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2002年9月

 


アカシアの雨がやむとき


今日の晩ご飯は7時にはじまった。お酒なしで、ご飯とブリのアラと野菜たっぷりのみそ汁をドンブリで、あとはカボチャの煮付け、佃煮、梅干しと簡素なもの。
このごろはテレビのニュースを見ながらご飯を食べることが多い。そしてなんじゃらかんじゃらとモンクを言い合う。今日は番組を見たらテレビ大阪で「名曲ベストヒット歌謡曲 昭和35年から44年まで」というのがあり、西田佐知子の名前があった。もしかして昔の姿が見られるかもしれないと待っていた。
「アカシアの雨がやむとき」(1960)はわたしがもしカラオケに誘われたら歌うであろう曲である。とは言え、カラオケには行ったことがなく、誘われても断ると思うので、歌うチャンスはないだろう。仕事中に鼻歌で、またお風呂では大声で歌う。ずーっとなんだかとても好きな歌なのだ。歌詞も1番だけはちゃんと覚えている。
そしたら、80年代にジャズミュージシャンの阿部薫がこの曲をやったんだよね。天王寺のジャズ喫茶マントヒヒではじめて聴いたときはふるえた。「アカシアの雨にうたれて、そのまま死んでしまいたい」ここまでを吹いたと思うとサックスの音はぱあーっと猛スピードで高音になり、あたりに鳴り響くと、さっとすすり泣くような音に変わる…。
今夜の西田佐知子は昭和35年のNHK紅白歌合戦のもので、健康というか可憐というか素直な歌いぶりで、こんなんやったかと思った。ヒット曲を集めたLPレコードを持っていたことがあるが、もう少し投げやりな歌い方だったように思う。でも、とてもきれいな西田佐知子を見られてラッキーだった。

2002.9.30


どんよりと曇った日曜日


今日は一日中どんよりと曇った日であった。運動会の子どもたちや親御さんたちにはちょっともの足りない日だったでしょうね。わたしのようにどこへ行くでもない人間には良い日であった。
春にも夏にもない、なにもする気が起こらない曇り日の日曜日こそ秋だと思う。朝寝坊して、ゆっくりご飯を食べ、新聞を読みながらコーヒーを飲んで、うだうだと寝ころんだり、ミステリーを読んだり、メールを書いたりした。宅配便がとどいたので開いたらMさんからで、頼んであった「法善寺横町復興署名」といっしょに、どっしりと重い手作りの金山寺味噌が入っていた。
お昼を抜かして、ちょっと早めの夕飯はヨコワのお刺身にキュウリをつけて、小松菜と揚げの炊いたん、ひじきの炊いたん、そして金山寺味噌(Mさんの指示に従って生姜をすって混ぜた)が絶品だった。酒の肴によし、温いご飯によしである。
夜はテレビでブルックナーの交響曲7番を聴いて、なんだかえらく贅沢な暮らしをしているなあと思った次第です。

2002.9.29


キャメロン・マケイブという作家


まだ15冊ほど読み残している世界探偵小説全集の、つぎはどれを読もうかと贅沢に悩みながら手にした「編集室の床に落ちた顔」に興奮してしまった。
作者はキャメロン・マケイブ(本名はエルネスト・ヴィルヘルム・ユリウス・ボルネマン)という知らない名前の人なのだが、表紙カバーの見返しを読んだらドイツ生まれで、青年期にウィルヘルム・ライヒと出会い、彼を助けて労働者向け診療所で働くが、社会主義者としてブラックリストに載り、1933年イギリスに亡命とある。わたしはライヒをたいして知りもしないのに好きで、一昨年だったかごっつい伝記「ウィルヘルム・ライヒ 生涯と業績」上・下(新水社 上下とも4500円+税)を買った。ミステリーと違ってヒマヒマに読むわけにいかないので、まだ1/3くらいしか読んでいなかった。ここでライヒの名前が出てきたのが百年目(こんなときに言うか?)である。どないしても全部すぐに読まなくっちゃと心に誓った。
「編集室の床に落ちた顔」は亡命先のイギリスで書かれた。亡命したときは英語をほとんどしゃべれなかったのに、すぐに原稿を書きはじめたそうだ。新しい言語への指ならしがこの作品だという。それが19歳のときだっていうんだからすごいとしか言いようがない。
読み始めたところだが、イギリスの市街地の描写の雰囲気がいい。ピカデリーを通ってブルームズベリへ着くまでがいかにも車好きが書いているのがわかる。ジャズクラブの歌い手や主人公とつきあう女たちが目に見えるようで、「死刑台のエレベーター」や「鬼火」のころの映画のシーンを思わせる。
こんなに若くして成熟しているのに早死にせず、映画製作者、レーサー、作家、ジャズミュージシャン、ジャーナリスト、台本作家として活躍し、その後はオーストリアで1995年に亡くなるまで性科学者として研究生活を送ったそうである。

2002.9.28


お豆腐屋さんの豆腐


蚊に噛まれたと騒いでいたのはついこの間なのに、突然のように涼しくなった。昨日今日と雨が降って冷え込むほどの感じ。さあ、湯豆腐の季節が来た。
夏に九条市場で豆腐を買ってきたらおいしかったので、それからはちょっと遠いが買いにいくことにしている。今年の冷や奴はだからおいしかった。昔の豆腐屋さんでは夏はカラシをつけてくれたと思って、聞いてみたらちゃんと容器から紙に包んでつけてくれた。やっぱりカラシ置いてあるんだ。そんなもんで、去年まで冷や奴はカツオやネギや青ジソやミョウガやショウガをのせてスダチをしぼっていたのに、今年はカラシと醤油だけで食べている。エエカゲンなやつ(笑)。
さあ、今夜は湯豆腐だ。日本酒のおかずに2丁の豆腐はすぐになくなってしまいそう。あとはご飯のおかずをあわてて作った。塩サバを焼いて、豚肉少々と白菜とキノコを煮て、納豆は醤油だけにした。最後の甘みとしてサツマイモのレモン煮でほうじ茶をいれた。簡素だがうまい晩メシだった。

2002.9.27


落語と暮らし


田辺寄席に通うようになって三月経った。やっぱりライブは違う。目の前での噺は刺激的だ。よどみなく語るだけでもどんなにたいへんか、若い人の噺を聴くといっぺんにわかるから、これもいい勉強である。これからは観客に鍛えられて彼らが成長していくのを見る楽しみもあるのだろうな。観客は28年間ずっと聴いていた感じの人が多いが、若い人もたくさんきている。老若男女とりどりというところがよい。
いま田辺寄席の28年間の資料を読んでいるところだが、3年ほど会報を送ってもらっていながら、ざっとしか読んでいなかったのがよくわかった。反省。関ってみるとたいへんな資料である。
それはさておき、さっき晩酌をしながら「ほら、ほら徳利の尻をあげて・・・おまえの尻やない・・・」とやっていた。「今日の献立は・・」と聞かれて、「できますものは・・・」と答えるのも落語からである。フグの季節になると「らくだ」を思い出す。そういえば、ボランティアの若者たちと飲んでワリカンするとき、「いまなんどきだ?」とやってウケたことを思い出す。子どもの頃は「そこは私の寝るところです」というオチが、我が家の常識語であった。元の噺は義太夫を語り出したら動かないだんなのはなしなんだけど、狭い家に子どもが7人ひしめいているのだから、なんかあると寝る所がなくなっちまうのだった。そこをこういうユーモアでしのいできたのね。
あたし、実は「寿限無」を全部言えるのが自慢なんですぅ。

2002.9.26


来年はがんばれ、タイガース


昨日の阪神・巨人戦は巨人の胴上げを見るのがいやなので、0:2で負けていたし途中で見るのをやめてしまった。それでもう野球のことは忘れていたのだが、深夜、いつも愛読しているT氏のサイトの日記を読んでいたら、阪神が勝ったとある。あわててテレビをつけスポーツニュースを探した。全てすでに巨人優勝の特集になっていて、原監督の胴上げシーンだった。くそっ! 
T氏の日記によると、12回裏まで延長戦が続き、結局パスボールで阪神のサヨナラ勝ち。甲子園には六甲おろしがこだまし、胴上げの予定だった巨人選手は呆然とした表情だったという。そこが見たかったのに・・・残念であった。
そして今日、東京のUさんからいただいたメールによると、次の番組を見るために待っていたのだが、野球がなかなか終わらず見ていたとのこと。そしたら、【いやもうどっちが優勝したのかと見間違うほどの盛り上がりでした。】とのこと。見たかった! 見たかった! 今朝の新聞じゃ、巨人優勝ばかりで試合のことはちょぼっとやもんね。残念。
さて、さて、タイガース、来年はがんばれ!

2002.9.25


新レンコン


日曜日、田辺寄席に行く途中の桃ヶ池で、ものすごく広い範囲にある蓮の花が終わって花托になっているのを見た。「このレンコン掘って食べへんのかな」「そういえば、長居公園の池の蓮もすごいたくさん咲いてたで、あれもどうするんかな」「毎年のことやからどないかしてるんやろ」と言い合いつつ通っていったのだが、蓮の池が来月どうなっているのか見るのが楽しみだ。月に一度の定点観測やね。
たのしく落語がすむと、昭和町の駅に出るまでに文の里商店街に寄って晩のおかずを買うのが習慣になってきた。酒屋、魚屋、豆腐屋と行って、八百屋の前に来ると皿に盛ったレンコンが目についた。細くて色が白くてつやつやしている。最近掘ったもののようだ。1皿250円だった。
半分を切って、だし汁に入れて煮立ってから4分、丸元淑生さんの教えにしたがうと、しゃきしゃきとした歯ごたえのレンコンである。日本酒によくあう。
翌日は薄く切ってピーマンといっしょにオリーブオイルで炒めた。海老を入れたらご馳走になるが、わたしは入れないほうがさっぱりとして好きである。味は塩だけ。根菜のうまい季節がめぐってきた。

2002.9.24


エドマンド・クリスピン「愛は血を流して横たわる」


国書刊行会の世界探偵小説全集の1冊で1995年に発行されたもの。タイトルに惹かれてすぐに読んだのだが、ところどころ覚えていただけだった。いま読み直したらすごくおもしろかった。当分は忘れないと思う(笑)。
主人公のジャーヴァス・フェン教授がけっこう殺人事件の解明で名前をあげた人らしい。登場人物が玩具屋の事件のときのフェン教授ですねと言う。あれっと思ってあとがきを読んだら〈作品リスト〉に「消えた玩具屋」があった。これ、わたし昔読んでるんだけどおもしろかった。例によって内容は忘れているけれど。
舞台はイギリス、卒業式まぎわに美しい女子高校生が失踪する。かたや男子校では教師が2人連続して殺されるという事件が起こる。たまたま男子校の校長のところへきたフェン教授が事件の解明に乗り出す。フェン教授は40歳過ぎのすらりと背が高く眼光鋭くユーモアのわかる男性。
だけどこの作品は出てくる女性がみんないい。女子校の校長バリィ先生は怖いもの知らずのずけずけものを言う有能な中年女性、こういう人種はイギリス上流ブルジョア階級に特有のものとここには書いてある。そういえばこういう人ってイギリスの小説でも映画でもよく出てくるよね。捜査中に知り合うダフニはロンドンから叔母の家に遊びにきているところで、すごく機転がきく。残念ながらこの人フェンより先に知り合った男性のほうに行ってしまう。それから女子高校生2人、ブレンダは失踪したとされるが誘拐されていた。その誘拐に気がつき、フェンといっしょに探索に乗り出すエレスペス。とても賢くて楽しく図太くて、わたしの好きなタイプなんで、そこのところを繰り返して読んだ。

2002.9.23


田辺寄席 第343回(2002年9月)


7月から行きだして今日で3回目の田辺寄席、月に一度の大笑いがクセになってしまった。地下鉄昭和町で降りて歩く道はいかにも下町という感じで、各々の家の前の植木を鑑賞しながら歩いていく。桃ヶ池公園に入ると、7・8月は盛りだった蓮の花が終わってタネが入った花托がたくさん見える。そのカタチがおもしろい。根は掘って食用にするのだろうか。
今日の演目は「開口0番」が桂文太、「商売根問」笑福亭右蕎、「一文笛」桂枝三郎、「リクエスト98」桂文太、「足上がり」桂宗助、「地獄八景・亡者の戯れ」桂枝三郎。
早く行ったつもりだが、もう半分くらい席がうまっている。あと15分ほどでぎっしりと満席になり「開口0番」がはじまり、1時30分から4人の落語家による5つの噺がはじまった。それぞれおもしろくて、またもや大口開けての大笑い。
中でもおもしろかったのは文太さんで、「リクエスト98」となっているけれど現代物ではなかった。大阪の商人が能勢妙見さんに詣った帰りに雪道に迷って困っていると1軒の家を見つかる。泊めてもらおうとすると若い女が一人いてよく見ると、以前に遊んだことがある新町の太夫だった。心中して死にきれず、この山中で亭主と山で獣を捕ったり、熊の胆を売ったりしてひっそりと暮らしているという。泊まりの礼に三両を取り出すときに胴巻きの中の小判の束を見られてしまう。お熊は(太夫の今の名)は卵酒に痺れ薬を入れて飲まし客を寝かせる。そして酒を買いに出た後に帰ってきた亭主は残りの卵酒を飲み、そこへもどったお熊は大慌て・・・。このはなしは「鰍沢」に似ている。こちらのはなしが先にあったのかな。それはまたOさんにお聞きすることにして・・・。文太さんの卵酒を飲むところがよかった。お客は品良く亭主は意地汚く飲むのに感心した。今日は他のもおもしろかったが、文太さんの芸が絶品だった。

2002.9.22


月よりパソ


晩ご飯を食べながらテレビのニュースを見ていたら、奈良の猿沢池の月見行事が放映されていた。今日はお月見の日らしい。ここ行ったことあるなあとしゃべりながら見ていた。
昔は日曜日が月見の日は午後から出かけてあちこちし、最後は猿沢池に行って、それからどっかで晩ご飯を食べて帰るのだった。普通の日のときは昼間百貨店でおかずを買っておき、夕方から職場の台所でお酒を温めて魔法瓶に入れ、今はもうないJR(当時は国鉄と言っていた)湊町駅へ急ぐ。この辺りが今湊町リバープレイスと呼ばれ、FM大阪が入っている派手なビル、O'CATという屋上庭園のあるビルなど、昔を知る者はただ驚くのみ。相棒とまだ別々に働いていたころはここのホームで待ち合わせたものだ。田舎の駅のようなひなびた駅だった。そして奈良へピクニック気分で行った。
飛火野の広い野原が好きで、ここは昼に行ってもいいが、夜はまた格別なのであった。わたしらはただ野原に座って月を見ながら一献傾けるだけだが、風流な老夫婦なんかが傍らにススキを飾ってお茶を点てていたりする。鹿の鳴く声が遠くから聞こえる。何年かの月見をそうして過ごしてきた。
この10数年はそんなこといっこもしていない。パソコンのおかげである。お月さん見るよりもインターネット見てるほうがなんぼええか(笑)。

2002.9.21


1940年代のイギリスの少女たち


エドマンド・クリスピンの「愛は血を流して横たわる」をはじめて読んだのはもう6・7年も前になる。もどってきた本を読み返すとほとんど内容を忘れていたのはわれながら情けない。でも美しいタイトルはしっかり覚えていた。
まだ全部読んでいないのだが、というのも、最初のほうがまどろっこしくて、つい他の本を間にはさんで読んでいたのね。ところが真ん中あたりからすごくおもしろくなってきた。事件のあった村にロンドンから遊びにきているダフニという溌剌とした若い女性、地元の女子高校生のブレンダとエレスペス、この3人が出てくると本を手から離せなくなると言いたくなるほどおもしろい。
作品の話は全部読んでからとして、いまおもしろいのはタバコの話。当時先進的なイギリス女性はタバコをたしなんでいたらしい。素人探偵のフェン教授が彼女らに話を聞きに行くとすぐ自分のタバコをすすめる。1940年代はそういう時代だったのだ。
わたしも昔はタバコをすっていた。若いころは男のすることはなんでもやったるという気構えだったからね。しかもカッコつけて両切りのピースだった。ネパールっぽい店のはしりであるカナディアンですっていたら、いまは亡き店主の山田さんが「女性がピースをすうなんてエライ」と褒めてくれたもんね(笑)。カッコつけもはなはだしい。目立ちかたがうまいというか・・・自分で言ってりゃ世話はない(笑)。
そして、ずるいというのか、エライのか、結局わたしはタバコ常習者にならなかった。それで止めるのもうんとらくであった。

2002.9.20


ちょっと待て、そのひとくちが○○のもと


天気はよいし暑くないしいちばん気持ちのよい季節になった。今日は4日休んだプールに行ってきた。温水プールとはいえ水着になると寒さを感じるほど季節は巡っている。
ここのプールは1時間毎に10分全員が水から上がるのが決まりになっている。その時間をジャグジープールに入ったり採暖室に入ったりするのだが、今日のジャグジーは顔見知りになった人が多くてにぎやかだった。深夜2時に起きて中央市場へ働きに行っている女性が特別にぎやかで、わたしとしゃべっていると漫才顔負けになる。タテ・ヨコ・アツミすべて大きい彼女がツッコミでわたしがボケね。
(市場)「食欲の秋やなあ、まあ、うちら夏でも冬でも食欲あるけどな」
(す)「ほんまやね、一年中食欲が衰えることってあれへんね」
(市場)「ダンナが言いやんねん、冷蔵庫のとびらに紙に書いて貼っておけ、“ちょっと待て、そのひとくちがブタのもと”」
(全員)がはは・・・
こんな具合の10分であった。
ちなみに、今月の「VFC NEWS」は、ユキチ・Mさんが描いたブタの絵で飾られております。

2002.9.18


雨の日の猫は眠い


今日は朝から雨、そうそうにプールお休みを決めた。休日3日間休んだので行かないといけないのだが、もう・・・眠くて、眠くてたまらない。3日とも夜更かししたし、昨日は半日仕事だったしと朝食後ベッドにもどってしまった。雨が降って暗いとほんとにぐっすり眠れる。「雨の日の猫は眠い」という本があったが、人間もその通りだわ。ここに猫がいればいっしょに横になっているのにね。もう抱いていても暑くないだろうし。などと、いまは亡き愛猫花子を思いだしちゃったりして。
半日の睡眠は大いに役だって、午後からはお目目ぱっちり。3寺からのNHKテレビを見て、買い物に行って、たまっているメールの返事と手書き手紙の返事を書いた。
そして夜になった。家事を片づけてパソコンの前に座っていると、目の前を黒いものが飛んでいった。「やばい、飛蚊症ちゃうやろか」といつも思ってしまうのだが、本物の蚊だった。痒いと思ったら、いつの間にか右手の薬指を噛まれている。キーボードを叩いている指を噛まれるなんてどうなってるんやろ。あぁ・・・いやぁね。左腕も痒くなってきた。蚊取り線香つけなくっちゃ。

2002.9.17


弁天ふ頭からチャルカへの休日の長い散歩(2)


うろうろしたがご飯を食べるところがないのでしょうがない。「なんやー、どこかに入りたかったなー」と言いつつ、明るい外へ出てほっとした。平日でデザイナーやアーティストの部屋が明るかったらもう少しましだったかもしれない。
もっと明るい所へ行きたくなって、前から気になっていた公園に行くことにした。きっと海が見えるで! ところが行ってみると、狭い公園で海との間にはなにかがあるらしく高い塀がそびえている。がっかりしてビルの前にもどった。さて、どうしよう…。道の向こう側に駅前(船着き場前)食堂があるのが見えたので行くことにした。
押しボタンを押して道を渡ったのだが、相棒が帰りのバスの時間を見に行くと言ってまたもどっていった。わたしは店の真ん前ではおかしいと思って、道端に植えてある草花を見ながら待っていた。また押しボタンを押して渡ってきた相棒と店の前に立つと「おかずは売り切れ、麺類、丼物、カレーはあります」と書いてある。しゃあないなぁ、ビール飲んで丼物でも食べよかと入ろうとしたら、戸が開かない。お休みらしい。しょうもない札を立てとくなと怒ってもだれもいない。「自分(わたしのこと)が先に店に行ってたら、俺は行ったりきたりせんでもよかったのに」と相方はぼやく。
しゃあないので帰ることにして、また押しボタンを押して加藤汽船ビルの前のバス停にもどって、ベンチをティッシュで拭いて座った。喉がかわいてしょうがない。すぐ側に自動販売機があったので飲み物でもとお金を入れたらなにも出てこない。返金のレバーを押したらお金がポーンと跳ねて道に転がっていった。なんじゃいな、あわてて拾ったが、今日はもうアカンわ。
弁天ふ頭では結局飲まず食わず。このまままっすぐ家に帰るのはどうもね、で、バスはなんば行きなので足を延ばすことにした。久しぶりにチャルカに行こう。待つうちにバスがやってきた。西大橋で降りてチャルカに行き、ようやくよく冷えたビールとおいしいサンドイッチにありついた。ちゃんちゃん。

2002.9.16


弁天ふ頭からチャルカへの休日の長い散歩(1)


去年の春から5カ月ほどバスで港区のプールに通っていた。長堀通りをまっすぐ西へ行って左に曲がると弁天町バスターミナルに着く。その曲がり角の弁天ふ頭をいつもバスの窓から眺めていて、一度降りてみたいと思っていた。
バスが弁天ふ頭まで来ると海の向こう側の天保山が見える。道は行き止まりで、もうちょっと先が海なのだが入っていけない。だが、左側に公園があるので、そこからなら海が見えるはずだと思っていた。
弁天ふ頭には関西汽船と加藤汽船の乗り場があるのだが、営業しているのは関西汽船だけで、加藤汽船はビルだけが残っている。その荒廃した感じのビルにジャズバーがあるのをバスの窓から発見していた。去年買った雑誌の大阪案内によると、同じビルの2回におしゃれな喫茶店があるらしい。というわけで、今日は相棒と休日の散歩に出かけた。
わたしはころっと忘れていたが、30年ほど前、東京から友人が来たときにここから四国行きの船に乗って神戸まで行ったんだそうだ。船で神戸まで行ったのは覚えているが、どこから乗ったなんて全然覚えていなかった。
がらんとした道からビルへ向かうと、ジャズバーは午後だからまた開いていない。喫茶店は土・日はランチがあると書いてあったので、入っていくと天井の蛍光灯がみんなついてなくて薄暗い。ところどころ、廊下に椅子が置いてあって、その上に20ワットの蛍光灯が1本縦に光っている。どこかからドラムを叩いている音が響いてくる。2階へ上がったがその店はもうなかった。テラスに出ると海に面していて、向こう側に六甲の山並みが見える。今日のハイライトだ。元は飲食街になっていたところで、まだ寿司屋や中華料理屋の看板が書かれたままだ。その空き部屋をデザイナーなんかが借りているらしく、今日は休んでいるが、何室かそれっぽい内装がガラス窓を通して見えた。ロフトという感じでハシゴでベッドに上がるようにしてある部屋なんかかっこよかった。

2002.9.15


ティム・バートンの映画をテレビで2本


一昨日の夜と今夜と2回、テレビでティム・バートンの映画を見た。映画館にもレンタルビデオにもご無沙汰で、なーんとまだDVDも持ってないという恐るべき時代遅れになりつつある。それでテレビの映画を見てゴキゲンというのは恥ずかしき事態ではあるが、まあ長い人生にゃこんなときもあるさと楽観的。
わたしはティム・バートンのファンとまでいかないけど好意と興味を持っている。まず一昨日見たのは「スリーピー・ホロウ」(1999)、18世紀末のニューヨーク郊外の小村で人間の首を切り落とす事件が多発する。ニューヨークから気鋭の警官(ジョニー・デップ)が出かけるが神秘的な事件が次々と起こる。アメリカ独立戦争のときイギリス側で戦った傭兵のドイツ人(クリストファー・ウォーケン)が首を切られたままの姿で現れて殺戮を繰り返す。細かいところまでティム・バートンらしい心配りがあり、森の場面なんかすごく神秘的で美しい。ジョニー・デップが捜査を続ける間に、自分の子ども時代の夢にうなされるところがいちばん怖い。聖職者の父親は中世の拷問具「鉄の処女」に母を閉じこめていた。
今日はばかばかしくもおかしな「マーズ・アタック!」(1996)である。火星から空飛ぶ円盤みたいなものに乗って火星人がやってくるが、ちょいとしたことから火星人がパニクり、戦争をしかけてくる。もったいなくも大スターがずらりと出て笑わせてくれる。大統領夫妻のジャック・ニコルソンとグレン・クローズ、なににつけ核を使いたい軍人のロッド・スタイガー、テレビキャスターのアネット・ベニングその他いっぱい。「ジャッキー・ブラウン」ですかっとさせてくれたパム・グリアがなつかしい。トム・ジョーンズまで出てくるのだからおどろく。それからシルヴィア・シドニーは1927年から映画に出ている人、31年に「アメリカの悲劇」に出ている。後に再映画化された「陽のあたる場所」でエリザベス・テイラーがやっている役だから、美人女優だったんだろう。
今日の火星人はマンガチックだからいいけど、一昨日の首切り殺人事件はあらゆるものがリアルに感じられて悪夢を見てしまった。

2002.9.14


ヴィク・シリーズ長編を7冊、あと2冊


わがVFCの会報は「VIC FAN CLUB NEWS」と「VI」の2種類がある。いつも会報を出すとさわいでいるのは「VFC NEWS」のほうで、毎月15日に発行している。「VI」はテーマを決めた原稿などで年に2回出す予定だが、ここんとこちょっと遅れ気味だ。今回はアンケート特集で全部で14の問いに回答してもらうという企画。VFCらしいユニークな問いの中に、「ヴィクシ・リーズでお気に入りの言葉(励まされた言葉でも、すかっとする言葉でも)」というのある。
かなりの人数の回答が集まったところで、わたしはハタと困った。好きな言葉をみなさんが回答してしまっているのだ。大切なところには前々からしおりをはさんである。そこをみんな使われてしまっている。ここは違った言葉をもってきたい。大慌てで先月からちょっとした空き時間も文庫本を読むのに費やして6冊読んでしまい、ハードカバーも1冊読んだ。あっ、あったと思うとたいてい使われているのよね。うーむ、まいった。同じようなところに共感するんやなあ。
ついでにあと2冊読んでしまうつもりだが、第1作「サマータイム・ブルース」は何度も読んでいるが、2作目からは2度しか読んでいないのもあり、すごく勉強になり発見になった。なによりもうれしいのは、ヴィクに活を入れてもらったこと。最近すごく身近にいた人が離れていったりして、こちらにも落ち度があるんじゃないかとは考えはしないが、ひっかかっていたことは事実。それが単純な話だけど「わたしはわたし、わが道をゆくさ」とすごくすっきり割り切れた。やっぱりサラ・パレツキーとV・I・ウォーショースキーはすごい!

2002.9.13


本の帰還


たいそうな題をつけたが、いまのほんとうの気持ちである。長いこと貸したままだった本が昨日宅配便で還ってきた。ナイジェル・ニコルソン「ある結婚の肖像」、リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」、エドマンド・クリスピン「愛は血を流して横たわる」の3冊。貸してからもう3年近く経っている。大切な本を貸すくらいに仲がよく大切な人だったのだが、いろいろとあって、いまは疎遠になっている。手紙で催促してももどってこないので、もう一度買おうかと思ったが、それもけったくそが悪い。なぜ貸したのかと自分に問い、貸した自分がバカなのだと自己嫌悪におちいっていた。文庫本なら問題なく買っているが、3冊ともハードカバーである。いまのわたしに10,441円は大きい。
わたしは昔から本を人に貸すのが好きであった。貸してと言われて貸す場合もあるが、これを持っていって読めと言って貸すことも多い。この本も頼まれたのと、こちらから積極的に貸したのがある。だって、自分が読んで感動したら、好きな相手なら読んでほしいじゃん。これからもこりずに貸出しはすると思う。
とにもかくにも、いま3冊が手許にあるのがうれしい。昨夜寝る前に開いていたら、読みだしてしまった。明日は仕事があるので、これはいかんと閉じたけれど、今夜はこれを書いたら家事をてっとり早くすませて、読むことにしよう。

2002.9.12


季節の変わり目


昨夜は涼しくて戸や窓を閉めて寝たが、今日は蒸し暑いので、また全部開け放して寝ねばなるまい。ちょっと騒音にまいっているので、閉めて寝たいんやけどなあ。なんて言ってるが、昨日の未明、道頓堀中座の火事を知らずに寝ていた。近所の消防車がたくさん出ていって、すごい騒ぎだったというのにぐっすり眠っていた。相棒は起きてテレビをつけ、火事のニュースを見てからまた寝たそうだ。ぜんぜーん知らなかった。
外がうるさくて熟睡できないと常々言っているけど、消防車の音を知らずに寝ているということがあるんやね。ちょっと自信をなくした出来事であった。
今日は午後遅く心斎橋まで買い物に出て、東急ハンズ、ソニープラザ、ロフトとまわってきた。わたしは相変わらずTシャツにGパンだが、さすが心斎橋まで行くと秋の装いの人がいる。黒い冬の帽子にブーツの女の子や全部黒でかためた男の子がいるのに、まだタンクトップの子もいて、そのほうが似合う気温なんやけどね。でも若い子は衣替えしたほうがおしゃれでええな。自分はTシャツ着ていながらそう思いました(笑)。
最近衝動買いをしなくなった。今日はチョコレート色の小振りのリュック(7000円)が気に入ったのだが買わなかった。プールに行くのにちょうどよい大きさで軽い材質やったけど。それとつや消しのステンレスのやかんが6000円だった。これも考慮中ということにして買わなかった。
今日の買い物は友人の結婚祝いにタコヤキ用のコンロ。ひっくり返すものやソースをつける刷毛や油を塗るもの、できたのを入れる経木の舟もつけた。喜んでもらえるだろうか? 自分のものはロフトで久しぶりに絵はがきをいろいろと買っただけ。

2002.9.10


ジャン・マーク文 ニコラ・ベイリー絵「あそぼうよったらおやゆびさん」


これも大阪市中央図書館の外国語のコーナーで借りてきた猫の絵本だが、調べたら翻訳が出ていた。ニコラ・ベイリーの気品のある絵で、これは探して手許に置きたい本だ。アカトラ猫がドールハウスのミセス親指と遊びたがっている話で、猫がドールハウスの窓から呼びかけて、指を突っ込む。ミセス親指からしたら恐竜が遊びにきたようなもの。
丹念に描かれた絵で構図がおもしろい。猫と人形がすましておさまっている表紙の絵もたのしい。子ども部屋にドールハウスといっしょにあるぬいぐるみやボールや絵本(あれれ・・有名なクラシックな猫の絵本・・名前が出てこないよ〜)もたのしい。
ジャン・マークはフランス人かと思っていたら、イギリス人の女性だそうだ。そういえばすぐにしょうもないことを思い出すクセがあるが、スコットランド、グラスゴウのレイドロウ警部(「夜を深く葬れ」他2冊ハヤカワポケットミステリ)の恋人はジャンであった。
ジャン・マークの子ども向きの本は数冊訳されているようなので、これから探すのが楽しみだ。

2002.9.9


ウィリアム・メインの猫絵本「パンドラ」


ニコラ・ベイリー絵の「パッチワークキャット」をずっと持っていたのに、文がウィリアム・メインとは長い間気にしていなかった。ある日絵本を眺めていてあっと気がついた。あのウィリアム・メインではないか。児童文学の名作「砂」「リンゴ園のある土地」など大好きな作家であった。
図書館の外国語のコーナーには絵本がたくさんある。特に猫の絵本がたくさんあるような気がする。今回借りたメインの「パンドラ」は、はじめて見る絵本だが調べたら翻訳が出ていた。知らんかった。メインが文章を書いて、ディートリント・ブレッヒが絵を描いている。「パッチワークキャット」のほうは絵の作者が先になっているが、こちらは“by Mayne”となっており、絵のほうはあとである。絵の格が違うというか、ニコラ・ベイリーのほうがずっと品が良いしうまい。ブレッヒはていねいに描いているが、ちょっと落ちる。
ストーリーは、黒猫のパンドラが若夫婦の家に住んでいるが、子どもが産まれて、その子に手を出しそうになったところで、家から追い払われて納屋に入れられる。それで家出して山へ行き、パンドラも子どもを産む。最後は子どもを連れて家に帰ると、人間の子どもも大きくなっていて、若夫婦と子ども、パンドラと子どもがご飯を食べているシーンで終わる。
ハッピーエンドではあるが、ちょっと悲しい淋しい気がする。猫はいつも幸せでいてほしい。家から出ていって遠くから家を眺めているパンドラが表紙である。目つきが悲しい。

2002.9.8


やってみました、滝行


カラテの合宿でやった、滝に打たれるという修行のことをなんというのか言葉が浮かんでこない。Googleでいろんな言葉で検索してみてようやく“滝行”に行き当たった。これこれ、これをやったんだー。
とにかく生まれついての野次馬である。滝に打たれるなんちゅうことを、やってみたいわ怖いわでドキドキしているうちに当日が来た。土曜日休める人は午後から、わたしら仕事の者は夕方から参加した。駅から真っ暗な道をクルマが迎えに来てくれて、お寺の本堂で先生の話を聞き、男女別に寝たのだが、夜中に天井裏になにかがいる気配がして不気味だった。とかなんとか・・・そのときから勝手に雰囲気を盛り上げていたのね。
午前中はお堂みたいなところで般若心経を唱えた。わたしは最初の数節と最後の「ギャーティギャーティハーラーギャーティ・・・」だけ大声を出していた。(いまも覚えようとは思うのだが覚えられない。だが般若心経は好きなので、たまにパソコン画面を見ながら読経することがある。)
それから山道を歩くことになった。裸足で歩くのだからたいへん、赤とんぼやバッタに出会って大騒ぎして、真面目な人たちに睨まれてしまった。
午後、滝に出発、男性たちは海水パンツ姿、わたしら女性はTシャツ・短パン姿で目的地に着いた。その年は水不足で滝の水が少なく、ばあーっと流れ落ちてこなくてよかったよー。順番に滝の下に入っていく。般若心経を唱える人もいる。わたしの番になった。息をつめていき、息をしないでもどってきましたー。はんにゃはらみたどころやないで(笑)。ちょぼちょぼ落ちてくると見えた滝だが水流は強かった。
その日はそれで終わって帰ったのだが、興奮しちゃってミナミの居酒屋でしゃべること、しゃべること、たまたま出会った知り合いが気の毒であった。

2002.9.7


カラテ修行


文武両道って言葉になんとなくあこがれていた。わたしは勉強はそこそこだったけれど、スポーツがからきしダメなまま大人になった。小学校のときは病弱でほとんど体操休んでいたし、大丈夫なときでも仮病使ってサボっていた。だから跳び箱は3段しか飛べないし、鉄棒で逆上がりどころか、ごろんと頭を下にしてまわることもできない。泳げないし、テニスどころかピンポンもしたことがない。本の虫であった。
10代の終わりごろから登山するようになって、ようやく体に自信がついたが、それも数年しかやってない。それでカラテの練習に誘われたときはうれしくて、口ゲンカには十分自信があるから、今度は腕っ節の強さでケンカに勝つのだと宣言した。いっしょに行ったのは、うんと年下の「ネオマチス」というバンドをやっている男の子や前衛美術家と称している女の子で、練習後の飲み屋で大いに盛り上がったものである。ただ一人「ペンは剣より強し」と言って、いくら誘っても行かない男の子がいた。彼は現在東京で有名なグラフィックデザイナーになっている。
なんやかんやで入門したが、教えられる型を覚えられない。カラテの基礎の推手というのをやってもぎこちない。あとから入った人がどんどん追い抜いていき、わたしはいつも新入りの相手だった。でも新しい型を習っているときに、腕を胸の前でぶんまわすようなのがあって、すごくサマになっていると絶賛されたことがある。これは技術なし、気合いである。回し蹴りもうまかったよ。めっちゃにぎやかにやっていた(笑)。
合宿が2回もあったり忘年会があったりと陽気に通った8カ月だったが、道場にしていた先生の会社の部屋が使えなくなって、場所が変わったりしているうちに行かなくなってしまった。
それから数年後にサラ・パレツキーのヴィクシリーズ第1作「サマータイム・ブルース」が翻訳され、わたしはヴィクが空手の名手であることを知ったのだった。ヴィクこそ文武両道の人だ。

2002.9.6


一度だけ写経をしたことがある


今朝の新聞の家庭欄に写経を楽しむ若い女性が増えていると出ていた。お寺や仏具店のほかにインターネット上で写経用紙をダウンロードできるホームページもあるそうだ。「ネット写経」「電子写経」なんていうのもあるという。自分の心と向き合うことで、気持ちを落ち着け、心の癒しにつながるという薬師寺の住職の話ものっていた。
わたしはこれまでの生涯に一度だけ写経したことがある(またオーバーな)。三枚ほど途中まで書いて書き直した最後の一枚が完成したときはさすがうれしかった。
80年代のはじめごろ知り合いが健康カラテに誘ってくれた。ある大会社の部長さんが学生時代から空手をしていて、いま部下や知り合いに教えているとのこと。その会社に行ってみたら、空いている部屋や廊下で、特に女性の健康のためになると、空手の型を組み合わせた太極拳のようなものを教えていた。その練習の後に空手の手ほどきをしてくれた。わたしはそれがおもしろくてたまらず、友人連中をずいぶん引っ張って行ったものだ。夜勤の人の休む部屋があってそこが女性の更衣室であった。カラテ着はカッコよかった。
春からはじめて、ちょうど今ごろ、信貴山の近くの千光寺というお寺で合宿をするという。土曜日の午後から出かけて寺の境内で昼は練習、夜は先生のお話、日曜日は滝に行くという。そのために水着を持参せよというのがおそろしかった。水着で滝では女性の場合脱げてしまったら困ると思いTシャツに半パンにした。
写経は持っていって千光寺に納めるという。金曜日の夜必死で写経した。なぜか墨と硯は持っていたので半紙を買ってきて、下に線のある紙を敷いて書き始めたが、消しゴムは使えないし、必死で集中して一枚仕上げた。集中したということが写経と言えなくもないな。

2002.9.5


財布を拾った


今日の大阪は35.7度(枚方市は36.2度)で、9月に2日連続35度を超えたのははじめてだそうだ。あまりの暑さにやるせなくなった。日が暮れるのが早くなっただけが救いだ。
夕方買い物に行こうと外に出た途端、道の真ん中に落ちている財布に目がいった。黒の大型で分厚い財布で、広げてみたらカードがぎっしり入っている。これは落とした人は困るだろうと思い、その足で交番に行った。おまわりさんが財布を開けて中の物を取り出すと、現金は11,155円だったが、いろんなカードがいっぱい出てきた。運転免許証、複数のキャッシュカード、複数のクレジットカード、お店のポイントカードがたくさん、お守り、宝くじ・・・おまわりさんがそれぞれ何枚と記入して、それにこちらの住所電話番号、本部みたいなところに電話して受け付け番号をもらって書きつけた。複写で書いた一番上の用紙をくれて、落とした人が届け出たらこの用紙をもらいに行かすと言う。この紙がないと落とした人は財布を返してもらえないわけだ。この手続きに20分ほどかかった。
さて、帰ってご飯を食べていると交番から電話があり、落とし主がすぐ行くという。いま食事中でと言ったら、家に来られるのがいやなら交番へ持って来てもらわなあかんと言う。人の財布を拾って届けてなんでまた届けなあかんねん。ま、あたしも最近はまるくなっているので、じゃ、待ってますと答えた。ご飯がすんだころ、本人がやってきた。背の高い可愛らしい男の子で、ほんとに助かってうれしいという気持ちが伝わったので、はいはいと紙を渡した。あわてて大丸まで買いに行ったらしい、鶴屋八幡のお菓子をお礼にくれた。ヘンなものでなくてちゃんとしたお菓子だったのでよかったです。
今日はあたしの誕生日で、このサイトを開いてからまる4年の記念日でもある。syoukoさんに花束を例会日にもらった。花はもう終わってしまったけど、写真を撮ってあるのでそのうちこのページでお見せしますね。

2002.9.4


プールの夏が終わった


屋外プールが8月31日で終わった。夏休みのプールは混むだろうと思っていたが、それほどでもなかったのは屋外プールがあったからだ。料金も安いらしく親子3人で入場料1000円にならないとか聞いた。毎日自転車が駐輪場からはみ出してずらりと並んでいた。
わたしは9月1日の日曜日サボってしまったが、行った人に後から聞いたところによると、夏休み最終日だし暑かったしで、えらい人数が来たらしい。それが昨日で終了ということで、どっと室内プールに来たので「混んだ混んだ、自分来んでよかったわ」と言われた(“自分”というのは、もう全国的にご存知だと思うが、相手のことを言っております。つまり“あなた”ということです)。
今日はその屋外プールの片づけをやっていた。噴水もとまってしまった。これからはこの状態に慣れてしまうわけだが、昨日、今日あたりは夏が終わったんだなあ、としみじみ思ってしまう。いくら暑くても空の色が違う。

2002.9.3


今夜は田中康夫さんばかり


今夜はテレビづけ。まず7時のニュースの後、7時半から8時までNHK「田中康夫氏再選・密着17日間」を見て、8時から9時まではお決まりの「ダークエンジェル」を見て、9時から10時まで讀売テレビ「完全密着田中康夫誰も知らない○秘真実田中康夫緊急生出演!?脱デブ宣言」を見て、10時からニュースステーション「結果は圧勝…田中康夫長野県新知事生出演に聞く今後のこと」を見た。
822,897票という驚異の得票で再選された田中さん、すごい! 今後の活躍を期待しています。
田中さんとお目にかかった話は以前書いたけれど、今夜テレビを見ていて感じたことをすこし。新聞にも「おばちゃん力結集」(こういう言い方は好かんな)なんてあったけど、テレビで見た選挙運動中の田中さんは年配の女性に好かれてたよね。
田中さんにお会いしたのは、阪神大震災の被災者支援「週末ボランティア」の記念集会と、2回仮設住宅訪問にごいっしょしたのと、忘年会でお会いしただけだが、わたしのことをS嬢と呼んでくださって(また書いてるわ〜へへへ)「噂の真相」の日記にも書いてくださった。
週末ボランティアというのは、被災者が住んでいる仮設住宅を訪問してお話を伺うというボランティアである。3人くらいで1組になって仮設住宅におじゃまして、うまくいけば部屋にあげてもらい話を聞かせてもらう(真冬に戸外で立ち話2時間ということもあった)。田中さんとは数軒のお宅に上げてもらってお話ししたのだが、ベテランとしてこちらをたててくれて余計な口出しをしない。相手が気付いてテレビで見たとか言うと、冗談を返して笑わすといったぐあいであった。そのときから年配女性への気配りのある人だと思った。わたしに対してもね(笑)。
テレビで東京の人に田中さんが好きかどうかを質問していたが、嫌いのほうが圧倒的に多かった。これはわかるような気がする。わたしの経験した場所に限るけれど、神戸でもそうだった。最初なんか、田中さんを昔から好きだったと言って冷笑されたくらいだ。それでムキになってファン宣言をしたことを思い出す。ちょっとばかりインテリには嫌われるが、真面目な普通の人には好かれる人やねん。

2002.9.2


セシールカット


映画を長いこと見ていない。そういやビデオもテレビの映画も見ていない。もの心ついてからこんなに映画を見ていないのははじめてだ。そんなもんで時代に遅れてしまっているのか、さっきテレビで「ノイズ」を見てけっこう楽しんでしまった。その後でインターネットの洋画のサイトを見たら、見た人の感想がめちゃくちゃ悪いんでびっくりした。20人くらい書き込んでいて誉めている人はいなかった。批判を読むとそれなりに納得したけど。映画館で期待して見たら腹が立つかも。でもテレビでわたしは楽しんだし、最後は「女は強い」と笑ってしまった。
シャーリーズ・セロンは金髪をセシールカットにしていてきれいだった。いまでもこの髪型をセシールカットというのだろうか。
ずっと昔「悲しみよこんにちは」のジーン・セバークがセシールという女の子の扮していてすごく評判になった。映画を見たのは後々ビデオになってからのことだが、映画雑誌で見たのか、世間の話題になっていたのか、憧れてしまった。それで美容院にいって「セシールカットにしてください」と頼んだら、この硬い髪ではできないと、にべもなくはねつけられた。その後、マギー・マクナマラという女優のポニーテイルに憧れて、こういうのと言ってやってもらったら、若侍のチョンマゲのようになってしまった。あこがれの相手は金髪ばかりだったころの話(笑)。
もう少しで白髪アタマになりそうだし、髪の弾力もなくなってきたし、金髪に染めてセシールカットできなくはないところにはきたんだけどね。今度は体型と着るものが合わないよな。ま。セシールまがいカットでがまん。

2002.9.1

写真:Syoukoさんからもらった花束

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