KUMIKO PAGES/TOP PAGE
KUMIKO/BACKNUMBER

kumikoのほとんど毎日ページ
2002年1月


山本やよいさん訳 ピーター・ラヴゼイ「死神の戯れ」

ダイヤモンド警視の出てくるシリーズかと思ったら、久しぶりのノンシリーズであった。題名と表紙カバーのおどろおどろした感じが、読む気を少しばかりそいだのだけれど、めくってみると、字が大きく字間も広くて読みやすそうだ。読みかかっている本をおいて、読みだしてしまった。内容はびっくりだ。のっけから主人公が悪人なんだもの。それも罪の意識がなく、目の前に現れた邪魔者は始末していくんだから。ピーター・ラヴゼイの達者な筆がどんどん書き進んでいき、どうなるのか興味を持ってついていくと、ええんかいなという感じの結末に達する。
主人公の牧師を疑って調べていく男のほうがイヤミなやつで、牧師が休日になにをしているか後をつけていく女性もいやな女で、悪いほうの人間の勝手なリクツがもっともみたいな気がしてくる。
私は最近、英国国教会に興味を持っているので、イギリスの田舎ののんびりした村の教会や牧師や村人が出てくるのがうれしい。村での教会の役割なんかが具体的にわかる。しかし、まあ、ピーター卿時代の牧師さまは教養があって、村の中でゆるぎない存在であった。「死神の戯れ」では、説教はうまいし小回りのきく評判の良い牧師なんだけど、ひとつ重要なネジがはずれている。それがいまの時代なんだろう。(ハヤカワ文庫 880円+税)

2002.1.31


今年の冬は元気

今年の冬は暖冬というわけでもないだろうに、あんまり寒さを感じていない。いままで数年間の冬は足下から冷え上がっていた。ガスファンヒーターをつけて部屋全体が暖まっているのに、足下が寒くて、夜になるとオイルヒーターを側に持ってきていた。寝ていても足首が冷たくて目が覚めたりした。今年は気をつけてソックスをはいて寝ることにしたが、その効果だけではなく、根本的に体が冷えていないと思う。血の巡りがよくなったみたいだ。
理由はプールの水中歩行しか思い当たらない。足の痛みはまだ残っているが、かなり改善している。最近は足のせいで無理していたらしい腰の存在が意識されるようになった。水の中を真っ直ぐ歩くことで治せると思っている。
朝起きて体操するって、ほんとにめんどくさいものだ。いままではサボリがちだったし、体操しなければいけないと思ってやっていたけど、最近は体が体操を要求している気がする。一昨年の秋から半年ほど東洋体操教室に通ったので、その体操を思い出してやったり、宝島社の「東洋体育の本」をまた開いてやっている。
春にはさっそうと歩きたいけど、まだまだだろうな。まあ、ゆっくりやりますわ。なんか目の前が明るくなったみたい。

2002.1.30


女の居場所

土曜日にVFCの例会があったんだけど、いろいろとしゃべっているうちに生活にパソコンが密着しているという話になった。Aさんは台所とダイニングの間の狭い空間にパソコンラックを自分で設置して、1日中そこに座っているという。晩ご飯の支度をしながらも仕事をしている。背中でお鍋の中の気配を感じながら。他に場所がないわけではないが、台所の側がいちばん落ち着くという。
Yさんは気が向くと、居間のコタツの上にiMacをのせて仕事をする。コタツの上でも仕事をしたいからiMacにしたんだそうだ。
私も台所に近いパソコンを置いたコーナーで、1日のほとんどの時間を過ごしている。本を読んだりテレビを見たりするときはテーブルの方に行き、お気に入りのアルフレックスの椅子に座るが、たいていはパソコンの前である。
女たちの居場所が、この10年の間に変わってきたと思う。同じ台所でも無駄話や編み物をするわけでなく、パソコンを前に仕事や思索をするんだもんね。そしてパソコンから友人へのメールやホームページの発言というかたちで外の世界につながっている。

2002.1.29


ハリセンボンとウミウシ

今日の朝日新聞「2001読者の新聞写真」ページに〈ハリセンボン「無情」〉という写真があった。ハリセンボンっていうのは、“げんまん”するときに、約束を「守らなかったらハリセンボン」と言うよね。そのハリセンボンは地獄の血の海に浮かぶ針の山のことだよね。子どものときは、この言葉で「約束は守らなくっちゃ」と思ったもんだ。
そのハリセンボンがですね、実際にいる魚の名前とは知らなかった。新聞の説明によると亜熱帯の海に住む魚で、対馬海流に乗って北上してきたが、低水温のために弱って死に海岸に打ち上げられていたそうだ。今日はひとつ物知りになった。
そしたら偶然にも今日、「VFC BBS」でyukariさんがハリセンボンをもらったので、今晩甘辛煮にして食べると書いてはる。ほえーっ! びっくりした〜、食べられるんかいな。今日は無知からいっきょに物知りになった日だ。
無知と言えば、昔のことだけど、友人が千葉の海岸へ遊びに行って海牛を見たとハガキをくれた。わたしは海牛(かいぎゅう)と読んで、春の海がのたりのたりしているところに、ゆったりと海に住む牛のような生き物が佇んでいるところを想像していた。あとで聞くとウミウシなんですね。生まれてはじめて聞いた。それ以来気になって、図書館で図鑑を探した。一昨年だったか新しく図鑑が出たのを知って買おうと思ったが、本のレイアウトがイマイチだったので、買うのを控えた。でも、ときどき図書館で眺めている。ウミウシってすごくきれいで不思議なイキモノです。おしゃれな図鑑が出たらいちばんに買うのにな。

2002.1.28


やったね、栃東

今回の大相撲初場所の15日間は長かった。毎日ずいぶんと緊張して過ごしてました。取り組みを見ているときはドキドキするしさ。
初日に勝ってほっとし、朝青龍の張り手に耐えて勝ったときはドキドキ+びっくりだった。ここまで成長したんかと感慨無量でした。だけど、全勝の後12日目と13日目に負けたときは、もうアカンと思いましたね。それが昨日勝って1敗の千代大海とあたって、勝てば優勝決定戦というところで、落ち着いて勝ち、決定戦ではあっという間に勝って優勝してしまいました。
だいたい、大関になるつもりはあるんかいと思いながら応援していた日々は長かった。ところが大関になってからの強いこと! 足腰の強さ、冷静さ、優勝決定戦を控えて髪を結い直してもらっているところなぞ、余裕綽々に見えた。頭がいいんやね。すでに横綱の風格がただよいかけているように見える。
だけど、千代大海もわたし好きやねん。今日の最初の取組前に花道に立って、虚空を見つめていた千代大海の顔は興福寺の阿修羅像そっくりやった。勢いで千代大海が勝つんやないかと思ったくらい。でも、栃東のほうがうまかった。
大阪での来場所が楽しみです。

2002.1.27


窪塚洋介の魅力

窪塚洋介をはじめて見たのはNHKの連続テレビドラマだった。音楽プロモーターの一人息子で、一人暮らししながら音楽学校へ通っている。学校を退学するはめになり、自立して音楽の道を歩もうとする・・・そうそう、アユムという役名だった。ふとしたことから知り合ったのが韓国の有名な女性歌手で、それから愛し合うふたりの物語になっていく。何不自由なく育ったお金持ちの息子だが、離婚している両親ともへだてなくつきあって、精神的にちゃんと自立しているいい青年の役だった。まず気に入ったのは話し方だ。あんまり東京の男の子のしゃべりかたって好きではないけど、窪塚くんは違う。ふーん、いいとこの頭のいい男の子ってこういうふうにしゃべるんや。テンポがちょっとゆっくりで、ちょっと甘えたところもええやん。
今回のドラマ「ロング・ラブレター〜漂流教室」では高校教師の役で、1回目常磐貴子と出会うところよかったなあ。2回目は突然学校がなくなってしまう。しかし、そのとき学校にいた彼と彼女と高校生たちは、20年先の世界にいることがわかる。楳図かずおのマンガ「漂流教室」を雑誌連載中に読んだのだが、ほとんど忘れてしまっている。たしか主人公はもっと年下の子どもたちで、額に青筋たてた男の子が絶叫している絵ばかり覚えている。3回目は今週の水曜日だった。2002年にここにあるホテルが2022年には廃墟になっているのがわかる。この漂流する教室で、窪塚洋介と常磐貴子がどうして生きていくのか楽しみだ。
おっと、窪塚くんの日本語の話し方はすごくセクシーです。彼、いま頭を刈ってしまっているけど、このドラマではちょっと長髪のぼうぼうとしたカツラがよく似合っている。吉田秋生「バナナ・フィッシュ」のアッシュに似ていると思うんだけどなあ。

2002.1.25


ジョン・セイモア 図説「イギリスの生活史」続き

この本は「道具と暮らし」というサブタイトルがついていて、台所の道具、牛乳と乳製品の道具、洗濯の道具、家のまわり、織物の道具、家を飾る、という構成になっている。台所ではどういう道具を使って食べ物を作るかが細かく書かれている。食べ物の貯蔵、ジャムや酢漬けの作り方、台所の掃除、洗い物、水道、コーヒーやお茶のいれかた、読んでいるとわたしの子どものころとあまり変わらない部分もけっこうある。
洗濯のところでは石けんの作り方、染めもの、アイロンのこともある。家のまわりでは、薪割り、暖房具、ろうそく、ガス灯と電気の灯り、掃除のしかた、煙突掃除、ねずみ取り、ゴミ処理など、まあまあついていける。
だけど、織物の道具、これはあきません。糸を紡いだり、機織りしたり、マットとラグをつくり、レースを編む。クロッシェ、タッチングとマクラメ、ニッティング、洋服作り、キルティング、パッチワーク、スモック、わたしにはみんなできないものばかり。
もう少し前に生まれていたら、台所や家まわりの荒仕事はたいへんだけど、やればできる。しかし手を使う仕事はあきません。わたしには無理。これができなければ女やない、と言われて嫁にもいけなかったであろう。いい家に生まれて本ばかり読んでいて家事は女中まかせというわけにはいかへんやろしね。それで、結局は下働きの女中にしかなられへんかったであろう。
まあ、なんやかんや言いながらも、レース編みの模様やインテリアや食器を眺めているのは大好きなので、この本はこれからも座右の本であり続けるだろう。

2002.1.24


ジョン・セイモア 図説「イギリスの生活史」

イギリス児童文学の会「ホビットの会」にいるときに買った本(原書房 3800円)で、毎月指定された作家1人の翻訳された全作品を読むという荒技をしていたときに重宝した。研究とか評論とかは苦手だから、本を読んで雰囲気にひたることで、その作品をわかろうとしていた。会員には児童文学専門家や図書館員や教師がいて、その人たちは作家のことなどよく調べてきていた。わたしはそんなことには全然興味がなくて、登場人物の恋愛部分にいちばん興味があり、どういう生活をしているのかに興味があった。指定された本を買い、絶版のものは図書館で探して、パソコンがまだない時代にはよく本を読んだものだ。VFCをはじめたころからは読書はミステリーに変わっていき、月に一度の会もサボリがちになり、指定された本が読み切れなくて、ごまかしているうちに行きづらくなってしまい辞めてしまった。
へんなところへ話が流れたが、最初のころはイギリス児童文学を自分のものにしようと熱心だった。それをずいぶんと助けてくれたのがこの本なのだ。例えばアリソン・アトリー「時の旅人」には、おばさんの家の台所がよく出てくる。そこでこの本を開くと、当時のイギリスではどういうふうにご飯をつくり、洗濯をしていたかがわかる。そうすると小説が体でわかってくる。(この項続く)

2002.1.23


つくってみたよ、そば粉のクレープ

二部治身さんの本「二部治身の美しい暮らし十二ヶ月」の葉月のページに出ている、そば粉のクレープ、おいしそうなので一度つくってみようと本を開くたびに眺めていた。実はその前のページの花の写真が好きなので、いつも花を見て、めくってクレープを見ていたわけ。きれいないろいろな色のコスモス、ダリア、おみなえし、などの秋草が草で編んだバッグに入れてあるのがすっごく好き。このバッグが欲しくて長いこと探しているが、まだ出会っていない。
今日は食い気のほうを満足させようと、そば粉のクレープに挑戦じゃ〜とそば粉を出した。このそば粉は年末に阪神電車と地下鉄の横の通路にある地方物産店の長野県のところで見つけた。新そば粉を今朝挽いたとのことで、冷蔵庫で保存しときやと言われたもの。
2人分で、そば粉カップ1.5、卵1コ、牛乳1カップ、砂糖少々を混ぜてフライパンにサラダオイルをひいて、おたま1杯分を流してうすく広げて両面を焼く。ちょうどうまいぐあいに4枚焼けた。中にはさむものは、二部さんの本では、「ゆで小豆とホイップした生クリーム、クレソンをしょうゆ味のドレッシングで和えたもの」と甘辛2本立てが紹介されている。うちではマッシュポテトとよく焼いたベーコンをはさんだら、お昼ご飯として申し分なかった。

2002.1.22


ノームの本

洋書絵本の「gnomes」はいま調べたら1977年にニューヨークの書店から出版されている。たしかはじめて「ホビットの冒険」を読んだあとに、丸善だかで見つけて買った覚えがある。大型の厚い本でノームという種族のすべてを明らかにしているところがおもしろい。ときどき出して見るけど、いつ見ても笑ってしまう。癒し効果抜群の本なのだ。日本語訳が出ていたけど、原書とは本の品が違うような気がして、英語を読めないくせにこだわっている。絵を見たら大体のところは理解できるしね。
ノームの体重は男性が300グラム、女性が250〜275グラム、身長15センチ、北アメリカ、ヨーロッパのあちこちに住んでいる。ノームのスケルトンの絵もある。着せ替え人形みたいに服や靴の説明もある。住まいは木の幹の下に穴を掘り横穴を通って行く。気持ちの良いリビングルームには、細工を施したドアやカラフルなチェストがある。中でも優雅なのがトイレで、素晴らしい細工をした木製の椅子に座るようになっている。台所もお風呂も暖炉もすてきだ。素晴らしいご馳走が並んでいる食卓。機織りや洗濯、籠つくりの様子もわかる。動物との交流も楽しい。人間の牛小屋からミルクをかっぱらっていくとこがおかしい。乳牛の乳首に抱きついてしぼるんだもん。
真ん中へんのページから後には深い森の物語や冒険があり、妖精やホビットの物語でおなじみの怪物たちも出てくるんだけど、いつも読むのを省いてしまうのでよくわからない。ちよっともったいないね。

2002.1.21


今日のプール

今日は夕方からプールに行った。最近はたいていいつ行っても空いている。しかし、水中歩行の教室でも行ってたらしいグループが騒いでいるのにはまいった。歩くだけになんで歩調を揃えんとあかんのかねえ。それでいて人の邪魔になってもおかまいなしやもんね。
まあ、人のことは気にせんとこうと、考えごとをしながら約1時間歩いて、ジャグジープールに入ったら・・・真ん前にピンクのパンツが見えた。あれっと見あげるとほっそりした色白の顔、トップレスの女の子と思ったら男の子だった。その後には眉目秀麗な男の子がいた。まるで圭と悠季ではないか! 目をつぶったふりして眺めてました。
話が変わりまして、先日FM802を仕事中に聞いていたら、ミュージシャンがインタビューされていた。「運動不足なのでプールに行こうと思って、入会金のいらないプールに行っている友人に話を聞いたら、そこは混んでいて泳げないので、みんな歩いているそうです。プールって混んでいるらしいですね」と言う。笑ってしまった。おいおい、みなさん水中歩行なさっているのを知らんのかい。それにラジオでインタビューされるくらいのミュージシャンなら入会金をたくさん払って高級なとこへ行きなはれ。

2002.1.20


「二部治身の美しい暮らし十二か月」

二部治身の本は文化出版局から出ているのを3冊持っていたのだが、人にあげてしまって、いま手許にあるのはこの1冊だけしかない。この本には四季折々の生活の楽しみかたが書いてあって、二部治身という人がよくわかる本だ。
「春」が如月、弥生、卯月、「夏」が皐月、水無月、文月、「秋」が葉月、長月、神無月、「冬」が霜月、師走、睦月である。
如月は「春よ来い」がテーマで、道端に縮こまっているハハコグサ、カラスノエンドウ、オオイヌノフグリなんかを採ってきて室内に移して、ひとつき早く花を咲かせる。弥生ではタンポポのこと。よもぎ団子の作り方。こんなふうに毎月の野の花のこと、お気に入りの小物のことが毎月綴られている。
卯月のやぶ椿の天ぷらの美しさ、水無月には泰山木の花びらに盛ったアイスクリームのかぐわしさ、神無月は秋草を編んだ籠に入れた花々の愛らしさ、師走の赤とうがらしを束ねて紅白の和紙と水引でしばった正月飾りの斬新さ…。わたしの暮らしでするには気恥ずかしいのでしないけれど、田舎に家でも持つことがあればやるかもしれない。100%ないけど。(マガジンハウス 2000円+税)

2002.1.18


二部治身(にべはるみ)が気になる

二部治身を知ったのはずっと前のクロワッサンかアンアンか銀花かミセスか装苑か、わたしが女性誌を大量に買っていた時代のことである。雑誌がおもしろい時代だった。二部治身は東京近郊に住む女性で、畑を持ち花と野菜を作っていて、たしか美術館にボランティアで花を活けさせてほしいと申し出て、その生け花が注目されて、東京の有名ブティックから注文が来たとか読んだような気がする。それから女性誌の注目するところとなった。野の花ブームのはじまりはこの人からかもしれない。
わたしのように細々と長く野の花に入れこんでいる人間がたくさんいると思うが、その人たちの頂点に立つ人と言えるだろう。普通の人のように折に触れて野の花を活けるというのではなく、すごい量の草花を豪華に立派な花びんに活けたり、草や蔓を編んで作った籠に活けたりする。また人が顧みなくなった日本に昔からある草花を畑でつくっている。スケールが大きい。二部治身の生活全体が花のような人なのである。
わたしは二部治身に、野の花からはじまって、料理、器、オブジェなど、生活を楽しくするためのさまざまな工夫を教えてもらっている。そして、ぼやーっとしとらんと毎日の生活を美しくせんとあかんなあと、たまに反省もさせてくれる人である。

2002.1.17


歩きながら思い出す

プールで歩いていると、いろんなことがアタマを駆けめぐる。無心で歩くなどということは、わたしの場合ないみたいだ。会報づくりの段取りなんかも考えることがあるし、まれに仕事のことを考えたりするが、それよりも、なにか思い出すのが楽しい。思い出すとどんどんつながったり広がったりする。そして忘れていた物語が出てくることがある。子どものときに家に世界の民話集のようなものが何冊もあった。思い出したのはアラビアとインドの物語である。
アラビアの話は、ハッサンという子どもが誘拐されて、よそで大きくなり、料理人になっている。美味しいと評判のお菓子をハッサンの祖母が食べて「あの子だ!」と叫ぶ。このお菓子の香りこそ私だけが知っている香料を使っていると言って、料理人を捜し出すと、誘拐された孫だった。孫は祖母のお菓子の香りを覚えていたのだ。この本は出てくる男の子の名前がなぜかみんなハッサンなのだった。
インドの話は、王様が老人を全部殺してしまえと命令する。殺しかねた一人の男が祖父を隠しておく。あるとき王様が、大きな象だったか石だったか忘れたが、とにかく大きなものの重さを量れと命令する。誰も量る方法がわからない。そこで、男が祖父に聞くと、船にそれを乗せて船の重みで沈んだところに線を引き、次に小石をその線まで乗せる。あとで小石をひとつひとつ量って足せばよいと教えてくれる。王様に知恵を褒められた男は、これこれしかじかと話して、王様は年寄りを大切にするべしと命令を変えたとさ。

2002.1.16


友の年頭挨拶状

イギリス児童文学研究会「ホビットの会」を主宰しておられた正置友子さんから、年頭の挨拶状がとどいた。毎年、年賀状でなくてお正月になってからの気持ちが書かれたハガキがこの時期にとどく。
ホビットの会にわたしが参加したのは、VFCより古くて10数年前になる。10年近く参加しているうちに、正置さんは絵本の研究のためにイギリスに留学された。50歳を過ぎてからの5年間を、ひたすら研究に打ち込んで学位もとられたそうだ。一昨年帰ってこられて、大学で教えていると聞いていた。
昨年はイギリスで日本の絵本の原画展を3会場で開き、そのために3度の渡英をしたと聞くと、ほんまにえらくなりはったんやなあと感心するばかりであった。
今年の挨拶状には、そのイギリスでの原画展の報告とともに、うれしい近況があった。もともと千里の団地に住み、30年近く前、子どもが小さいころから、自宅を開放されて「青山台文庫」を開かれていた。それが団地の集会室になってずっと続いてきた。正置さんがいない間も正置さんの周りの人たちによって継続されてきたと思う。
その青山台文庫で赤ちゃん組をはじめられたのだ。10組以上のお母さんと赤ちゃんがやってきて、わらべうたを歌い絵本を読みきかせする。6カ月の赤ちゃんは絵本が大好きだそうだ。
黙々と自分がなすべきことをしている友がいる。わたしもモンクばかり言ってないで、自分のなすべきことをやっていくことにしよう。と殊勝な心になったがいつまでもつかなあ。

2002.1.15


「気」を感じる…別冊宝島「東洋体育の本」

「VFC BBS」によく書き込んでくださっているm-oさんが、太極拳を習いはじめたそうだ。ご自分のサイトの掲示板に書いているのを読むと、まずは両手を合わせて「気」を感じるところからはじまったんだけど、なかなかできないとのこと。
これね、わたし、ずっと昔に本を読んでやってみて、できるようになった。それでいつのことかその本(別冊宝島35「東洋体育の本」)を出して調べたら1983年なのね。えらい古い話ではあるが、このページは古い話は当たり前に出てきてるんで、わざわざ言うことでもないか。
それでですね。この「気」を感じるってやつ、両手を2センチほど離して手のひらを合わせる。ピンと張ったらいけない。だらりとした感じで、中に手まりでもそっと持っているようにする。そのままじっとしていると、手の間の空気が熱を持っているような感じになる。この感じを一度会得すると、次は簡単にできるようになる。わたしは手を合わせるとすぐなるんで、手のひらでこねまわしたり広げたり狭めたりして遊ぶ。お風呂でお湯の中でもやると楽しい。

2002.1.14


がんばれ、大関 栃東

初場所がはじまった。今場所は毎日忘れずにテレビをつけよう。真剣に見なくっちゃ。なんてったって、栃東が大関になってはじめての場所だもん。先場所まで地味であんまり新聞記事にならなかった栃東だけど、今場所はいちばん多いのがうれしい。せんだっての夕刊にインタビューがのっていた。大関になって行事が多いけど、いつもと同じようにしっかり稽古をしているという。そして気分転換にケーキを作っているんだって。かわいい! そのケーキだれに食べさせてあげてるんでしょうね。
今日は安芸乃島を相手にあっけなく勝った、というのもふだんの稽古をちゃんとしているので、落ち着いてとれるからだと思う。新大関で優勝となれば30年ぶりの快挙となる。がんばれ、大関 栃東!
話かわって、わたし、あんまり貴乃花って好きでないんだけど、ヒザの故障ということで、同病相憐れんでおります。ヒザの故障は長引くもんね。でも治りだしたら、薄紙をはがすようによくなると思うんだけど。というのは自分も含めての希望的観測だけどさ。

2002.1.13


「小公女」が原点

昨日はプールが休みの日だったので、午前中に銀行や郵便局の用事をすませてからパンの店くるみに寄った。入り口にオリーブなどの小さな植木鉢が置いてある、ブルーの可愛らしいドアを開けて入ると、パンを焼くかぐわしい匂いが店中に満ちている。昨日はその匂いで、突然「小公女」を思い出してしまったんですね。いや、プルーストの紅茶とマドレーヌみたいだった。セーラが道で銀貨を拾ってパン屋に入ったところ。セーラだってお腹が空いていたのに、買ったパンをもっと貧しい少女にやってしまうんだけど、パン屋に入ったとき、パンを焼く幸せな匂いに包まれる。
モンシロチョウのシロちゃんがうちに来てから1カ月になる。相変わらず窓に止まっていて、砂糖水を吸っている。ときどきはこちら向きになって、羽根をばたつかせたり、日が当たると上のほうに飛んでいったりしている。こちらは毎日朝起きるとシロちゃんがいるのを確認し話しかける。そうこうしているうちに、これってどっかにあったぞと思った。そうだ、「小公女」でセーラがネズミにメルキセデクと名前をつけて呼びかけていたんだっけ。

2002.1.11


名刺の整理をしたら…

最近新しく知り合った人から名刺をもらうことが多い。30年も使っている名刺ファイルがいっぱいになってしまった。新しいファイルを買おうと思ったが、思い直して古いのを整理することにした。仕事もプライベートもいっしょに入れてあるのを、1枚ずつ調べて不用なものは整理していく。もう顔も思い出せない得意先の人のもある。デザインのいいのと、忘れられない人のはおいておくことにした。
おもしろいのは個人的なつきあいの名刺だ。30年前にもらった、いまでいうところのフリーターのNくん、20歳くらいのとき。可愛らしいトラのイラストがあって、その上に隷書体で「虎は千里の道を往って/千里の道を還ってくるという」とある。下に名前が小さく入っている。彼は長いフリーター暮らしのあと、サラリーマンになったが、数年前に辞めて蕎麦屋をはじめた。枚方市にある「そば切り 天笑」である。この名刺を眺めていると30年前にすでに、いまの暮らしが予感されていたような気がする。今度行くとき持っていってやろう。
詩人支路井耕治のちょっと気取った名刺、一度だけ会った人である。ミュージシャン佐藤薫の手書きの名刺、70年代後半の彼の音楽はすごみがあった。70年代前衛美術家吉田めぐのカラフルな名刺、彼女はいまもカラフルに生きている。
名刺はすごい。こんなに小さいものが、その人を表現している。わたしも自分の名刺にはずいぶん凝ってきたが、これから作るとしたら、ごく普通のを作りたいような気がする。名前と住所だけのやつ。

2002.1.10


時代劇にはまってしもた

近ごろご飯を食べながら京都テレビやサンテレビでやっている昔の時代劇をよく見る。この間はなんていうタイトルか忘れたが、徳川家光と大久保彦左衛門と一心太助を中心に、旗本奴の水野十郎左衛門と町奴の幡随院長兵衛、柳生十兵衛、荒木又右衛門、由井正雪、出雲の阿国と江戸時代はじめのオールスター総出演であった。あの人知ってる、って叫んだりしたが、実は講談本で知ってるだけやんか。見ながら、この人風呂で殺されるんやで、とか言っちゃたりして(笑)。
今日は「江戸っ子繁昌記」(1961年東映、マキノ雅広監督)であった。落語の「芝浜の革財布」と怪談の「番町皿屋敷」をひっつけてストーリーをこしらえ、魚屋の亭主と旗本の青山播磨を萬屋錦之介がやっていた。そこで「ほんまはお菊は播磨の愛を確かめるために皿を割るんやで、そしたら播磨は皿は惜しくはないが、自分の愛を疑われたことで、お菊を殺すんやで」と注釈をつけたが、誰の説か忘れてしまっている。もしかしたら、岡本綺堂かもしれないけど、はっきりしない。
考えたらわたしの江戸時代の知識は「忠臣蔵」「半七捕物帖」「鬼平犯科帳」の他は講談本と落語くらいである。それらの知識がごちゃまぜの上にええかげんな時代劇を見て知識が上書きされている。ほんまにええかげんやけど・・・まあええか。

2002.1.9


大豆ばっかり

急に厚揚げの焼いたのを食べたくなったと言うと、こういう話はすぐまとまり、買い物係が九条市場の豆腐屋まで買いに行った。熱々のちょっと焦げ目のついた厚揚げに、おろし生姜をたっぷりのせて醤油をたらす。今夜は寒いので熱燗にした。うまかったー。
ついでに豆腐も買ってきたので、明日は湯豆腐しようかな。これ知ってるかとキスの焼いたのも買ってきている。子どものとき焼き豆腐と炊いたのをよく食べた覚えがある。貧乏人のおかずやがな。
それにしても、よく大豆を食べることね。朝は大豆の水煮をサラダにした。大豆の水煮とツナとコールスローと同じような野菜を混ぜたサラダをトーストのおかずにした。熱いキャベツのミルク煮と食べたらおいしかったよ。
ことことと五目煮にしてもおいしいし、みそ汁、納豆、京揚げ、ひろうす・・・毎日食べて飽きないものが多い。そして値段が安い。自然食品店とか京都の有名店のとか贅沢してもしれてるもんね。

2002.1.8


ジョー・ゴアズとマイクル・コナリーの短編小説

12月31日のこのページで、「ミステリマガジン」2月号の木村仁良(二郎)さんの「ハードボイルドって本当は何なの?」を紹介したのだけれど、もひとつ紹介したいところがあった。特集「ハードボイルド宣言」と題した短編小説である。7作品の中でわたしがいいと思ったのは、ジョー・ゴアズの「デトロイトから来た殺し屋」とマイクル・コナリー「二塁打」。
ジョー・ゴアズのはサン・フランシスコの〈ダニエル・カーニー探偵事務所〉もの。そう、なつかしのヘスリップや金髪のジゼル・マークが殺し屋を相手に一芝居打つ。すごくプロフェッショナルで人情味があって、大満足であった。日本語の文章が歯切れ良くていいなと思い訳者を見たら木村さんだった。やっぱり!
(当VFCホームページにあるサラ・パレツキーサイトの中の「パレツキーズ・アイ」で広辻万紀さんがダニエル・カーニー探偵事務所〈DKA〉について書いています。最初の項目のところと付記のところです。)
マイクル・コナリーのはハリー・ボッシュ刑事ものではないが、カリフォルニアのベテラン刑事がはじめてパートナーとなった相手と任務につく。5年間に3人のパートナーと組み、今回は4人目だという。前の3人は仕事の激しさというより、彼の激しさに耐えられなかった。そういう激しい刑事が新しいパートナーと容疑者を追うのはドジャースのグラウンドである。マクガイアがホームランを打つのを見ようと超満員の中、容疑者を追いながら2人の刑事が交わす会話には胸を打つものがある。

2002.1.7


共倒れじゃ

会報といっても、毎月出している「VIC FAN CLUB NEWS」はわたし一人で簡単につくっているけど、年に2回の「VI」はそうはいかない。特に今回は10周年記念号ということで、会員がつくるということになって、いつもはデザイナーに頼んでいるのを、自分たちですることになったが、わたしのところに最後の詰めがまわってきた。
A4で36ページの大作である。1年前から原稿募集したので、たくさんの楽しい原稿が集まっている。その原稿を楽しく読んでもらおうと思って大いに気を使った。一昨日全部出来上がったら、どっと疲れが出てアタマが働かない。ここのページに書くのはあきらめて横になった。
昨日はうんと朝寝坊してパソコンにさわっていたら、どうも調子がおかしい。実は去年の暮れからよくインターネットがつながらないことがあった。ルーターとわたしのパソコンの間がおかしい。これを機会にOSのバージョンアップもしようということになって、昨日から今日の夕方まで相棒がやってくれた。申し訳なし。
ほんまに、こっちがしんどいからって、パソコンもしんどくなるなんて義理堅いパソコンじゃ。

2002.1.6


ものすごう寒い

暮れからほとんど外に出ていない。プールがずっと休みやし、買い物は相棒がしてくれるし、昨日はちょっとポストまで行って散歩ほどのこともなく帰ってきた。
今日はすごいよー、地下鉄に乗って千里の兄の家まで行ってまいりました。午後から出かけて、2年ほど前にいっしょに買いに行ったiMacの調子を見て、ご飯をよばれて、お餅や干し柿のお土産をもらって帰ってきただけだけど、わたしにしたら大外出である。
千里の駅を降りると空気が違う。冷たくて澄んだ感じである。水たまりの水が凍っている。兄の家の庭にある小さな水瓶の水が凍っていて、山茶花の落花がひとつ閉じこめられていた。風流、風流。
帰りは星がきらきらしていた。オリオンもシリウスもぴかぴかに光っていた。月明かりの下で葉を落としたケヤキの枝振りがかっこよかった。
地下鉄を降りると西区の空はどんよりとオリオンがあるのもわからない。キタやミナミの街の灯りのせいだ。これでも真夜中を過ぎるとベランダからオリオンが見えるときもあるのだけどね。
今日はむちゃくちゃ寒い日であった。厚着のせいか肩がこってたまらんわ。

2002.1.3


ビルボのホームページができたよ

3年3カ月前に私たちのヴィク・ファン・クラブのホームページを制作した杉谷正明が、ようよう「ホームページ制作所 ビルボ」のホームページを立ち上げました。見てやってくださいませ。
http://www.sgy2.com/bilbo/
ビルボというのは、私んとこの屋号です。昔、独立して事務所をもったときに、アタマをしぼったあげくに、そうや、ビルボがええんとちゃう? となってつけた屋号です。長い間、得意先にビルボさんと呼ばれていましたが、実際ビルボがなんのことか知っていた人は数人でした。今度のホームページはビルボってなんや、という疑問にもお答えしております。
見た方が楽しんでくれはるようにと思うて作りやってんけど、中でも私がおすすめするのは「猫のおみくじ」です。〈大吉〉の猫すごく色っぽい子やねん。でもクジやさかいに、出そうったってすぐには出てけえへんけどね。〈中吉〉や〈小吉〉や〈末吉〉などの猫もそれぞれ個性派やから、試してみてね。占いファンの人は病みつきになるかも・・・その他、大阪散歩や愛読書の紹介などあって楽しめますんで、何度も訪れてやってくださいまし。

2002.1.2


木村拓哉の堀部安兵衛

去年のことになってしまったが、12月28日のテレビで「忠臣蔵1/47」というドラマがあった。堀部安兵衛を主人公にしたドラマで、彼の短くも美しく燃えた一生を描いていた。演じたのは木村拓哉、なかなかの力演で最後まで見入ってしまった。なんやかや言っても、わたしは忠臣蔵が好きで、なかでも好きな一人が堀部安兵衛なのである。子どものころ、家にあった忠臣蔵の講談本をあきもせず何度も読んで、一時は全員の名前を言えるほどだったくらいだ。
このドラマはほとんど講談本とおりの展開でおもしろかった。ただ、安兵衛のイメージはもっと荒々しいオトコであったけど。それでもドラマの主人公はいいオトコのほうがいいな。おそまきながらキムタクのファンになりそう。
高田の馬場の闘いで名をはせた安兵衛が、堀部弥兵衛に乞われて娘と結婚し堀部安兵衛となる。15歳で親を亡くして浪人生活で苦労して、ようやく落ち着いた生活になったところへ、主君の刃傷事件でまた浪人にもどってしまい、そして仇討ちにいたる波乱の人生である。
討ち入りが行われた元禄15年(1702年)から今年で300年になる。この事件のなかの人たちの言動がいまもわたしの心を捉える。

2002.1.1

写真:もんしろちょうのシロちゃん

VIC FAN CLUB  連絡先:kumi@sgy2.com