KUMIKO PAGES/TOP PAGE
KUMIKO/BACKNUMBER

kumikoのほとんど毎日ページ

2001年9月


しゃべって笑ってしあわせ

堀江にあるパン屋さん「くるみ」の天然酵母パンは独特の味わいがあっておいしい。いつもちょっと多めに買って冷凍しておくようにしている。お店に行きだしてから1年以上経つけれど、初対面で仲良くなった間柄だ。どうでもいいことをしゃべりながらパンを買うのが楽しいのだ。昨日はお昼のピタパンサンドとスコーンとブリオッシュなどを買った。ほんとにここのパンは“粉”の味がする。
親子でやってはる店なんだけど、娘さんのほうはすっかりメール友だちになってしまった。「ほとんど毎日ページ」もしっかり読んでもらっている。今日は19日に書いた蚊取り線香の話になった。くるみさんも同じ「菊月香」を使っているそうだ。「菊月香」の匂いや効能の話をしていたのだが、その後はどんなに蚊に噛まれるのがハラが立つかになった。夜中にプーンという音で目をさますと、もう噛まれていて、それから犯人の蚊を捕まえるまでがんばったとか…。血をいっぱい吸った蚊を叩きつぶしたときの快感とか…。同じようなことをしているねえと、3人で大笑いしてしまったのだが、笑い終わってから、生きていて、こうしてしゃべって笑えて幸せやねえとしみじみしてしまった。

2001.9.30

広辻万紀さん

ミステリー評論家でヴィク・ファン・クラブの会員だった広辻万紀さんが27日亡くなられた。昨日の朝その知らせをメールで受けたのだけれど、今日もまだ信じられなくて、いただいたメールを何度も読み返している。でも本当のことで、今日はお通夜で明日はお葬式なのだ。
広辻さんと知り合ったのは5年ほど前、マルタの鷹協会関西支部の集まりでだった。東京に住んでいらっしゃるが関西出身なので、こちらのミステリーファンとも交流があり、その会の新参者だったわたしははじめてお目にかかったのだった。その後、ヴィク・ファン・クラブに入会され、会報「VI」にミステリ作家論を続けて書いてくださっていた。
3年前にホームページをはじめたときには、お盆休みで実家へ帰っておられたので、お会いして相談したのが楽しかった。なかなか話が終わらなくて阪急の乗り場までお送りしたのだが、改札口で別れたときの笑顔がいまも思い出される。
そのときの相談でできあがったのが、当ホームページ、「SARA PARETSKY SITE 」にある「パレツキーズ・アイ」とその英訳、「サラ・パレツキー著作リスト」である。こちらもホームページ作りははじめてのことだし、二人とも凝り性を発揮したのでたいへんだった。電話やファックス、メールでのやりとりを重ねてできあがったページで、いま読んでも素敵なページに仕上がっていると思う。
その後は、会報に書いてもらったディック・フランシスやマーガレット・ミラーについての原稿をミステリーページにアップする話をしていたが、加筆訂正してからということでまだ原稿をいただいていなかった。体調を崩されていてなかなか手をつけられないと言われてからだいぶたっている。もうアップできないと思うと残念でしかたがない。
ヴィクと同年輩だから特に親しみを感じる、と言われていた広辻さんが書いた「パレツキーズ・アイ」がわたしは大好きだ。

2001.9.29

散歩しましょう

散歩が快適な季節になった。といっても現在のわたしには散歩しようと家を出る元気がない。もっぱら用事で出かけたときに少し回り道してみるだけである。今日は四つ橋方面の銀行と郵便局に行ったついでにじぐざく歩きをしてきた。ある家の前のフラワーポットにはツユクサがいっぱい咲いていた。ある家の前にはアカマンマがいっぱい咲いていた。風流な人がいるもんだ。それからコスモス、センニチソウ、サルビアなどきれいだった。公園のサルスベリとムクゲは最後の花を咲かせていた。
この秋の楽しみは心斎橋にロフトが来ること。わたしはロフトが好きだけど、茶屋町は遠い。以前は得意先がロフトのすぐ側にあったので、用事で行った帰りは必ず寄っていた。もう3年くらい行ってないなあ。東急ハンズとちょっと違うのよね。新聞記事によると東京方面ではハンズとロフトが近くにあって両方とも競争して発展しているそうだ。心斎橋もそうなるかな。アクタスに寄ってからハンズに行くというコースはたまにあったけど、これからはロフトに寄ってからハンズやね。11月2日開店、場所はいまのパルコの1階から5階までだそうです。あらま、4階にあるお気に入りの雑貨店はどうするんだろう。

2001.9.27

おいしいカボチャスープ

カボチャのおいしい季節になった。普通に炊いても、みそ汁に入れても、バター炒めにしてもおいしいけれど、朝食にさっと作るカボチャスープもなかなかのもんよ。
カボチャをどんどん薄く切っていく、そう5ミリくらいでいい。鍋に入れて水をひたひたより少ない目に入れる。塩をふって火に掛ける。どんどん炊いてカボチャが柔らかくなったら、火を止めてカボチャをつぶす。つぶす道具があると便利だ。ぐちゅっと押さえるとぶちゅっとカボチャがつぶれるのがあるから雑貨店で探してみてね。その上にミルクをたくさん注いでわき上がるとできあがり。簡単この上なし。しかもうまい。
これは丸元淑生さんの料理の本にあったんだけど、炊いたカボチャをブレンダーでつぶすとか書いてあったように思う。そしたらつぶつぶのないきれいなスープになる。でも家でさっさと食べるぶんには、少々のぶつぶつもオーケーという気持ちやね。油を使わないからあっさりしてるよ。これから出てくる北海道のどっしりと重いカボチャでやってみてください。残ったら冷蔵庫で保存しておくと温めてすぐ食べられるからね。

2001.9.26

図書館のビデオ「秘密の花園」

フランシス・コッポラ製作総指揮、監督アグニエシュカ・ホランドで1993年に制作された映画。大・大・大好きなバーネット原作の物語の映画化である。映画館で見てテレビで見て、今日は久しぶりにビデオで見たわけだが、何度見ても楽しい。イギリスの田舎のでっかい屋敷が出てくるだけで満足してしまう。そのときイギリスにいたとしても自分の位置は召使いか農民なのにねえ(笑)。
インドで育ったが両親が死んでしまい、イギリスのおじさんのもとに引き取られたメアリー・レノックスは、ヨークシャーの大きな屋敷で孤独に暮らしている。ある日死んだおばさんが造っていた花園を見つけて、秘密の花園として庭を育てていく。手伝うディコンは動物と話ができる優しい少年。従兄弟のコリンは病弱で寝たきりだったが、ある日泣き声を聞いてメアリーは部屋を探す。コリンの父親は妻が死んだときに産まれたコリンを疎んじていた。メアリーはコリンを秘密の花園へ連れて行き、ディコンとともに元気にする。そして最後外国から帰ってきた父との再会。めでたしめでたし。
3人の子どもたちが可愛くて演技がうまいから引き込まれてしまう。メアリーは泣きも笑いもしない少女だったが、自然の中でだんだん表情が豊かになる。コリンが写真を撮るとき、ブランコでメアリーとディコンを見つめ合うように指示するんだけど、本気で見つめ合う2人を見ていらついてしまうところが好き。メアリーの服装がとてもおしゃれで、中原淳一が見たら喜びそうだ。

2001.9.25

ジャネット・イヴァノヴィッチ「けちんぼフレッドを探せ!」

バウンティ・ハンター(保釈保証会社の逃亡者逮捕請負人)のステファニー・プラムが主人公のシリーズ第5作目。4作目「サリーは謎解き名人」が出たのが99年10月なので、ファンは2年待っていたことになる。わたしは待っていなかったけど、友人や姪が待っていて、情報がないかとしょっちゅう聞かれていた。さっそく買って読んだ姪からはすぐおもしろかったとメールがきた。わたしは買ってまで読む気は起こらず、彼女は関東方面にいるので、ちょっと貸してというわけにはいかない。そこへ大津のDさんが買ったというメールがあったので例会に持ってきてもらった。
さっそく土・日・月で読んでしまった。やっぱりおもしろい。車が爆発したり、取っ組み合いしたり、つけ回されたり、ハードな出来事が続出するんだけど、気にならず読み通してしまう。軽い。湿り気がない。ま、いまのようなときに、明るい午後の日差しを浴びて読むのにちょうどいいかもしれない。かっこいいオトコが3人出てくるしね。(扶桑社 762円+税)

2001.9.24

黄金の午後

暑さも寒さも彼岸までってよく言ったものだ。一昨日から急に涼しくなった。蚊も出現しない。お気に入りのキルトの上掛けをかけて眠るとぐっすりと朝まで一眠りだもんなあ。今日はどこにも行かなかったが、天気のよい午後を読書で過ごした。さしこむ日差しに、花子がいたころの黄金の午後を思い出していた。日の光に輝く毛並みのなんとも言えず美しかったこと! を思い出していた。
昨夜はヴィク・ファン・クラブの例会日だった。久しぶりに大津からやってきたDさん、奈良からの常連のUさん、10周年パーティの世話役をかって出てくれたOさんと4人でいろいろと話し合った。Dさんは10年前からの会員で、最初の数年間の会報の原稿を全て文字打ちしてくれた。彼女なくしてVFCは存続していなかった。またUさんが例会にずっと出席してくれたからこそ、VFCの例会が何年も続いてきたのだ。そしてOさんは現在随一の働き手である。
のんびりと10年間のいろいろを話し合った。いろんな人がいたし、アタマにくることもあった。しかし、こんなに多彩な素敵な人たちの集まりって他にそんなにないから、大切にしていかなければという結論になった。

2001.9.23

プールは快適だけれど

プールに行こうと家を出たら、近所のクリーニング屋さんに出会った。自転車の前カゴにカバンがありその中に子猫を入れている。公園に捨てられていたのを子どもが拾ってきたそうだ。一家全員のペットとして可愛がられている様子がうれしかった。運のよい幸せな猫である。ちょっと変わったミンク色の女の子だった。
ほんとによいプールが見つかってよかった。バスで10分足らず、調子が良ければ歩いていけそうに近い。今日からバスをひとつ前で降りて堂島大橋を渡って行くことにした。住友病院と国際会議場前を北へ進み橋を渡る。このあたりは中之島の文化地域が西へ延びてきた感じで、数年前には想像もできないすっきりした場所になっている。超高層マンションの前を通るとすぐ下福島公園で野球場と遊歩道とベンチのある空間とプールの建物がある。
今日の発見は超高層マンションの前の植え込みの一箇所が野菊の群れになっていること。野菊なんて何年も見たことがなかった。勝手に生えてきたものか、誰かが植えたのかわからないけど、たくさん咲いていた。
どういうわけか知らないが、わたしはよく人に話しかけられる。道を歩いていても話しかけられるくらいだから、プールにいれば当然のことだろう。今日もいっしょに泳ぐ練習をしようとしつこく誘われた。それだけですむなら相手をしてもいいのだが後がこわい。帰りにお茶になったり、病気の悩みや子どもの自慢を聞いたりするはめになるのが目に見えている。もういやだ。ひたすら前を向いて歩いていた。

2001.9.21

Nimda(ニムダ)

新しいコンピューターウィルス「Nimda(ニムダ)」のことが今朝の新聞の一面に出ている。えらいこっちゃ、うちが感染したらどないしたらええねんやろと騒ぎながら読んだ。
【感染したホームページに接続した相手に強制的に感染ファイルを送りつける】ってどういうこっちゃ? とか言いながら朝ごはんを食べ、メールチェックをするべくパソコンをつけると、第一便が加入しているメーリングリストの管理人Kさんからで【サーバーマシンがアタックを受け、現在インターネット関係の機能が停止しています。】とのこと。騒いでいるときは、のんきに騒いでいるだけだったが、えらい身近かなことになってきた。
それでまず情報だと検索してみたら、情報処理振興事業協会セキュリティセンターの『新種ウイルス「W32/Nimda」に関する情報』に詳しい情報があった。サーバーのほかには、【影響を受けるコンピュータ:マイクロソフト社の InternetExplorer と Outlook/OutlookExpress を使用している Windows パーソナルコンピュータ 】とあって、対処の方法が書いてある。わたしはマックでネットスケープとユードラを使っているから該当しないのがわかった。しかしたいしたウィルスだ。改ざんされたホームページを見ただけで感染するなんて…。

2001.9.20

まだ蚊がいる

まだ蚊がいる。いまキーボードを打っている最中にいつのまにか手首を噛まれてしまった。憎たらしいが感心する。よく知らない間に噛んでいくものだ。今夜も寝るときに香取線香のお世話にならなきゃいけないのかな。
昨夜は手の甲を噛まれた。蚊には食われたと言うべきだろうが、かまれたという語感が好きなんで、いつも噛まれたということにしている。それで蚊取り線香をつけた。うちでは「菊月香」というのを使っているが、これは蚊が死なないでどっこかへ隠れる効果があるらしく、消えると蚊が出てくる。いつも半分つけることにしているが、たまに明け方プーンという音が耳元にして起こされることがある。
昨夜は半分つけたのだが、閉めきっていたので、部屋中匂いが充満してしまった。けっこうきつい匂いなのだ。しかもそっちのほうに顔を向けて寝ていたらしく、喉がへんな感じがする。でも化学製品ではないからうがいをしたら治ったけど、今日は気を付けないとね。
それにしても残暑が長いです。もういや。

2001.9.19

ビデオの映画「イン・マイ・ライフ」

ちょっとほんわかした映画を見たいと思って借りてきた。劇場未公開作品で、サム・シェパードとダイアン・キートンによる中年男女の恋愛物語ということだったが、1966年から25年間という長い期間の話である。
テキサスで農場を持ち、街では洋品店を営むサム・シェパードは妻が病院で寝たきりという設定。友人の妻と浮気したりするが、お針子のダイアン・キートンと出会って、自由な生き方に惹かれてつきあ合い出す。毎週水曜日の午後映画を見るという生活が何年も続く。それぞれ息子と娘がいて、この2人も結ばれるが、娘のほうが去っていく。
何年後、十何年後ということで、2組の親子が老けていくところがおもしろい。最後は、自分が煮えきれなかったために結婚まで行けなかった父親が、恋人を帰してしまった息子を叱咤して追いかけ、息子たちを結婚さす。
サム・シェパードとダイアン・キートンは「赤ちゃんはトップレディがお好き」で田舎の獣医と都会からやってきたやり手のビジネスウーマンで好演していた。今回も気が合うのか、気持ちよく共演している感じ。
ちょっと調べたら、この映画は1997年だが、その後1999年に「三十年の愛 ハメットとヘルマン」(監督キャシー・ベイツ)があるんですね。ダシール・ハメットにサム・シェパード! 見たいわあ。日本では未公開でビデオもなし、WOWOWで放映されただけとか。

2001.9.18

ローラ・リップマン「ビッグ・トラブル」

さべあ のま によるカバーが好きなので1冊目から買っているが、作品のほうにはあまり引きつけられない。それに2作目が先に出て、そのあとに1作目が訳されたから、そのときの気分をいまも引きずっている。こういうシリーズでは1作目から読むのが大切だと改めて思う。
ボルチモアの女性私立探偵テス・モナハンは昔の恋人でミュージシャンのクロウからヘンな手紙をもらう。テキサスからきたもので“たいへんな窮地に陥っている”とだけ新聞からの切り抜き文字で書かれていた。それから1週間後にテスはクロウに電話するがつながらない。不安なままにクロウの両親に電話してみると、息子を探してくれと頼まれる。クロウの母は有名な彫刻家だった。テスは愛犬のエスケイを連れてテキサスに行く。
ということで、今回はテキサスでのクロウ探しである。探しているうちに死体にぶつかったり、知りあいができたりしていく。南部の金持ち一家の血なまぐさいところ、いわくありげなブロンドの美しい娘など、フォークナーやカポーティを思い起こさせるような気がするが、わたしがそれくらいしかアメリカ南部のことを知らないせいだと思う。分厚いけれど字が大きいので、バス待ちなどでばらばらに読み10日もかかってしまった。
大きい問題も身近な問題も現実のほうが勝っているいるから、ミステリーを読むって、わたしにとってどういうことかと考えてしまった。それでも最後のシーン、事件ではテスがクロウを救ったわけだが、クロウがテスを今度は救うと宣言し、テスがその言葉こそ私を救ったというところは、乙女心をくすぐる。ミステリーとは関係ないけど(笑)。(ハヤカワ文庫 920円+税)

2001.9.17

大切とは大きく切ること

鉢植えのミントが夏中育ち過ぎたので枝を切ったら、すぐ新しい芽が出て伸びてきた。ミントティをいれるとき、乾燥葉の中に少し若い葉を混ぜると良い香りがしてとてもおいしい。
いつだったかの雑誌「クロワッサン」に出ていた園芸記事なんだけど、造園家が植木の剪定は「大きく切ることが大切」と言っていた。その人によると、これが「大切」という言葉の語源だそうだ。なるほどなあと思って、ちょうど家にあった、枯れかけのアジアンタムの枝を思いきって切ったら新しい枝が伸びてきた。それ以来、植木を「大切」することはわたしの係りである。
このページ6月18日に書いた「奇怪なゴムの木」の枝をついにこの間切った。大きい葉がいくらでも出てくるのが不気味なので、植物屋JALさんに聞いたら、切ったらいいとのこと、ただし、ゴムの木だから液が流れるのに注意ということだった。それで思いきって切ったら、小振りな葉っぱがちょこちょこと出てきた。黄緑色に愛嬌がある。これなら部屋にあっても許せる。

2001.9.16

体重がおちた!

今朝久しぶりに体重計に乗ってみたら体重がおちていた。プールに行きだしてから2キロですよん。最初の1キロは簡単におちたが、そのあとがなかなかだった。あきらめて体重計から遠ざかっていたので、量ったのは1カ月ぶりくらいかな。これからは毎朝計ることにしよう。
そんなもんで気をよくして、昨日行ったのに今日もまたプールに行ってきた。と言っても、今週はテレビを見るのが忙しかったし、木曜日はバスに乗ってからプールが休みの日だと思い出したんで、今日で3回だが。
土曜日の午後だから混んでいると思ったが、雨のせいか空いていてよかった。帰りに大降りにあって大濡れしてしまったが、気分はるんるんなのである。
いまのプールはバスに乗ったら10分足らずで着くし降りてから歩く区間も短く、その分水の中で過ごしている。温水プールでも長時間入っていると冷えるよ、とハリの先生に言われたが、ジャグジー風呂があるのであと充分温まれるから大丈夫だ。ここで一踏ん張りして体重をおとしてGパンをかっこよくはくぞ、と思いはどんどんふくらんでいくのであった。

2001.9.15

友だちとのおしゃべり

今年大阪で開業したテーマパークで、2年前から仕事をしているYさんから久しぶりに電話があった。彼女はVFCのほとんど最初からの会員で、世代が一つ上であるわたしにはわからない下の世代の女性のことをよく教えてくれた。もめごとがあると彼女に相談して善処の方法を教えてもらったものだ。
ここ数年はおだやかに過ぎているが、最初のころは勇ましい人たちがいろいろとやかましかった。手は出さなくて口を出す人が多かったからたいへんだった。大企業に勤務する人って、実務をする人を外注の人みたいに思うらしい。手書きの原稿に句読点がないと指摘すると、あらワープロ打つ人が入れるもんとちゃうの、と言われたときはキレたよー。
そんな時代によくつきあってもらったので、電話でしゃべっているうちに、顔を見ながら話したいねになり、土曜日の昼下がり、北堀江のチャルカでのお茶になった。話しだしたらきりがない、紅茶1杯で2時間ぶっつづけにしゃべっていた。こんなに体にいいことってないよね。こころとアタマがリフレッシュした。それはYさんが相変わらずエネルギッシュでスピードのあるしゃべりをするからで、つられてわたしもアタマがフル回転したからだろう。

2001.9.14

光ファイバーがやってくる

昨日NTTから光ファイバーについて話に行きたいと電話があったときは驚いた。数年前にこの辺り一帯の道路に光ファイバーの埋設工事をしていたのは知っていたが、通信ができるのはまだ先のことだと思っていた。うちはフレッツISDNにしているが、ケーブルテレビで接続している友人たちに「速いよー」と言われるたびにくやしい(笑)思いをしてきた。でもそのうちに光ファイバーがくるさと、ADSLにもしていなかった。つい先日住んでいるアパートにケーブルテレビが接続されたにもかかわらず、このままガマンして使っていくことにしていた。
そこへこの朗報! 今日来たNTTの営業マンによると、いまは予約を集めている段階だそうだ。8月1日から大阪の中心部の営業を始めていて、だんだん範囲を広げていると言う。
まだはっきりした日時はわからないそうだが、それでも早ければ年内、遅くとも来年春、とのこと。もちろん予約した。もう半年も待てばわが家もブロードバンドになる。

2001.9.13

疲れた

昨夜はいつになく早めにこのページのアップがすんだので、大リーグニュースでも見ようかなとテレビをつけた。そこでまだ晩ご飯の片づけがまだだったのに気が付いて、わたしは台所に行った。そしたら仕事をしながらテレビの音を聞いていた相棒の大声がする。なんだろうと飛んでいったら、なんと高いビルが燃えている。映画の1シーンではない。映画をはるかに超えている。その後は明け方近くまでチャンネルを替えながらテレビを見ていた。
今日も仕事しながらテレビを見ていた1日だった。いまもテレビを見ている。もうよろよろだけど目を離せない。今世紀は大規模ゲリラの時代になるのだろうか。

2001.9.12

なつかしや莫大小會舘

「莫大小」って読める? メリヤスと読む。いまパソコン(日本語変換ソフトはATOKを使用)に「めりやす」と打ったらちゃんと「莫大小」と出たのには驚いた。わたし、昔働いていた会社の仕事でよく莫大小會舘へ行った。そこに業界の協同組合の事務所があり年末融資の書類を届けに行ったりしたものだ。戦前(第二次大戦前という意味)からあるビルだと思う。わたしが若いころでも古びていたもん。交通の不便なところで、阪神の福島から歩くか、市電の福島西通りから歩いたりした。そのときでさえ、バクダイショウカイカンと読む人が多かったような。わたしは文学少女だったから読めたけどね。
その莫大小會舘が今日、下福島の市民プールに行くバスから見えた。帰りのバス停はすぐ側である。建物はそのままで、外壁を塗り替えてある。昔のままの表札が出ている。そして空き室が一つあるらしく入居者募集の張り紙がある。すぐバスが来たのでそのまま帰ったけれど、今度時間があるとき、用事があるふりをして中に入ってみよう。もしかしてあの○○工業協同組合があって、同じ事務員が出てきたらどないしょう。
古いビルでは堺筋本町に「綿業會舘」がある。得意先が入っていて何度か行ったことがあるが、外観も内部も大阪の往時の資本家の力を感じさせる豪華なビルだ。こちらは大阪の織物業が盛んなときに贅をつくして建てたものに違いない。莫大小會舘はその点、場所は中心から外れているし、建物も貧弱だ。メリヤスという布地を織ったり売買したりしていた中小企業の人の集まるところとして建てたものだろう。

2001.9.11

便利なアスクル

数カ月前にアスクルのチラシが郵便受けに入っていたので申し込んだ。アスクルはいまや知らない人はいないでしょう。オフィス用品を今日頼めば明日持ってきてくれるところだ。ただし個人名では受け付けてくれない。一応、わたしんところはビルボというお店の名前があるのでね。
わたしは昔人間なので、宅配とかカタログショッピングとかあんまりしたことがなかった。いまだにカードで買い物したことがない。お店に出かけて納得して現金で買うというのが基本だった。それが数年前から有機野菜の宅配を毎週してもらっているし、今年から足が悪いせいもあって、エディ・バウアーのカタログで着るものを買うようになった。すぐ届いて便利やね。基本のものを買うのならこれで充分。
事務用品を買うのも歩いて10分くらいの安売り店に行っていた。コピー用紙や封筒が重くてナンギやった。「大学祭の夜」のコピーをとったときは最悪だった。何千枚というコピー用紙を買いに行ったんやもん。
それが、アスクルならファックスしたら翌日午前中に届けてくれる。ゴクラクや。値段も安いし、種類が豊富。なんでも注文してしまう。新しくとどいたカタログではアルプスのインクリボンまであるやん。あわててナニワに買いに行かずにすむと思うとうれしい。

2001.9.10

秋の風鈴

今年はこのまま涼しくなるという話だったが、昨日、今日はすごく暑かった。ほっとした後のぶり返しの暑さは体にこたえる。しまうつもりの扇風機とうちわにまたお世話になった。
まだつるしたままのすだれや風鈴もしまわなければならないのだが、なかなかとりかかる気がおきない。夏バテがまだ回復していないようだ。
台風15号の接近で風が少し強くなってきたように思える。ベランダとの境につるした風鈴がりんりんとなる。同じ音なのに夏は涼しく聞こえていたのが、いまは淋しくわびしく聞こえる。風鈴がひそやかになると猫の鈴の音に聞こえる。猫の花子が死んでからもう1年半経つが、まだまだ存在しているような気がするときがある。
知りあいが新しく飼いはじめた子猫の写真を持ってきて見せてくれた。かわいい! しかし、飼えばこちらもこれから20年近く生きていて世話をせねばならない。そんな自信がないからもう飼うということはないだろう。花子ちゃんの思い出があるからいいのさ。ああ、また風鈴がなっている。

2001.9.9

ビデオの映画「僕たちのアナ・バナナ」

単純にテレビドラマの「ダーマ&グレッグ」のダーマをやっているジェナ・エルフマンが出ているだけで借りてきたビデオ。俳優のエドワード・ノートンがはじめて監督・製作し、主演しているいうことも知らなかった。「アメリカンヒストリーX」も「ファイト・クラブ」も「真実の行方」も見ていなくてすみません。アタマから笑える映画だと思い込んでいたのだが、それがはじめは楽しいがだんだんシリアスになっていく。
ニューヨークに住むユダヤ教のラビ、ジェイックとカトリックの神父ブライアン(エドワード・ノートン)は子どものころからの友だちで、アナ(ジェナ・エルフマン)という女の子と3人組だった。アナがカリフォルニアへ引っ越してから会っていなかったが、仕事でニューヨークに滞在するという連絡があった。また昔のように3人組で遊ぶが、ジェイックとアナがブライアンを出し抜いて仲良くなる。
ニューヨークの街がいいし、ユダヤ教とカトリックのこともおぼろげながらわかって勉強になった。新しいタイプの宗教家として活躍するラビと神父の仕事ぶりもおもしろかった。ジェイックの見合い相手にユダヤ人の女たちがいろいろ出てくるところもおもしろかった。
でも、かんじんのジェイックとアナが愛し合うのがなんでかわからないし、2人とも魅力がないのでつまらない。
ユダヤ教は妻帯オーケーで、カトリックは許されていない。アナを恋したカトリックのブライアンは信仰を捨てようとし、ユダヤ教のジェイックは愛しながらも、宗教にふさわしくない結婚相手としてアナを避ける。結局ブライアンは信仰に生きることを選び、2人を結びつけて終わる。

2001.9.7

1994年の「ASAHIパソコン」増刊号が出てきた

住んでいるアパートにケーブルテレビが入ることになって、今日接続の業者が工事に来るという。ついでだから共同アンテナの線がきているところにある本棚の整理をすることにした。棚から本を出して1冊ずつ入り用かどうか調べて拭いていく。捨てられないぎりぎりの本しか置いてないけど、やっぱりこれはもういらんなあというのは出てくるものだ。
捨てるかどうかの瀬戸際の雑誌なんだけど、なんちゅうても7年前に今年を予想した特集なんでまず読むことにした。「ASAHIパソコン」増刊、1994年4/25号、特集「computing U.S.A. 2001年、ネットワーク時代への招待状.」定価1300円。薄い雑誌なのに思い切った値段だが、レイアウトがきれいで写真もきれいだ。
もうひとつ表紙に「インターネットの波に乗れ!」とあるのが、そのころのわたしの心に訴えたのであろう。まだパソコン通信の時代で、インターネットには遠かった。この雑誌でシリコンバレーに憧れたり、ハイテクヒッピーという言葉にしびれたりしてたんだろう。
この翌年、1995年1月に阪神大震災があった。まだパソコン通信の会議室で被災情報やボランティア活動について情報を得ていた。しかし、インターネットの波は近づきつつあった。わたしがインターネットにはじめて触れたのは1995年秋だった。大阪でサミットがあったとき、ビジネス・パークでインターネットの宣伝のようなものがサミットに協賛して開かれていたのに行った。みんなNASAとかホワイトハウスなんかに接続できたと喜んでいた時代だ。家でインターネットにつないだのはそれからすぐだった。1996年には震災ボランティアの「掲示板」で発言していた。
ところで、「ASAHIパソコン」には「Internetに乗ってやってくる2001年の大統領」というタイトルの記事にゴアさんの写真がある。中味は読む気がしない。
そう、そう、ケーブルテレビに接続したけど、テレビを見ている時間がないと言って契約はしなかった。でも、いままでの共同アンテナよりも画面が安定したし、京都放送が入るようになったのがラッキー。

2001.9.6

公営プールに行ってみた

新聞の折り込みで毎月配られる大阪市からの夏のお知らせに、市民プールがいろいろとのっていた。近くにあるはずがないと思いながら見ていたら下福島に最近できたらしい。出かけたついでに調べようと思いつつ、いま行ってるところがあるもんやから、ほったらかしていた。ようやく調べたらまっさらの大きなプールで、バスで行くとすぐのようだ。
わたしの場合歩くだけでいいのだから、エアロビクスやスイミング教室や流水クラス、果てはダイビングなどを勧誘されるとうっとうしい。そこの経営者からの誘いもあるし、行っている人にいっしょにしようと誘われもする。人といっしょに行動するのが大嫌いだし、一人で歩きたいだけなのだから、うっとうしいことこの上ない。市民プールならそんなことはないだろうと今日行ってみた。
バスに乗ったら10分足らず、靱公園横を通り国際会議場の前を通って厚生年金病院前の堂島大橋北詰で降りる。少し戻ると下福島公園があり、そこにしゃれた大きな建物があるのが屋内プール場だ。
ここに決めた! と思ったので受付で1カ月定期を買った。1回は700円だけど、定期だとすごく安い。月に7回以上行けばトクになる。プールは広くてきれい。コース別に分けられている。歩き専門・歩いたり泳いだり・初心者泳ぎ・中級者泳ぎ・上級者泳ぎなどである。管理人がいたので「はじめてなんですけど、歩きたいんですが」と一応言ったら「ここでどうぞ」と言う。入ろうとしたら深さ120センチ、「えっ! 沈んでまう」いままで100センチでちょうどよかった。なんしろ身長150センチである。首しか出ないよー。そしたら「あっちに90センチがあります」とのことで、いちばん向こう側は深さ90センチなのであった。やれ、やれ。でも90センチに入ると100センチよか水の力が弱いようだ。慣れたら120センチに行くぞと心に誓った。
人が多いから挨拶なんかに気を使わないですむ。しゃべっている人もいるけど、広いからあんまり気にならない。いまんとこいいとこづくしだ。週3回はなんとか行きたい。

2001.9.5

ホームページはじめて3年

1998年9月4日にホームページを開設してから3年経った。もう大丈夫。って、なにが大丈夫なんだかわからんけど(笑)。これからも気を抜かずボチボチとやっていくわね。なんちったって「3日、3月、3年」の3年を通過したのだ。怖いものはない(笑)。
今日はわたしの誕生日でもあった。朝起きてパソコンをつけたら、Uさんからバースデーカードメールがきていた。若い友人が誕生日を覚えていてくれたことがなによりもいちばんうれしい。そのあともいろいろとおめでとうメールがきた。幸せなことである。
連れ合いがワインを買ってきてくれたので、シーフードとナスとトマトのスパゲッティを作つくってささやかなバースディの食事をした。久しぶりのワインがうまかった。
先日昔の友人から30年ぶりに電話があった。「30年ぶりですがな。くみこさまには相も変わらぬご尊顔を拝し、ちゃうわ、相も変わらぬ美しいお声をお聞かせいただき、恐悦至極にござります」とふざけてたけど、お互いこうして生きていて、声を聞くことがうれしかったんやなあ。

2001.9.4

ドロシー・L・セイヤーズ「学寮祭の夜」

ドロシー・L・セイヤーズ「学寮祭の夜」(創元推理文庫 1320円+税)をようやく読み終えた。717ページ、厚さ26ミリの文庫本、文字も他の文庫と比べると小さくて全体で何文字になるのだろう。訳者の浅羽莢子さんの苦労がしのばれる。そして、また、ドロシー・L・セイヤーズがすごい作家であることを再確認させてくれた。それから、わたしが大切に持っていた1936年版の黒沼健さんの訳が半分の量の抄訳であるにもかかわらず、ドロシー・L・セイヤーズが言いたかったことをきちんと伝えてくれていたことに感謝する。楽しい気持ちで読み続けて、本を読んでいるあいだ幸せであった。読み終わっても気に入ったあちこちを開いては読みなおしている。
ストーリー等は当サイト、ミステリーページにわたしが書いている「大学祭の夜」を読んでください。雰囲気を楽しむには、同じくミステリーページの亀田恵理子さんによる写真集「ドロシー・L・セイヤーズを旅して撮った写真集」をごらんください。
ドロシー・L・セイヤーズをインターネットで検索して、わたしのところに来られた人がけっこういた。熱烈に「ナイン・テイラーズ」が出た後の次の作品(つまり「学寮祭の夜」)を待ち受け続けた女性たちだった。
「学寮祭の夜」を読むと、ピーター・ウィムジィ卿はこれまでの作品の中ではかなり完璧な人間としてわたしたちの前に現れていたことがわかる。以前、有名な女性ミステリー評論家が“美男で背が高い”という決まり文句でピーター卿を紹介しているのを読んだことがある。わたしは「アホちゃうか」とその評論家をバカにしたが、この本ではじめて背がそんなに高くないことが書かれたのかもしれない。ハリエットに心を寄せる学生のボンフレッドにケンカを挑まれて「第一に、きみより二十は年上だからだ。第二に、君のほうが六インチは背が高い。そして第三に、痛い思いをさせたくない」と言うが、相手になると手首を鉄の握力で掴む。そこはかっこええけど、相手に見下ろされている。
その他にも甥のセント・ジョージ卿が叔父の老け具合を述べるところ、ハリエットと船遊びに行ったときに見せる疲れた様子など、人間ピーター卿の姿が描かれている。
また、人間としてのピーター卿を書くということは、「学寮祭の夜」中で探偵小説家ハリエット・ヴェインが自分の作品の主人公をどう書くかと悩むところと一致する。謎解きの探偵小説から、生き生きとした人間が闊歩する探偵小説へと変わっていこうとするにあたっての苦悩が描かれている。
そなんわけで「学寮祭の夜」はドロシー・L・セイヤーズの想いがいっぱい詰まった小説なのだが、メインテーマは“さまざまな女性の生き方”にあるとわたしは思う。昔のミステリーとバカにしないで手にとってほしい。
ピーターとハリエットについてはジェイン・オースティン「高慢と偏見」1935年版という気がするが、これはいつの世でも永遠のテーマだよね。二人で「グリーン・スリーブス」を歌うところは圧巻です。

2001.9.3

美しい背中

今日は書くことがないなあ、なにかネタはないかなあ、と考えだすとほんまになにも出てこない。今日はお休みにしようと決めて本棚の本をあれこれ出して見ていた。大切な1冊を手に取り箱から出したら、今日のネタが飛び出した。小さなゴキブリが飛び出したのだ。あじゃーと慌ててつまみ殺して、本を拭いたり箱の奥まで紙を巻いた棒をつっこんで掃除したりたいへんだった。明日は本箱掃除大作戦しなくっちゃ。
フランソワーズ・サガンの本は長いこと読んでないなあと思いながら「優しい関係」を開いてみた。偶然、主人公の女性の美しい背中の描写のところだった。ハリウッドで働くドロシーは45歳、元女優でいまはシナリオライター。パーティに思い切って背中を出したドレスを着ていくと、10歳ほど年下の女主人が入り口にいた。彼女はいつもドロシーが45歳で立っているのが奇跡のように褒める。ドロシーの年齢をいつも最もチャーミングな方法で思いしらせてくれるのだ。
わたしも経験がたくさんある。若い人は40歳過ぎたらみんな年寄りと思っているだろうからなにも言わない。ところが40歳〜50歳の女性がいけない。トシをわからせてくれるように褒める。杉谷さんのトシでそんなにメールしている人がいないね、とか(笑)。20歳でもわたしほどメール書いてへんでと答えたが、そういう枝葉末節なことでなくて、年齢を思い知らせようとする心が問題なんだよね。

2001.9.2

梅村 浄(うめむら きよら)さんの「こどもの心に耳をすます」

梅村さんからずっと待っていた本「こどもの心に耳をすます」(岩波書店 1800円+税)がとどいた。有賀一広さんの繊細かつユーモラスな画とカットに彩られた美しい本である。春ごろ、今度出す本にVFCのホームページ(シカゴページに写真つきであります)に書いた「シカゴ・シカゴ・シカゴ」を収録したいと言ってこられてからずっと待っていた。
まず、いちばん最後にある「シカゴ・シカゴ・シカゴ」を読んだ。シカゴに行かれるとき、帰ったら旅行記を書いてくださいねと頼んでいた。またシカゴ在住の会員中野さん(当サイト、シカゴページの「中野和子のシカゴだより」をお読みください。)と会う時間もとってくださるとのことでうれしかった。そのとき涼ちゃんの入院があったとは…あとでいただいた原稿を読んだときほんとにびっくりした。
その流れでまず第4章の「涼とわたし」から読みだした。わたしと夫は、梅村こども診療所のホームページの制作をしているので、資料や写真をたくさん見せていただいている。涼ちゃんの写真もよく見ているので、この文章を読んでいると赤ちゃんのときからの涼ちゃんが見えてくる。いつか会いたいな。
それから戻って前から読みだした。すべての文章の前に詩がある。よく知っているもの、はじめて知った詩もある。童謡もあるし漢詩もある。著者の広い心で選んだ詩である。第1章は「幼い人のこころ」第2章は「瀬戸際のこどもたち」第3章は「障害のあるひととともに」で全部で4つの章になっている。
第1章で梅村さんご自身の子どもの頃の話を読んで、こういうふうに育ち成長したから今の梅村さんになったのだと思った。
第2章は学校へ行く時間になるとお腹の痛くなる子(わたしがそうだった)の話や、家出すると梅村さんに電話してきた子の話がある。他人事ではないと思われる人も多いだろう。
第3章では障害のある子どもを中心にした話である。わたしは「風」という詩がある「かなこおばちゃん」にうたれた。まず「風」はわたしの大好きな歌で、しょっちゅう歌っているけど、だれの詩か知らなかった。クリスティナ・ロセッティだったんですね。ほら「誰が風を、見たでしょう」ではじまる歌。これ大好きなんでうれしかった。梅村さんが子どものころ毎夏おばあちゃんの家に行くのが楽しみだった。広い家でひっそり家事をしているかなこおばちゃんのお話に惹かれた。
ここにいま少しだけとりあげて書いたけれど、気に入ったのはこれだけではない。美しい心、闘う精神が全体から響いてきて、読んでいて何度も涙ぐんでしまった。表紙の帯に谷川俊太郎さんがこう書いている。【読んでいるといのちの河の水音が聞こえてくる.澄み渡り、しぶきをあげる子どもの心.】ほんとにそうだ。たくさんの人に読んでもらいたい。

2001.9.1

写真:これが「山りゅうのひげ」の花

VIC FAN CLUB  連絡先:kumi@sgy2.com