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2002年11月

 


iMacといっしょにごはん


昨日突然にiMacを買ってしまったので、置く場所が決まらず食卓に置いたままあれこれと試している。相棒のマシンとして働いてもらうのだが、いままで使っていたG3機はそのまま使うので定位置に収まっている。ウィンドウズ機も動かせない。スキャナもプリンターも定位置にある。どうしたらよいか考えているうちに、2人寄れば智恵が出るもので、昔使っていたテーブルの一枚板の天板が押入に仕舞ってあったのを思い出した。それに東急ハンズでテーブルの脚を買ってきてつけ、L字形に置けばいいということになって一件落着、iMacは明日まで食卓に置いておくことになった。
コンピュータは朝から夜遅くまで働いているわけだが、いうまでもなく人間もそうなのである。わたしはこの生活を昔のお百姓と似ていると思うのね。お百姓が田圃で働いて畦で夫婦でお弁当を食べるように、わたしらも仕事の途中コンピュータの横でご飯を食べる。そして夜は縄ないとか草鞋つくりとか夜なべをするように、わたしらも夜業をする。
食卓にあるiMacは可愛らしい。マックを可愛いと思うのはマックプラスとその次のSE/30を買って以来のことである。ご飯を食べながら可愛い子やねえと親バカみたいなことを言っている。まだ中味のことはわからないので外観だけで言ってます。

2002.11.29


突然、iMac


iMacが発売されてからずっと欲しいと思っていたが、なかなか買えなかった。兄が買うのを手伝ったのはもう3年ちょっと前になる。それからたくさんの色や模様のが出て、その度に性能はアップしてきた。最近はかたちが地球儀みたいなのにびっくりした。
いずれ買いたいと思ってはいたが、わが家には生産機械って感じのG3機が2台けなげに働いている。この2台はものすごく丈夫で長持ちの働き者で、使い出して何年になるだろう。
今年になってウィンドウズ機が仕事で必要になり1台買った。iMacは遠ざかるばかり。しかし、最近になって1台のG3機が使えなくはないが不具合が生じて、早めに手当をしておかなければと思い、思い切ってiMacを買うことにした。突然思いついて、うわっと研究して、お金の手当をして…といういつものうちのパターンである。はじめはG4機を買う予定だったが、研究の結果、17インチモニターのついた最新iMacとなった。高価な買い物をひさびさにした。
さーて、箱を開けると真っ白なボディ、キーボードも真っ白、透けた丸形のスピーカー、マウスも透けて中は白。気恥ずかしくなるようなかたちである。まったくもって汚い部屋に舞い降りた鶴(掃き溜めに鶴)である。スイッチを入れると、きれいなブルーの地色になった。さっそくインターネットに接続してVFCサイトを見た。うーん、きれいだ、色がしゃっきりと美しい。朝起きて、この子のスイッチを入れるのが楽しみだ。
わーい、DVDも見られるんだわ。でもーソフトがない…猫に小判とはこのことなり。

2002.11.28


落ち葉を踏んで


風邪を引いてからプールに行けるようになるまで、ずいぶん日にちがかかってしまった。温水とはいえ水に入るのだからとだいじをとったのと、せっかくのプール休みを楽しんだのと両方である。図書館に何度かゆっくりと行けたのがよかった。
今日は寒かったので、どうしようかと迷ったが、ええいっとばかりに出かけた。寒い日はバス待ちがつらい。行きも帰りも10分待ちだった。最近バスにビジネスマンらしき人がよく乗っている。営業にクルマでなくバスを使うようになったのだろうか。こういう人たちがもっと増えたらバスの回数も増えるかもしれない。
下福島公園に入ったらたくさんのイチョウの木が真っ黄色、藤棚の野田ふじも真っ黄色である。そしてケヤキの葉が紅く染まっている。落ち葉を踏みながら遊歩道を歩いた。そういえば、去年もここを歩いて「第三の男」みたいとどっかに書いたのを思い出した。想像力貧困だなあ。
プールでは顔見知りに声をかけられて、重大なその人の悩みを聞かされてしまった。重い。

2002.11.27


ラファエル・サバチニ「スカラムーシュ」


先日読んだ山本やよいさん訳の「天球の調べ」は、フランス革命によってイギリスに亡命した貴族たちの物語だった。久しぶりにこの時代にひたってしまったが、それで思い出したのが、やっぱりフランス革命を背景にした物語「スカラムーシュ」だった。これしか思い出せないところが、ちょっと淋しいけど…。
子どものころに春陽堂文庫というのが家にあった。戦後の古本屋で父親が買ってきたもので赤茶の表紙で文庫本の大きさだが、それぞれ分厚かった。覚えているのは「スカラムーシュ」と「ステラダラス」の2冊で、この2冊は何度読んだかわからない。
図書館で探してみたら、外国文学のところに上下できれいな新訳本があった。
フランス革命前夜、プリタニー地方の貴族に育てられている私生児の青年アンドレ・ルイ・モロー(弁護士)は、革命思想の持ち主の友人には批判的だが、友人が中年の貴族ダジール侯爵と口論したあげく殺されたことから、自分の思惑をこえて過激な発言をするようになる。彼が秘かに想っている幼なじみのアリーヌはダジール侯爵に求婚されている。
その後はパリに出るが、政治の世界から逃げて芝居役者スカラムーシュとして人気を集め、主演女優クリメーヌと結婚の約束をする。芝居を見に来たダジール侯爵はそれと知らずにクリメーヌを遊び相手に選ぶ。そのせいで劇団がうまくいかなくなり、今度は道を歩いていて見つけたフェンシングの道場に住み込み、剣で暮らすようになる。そしてまた政治の世界に引っ張られる。しかしまた、大貴族の産みの母と父親がのっぴきならないときに判明し、革命派から逃げることになる。最後はアリーヌと愛を確かめて革命を逃れてドイツへ行くことにする。
わたしはダントンやミラボーやロベスピエールなどフランス革命の花形の名前をこの本で知った。あんまり知られていない本だが、大衆小説としての魅力がいっぱいである。(潮文学ライブラリー)

2002.11.26


イギリスの絵本 P.J.Lynch「EAST O'THE SUN AND WEST O' THE MOON」


図書館の外国絵本の棚にあった1冊、アーサー・ラッカムの絵を思い出させる表紙に惹かれて借りてきた。P.J.Lynchは1962年ベルファースト生まれ、絵の勉強をして87年にはアラン・ガーナーの挿絵を描いているというようなことが、表紙カバー見返しの解説から読みとれた。アーサー・ラッカムの絵より装飾的、中世的であるが、それがすごく“いま”なのである。
この本を開いてびっくりしたのは、見たことのある構図があったからだ。ストーリーは昔から伝わっている話の採話のようで、グリム兄弟も取り上げているというようなことも書いてある。
大きな白熊が貧しい一家のところにきて、末の娘を嫁にくれたら金持ちにしてやると言う。そして娘を背に乗せて遠い御殿に連れて行く。夜な夜な青年がベッドに現れるが、娘は灯りをつけるのは禁じられている。ある日家族に会いたいと頼んで、熊の背に乗り家に帰らせてもらう。一家は立派な家に住んでいて歓迎してくれるが、いろいろと話すうちに母親がアドバイスする。彼が眠っているときランプをつけて顔を見ればいいと。娘はついにやってしまう。すると御殿は消えて、娘はたったひとり暗い森の中に倒れている。
ここまで読むと、「美女と野獣」「アムールとプシケー」と話はほとんど同じだ。それでル・カインの絵本を取り出して見たら、まるっきり同じシーンの絵があった。ただこの本ではそそのかすのが2人の姉でなくて母親である。そのあとにいろいろと試練があって、ついに愛が勝ち、プリンスとプリンセスとして幸せになるわけだ。
扉の白熊の孤独そうな絵がとってもいいし、娘を背に乗せて走る熊のいたましげな表情にも心打たれるものがあった。そして風と雲と海の絵が絵がよくて、幻想的なお城の絵がよくて返却したくないがしかたがない。期日がきたのでこれから返しに行く。

2002.11.25


北の国からの客


昨日はVFCの例会日、参加者が少ない中なんとか例会を維持していこうとは思っているが、また今月も2人例会になった。それでも震災ボランティアで知り合って以来、深い仲(?)になったOさんと楽しくおしゃべりした。Oさんは今日当麻寺まで行ってきたそうで、当麻寺ゆかりの中将餅をおみやげにくれた。この草餅、素朴でおいしいのよね。
そこへ突然の電話、晴れやかな声が「札幌のrieです、例会やってますか。これから参加します」と言っている。ええっ! どこにいるのん?と聞いたら堺に用事があってきているとのこと。道順を教えて待っていたら、ほんとにご参加!
彼女はわたしと同時にVFCに参加した人で、いつも“VFCの会員は北海道から四国まで”と誇っている、その北海道の人なのだ。11年の間手紙を交わし、年に一度は電話をしあって「会いたいね」と言っていた人である。感激の対面であった。ヴィクのファンというだけで、こうして熱く接しられるんだから、すごいよなあ。
今日は札幌から大阪に転勤してきた知人夫婦と心斎橋で会食した。和食の店でいろんなものを頼んでおいしかった。彼らは昨日京都へ紅葉狩りに行ったそうで、京都のお土産をいろいろもらった。たくさんの人が行列していたから、自分も並んで買ってきたという阿闍梨餅もあった。こちらは洗練された味である。当分おやつがあると思うとうれしいな。
今夜はふだん出会うことのない第一線にいる大企業のサラリーマンから、日本経済のことをいろいろと聞くことができてよかった。この10年のことを“失われた10年”というと聞くと、わたしらの仕事もこの10年たいへんだったとつくづく思う。ほんとにこれから先の暮らしがどうなるか気になることである。
最近あまり出歩かないわたしだが、偶然、札幌の人と2日続けて会って楽しく会話したのがおかしい。

2002.11.24


ジャン・マーク「ヒッピー・ハッピー・ハット」


ジャン・マークが文を書いた絵本「あそぼうよったらおやゆびさん」(ニコラ・ベイリー絵)を読んだときに、翻訳を探してみようと書いた(今年9月9日)。それ以来気になっていたが、図書館にあったので借りてきた。
ジャン・マークはイギリス人でオックスフォードに夫と子ども2人と住んでいて、作品はヨーロッパ各国に訳されているそうだ。この本は絵本ではなくヤングアダルト向き短編小説が3編入っている。すごく“いま”という時代を考えさせられる。書いたのは1986年で訳されたのは1992年なんだけど、いまだに“いま”だと思う。
「ヒッピー・ハッピー・ハット」はオクスフォードに住んでいる姉フランキーを、12歳の妹ソニアが夏休みに訪ねる話。結婚して子どもがいるフランキーは明日17歳になる。夫は仕事の講習で留守だという。翌日ごちゃごちゃしているところへ夫の姉がきて、誕生日おめでとうと言い、子どもを預かるから遊びに行きなさいと、お金もわたしてくれる。妹のGパンをはいて大はしゃぎの姉は派手な帽子を中古屋で買ってはしゃぎまくり、最後は飛んでいった帽子を追いかけてテムズ川へ飛び込む。帰ったら夫がもどってきて、ハッピーエンド。
「ラット・タット・ラプソデイ」は中学生の淡い恋の話で、父親は出張が多く、大学教師の母親と娘と息子の生活ぶりが楽しい。頭がよくて機転のきく少女である
いちばんショックなのは「クラウィの窓」。中学生のロンダは風邪で学校を休んでいる。父親はバスの運転手で、母親はやり手キャリアウーマンのクラウィの家事をしている。母が風邪をひいてしまったので、治りかけたロンダは代わりに家政婦の仕事を引き受ける。クラウィは窓から朝の長距離列車を見ながらコーヒーを飲む。ちょうど列車は時間調節のために停車するのだ。毎日白板にたくさん書いてある用事を片づけなければならない。ある日クラウィが留守の日に、ロンダは洗濯させられたガウンを、服を脱いで発作的に素肌に着てしまう。そしてコーヒーのカップを持って窓辺に立つ。列車が止まり乗客が外を眺めると、ロンダはガウンの前を開き足を見せて踊る。乗客たちは窓から手を出してなにやら言っている。列車が動き出したときには紐をといた。その後は着替えて仕事をする。明日クラウィが「見てごらんなさい、あのひとたち・・・・・・どうしてあんなにこちらを見つめているのかしら」と言うだろうと考えながら。

2002.11.22


1958年の東映映画「紫頭巾」


昨日はテレビでアルゼンチンとのサッカーがあったが、少年時代に「紫頭巾」を見たという郷愁やみがたい人に押し切られて、京都テレビを見ることになった。わたしはアルゼンチンの選手は見たくはあったが、中田選手がいないからまあいいやと譲ったわけだ。ビデオに録ってまで見る気はなかったし…。
幕府御三家の尾張の殿様が老中田沼意次の陰謀に気付くが、反対に田沼の手によって毒殺されてしまう。田沼の陰謀をあばくために家臣の片岡知恵蔵が江戸へ出る。あるときは正義の剣士紫頭巾、あるときは浪人、あるときは近年江戸に名高い絵師として、江戸市中を探りつつ、田沼の陰謀を追いつめていく。3人に変装するんだからクラーク・ケントより忙しい。事件があると誰かになって現場にいるんだから。
片岡知恵蔵はもちろん、「御大!」と声をかけたいくらいにかっこいいが、それ以上に2人の女優がよかった。田沼がものにしようとする商人の娘が丘さとみ。おきゃんな江戸娘役がぴったり。まるで中原淳一の絵から出てきたような着物の着方と、絵のモデルになるときのポーズがきまっている。千原しのぶは居酒屋の女で浪人姿の知恵蔵に惚れている。これも首筋のほっそりと美しい姿にほれぼれした。外へ出かけるときの羽織を着る仕草の優雅なこと。
京都テレビのこの時間は、中島貞夫氏の解説が最初と最後にある。最初はうっとうしいしゃべりのオッサンやなあと思っていたが、最近はありがとうございますという感じで聞いている。おかげで名作「忍びの者」、「悪名」シリーズ、「座頭市」シリーズを見たし、市川雷蔵、大川橋蔵の美しいときを見られた。勝新太郎の美しさも遅まきながら発見した。宝の山の番組である。

2002.11.21


図書館で過ごす時間


プールを2週間お休みしている。週に3・4回行っているだけだけど、すごく時間をとられているような気がする。風邪気が抜けるまで休むことに決めたら、いろいろと用事がはかどるし、なんとまあ、ゆっくり図書館に行けるのである。
今日も図書館で座って雑誌を読んできた。「新潮」11月号の水村美苗と高橋源一郎の対談がおもしろかった。水村氏の話はひいきの引き倒しでなく納得がいき、高橋氏は思ってたとおりガサツだった。
借りた本は子ども向けの本が4冊と、歌人の斉藤史が昭和23年に書いた小説「過ぎて行く歌」、ラファエル・サバチニの「スカラムーシュ」、2週間のうちに読めるかわからないが、なんだか本を無茶読みしたくなって。

2002.11.20


冬の定番 コットンタートルネック


心斎橋方面に用事があったので、帰りにエディバウアーに寄って、コットンのタートルネックをとりあえず2枚買った。セーターの下に着たり、ほんまに寒いときはパジャマの下に着たり、何枚あっても困らない。毎年買い足しているので、常に何枚かある。毎年微妙に違う色が出るので、それを買うのも楽しみだ。
最近はユニクロとかカジュアルなものを扱っている店ならどこにでもあるが、昔はこういうものを買うのに苦労したものだ。先日物入れを整理していたら出てきたのが、L.L.Beanのカタログで、ソニープラザに出店していたときのもの。90ページのカタログなのに発行年月日が書いてない。25年〜30年前だと思う。わたしはなにも知らずに行って、なんてかっこいいお店! とびっくりした。高価なものばかりの、かっこいいアウトドアのグッズ屋さんだと思っていた。
それから10年も経って、釣りをする友人夫婦がアメリカのL.L.Beanの製品を通販で注文しだしたので、いっしょに頼んでもらうことになった。いちばんにコットンタートルネックを数枚頼んだ。それからセーターや犬用(うちでは猫用)の座布団とか、パーカ、フィールドコートも買った。山小屋で着るような厚くて派手なセーターは数回しか着ずに置いてある。
神戸にL.L.Beanができて、大阪にエデイバウアーができたのは、それからずっと後である。わたしのようなカジュアル好きには、ほんとありがたい店で、着るものはほとんどこの2店で買っている。

2002.11.19


山本やよいさん訳 エリザベス・レッドファーン「天球の調べ」


厚い本(429ページ)で2段組、ぎっしり詰まった文字、最初は辟易しながら読み進めていったのだが、すぐに捉えられてしまった。最後の最後までおもしろかったです。
レッドファーンは18世紀後半のロンドンの街の暗い闇を描き、それに加えて天文学、文学、音楽、暗号などの知識を縦横に駆使して物語を創った。最初の作品というのに人間模様もうまい。
官僚ジョナサンの娘エリーは女優になりたいと家出したのだが、殺されたときは娼婦だった。その後連続して赤毛の娼婦が殺される事件が続く。殺されたのが娼婦ばかりなので、警察は動かない。ジョナサンは国家機密の文書を扱う仕事をそこそこに、娘を殺した犯人を捜そうと聞き込みにまわる。
当時のロンドンはフランス革命から逃れた貴族がたくさん亡命しており、革命派のスパイ、王党派のスパイ、イギリス政府のスパイが入り乱れている。娼婦殺しと国家機密が入り交じって、知りすぎたジョナサンは監視され職を失うことになる。
切り裂きジャックの事件はそれから約100年後の実話だが、それに100年先がけてロンドンの下街での連続娼婦殺人事件という設定である。ディケンズの時代だ。そこから思ったことだが、この本は日本で言えば時代小説なんだけど、ヨーロッパでは200年前も現在とつながっている。スパイや陰謀も暗号も暗号解読も古くから連綿として続いているのだ。天文学も音楽も詩も革命や反動の時代を乗りこえて受け継がれてきたのだとしみじみ思った。(新潮社 2500円+税)

2002.11.18


なまで、なまで…


今日は暖かかったし風邪は治り気味だし、相棒とちょっとお茶に行こうかと、昨日新装開店したチャルカへ行った。ペンキを塗り替えたりしたらしいけど、あんまり変わったように見えない。でも文房具などは新しいものが増えている。新メニューのフレンチトーストとリンゴのオープンサンドを分け合って食べて、こちゃこちゃと雑貨を買って帰った。
さて晩ご飯なににしょとなったときに、たまにトンカツ食べてみーひん? と相棒が言うのでびっくり。家で揚げもんめったにせえへんし、外でもめっそ食べへんもん。風邪から脱却するのに体が油もんを欲しているのかもしれないな。ほな買うてくるわと肉屋さんへ行って買ってきたのは、パン粉がついて揚げたらいいようになってるやつ。
肉屋でこれちょうだいと言ったら「揚げまひょか」と油の鍋に入れそうになったので、「なまで、なまで…」とあわてたわと言う。とんだところで鬼平やってもたと本人はご満悦。
「なまで、なまで…」というのは、「鬼平犯科帳」の中で、鬼平の部下に狐がついた話で、座敷に通して何を召し上がりますかと奥さんの久栄さんが聞くと、油揚げがよいと答える。いかようにしてと聞くと「なまで、なまで、なまで…」と言うのが真に迫っていて、わが家ではよく話題にする。
さて、刻みキャベツを山ほどつけたトンカツをしっかりと食べた。トンカツソース1瓶買ったのはどうしよう? またやるしかないのかな。

2002.11.17


「西区むかしの物語」


近くの大阪市立中央図書館で西区の昔の写真展をやっているというので見に行った。図書館によく行く相棒は運よく開催日に行きあわせ「西区むかしの物語」「─西区を知る、大阪を知る─講演録・再発見あれこれ」の2冊の本をもらってきている。2冊ともおもしろく、それこそ西区と大阪再発見の本である。
わたしの一家は昔西区新町南通に住んでいたので、住んでいた期間の長い兄に1部送ってやろうと今日行ってみたら品切れであった。受付で聞いたら2000部用意したのがすぐになくなったそうである。
受付の人が「さっき来た人が私の袖を引っ張って、写真の前に連れて行って、ここに写っているのはわしの家やがな、と言いいはってね」と言う。戦災で焼けてしまったその人の家が、街や橋の写真の中にあったらしい。そんなような人が各地からたくさん訪れていて、あちこちの写真の前に人だかりができている。3月14日の空襲に逃げまどった話も洩れ聞こえてくる。廃校になった小学校、焼けてしまった建物、たくさんあった橋、花街新町の在りし日等々の写真がある。今ふうせんうさぎの会社になっているところは、新町の揚屋の代表のような吉田屋があったらしい。幸いというか、新町演舞場の建物が大阪屋(本の問屋)になって、少し昔の面影を残している。
西区には戦前たくさんの川や堀があり橋がいっぱいかかっていた。今は土佐堀川、木津川、西道頓堀川、岩崎運河に23の橋が架かっているだけである。埋められた川や堀には112の橋が架かっていたそうだ。

2002.11.16


風邪騒動


鼻水とくしゃみでナンギしたのはちょうど先週の今日くらいだったと思う。それが風邪とはぜんぜん意識していなかった。電話で「ちょっと声が違うみたい、風邪とちゃいますか」と言われたのが日曜日、その後はどんどんしんどくなっていった。プールはもちろん休んでその時間をベッドで過ごした。仕事はたいしたことをしなかったが、会報づくりがあってそうふらふらしていられない。医者にはかからず、たくさん食べて暖かく過ごすだけで治そうっちゅうのだから贅沢な話である。大事にいたらずすんでラッキー。
風邪って人にうつすと治るもんらしい。わたしと入れ替わりに、同居人が風邪気味になった。ちょうど1週間目、選手交代である。わたしと違ってすぐ医者にかかる人で、医者が風邪と診断したと言って、薬とうがい薬をもらってきた。仕事が立て込んでいるので、休んではいられないから、ビタミンを摂るとかいろいろと騒がしい。でも、こちらも大事にいたらずに治りそうな気配で一安心。

2002.11.15


「シャーロック・ホームズ家の料理読本」


先月の例会のときにシャーロックホームズの厨房にあったのを、「ちょっと見せて」と
言ったら「来月まで貸してあげる、今度の例会のときに持ってきてくれたらいいよ」と貸してくださった。著者のファニー・クラドックがハドスン夫人になって、ヴィクトリア時代の伝統的なイギリス料理を教えてくれるかたちになっている。
シャーロック・ホームズシリーズに出てくる料理と言えばハドスン夫人の料理になるわけだが、かんじんの本は子どものとき読んだだけだ。たった1冊「バスカヴィルの犬」を今年読んだけど。しかし、ローリー・キングの「シャーロック・ホームズの愛弟子」シリーズではハドスン夫人の出番が多いので、勝手に親近感を感じている。この本で料理を教えるハドスン夫人は愛弟子シリーズを思い出させる。
オーブンでつくる料理が多いが、ずっと前にフランス映画でカトリーヌ・ドヌーブが出ていた、たしかペローの童話「驢馬の皮」の映画で、パンを焼くシーンがあり、大きい竈で薪を上と下から燃やすところを見て、これがオーブンの元祖かと感心したことがあった。オーブンで最上の素材と純良品の調味料をたっぷりの時間をかけて作るんやもん、うまいはずだ。実際に料理を作る気にはならないけれど、読み物としてはとても楽しめた。
ジャムの作り方はコピーしておいて、材料が手に入ったときに作ってみよう。「ななかまどの実のゼリー」なんか作れたらどんなにいいだろう。「冬瓜と生姜のジャム」なんてのもある。

2002.11.14


ビネッテ・シュレーダーの絵本


図書館でとても美しい外国絵本「Florian and Tractor Max」を見つけた。絵と文のビネッテ・シュレーダーは「お友だちがほしかったルピナスさん」(岩波書店)を1冊だけ知っていた。シュールな絵と物語で好きな絵本だ。あっ、あの人の絵だ、と気がついて借りてきて楽しんだが、いまネットで調べたら翻訳が出ている。「こんにちはトラクターマスクくん」という。ありゃー、探さなくっちゃ。
黄金色の取り入れ風景の中で、馬のフロリアンとトラクターのマックスが向かい合っている表紙がすてきなのでどうしても手許に欲しい。
物語はお百姓のクラウスさんは馬のフロリアンが年をとったので、力仕事のためにトラクターを買う。このトラクターは運転手なしでどんどん働く。フロリアンは眺めているがつまらない。フンという感じで接している。風雨の激しい夜もマックスは働くが、タイヤが土にめりこんでしまう。クラウスさんとフロリアンと犬は駆けていき、3人でマックスを引き出す。フロリアンはマックスに親しみを感じて、夜の車庫&厩でマックスにすりすりする。翌日は晴れ、マックスがひく荷馬車の上にフロリアンがいる。
夢のような田園風景の絵が美しく、あちこちにさりげなく猫がいるのが可愛い。ビネッテ・シュレーダーの絵本がもう1冊(「ラウラとふしぎなたまご」)あるのがわかった。3冊とも矢川澄子訳である。なんか因縁を感じた。

2002.11.13


おいしいコーヒー


コーヒーを家で飲むのはやめたのはだいぶ前のことだ。家では紅茶とハーブティを飲むことにして、コーヒーはなし、その代わりに喫茶店ではコーヒーを飲むということにしてずっときた。若いころはモカがいいとか、ブラジルがどうとか言ってコーヒー豆を挽いて、淹れかたもいろいろと試みた。それが自営業になったときから、電気のコーヒーメーカーに常にコーヒーが入っている状態になった。なにかというとがぶがぶ飲むのでおいしいもへったくれもない。そんな状態でやってきたのだが、10数年前に連れ合いが病気したのを機会に、こんなアホなコーヒー飲みはやめようということになって、喫茶店で味わって飲むことにしたのだった。
ところが今年の初夏にシカゴのお土産にコーヒーをいただいた。せっかくの心づくしを飲まないなんてもったいない。いちばん簡単なペーパー式で淹れたら、このコーヒーがおいしくてね。それからは適当に缶入りを買ってきて1日に1・2回飲むようになった。そしたらだんだんおいしいのが飲みたくなった。
近くにいつでも買いに行ける店があったらいいなと考えていたら、近くの工具店が並ぶ町並みに古い小さなコーヒー豆の卸屋さんがあるのを思い出した。行ってみたらどうやら小売りもするらしい。さっそく中に入ると、古い道具や調度品とコーヒーの香りが店一杯にただよっている。その場で挽いてもらって買って帰った。これで毎日おいしいコーヒーが飲める。

2002.11.12


ちょっと風邪気味


わたしはあんまり風邪をひかないほうなんで、土曜日のクシャミと鼻水もアレルギーのせいかと思っていたら、昨日電話の声がおかしいと言われて、アレレ・・・こりゃ風邪引きかいなと気がついた。早すぎる寒さと疲れからかな。昨日な満席の寄席、帰りにミナミの本屋と百貨店の食料品売り場の人混みの中をぶらついたせいかな。
今朝はいっちょまえに喉もいらついてきて、こりゃ本格的な風邪ではないかと気がついて、プールに行ってる時間をベッドにもぐりこんだ。寝るのが一番のクスリである。だいぶマシになって目を覚ました。塩入のお湯で何度もがぼがぼとうがいをしたが、これは風邪にかかる前に外出から帰ったときにやっておくべきだった。昨日の田辺寄席でも落語家さんがマクラで「風邪が流行ってまんなあ。一番効くのが外からもどったときに、手と顔を洗って、うがいをすることやそうでっせ」と言っていたっけ。
今夜も生姜湯を飲んで早寝しなきゃと思いつつ、まだまだ用事があるのであった。でも、ちょっと風邪気味ですって、なんか虚弱そうでかっこええなあ。ははは・・・似合わんへんね。

2002.11.11


田辺寄席 第345回(2002年11月)


先日から「平林」という子どものときに聞いた落語を途中まで思い出して、最後が思い出せない。ちょっと抜けた男が「平林」という家に使いに行かされるが、字が読めないので通りがかりの人に聞く。「タイラバヤシ」と教えられるが、次の人に聞くと「ヒラリン」と言う。その次は「イチハチジュウノモクモク」。そこまでいって次が出てこない。いらいらしてしまった。それが、今日、田辺寄席へ行く地下鉄の駅で突然出てきた。「ヒトツトヤッツデトッキッキ」というのである。ほっとしたー(笑)。それで「タイラバヤシかヒラリンか、イチハチジュウノモークモク、ヒトツトヤッツデトッキッキ」とつぶやいたらうまくいった。抜けた男がこうして歌いながら歩くのである。多分間違っていないと思う。
今日は田辺寄席5回目の参加である。コースを変えて地下鉄谷町線田辺駅から行ったら、途中に「うどんや風一夜薬」の会社があった。看板がとても古風で粋である。日曜日だからシャッターは下りている。相棒は今日はうどん屋が休みやと思ったらしい。寄席に行ってから代表の大久保さんとの会話にたまたま「うどんや風一夜薬」の話が出たときにそう言うもんだから、「あんた、なにいうてなはんのん、ちがいまんがな、あすこは薬の会社だっせ」と、まるで桂文太さんの噺のおかみさんみたいな口をきいてしまった。
文太さんの噺に出てくる年増女のしゃべりかたがすごく好きである。今日も間抜けな男が愛宕山にお参りにいく噺で、よめさんのしゃべりかたのうまかったこと。ちょっとシオカラ声なんだけどそこに色気があって、しびれてしまった。
開口0番では落語で使われるお囃子について文太さんから説明があり、説明を聞いてお囃子を聴くとなるほどと思えて勉強になった。1時半開演なんだけど、1時15分には開口0番があるというサービスにいつも感動する。
今日の演目は「動物園」林家染太、「お血脈」露の団六、「お楽しみ」桂文太、「片棒」桂わかば、「鳥屋坊主」露の団六であった。

2002.11.10


アーサー・ラッカムの華麗な絵本


昨日の本のことを考えていたら、わが家にもうちょっと前に1冊の絵本があったのを思い出した。1970年代の前半にエディンバラ大学に留学していた友人がお土産にくれたアーサー・ラッカムの絵本である。絵本といっても立派なハードカバーで、重いのによく持って来てくれたものだといまも感心している。彼はその次には大学の教授に教えてもらったという上等なモルトウィスキーを1本持ってきてくれて、ほんとに“ものくれる友”っているんだなあと感心したことであった。
画家アーサー・ラッカムの名前を当時は知らなかったのだが、その本ですごい人だとわかった。「不思議の国のアリス」「クリスマス・キャロル」など子ども向けの物語に格調高い挿絵がついている。その物語にぴったりな絵であるが、その絵はアーサー・ラッカムのロマンチックな際だった絵なのである。永遠の絵本と言ったらいいかな。
その本は版を重ねているらしく、それから何年か経って洋書店で見たことがある。その本ではないけれど、翻訳された本があったような気もする。アリスの挿絵は絵はがきにもなっていて、一時期ずいぶん使った覚えがある。

2002.11.9


ドイツの絵本「Die Geschichte von Helene」


先週から仕事その他忙しくて3連休もほとんどパソコンに向かって過ごした。それと細かい校正仕事に夜遅くまで目を酷使しているせいか、肩が凝ってたまらない。今日はたまらずプールに行って歩いてきたら、だいぶんにマシになった。それに往復を含めて3時間、目を使わないのがよかったみたいだ。
いま読みかけているのは山本やよいさんにいただいた新刊書「天球の調べ」。おもしろいのだが、ハードカバーの2段組で分厚い上に字がぎっしりつまっていてとても読み進めない。じれったいがしかたがない。読みたさにはやる気持ちを抑えて、絵本なら目が疲れないので、探してみると、ああ、これこれ、古い絵本「Die Geschichte von Helene」があった。
この本はうちにある絵本の中でも最も古い。1976年にミュンヘンで出版されたもの。まだ児童文学にも絵本にも関心がないころで、どこでなにを思って買ったかさだかでない。表紙の赤い服を着た人形の姿に魅了されたのだと思う。
空襲で壊された家の窓から人形がのぞいているところからはじまって、なぜか人形が汽車に乗っていて、次は玩具屋のウィンドウにいる。その次は子どもたちと遊び回っているところ。楽しく遊んでいたのに、子どもたちはテレビに夢中になってしまう。お人形は隅っこで涙を流している。気がついた子どもたちが手分けしてドールハウスをつくり、服の着替えもつくってやる。最後のページで家の前に立つ澄まし顔の人形は絵で、子どもたち11人の顔はモノクロの写真である。なんだかとっても不思議な絵本で、お人形がなまめかしく可愛らしい。
文章がドイツ語なので読む気がおこらないのがよい。いつもけったいな絵本やなあでしめくくって閉じて棚にもどすのである。

2002.11.8


野菜がうまい季節


いっぺんに寒くなったので気忙しくてしかたがないとばかり思っていたが、季節は移っていて、もう年賀ハガキが売り出されているし、東急ハンズに行ったらカレンダーがいっぱいである。用事が目の前にいっぱいあって、カレンダーはなんとかなるとして、年賀状を書く気持ちの余裕を持てるのだろうか。いつものように大晦日の仕事になるんだろうな。
気になっていた壁にかけてある大きな布の洗濯とアイロン掛けをした。1年間のほこりを落としてやれやれである。
忙しくても食べるものだけはちゃんとしたい。昨日とどいた野菜を見ていたら、さあて、どうして食べようかと気分がのってきた。どっしりと重くて包丁がたたないほどのカボチャ、黒々とした土のついたジャガイモとニンジン。虫に食われた葉っぱのついた大根とカブ。そして、ほうれん草、小松菜、ミズナ、春菊、ネギ、セロリ、レタスと緑の葉っぱの美しいこと!
1週間の間溜めてあった野菜クズといまとどいた野菜の外側などを使って野菜スープの素をつくり、大根とカブの葉っぱをチリメンジャコとよく炒めた。あとは毎日の野菜メニューを考えるのが楽しみだ。

2002.11.7


自転車がコワイ


自転車がコワイって、まんじゅうコワイのノリではありません。マジメにコワイという話です。近所の人に聞いたんやけど、自転車にぶつけられた高齢の女性が骨折して入院し、退院はしたものの、どっと老けてしまったそうです。先日某所で「あの人ひったくりにあってから急に老けやった」という話を聞きました。えっと問い直すと、ひったくられたときに突き飛ばされたそうです。それ以来、腰の調子がおかしくなり、外へ出るのがいやになったそうです。「たまにエレベーターで会うけどめっちゃ暗いねん。明るい人やったのに・・・」ということでした。他人事ではない。わたしも最近は足の具合が悪くて、とっさの場合どうしようと思うことがあります。“コケタラアカン”と自分に言い聞かせて慎重に歩いています。韋駄天おくみと言われてたわたしなんですけどねえ。
今日の朝日新聞夕刊文化欄の「思潮21」は岩井克人さんが《自転車は「走る凶器」 老人への思いやりと、老人の人権》というテーマで書いておられますが、まったくその通りだと思いました。自転車による人権の侵害に関して、市民が無関心である理由は、被害が老人に集中しているからだとのこと。そしてとりあえずいま出来ることは、老人が自転車事故で骨折したときは、きちんと警察に訴えること、そこで自分の権利を主張すること。そのような権利の主張の積み重ねで、人々の意識を変えていかなあかんというようなことを書いておられます。岩井さんは上記のことを考えながら歩道を歩いていると、自転車が飛び出してきて、思わずよけようとして、ぎっくり腰になりはって、文章の最後は「本当に自転車は走る凶器です。」と結んでいます。
わたしもその通りやと思うけど、痛いのはいややし、病院へ行くのも警察へ訴えるのも面倒なんで、とりあえずは怪我をせんように用心第一を心がけます。歩道を歩くときは“コケタラアカン”と“自転車コワイ”をアタマにしっかり入れて、気をつけることにします。

2002.11.6


初冬の雰囲気


秋を堪能していないうちに寒くなってしまった。ここ数日寒くてしかたない。大慌てでガスヒーターを出して、冬用のカーテンに変えて、膝掛け毛布を出して、暖かいソックスを買ってきた。ああ、忙しい。
ラジオで連休の話をしていたが、遊びに行く人は行くらしく、嵐山が人でいっぱいだったとか言っている。寒い寒いと言って家にいるのはうちくらいか(笑)。プールに行ってもめちゃくちゃ空いていたし。
今日は3日間プール以外はどこにも行かず、仕事やらボランティアでパソコンに向かうばかりだったので、気晴らしに心斎橋まで行ってきた。と言っても少しぶらついただけで、東急ハンズで日用品を買っただけだけど。ハンズで売っている洗剤の「バード2」がお気に入りで、洗濯、食器洗い、その他なんにでも使っている。これが切れないうちに買っておくということでハンズにはよく行くのである。その他、蚊帳の材料で作ったテーブルふきん、インド製のカレー粉、遊び用のハンコなど、どうってことないものを買って帰った。
街を行く人は厚地コートやマフラーなど冬支度の人と、とまどったような秋の服の人がいる。心斎橋へんを歩いている若者は豊かそうだ。御堂筋にはブランドショップが軒を連ねている。もう少ししたらこの辺りを歩くのは気が引けちゃうんではないか。

2002.11.5


ユリイカ10月臨時増刊号「矢川澄子・不滅の少女」(2)


いままであまり関心のなかった矢川澄子のことを、彼女が亡くなってからこの本によってその生涯をたどったわけだが、いろいろと考えさせられるところがあった。
矢川澄子ってものすごく教養があり、彼女しかできない仕事をしていたし、その仕事を評価する読者がいて、そして広い交友関係があった。わたしなどから見れば恵まれすぎたような人だけれど、そうは見えないところがある。持てるものの悩みにしか見えないけれど、本人にとっては大きなものだったんだろう。
この本の中でいろんな人が書いているのだが、澁澤龍彦との生活で「少年と少女」みたいなところがまずあったのだけれど、それは光の当たる部分だった。矢川澄子はその光の生活を支えるために、澁澤がいやがるので子どもを産まず、澁澤の仕事を陰で支えていた。そういう生活への恨みのようなものが生涯あったみたいだ。
ちょっとたまらなかったのは、矢川澄子への追悼の言葉の端々に、学問のある女性に対する男性たちの嫉妬を読みとったこと。それを一番感じたのが座談会(松山俊太郎、池田香代子、佐藤亜紀)で、松山氏が話していることだ。いやな座談会だと思っているうちに佐藤さんから反論が出た。これはすごい、話題をふられて「今日はできません、もう不愉快で」だもん。その後は佐藤さんペースで話が進んでいく。佐藤さんの発言で少し言論界が変わっていくんじゃないかと希望が生まれたくらいだ。
ぎっしりと詰まった本で、いろいろと勉強になったのだけれど、わたし自身を振り返らされもした。わたしも昔の知り合いに追悼の言葉なんか書かれたら、生意気でいやな女だったと書かれること請け合いだ。でも追悼号が出るわけないから(笑)。(青土社 2095円+税)

2002.11.4


華やぐいのち


先日顔だけ知っている人と道で出会った。お互い名前も住む所も知らないが、ときどき道で会ったり同じバスに乗り合わせて、にっこりして季節の挨拶を交わしたりしているだけの人だ。その人がちょっと時間とっていいかしらと言う。命にかかわる病気でこれから検査を受けるそうだが、こんなグチを親戚や近所の人に言うわけにはいかない、どこの誰とも知らないから言えるんや、と言いながら病気の話や家族の対応の話をする。元気でも交通事故で死ぬかもわかれへんしね、とも言う。ウンウンとうなずくだけだったが、ちょっとでも彼女の気がすんだらいいなと思って聞いていた。
そういう年頃になったということかもしれないが、入院したとか訃報を聞くことが多くなった。たまに自分もそのつもりになっておかなきゃと思ったりするが、すぐ忘れて目先のことでバタバタするのがいつものことである。
しかしながら、岡本かの子の歌が身にしみる。(これいいかげんな覚え方なんで、ちゃんと知っているかたは教えてください。)
 年ごとにわが悲しみは深くして いよよ華やぐいのちなりけり

2002.11.2


わが家の定番がまた増えた


四つ橋方面に用事ができたので、ついでに新町と立売堀1丁目方面を観察してこようと出かけた。出がけの雨は途中でやんで、道に面した家の前にあるクレマチス、鶏頭、ムラサキシキブ、ナンテンなどの花や実や木の葉に水玉がのってとてもきれいだった。
高層マンションの広告がついに新聞1ページに出たし、チラシも何度が入ったので、そろそろできるころかと通ってみたら、まだ基礎工事がすんだところのようだ。浪速筋からそびえ立っているのが見えるかと思ったが、あと半年くらいはかかるのかな。
お昼ご飯前に出たので、今日のお昼はどないしょうと道々考えたが良い案が思い浮かばない。家にあるものでと思って帰ってから冷蔵庫をのぞいてつくってみたのが「豚肉丼」。
作りおきのだし汁に味醂と醤油を入れて豚肉を炊いて、そこに玉葱を入れてぐつぐつ炊いて、最後に卵をおとして半熟状態でご飯にのせ、その上に紅ショウガをたくさんかけて食べた。甘辛い汁がご飯にまじっておいしい。すごーく簡単。お昼の定番がひとつ増えた。
ついでに最近加わった朝の定番「キノコスープ」。アイルランド料理の本に「マッシュルームスープ」として出ていたもの。マッシュルームでつくったらおいしいが、値段が高いときは困る。代わりにドンコ生シイタケを使ってみたらイケた。
玉葱を細かく刻んでオリーブオイルとバターで炒める。そこへ生シイタケを刻んで入れ炒める。カサが減ってきたら牛乳を入れる。味付けは塩とコショウ。忙しい朝にすぐできるし、仕事をするぞという気持ちになる。

2002.11.1

写真:ドイツの絵本「Die Geschichte von Helene」

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