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kumikoのほとんど毎日ページ

2001年10月


食欲は回復

ゆうべはいつ買ったかわからない薬瓶の底にへばりついていた武田漢方胃腸薬を2粒飲んで寝た。今朝はなんとか胃のもたれはおさまったが、倦怠感があるので朝食を抜き、プールを休んで一日中ごろごろ家にいた。昨日の午前中は元気いっぱいプールで歩いていたのにね。いまごろ疲れが出てきたみたいだ。
メールを出すところ、返信するところ、「VFC NEWS」のための手書き手紙の文字打ちと私用の仕事を片づけた。でも、まだまだパーティのお礼状書きなどがけっこうあってあせってしまう。
あれもしなくちゃ、これもしなくちゃと思いだけは先行しつつ、お茶を飲んだりぐずぐずしている。カップを片づけようと老眼鏡をかけたまま台所に行ったら、流しやレンジがえらく汚れているのが目についた。クレンザーで磨きだすと、あれもこれも目について、けっこう掃除してしまった。茶碗の底もついで磨いた。茶渋のついた紅茶茶碗もきれいになった。ふだんは見えないふりしてるものを、ときどきこうやってきれいにする。
今日はポランの配達日で、土つきの野菜をひろげたから床が汚れているが、これは明日か明後日拭くことにしよう。食欲は午後回復した。

2001.10.31

胃のクスリあったっけ

晩ご飯を食べた後、ぐあーんと倦怠感が襲ってきたので横になっていた。眠った気はなかったのに眠っていたらしく、いつのまにか2時間過ぎていた。起きると胃が重い。だいぶ前から8時以後は食べないことにしている。土曜日のパーティで今日は特別とばかり、量も時間も過ごしてしまったのが悪かったかな。夕方までなにごともなかったのに…。
なにごともなかったわけでないのを、いまごろ思い出した。夕方めずらしくおやつを食べたんだった。それも久しぶりのシュークリーム。遅めの晩ご飯はフランスパンを買ってきてもらったのでマカロニとスープをつくった。タマネギとマッシュルームをバターで炒めて、小麦粉とミルクでのばした濃厚なスープ。これが胃にもたれたんだよね。長いことお腹がへる以外に胃の存在を忘れていた。胃のクスリあったっけ。

2001.10.30

VFC10周年記念事業のご案内

おっと、大きく出ましたが、たいしたことじゃありません。10周年だから記念になにかするべえと考えた結果、近々「掲示板」を開設することにしました。
ホームページをはじめたときから掲示板をつくれと言われてきましたが、VFCは会費をいただいている会のサイトなので、会報があるから充分だと答えてきました。パソコンを使っていない会員がいることも理由のひとつでした。この問題はパソコン使用率90%になったいま解消されたといってもいいでしょう。それよりもなによりも、実は管理がたいへんだろうということが一番の理由でした。しかし、それ以上に楽しいことが多いんじゃないかと、考えなおしている今日この頃なのであります。
現在、毎月発行している「VIC FAN CULB NEWS」に会員からの「今月の手紙」を掲載していまして、これがメーリングリストや掲示板の代わりになっています。これはなかなかおもしろいものなので、ずっと続けていきます。その上にこれからは掲示板からおもしろい話題をいただいて会報に収録することを考えています。
開設する掲示板には会員以外の人からも書き込んでもらう、開かれた「場」にしていきたいです。はじめるまでもうちょっとお待ちくださいませ。

2001.10.29

まごころがあって、上手にものを書ける友

E・B・ホワイト 鈴木哲子訳「シャーロットのおくりもの」の最後の1行は、子ども向きの訳だからサラ・パレツキーの本の献辞の訳とちょっと違う。【ま心あるお友だちで、そのうえ、じょうずにものを書くことのできるひとなんていうのは、めったにいるものではありません。シャーロットは、ふたつともできたのでした。】となっている。
こんなことを書いたのは、昨日、ヴィク・ファン・クラブの10周年パーティがあって、集まった人たちと話しているときに、この言葉を思い出したからだ。VFCの会員は話すだけでなく、じょうずにものを書く人の集まりだからだ。まごころある人であることは言うまでもない。遠方だったり仕事だったりして来られなかった人からも暖かいメッセージをいただいた。めったにいない、ふたつともできる人たちを友に持てて、すごーく幸せ。
会の集まりにはじめて参加された人から「アットホームな会なんでびっくりした」と言われた。ほんと、ミステリのファンクラブとは到底思えない、おもしろい会である。家族づれの参加者が5組もいたしね。
25日に占いのことを書いたけど、アタリでしたよ。美しい〈花束〉を2つもいただいちゃいました。そして、10周年パーティの〈企画が具体的〉になって、和やかに一夜を過ごすことができた。また、集まった人たちから、なんだかしらないけど「きもち」という袋に入った図書券をいただいた。今日はジュンク堂へ行ってその図書券で本を買った。〈欲しいものが手に入る〉ってこのことだったみたい。プルーストを1冊、ル・カインの絵本を1冊、インターネットの本を2冊買った。占いってあたるんやなあ。

2001.10.28

雑草の運命

今日は仕事の都合で夕方からプールに行った。外が暗くなっていくときに、明るい大きなプールにいるのはまたよきものであった。ジャグジープールでの話題は、5・60代の女性たちグループの、親(8・90代)の介護の話であった。姑や自分の親の介護をしながら、自分自身は子どもに介護を頼むつもりがないから、こうして足腰を鍛えているという切実さを賑やかに笑いながら話していた。
10日ほど前、プールの帰りに住友病院の横の植え込みで、アカマンマと薄紫色の実をつけた草を見つけて、採って帰りコップにさした。2・3日部屋が秋色だった。またいただこうと、その場所に数日後行ったら、両方ともきれいに引っこ抜かれていた。雑草の命ははかない。
タンボの畦の曼珠沙華が風物詩としてテレビに写りはじめたころ、長堀通りの安全地帯の不法ゴミが捨ててある一角にあった曼珠沙華はどうなったかと見に行った。一昨年は2本の茎がすっと伸びて真っ赤な花を咲かせていた。去年は3本だった。今年はその草むらは片づけられてしまってもうない。生えていた土ごとどこかへ持っていかれたのだろう。これが雑草の運命なんだろうな。

2001.10.26

占いを信じているわけではないが…

大昔、本命やと思っていたオトコにふられたことがあった。それも「きみは一人でもやっていけるけど、彼女は僕がいないと…」と、のたまわって、その彼女と結婚しよったのである。それをわたしが言いふらしたものだから、同情してくれたオトコがいて、一晩中占い屋巡りをさせてくれた。わたしの占い体験はそれだけである。
雑誌や新聞に出ていてもほとんど見ない。「anan」を買ったときに見るのは、恋愛運以外の項目がわりとあたるような気がするからで、でもそれでもすぐ忘れてしまう。
なぜか、昨日は夕刊の占いに目がいったんですね。そしたら、「インターネット」というラッキーアイテムが目に入った。あら、これは連れ合いの星座だ。「好機到来、合理的で思い切った行動に吉が」とある。なにかイミシンだわ。
わたしの乙女座を見たら、ラッキーアイテムは「花束」そして「企画が具体的になり欲しいものが手に入る」とある。ふむ、企画が具体的になっているよな、と一人にんまりとうなずく。手に入りそうな欲しいものってあるかな。

2001.10.25

老いの繰り言

湯豆腐を食べながら、テレビで日本シリーズ第4試合を見ていたのだけれど、どうもバッファローズしゃきっとしない。2日目は楽しめたけど、あとはねえ。今日もどうなるやらと言いながら、2:1になったときにテレビを消してしまった。そして言うことは、あのときはすごかったなあ、である。あのときとは、もちろん16年前になるのかな、タイガースが優勝したときのことである。
あの年、リーグ優勝した日は、勝つものと決めていたから、赤飯を買ってきてテレビの前で食べながら見た。神宮球場でスワローズが相手で引き分けだったら優勝というところを、引き分けで優勝したんだった。すぐ梅田までとんで行った。阪神百貨店の前から大阪駅、阪急百貨店のところまですごい人だかり。そこで六甲おろしを歌い、選手一人一人の名前を入れた応援歌を歌い、見知らぬ人と握手を交わし抱き合って大騒ぎ。
だれともなく、御堂筋へ出ようと言いだして歩き出した。御堂筋の歩道は延々と続く行進となった。通る車はみな「おめでとう」と叫んでいる。旗をひるがえしていく車も多い。脇道から出てきたサラリーマンたちと、ほら、ホームランを打ったときにやる、こっちは手を上に向け、向こうは上からのタッチ、あれをやりつつ歩いた。
道頓堀まできて人がいっぱいでおそろしいほどの戎橋(通称ヒッカケ橋)の上で、また六甲おろしをやった。何回も歌ったりおどったりしているうちに、道頓堀に人が飛び込みはじめた。今年バッファローズが優勝したら飛び込むと予告している人たがいるが、これってタイガースが最初なんだよね。自慢できることでもないが(笑)。
夜も更けて、というか朝方まで騒いで歩いて帰ったのだけれど、あんなに充実した夜はあの後にはなかったような。バース、掛布、岡田、真弓、それに川藤、なぜか気に入っていた北村、長崎もいたっけ。わたしもまだ若かったんやなあ。いまや老いの繰り言や。聞いてくれはっておおきに。

2001.10.24

しあわせな猫の絵本

手持ちの猫の本を調べてみるとイギリスの絵本が多い。中でもこの2冊が大好きでときどき開く。「THE PATCHWORK CAT」の猫は、郊外の家庭の飼い猫で、毎日のんきに暮らしている。あるときお気に入りのパッチワークの布を捨てられたのに気がついて、ゴミ箱を探していたらゴミ箱からゴミトラックにつっこまれてしまう。パッチワークはしっかりとくわえたものの、ゴミといっしょにゴミ処理場に降ろされてしまい、トラックは行ってしまう。ゴミ処理場の夜はでっかいネズミがいて、猫は小さくなって隠れている。ようやく朝になり布をくわえてとぼとぼと町のほうへ歩いていくとミルク屋さんのクルマが通って気づいてくれた。家に着くとお母さんがパッチワークを洗濯してくれた。猫がパッチワークにくるまれてすやすや眠るシーンで終わり。
もう1冊はホビットの会の正置友子さんがイギリス留学のおみやげにくださったもの。「The Cat who lost his Purr」という絵本で、表紙がケッサクで鼻のアタマにハエが止まっているのを、より目で見ているまじめくさったでっかい顔の絵。この家の男の子が可愛がっている猫で、やんちゃばかりしている。乾燥機がぐるぐる回るのに見入ったり、金魚鉢に見入ったり、カタツムリが殻から出てきたのにたまげたりする顔がおかしい。家中のいろんなものを壊してお母さんと妹にアイソをつかされたら、少年の腕にだかれて目をつぶっちゃったりして…。猫の寝姿ってしあわせそのものだよね。

2001.10.23

外国の古い絵本

カフェと雑貨の店チャルカには、古い英語やフランス語の絵本がおいてあるので、あれこれ見るのが楽しい。以前買ったフランスの野菜の本はときどき出しては眺めている。その後、ニューヨークの出版社から1947年に出た「POETRY」という薄い、かなり汚れた本を買った。子ども向きの詩を集めたものだが、わたしの知っている名前だけでもケイト・グリナウエイ、R・L・スティブンソン、ウォルター・デ・ラ・メア、クリスティナ・ロセッテイがあっておどろく。子どもの本でも一流というか、良いものを与えようという気持ちに感心する。
おとといのチャルカで、「これッ!」と心に叫んでつかんだのは「The Old Woman and her Pig」。ちょうどブタが主役の「シャーロットのおくりもの」を何回目かに読んだ後だったので、特に気分がよかった。1973年出版のイギリスの絵本である。老婦人が掃除していて6ペニー硬貨を拾って、そのお金で市場へ行き子ブタを買う。牧場へ連れて行き柵を越えてごらんとブタに言う。知らん顔のブタにあれこれ言ったり犬を連れてきたり…。それに牛、猫、ネズミも出てきてドタバタと大騒ぎ。最後は夕方になって子ブタを連れて老婦人は家に帰る。
子ども向きの本の英語がちょうどわたしにはあっている。絵がストーリーを補ってくれるしね。

2001.10.22

図書館のビデオ「クラッシュ」

1996年のアメリカ/ジャマイカ合作映画で、監督・原案・脚本・撮影がビル・パーカーというはじめて知った人である。スティビー・ワンダー等のミュージック・クリップを作っている人だそうだ。ストーリーなんかはつまらんアクション映画でしかないところを、音楽が補って迫力を出していた。わたしのレゲエの知識ときたら何十年も前のボブ・マーリーと、もう1本パルコの屋上で見た映画しかないので、5年も前につくられた新しいとは言えないこの映画のレゲエですら新鮮だった。
ミュージック・イベント「クラッシュ」の取材にカメラマンのストーニーがジャマイカにやってくる。ニューヨークで彼の恋人だったブロッサムが酒場にいた。彼女はギャングのボスの愛人になっていて相変わらずセクシーだ。2人はよりを戻す。ギャングがイベントの売上金の強奪計画を企てているのを知ったブロッサムは、横取りして2人で逃げようと誘う。彼女のとりこになったストーニーはずるずるとひっぱられていく。小柄な女性の刑事が小気味よく事件を調べていくところが気持ちよい。
事件はイベントと並行して進んでいくので、舞台上のレゲエがたっぷり聴ける。ボブ・マーリーの娘のゼブラ・マーリー出演とのことだが、どの人かわからなかった。

2001.10.21

プールばかりじゃつまんない

毎日のようにプールへ行く生活ができることはありがたいことだが、そっちばっかりの毎日は退屈になる。そんなわけで、昨日は夕方から心斎橋へ買い物に行った。いま着るものが不足しているので、エディ・バウアーでセーターを1枚買い、アメリカ村を通って無印良品へ行き、さんざん商品を見たあげくパジャマを1枚買っただけだけど。
久しぶりのアメ村はビッグステップの通りが新しい店になっているところが多く、ぶらぶらと見るだけの目の正月をした。つい昔なら堀江をあちこち通って歩いて帰っていたけど、足が悪いんでしかたない、地下鉄に乗って帰った。
今日はVFC10周年パーティが近づいているので、その相談ということで、実行委員会と称しているOさんとチャルカで会った。Oさんがスコーンを食べたことがないというので(ばらしてごめん)、ここの手作りスコーンを味わってもらおうということで。実際的な相談ももちろんしたのだけれど、食べたりおしゃべりを楽しんだりするのが、こういうボランティア仕事をする役得とでもいおうか。その後にパーティ会場のお店に行って打ちあわせ、あとは当日を待つだけになった。

2001.10.20

E・B・ホワイト「シャーロットのおくりもの」

サラ・パレツキー「バースデイ・ブルー」の献辞は、【ドロシー】にあてられていて、【「真の友達であり、すぐれた作家でもある人物にめぐりあえるのは、そうしばしばあることではない」─E・B・ホワイト─「シャーロットのおくりもの」】となっている。ドロシーについては木村二郎さんに教えていただいた。【サラの友人であり、作家であると推測できる。たぶんドロシー・ソルスベリー・デイヴィスのことだろう】と書かれている。(会報『VI』16号)
「バースデイ・ブルー」を読んだ後に、昔からの愛読書である「シャーロットのおくりもの」(法政大学出版局)を開いて、この1行がどこかあるか探しながら読んだんだけど、なかなか出てこず、最後までいってしまった。結局、最後の1行なのであった。
E・B・ホワイト(1899〜1985)はアメリカでどのような位置にあるのか知らないけれど、「ユーガット・メール」で小さな本屋さんが店じまいするときのセールで「白鳥のトランペット」を買っていこうという声が聞こえたくらいだから、広く愛されている作家なのでしょうね。
ブタが食べられるのをまぬがれる映画は「ベーブ」だったかしら。あれは楽しい映画だよねえ。アメリカではほんとにブタが身近な存在なのだと思う。この本では人間に食べられる存在であることを知ったブタのウィルパーが、クモのシャーロットに助けてもらう話である。シャーロットが考えたのはウィルパーを特別なブタにして、殺されるのを防ごうとしたもので、クモの巣に言葉を織り込む。クモの巣に織られた「すごいぶた」という文字が人間の目に触れる。それからいろいろとたいへんなことになって、ウィルパーはすごいブタとして知られるようになる。ウィルパーにとってシャーロットは、普通めったにいない、真の友達であり、すぐれた作家という存在だったわけだ。

2001.10.19

朝のタマゴ料理

お弁当作りから解放されたら、朝食は手軽にトーストになってしまった。でも、わが家の朝食は3食の中でいちばんボリュームがある。全粒粉パンのトースト(ときどきクルミのパン)、ミルク、お茶、果物、イチゴジャムかメープルシロップが定番だが、その他の1品が腕の見せどころ。たいていタマゴ+ハムかベーコンかソーセージに野菜たっぷりつき。または昨夜から作ってあるカレーとかシチューを温める。毎朝違うものを食べるところが贅沢だと自分では思っている(笑)。
今朝は野菜の宅配に入っていたパセリを使った、パセリとマヨネーズ入りスクランブルエッグを作った。溶いたタマゴにマヨネーズ少々とパセリを細かく刻んだものを熱したフライパンに入れてかきまわす。堀井和子の朝食の本に出ていたもの。ハムとタマネギを炒めたのを中味にしてオムレツにしてもおいしい。黄色いタマゴに緑のパセリの彩りがさわやかだ。
パセリまたはアサツキ入りオムレツは森茉莉も贅沢貧乏だったかに書いていた。簡単で安くて、おしゃれな料理だよね。今朝の野菜分はカボチャスープで摂った。

2001.10.18

蓮根をおいしく食べる

数年前までレンコンっておいしいものと思ったことがなかった。お正月のお煮しめか、天ぷらかだよね、普通。ちらし寿司に入っているのはおいしいけど、酢レンコンというのはどうも苦手。
丸元淑生さんの料理の本を読みだしてから10年以上かもっと経つが、日常つくるのは気に入った料理や作りやすい料理に決まってしまい、レンコンの料理はしたことがなかった。それが目の前にいただきもののレンコンがあって、どうしようかと丸元料理の本を開いたときに目が覚めた。切ったレンコンをだし汁に入れる。煮立ってから数分で火を止める。さくさくと歯ごたえのあるさっぱりとおいしいレンコンである。
もう一つ、海老をオリーブオイルで炒めて取り出しておく。その後にレンコンとピーマンを薄切りして炒める。野菜を炒めたら海老をもどして、いっしょに炒めてできあがり。味はうすい塩味にする。
最近は海老抜きでレンコンだけ炒めて食べる。これがえらくおいしい。みそ汁とサバの煮付けにホウレン草のおひたし、それにレンコン炒め、というメニューが気に入っている。

2001.10.17

古き良き時代の旅

ずいぶん昔のことだけど、わたしは電柱に貼ってあるコーラス団の募集ポスターを見て、歌なんぞどうでもええけど、遊び友だちができるかなあと思って入ってみた。すぐに仲良くなったSさんは歌うのが好きでしんそこ世話好きな人だった。
ハイキング、サイクリング、キャンプなどみんなでいろいろ遊んだなあ。しかしSさんとはもっといろいろと遊んだ。お好み焼きの食べ歩き、洋酒喫茶めぐり、映画、小旅行…。おもろい子やなあと言って、Sさんの会社の上司が中華料理や牡蠣船に連れて行ってくれたこともあった。
わたしが落ち込んでいたある日、彼女が親戚に行くからついておいでと言うのでついて行ったことがある。
東京まで寝台車で行くと知りあいの女性が待っていた。Sさんの母方のおじいさんが相撲の行司をしていたとかで、その女性は現役の呼び出しの娘さんだという。その人の案内で上野、浅草と東京見物した。夕方東北線だと思うけど郡山へ行った。そこにはSさんのおじさんがいて泊めてもらい、翌日温泉旅館でご馳走してもらった。郡山で大阪まで切符を買った。「同じ線に乗らんと帰ろ」と彼女が言う。大阪〜東京はしゃあないけど、行きは夜行やったから帰りは昼の新幹線にしよう。ということで水郡線で水戸へ出た。水戸では駅前のカメラ屋でフィルムを入れてもらった。Sさんの弟から借りたニコンのフィルムの入れ方がわかなくてね。カメラ屋ははじめてニコンを触ったそうでナンギしてたっけ。
水戸からなにに乗ったか覚えていないが、彼女のおばさんのいる安房鴨川へ着いた。だんなさんが漁師をしていて、なんだか釣りたての魚を食べさせてもらった。翌日お寺のある山に登った。やぶつばきがいっぱい咲いていたから早春だったのかな。山蕗の佃煮がおいしかった。うらうらとした日で房州の海は暖かかったわ。そして東京にもどった。だから房州半島を一巡りしたことになる。
Sさんはそれからすぐ結婚したが、世話好きは相変わらずで、遊びに行くと豪華なちらし寿司をつくってお土産にもたせてくれた。だんなさんの転勤で関西を離れてしまい、こちらも波瀾万丈とはいかないまでも青春彷徨してしまったので、連絡が途絶えてしまった。

2001.10.16

甲州葡萄

葡萄って食べるのがめんどくさくてめったに買わないんだけど、甲州葡萄だけは毎年ポランの宅配のカタログに出たら一度だけ買って食べる。淡い紫色がたまらなく好き。母親の出身が山梨県ということもあるかもしれない。昔は大阪まではこなかったものが、運送の発達でこうして手に入るんだからありがたい。
猫を飼う前はよく旅行した。だから20年以上前のことだけど、東京で友だちと会った帰りに、新宿から日本海に出て帰ろうと思った。鈍行列車で甲府を通ったので、汽車を1台遅らせたらいいさと降りて甲府の町をぶらぶらした。八百屋で甲州葡萄を買って次の汽車で食べたときのおいしかったこと! 忘れられない。
予約なしの旅行だったので、適当に冨士見だったかで降りて温泉宿で泊まった。翌朝は早起きして高原の秋をいっぱい味わったっけ。それから信州大町へ出て大糸線に乗り糸魚川についたが、泊まるところが見つからず、結局ちょっとさきの日本海に面した泊という町の駅前旅館に泊まった。丁度秋祭りで、提灯がついていても暗い通りを歩いて見にいったことを覚えている。まだ残っていた葡萄を旅館で食べたっけ。旅館は部屋といいお風呂といい、ほんまに東映やくざ映画の雰囲気やったよ。
翌日は富山で降りて喫茶店に入りコーヒーを飲んだ。富山はだだっぴろい町という印象だった。有名な鮭だったか、鱒だったかのお弁当を食べながら帰った。いい旅だったなあ。

2001.10.15

ともだちのともだち

昨日の夜東京でバーをやってる友人と電話で話しこんだ。20年前に知り合ったときは21歳だった彼女だが、何年か後に東京へ行き、バンドをやったりしていたが、どこにそんな商才があったか、しっかりとバーを経営している。わたしは東京へは長く行ってないので、そのお店に行ったことがないのだが、向こうがときどき関西に帰ってきたときに会うので、いつもそのへんにいる感じである。
昨夜もなんだかだと共通の知りあいの話題や近況報告で盛り上がったが、「そうそう、くみさん、こんなことがあってんよ、世間はせまいわ」と話しだしたのは、彼女と女友だちとが共通の男友だちと飲み会をしたとき、その男性Yさんがどういうきっかけからか「ぼくミステリーが好きでね。サラ・パレツキーなんか全部読んでるよ。インターネットで検索したら、ファン・クラブがあってね、入ろうと思ったけど、女性ばかりのようで諦めた」と言ったそうだ。長い間の知りあいなのにミステリーが好きというのは知らなかったし、それがサラ・パレツキーファンで、しかもファン・クラブとは! ということで女2人絶句して顔を見合わせたとか。そのYさんだってびっくりだわね。バーの女主人の友だちがヴィクのファン・クラブやってるなんて。
もちろん、男性会員だっているから気にしないで入会してちょうだいって伝えてもらうように頼んだ。検索したのはだいぶと前のことらしいから、その気がなくなってるかもしれないけど、とのことではあったが、またその気になって入会してほしいなあ。

2001.10.14

秋のプール

今日はものすごくいい天気で、少し冷たい風が心地よい秋の一日となった。10分遅れで来たバスに乗ってプールに行った。停留所で早くからいらいらして待っていた2人のセールスマン風が、業を煮やして地下鉄に乗ろうと歩いていった。その後すぐバスが来て2人を追い越した。もうちょっとが待てなかったんだよね。
10月に入ったとたんにプールに来る人が減ったように思える。今日も空いていて気持ちがよかった。10時、11時、12時・・・きっかりの時間になると、水温検査だか水質検査だかするので、全員上がってくださいとアナウンスがある。それでみんなそれぞれジャグジープールに入ったり採暖室(40℃〜42℃)に入ったり、ベンチに座ったりして待つ。5分するとラジオ体操がある。最初はダサーと思っていたが、やってみるとなかなか気分がよいので、さっさと加わることにしている。それが済むとオーケーなので、一番先に水に入る。わたしってこういうことにはすばしこいの(笑)。
水が全然動いてないプールは底が波打って見える。自分の動きで水が動くのが気持ちいい。今日は45分歩いて、10分ジャグジー、5分体操、5分採暖室という自分なりの時間を楽しんだ。
先週は4日行ったし、今週もそのつもりだ。毎日日課にして運動するということの意味が少しわかってきたような気がする。

2001.10.12

ゲイル・E・ヘイリー「郵便局員ねこ」

イギリス中の郵便局では猫が局員として採用されているそうである。ほんまかいな? 1953年の国会で“猫への支給額は時の物価に即応して考慮すべきか。めすねこはおすねこと同等の取り扱いを受け、妊娠手当が支給されるか”という質問が出され、当時の郵便局次長は、これらすべてを保証すると答えたそうである。ほんまみたいやね。「郵便局員ねこ」(ほるぷ出版 1140円)はそのわけが書いてある楽しい絵本である。
ビクトリア時代のイギリスで、酪農場で産まれた冒険心旺盛な猫のクレアは、ミルク運搬車にもぐりこんで町へ出て行く。途中の公園で馬車を降り、公園の子どもたちに食べ物をもらって夏中遊び暮らすが、秋になると公園にはだれもいなくなってしまう。あちこちしながらロンドンに着いたクレアは、それぞれの商店にはもう猫がいて、建物の中のねずみさえ追い払えば呑気に暮らしていけることを知る。しかし、クレアには居場所がない。凍り付きそうな夜、野良猫におびやかされて、屋根の上の煙突の側で仮眠をとったけど、雪が降ってきた。食べ物の匂いにひかれて行ってみると貧民街の裏通りで、道路で火を焚き鍋をのせてなにやらぐつぐつ炊いている。そこでクレアもごはんをもらい、一人の少女が抱きしめていっしょに寝てくれる。翌朝貧しい人たちはどこかへ散っていった。クレアがとぼとぼ歩いていくとがやがやと声が聞こえた。郵便局で郵便がネズミにかじられてどうしようもないという騒ぎだ。局長が「いま必要なのはねこ、ねこであります」と叫ぶと、クレアは躍り出てネズミを捕らえ局長を見上げた。その午後から局長は上役に“郵便局員ねこ”に給料を払うと、とどけを出した。
クレアの首輪には“H.M.P.O.C.(女王陛下直属郵便局員ねこ)”と彫ったメダルがぶらさげられたそうである。クレアはイギリスの郵便局員ねこのさきがけとなった。
わたしはこの絵本の絵がすごく好き。貧しい人々を描いたページはディケンズの小説の挿絵のようだ。いたずら子猫のクレアがだんだん世間のきびしさを知っていくけど、くじけないで自分の居場所を自分で探し出したところもすごく好きだ。

2001.10.11

フレデリック・ヴィトウー「セリーヌ─猫のベベールとの旅─」

ジュリアン・グラックの本を読んだころにセリーヌも読んだのだった。どこだったか忘れたけれど京都のジャズ喫茶に入ったとき、表紙を人に見えるように持って「夜の果ての旅」を読んでいる少女がいた。そのときまだ読んでいなかったわたしは、嫉妬にかられちまって、いまだにその子の顔を覚えている、というのはウソだが、いやいや、その情景が昨日のことのように目に浮かぶ。
いま「夜の果ての旅」を再読するのはしんどい。で、猫本コレクションの中で異彩を放っている「セリーヌ─猫のベベールとの旅─」を開いた。セリーヌと旅した猫の話。1944年、ファシストのレッテルを貼られたセリーヌは、妻と猫のベベールを伴ってフランスを去り亡命の旅に出る。バーデン・バーデン、ジーグマリンゲン…、どこへ行っても空腹に苦しまされる。デンマークへの長旅の前夜、セリーヌは食料品店の主人にベベールをゆずってしまう。ベベールはおいていかれるのを知ってウィンドーのガラスを体当たりで割って、ガラスの破片を体にくっつけたまま町を走って、セリーヌ夫妻のいるホテルに戻ってくる。それからは戦火をくぐり抜け、列車の中で飲まず食わずでカバンの中で我慢して旅を続ける。やっとたどりついたデンマークでセリーヌは牢獄生活を送ることになる。
1951年セリーヌは特赦で帰国し、ムードンに住むが、対独協力者の汚名の中に暮らすことになる。いっしょに帰ってきたベベールは乳がんで苦しみ息を引き取る。その死について書かれている言葉はベベールという類い希な猫のことであるけれど、すべての猫についてでもあると思う。(1983年 創林社発行)

2001.10.10

「届けっ」メール、出してね

このページの右上にある赤い文字の「MAIL」をクリックすると、「届けっ」メールにいきます。最近利用してくださるかたが増えてきたのがうれしいです。
メールの調子が悪いからとここに書いてくれたり、メールソフトを立ち上げるのが面倒だからここで書いたという知りあいもいます。会社で見てその日の内容に一言コメントをくださるかたもおられます。ありがたいです。
中でもうれしいのは、知らないかたが、検索などによってこのページを訪ねてきて、感想を書いてくださることです。
先日は「スターリング・ローズ」の売っているところを探して、このページの「マンハッタン花物語」を見つけられた人がいました。薔薇の話、映画の話など、2・3度メールを交わした後、本も買われました。今日は美術の勉強のために「寒山拾得」を探していて、わたしの雑文にぶつかった人がいました。もちろん勉強にはならなかったらしいけど、【今日はちょっといい話に出会えた感じでうれしいです。】と書いてくださいました。ヤッホー
いちばん多いのはドロシー・L・セイヤーズを探してここにぶつかった人です。この場合はわたしの少しばかりの知識がお役に立ててうれしかったです。
それから、それから、超うれしいのはサラ・パレツキーを探してここにきて、ヴィク・ファン・クラブがあることを知り、入会してくださった人が何人かいらっしゃることです。
「届けっ」メールをくださったかたには確実に返信いたします。「届けっ」メール、出してね。

2001.10.9

ジュリアン・グラック 青柳瑞穂訳「アルゴオルの城」

最近ちょっと寝付きが悪い。眠ってしまえば朝までなにも知らずにぐっすりと眠ってしまうのだが、寝付きが悪くて輾転反側とまではいかないがごろんごろんしている。これは夜更かしのせいで、もう少し早くベッドに入れば解決するのはわかっているのだが、悪いことはやめられないのが困ったものだ。眠れぬままに横になっていれば、いつか眠ってしまうのが普通だが、ときどきはしっかりと目が覚めているので、起きて本を読むことになる。
前置きが長くなったが、本棚から青柳瑞穂訳のジュリアン・グラック「アルゴオルの城」(現代出版社より1970年発行)を取り出した。はじめて読んだのは1970年である。訳者解説によると、フランスで発行されたのはサルトルの「嘔吐」と同じ年(1937年)で、1955年に日本に紹介されたがあまり反響がなかった。ただ佐藤春夫が愛好して、訳者の顔を見ると「きみ、城はよかたったね」とつぶやかれたと書いてある。この本はその1955年版の再版である。わたしはサルトルとボーヴォワールのファンだったので「嘔吐」は早くに読んでいたが、ジュリアン・グラックはまったく知らなかった。60年代後半から70年代になってジャズ喫茶の友人たちと出会い、また東京で映画評論やデザイン関係の仕事をしている友人との出会いがあって、開けてきたのがグラックやデュラス、マンディアルグ、ソレリスたちの世界だった。
その中で好きになった作品のひとつが「アルゴオルの城」である。後で精密な訳の本が出版されたけど、青柳瑞穂の訳になれた心にはなじまず読み通せなかった。
主人公アルベールは哲学を学ぶ金持ちの美青年で、プルターニュにある人里離れたアルゴオルの城を周りの森とともに買う。ヘーゲルの書を携えて城にやってきた彼は、城と自然の魅力に浸って学問に励む。そこへ友人のエルミニアンがハイデという美しい女性を連れてやってくる。三人が城ですごす毎日。海へ出てどこまでも泳いで、死ぬ瀬戸際まで行ってもどってくる。ある日エルミニアンとハイデが森の方に出かけた。森には水のわき出ている泉がある。アルベールが行ってみるとハイデが泉に倒れていた。
美青年二人と美女の組み合わせで、舞台が神秘の城。陰鬱で、官能的、神話的、中世的な感じがするところが好きでたまらない。秋の眠れない夜にぴったりだ。
グラックの本はまだ4冊持っている。「森のバルコニー」「陰鬱な美青年」「半島」「大いなる自由」。ゆっくり読んでいこう。

2001.10.8

テレビの映画「燃える平原児」

エルビス・プレスリーの西部劇スタイルはアンディ・ウォーホルの作品でおなじみだが、この映画からだったのがわかった。ドン・シーゲル監督とプレスリーで西部劇というのが、どんなのかと思った。最初、兄とプレスリー(弟)が家に帰ってきて、誕生祝いのパーティになるのだけれど、ミュージカルみたいに甘いので、やっぱりと思って用事をしだした。まあテレビつけといたらプレスリーがまた歌うやろって気持ちだった。
ところが、誕生日の食事中に「このケーキうまいな。白人がつくったのと変わらないね」と来客がほめたのでぎくりとした。いまも変わらぬ差別発言じゃん。その一家は昔、父が兄を連れて移住してきて、散弾銃と引き替えに原住民の娘をもらい、その間にできた子がプレスリーなのだ。一家の愛情は強いが、その辺りの土地を白人に盗られた原住民の怒りは深い。誕生祝いの客がごきげんで家に帰ったときに待ち伏せしていて、皆殺しにし家を焼いてしまう。
プレスリーは混血児として町の人たちから差別されて育ってきた。いま白人が殺されているとき、どちらにつくか迷うが、結局、白人に母が殺されたため決意して家を去っていく。それから父が殺され、兄も襲撃されて、闘う相手は原住民になっていく。最後に重症の兄を町に行かせて、翌日「俺はもう死んでいる、ただ兄さんが無事でいるかたしかめたかっただけだ」と言って死ぬために山に入っていく。
さすがドン・シーゲル監督、普通の西部劇ではない。原住民の言い分をしっかりと伝えている。しかし、結局原住民を悪者にしてしまった。ただ、血で血を洗う報復劇の愚かさを充分伝えていた。今夜この映画を放映しようと選んだ人は、先日のテロ事件を意識しているなと思った。

2001.10.6

山本やよいさん訳 マイケル・フレイン「墜落のある風景」

山本やよいさんから「墜落のある風景」(創元推理文庫 1100円+税)を送っていただいた。テロ事件が起きて間もなくのときだったので、題名を見てぎくりとした。「・・・のある風景」という言葉はブリューゲルの画に多くついているタイトルなのにね。ずっしりとページ数の多い本で、読むのに時間がかかった。小説を読んでいるというより、ピーテル・ブリューゲル(父)についての主人公の考察を読むというほうが当たっている。
作者はイギリス人で、新聞記者からコラムニストとなり、この本の前に8冊の著書があり、哲学書も1冊書いており、脚本も書いていて、チェーホフの翻訳もしている、と解説に書いてある。日本では「墜落のある風景」がはじめてである。
物語はロンドンに住む学者の夫婦が赤ん坊を連れて、本当の田舎に住みたいと買った田舎の家に行くところからはじまる。田舎に行くと隣家の住人が待っていて食事に誘う。野卑な主人トニーと若く美しい妻ローラがいて、画を見てくれと頼む。いやいや見たマーティンだが、これと指されたジョルダーノを見て断ろうとしたのに、無造作に置かれたブリューゲルと思われる画にびっくりしてしまう。さいわいトニーはこの画を問題にしていない。そこでマーティンはなんと詐欺を企むのだ。それから学者の甘い計算があり、妻のケイトとのぎくしゃくしたやりとりがあり、ローラからはせまられ、と行動はちょっぴりいい加減に喜劇的に続いていく。
しかし、作者が書きたかったのはブリューゲルの生きた時代のことだろう。当時のネーデルランドの政治と宗教について細かく書かれている。わたしは10年前に京都の美術館であったプラハ国立美術館「ブリューゲルとネーデルランド風景画」のカタログを引っ張り出して、確かめながら読んだ。
ブリューゲルの画をいいなと思ったのはずっと以前で、最近はご無沙汰していたから、画集もどこかにやってしまいカタログしか残っていない。でもこれ買っておいてよかったわ。最後にブリューゲルの画はどうなったかって? 読んだらわかるよ。

2001.10.5

片想いに終わった光ファイバー

「光ファイバーがやってくる」というタイトルで9月13日に書いたのだが、もはや、この話は終わった夢となった。あの日、NTTの若い営業マンと話して、ほとんど決まりと思っていたんだけどね。
昨日、担当者が来週下見に来るという電話があった。下見がすめば工事をして、1カ月くらいで使えるようになるという。その下見によって引けるかどうか決めるというが、かなりたいへんそうな話である。集合住宅の場合、管理人や住宅組合の許可がいるそうだ。この部屋に光ファイバーを引くということは部屋に引っ張ってくる前に、道路の下を通っている光ファイバーを、建物の中に引っ張って来なければならないのだ。
このアパートで他にする人がいればともかく、わが家だけでは管理人のOKは多分得られないだろうということで、下見に来てもらう前にこの話はキャンセルすることにした。担当者に電話したら、近所のビルでの工事の立ち会い中であった。そこは自社ビルだけど、たいへんな工事であるらしい。こちらからのキャンセルは下見に来る前でかえってよかったみたいだ。ブロードバンドはまだまだ先の話になってしまった。

2001.10.4

「ER」のおもしろさ

親切な友人がビデオに録って送ってくださったおかげで「ER」を全部見ることができた。毎週の放送を待って見るのと違って、時間さえあればどんどん見てしまう。怒涛のようにというくらいに毎日はまってしまった。全部で8話くらいあったかな。
今回も心配をいっぱい持ったまま次のシーズンを待たなければならない。キャロルはシアトルにダグに会いに行ったままもどってこないのだろうか? カーターくんはアトランタの施設にベントン先生に付き添われて行ったが大丈夫だろうか? ルカは立ち直れるだろうか? グリーン先生とコーディ先生はどうなるのだろうか? 気になることがいっぱいである。次はがどうなるか知りたい。きっと第7話のはじまりはカーターくんが立ち直って初出勤の日からはじまるに違いない。「ER」はもう第6話までいったのに、ファンはまだまだ続く物語を期待している。
考えればテレビドラマって長い物語にふさわしい形式だよね。いつもいつも次の展開を待ちわびる。そしてたくさんあるテレビドラマの中でも「ER」ほどその物語が優れているものはないと思う。いろんな登場人物が出入りするけど、カーター、ベントン、グリーンの3本柱があって「ER」という舞台がまわっていく。
かつて新聞小説の読者は次の展開を待ちわびていた。そして主人公が次にどういう運命のいたずらに振り回されるかを知ろうとした。それからラジオドラマというものもあった。いまはテレビドラマに受け継がれている。かつてイギリスの読者がディケンズの物語が読みたくて、週間読み物を運んでくる郵便馬車を首を長くして待っていたたように、「ER」ファンは「ER」第7話を首を長くして待っている。

2001.10.3

午後のプール

いつもは午前中に行くプールに、今日は仕事の都合で午後行くことになった。民間のプールに行っていたときは、午後は子どもたちのスイミングスクールになっていたので、午前中しか行けなかったが、市民プールは一日中行ける。午後の明るい日差しの中を堂島大橋を渡り、ゆっくりと木犀の香りを楽しみながら歩いていった。
プールのガラス壁の向こう側も明るくて、屋外プールの向こうにロイヤルホテルが見える。来ている人たちをおおざっぱに分けると、午前中はお姑さん世代、午後はお嫁さん世代のようだ。勝手に耳に入ってくるおしゃべりに耳を傾けつつ歩いた。午前中は話しかけられることが多いが、午後はそれぞれ話相手やグループが決まっているようだ。だれも話しかけないし、一人で黙々と歩いたり泳いだりしている人も多い。
全体に太っている人が話好きで、医者や家族に言われて来ているという感じで、よくサボってしゃべっている。痩せている人や申し分のないスタイルの人は一人で熱心に歩き、泳ぎ、ストレッチに励んでいる。現状維持もたいへんなんや。
先日友人からの電話で「すぎやさんの日記を読んでいると、生活が苦しいとは思われへん、優雅に暮らしてる感じや」と言われた。そんなことはあれへんのやけどね。でも、こんなにどこにも行かず、お金を使わずに暮らしているのに優雅と思われてるなら、生活の達人と称してもええかもね。ぶぶぶぶぶ(若狭だよりの吉岡さんの真似)。

2001.10.2

ななかまどの思い出

雨上がりの歩道にギンナンがたくさん落ちている。小さい実しかならない木のはだれも拾う人がいなくて、踏まれた実が歩道を汚している。まだ緑色だが疲れた葉の様子が夏が終わったことを告げている。
わたしは花の咲く木も好きだが、実のなる木が好きだ。珊瑚樹の実もカラタチの実もクチナシの実もいいよね。もちろん椿の実、薔薇の実も好き。公園で見つけてひとつふたつ失敬して部屋にころがしていたりする。草のたぐいになるけど、サルトリイバラやヘクソカズラの実がついた枝も好き。ナンテンやセンリョウやマンリョウはちょっと困るけど。
中でも好きなのがナナカマドの実だ。ときどき兄の家に行く途中の庭で見かけたりするが、そんなのどうでもよい。たった一度、北八ヶ岳で見たナナカマドが恋しい。山登りの途中、目の前にこれから登るべき山が見える、こんもりした岡のような場所に1本だけ立っていた。木全体が真っ赤な実で夕日を受けて燃えるようだった。この木を一生覚えているに違いないとそのとき思った。何十年も前の話。

2001.10.1

写真:「ジャスミン」の花

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