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2002年12月

 


ゴディバのチョコレート


旧い友人がワインとチョコレートを送ってくれた。ゴディバのチョコレート、日本にお店ができてから、どれだけ人にプレゼントしたことだろう。ヴァレンタインディに買ったわけでない。女の子にちょっとプレゼントするには上等のチョコレートにかぎる。
なのに、だれもわたしにゴディバのチョコレートをくれなかったから、食べたことがなかった。わたしがたまーに買って食べるのはポランの有機チョコレートである。1枚買えばかなりの間冷蔵庫で眠っている。
子どものときに、株屋をしていた叔父さんが大もうけでもしたのか、チョコレートの大箱を送ってくれたことがあった。きらきら輝くセロファン紙に包まれてそれはそれはきれいだった。子ども7人と親と全員できっちりと数をかぞえて分けた。1人に10粒くらいはあったろうか。みんなそれぞれ自分の隠し場所にしまって、人の残数を気にしながら食べたっけ。
今夜はワインをあけて、チーズ、鮭のマリネ、ポテトサラダ、フランスパンの夕食の後、紅茶を入れてゴディバのチョコレートを食べた。今年を締めるおいしい夕食になった。

2002.12.31


田辺大根のおでん


昨日は田辺大根の葉っぱを食べたので、今日は大根本体をおでんにして食べようと思ったが、いっしょに入れるもので行き詰まった。天ぷら(薩摩揚げみたいなのを大阪ではこういう)は池波正太郎お薦めの道頓堀の「さの半」のキクラゲ入り白天、ささがき入り、ゴボテンを入れるのがわが家のおでんなのだが、さの半はお正月モードになっていてかまぼこしか作っていないはず。
あるものですまそうと冷蔵庫を見たら、ポランの宅配の高級ちくわがあった。それとこんにゃく、糸こんにゃく、セレベス(里芋の仲間、ちょっと大きくてうまい)で簡素なおでんになった。
前菜に頂き物の黄金イカと和風サラダを食べて、さて、おでんである。田辺大根がおいしかった。ゆっくりと炊いたので、よくダシがしみている。セレベスもおいしかった。わたしはセレベスとヤツガシラが好き。
いつもばたばたしているが、お酒を飲んだら気がゆるんで、なかなか片づけや用事にもどれない。これが疲れの解消になるんだろうなと、ボーッとしているうちに夜中になってしまった。それで大慌てで後片づけしてパソコンに向かっている。

2002.12.30


なにわの伝統野菜


大阪の伝統野菜を復活した話を最近よく新聞などで目にする。わたしはその野菜のなかに田辺大根があるのを、田辺寄席の縁で知っている。実は去年種をもらったのだが、自分で蒔くのがめんどうということもあり、若狭のyukariさんにつくってもらうことにしたが、さすが、大阪の大根である。若狭では寒かったようで育たなかった。今年もまた種をいただいたので、説明書通りに自分でつくろうかと思ったが、わたしよりも大丈夫そうなMさんに頼んでしまった。田辺地域では12月14日に「田辺大根まつり」が行われ、今日はまた大根炊きを食べる会が催されたようである。
そういうことがあったところへ、先日会員のOさんがおもしろいものを送ってくださった。「なにわの伝統飴野菜」というもので、天王寺蕪(てんのうじかぶら)、田辺大根、毛馬胡瓜(けまきゅうり)、金時人参、水茄子、勝間南瓜(こつまなんきん)、玉造黒門越瓜(たまつくりくろもんしろうり)で味付けし、そのかたちに仕上げた飴菓子である。小さな箕に入れられとても可愛い。4つあったので東京の知り合い2人に送り、ひとつはうちのお正月の飾りにとってある。あとひとつを昨日の例会に持っていったら好評であった。見て楽しみ、味わって楽しんだ。
そこへ大根の種を蒔いてくださったMさんが、立派に育った田辺大根を持ってきてくださった。感激、感激。みんなに自慢したら、来年はつくりたいという人が続出である。忘れないで種をもらわなければ。田辺大根はちょっとずんぐりした姿で大きな葉っぱに特徴がある。葉っぱがおいしいと聞いていたので、葉っぱと茎を細かく刻んでチリメンジャコとごま油で炒めたら、あったかいご飯に特上のおかずになった。明日はいよいよ本体をおでんにして食べる予定である。

2002.12.29


文学少女


半年ほど前に金城武を見ようとしてテレビドラマ「ゴールデン・ボール」を見ていたら、なんと亭主が相手役の黒木瞳の魅力に囚われてしまった。年下の男性(金城武)とボウリングを楽しんでいるところもよかったし、浮気をした夫と別れるところも、きちんとしていて自然でよかったもんね。美人で愛嬌がある人ってめずらしいとわたしも思うが、亭主のほうはそれ以来、カレーやピップエレキバンのコマーシャルも楽しんでいるというファンぶりである。
先日は新聞広告を見ていてこの雑誌を買ってきてくれと言う。「Grazia」2月号、特別企画「研究・黒木瞳 大人の女の進化論」、雑誌の半分以上が黒木さんなのである。買ってきたらさっそく読みだして、いろいろと教えようとするので、うるさくてしようがない。読まないうちに黒木さんのことがおおかたわかったくらいだ。
中でも黒木瞳は文学少女だと言うのには同志的連帯を感じて笑ってしまった。先月だったか、VFCには文学少女が多いと書いて、それはほとんど“死語”じゃあないかと言われたところである。実際、黒木さんは文学少女らしい。少女時代から本をたくさん読み、いまや詩集やエッセイ集を出版しているのである。

2002.12.28


会費について考えた


ヴィク・ファン・クラブは発足以来11年という歴史のある(笑)会である。サラ・パレツキーが書いているヴィク・シリーズの主人公ヴィクのファンクラブであることはご存知のとおり。会報と例会とホームページで成り立っていて、会費は年に5000円である。たかが5000円と思うか、5000円も払っているのかと思うかは別として、会費を払うことは大切なことだとわたしは思っている。会費を払った会員であることで、より親密になれる。
今年は特に、メール、手紙、宅急便、振込用紙の通信欄、等で届くものに、会を続けていこうという意志が感じられて身震いするくらいだった。世話役をしているわたしが疲れ気味なのを、励ましてくれているということもあると思うけれど…。
遠方に住むMさんは「考えてみると、VFCのみなさんとは、まだ、ただの一度もお会いしたことがないんですよね。なのにどうして、こんなにいろいろお話できてしまうのは? “ヴィクが格好いい! ヴィクが大好き!”というキーワードでこれだけのシンパシーを感じあえるっていいことですよね。」と書いている。ほんとに、全国各地に散らばっている会員とは、会ったことがない人が多い。それなのに、会員それぞれについていろんなことを知っている。
会員であることは、まず会費というのが、わたしの持論である。アメリカの猫絵本「黒ネコジェニーのおはなし」(エスター・アベリル)の、ニューヨークのネコの集まり“キャット・クラブ”の会則(誠実、献身、正直、会費)を知ったとき、あーっと思ったのね。“会費”というのは、ただ会の運営費というだけでなく、そこに連なることなんだ。
たまに、「ヴィクのファンだけど、ファン・クラブのような集団に属することに抵抗を感じる」というメールをいただいたりすると、わたしだってそうだったんだけど、ひょんなことでこうなっちゃって…、なんて言い訳したくなったりする(笑)。でもそうじゃない。自立した心の人たちがゆるやかに連なっている会が、ヴィク・ファン・クラブなのである。

2002.12.27


大阪に初雪


今日は寒くなると昨日の天気予報で言っていた。銀行へ行ったり買い物もあることで、「明日は出かけるのがたいへんみたいや」と言ったら、「峠を越えたり雪をかき分けて行ったりするわけでなし」と笑われてしまった。
でも今日はこの冬でいちばん寒い。お昼ごろ出かけた帰りには雪がちらほらしてきた。大阪で年内に雪が降るのはめったにないことだ。今年は暖冬なんてよう言うたものだ。もっとも暖冬と聞いたときから、今年は寒くなるぞと言うてたもんなあ。経験的に反対になるんやから…。
今から雪が降っていたら、年が明けたらどんなに寒くなることだろう。今夜の気象情報では、今日、旭川でマイナス30何度まで下がったと言っていた。想像を絶する。
夕方図書館に行ってお正月用に本を借りてきた。レジナルド・ヒルを3冊。先日借りてきたマイクル・コナリーの2冊があるし、手持ちの未読本もあるし、これで冬ごもりに充分である。ちょっと子ども向きの本を座って読み、図書館を出るともう外は暗かった。クリスマスばかり言ってるけど、冬至はいつやったんやろ。暗いと一段と冷えてくるのがわかる。

2002.12.26


片山健の猫絵本「タンゲくん」


最初の絵は片目のでっかい猫が庭から入ってきて縁側に手をかけたところ。次のページから見開きになり、2人の女の子がいる家族の食事は畳の部屋でちゃぶだいである。晩ご飯でおとうさんがいろっぽいおかあさんにビールをついでいている。女の子(妹のほう)のヒザにちょこんと座った猫。おとうさんがタンゲくんと名前をつける。タンゲくんは女の子の生活の中に自然にとけこんで、好きなようにしている。
女の子が「タンゲくんは わたしのねこだよね」というと、タンゲくんは「カ、カ、」とへんな声でないて外へ出ていってしまう。外でタンゲくんに会うと知らん顔しているし、昼間どうして過ごしているのかと女の子は想像をめぐらす。ピンク色の部屋でとっても可愛い少女の腕に抱かれているタンゲくん、あるいは山の中で奥さんと可愛い子どもにかこまれているタンゲくん。
外でケンカする猫の声をきくと気になるが、夜になるとちゃんと帰ってくる。そしておとうさんが呼んでもおかあさんが呼んでも、おねえちゃんが呼んでも知らん顔で、ソフアの上にいる女の子のお腹の上にのっかって、いつまでも丸くなっている。【だから わたしは、タンゲくんが めを さまさないように、いつまでも いつまでも じっとして いるんだ。ちょっと つかれるけどね!】
片目だからと丹下左善を連想する時代設定。家の中はちゃぶ台で初期の電気釜であり、町の風景ものどかである。想像の少女もぬりえの美少女という感じ。そして、タンゲくんが大胆にページの上にいる。満月の夜に家中を走りまわったり、おねえちゃんの机の上を占領したり。表紙だって、表から裏まで花がいっぱいの庭でこっちを向いて睨んでいる。
こうして本を開いているわたしもタンゲくんがだいすきです。(福音館書店 1150円)

2002.12.25


ジョー・ストラマー


今朝の新聞にジョー・ストラマーの死が報じられていた。50歳だという。パンクミュージックを代表していたバンド「ザ・クラッシュ」のボーカル、かっこいいにいちゃんだったが、もうそんなトシになっていたのか。
わたしは1977年に発表された「白い暴動」の輸入盤を早くから手に入れていた。演奏が気に入った上にジャケットのセンスのよいのに惹かれた。続いて「ロンドン・コーリング」(1979)は、ほんとにもうすごかった。
ずっとジャズに夢中で、ビートルズもローリングストーンズもそんなに気にしていなかったのに、突然、パンク・ニューウエーブに夢中になったのは1977年ごろからで、怒涛のようにLPレコードを輸入レコード店で買っていた。来日したバンドのほとんどに行っている。
中でも1982年のクラッシュのコンサートはいまでもよく覚えている。フェスティバルホールには黒のレザーで身を固め鎖をぶら下げた若者がたくさん集まっていた。そのころはコンサートで客が立ち上げるのを規制するために、警備員がたくさん配置されていて、ぶっそうな雰囲気だったから、わたしらはいつも2階の一番前の席をとったものだ。そのときでさえ、若者と比べるといいトシだったもんね(笑)。そいでもって彼らは客が立つように挑発するのよね。自分らも舞台から降りてみたりして。
ジョー・ストラマー、もう、夢中でしたね、かっこよくて。あんなにかっこいいと思った若者は他にいない。
でも、その後に何枚かのレコードを買ったが、急速にパンク・ニューウエーブ全体から興味が引いていった。その後はU2を聴くようになるまで、音楽から遠ざかっていった。ここ2・3年彼が来日していまの若者に人気があったということも、さっきサイトをいろいろと見て知った。でも、わたしにはジョー・ストラマーはいつまでもギターを振り上げて、客を挑発していたにいちゃんである。

2002.12.24


リスベート・ツヴェルガー絵本原画展


京都には2年ちょっと前に伊藤若冲展に行ってからだから、ほんとに久しぶりである。今回は児童文学のメールマガジンの催し案内を見て、これは行かなきゃとなって、最近リスベートファンになった相棒と出かけることにした。他に行こうと思うところもなく、また歩くにも足の調子が悪いものだから、会場の京都伊勢丹7階に直行して見終わったらすぐに帰った。往復とも電車が空いていて快適な旅(もっと長い距離を通勤している人もいるのにね)であった。
リスベート・ツヴェルガーがこんなに人気があるとは知らなかった。物語につけた絵なのでストーリーに沿って並べられている。それを入り口から順番にぞろぞろと行列して見ていく人がほとんどである。さっさと通り過ぎていったら真ん中へんは途切れていたので、ゆっくりと眺められたが、入口あたりは最後まで見る気が起きなかった。
彼女の絵本をはじめて手にしたのは何年も前である。「胡桃割り人形」の挿絵に惹かれて買ったのを大切に持っていたが、今年になって図書館で何冊か見つけて、彼女の挿絵つきの本がたくさん訳されているのを知った。暗い色調の人と思っていたが、今日は明るい色の絵が多かった。「不思議の国のアリス」「賢者の贈り物」「ノアの箱船」「オズの魔法使い」などいままでたくさんの挿絵があった物語に、新たに描くたいへんな作業を、個性と巧さで新しい世界を創っている。東洋的な感じもした。旧約聖書につけられた絵もよかった。
それにしても原書や翻訳の絵本がばんばん売れているのには驚いた。わたしは絵はがきを1セットとバラで数枚買っただけだけど。
家を出てから3時間で大阪にもどってしまい、お腹が空いてきて結局シャーロックホームズでビールになった。

2002.12.23


レジナルド・ヒル「幻の森」


先日同じ作者の「武器と女たち」を読んでおもしろかったので、また図書館で借りてきた。「幻の森」は1996年に書かれたもので「武器と女たち」より2つ前になる。事件はやはり女性たちが大きな役割を果たしている。
薬品会社に動物愛護団体の女性たちが押し入ったときに人骨を見つける。そのグループの指導者キャップはお金持ちの奥さんだったが離婚して先鋭な活動家に変身した人である。質問しているうちにダルジール警視はキャップに魅入られてしまい、すぐに家に行きベッドまで行ってしまう。それから後に、パスコー主任警部の妻エリーの知り合いで、そのグループに入っているウェンデイが道路横の溝で瀕死の姿で見つかる。犯人と疑われるのがキャップで、ダルジールは捜査からはずれることにする。
一方、ピーター・パスコーは祖母エイダの葬儀に行った帰り、遺言により遺骨を指定された場所に散骨すべく持っていくが、そこで不思議な体験をする。調べていくと第1次大戦で曾祖父(同じ名前でピーター・パスコー)が若い妻と幼い娘を残してヨーロッパで戦死していたのだ。そして祖母が戦争や軍隊や制服を嫌悪していたのは何故か、80年前の手記が弁護士から届いたのを調べていくうちに疑問が解けていく。
現代と80年前の出来事をからめた大きな主題で読む者を引きずっていく骨太の作品だ。そして出てくる女性たち、祖母の自分を押し通した生き方、エリーの賢さと大胆さをはじめとしてみんなすごく自分を貫いているところにまた感心した。
それともちろんエドガー・ウィールド部長刑事がよい。12月5日に「武器と女たち」でピンとこないと書いた「ご存じ、“聖三位一体”の男たち」という言葉が少しだけわかってきた。ヨークシャーという土地柄もわかってきた。そういえば「秘密の花園」もヨークシャーだった。

2002.12.22


ああ、しんどー


12月になってから、数えるほどしかプールに行っていない。今日は行くぞとお昼過ぎに出かけて、行きは普通にいけたのに帰りのバスは35分遅れであった。年末の20日だもん、いくら不景気だからってクルマは多いよね。いらいらして帰ってから宅配便を出しに行き、銀行でお金をおろしてきた。
8時から晩ご飯を食べながらボクシングを見た。なんと星野のと徳山のと2試合とも見てしまった。ボクシングって年に何回も見ないのに、一度に2試合見たんやから疲れる。両方とも12ラウンドまでやって、けっこう目をはなせなかった。長すぎるわ。その点、K-1は1試合時間が短くて、わたしのようなイラチには向いているみたい。
その後はNHKでジャズの番組を見た。この番組はジャズの誕生からはじまって、いまはモダンジャズである。チャーリー・パーカーとデイジー・ガレスピーが主だから、これも目がはなせない。コメントをいう人にナット・ヘントフが出てきてびっくりした。「ジャズと自由は手をつないでいく」「ペチャンコにされてもへこたれないぞ」という言葉がすぐ浮かんできた。60年代から70年代にかけての呪文のような言葉と言ったらいいか、しつこく覚えているもんやなあ。若き日のセロニアス・モンク、マイルス・ディビスの映像も出てきてうれしかった。
11時までの15分間にメールチェックしたら、早川書房からのメールがあり、リンクをしてくださったとのこと。見たら「ミステリ関連」の「国内のサイト」の上のほうに入っていた。わーい。
11時からは「ホワイトハウス」を見て11時45分にテレビを消した。これを書いたらアップして、風呂に入って、今日は終わりにしよう。
ああ、しんどー(笠置シヅ子「買い物ブギウギ」)

2002.12.20


相澤啓三「オペラの快楽」


昨日の新聞に、小沢征爾がウィーン国立歌劇場音楽監督になって最初に取り上げたクシュネク「ジョニーは演奏する」のことが載っていたので、もしかしたらこの本にあるかと調べたらなかった。というのは手許にこの本があったからだが、20世紀のものについてはページ数が少ない。わたしがレーザーデスクで持っているヤナーチェク「女狐ビストロウシカの冒険」、ベルグ「ヴォツェック」については出ているが、これらは何度も演奏されてポピュラーだわね。
エドマンド・クリスピンの「白鳥の歌」の舞台がオペラの舞台裏だったので、久しぶりに取り出したのだが、厚くてきれいな本で1992年初版、ということはもう10年経っているのかー。だれかが絶賛していたので買ったのだが、ほんとに読みやすい本でずいぶんとお世話になった。オペラ初心者によくわかるように書いてあり、しかも著者の好きという情熱がほとばしっている本である。
わたしはマリア・カラスの声が好きでCDを繰り返し聴いていただけなのだが、この本を読んで、なるほどと思ったり、そうなのかと思ったりだった。第一章「どこからでもオペラ」で〈オペラはオペラ〉〈オペラはアリア〉〈アリアのイタリア〉となっているのが、この本の性格を現していると思う。そしてさまざまなオペラの話になり、世界の古典から20世紀のオペラがひとわたりわかるようになっている。
また当分そばに置いてあちこち拾い読みしよう。最近はご無沙汰しているマリア・カラスやシュワルツコップの声を聴き姿を観たくなった。レーザーデスクをひっぱり出してみるか…最近はオペラどころか映画も観ていないが、レーザーデスクの機械がいつまで動いてくれるかしらね。

2002.12.19


しつこいけど、また長押


晩ご飯を食べながら京都放送で時代劇を見ていた。1959年の東映映画「血槍無双」。どんな映画かと思って見だしたら、季節柄「忠臣蔵」ものであった。主人公は赤穂浪士の杉野十平次(大川橋蔵)で、屋台のそば屋をしながら吉良家の動静を探っている。近くの道場主俵星玄蕃(片岡知恵蔵)と知りあって槍を教えてもらうが、剣道オンチの杉野は上達しない。いろいろあって、俵星は杉野が赤穂浪士であることを悟り、室内で戦うための槍術を教え、大切な槍を短く切って持たせる。杉野が吉良邸で大活躍するのはいうまでもない。
討ち入り当夜、俵星は吉良邸に走り、大石内蔵助(大河内伝次郎)に、討ち入りに加われないが、両国橋からこっちには誰も来させないと告げて橋の真ん中に立つ。そうそう、三波春夫が歌うあの歌の通りである。
言いたかったのは、その俵星が夜中のざわめきに目覚めて、討ち入りだとハッと覚り起き上がるや、長押の槍を取って駆けつけるところ。あの槍が置いてあるところ、あれが長押ですね。(12月3日・4日の続きです)

2002.12.18


エドマンド・クリスピン「白鳥の歌」


10日ほど前からかかえていた「白鳥の歌」(1947)をようやく読み終わった。クリスピンは昔「消えた玩具屋」を読んだことがあるが、本のタイトル以外なにも覚えていない。でもタイトルを覚えているので、おもしろかったんだと思う。手に入ったらもう一度読んでみたいものだ。最近読んだのが「愛は血を流して横たわる」で、女性たちがいきいきとして楽しかった。素人探偵のオクスフォード大学フェン教授も自由闊達で感じがよかった。
この本は「愛は血を流して横たわる」の前に書かれたもので、オペラの舞台裏が舞台になっている。「薔薇の騎士」稽古中に恋仲になったテノールのアダムと作家のエリザベスの話がまずあってたのしい。わたしは「薔薇の騎士」の極め付きのレーザーデスク(元帥夫人にシュワルツコップ、指揮カラヤン)を持っているので、ここのところをうれしく読んだ。
事件は次ぎにオクスフォードで「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の稽古中に起きる。ザックス役の名歌手が楽屋で殺されたのだ。はじめは自殺とされるが、次ぎにエリザベスが襲われるが危うく難を逃れる。アダムもおびき出されて危ういことになるが、フェンの推理であっと驚く結果で事件は終わる。
「薔薇の騎士」の元帥夫人、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のエーファ役を演じているベテラン歌手のジョウンは30代の女性だが、若い指揮者に気持ちをうち明けられる。「・・・いくら女盛りでもそれは若さではない。中年女と結婚した男は、何の因果か、一生、骨董屋でしかものを買えない男と同じことなのよ」と言っていったんは断るのだが、相手は「近ごろでは、いいものはみんな、骨董屋で手に入れるんです」だって。こんなうれしいこと(当たり前だけど)を書いてあって、ますますクリスピンが好きになった。この作品の中のエリザベスとジョウンは「高慢と偏見」のエリザベスの血を引いている。(国書刊行会 2400円+税)

2002.12.17


小豆がゆとさつまいも


朝日新聞に連載されている「モンスーンの食卓」はKorean Shojin Chinese Okinawaと、順番にその地の料理が紹介されている。月に一度くらいの割合でやってみたいメニューがあるが、昨日なんかエビ、カニ、ホタテと札束を入れたような鍋物だった。もちろんそういうのは関係ないから即、却下である。技術がいるもの、特殊なスパイスがいるもの、これらも却下である。カンタンでうまそう、これが基本。
先週これはうち向きと切り取っておいたのが「小豆かゆ」で、小豆とサツマイモの在庫をしらべてからもち米を買いに行った。熱々を食べるので、食べきれるだけを作ったほうがいいと思う。材料は4人前で小豆2/3カップ、もち米1カップ、水9カップ、焼き芋。小豆を洗って、水といっしょに厚手の鍋に入れ強火にかける。沸騰したらフタをして弱火にして30分煮る。
そこにもち米を洗ったものを加える。少し火を強めて、ひっつかないように全体をかき混ぜる。沸騰したらフタをして弱火にする。40分ほど煮て泡がブツブツしてきたら出来上がり。
焼き芋(うちではビタクラフトの鍋で焼いたが、買ってきてもいい)の皮をむいて、適当な大きさに割ってスープ皿に入れ、上から小豆がゆをかけて食べる。
今日の昼ご飯にしたらおいしかった。今回はサツマイモがおいしかったので、なにも味付けに使わなかった。おかゆだけ食べるのなら塩少々入れたらいいかも。
時間はかかるが手間がかからないので、仕事をしながら作れるところがよい。うちは朝ご飯がボリュームあるので、お昼ご飯はこれだけですましたが、晩ご飯に食べるのなら日本酒にして、魚と野菜の後にこのおかゆを食べたらいいかな。

2002.12.16


田辺寄席 第346回(2002年12月)


今日はいいお天気で寒さも少しゆるんだ。お日様がまぶしい桃ヶ池公園の池には水鳥がいっぱい浮かんでいる。蓮はきれいに刈り取られてあとかたもない。
田辺寄席の会場は前の方が10数人分くらいの座布団が敷いてあり、その後に椅子がぎっしり置かれている。そのほかに肘つき椅子が会場の両脇に10数個置いてある。ここに座ろうと思って早めに行った。椅子が大きいし腕がのせられるしラクである。
今日の演目は「開口0番」が桂文太、「子ほめ」桂ひろば、「宇治の柴船」桂梅団治、「お楽しみ 2」桂文太、「ダンシング・ドクター」桂三金、「不動坊」桂梅団治。
「開口0番」の文太さんの小話がおもしろかった。ラーメンの小話「親指汁につかってるやないか、きたないなあ」「お客さん、5人目ですから」だって。いくつかあって最後に「今日のラーメンえらいうまいなあ」「おばあちゃんがおりまへんやろ」だって。また、「そこに赤い手袋おちてる」「あれ、中味も入ってるで」、ブラックユーモアだぁ。こうして書いてももひとつだけど、話し方が抜群にうまい(当たり前だが)からおもしろい。
桂梅団治はうまい。じっくりと聞かせてきちんとオチになる。「不動坊」では、金貸しの利吉は、亭主(不動坊)に死なれたお滝さんが借金を払ってくれたら結婚するというので、そのお金を払うことにする。さっそく今夜お滝さんにきてもらうことにし、風呂屋に行くのだが、風呂につかりながらの空想がどんどん広がっていく。
桂三金は桂三枝の弟子ということで、「ダンシング・ドクター」は創作落語とはこのようなものかとわかった。
仲入りに庭で田辺大根のすまし汁が振る舞われた。池に面した庭で熱々の大根汁をいただいてみんな上機嫌であった。最後には今年最後ということで、今年皆勤した人に文太さんから「表笑状」が渡された。遊び上手な人たちである。仕事のことを全部忘れて大笑いでストレス解消。とてもよい日曜日であった。
○田辺寄席公式ホームページができました。私も制作に参加しています。リンクページからいけますから見てくださいね。

2002.12.15


気になる格闘家ボブ・サップ


ハードな1週間だった。このページも毎晩12時を過ぎてから書いていたが、昨日はついに書いている途中でアタマがまわらなくなって寝てしまった。用事をしながら会報づくりをしていたのもようやく今日片づいてやれやれ、明後日には発送できる。明日は田辺寄席で大笑いしてリフレッシュしてこよう。
今週はまとまった時間がなくて本を開かない日もあり、ビデオで映画を見る時間もなく、新聞とテレビをとぎれとぎれに見ていた。
今日の夕刊にK-1に出ていたボブ・サップのことが大きく出ている。今年4月に日本デビューしたのだが、えらい人気者らしい。わたしは7日の東京ドームでの「K-1ワールドグランプリ」をたまたまテレビで見た。最近は格闘家の誰とかあまり知らないから、観客の中の新庄選手が写ったりするのを楽しんでいたのだが、すごい選手が出てきたのでびっくりした。それがボブ・サップだった。彼が準々決勝でアーネスト・ホーストに勝ったときは、チャンピオンまちがいなしと思ったのに、こぶしにケガをしてドクターストップとなった。そこでホーストが準決勝に出場して勝ち、そして優勝してしまった。もっとサップの試合を見たかったのに残念だった。

2002.12.14


エンドウ豆のスープ


昨日の夜、ご飯のあとにテレビをつけたら料理番組だったのでそのまま見ていた。今風のおせち料理の作り方をやっているのを、あれこれモンクを言いつつ見ていたが、その後にケッタイな番組があった。中年の男性の料理研究家なのだが、着ているものがメルヘンチックなのである。そしてテーブルにお人形が置いてあるのだが、これが「マッチ売りの少女」で、もらいもののクッションがすり切れてきたので、ほぐしてマッチ売りの少女の継ぎの当たったスカートにしたという。もちろん、ご本人の手製である。
そして、今夜のご馳走のテーマが「マッチ売りの少女」なのである。少女が裸足で雪の街を歩きまわって、疲れ果ててマッチをつけたときに幻想を見るのだが、その1シーンがご馳走なのだそうだ。ということで、北欧のクリスマスの晩餐のテーブルがつくられている。ガチョウのロースト、エンドウ豆のスープ、サラダはなんだったろう。すごい装飾の太い蝋燭が灯されて、小さなお人形があちこちに飾られている。
ガチョウのローストは関係ないが、エンドウ豆のスープならできる。材料は水にもどしたエンドウ豆とベーコンとタマネギだそうだ。スープといっても汁ではなくて、ぺちゃっとしたアンコをかきまわしている感じである。うまそうだ、やってみようと思ったが、豆の在庫がないので、冷凍グリーンピースで今朝作ってみた。
ベーコンとタマネギを炒めて、スープストックを入れて煮込んで、冷凍グリーンピースもちょっと炒めて入れた。この豆だととろとろにするのはどうかなと思って、適当な量にして汁のスープにした。豆というのはスープにするとなんでもうまいもので、この思いつきスープもけっこういけた。乾燥エンドウ豆を忘れずに買っておこう。

2002.12.12


鮭のマリネ


東京にいる北海道出身の知人が鮭を送ってくれた。鮭1尾というのでなく、きれいな身のところばかりを切り身にして冷凍パックしてある。大きくてきれいに揃った5切れずつを1箱にして3箱あるのを、2箱を冷凍庫で保存、あと1箱から2切れを晩ご飯に焼いて食べた。特上品やん。うまかったー。
あとの3切れでマリネをつくることにした。少し凍った状態で薄切りし、玉葱の薄切り、レモンの薄切り、ケッパー、黒コショウ、月桂樹の葉を用意する。それらを容器に入れて、お酢と紅花オイルを注ぐ。冷蔵庫に入れておいて、明日の夜は少し早いかなと言いながら食べ、明後日は今日が食べどきと言って食べる。そしてもし残ったら、明々後日少しつかりすぎたかなと言いながら食べる。至福の2日間ないし3日間である。
いつもはやはり北海道の人からもらう新巻鮭でするのだが、最近はマリネよりも焼いて食べることが多かった。そのほうがおかずになって経済的というビンボー生活なもんで(笑)。久しぶりにうまいマリネを楽しもう。明日が待ち遠しい。

2002.12.11


石井桃子 再話 赤羽末吉 画「したきり すずめ」


先日、日本の絵本に興味を示しだした相棒が図書館で「これはすごい」と借りてきた1冊「したきり すずめ」。ほんと、これはすごい絵本だ。
表紙のスズメ4羽が飛んでいるところが可愛らしい。ひろげると「むかし あるところに じいさと ばあさが すんでいました」と話がはじまる見開きページの風景の美しいこと! 山があって林があって家があり、霞たなびく風景が古い日本画ふうだけど、とっても今ふう。1982年に福音館から発行された本である。赤羽末吉(1910〜1990)の本をこれから探さなくちゃ。
考えたら「したきり すずめ」の話ってすっかり忘れている。なんでスズメは舌を切られたんだっけ…と読みだした。おじいさんは1羽のスズメを可愛がっていたのに、おばあさんが洗濯のりをなめたスズメの舌を切って追い出してしまったのだ。それでおじいさんはスズメのお宿を探しに出かけるのだが、途中で道を教えてもらうために牛や馬を洗うなんて知らんかったなあ。おじいさんはていねいに洗って、教えられた道を歩いていくと、竹藪の真ん中に立派な家がある。スズメのお宿である。そこでご馳走をよばれていい気分になる。ここの場面のスズメたちの可愛らしいことったらない。竹の葉がそよぎ家がでんとあり、スズメはかすりのような着物を着ていて赤い帯が尾っぽなのである。
紙の地色に気遣いがあり、古い絵双紙を読んでいるような気も起こさせるおしゃれな絵本である。

2002.12.10


山は雪だんべ


昨日、今日、やたらと寒い。明日はもっと寒くなるらしい。まったく「山は雪だんべ」である。またもや落語ネタです。バカなやつがご隠居さんかなにかと道であってのやりとりをカッコいいと思い、教えてもらう。「寒いですなあ」「山は雪だんべ」となるのを、暖かい日にやって、ムムムとなり、苦しまぎれに「山は火事だんべ」というオチの他愛ない話である。そんな話を子どものころから覚えていて、いまだに寒い日には「山は雪だんべ」とやっている。特に今年は信州大町を意識して言っている。
今朝は新聞がないしテレビも見なかったので、関東の積雪を知らなかった。ところが、毎朝の仕事の関係サイトのチェックで、東京方面のを見たら、掲示板に「祝 初雪!」というタイトルの書き込みがあって、へーっと思ったようなわけだ。電車が混んで出勤がたいへんやったみたい。会社に着いたとたんに書き込みしているから勢いがある。
大阪は寒いけど雪は降っていない。あいにく昨日雨が降って今日は曇りだった。明日は天気がよくなるらしい。さあ、明日はだれかに会うて「う〜さむ〜」と言いやったら「山は雪やろなー」と返事したろ。

2002.12.9


寒雨の日曜日


新聞の天気予報を見たら1日中曇りマークがついていたので、今日は曇りかと思い込んで、朝昼兼用のご飯を食べてからプールに行くことにした。外に出たら雨、窓を開けて雨降りに気がついていたらさぼるところだった。傘をとりにもどって出かけたら、プールには10人ほどしかいなくて快適だった。
広いスペースを一人で使って気持ちよく帰ろうとバス停に立った。バスはあと5分でくるはずである。2人連れの女性がいて話をしていたが、続きはお茶しながらと言って、近くの喫茶店に入っていった。もうバスがくるのにもったいないと他人事ながら思ったのだが、3時22分のバスがこない。もう一人の女性と何分遅れるのかなと言いつつ待っていたら、ついに1台抜きになったみたいで、次の42分になってしまった。バスが抜けるのはこの1年で3回目である。日曜日の昼は平日より回数が多いのだが、だからって勝手に抜けられたらたまらない。今日のような寒い日はなおさらである。寒雨の中、道路脇に立ったまま30分、ひたすら待っているのはいらつく。
次ぎのバスは5分遅れで超満員でやってきた。運転手の背後には不機嫌な空気がただよっている。せっかくいい気分だったのがだいなしだ。それにしても、喫茶店に入った2人はついてたなあ。
夜はテレビでスーザン・サランドンの「依頼人」を見た。「ER」のグリーン先生がいい役で出ている。映画館で見て以来、何度見てもおもしろい。でも、用事がたくさんあって、2時間のあいだ座っているわけにはいかない。コマーシャルになると食器洗いに立って、映画時間中に洗いものは片づいた。ほんとにまあ、気忙しいことである。

2002.12.8


今年の紅葉


今年は秋の寒さのせいで紅葉が美しいとだれもが言っている。信濃の紅葉(錦秋!)を毎日見ている人もいるのに、わたしときたら汚れた空気の大阪から少しも動いていない。それでも季節は移っていく。昨日用事で出た帰りに西教会の横の公園のメタセコイヤの大木が3本紅葉していた。それは見事な赤茶色で、しばし佇んで見上げていた。公園やよその家の前で見ただけだが、今年はナンテンの実が際だって赤いようだ。
先日はプールの帰りのバスが渋滞でのろのろ運転になったのだが、ちょうどうつぼ公園の前で、いちばん外側のイチョウがはらはらと葉を落としていた。見ている間、1本の木からずっと舞い落ちて不思議な感じだった。
下福島公園のイチョウもほとんど葉を落として、木の枝の間から明るい空が見える。この景色もなかなかいいものだ。山茶花が咲き出して、もうじき寒椿が咲くんだなあ。

2002.12.7


突然ファッション雑誌を読みたくなって


これから年末まで忙しくなりそうなので、早いとこアタマを片づけておこうと、昨日は美容院へ行って髪を染めて短くカットしてもらってきた。プールでは帽子をかぶっているので、ロッカールームや受付のへんで人に会うとわりとびっくりされる。「髪短いねえ、いつもそんなに短いのん?」はいいとして、まだ染めたてなのに「毛染めが落ちてきてるのと違う?」という失礼なことも言われた。まだ白髪染めは真っ黒と思っている中年女性がが多いのだ。先日の美術館で7人連れの中年女性がいたが、全員真っ黒に染めていたっけ。なんで7人も連れだって美術館に行くのかわたしにはわからん。プールにも一人で来られない人がいるけどね。
毛染めの時間待ちに「ELLE」を眺めていたら、メガネをかけてないので、細かい文字の本文が読めない。見出しを見ていたら欲求不満になってしまった。そしたら無性にファッション誌が読みたくなって、今日は四つ橋方面に出たので本屋によって買ってきた。1年ぶりくらいじゃないかな。別に服やアクセサリーや化粧品が欲しいわけでなく、なんとなく昔からこの手の雑誌が好きなのである。
お気に入りの海外ドラマ「アリー・myラブ」が最近煮詰まってきたような気がしていたら、アリー役のキャリスタ・フロックハートのインタビュー記事があって、この番組はアメリカでは終了したと書いてあった。なるほどな。キャリスタは新たなプロジェクトのために充電中とのこと。彼女はシングルマザーで、いまつきあっている人はハリソン・フォードだって。その他大好きなエリック・ロメールのインタビューがあってもうかった気分。
もういっちょ。「BURBERRY」のすっごくおしゃれな2ページ広告(家族写真)を見て、今朝の新聞広告では中途半端だと思っていたのが、あれは2/3だったとわかって腑におちた。

2002.12.6


レジナルド・ヒル「武器と女たち」


この本を読んだせいで、わたし、この4・5日意気さかんである。早く読めばよかった。去年の暮れに出た本で、読まなきゃと思っているうちに1年過ぎた。というのは、あまりレジナルド・ヒルを読み慣れていないからだと思う。ミステリーファンの知り合いとよく話をしていたころは読まなあかんという強迫観念みたいなものがあったが、最近はぜんぜんそういう人とのつき合いがない。VFCの会員でミステリファンという人は少なく、なぜか文学少女が多い。サラ・パレツキーをミステリーとして読んでいるわけじゃないもんね。
レジナルド・ヒルの本はまだ3冊くらいしか読んでいない。だから3人の警察官を「ご存じ、“聖三位一体”の男たち」と言われてもピンとこない。この本を読みたいと思ったのはタイトルに惹かれてのことだ。なにを書いてあるのだろうと思ったのだが、バスコー主任警部の妻エリーの物語と知ってなるほどと思った。ミステリーファンにはエリーは評判が悪い。スペンサーの恋人スーザンとどっちかというくらいだもん。
エリーは昔から左翼でいろんな活動をしてきた人で、バスコーと知り合ったときは大学講師だったが、いまは作家となるべく原稿を出版社に送って返事を待っているところである。友人のダフネは金持ちで優雅に暮らしており保守派だが気の合う友人である。この関係がうらやましい。そして政治活動やボランティアを続けている老齢のフィーニー、男性中心の警察の中で自分の生きる道を探しているノヴェロ、謎の美人銀行員ケリー、その他いろいろな女性が登場する。
発端はエリーを誘拐しようと家に男女がやってくるが、エリーが気づき男の股間をヒザ蹴りして追い返す。翌日家の側をうろついている男を、やってきたダフネが自分もやっつけようとして、顔面にケガをする。それから後はあれよあれよとばかり北アイルランドのテロリスト、国家公安部の切れ者と登場し、長い物語となる。
エリーと娘は危険を避けて警官のノヴェロ付きでダフネの別荘に行く。その別荘の側にはフィーニーが住んでいて、着いた日にその他の女性とともに夕食となる。それまで気の合わなかった女性たちが、話し合ううちに友情が生まれていく。そこで大事件が起こるのだが、女性たちはそれぞれの能力で生き延びるために動く。ここがすごい。長い物語を読んできて最後にこの結末に達してほっとするやら、女性の連帯がうらやましいやらである。(ハヤカワミステリ1800円+税)

2002.12.5


長押 再考


昨日は長押という言葉にひっかかってしまい、考えもなく文化住宅にも長押があったかのように書いてしまった。関西圏以外の人には文化住宅という言葉はわからないらしいので、ここで解説しておくと、文化住宅とは長屋をずっと軽く(悪く)したものと言ったらいいかな。数軒が長屋のようにひっついていて2階建てで、2階には別の所帯が住み、1軒毎に階段が外から上がるようについているか、両外側にひとつずつついている。古い長屋より造りが悪い。普通は「住宅」を略して「文化」と言う。わたしは西成区岸里の文化に住んでいたことがある。その地名にある「文化」ということで、どんな暮らしかわかるというものだ。
今朝新聞を開いて、お気に入りの新聞小説「新・地底旅行」を読んでいたら、なんという因縁か「長押」が出てきた。登場人物たちが富士山の地下に入り込んで下っていくのだが、降りた岩棚が手狭で「長押」に載ったような具合と書いてある。ふーん、長押は狭いがいくらかは物が載る幅があるらしい。
それで昨日の夕刊をもう一度見ると、本の表紙の写真がある。「日本の家」というタイトルで美しい瓦屋根の写真である。長押はこの本の瓦屋根がある程度の家にあるのであろう。太い本物の柱があって、その柱を横に支える長押は堂々としているはずだ。
さてと、うちの畳が敷いてある部屋にも長押の残骸がある。ブサイクなので大きい布を天井の高さから壁一面にさげてあるので見えないが、柱と柱の間というようなものの間にある。文化住宅も同じくだった。となると、わたしは昔も今も「ホームまがいのもの」に住んでいることになる。まあええけどな。

2002.12.4


長押(なげし)って知ってる?


今日の朝日新聞夕刊文化欄に詩人の長田弘氏が「人の世の住まいの未来」というタイトルの文章を書いている。その文章全体でなく、はじめのほうの言葉で思い出したことがある。引用すると【今日の家のありようはホームである家というより、むしろハウスである家へ、家の持つ象徴的な意味を変えています。】というところ。
「ホームでなくハウス」という言葉をわたしはよく使う。少女時代に「小公女」を読んだときに、主人公セーラが校長のミンチン女史に「ここはホームではありません。ハウスです」と毅然として言う。家庭でなく建物である家、すごい言い方だと思った。
長田氏の文章はこの後、中川武氏の本からの引用になるのだが、中川氏は、家がハウスとなった変化は、わたしたちの住まう家から「長押(なげしとルビがふってある)が消えていった」ときからだと言う。長押とはなんぞや? わたしはえーっと考えてしまったのね。たしか時代小説で長押にかけた槍だか薙刀だかをとって・・・とか言ってなかったっけ? 敗戦後の日本にそんなもんのある家はあったのか。敗戦後、焼け出されたわが家は文化住宅に両親と子ども7人で住んでいたのだから、そんなもんあるはずないと思った。それではあれはハウスだったのか、文化ハウス(笑)。
それで辞書をひいたら「柱と柱の間にある横木」とあった。それなら文化住宅の畳の部屋にあったかもしれないと思いかえしたが、長押なんて、なんか優雅な言葉、久しぶりに聞いた。

2002.12.3


真っ暗闇


暗闇というものを知らない生活をしていることを、美術館の暗闇の経験から考えさせられた。昨日はほんとに先入観なし、どういうことをしているかも知らなくて、第2会場を見ることを申し込んだのだった。では1時間ほどしたらお呼びしますと言われて、黒いしきりと入り口を見たときは、映画か、それに類するものをやっていると思った。
1人2人と時間をあけて出てくる人を見て、どうしていっぺんに出てこないのかと不思議だった。名前を呼ばれて、入り口前の椅子に座って待っていると、上気したカップルが出てくるし、入るなりさっさと出てくる女性もいる。もらった小さい紙には会場の図があり矢印がついている。そして出口がわからなくなったら係員を呼んでくださいと書いてある。後で思い出したが、係員の椅子の下に懐中電灯が置いてあった。
自分の番になってようやくわかった。会場には1人または1組しか入れないのだ。そして昨日書いたように、外側の蝋燭の灯りくらいの光の中で屏風を見てから内側に入る。そこは真っ暗闇で、ただひとつ豆電球が天井にあってオブジェが置いてある。目が慣れてもぐじゃぐじゃしたものと、その中央に家の屋根のようなものが見えるだけである。わたしらは二度まわってからゆっくり外に出た。
暗闇で思い出したんだけど、前に一度こういう経験をしたことがある。うんと若いころ、小さい会社で働いているとき、会社の慰安会で信州の善光寺へ行った。観光客がいっぱいだった。みんなが本堂の階段を降りて行く。ついて行ったら真っ暗闇である。戻ろうにも後から人が来る。しかたなく前の人の上着の裾を握ってついていったのだが、からだに手がからんできた。胸をさわるやつ、お尻をさわるやつ、もうめちゃくちゃ。片手は人の服をつかんでいるから、もう一方の手で痴漢を振り払い、「なにするねん」と怒鳴っても効き目がない。外に出てから「あんたやろ」と前後に出てきたやつを怒鳴りつけたが、にやにや笑いがもどってくるだけだった。
アートの話をしていたのに、いやなことを思い出してしまったが、フェミニズムもセクハラという言葉もなかった時代、社会の底辺でひとり女性解放を叫んでいたわたしがいて、こういう仕打ちを受けたということを忘れたらあかんね。

2002.12.2


Private Luxury


Private Luxuryというタイトルの展覧会が12月8日まで萬野美術館でやっている。萬野美術館はできたときから一度ゆっくりと、古い美術品の展覧を見たいと思っていた。御堂筋の道頓堀に近いビル(エディバウアーが1階にある)の13階にあり、仕事や遊びで前を通り過ぎるばかりだった。
古典と現代美術を並べている画期的な展覧会という新聞記事に誘われて、バスで道頓堀まで出ることにしたが、長堀通りが大渋滞、御堂筋に入っても大混雑、着くまでずいぶんかかった。こうして出てこないと、仕事モードの日常から離れられないから、バスで居眠りというのもありがたい。
さて、萬野美術館はゆったりとしていてすてきだった。展覧室が2つと茶室と庭(屋上に作られている、つまり13階と屋上は同じ階である)がある。大きな部屋をまず見ていると、係りの人が、隣りの部屋を見るのは1時間待ちと言う。真っ黒の壁が神秘的な感じで気持ちを誘う。せっかく来たのだからと待つことにした。広い展示スペースに古い屏風や茶道具が置かれ、その横に現代美術がある。草間彌生さんの作品を見るのははじめてだったが、丹念な作業をしてできあがった作品に感心した。やっぱり写真で見るのと違う。
千利休の竹の花入れに、数ミリの草の木彫が置かれているのと、長谷川等伯の萩と薄の見事な屏風の足下に萩の花一輪が落ちているのとがあった。あったほうがいいのかわからないけど、おもしろい企画ではある。
茶室に行くと、草間さんの大きなひさご型の水玉模様のふうせんが置かれている。壁も畳も大きくカラフルなビニールの水玉だらけでおもしろかった。そういえば上がってくるときのエレベーターも水玉が飛んでいた。
庭は本格的な造りで、井戸があり(蓋をとってのぞくと濡れた小石がびっしりと敷き詰めてあった)、盛り土したところに楓の古木が3本あり、山茶花が白い花をつけ、南天が赤い実をつけ、竹の樋から水が流れている。立派な苔が土を覆っている。
座ったり絵を見たりしているうちに順番がまわってきて、神秘の部屋に入ることができた。真っ暗な中に蝋燭の灯りほどで見えたのは、山に木が聳えている絵の屏風(伝 俵屋宗達と後でわかった)である。昔の人は夜この程度の灯りで屏風を見たのがわかる。もっと入っていくと真の闇になった。闇の中にほのかに見えるのが現代のオブジェである。森の中の家のように見える。周りは真の闇、こんな闇の中って最近知らない。さすがのわたしも相方の手をつかんでしまった。手探りで進んでいくとすぐ入ったところへ出られたが、奇妙な体験であった。

2002.12.1

写真:クリスマスイルミネーションの心斎橋

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