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kumikoのほとんど毎日ページ
2002年10月

 


ユリイカ10月臨時増刊号「矢川澄子・不滅の少女」(1)


先週まで時間があると「本格小説」を何度も読んで、どっぷりと水村美苗の世界にひたっていたが、今週は矢川澄子に囚われている。まだ全部読んでないのだけれど、あまりにも知らなかったことをいっぺんに知らされて戸惑っているところだ。
矢川澄子の「アナイス・ニンの少女時代」を読んだときに書いたが、わたしは矢川澄子が澁澤龍彦の最初の妻で、離婚して信州に住んでいて児童文学の翻訳をたくさんしている人くらいにしか知らなかった。澁澤が騒がれたころ、流行の波に乗って中世の悪女についての知識を得たし「O嬢の物語」も読んだし、サドの小説もその影響で読んだ。当時の名残りの澁澤龍彦集成が何冊か本棚の隅っこにある。
そのころは「ユリイカ」「現代詩手帖」「流行通信」「美術手帖」「フィルムアート」など雑誌をたくさん買っていた。また創刊当時の「アンアン」には東京のアーティストがたくさん登場していた。70年をはさんだ10年くらいが東京で活躍する人たちを雑誌で知る時代だった。その後は無関心で今日にいたる。
そんなわけで、そもそも矢川澄子について関心がなかったのが、今年の2月「朝日新聞」の日曜特集「いつもそばに本が」でひっかかった。子どもを持たなかったことについての執拗な言及に、これはどういうことかと思ったのだった。そしてなにかおかしい、死の匂いとまでいかなかったが、切り抜きしておくほどにひっかかった。それから5月に死亡記事、自死とあった。すぐに種村季弘さんの「アナイス・ニンの少女時代」の書評と追悼の言葉に出合った。また白石かずこさんの熱い言葉も読んだ。
この本を読んで、はじめて矢川澄子と谷川雁との関係を知った。年譜に引用されている「見出された庭」の一節には、澁澤との離婚話が進む過程で、谷川は矢川澄子と結婚するつもりだったと記されている。それが離婚直前に澁澤とヨーロッパ旅行に行く話が持ち上がり、最後のつとめだと思って谷川に相談したら、まだ澁澤に未練があると思われて、心を閉ざされてしまったそうだ。結局、旅行も結婚もなしになり、谷川は半年に一度くらい訪ねて来る人になったとのことである。谷川雁って、わたしは好かんかったけど、一時すごく流行ってた人だ。矢川澄子と谷川雁が信州黒姫村で隣りどうしに住んでいたなんて事実を知った。びっくりしたー。

2002.10.31


今夜はブリのアラの汁


今日は昨日よりましだがそれでも寒い。午後から船場の繊維街まで下着や靴下を買いに出かけた。昔は百貨店専門だったが、ここ数年は船場丼池筋の問屋に買いに行くことにしている。ちょっとまとめて買えば、同じメーカーのものが安く買えるのがうれしい。それまでしていた買い物がバカみたいだ。大荷物をぶら下げて帰った。これでとりあえず今年の冬は大丈夫かな。
晩ご飯はなににしようと考えるまでもなく汁ものに決めた。最近ブリがよく出ているからアラがあるはずだ。そしたらカマのところまでついた立派なアタマがあった。しめしめと買って帰って、カマのところを切り離して洗って塩をして明日はこれを塩焼きにする。
今日はアタマをぶつ切りして一度お湯に通し、大根、じゃがいも、たまねぎ、にんじん、いとこんにゃく、とうふ、最後にネギを入れた汁にした。味つけはヨーグルト少々を味噌と混ぜた。おいしい地酒の粕があったら粕汁にしたいところだ。
それに桜エビ入り卵焼き、大根葉とチリメンジャコの炒めたの、カボチャの煮付けをつけて、日本酒で…。デザートは甘納豆とほうじ茶。果物は柿とリンゴ。今日もご馳走になった。

2002.10.30


フォークナーの子どもの本でミッキー・ロークを思い出した


わたしがフォークナーの本を読んだのはうんと若いころだ。ほとんど忘れてしまっているので、また読みたいなあと思っていたら、図書館に子ども向きのフォークナーの本「魔法の木」があった。フォークナーが30歳くらいのとき、結婚相手の娘ヴィクトリアのために書いた本で、1冊だけ自分でいろんな色の紙にタイプして装幀したもの。フォークナーの死後5年経って出版された。
誕生日の朝、少女ダルシーは奇妙な赤毛の少年に起こされる。彼はモーリスと名乗り、弟のディッキー、召使いのアリス、近所のジョージとともに、魔法の木を探しに出かける。子ども向きの物語とはいえ、小さなへんなじいさんや、戦争に行った話をして、これからは白人の戦争に行くのはやめると言うアリスの奇妙な夫エクサダスなど、フォークナーの世界である。
物語の最後にこれが魔法の木だとみんなが思ったとき、その木から葉っぱが空中に飛び散りそれが鳥になる。その中に立っていたのが聖フランシスだった。
それで、突然ミッキー・ロークを思い出してしまったのだ。わたしはキリスト教のことなんかなんにも知らない。なにか知っているとしたら小説と映画で得た知識なのである。ミッキー・ロークが聖フランシスになっていた映画はリリアーナ・カヴァーニ(「愛の嵐」がすごくよかった)の「フランチェスコ」(1989)で、わたしはこの映画で名前のみ知っていた聖フランシスについて知識を得た。
当時、リリアーナ・カヴァーニがミッキー・ロークにこの役をさせた気持ちはよくわかるような気がする。わたしも彼に夢中で、映画俳優に夢中になった最後の人と言っていいかもしれない。「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」での笑顔にいかれてしまったんだった。

2002.10.29


木枯らし吹く夜は鍋物


10月はずっと暑いというほどの日が続いていたが、涼しくなったかと思ったとたんに、一昨夜早くも木枯らし1号がやってきた。昨日も今日も寒い。天気予報を見ていたら、寒気団がすっぽりと覆っている端っこに大阪がある。明日はもっと寒くなるという。あわてて冬物下着を点検した。明日はちょっと補充品を買いに行かなくっちゃ。
こんな寒い日の晩ご飯はもうこれしかない、カワハギの鍋物。安くて旨い魚と豆腐と野菜(白ネギ、はくさい、エノキダケ、シメジ)に春雨をとっておきの大皿(だれかにもらった明治時代の藍色の模様のある皿)に盛り、日本酒は冷やで。最後は雑炊にして魚の骨だけを残して全部食べた。
気持ちよい早めの晩メシだったが、実はこのあとも仕事なのであった。テレビでダウンタウンの「ヘイ!ヘイ!ヘイ!」を見て笑って酔いをさました。あらあらファックスが入ってきた。

2002.10.28


久しぶりの少女マンガ「キャラメル・オーガスト」


土曜日にVFCの例会があった。最近はとみに集まりが悪くて、今回も朝から欠席メールが3通もくるありさまである。“例会存亡の危機”とつぶやきつつ出かけた。だれか来るやろと楽観しているのだけれど、先にジュンク堂に寄ってさっさと読める本を探して、岩波新書の広告で見た栗田勇の「花のある暮らし」とお久しぶりのヤオイ小説、秋月こおのフジミシリーズ第4部「その青き男」を買った。
一人で本を読みながら、ギネスの生ビールを飲み、夕食を食べるのも快楽だなと思う。食べ終わった後にはアイリッシュコーヒーをもらって、読み続けるうちにDさんがきた。午後から学童保育の仕事を片づけてからの参加である。秋は学校や地域のイベントが多いから働く母親はたいへんだとのこと。ほんと、会員のかたのメールを読んだり話を聞くと、ノーテンキに土曜日集まってねと言ってもなかなか時間がとれないのがよくわかる。
でも、月に一度くらいは、じっくりと腰を据えて話すのは非常に良いことではないだろうか? DさんとVFCの最初からのことや、家族のことや、本のことなど話し合っている幸せは言い尽くせないものがあった。いまも楽しい会であることがうれしい。
Dさんが本を持ってきてくれた。田渕由美子の「キャラメル・オーガスト」、久しぶりの少女マンガである。小さいときから知りあっていた少女と少年が大学生になってから愛を確認する物語。他愛ないストーリーと絵にほっとする。大島弓子ほどのひねりや毒がないぶん、物足りないが、いまはこのほうがよい。少女マンガの時代は終わったと思うけれど、夏の海の砂浜にしゃがんでいる孤独そうな少女の姿に郷愁を誘われる。

2002.10.27


「アリーmyラブ 5」がはじまった


海外ドラマを見るのが忙しくなった。今日で3回目の「ザ・ホワイトハウス」と毎週月曜日8時からの「ダークエンジェル」、そして昨夜は「アリーmyラブ 5」の第1回を見た。
「アリーmyラブ」は見続けて5年目に入るわけだ。年月の経つのは早い。昨日のアリーは相変わらずきれいだったが、少し年をとったみたい(当たり前だが)。仕事ができて美人、感受性がするどすぎて相手はしんどい、というアリーだが、今年はどんな恋をするんだろうか。なんかちょっと飽きてきた感なきにしもあらず。
近未来ものの「ダークエンジェル」のほうが、最近は好みである。マックスとローガンのカップルが好ましい。2006年電磁波爆弾でコンピュータのデータが破壊されて、ドラマの2019年現在は暗黒時代という設定は、すごくリアリティがある。2019年というのは「ブレードランナー」の時代設定の年だという。こういう暗い未来になった近未来映画は「ブレードランナー」からはじまったんだよね。
「ザ・ホワイトハウス」の3回目をいま見終わったんだけどおもしろかった。チャーリーという黒人青年がメッセンジャーの仕事を求めてホワイトハウスに面接にきたのを、大統領の秘書に採用するところ、すごくうまい脚本だ。こういうことは現実にあり得るんだろうか。これからはチャーリーの成長物語になっていくのかも。

2002.10.25


水村美苗「本格小説」(2)


女中の土屋富美子は語り出す。それはまず日本の田舎の第二次世界大戦後を語ることになる。富美子は信州の出身で、父が戦死し残された母は父の弟と再婚する。なじめない富美子は中学校を卒業するとアメリカ軍基地でメイドをし、その後に伯父に連れられ東京に出て宇多川家の女中になる。夫婦と夫の義母(おばあさま)と女の子2人の家庭であった。宇多川家の裏に元車夫の一家が住ませてもらっている。東太郎は満州から引き上げてきてそこにいるが、彼には“生蕃”の血が混じっているという。よう子と太郎の宿命の恋は、お嬢様と元雇われ人の身寄りで、しかも純粋日本人ではないという、さまざまな差を超えてじわじわと高まっていく。夏は軽井沢の別荘に母の夏絵とその姉春絵、妹冬絵の3人姉妹の家族が集まる。隣家は名家で一人息子の雅之がいる。
おばあさまは遠慮して軽井沢には行かないため、追分に小さな山荘を建てると、そこに太郎を連れて行く。たまによう子が現れ、雑用を終えた太郎と遊ぶ。この追分の山荘で祐介はよう子の幽霊を見たのだった。
戦後からようやく復興していく日本の社会から出てアメリカに行った太郎は、バブルに沸く日本にも事業を広げる。そして富美子に連絡し追分の山荘と周辺を買い取り、ときどきそこで過ごすことにする。よう子は雅之と幸せな結婚生活を送っているが、太郎と再会後は夫も了解している太郎を加えた生活となる。富美子も含めた夢のような生活が崩れるのは早かったが、至上の幸せな生活であった。
祐介が出会ったのは、よう子と雅之の早すぎる死、生きていく目標をなくした太郎、年寄った3姉妹の悲哀、そして富美子の生活も終わろうとしているときであった。最後に富美子が語らなかった真実が冬絵によって祐介に語られる。
祐介はこの物語を聞いてから2年半後にアメリカに渡った。カリフォルニアで仕事しながら東太郎を探すがわからない。ある日太郎が昔知っていたと言っていた水村美苗の名前を大学で見て訪ねてきたのだった。(新潮社 上1800円・下1700円 +税)

2002.10.24


水村美苗「本格小説」(1)


去年1年間「新潮」に連載されていた水村美苗「本格小説」が単行本になった。雑誌を切り取って何度も読んでいたのだけれど、ウィリアム・モリスの絵のカバーがついた、美しい本(上下2冊)で読むのはまた格別である。
「本格小説」というタイトルについてはいろいろと解釈がされると思うが、わたしは水村美苗がこういうタイトルをつけることによって、情緒的な日本語の小説というところから離れようとしたのだと思う。世界文学の大きな流れの中に加わった1冊が日本語で書かれている。
「私」は「縦書き私小説」を書こうとして、書きあぐねている。そこへ、日本の青年によってひとつの物語がもたらされる。それは水村美苗が少女時代に知っていた東太郎にまつわる物語で、第一章の前に「本格小説が始まる前の長い長い話」がある。ここでは「私」の父親が日本のカメラ会社の駐在員として赴任した、ニューヨーク郊外ロングアイランドでの暮らしが詳しく綴られている。東太郎は貨物船で渡米し、アメリカ人のお抱え運転手からはじめて、「私」の父のカメラ会社に入社し、修理工から努力と苦労の末優秀なセールスマンになる。その後会社を辞めて独立して成功し莫大な財産を得た人物である。
「私」一家とのかかわり、その後のなりゆきとともに、うわさで知った彼の成功物語や、ニューヨークの寿司屋での再会などが語られる。そして現在、ニューヨークでの仕事をやめ大邸宅も処分して行方不明だといううわさを聞く。
「私」はアメリカの大学で大学院生に日本語の小説の話をするために、スタンフォード大学にいる。そこへ物語を持って加藤祐介が現れる。
そこで話は加藤祐介が2年半前の夏に信州追分で東太郎と会った状況になる。
女性誌に「嵐が丘」のような小説を書くと水村美苗が書いているのを読んで、わたしが期待していたのはまさにこの小説であった。祐介は偶然の事故で泊めてもらった別荘の納屋で、夜中に浴衣を着た少女が走り去っていくのを見た。外へ出た彼がこれこれと言うと東太郎は坂道を駆けだしていく。そして祐介は泊まるようにすすめてくれた女中の土屋富美子の話を延々と聞くことになる。彼が見た少女こそ東太郎が命を賭けて愛したよう子であった。

2002.10.23


冬支度


突然寒くなった。また暖かい日があったりしながら、だんだん冬になっていくのだろうが、とりあえずは着るものと寝具に気をまわさなくっちゃ。
夜になるとほんとに寒い。生乾きの洗濯物があったので、押入からオイルヒーターを出してきてつけた。これで部屋の温度がだいぶ上がったみたい。うちは板の間なので寒いのだ。夏はクーラーなしでガマンしているが、冬はよそより早く暖房する。コタツがないんで暖房費がかかるのが困る…。
最近やりっぱなしのことが多くて、いろいろと後手後手になっている。まだスダレが垂れていて、風鈴が寒そうに音をたてているのを今日ようやく片づけた。扇風機と入れ替えにガスファンヒーターを出さないといけない。カーテンの付け替えもあるじゃん。
夏ものの草で編んだバッグがまだ壁にぶらさがっているのも片づけなくちゃ。でも、まあ、出しておいたからといって、だれが困るわけないやんかと思ってしまうといけない。来年の夏うれしそうに出したかったら、いま仕舞っておかなくては。

2002.10.22


ようやく秋らしい日


今年の秋はまだきていないように10月になっても暑い日が多かった。去年はもっと早く秋の服を着ていたように思う。今年は長袖Tシャツで充分だもんね、まだ。でも明日は寒くなるみたいだ。いよいよセーターの季節だ。
温水プールとはいえ、プールの水が冷たくなった。足を入れるとひやりとする。水中歩行の場合、入ってしまうと上半身が寒い。まだ水の中のほうがましだとお風呂に入っているみたいにつかっている人がいる。
「退屈でしょう」と言われながら、「いっしょに泳ぐ練習をしよう」と誘われながら、ガンコに水中歩行のみにこだわっている。断るときは、泳ぐと楽しくて歩く気がしなくなると困るから・・・なんて笑って答えているが、歩くのは退屈なんかじゃない、ほんとは。みんな自分が退屈だから決めつけるけど。
ランナーズ・ハイという言葉があるけど、歩いていてもハイになっているときがある。最初の15分は時間が長いが、あとはいくらでも歩けるような気がする。考えごとをしているつもりなのだが、後で思い出せないのが難点である。漫然と考えたことはきれいさっぱりである。具体的に帰ったらあれこれしようというのは覚えているけれど。
去年と比べて人が少ないような気がする。特に男性が少なくなったようだ。賑やかな話し声がめっきり減ったような気がする。

2002.10.21


田辺寄席 第344回(2002年10月)


月に一度の田辺寄席、相棒が舞台装置を撮影したいと早く出掛けたので、朝ご飯の片づけをしてから、それでもいままでよりも早く行った。前の席は2列分桟敷席になっていて、上敷きを敷いて座布団が2枚重ねで置いてある。その後ろから椅子席になっており、今日は2列目に座ることができた。手づくり座布団の座り心地がよい。
演目は「天災」林家染弥、「お花半七」笑福亭竹林、「リクエスト99・松島心中」桂文太、「ちりとてちん」露の吉次、「死神」笑福亭竹林。
番組の前の「開口0番」が桂文太さんで、中間管理職のオジサンの話。最近の若い者は会社帰りに誘っても、メールチェックとかで家に帰ってしまうので、しかたなくメガホン持って甲子園に行ってヤジる。そのヤジが抱腹もので開口0番笑ったー。「松島心中」の年増女郎が着替式のお金がなくて、店に居づらいのでアホな客と心中を図ろうとするのだが、煮え切らない男を海に突き落とした直後に、お金を出す人ができたのを知り、先にあの世に行って待っててや、何年さきかわからんけど行くからと言うて帰ってしまう。世間の荒波をかいくぐった女郎の言葉遣いのうまいこと!
今日のヒットは二回たっぷり語った笑福亭竹林さん、噺そのものもうまいがマクラに笑わされた。自分の生活を語って「生活に追われているんやない、生活に追い越されている」と言いはった。言い得て妙でありんす。これからわたしの言葉として使わしてもらお。もちろん、竹林さんが言いはったと前置きして。いや、ほんま、わたしこの言葉で自信を持って開き直れるわ。
わたしはこれで4回田辺寄席に行ったわけだが、出演者はいままで名前も知らなかった落語家ばかりだ。だがその巧さと真剣さは尋常ではない。会場に溢れんばかりの客がいるんだけど、それが聞く耳を持った人たちの集まりである熱気が、彼らのやる気を引き出しているんだと思う。
帰り道、雨が降る桃ヶ池公園を歩いていると池に鴨が泳いでいた。蓮は枯れて荒れた感じの池になっている。冬はどんなだろう。

2002.10.20


エルケ・ハイデンライヒ作 ベルント・プファー絵「耳をすませば」


図書館の棚から呼びかけてきた本。知らない作家だが、背表紙の色があたしの好きな、茶がかかったピンクだったので手にとった。表紙の絵が子どもっぽい(中にある挿絵にステキなのが何枚もあるのに…)のでどうしようかと思ったが、裏表紙の絵を見ると、これはよい! 夜の寝室に月の光が入って…、あたしの好み100%ではないか!
11歳の少女ケーテは口やかましい母親と街で暮らしている。母の口癖は「ふん、まったくもう!」。ずっと同居していた大好きなおじさんがクジに当たって田舎に農場を買ったので、ケーテは夏休みに行くことにする。
汽車に乗ると前の座席に一人座っていたのがロスヴィータ。彼女は動物と話ができると言う。ケーテはロスヴィータの犬に触ろうとして「さわってもいいですか」と聞くと、犬が「いいとも!」と答える。それがはじまりで、おじさんの農場に着いてからも犬や猫やロバやニワトリと話す。ロバはエルヴィンと呼ばれているが、本当の名はイーゴリだと言うので、おじさんに名前を変えるように言う。おじさんが「イーゴリのほうがいいかね?」と聞くと、ロバはしぐさと目つき、そしていななきで答える。
夏休みの終わりごろに母が迎えにやってくる。帰る前日にサクランボケーキを持ってロスヴィータがやってきた。口やかましい母が、兄さんいい人と巡り会ったねと言って喜ぶ。
最後はケーテが大人になっていて、おじさんは亡くなり、ロスヴィータは墓の前で最近のできごとをお墓のおじさんに話してきかす。そして「こうして話せば、亡くなった人にも聞こえるのよ」と言う。でも返事がないとケーテが言うと「じっと耳をすませば、返事が聞こえることだってあるのよ」とおばさんは答える。それから何年もたってケーテは母の墓でいろいろと話をする。自分の生き方が母は気に入らないだろうと思いながら…。墓に背を向けたときに「ふん、まったくもう!」という声がしたような気がした。
なんかねえ、こころがすーっとするお話で、子どもだけに読ませるのはもったないなあなんて思ってしまいました。(2001年講談社)
エルケ・ハイデンライヒはドイツの有名な作家で、大ベストセラーになった「黒猫ネロの帰郷」は文藝春秋社から発行されているとあとがきに書いてあった。あたしはいっこも知らなんだ。また読みたい本ができた。

2002.10.18


手縫いの座布団


針仕事だけでなく手仕事はなんでも苦手で、子どものときは大人になるのがおそろしかった。「ブリキの太鼓」の少年のように小さいままでいたい、とまでは思わなかったが、なんでもできる母親が目の前にいると、なかなか生きにくいものであった。
14日に書いた「雑貨飯店」のミコさんのように、手仕事を商売にするなんて、わたしにはとんでもない話で、ひたすら尊敬のまなざしである。
でも、たまに針を手にすることがある。ミシンがないのでなんでも手縫いなのだが、運針というものができないので、ひと針ずつ大きな縫い目で縫っていく。今日は思いついて田辺寄席用の座布団を縫うことにした。噺の間に中入りはあるけれど、3時間以上は座っているので座布団がほしい。ちゃんと持ってきている人もいる。
さて、布と中綿がいるが、きれいな布を見つけるとつい買ってしまうので、在庫がけっこうある。なんせ目的なしにきれいだからと買ってしまうのだから…。綿の替わりに古いバスタオルを畳んでみたらうまくいきそう。タオルなら汚れたら丸洗いができると、自分の工夫に拍手して時間をかけてなんとか縫い上げた。日曜日が待ち遠しい。

2002.10.17


まんじゅうがこわい


子どものころ家族で楽しんだ落語に「まんじゅうこわい」というのがあった。長屋の連中が集まって何が怖いか話し合っている、ヘビとかオニとかオヤジとかいろいろと出てくるが、一人だけ「まんじゅうがこわい」と言う。それってんで長屋の連中が饅頭を山ほど買ってきて、そいつを饅頭といっしょに部屋に放り込む。どんなに怖がっているかとのぞいてみると、なんと饅頭をむしゃむしゃ食べているではないか。なんやーと部屋に入ったらそいつ曰く「今度は茶がこわい」。
それでもって、うちではなにか欲しいと「今度は○○がこわい」と言うんであった。いまでもいろんな場面で自然に口から出る。
「まんじゅうこわい」と言ったわけではないが、9月4日に財布を拾って届けたお礼に鶴屋八幡の饅頭をもらって以来、饅頭づいている。食後の甘みがクセになって、饅頭が途切れたときは、いつもする小豆の塩煮を、お砂糖を入れてぜんざいにしてしまった。最近はなぜかまんじゅうの数珠つなぎ状態で、田舎饅頭の次ぎに広島みやげの紅葉饅頭をいただいて、日曜日は旧友とともに千鳥饅頭がやってきて今日まであった。オチにならんけど「今度はケーキがこわい」。

2002.10.16


パトリシア・マクラクラン「ふたつめのほんと」


図書館をぶらついていたときに目についたので借りてきた。この本はかなり昔に大切にしていたのだが、多分知り合いの子どもさんにあげたのだと思う。パトリシア・マクラクランの本は「のっぽのサラ」「潮風のサラ」が大好きで何度も読んでいるが、これも本の置き場に困ったときに子どものいる人にあげた。読みたかったら図書館でとそのときは思うのだが、いろいろと取り紛れて手にすることはあまりないような。
この本の主題は“ビブラート”だ。主人公のミーナは11歳の女の子で、チェロを習いに学校が終わってからバスで音楽塾みたいなところに通っている。ある日、バイオリンを弾く感じの良い男の子ルーカスが入ってくる。他の2人と弦楽四重奏をやるのだが、ミーナはまだビブラートができない。ルーカスはできる。ミーナが「あなたのビブラート、すばらしいわ」とほめると、ルーカスはうなずいて「音楽キャンプでみっけたんだ」と答える。
どうやら“ビブラート”とは練習で習得できるものでなくて、練習の積み重ねの結果向こうからやってくるもののようだ。そういや、秋月こお「フジミシリーズ」でバイオリニストの悠季が演奏に満足できなくて、悩みぬき練習を重ねたある日、電車の中であっと思う。そして次の駅で降りてホームで弾いてみてわかる。それも一種の“ビブラート”だったんだなぁ。
ミーナは父親が心理学者、母親は作家という家庭で、自由に育っている。かたやルーカスはお金持ちの一人っ子で石けりをしたこともない。最後はミーナが“ビブラート”を手に入れ、ルーカスに約束の電話をするところで終わる。深夜、ひとつめの呼び出し音で出て、なにも言わないのに、「おめでとう」。
悪人やいやなやつの出てこない気持ちのよい本で、芸術、事実と真実など子どもにもわかるように(わかるだろうか?)書いてある。

2002.10.15


「雑貨飯店」のオリジナル文房具


久しぶりに友人にしてVFC会員の山口由美子(ミコ)さんのサイト「雑貨飯店」を見たら、WEB SHOPのページができていたのでびっくりした。それもオリジナルの文房具。ミコさんが文房具を愛してやまないのはよく知っているけど、自分で作って売る、とは思ってもいなかった。
商品は木製卓上メモ(3色)、トラベルノート(3色)、リングノート(9色)の3種で、すべて郵送料込み1つが1,000円。たくさん買うと郵送料が割安になるし、いまならサインペンが1冊につき1本ついてくる。
リングノートならよく使いそうなので買ってみようと思ったが、商品の写真を見ていたらみんな欲しい色なので困ってしまった。結局ブルーと赤いのと2冊注文した。届いたらどう使うか考えるのが楽しみだ。
ここまで書いて「たぶん、文房具」のページにいったら、ありましたよ、トラベルノートとリングノートの作り方のページが…。文章の最後に「つくりましょうと言っておいてなんですが、・・・」というのがあり、作るのが苦手な人はとりあえず1冊買えと言っているのに笑ってしまった。わたしのことやんか(笑)。
雑貨飯店は http://www.ne.jp/asahi/zakka/fandian/

2002.10.14


ごっつ、うまかったで、キノコ鍋


朝の新聞に出ていたキノコ鍋、簡単でおいしそうだったので、キノコをたくさん買ってきた。家にあるもので、適当につくったのだがおいしくて、また食べ過ぎてしまった。でもキノコとうどんだからすぐに消化したみたいで、2時間後にはお腹が空いてきた。
(1)干しシイタケ(キクラゲも書いてあったが今日はなし)を水でもどしておく。(2)ショウガを1切れ薄切りにしておく。(3)骨付き鶏肉を水から入れて沸騰してから5分煮てアクを取って(たくさん出た)から取り出しておく。以上を鍋(土鍋でやった)に入れて、水と酒少々、黒コショウ5粒を入れて弱火で30分煮る。
別のお鍋にお湯を沸かして沸騰したところへキノコ(今日は、マイタケ、エノキダケ、シメジ、エリンギ、ナメコ)を入れて、もう一度沸騰したら取り出して水気を切っておく。30分経ったスープの鍋にキノコを入れて5分煮たらできあがり。
たれを別につくるのだが、今日はラー油にした。ごま油大さじ2、唐辛子大さじ2を小鍋に入れて、おいしそうになるまで火にかける。他に別皿に塩を用意する。
全部食べた後のスープにうどんを入れて食べたらおいしくて、鶏の骨以外になんにも残らなかった。月に一度はやりたいな。
うどんにもラー油をたらしたらおいしかった。ラー油は家で餃子をめったにつくらないし、他に使う料理が思い当たらないので、一度買うともったいなくもいつか捨てるはめになる。こんなに簡単に作れるのならこれからは手製ラー油にしよう。

2002.10.13


アメリカの昔の少女小説


ちょっと寝付きが悪い夜には、梅酒のコップを手に絵本や昔なじみの少女小説を広げる。いま出してあるのはジーン・ポーターの「リンバロストの乙女」である。父は底なしの沼に落ちて死亡、不幸な母から邪険に育てられたエルノラのけなげな姿に、涙した子どものころを思い出しながら読む。
いつも読むのは、卒業式に着る服を母が買ってくれなくて、泣いて知り合いの“鳥のおばさん”の家に行き、卒業式は欠席すると言うところ。するとおばさんは知り合いの女性が置いたままの服があるからと出してくれ、自分のものも加えて、レースを飾った白いドレスをその場で工夫して着せてくれる。そしてエルノラは卒業生代表として輝かしい1日を送る。
その“鳥のおばさん”と知り合ったのは、リンバロストの森で見つけた蛾の標本を買ってもらったからだった。エルノラは標本や森で手に入れたものを売って自力で女学校を卒業したのだ。
ストーリーは完璧なハッピーエンドなのだが、そこにいたるまでにたくさんの奮闘があった。女学校では貧しさ故に同級生たちにバカにされるが、徹底して言い返す。【エルノラはさきに口をきいた少女の前にたちふさがった。】そして、言い返すのである。
いま思うのだけれど、言われたら倍言い返す(笑)わたしの精神はここで養われたみたいだ。そういえば、「若草物語」も「小公女」も「あしながおじさん」も決して引かない少女たちの物語であった。わたしは大家族の中で目立たずに本を読んでばかりいた子だったけれど、アメリカ流の自立精神を骨の髄まで学んでしまったみたいだ。だからいまもヴィクに惹かれるんだと改めて思った。

2002.10.12


リスベート・ツヴェルガーの絵がある本


10年くらい前にリスベート・ツヴェルガーの絵に惹かれて、洋書絵本の「THE NUTCRACKER」を買った。彼女の絵のある本は他にもあったのだが、文字が多くて内容がわからない。この本はホフマンの「胡桃割り人形」だから文字が読めなくとも中味はわかっている。それでこの1冊を大切にしていた。色合いが暗いしロマンチックではない。女の子もきれいではないし胡桃割りときたらグロテスクな感じさえする。しかしいい! 服がいっぱいかかった洋服ダンスに階段がつけられ、胡桃割りが少女を中へ誘うページが好きだ。「ナルニア国物語」もそうだが、クローゼットの奥は猫ならずとも魅力があるのだ。
昨日図書館の子どもの本のところに、暗い色調の本があった。表紙を見て「あっ! 彼女だ!」と開いたら、やっぱりリスベート・ツヴェルガーであった。ヴィルヘルム・ハイムの「鼻のこびと」に絵をつけている。表紙カバーの折り返しには彼女の紹介文があって、1954年ウィーン生まれで、現在、国際的に最も高い評価を受けている絵本作家のひとりとある。写真もある。裏表紙カバーの折り返しに広告があって、他に6冊も訳されて太平社から発行されているのがわかった。これで内容もわかって絵も楽しめるとほっとした。
この「鼻のこびと」は少年が魔法で鼻のでっかいこびとにされ、いろいろあったあと、料理人になって侯爵家で働くが、料理用のガチョウを買った3羽のうちに1羽がやはり魔法にかけられている少女だとわかり、殺さずに部屋で飼うことにする。苦労の末、最後はお互いの魔法を解いて家に帰る、という話。けったいな話にユーモラスな絵がついている。

2002.10.11


箸置きが好き


先日なんだったかの記念日にお刺身を買ってきたので、季節に合う箸置きを探したらガラス製のちいさな松茸が出てきた。これは茄子、かぶらといっしょにもらったもの。
うちの猫の花子が子どもから少し大きくなったころだから20年ちょっと前か、仕事場に出入りしていた若い女性のHさんが子猫を拾ったと見せに来た。我が家では生後2カ月くらいの花子を拾ってから、バスケットに入れて毎日仕事場へ連れて行っていた。最初はちっちゃくて充分の大きさだったバスケットだが、10カ月くらいしたころには押し込まないと入らなくなって、猫もいやがって逃げるので、行きと帰りと追いかけっこでたいへんだった。そしてついに花子は家でお留守番ということになった。
それでバスケットは部屋のインテリアと化していたのを、そのHさんにあげたんだった。それは高島屋のペット用品売り場でいちばん高かったのを買ったのもので、上等と一目でわかるものだったから、とても恐縮+うれしがってくれたHさんが、お礼にくれたのが手製のガラス製の箸置きだった。あまりに繊細なので日常使うと割ってしまいそうで、なにかのときだけ使う。
もひとつ宝物は猫が寝転がっているもの。これはいまはないお店のビッグステップの手作り雑貨屋さんで買った。それとちょっとの間しか使えないが桜の花びらのもお気に入り。
いま思い出したが、法善寺横町の小料理屋のカウンターにいる女性が、箸袋を折って箸置きにしてくれていた。とても女らしいしぐさがよかった。わたしも居酒屋なんかで手持ちぶさたのときに真似をする。

2002.10.9


ローラ・リップマン「シュガー・ハウス」


ボルチモアの女性探偵テス・モナハンのシリーズ5作目。最初に翻訳された2作目「チャーム・シティ」でミュージシャンのクロウに言い寄られながら、最後には彼に出て行かれてしまったのだが、前作で危機に陥った彼を救い出す。今回はべたべたの恋人どうしになっている。テス自身が一夫一婦制になったと言っている。めでたいことながら、小説を読むほうとしては、少しうっとうしい。クロウ自身はいい感じだが…。
父親の昔の友だちのルーシーからテスは仕事を依頼される。身元不明の少女を殺した罪で服役中の弟ヘンリーが、刑務所で殺されたというのだ。テスは「シュガーハウス」という言葉をたよりに、少女がだれかを探し当てる。それで解決したと思ったが、それだけではすまなかった。ボルチモアの政界に火の粉が飛びそうになり、あちこちから妨害を受け、アルコール類検査官の父親からも手を引けときつく言われる。表向きは手を引いたかっこうにして、裏で調べ続けているうちに、父親の家が放火される。
ボルチモアという土地と人間について、いやというほど知識を得てしまった。クリスマスプレゼントなんかたいへんじゃん。こんな面倒なことはしたくない。どちらかというと、ボルチモアで暮らしたくない。

2002.10.8


バスの達人


昨夜は夜中からすごい風と雨になった。夕方見てきたばかりの木犀と萩が気になってしかたなかった。今日は午後遅くプールに行って夕方になってから厚生年金病院まで見に行ったら、木犀の根元が落ちた花で金色になっている。花は残っているのだが香りがしない。昨日見ておいてよかったとつくづく思った。萩はそれほどではないというか、打たれ強いような気がする。いまを盛りの見事な萩に見とれた。
今日もバスにけっこう待たされた。この線のバスに乗るようになって1年、最初は本を持って家を出たが、すぐになにも持たないようにした。そして最初のころはバスがなかなか来ないのにいらついたが、このごろはへっちゃらになった。空を眺めていれば目にいいし、あくびをしたり、雑草鑑賞をしたり、蚊に噛まれたり…。今日は「ほとんど」になに書こうかと考えたり。
人がくればおしゃべりする。これがおもしろいのなんのって…。今日の老婦人なんて、若者の悪口をしゃべりまくった。あの子らは30歳代で終わりや、ウォークマンのせいで難聴になり、ゲームのおかげで目がいかれ、クルマばかり乗るから足が弱る。コンビニで辛いものばかり食べるから高血圧になる。そこまで聞いたらバスが来た。

2002.10.7


木犀と萩


今日は午後プールに行った。日曜日だから混んでいるだろうと思ったがそうでもなかった。きっと遠くへ遊びに行っている人が多いのだろう。プールボランティアの人たちと自閉症の子らはちゃんと泳ぎの練習をしていた。
1時間さっさと歩いて、帰りは公園の北側を通ったら、よい香りがただよってきた。あれ、木犀の匂いやんか〜と見まわしたら、隣接している厚生年金病院の庭からであった。最近は堂島大橋で降りて、南側からプールに行ってしまうので気がつかなかった。外の道へ出て改めて病院の庭に入ってみた。ある、ある。大きな木犀の木が3本、いっぱいオレンジ色の花をつけている。胸いっぱいに匂いを吸い込んできた。向こう側の通路には紅と白の萩の花が咲きこぼれている。明日来たらあっち側に行ってみよう。
それにしてもねえ、今年は木犀が咲くころとか考えてもいなかったなあ。「わたしのご近所木犀散歩地図」があるのに…。今週はひとつひとつ確かめて歩かなくっちゃ。

2002.10.6


キャメロン・マケイブ「編集室の床に落ちた顔」


「編集室の床に落ちた顔」というのは、映画界の言葉で、映画を撮影した後の編集作業のときに、本編から完全にカットされた俳優のことをいうそうだ。
この作品の主人公キャメロン・マケイブは映画会社の編集主任で、ある日製作者に呼ばれて1人の女優の出番を完全にカットするよう命じられる。その映画は三角関係の恋愛もので、カットされたのは主演男優と主演女優の次ぎに重要な役柄だった。その後すぐにカットされた女優が死体で見つかる。そこからはじまった物語はマケイブの饒舌と、スミス警部の不気味な捜査ぶりで、気持ちの悪い不可解な世界に引きずっていく。
1935年、19歳の時に書かれた小説だという。しかもドイツから政治亡命してすぐ、英語の勉強のために書いたというから驚きだ。作者はすぐに出版されてお金になると確信して、出版社に持ち込むのだが、社長のゴランツ氏は若者に会い、作品を読んで契約書を送り即座に印税を払ったと解説に書いてある。すごいやつ。
だが、作品は批評家受けはしたが、一般には理解不能な作品として再版もなく、アメリカ版も出なかったそうで、1974年に再評価された後に再版され、ようやく英米で正当な評価がされるようになったそうである。
マケイブがタイピストのダイナと深夜のジャズクラブへ行って、主演女優のマリア・レイと出会い、いい雰囲気のなかでダイナとうまくやってたのに、マリアの顔を見たとたんに彼女を愛している自分を悟るところなど、うまいなあと思った。
“トリックの宝庫”とかミステリー的にどうとか、いろいろあるらしくて解説が親切で詳しいが、わたしはそこのところはパスです。雰囲気にいかれた。

2002.10.5


今日のデザート


いつも中田選手のサイトで「Hide's Mall」を読むのを楽しみにしているのだが、9月28日のぶんにイタリアにもぶどうはあるけど、山梨出身なので山梨産のぶどうでなくっちゃみたいなことが書いてあった。わたしも半分山梨県(母親が山梨出身)なので、なんか中田くんと同郷みたいな気持ちがあって、そうそう、ぶどうは甲州ぶどうよ、って共感した(笑)。
わたしは甲州ぶどうが好きである。子どものころ、母親の実家で食べて、20歳ころには登山の帰りに買って帰った。最近は流通がよくなって大阪でも山梨産の果物が当たり前になっているが、以前はなかなか甲州ぶどうにお目にかかれなかった。
いまやスーパーにも売っているくらいだが、ポランの宅配のカタログにあったので頼んだのが今週とどいた。有機栽培の立派な一房である。さっそく今日のデザートにしようと食卓に出した。そこへ友人がやってきて、おみやげに田舎まんじゅうをくれた。大福、おはぎとともに田舎まんじゅうも大好物だが、体重のことを考えて自分では買わないようにしている。いただいたものは食べなきゃ、っていうんで、今日のデザートはブドウとマンジュウであった。

2002.10.4


法善寺横丁を通って


9月末に水村美苗「本格小説」が発行されたのを、ようやくミナミのジュンク堂へ今日買いにいった。2時間に3本ほどの弁天町発のなんば行きバスが西区役所前を通るので、それに乗って道頓堀まで行ってみた。空いているし昼間回数券を使えば安く行けるし、なかなか快適である。
道頓堀橋停留所は御堂筋のホリディ・イン前、橋を渡って東へ折れ、火事で焼けた中座前に出た。高い塀に囲まれた前を通って、うどんの今井の前に出た。店の前の柳の木の緑の葉がいやに目立つ。細いビルはやはり白い塀に囲まれている。大きな表示板があって、火事の熱で壁が熱せられているので、建物が使えるかどうか検査をしなければならないと書いてあった。
中座横の道から法善寺へ出ると、焼けた中座の真裏の店はすべて塀で囲ってあった。その向かい側が営業を開始したところで、近火見舞いお礼が貼ってあったりする。人通りは多い。この辺まで来たから見ていこか、という感じの人が「新聞に書いてあったけど、ここらは芸能人がよう来てるんやなあ」なんて話している。店の前にさりげなく置いてある野の花ふうの活け花が情緒をかもしだしている。石畳を歩きながら、この道幅であるからこそ法善寺横丁なのだと感じた。
80年代の数年間よくここに来た。鬼平さんがいても不思議ではないような小料理屋があって、相手をしてくれる着物姿の女の人たちは気っぷがよかった。代替わりしてから店の内装が一変して行かなくなってしまったが…。
法善寺横丁を抜けて千日前へ出てスバル座の前のちょっと手前に中古レコードのワルツ堂がある。よくお世話になった店だが、数日前の新聞に自己破産したという記事があった。やっぱりシャッターが下りている。時の流れを感じた。千日前通りを渡ってジュンク堂へ行った。ワッハ上方の前は若い子でいっぱいである。
ジュンク堂で目指す本を買い、喫茶店にも寄らずさっさと帰った。そして何度も雑誌連載で読んだ作品なのにまた、いそいそと本を開くのであった。

2002.10.3


フランソワーズ・サガンの「すばらしい雲」


秋になると空を眺めることが多い。空が澄んできれいな上に雲が美しいから。昨日、台風が去った後の雲は美しかった。そしたら頭の中で詩の一節が浮かんできた。


   ──僕は好む……流れ行く雲を……見よ、
   あそこに……あそこに……すばらしい雲が!


ポードレールの詩の一節なんだけど、ここだけ知っているのは、サガンの「すばらしい雲」の冒頭にあるからだ。この作品を何度も繰り返し読んで、冒頭の詩まで覚えている。ちょっと開けば、そらで言えるところが何カ所もある。
サガン5番目の小説で、これもまた何度も読んでいる「一年ののち」の後編にあたる。ジョゼというフランス人の女性の物語で、ここではアメリカ人の夫との葛藤を描いている。若い美貌の夫アランはいまならDVと言ったらいいだろうか、妻の行動を監視し、なにからなにまで把握しようとする。ジョゼが束縛から逃れてアメリカからフランスへ一人でもどって、またパリの社交界に顔を出すようになるころ、アランがやってきてジョゼを取り戻す。パリの社交界でアランは魅力を振りまくが、それもジョゼへのあてつけにすることで、また地獄のような夫婦生活がはじまる。二人は言い合いの末、最後は力つきた闘士たちのように寄り添って動かない。
なんともやるせない物語である。前編でジョゼを愛するが叶わなかったベルナールが、作家になっていて、ジョゼを助けようとするがどうにもならない。
涼しくなって空を眺め、雲を見るとこの一節を思い出して本を開いてしまう。昔のようにははまり込んでは読めないけれど。

2002.10.2


台風21号


大阪は夕方から青空が少し現れた。西の空に帯のように空色が見え、上下の暗い色の雲が走っているのが見えた。素晴らしい夕焼け。ああ、もう台風は行ってしまったんだと洗濯にかかったが、7時のニュースをつけると台風は関東方面にあった。それからはニュースを追いかけて見ていた。
今年は台風の当たり年だったが、大阪は直撃を免れている。そういえば長いこと台風はきていない。数年前には何度かくるぞくるぞと騒いで、お風呂に水を張ったり、ガラス戸にダンボール紙を貼ったり、ローソク、懐中電灯、ラジオを用意して待っていたが現れなかった。その話をしたら、たいていの人が笑う。いまどきそんな人はいないんだって。
いまに見ていろ、これが役にたつねんと独り思っているのだが、それでも最近はたるんでいる。地震もいつあるかわからないことだし、非常食量や非常持ち出しなんかを一度点検しとかなきゃ。備えあれば憂いなし。

2002.10.1

写真:水村美苗「本格小説」上・下(新潮社)

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