋号とした以外は、どうということのなかったわたしは、みんなの会話に遅れをとっていた。
そんなことにひるんだらアカンと、わたしは入会直後だったけど、ダールを取り上げたときには、ミステリーをからめて説明しようと、自らチューターを引き受けたものだ。奥さんがパトリシア・ニールだったと説明して離婚の話までして、ミーハー丸出し。しかもダールのミステリーも児童文学もあんまり好きでなかったのにやったのは、他の作家だと手も足も出ないから…。
へんな思い出話が出てしまったが、ホビットの会のみなさまがあまりにも「ゲド戦記」に熱くなっていたので、退けてしまったのね。それで読まないままに現在に至った。最近第5巻が出たと新聞に出ていたのを、掲示板でるりこさんが話題にされたのを機会に、わたしも読むことにしたのだが、存在を知ってから読むまで、なんと長い旅路だったろう。そう、第1巻を読み終えて、わたしも長い旅をしてきたと思った。いま読んだのがよかったのかもしれない。続く3冊がここにある。他の本と入り交ぜて読むことになるが、1ヵ月のうちには読み上げることにしよう。

2003.5.12


田辺寄席 第351回(2003年5月)


3月と4月を休んでしまったので、今日は一人でも雨でも行こうと勢い込んで早めに出かけた。地下鉄谷町線田辺の駅からの道に沿った家の木々も桃ヶ池公園の木々も、雨に濡れてみずみずしい緑であった。池の端には杜若が咲いている。
演目は、「開口0番・延陽伯」桂文太。浴衣姿の文太さんはイロケがあってかっこよい。女主人公の長い自己紹介や「じゅげむ」を言ってみせたり、若いときの稽古の話など。
「寄合酒」笑福亭風喬。寄り合って一杯やろうと食べ物を持ち寄るのだが、ごまかしたり、盗んだりして手に入れたものばかり。魚屋から犬が盗んだ鯛を取り上げて料理していると、その犬がきて吠える。仕切っている人が「やってまえ」(なぐって追い出せという意味)と言ったのを誤解した料理係がシッポ、アタマ、本体…と順番にやってしまう。
「こんにゃく問答」桂楽珍。楽珍さんは会場に来られるときに駅で田辺寄席の会場を駅員に聞いたがわからないと言われた。そこへ「私もこれから行くので…」と男性が現れた。「私は出演者だっせ、“も”とはなんや…」に笑わされた。その他出身地の徳之島の話などマクラが面白くて本筋の記憶があいまい。
「打飼盗人」桂福矢。泥棒に入った家が超貧乏で、かえって泥棒が商売道具などを質屋から請け出すお金や生活費を渡するはめになる。
「本能寺」桂文太の芝居噺。明智光秀が織田信長に謀反をする歌舞伎をネタにした噺である。手拭いが舞台の幕となり花道の揚げ幕となる。光秀が劉備玄徳の名前を出して諫めると、信長は煩わしいとばかりに森蘭丸に光秀を鉄扇で打たせる。本能寺での森蘭丸の最後。これまたかっこいい文太さんであった。
「天狗裁き」桂楽珍。亭主が昼寝で夢を見ている様子。女房はその内容を教えろとせがむが、亭主は覚えていない。夫婦げんかの仲裁にきた隣人がその夢を教えろとまたケンカ。その次は家主で、ケンカが家を出ていけになって裁判沙汰になる。お奉行が今度はなんの夢かと聞くが答えないので木に吊される。風が吹いて飛ばされたのは天狗のところ、また夢の内容を聞かれるが言えない。うなされているところで女房に起こされる。「なんか夢みてはったん?」

2003.5.11


ケータイを買い換え


もう3年近くPHSを使っていたが、今日TU-KAに乗り換えた。先日なんの番組のときだったか、突然松本人志がケータイのことを話し始めた。TU-KAのコマーシャルで、彼が手に持っているケータイは単純な道具であることを強調している。これだけのことができたらええやん、という言い方に説得力があった。だってあたしが説得されちゃったんだもん。あたしは写真を送るなんて全然思わないから、単純に電話ができて料金が安ければいいのだ。
というわけで、先日バス待ちの時間に停留所前のケータイ屋さんで、「松本人志のコマーシャルのケータイが欲しい」と言った。必要書類を聞いて帰ったので、今日は買いに行った。
PHSは「オリーブ」が良いデザインと薦めていたもので、真っ白なのが気に入っていたが、字が細かくて使いづらかった。といってもメールをするわけでもなく、ときどきの連絡電話と時計代わりにしていただけだけど。
今度のはまず表示される文字がが大きいのがよい。時間の表示なんかびっくりするほど大きい。そのうちメールくらいはしようじゃないか。

2003.5.10


なにごともほどほどに…


昨日は美容室 schrit Hair(シュリットはドイツ語でステップという意味だって)にアケビのカゴをさげて行ったら、お店の人や他のお客さんや若者に大受けした。こんなカゴが今年の流行なんだって。30数年前にできたばかりの心斎橋パルコで買ったというのも効いたみたい(笑)。髪をうんと短く切ってもらって明るい色に染めてもらった。バカ話をしてリラックスできたし、お返しに「なたね梅雨」「走り梅雨」なんて言葉を教えてあげた。
今日はプールへ行ったんだけど、いろいろと考えごとがあって、ずんずん歩いていたら息が上がってきた。そこへ最近よく話をする指導員のお兄さんが近寄ってきた。天気のことなどを話したあとで、「僕は水泳を教えるときによく言うんやけど、運動も食事も80%がいい、やりすぎは禁物」と言う。私がずんずん歩いているのを見て余裕がないと思ったみたいだ。「ほんと、なんでも全力投球やもんなあ」と猛反省。それから後はうんと気がラクになってすいすいと歩いた。歩いているときにシリアスなことを考えてはアカンね。

2003.5.9


谷崎潤一郎「痴人の愛」


小学校のときに読んでから何十年も経っているわけだが、かなりの部分を覚えているのに驚いた。枝葉の部分を覚えていてもしょうがないようなものだが、細部に亘って神経が行き届いているからこそ覚えていたのであろう。気持ち悪いと思ったのは、ナオミが譲治を馬にしたところ、お風呂に入れるところ、などのエロチシズムがわからなかったからだろう。小学4年生にわかったらおかしいが…。そして子ども心にも、こんな女といっしょにいないで別れたらいいのにと思ったり、いやいや別れられないと本人が書いているんだ、いやらしい、とか思っていたわけだ。そして谷崎=いやらしい、で何十年、えらい損をした。しかし、この年になって読んだからこそ、いろいろと見えるのだとも思うんですね。まあ全然読んでいなかったわけではなかった。「細雪」以外にも「少将滋幹の母」「陰翳礼讃」など読んで感動したのを思い出した。
「痴人の愛」は1925年(大正14年)に出版された小説である。いま読むとその時代に突出した夫婦生活を送ったナオミとジョージの姿が初々しくさえある。そして、同時代のアメリカの小説「グレート・ギャツビー」のことを考えると、この貧しく陰気で湿ったところが日本の近代なんだとわかった。
最後の【ナオミは今年二十三で私は三十六になります。】の1行、すごいわぁ。

2003.5.8


そうめんのふし─バチそうめん─


昨日は5日ぶりにプールへ行ったら、帰ってから肩こりがやけにひどくなった。肩が凝ってはいたのが、運動したら顕在化してしまったらしい。晩ご飯を食べたらどうにもこうにも、しんどくて掲示板だけ書いてこちらはお休みした。早寝したせいか今朝はすっきりしていたので、結局運動と休養が効いたのだと思う。今日もプールで1時間歩いてきた。
今日の晩ご飯のみそ汁の実は「そうめんのふし」(バチそうめんというらしい)であった。先週のポランの宅配カタログにあったので、おもしろそうだと注文してみたのが今日届いたものだ。「ふし」というのは、そうめんを干すときに両端の麺棒にかかった部分のことである。きれいに揃ったそうめんは、この部分を切り落としてできたものなのだ。これを売りに出そうというのが微笑ましい。1袋200g入って220円である。もちろん国産小麦粉使用、奈良県吉野村発である。そうめんを入れたみそ汁とまた違った感じでおいしかった。
ついでに今夜の献立は、ビール、カレイの煮付け、フキと厚揚げの煮物、キュウリにマヨネーズ、モズク、納豆、ご飯、みそ汁、カツオのふりかけ、焙じ番茶、でした。

2003.5.7


アケビのカゴ


連休前の百貨店のチラシに目をひくカゴがあった。ブドウの木の皮で編んだカゴである。いいなあ、10,000円くらいかなとスペックを見たら111,000円であった。ああ、びっくりしたー。だが、それでいいのかもしれない。なまじ10,000円だったら買えるかもしれない値段だもん、迷わなくちゃいけない。
去年も百貨店で見たのだけれど、19,000円でしゃれた草のバッグだった。じっと眺めていたが、これは高価な服を着なければ持てないということが理解できて、立ち止まって値段を見たことを笑ってしまった。チラシの写真の限りでは111,000円のカゴはそんな高級感は感じられない。でも実物は違うんだろうな。大島とか紬とかの着物を着ないと持てないだろう。
そこで思い出したのがアケビカゴである。大阪のパルコができたときだから30数年前になる。パルコの中のおっしゃれな民芸品店でたしか3,500円で買ったアケビカゴが押入につっこんであるはずだ。出してきて水で洗って拭きこんだらきれいになった。これは買った当時、会社に持っていったら、工場のおっちゃんから納屋から出してきたのかと言われたものである。当時は気に入ってどこへでも持っていった。魔法瓶とおにぎりを入れてピクニックに行った思い出がよみがえってきた。よしよし、これでいいじゃん、ということで近所の散歩に持って出かけた。

2003.5.5


「あなたとつくりたい サポートネットMAT」に参加して


今日は大阪国際会議場の一室で行われた「あなたとつくりたい サポートネットMAT」という催しに参加してきた。女性ライフサイクル研究所(FLC)が昨年秋「NPO法人 FLC安心とつながりのコミュニティづくりネットワーク」を発足させた設立記念イベントである。
大阪国際会議場に入ったのははじめてである。いつもここでバスを降りてプールに行くのだが、無関係に聳えている建物の中に一度入ってみたいというヤジウマ根性もあった。たしかに広くてきれいでトイレもきれいだったです。
ゴールデンウイークの天気の良い日に、人が集まるだろうかと心配していたが、驚いた、盛会だった。300人くらいかな、用意された椅子はほとんどうまっていた。そして1時半から4時までのシンポジウムを、集まった人たちはしっかりと受け止めていた。
わたしは読んでないのだが、「だから、あなたも生きぬいて」という本で有名な弁護士大平光代さんをはじめNPO等の活動家とFLC所長の村本さんら5人がシンポジストだった。主旨がよくわからないながら参加したのは、FLCの会員になってから8年にもなるつき合いで、その活動を信頼しているせいである。また今回うちの事務所がFLCのホームページをリニューアルすることになって、FLCの活動内容をより深く知るようになったせいもある。
そんなことで、FLCサイトの掲示板で知り合いメール友だちとなった、のんこさんも参加されるというので、待ち合わせていっしょに席におさまった。初対面の人と会うのはいつもスリルがある。
被害やイジメを受けた女性や子どもが、話をしたくなったときに、話を聞く受け皿をつくっておくということはよくわかった。そのことでの具体的な事例が話されて、だんだん頭の中で今日の内容が整理されてわかってきた。
大平さんは最近シカゴでの被害者のサポートをしている人たちの集まりに行ってきたそうで、シカゴの活動家になぜこの運動をしているのかと質問したら、「それはお互いさまだから」と返事が返ってきたとおっしゃった。わたしはその返事で今日は満足できた。阪神大震災のボランティアをしていたとき、なぜ行くのかを聞かれて「それは他人事でないから」とわたしが答えたのと同じだ。

2003.5.4


小島麻由美「愛のポルターガイスト」


鉢植え用の土がいるのだが、近所の日用雑貨スーパーが閉店してしまった。それでしゃあないなあと心斎橋の東急ハンズへ行ったら売っていない。去年はたしか売っていたのに…。新聞のチラシを注意して見ていたら、ホームセンターコーナンがあったので、弁天町までバスで出かけた。ついでにスダレと障子紙とバジルの苗を買った。はじめて行ったのだが、なんかすごーく安い店である。
わたしはスダレと障子紙の束を持っていたのだが、バスを降りようとしたら、障子紙が抜け落ちておっこちるし…。車を持たない暮らしの維持はたいへんやなあとボヤキつつ帰った。
植え換えをすませて(やったのはわたしではない)、今度は堀江方面に散歩に行った。韓国の家庭料理の新しいお店が途中にあったので、ビールと焼酎を飲んで、キムチ餃子、ジャガイモチジミ、春雨炒め、ラーメンを食べて満腹。アメリカ村へ出てコーヒーを飲み、ぶらぶら本屋さん(雑貨やCDもあるおもしろい店)へ行った。
目当ては小島麻由美のCD「愛のポルターガイスト」である。半年くらい前にラジオで「ロックステディ ガール」を聞いてからファンになった。この間このお店で見かけてどうしようかと迷っていたのを今日買ったわけ。CDを買ったのは久しぶりである。
近場で楽しい休日であった。小島麻由美の「愛のポルターガイスト」いま聴いているけどいいです。とても。

2003.5.3


釣りに行ったのは一回だけ


昨日の掲示板に釣りに行った話を少し書いたので、今夜はもちょっとくわしく書きます。30年以上前のこと、男性2人が山登りを兼ねて釣りに行くという話を小耳にはさみ、女性2人が強引に連れて行ってもらうことになった。男女のハンディなし。同じように荷物を担いで歩くという条件である。
降りた駅も行った山の名前も忘れてしまったが、5月ごろの土曜日、早朝出発、近鉄の吉野の手前の駅で降りて、バスで山道を行く。女人禁制の大峰山に行く山伏姿が見られたから、大峰山系のどこかに行ったんだと思う。バスを降りてからが長い。川に沿って歩いていくとダムがあった。もっと奥の方へ歩いて行くと、川が狭くなり小さな滝があったりする峡谷となった。わたしは足を滑らせて川へおっこちたけど、ちょうど滝つぼのようなところへはまり込んだので、濡れただけですんだのがラッキーだった。
計画通り進み、キャンプ場所についたのは夕方であった。たき火をして服を乾かし、ご飯を炊こうとすると、お米の中に釣りエサのミミズが紛れ込んで大騒ぎ。男性2人はいわんこっちゃないという表情で冷たい。
テントを張って横になると、連れのNさんが男性陣に議論をふっかけはじめた。ピンクヘルもフェミニズムもまだない時代のことだが、わたしたちはまず登山で男女平等を主張していた。そんなわけでリクツが強いほうが勝ちという一方的なものであったが、Nさんは言葉に漢字が多い人で、ちょっと私は退けてしまったんだけど…。いまも漢字の多い人は苦手である。
翌朝は4時半に起きて、もっと先まで登ってようやく釣りである。わたしは1匹も釣れなかったが、全体ではけっこう釣れてキャンプ地に戻った。そこでフキとイワナの大饗宴となった。火をおこして串に刺した魚を焼いて、食べた残りはお土産になった。あの味は忘れられない。

2003.5.2


今日から5月


“風薫る五月”という言葉が好きだ。親しい友だちなのに、手紙となるとかしこまるコがいて、いつも紋切り型の挨拶が入っている手紙をくれた。「風薫る五月となりました・・・」という手紙の書き出しは「手紙の書き方」みたいな本から書き写したまでだろうと思うが、わたしは気に入ってしまい、それ以来メールでもよく使っている。
ほんとに風薫る五月って感じがする季節である。洗濯物がよく乾くし、部屋の中に風を通せるし(と所帯じみるのが、バカにされるところなり)。
今日で甲子園の阪神は巨人に3連勝した。今年はいよいよ優勝かと思う。なぜかというと去年までは連勝していても、阪神ファン以外の人たちからは、からかい・ひやかしの言葉しかなかった。今年は違う。言葉のふしぶしにはっきり嫉妬心が感じられる。ほんまです(笑)。
話かわって、このページの2月9日に、うちのアルプス電気製のプリンターがつぶれて、インクカセットが残ったので欲しい人に差し上げると書いたのだが、今日欲しいという返事がきた。知らないかたである。そろそろ処分しようと思っていたので、すごくうれしい。アルプスのプリンターを使っておられるということもなんだかうれしい。

2003.5.1

写真:小島麻由美「愛のポルターガイスト」+中原淳一「ジュニアのスタイルブック」=乙女チック

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