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kumikoのほとんど毎日ページ

2001年4月


「ピクニックatハンギングロック」と「ヴァージン・スーサイズ」

友人に勧められて、タイトルに惹かれて、コッポラの娘ソフィア・コッポラ初監督の映画として、興味いっぱいで見た「ヴァージン・スーサイズ」だが、期待と違った映画だったのでがっかりだった。予告編で見た少女たちが部屋でまどろむように寝ころんでいるシーンが映画全体を現していると思ったのだが、主体的に少女たちが引きこもったのでなく、母親がロックのレコードを燃やし、窓を閉め、ドアを閉じて、家に閉じこめたのであって、本当はデートもしたい、音楽も楽しみたい少女たちなのであった。父親は妻の言うことをはぐらかすことで生きてきた人で、牧師が来てもはぐらかすし、やがて職場でも上司の言葉をはぐらかしてクビになってしまう。狂気は両親のほうにあった。両親を演じたキャスリン・ターナーとジェイムズ・ウッズが普通ぽいのに不気味なところがさすが。そんなことで、「ヴァージン・スーサイズ」という素晴らしいタイトルの映画は私の期待した少女ものではなかった。
見た後、口直しのように、あれはすごい映画だったなあ、と「ピクニックatハンギングロック」(1975年のピーター・ウェアー監督のオーストラリア映画)を思い出した。1900年に起きた実際の事件なんだけど、ハンギングロックにピクニックに出かけた少女たちのうち数名が忽然と姿を消したまま、まだ解明されていないという。1900年といえばまだビクトリア時代の名残の中にあり、少女たちは寄宿学校できびしくしつけられている。物憂げなその少女たちが少し解放された気分でピクニックに出かける。ロマンチックな白い衣装が素敵でね。いまだに行方がわからないままという不思議な結末が、少女たちをそのまま宙に浮かべた映画にしていた。

2001.4.30

ビデオの映画「レストラン」

1998年のアメリカ映画。監督(エリック・ブロス)も出演者も知らなかった。主演のエイドリアン・ブロディがとてもいい感じだったので調べてみたら、この後にスパイク・リーの「サマー・オブ・サム」(1999)に出ている。探さなくちゃ。
ニュージャージー州ホーボーケンのレストランで働く若者たちを描いた映画で、“明日のスターを夢見る若者たちの恋と友情の日々を描いた青春ドラマ”というようなことを箱に書いてあった。ちょっと軽めの映画を見たいなと思っていたので借りてきたのだが、見たら大違い、シビアな主題の映画だった。
甘いマスクの脚本家志望のクリスはレストランでバーテンダーをしながら、芝居の脚本を書いている。そこで、ウェイトレスをしている黒人の歌手志望の女性と愛し合う。だが、彼は一途な彼女を傷つけてしまう。クリスが書いた脚本の芝居が成功したので、マンハッタンに移転することなった。店を辞める日に、友人が車の中で撃たれたという知らせが入ってきた。そのイライラから黒人の同僚とケンカになり、カッとして「クソッタレ黒人」という一言を投げかけてしまう。その言葉に、自分も同僚たちも凍りつく。彼は父と同じ言葉を口にしてしまったと泣いて悔やむ…。
友人の埋葬の日、同じ墓地にある母の墓の前にいると、去っていこうとする恋人が側にきた。お父さんの墓は? と聞かれて、この2人は死後までいっしょにいたくなかったと返事する。「あの言葉を最初に聞いたのはいつ? 覚えてないでしょ? 私たちは誰でも覚えているわ」「覚えている、父が食事の時言ったのを」。
彼の「愛している」という言葉を背に、彼女は去っていきながら「聴きに来て」と、1カ月後に歌う場所を教えた。心にしみいるラストシーンだった。

2001.4.27

コントレーラスさんが好きやねん

いま会報『VI』27号を作っている最中である。今回はもちろん『ハード・タイム』読後感特集号だ。集まった原稿を前にして、気合いを入れようと思い、もう一度『ハード・タイム』を読み返した。
そしたら今回はコントレーラスさんがやたらとカッコよう思えてね。大阪弁にしたよって、アクセントつけて読んでんね。
そろそろ悪党と決着をつけるときが近づいたと判断してね、「あんたが逮捕された日から大事にとっといたんや、ねえちゃん、そろそろいるころやとおもてな」と預かっていたスミス&ウェッスンが入った袋をばんとヴィクに渡すねん。そのタイミングのよいことね。泣けるわ。こういう心意気が好きやねん。映画にしたら名シーンになりそうやわ。
それで悪党にとっつかまって、盾にされてしもて、ヴィクがスミス&ウェッスンを撃つにも撃たれへん状況になってん。銃を押しつけらたまま「わいの人生であんたみたいな人はおらんかった。79年生きてきたけどな、あんたが撃たれて、そのおかげで、わいが80歳の誕生日を迎えるなんちゅうことはまっぴらや」と言うねん。そしたら犬のミッチが悪党に噛みついてね。ヴィクがすかさず飛びかかって危機一髪助かるんやけどね。病院に連れていかれたんやけど、「こんなん頭の軽い傷や、アンツィオではもっと重症やったけど、生き延びてきたんや」と言って抵抗しやんねん。ほんと、イキのええジイサンや。
コントレーラスさんはヴィクの住まいの下の階に住んでいる。2人は2匹の犬を共同で飼っている仲。その犬のこともシリーズを読んでいけばわかる。同居をせまる娘をうるさがり、ヴィクとの刺激ある日々を楽しんでいる。元機械工で労働運動もしていた。おしゃべりで血気盛んなジイサンはいろんな登場人物が出てくるヴィクのシリーズの中で格別の存在である。

2001.4.27

川端康成「古都」

バス待ちに読む本を探していたら、薄い文庫本というのが最近はないのですね。古い川端康成、谷崎潤一郎あたりしかなかった。それでふっとなつかしくなり「古都」を数日持って歩いた。
西陣の問屋の一人娘として育った千恵子は若い娘だが、あるときは妖艶で三十女のようなところがあったり、小さい少女のようであったり、読むほどに川端康成の筆に引き回されてしまった。川端康成はこの新聞連載小説を書き出す前も、書いている間も眠り薬を飲んでいたと「あとがき」に書いている。この連載が終わったのを機会に入院し、禁断症状で10日ほど意識不明であったという。それほどきわどいときに書いた小説なのだが、それ故にかどうか、あやうい美しさの小説である。もっとも川端康成の小説はどれをとってもあやうい美しさに満ちているけれど。
京都の春から冬に至るまでの季節の祭や催しを遠景にして千恵子がいる。彼女は赤ん坊のときに捨てられ、現在の父母に拾われて大切に育てられた。祇園祭の日に出会った少女苗子は千恵子とそっくりで北山杉の里で育ったという。どうやら双子で千恵子のほうが捨てられたらしい。しかし、父母は早く亡くなり、苗子は村人の家で育った。
2人の短い交流と恋がえも言われぬ官能的な描写で描かれる。千恵子は川端康成の幻であったのだろう。機織り職人の秀男にとって千恵子が幻であったように。花の季節に平安神宮で幼なじみの真一と待ち合わせるところが好きだ。名刀のような美青年とあやうい美女の逢い引きが桜の花を引き立てる。京言葉がまたなまめかしくて好きだ。

2001.4.26

「薔薇は生きてる」山川やちえ

今朝歩いていたら通りかかった家の庭に薔薇の花がいっぱい咲いていた。とたんに「薔薇は生きてる 山川やちえ」という言葉が浮かんできた。“やちえ”は弥千栄だっただろうか、弥千枝だっただろうか。自信がないので、ひらがなにしておく。ピンク色の小型の本は姉の持ち物だった。わたしはその本に憧れていて、ときどき姉の本棚からそっと取り出し開いて見るのだった。最初のページに少女の写真があった。セピア色の楕円のなかにひっそりといるその人は美しかった。
その少女は名のある人の娘で病気で早世したらしかった。この「薔薇は生きてる」という本を残して。わたしは小説は大人のものでもなんでも読んでわかったつもりでいたが、少し年上の人が書いた本なのに、この本はむずかしかった。この本は“詩”ではないけれど、はじめて“詩”のこころを持ったものを読んだのではなかったろうか。
文章の冒頭が「薔薇は生きてる」で、そのあとを少しは覚えていたのだが、続いて浮かんでこない。でも「薔薇は生きてる」の一言だけで、なにもかも言い尽くしているような気がする。

2001.4.25

いまヴィクをやってほしい女優

キャスリン・ターナーが「私がウォシャウスキー」(1991)という映画でヴィクを演じている。これがヴィクの映画でなくただ単なる女性探偵物ならモンクは言わない。50年代のイメージの男性の探偵を単に女性にしたものと思えばハラもたたない。しかし、はっきりとV・I・ウォーショースキーではないウォシャウスキー(これもおかしいよね、映画会社の人はその時点で3・4冊翻訳されていた本の名前を使わなかった)と名前が出ている以上、ヴィクのイメージを期待するのが当然だと思う。思い出してもハラがたつ、冷蔵庫にべたべた貼ったメモ、ばたばた歩くスリッパ姿。そんな不細工なかっこはヴィクはせえへんで。
ハイヒールで拳銃を持ったキャスリン・ターナーのポスターは、ハンフリー・ボガードがトレンチコートを着て拳銃を持った写真を彷彿させる。でも、いくらかっこよくてもそれはヴィクじゃない。そんなわけで、ヴィクの映画はまだないのと同じだ。
わたしが思うに、『バースデイ・ブルー』で40歳、『ハード・タイム』ではまた2年ほど年をとって、すごくいい感じになってきたヴィクをやれるのはこの人しかいない。それはスーザン・サランドンだ。スーザンにやってほしいなあ。工場の天窓から脱出して有蓋貨車に飛び降りて、体中痣だらけになって、それでもカッコいいヴィクをやれるのは彼女しかおれへんわ。そんなヴィクに呆れつつ惹かれる知性あふれるモレルはティム・ロビンスにやってもらいたい。似合うと思いません?

2001.4.24

花がいっぱい

若葉の中に花もたくさん咲いている。今日は6回目のプールに行った。行きしなに近所の会社の前で数本のハルジョオンがピンクの花を下に向けて咲いているのを見た。同じような花だけどヒメジョオンはまっすぐ伸びて花を咲かすが、こちらはクビを垂れているところで区別するのがおもしろい。どちらも可憐で大好き。雑草だし目立たないけど、束にしたらそれなりに可愛くなる。ただし町中では見つからないし、郊外で見つけても持って帰るまでにしおれてしまう。今日見たのは勝手に生えているのか、好きな人が植えたものか、どっちかな。
“みちのくの忍ぶもじずり”ネジバナだって植木鉢に植えているところがあるもんね。これは初夏の花だからもうじき咲くはずだ。あそこの家の前の植木鉢見にいかなきゃ。
バスを降りて三社神社と八幡屋公園のあるほうへ行ってみた。神社には藤棚があるのだが、棚まで伸びていないところに数本薄紫の花が垂れていた。可憐。公園には大きな藪椿の木があった。もうそろそろ終わりかな。帰りに通った港消防署の横のライラックが満開で薄紫の花の束に顔を寄せるといい匂いがした。遠くからも薄紫のかたまりが霞のように見える。
幼稚園の前の紫色のチューリップも素敵だった。門の両側の大きな囲いの中に紫とピンクが咲いている。何十本もいっせいに咲いているとそれは見事だ。

2001.4.23

ビデオの映画「オール・アバウト・マイ・マザー」

映画を見に行って、感動してもう一度最初から見るという経験を何度かしたことがある。昨日と今日2日続けてビデオで見た「オール・アバウト・マイ・マザー」は映画館で見たら席を立てずにもう一度見てしまうだろう映画だった。心の底から優しい気持ちになった。女たちの愛情が美しく描かれている。物語の途中でも輝いているのだけれど、特に最後のシーンでは、息子の死や友だちの死や元の夫である女性の死を乗りこえたからこその愛と美しさで輝いていた。
マドリードで臓器移植コーディナーターをしている主人公のマヌエラが、若いときに演じたというボリス・ヴィアンの芝居の写真、マヌエラが若いときにステラをやり、いま大女優ウマがブランチを演じている「欲望という名の電車」、そして稽古中の「ロルカの闇」という芝居。ウマが若くして見てタバコを覚えたというベティ・ディビスの「イヴの総て」、マヌエラが息子にプレゼントするトルーマン・カポーティの本。脚本・監督のペドロ・アルモドヴァルが自分の好きなものをすべてを注ぎ込んだ映画だと思った。彼が好きなものはわたしの好きなものなんだもん、うれしくなってしまった。
息子の事故死で臓器を提供する側になったマヌエラは仕事を辞めてバルセロナに行く。かつて青春を過ごした街へ、元の夫を探す旅である。そこで旧知と会い、新しい出会いがある。懐かしくなった。かつて、わたしの60年代後半から70年代前半くらいにはこの映画の女たちのように、一度の出会いで部屋に誘ったり泊めたりしたものだった。いまも少しはその気分はあってもあの当時とは違う。きっとバルセロナはいつの時代でも人情あつい人の集まっている都市なんだと思う。
映画の終わりに献辞があった。ロミー・シュナイダー、ベティ・ディビス、ジーナ・ローランズに捧ぐ、そして続く、女優たちへ、総ての女たちへ、男から女になった女たちへ、母へ。タイトルの文字の動きが美しい。大満足の映画でした。

2001.4.22

若葉が美しい

若葉が美しい季節になった。近所でも、ケヤキ、クスノキ、メタセコイヤなど若葉が美しい。桜も葉桜になった。コブシも花が終わったらなんの木かわからなくなってしまった。いまきれいな八重桜は若葉がいっしょについて、花だけの桜とちがった美しさだ。蝶々みたいな花のハナミズキもええなあ。西区役所の横にある数本がいま盛りだ。
田舎に行っている友人からレンゲの花色に染まった畑の様子や道端の野ばらが満開で素晴らしいというメールをもらった。花の名所なんぞには行きたいと思わないが、レンゲ畑やあぜ道に咲く野ばらは自分の目で見たいものだ。
今日はプールに行く途中のおうちの前に大きな植木鉢いっぱいに咲いているスミレを見た。田舎の道端に咲いているような普通のスミレである。山梨県のおばあちゃんの家に行ったとき堤防やあぜ道にいっぱい咲いていた。摘んでも摘んでもいっぱい咲いていた。
4月の終わり頃、奈良の竹ノ内街道を歩いていてスミレの群落を見たことがあった。そのときは紺のセーターの下にスミレ色のブラウスを着ていたので、ことのほかうれしかった。うぐいすの声も聞こえていた。万葉や平安の人たちが聴いたうぐいすや、摘んだスミレの末裔かと感激したものだ。

2001.4.20

ピーター卿との再会

創元推理文庫のドロシー・L・セイヤーズはもちろん全部読んでいる。その上にハヤカワポケットミステリで出ているもの、古本で手に入れた何冊かの本、まあ、日本語で読めるドロシー・L・セイヤーズは全部持っていると言っても大丈夫だと思う。ということはもう、ピーター・ウィムジイ卿の新しい物語は読めないということだ。
ところが、こんなことがあった。去年ローリー・キングの「シャーロック・ホームズの愛弟子」シリーズを読んで夢中になった。その中に主人公メアリ・ラッセルがパーティでピーター卿に出会い、ちょっと手助けしてもらう場面がある。突然お茶目なピーター卿に出会えてうれしかったものだ。
それから教えてもらった THE BEEKEEPER'S HOLMES PAGE IN JAPAN(http://village.infoweb.ne.jp/~beekeep/)というホームページに行ってみた。そして、メーリングリストにも入った。いまメーリングリストでピーター卿にまつわることが話題になっている。ホームページの中に「ラッセリアン・パスティーシュ」というページがあって、そこにはファンが書いた番外編の物語がたくさんのっている。新しく訳された物語(The Sounds of Darkness)にピーター卿が出てくるのだ。ラッセル・ホームズ夫妻が8歳の息子を連れてピーター卿に招かれる話である。なつかしや、執事のバンター、妹のレディ・メアリ・パーカーも出てくる。
こういう物語って案外書けそうな気がする。いつかやってみよう。ピーターとハリエットのある日のことなんかを。

2001.4.19

「陰陽師」をテレビで見る

昨夜のわたしはテレビっ子だった。「鬼平犯科帳」を7時から9時、2時間開けて11時からは「陰陽師」を見てしまった。「陰陽師」1回目は期待しないで見てわりとええやんと思った。2回目は見るのを忘れていた。昨夜は第3話を見た。夢枕貘の小説は早くから読んでいたし、その後の朝日新聞連載の長編小説は哀愁があってよかった。岡野玲子のマンガをVFC会員の下岡さんに8冊ほどお借りして読んでいた。どっちもおもしろかったけど、テレビになったらどうだろうと思っていたら、小説とマンガどおりの展開でけっこうおもしろい。映像だから具体的になって、想像の世界がせばまってしまうのはしかたないが。
阿倍晴明さんがかっこよくなければ困るが、イメージとちょっと違うが稲垣吾郎はよくやっていると思う。相棒役の人はもうちょっと清潔感のある人だったらいいのに。会話がシャーロック・ホームズとワトソンみたいな感じ。
昨夜は川に落ちた息子を助けようとして死んだ夫が、嘆く妻の元に通ってくる話で、冥界へ引きずりこまれそうな妻を夫から引き離すことを頼まれる。晴明の方法は、妻の心がほんとうに息子とこの世で生きていくことを選ぶなら、ということで、張り巡らせた境界線は夫が破って入ってこられるものだった。そこで母として生きていこうとする妻の心を、夫は受け入れて冥界へもどっていく。なんだかカウンセラーのような晴明であった。
岸里に住んでいたころは東へ道を登っていくと阿倍野区で、阿倍野神社や帝塚山、北畠、天神ノ森、阿倍晴明神社、松虫などは散歩道であった。たしか花田清輝か安部公房が阿倍晴明を主人公とした戯曲を書いていたのを読んでいたし、地名もおもしろいと思って歩いたものだ。元気になったらまた散策しに行こう。

2001.4.18

「鬼平犯科帳」をテレビで見る

ハリの先生のSさんからファックスが入った。今夜7時からテレビで「鬼平犯科帳」があるとのこと。わたしは月に1回くらいハリ治療してもらいにSさんの診療所へ行くが、いつも話題は「鬼平犯科帳」である。最近は「シャーロック・ホームズの愛弟子」シリーズを読まれたので、そっちの話もするが、基本は鬼平さんである。その気配りや気っぷの良さを各作品を例に出して話すのだが、片方が言い出すと、すぐあれとわかって相づちを打つところがすごく楽しい。そしてその会話が何年も続いているのがおかしい。
テレビでは中村吉右衛門の鬼平さんがぴったりで、奥方の久栄さん、部下たち、密偵たち、すべて適役だと思う。今夜は「大川の隠居」であった。シリーズの中でも好きな作品である。大川の隠居とは大川に長年いる鯉のことで、老船頭友五郎の声を聞き分けて現れる。友五郎は昔盗賊で、いまは足を洗っているが昔の仲間におどされ盗みの手伝いをさせられ、鬼平に逮捕される。その前に遊びで鬼平の寝間に忍び込み、煙管を盗み出したことがある。その経緯もおもしろい。
わたしは鬼平さんが友五郎の船で大川の隠居を見たときの様子が好きで何度でも読んでいる。今夜は事件が終わってから、粂八とおまさを連れ船を出し一献かたむける。鬼平とおまさは一瞬大川の隠居を見かける。あれは幻だったかとおまさが言う。そこで、ほんとうさ、大川の隠居に一献、と鬼平さんが盃の酒を川に傾けるところがとてもよかった。

2001.4.17

ビデオの映画「インサイダー」

最近ほんとに映画を知らない。見ない上に知らないという物心ついてから映画のことでは一番の危機状態になっている。「グラディエイター」をようやくビデオで見て、ラッセル・クロウが良かったと書いたら、いつもコメントを書いてくださるNさんがこの映画を教えてくださった。それで前知識なしで見たら、すごい映画だった。タバコの害についてアメリカはきびしいと聞いているが、そのためにはやはり個人の闘いがあったのだ。
アル・パチーノはテレビの敏腕プロデューサーのバーグマン役で、ある日タバコの害についての匿名の書類がテレビ局の彼のところへとどけられる。これに応えられるのはラッセル・クロウ扮するワイガンド博士だけだとわかって連絡するが、なかなか応じてくれない。博士は大手タバコ会社をクビになったところだった。家のローンが残っているし娘が喘息で医療にお金がかかる。退職金と医療保険の継続を約束された解雇だった。タバコはニコチン中毒者をつくるのに、それを隠蔽している大タバコ企業を告発しようとバーグマンは博士を説得する。まだだれも知らないはずなのに博士の家には脅しがかかる。気持ちは揺れながらも屈しないで証言しようとするため、家も引越し、高校の化学教師の職を得るが、脅しに怯えて妻は子どもを連れて出て行く。かんじんの番組はテレビ局上層部の圧力で放送できない。バーグマンは休暇を命じられる。博士は嘘つきだという文書がばらまかれる。その文書の嘘をあばきだした上で、考えたのが他のメディアへの発表だった。ニューヨークタイムズにテレビ局の実態も併せて書かせてしまう。遂に番組はテレビで放送される。最後、一度提供者を裏切ったからもう信頼して話してくれとは言えなくなった、と言って引き留められたバーグマンはテレビ局を去る。
個人の力で持ちこたえきれないほどの大企業の圧力を受けながら闘った、化学者とジャーナリストの物語であった。158分じっと見ていた。

2001.4.16

まあ、なんてこと

一昨日のことやけど、弁天町のTSUTAYAで「インサイダー」を借りたんやけど、「これ」って店員さんに渡したら、「これは字幕ですけど」と言いやんねん。なんと、わたしに向かってなにを言うてくれまんねん(笑)。年寄りは吹替えを借りろってか(笑)。わたしが年寄りに見えたってか(笑)。
それで思い出してんけど、うちの父親が70歳になる前に、新世界へ映画を見にいったら「お芝居はあちら」と言われたと怒っていた。西部劇を見に行ったのに横だか向かいだかの大衆劇場を指さされたんやって。まあ、父親の場合、年寄りでもモダンなのに行くのが自慢の人やったから、それを強調するためにオーバーに話していたみたいやけど…。

今日は着るものを買いに心斎橋のエディ・バウアーへ行ってきた。いますぐ着られる服があってやれやれだった。帰りはしんどかったけどアメリカ村を通った。いつものことながらものすごい賑わい。御津八幡宮の桜を今年は見ていなかったので寄ってきた。アメリカ村の真ん中にあるこの神社の桜は見事である。もう葉桜になってしまっていたが、新緑の枝振りを見るのもよかった。チャルカに寄ってお茶とバナナケーキのいつものメニューで休んだ。晩ご飯はお手軽に麻婆豆腐を作った。早く映画を見なくっちゃ。

2001.4.15

弁天町散歩

今日は良い天気だがちょっと寒かった。これが当たり前で、先日の陽気がおかしかったんだよね。プール行き3回目は慣れてきて45分の歩きののちサウナにも入ってきた。
帰りはJRの高架に沿って歩いた。高架の下には飲食店などに混じって町工場があり、鉄の切り屑がドラム缶に入れてあってなつかしかった。旋盤なんかで削った後の細くてくるくるとしたやつ、昔、パーマネントと言っていたっけ。西淀川区の町工場で働いていたことがあってね。「姫島や千船では道はみんな海に向かっている」と小野十三郎がうたった地帯であった。自転車でよく海を見に行ったものだ。その辺りの近くがいまやUSJだもんね。
地下鉄とバスとJRの弁天町駅があり、阪神高速と中央大通りが交差しているところに建っている高層ビルのショッピング街を探検してきた。レンタルビデオのTSUTAYAがあると聞いていたので申込みをして「インサイダー」を借りた。ラッセル・クロウが出ていると、4月9日のこのページを読んだNさんがメールで教えてくださったので。
本屋で田中康夫と浅田彰の新・憂国呆談が出ている「GQ」5月号を買った。特集がジャズなので読むところが多そう。ちょうどお昼時だったので、このビルで働いているらしいたくさんの人たちがお店や広場にいて賑やかだった。
お昼ご飯をカレー専門の店に入ってみた。「ターメリック」というインド風の店で、辛いのを注文したら、中辛にしたほうがよいと言われて従った。不満だったけれどそれでよかったのが腹が立つ(笑)。

結局10000カウントの申告はなくて、ただ一人「当たらなくて残念」メールをくださった清重さんに石けんを送らせていただきました。いつも読んでくださってありがとうございます。

2001.4.13

やっときた 10000カウント

1998年9月4日にはじめたこのホームページ、1年経った1999年9月で1460、2年目の2000年9月で5250だった。最近飛躍的にと言うほどでもないが増え方が早くなった。「毎日見てるよ」と言ってくださるかたが何人かいるしね。
先日10000と9999と10001にあたった人に石けんを差し上げますと書いたので、石けん提供のツ・ジャンさんと「届けっ!」メールを待っていたんだけど、いまに至るもメールが来ない。3人とも遠慮っぽい人か、こちらに名前の知られたくない人か、めんどくさい人なんでしょうか。知りたくなってきた。もう少しお待ちしていますので、3つのカウント数が出たかたはご面倒ながらメールをください。また、それに近い数字だったかたもメールをくださればうれしいです。

2001.4.12

内田百間「ノラや」

内田百間の「間」は、門がまえの中が「月」なんだけど字がないので、仕方ない、百間でいく。
「ノラや」のことを知ったのは子どものころで、家でとっていた雑誌「小説新潮」に連載されていて、家の者が「たかが猫で騒いでいる」「大のオトナが猫がいなくなって毎日泣いている」とか、わりと話題にしていたのでずっと覚えていた。借金の名人いうこともよく話題になっていたように思う。
そのころ家にはピンキーという雌猫がいたが、まったくネズミ取り用の家畜として飼っていた。冬の夜はわたしの布団の中にもぐりこんで寝ていたが、廊下の片隅で子どもを産んだのを、1匹ずつ銜えてわたしの布団の中に持ってきたのには驚いた。足にへんなものが触るので目が覚めたら生まれたての猫だったんだもの。あわてて廊下の猫箱に毛布なんかを入れてやったっけ。
「ノラや」は手許にある中公文庫に初版1980年とある。家族間で交わされた会話がなつかしくて、文庫が出てすぐ買ったのだが貸したままだったりで、いま持っているのは1995年13版のものである。うちの猫の花子がきたときはこの本はもう持っていて、いま「花子ノート」を開くと、この本の1ページがコピーして貼ってある。花子はあらかじめ別れることを意識して飼い始めた猫なのだ。
でも、まだこの本を開いて読みたくはならない。百間のあまりの嘆きを読みたくない。19年いっしょに暮らした花子を自分の腕の中で亡くしたわたしから悲しみが去らないのだから、元気な猫のノラが行方不明になってどんなだったろうと思うと読めないのだ。もちろん、本は何十回も読んでいるから話はわかっている。だからと言っていま読むことはできない。
内田百間はノラが去って毎日泣いて暮らしているうちに、クルツという猫を飼うことになった。この猫は最後を百間夫妻に看取られ号泣の中で死ぬ。別れと死を書いた本は4月によく似合う。

2001.4.11

初夏の陽気に新庄選手のホームラン

今日の大阪は27度だったそうで、暖かいというよりも暑かった。お昼過ぎのラジオで新庄選手のホームランを知った。新庄選手のオフィシャルホームページ(http://www.shinjyo5.net/)をさっそく見たら、もうちゃんと記事が入っている。本拠地ニューヨークで7番右翼手で先発フル出場、6回裏左中間へのホームラン。夕方のテレビニュースでは号外が出たそうです。
話は変わるけど…わたしは昨日2回目のプール行きで45分間の水中歩行をしてきた。前回よりちょっと水にも慣れたし、黙って歩くのが苦にならないので、もうちょっと時間を延ばしたいところだ。1時間はしたいな。帰ってからどっと疲れが出るんだけど、昨日は心地よい疲れというのか、スポーツ疲れってこんなのかなと思った。久しぶりにハイキングから帰ってきた感じを味わったというか。夜もぐっすりと眠れたしね。今のところ、快食、快眠、快便である。
パソコンと本たまにビデオときに散歩という生活から、今年は思い切って抜けだし、体操をはじめたし、プールも行きだした。いろいろ健康のことを考えるようになったから、ちょっと体を悪くするのもよかったのかもしれない。

2001.4.10

ビデオの映画「グラディエーター」

いまごろこの映画を見るのはかっこわるいと思いつつビデオを借りてきた。リドリー・スコットの映画は大好きで、「エイリアン」「ブレードランナー」はもちろん、「レジェンド」「デュエリスト」のレーザーディスクを持っているくらいだ。「テルマ&ルイーズ」は気を入れて輸入版を買った。それが期待して見に行った「コロンブス」でがっかりしてしまい、それからなにも見る気にならない。
「グラディエーター」だって、「ベンハー」みたいなんじゃあないかと思って、リドリー・スコットなにしてんねんって感じで見る気がしなかった。それがどうもそうでないらしいとわかって、ファッション誌で見たラッセル・クロウの顔も良くて、見る気になった。前置きが長くなったけど、見て良かったです。
ローマ皇帝が跡継ぎにできないと判断した息子に代わって後を頼まれた英雄が、父を殺して即位した新皇帝に殺されるところを逃れる。故郷の妻も子も惨殺されて、自分も瀕死のところを助けられ奴隷にされる。行く先々で「グラディエーター」として頭角を現した彼はついにローマで闘うことになる。手に汗握る格闘技の連続、こういう格闘シーンもけっこう好きなんだよね。ラッセル・クロウは単なる肉体派の俳優でなくて、知的な笑顔や内省的な表情がすごくよくてファンになってしまった。ローマの競技場で皇帝と向き合ったとき冷静さと品を失わないところもよくやっていた。

2001.4.9

「ジャーロ」3号は読み応えがあるよ

サラ・パレツキーのインタビューがあると聞いてそれだけで買ったけれど、「ジャーロ」3号は読むところがたくさんあった。もちろん、サラ・パレツキーの短編小説「フォト・フィニッシュ」は、相変わらず引かないヴィクの物語を読めてよかったが、「Fミステリーの世界」特集ということで、他の女性探偵の物語も読むことができた。なかなか次が出版されないジャネット・イヴァノヴィッチのステファニ・プラムものの短編では、相変わらずそそっかしいステファニーの活躍に出会える。マーシャ・マラーはシャロン・マコーンが貫禄ついっちゃってね、彼女にハッパをかけられて甥っ子とその恋人が活躍している。
特別寄稿ということで、S・J・ローザン「探偵小説のヒーロー、あるいは“それを書く理由”について」はアメリカの私立探偵は古代世界の神話にルーツを持つヒーローという説に説得力があった。一つは古典的な救出の物語、もう一つは人の指図によらず、自身の欲するままに生きるための苦闘という、ローザンの指摘はその通りだと思う。そして、S・J・ローザンの作品の中の2人の探偵、白人男性ビル・スミスと中国人女性リディア・チンについて語っているところも納得のいくものだった。
その他、わたしははじめて読んだんだけど、イタリアのA・カミッレーリの短編2作がよかった。モンタルバーノという警視が主人公のもの。「現代イタリア・ミステリー事情」という解説記事も勉強になった。A・カミッレーリはハルキ文庫から長編小説が出ているらしい、さがさなくっちゃ。

2001.4.8

サラ・パレツキー「フォト・フィニッシュ」とインタビュー

光文社発行の季刊雑誌「ジャーロ」3号にサラ・パレツキーの短編小説とインタビュー記事が掲載されていると、山本やよいさんと木村二郎さんに教えていただいた。買ってきて開いたらすぐに深紅のジャケットを着たサラ・パレツキーがいる。次のページは黒いコート姿でミシガン湖のそばや、ヴィクのオフィスがあるサウス地区を案内している写真。それにお気に入りのスポーツカー「ジャガーSJX」に乗っている写真もある。かっこいい。そして小説ページのトップに最新の短編小説「フォト・フィニッシュ」(山本やよい訳)が載っている。
ひとり読んで満足していたが(もちろんヴィク・ファン・クラブの会員には会報で紹介したのだけれど)、今日突然、ホームページに紹介せんとあかんやんか、と気がついて、さきほどトップページに紹介記事を書いたところだ。ぜひ買って読んでください。
「フォト・フィニッシュ」は、去年の夏に発行されたアメリカの雑誌から、VFC会員の下岡さんが訳してくださったのを読んでこのkumikoページに紹介記事を書いたことがある(2000年11月)が、『ハード・タイム』後のヴィクを知ることができる。依頼人が調査を終了すると言ってきても、自分が納得するまでとことん調べる変わらぬヴィクの姿がうれしい。メアリ・ルイーズもパートタイムで助手をしている。

2001.4.7

セーターの洗濯

春になるとクリーニング代が大出費だ。外で働いていたときはセーターの洗濯はクリーニング屋さんに出していた。収入の少ないいまは大物を除いては手洗いしている。一度家庭でできるドライクリーニング液というのを買ってみたが、へんな匂いが残って気持ち悪い。去年VFC会員の谷澤さん(当ホームページに「ヴィク・シリーズの人々」を書いている)からもらった手紙に、自然石けんでセーターを洗うと気持ちがよいと書いてあったのを思い出して、今年から洗濯、食器洗い、掃除となんにでも使うお気に入りの「バード」という液体石けんで洗っている。「バード」は詰替用を東急ハンズに行ったときに買ってくる。
流しにバケツに持っていってお湯に溶かしてセーターをちょっとつけておいてから押し洗いする。干すところが狭いので、毎日1枚ずつ洗って干す。乾いてからの毛糸の感触がとてもいいのがうれしい。そんなに数を持っているわけではないが、毎日1枚のお洗濯が当分続きそうだ。

2001.4.6

プール初日

スイミングクラブが4日まで休みだったので、今日が4月の初日である。地下鉄の弁天町駅は高いところを走っていて、痛む足に階段の昇降がこたえるのでバスにした。停留所も近いし。しかしバスは本数が少ないので時刻表を調べておいて、準備万端整えて出発。
バスの客はわたし1人だった。地下鉄と違って大回りしていく。安治川の渡しの側を通り、弁天ふ頭を通った。弁天ふ頭には関西汽船と加藤汽船の待合所がある。懐かしいような風景だった。15分かかってようやく弁天町バスターミナルに到着。ちょっと旅気分はよかったが、方向音痴なので自分がどこにいるかわからない。あちこちして、ようやくプールに到着したが、ここまででもう疲れちゃったよ。昨日の夜が遅かったので体調はあまりよくないし帰りたくなったが、ここまで来たんだからと入っていった。
受付に行きロッカーのカードをもらい、係員に教えてもらって血圧を測り、シャワーにかかってからプールに入った。途中5分間の休憩を入れて45分間水中を歩いた。外に桜の花が咲いているのが見える。初心者はプールの半分を使って、歩いたり泳いだりするようになっている。数人が黙々と歩いている。さっきの疲れも忘れるほど水中ウォーキングは快適だった。こんなに歩いても痛みがないんだもんね。このプールは子ども向けスイミングスクールの空いている時間を年輩者に提供しているようである。わたしにぴったりのいいところが見つかってよかった。運動不足も解消しそうでうれしい。

2001.4.5

花は咲いたが

桜が満開である。体操仲間の1人と練習後に土佐稲荷神社でお花見した。といっても神社のそばの喫茶店でランチを食べてから、神社と隣接する公園をぶらぶらしただけで、おしゃべりしながら歩くのがいいんだけど。今年も桜を観られたって満足感がわいてくる。とりあえず元気でこうして桜を観ている…ありがたい。
去年のバレンタインデーに猫の花子が死んだ。花子は20年前の桜の季節にアパートの廊下で拾った。花子という名は桜にちなんでつけた。死んだバレンタインの日よりも桜の咲く季節のほうが花子を思い出す。それで去年から桜の季節はしんどい季節でもある。
夕方冬物衣類を抱えてクリーニング屋に行った。店にいた古い店員と久しぶりに話していたら、「猫ちゃん元気?」と聞いてくれた。彼女はずーっといつもこう聞いてくれていたのだが、なぜか去年から会っていなかったのだ。そこで死んだ日のことや元気だった日のことを話したら、涙ぐんでしまった。彼女ももらい泣きしてくれた。クリーニング屋の店先でいいオトナが2人、ティッシュで涙を拭いたりハナをかみながらしゃべっているのがおかしかった。

2001.4.4

急にぜんざいが食べたくなって

買って食べるおまんじゅうやケーキはもちろん大好きだけど、たまに食べたくなるもの、それはおぜんざいだ! 小豆は水につけておかなくてもいいから、思ったときにすぐ炊くことができてありがたい。小豆を一合だけ2.5倍の水を入れて弱火にかける。今日は水が足りなくてちょっと途中で足した。柔らかくなったら塩を少々入れる。半分以上は塩煮として食べるようにタッパーに入れて別にしておく。甘くない小豆もうまいものだ。
残したのにお砂糖を入れてうんと甘くしたのを、可愛い鉢に入れて食べると、お・い・し・い。後で飲む煎茶がまたおいしいのよね。
先日、どういうわけか、アベカワが食べたくなってね。子どものころ、母親がどうして作ってたかを思い出しつつ作ってみた。お餅を焼いて、お湯につけて、きなこと砂糖を混ぜたのをまぶすだけでいいのかな。やってみたら、けっこうおいしかったけどお餅がちょっとかたかった。もうちょっとお餅を柔らかくして、も一度作ってみよう。

2001.4.3

10000人目はだれ?

当ホームページのカウント数ですが、ようやく10000ヒットが目前にせまってきました。最初の1000、2000には時間がかかりましたが、ここのところ順調に伸びています。平均して1日20人を超える人たちに読まれていると思うと身が引き締まります(オーバーな)。
さて、ヴィク・ファン・クラブ・ホームページ10000ヒットを記念して、手づくり石けんのツ・ジャンさんが、新製品「夏みかん石けん」を提供してくださいました。これは岸和田産の無農薬夏みかんをしぼって作ったもので、気持ちよい香りの液体石けんです。
運良く10000という数字に巡り会ったかたは、kumikoページ表紙右上、BACKNUMBERの下の「MAIL」をクリックすると、私あての「届けっ」メールが出てきますから、お名前、メールアドレス、ご住所を記載して「届けっ」をクリックしてください。「夏みかん石けん」1瓶をお送りします。 なお、うちのカウントの数字は“更新”しても数字は増えません。また、一度切ってもう一度来ても、かなり時間が経たないと同じパソコンからでは数は増えません。
まだまだあるぞ。惜しくも9999、10001のかたには、やはりツ・ジャンさんの手づくり固形石けんをさしあげます。ご連絡くださいませ。

2001.4.2

うちのマックのエイプリルフール

今日は日曜日、朝寝坊をしてのんびり起きたら、早起きの相棒がまっさおになっている。「マックがあかんねん、うんともすんとも言わん」、起きた途端に言われても状況が把握しにくい。昨日は機嫌良く動いていたのだが、最後にMOが使えなくなった。まだ3カ月しか使っていないMOが壊れるなんておかしい、と言いつつ、もう1台あるのに替えることにして、これは修理に出そうということになったのだが、結局マック本体のほうがおかしかったみたい。
相棒はわたしが起きるまでいじりたおしていたらしいが、動かなかったらしい。プリンタ2台、外付けハードデスク2台、スキャナ、MOを外し、電話線を外し、本体とモニターだけにしても動かない。本体の中をいろいろといじって、ここまでやって動かなければもうおしまいだと言うので、アタマが真っ白状態、マックなしの生活はできないもん。新しいのを買うお金どないしょう???
それがね、ちょっとしてから、ぽんと押したらついたんですよ、ちゃんと。いつものように画面の真ん中に“Mac OS 9”と浮かび出てきたときは感動したわ。
どうなっていたのかは知らねども、これからは大切に使おうと、いますぐ使うものだけをつないだ。MOも無事動いている。
なかなか強烈なうちのマックちゃんのエイプリルフールでした。

2001.4.1

写真:フランスの絵本「Potagers Vergers」

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