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2001年1月


暴食の話と例会の報告

わたしの最大欠点は食べ過ぎである。そのために太りすぎているので膝にも悪いのがわかっていながら、なかなか減量できない。せめてと思って、朝・昼・おやつ、をたっぷり食べても、夜は少なめにして8時以降はお腹に入れないようにだけはしている。それが土曜日の例会、日曜日に兄のところで会食、月曜日遅く亭主と酒宴と3日間連続してその誓いを破ってしまった。
悪い結果はすぐ現れて、昨日お昼とおやつに食べたものを夜吐いてしまった。今朝、明け方目が覚めたら下痢の大襲来である。まあ、なんと繊細なんでしょうね(笑)。
そんなことで、今日はお昼まで寝込んでしまったが、週末ボランティアのプリント仕事があるのを思い出して、起きあがりお茶とリンゴを食べて片づけた。その後隣人とお茶してしゃべっていたら治ってきた。やれやれ。

そうそう、土曜日の例会は、ヴィク・ファン・クラブができる前の集会に参加れていたNさんが来られて、当時の話なんかして盛り上がった。9年前、バブル最終のころのことで、参加した女性たちは元気がよかった。ほんと、わたしなんか吹き飛ばされそう(一番目立っていたという説もあるが)であった。デキルふうな女性ばかりで、システム手帖をばさりと出してね、髪をばらりと掻き上げて(落ちてくるようにセットしてあるらしい)、勇ましいことをしゃべっていたっけ。みんな高下駄はいてたんとちゃう? なんて話しながら大笑い。現在彼女らは一人も残っていない。
Nさんは「高慢と偏見」のビデオを持ってきてくださった。他の方々とは初対面であったが、そこはヴィクとダーシー氏の話題でいきいきとした会話を交わすことができた。楽しい例会であった。

2001.1.31

古い映画の話ばかりで恐縮ですが…

図書館で借りたビデオ「黄昏のチャイナタウン」(1990)は、ロマン・ポランスキーの傑作「チャイナタウン」(1974)の後編として、私立探偵を演じていたジャック・ニコルソンが監督・主演している。「チャイナタウン」から10年後、父と娘の間に生まれた悲劇のこどもが成長してロサンゼルスにもどっている。この映画は、前作が37年だったから1947年のことになる。ある男から妻の不貞を調べてくれと依頼されるんだけど、その男が「チャイナタウン」の悲劇の娘の夫で若いハーヴェイ・カーテルでね。またまた哀しいストーリーであった。
まあ、どうってことのない映画なんだけど、娘をやっている女優に見覚えがあってね。40年代風の髪型やメイクで悲劇的に美しいんだけど、タイトルをよく見たらメグ・ティリーであった。この名前知ってる。そうそう「再会の時」のウイリアム・ハートと仲良くなる若い娘であった。「再会の時」は一人の男が自殺して葬式に昔の仲間が集まるのだが、自殺した男の若い恋人をやっていたのがこのメグ・ティリーであった。それだけの話なんだけどね。いまどうしているのだろうと、ちょっと気になったので。

2001.1.30

テレビの映画「夜の大捜査線」

日曜日の夜NHKで「夜の大捜査線」をやっていた。1967年の映画で、封切り以来ビデオやテレビで何度となく見ているけれど、今回も最後まで見てしまった。出だしからすごくいいのね。母を訪ねた帰りに列車の乗り換えのためにミシシッピー州の田舎町の駅で時間待ちをしている北部で働く黒人刑事シドニー・ポワチエ。タイトルの時から流れている音楽がよい。その姿を町で起きた殺人事件の犯人を捜している警官が見て即逮捕する。見慣れない黒人がいる、財布を取り上げてお金がたくさん入っているのを見た、それだけで逮捕の理由になるのだ。連れて行かれた警察で署長が長距離電話してフィアデルフィアの腕利きの殺人課刑事とわかる。しかもその事件に協力したらどうだとのこと。
殺されたのはこの町に工場を建てるために来ている有力者だった。警察署長のロット・スタイガーはこの町の人間らしく差別主義者だが、だんだん仕事ぶりから黒人刑事を信頼していく。常に冷静な態度を保っているが、綿農場の経営者に殴られたら殴り返す刑事をこれ以上この町にいたら殺されると送り返そうともする。いろいろあるが、最後に殺人犯人を捜し出し、町を離れていく刑事と署長の握手が快い。
旧態依然としたミシシッピーの田舎町だけれど、工場が誘致され、旧来のナンバーワンである綿農場の主はおもしろくないという、徐々に資本主義化されていく過程での犯罪、それに対応しきれない警察と、あせる黒人差別主義の白人たちを描いている名作。

2001.1.29

鍋はてっちり

一昨年買った兄のiMacのメンテナンスのために午後から千里まで行った。千里の駅に着くと黒い雲が立ちこめて横なぐりの雨。せっかく木や草を眺めて歩きたかったのに、電話してクルマで迎えに来てもらうことになった。なのにクルマを待っている数分の間に雨があがってしまってね。なんてことかしら。しかし寒いときに上り坂を歩くのがしんどかったかもと考えなおした。家に着くと雨上がりの庭の木々が日を浴びてきれいに光っていた。
メンテナンスのほうは今日は連れ合いがいるので気がラク。横に座ってしゃべっているだけですんだ。夕方ご飯を食べに駅前商店街まで行った。今日はてっちりをご馳走してくれるとのこと。酢がき、てっさ、湯引き、そして、てっちりを食べて雑炊。おいしかった。一昨年東京から友人が来たときに、黒門市場までフグを買いに行き家で食べたきりだったので2年ぶりだった。なんと言っても鍋はてっちりがいちばんうまいわ。

2001.1.28

プルースト「失われた時を求めて」第二編

昨日も今日も雨である。関東方面はえらい雪らしい。東京と横浜の会員から雪だよりメールがとどいている。雪が積もるのもかなわんが、雪なしで寒いのはもっといやなものだ。寒雨ってのが最近多くて憂鬱になる。土曜日、例会に出かけるまでは、終日読書の日にしようと決めて数日前から再開したプルーストを読みだした。
「花咲く乙女たちのかげに」第一部「スワン夫人をめぐって」をようよう読み終えた。読み出してからずいぶん放っておいたので、栞を挟んだところから読んでもわけがわからず結局全部読み直すはめになった。
大人になった「私」が付き合うスワン家をはじめとする社交界の人々の様子がくわしく語られる。まず自分の家での会食で、作家や外交官との交わす会話で「私」は自分の考え方をかためていく。第一編「スワンの恋」で延々と語られたスワンとオデットが結婚していて、「私」はスワン家の娘ジルベルトと知りあい、恋をし、彼らの家に出入りをはじめる。やがてジルベルトには遠ざけられるが、それでもオデットが招待してくれるのでオデットの客として出入りする。オデットの好意に応えて叔母の遺産の調度品を売り払い、大量の花をオデットに贈ったりする。オデットの服装やインテリアの進化の仕方もすごくおもしろい。時代の変化とオデットの努力が解け合って「私」が訪れた「時」のありさまがよくわかる。
そこで観察したオデットをめぐる社交界の人たちの生態が書いてあるのだけれど、もちろんそのまま書いたのではなく、プルーストの頭の中で客観化され、抽象化され、もう一度こと細かく述べられた言葉が、あらゆる人間に適応できる普遍的なものになっている。ふーっ。

2001.1.27

刺し子のふきん

友人が編物に凝っている。熱中しすぎて目を上げると頭がくらくらしたという。もう何枚もセーターやマフラーを編んだそうだ。編物には人を熱中させて心を癒す効果があるらしい。でも、わたしには向いていない。そういうときがあったのが不思議だが、あるとき手編みのセーターなんかいいなと思って毛糸を買ってきた。編み出すと気がせいて引っ張って物差しを当てるものだから、身丈も袖丈もめちゃくちゃ短いセーターが編み上がった。もちろんそれでほったらかし。以来編物しようなんて思いもよらない。
でもなんか手仕事したいときってあるものだ。だからって技術がいるものは最初からお手上げなのである。大分前の話だけど、雑誌「銀花」を読んでいたら刺し子が出ていた。見事な刺し子の半纏とかからの発想だから恐れ入る。ただ縫うだけならできそうってんで晒を1巻と赤い木綿糸を買ってきた。そこそこの大きさに切って重ね、鉛筆で模様を書いた。日本の伝統デザインの本なんか見て、麻の葉や矢絣、ラーメンの丼のふちの模様、とか線を引いて赤い糸で縫っていく。これは1日1枚はできるのでわたし向きだ。たくさん作って人に配った。何回も晒と赤い糸を買った覚えがある。ある日突然めんどくさくなってやめた。あっと気がついたら手許に作品(?)がない。みんな人に上げたり使っていたのだ。もう縫う気が起こらなくってね、使っている布巾を3枚洗ってアイロンをかけた。いま仕舞ってあるのはその3枚で、見るたびによくこんなことしたなあって思う。麻の葉模様の布巾って色気があるけどね。

2001.1.26

柚子のお風呂は気持ちがいいが…

友人から送られてきた包みの中に、そこの庭で穫れた柚子が1個入っていた。ありがたくさっそくお風呂に入れて長湯した。お風呂場に柚子の香りが満ちていい気持ち。
去年の冬まで柚子のお風呂に入るのは遠慮がちだった。猫の花子がお風呂が好きでいつも後から追いかけてくる。そして風呂の上に置いた板の上に座って水を飲んだりして遊んでいた。猫は柑橘類が嫌いらしく柚子湯にすると入り口で鼻をくんくんさせ嫌な顔をして出ていく。わたしも花子とお風呂に入いるのが楽しいので柚子や柑橘系の香りの入浴剤などは使わなかった。そのくせ一人たまにゆっくり風呂に入りたいとよく笑いながら言ってたものだ。
今年はみかんや伊予柑を食べるのも、柚子のお風呂に入るのも遠慮しなくてよい。よーしとばかりゆっくり一人で温まったが、なんだか足りないものがある。そう花子の風呂場のドアの前でぎゃーぎゃー叫ぶ声がない。

2001.1.25

伊予柑は春の香り

毎週水曜日はポラン広場の宅配が来る日で楽しみにしている。ただ先週の野菜を食べ残してしまうと、そのうえに今週分だからたいへんだ。狭い台所の床は野菜の山となる。しゃかりきで野菜料理を食べなければならない。いまは寒いから根菜類は新聞紙に包んでベランダに出しておく。
品物が届いたときに来週分の注文書を渡す。今日は伊予柑を頼んであったのが来たので、さっそく皮をむいた。部屋中に伊予柑の甘い春の香りが漂った。わたしは柑橘類の中でいちばん伊予柑が好き。
お正月ごろからは30分近く日の暮れが遅くなった。窓から入るお日様の角度が変わってきて部屋の日照時間が心持ち長くなった。いまは大寒に入って寒い真っ最中、まだまだ寒さは続くのだけれど、春の訪れが少し聞こえるような気がする。
これからしばらく税金の計算にかからねばならないのが、年が変わってからの気がかりで、自営業の友人と会うとこの話になるが、確定申告が終わるころに東大寺のお水取りも終わって、春になるのが毎年の順序だ。

2001.1.24

部屋の模様替え

狭い部屋をどううまく使うか、生まれてからはオーバーだけれど、ものごころついてからいつも考えているような気がする。廊下の隅っこに壁に向かって置かれた机一つが世界だった時代は、その机の上で着せ替え人形で遊び、人形に託した主人公の少女の物語を書き綴ったものだ。
自分で家賃を払って暮らすようになったときは、本棚と机を置く自分の部屋ができたことがどんなにうれしかったか。6畳一間に流しとガス台だけがついているだけだったけれど、意気軒昂たるものがあった。何十年経ったいまもそんなに事情は変わらない。少々広くなりベッドルームが別にあるという程度のものである。
板の間にパソコンと周辺機器やコピー機を置いたコーナー、テレビ周辺機器を置いたコーナーがある。本はきれいなものは本棚に収め、あとは段ボール箱に仕訳して押入に入れてある。場所をようよう確保して敷いたカーペットの上で体操するし昼寝する。ご飯を食べるテーブルは作業用にもなる、勤めているころ1カ月分の給料を投じて買ったもの。椅子は一昨年アルフレックスを奮発した。部屋が広く見えるコツはものを積み上げないことである。ものは常に必要かどうか判断して不要なものは捨てる。
いつも模様替えをすると、これがベストと思うけれど、またしばらくすると家具を動かす。そのときは隅々まで掃除するので一石二鳥だ。今日もちょっと入れ替えして掃除機をかけ雑巾掛けをした。窓際の本棚の上は植木がびっしりと繁っている。わたしには狭いながらも楽しいわが家だ。

2001.1.23

大阪盛り場めぐり

連れ合いが大阪に単身赴任している知りあいがちょくちょく札幌から現れる。好奇心の強い専業主婦で、もうキタ、ミナミ、天王寺と歩きのベテランとなっている。もうちょっと変わったところに行きたいというので、コースを考えて案内した。わたしも久しぶりに市場なんかを歩きたい。
まず地下鉄御堂筋線動物園前からジャンジャン横町を通り、づぼらやの角を曲がって通天閣へ出て、更科で鍋焼きうどんを食べた。通天閣の下からタクシーで四天王寺の側を通り鶴橋市場へ。迷路のような市場の中をうろうろしてから韓国市場でキムチ、チヂミ(甘鯛、ホルモン)、焼き海苔、干しエビなどを買う。内臓専門の店やら韓国の野菜やら韓国の服の店やら1店ずつていねいに眺めて歩いた。
またタクシーで上六を通って難波グランド花月(吉本)まで。タクシーをはずんだのは街の様子を見せながらというつもりである。吉本ではわたしらは知らないタレントを囲んで、女の子たちが大騒ぎで写真を撮ったりサインをもらったりしていた。若いタレントはそれなりにプロの顔をしていた。連れは大喜びである。劇場の前でなにをやっているか確かめたら大助・花子が出ている。入場料は当日4000円、前売り3500円、今度彼女が大阪へ来たときには見に来ようということになった。
次は道具屋筋を見学、プロ用の厨房用品の店が左右に並んでいるところを丁寧に見た。うちでもステンレスのボールなんかをここで買って使っている。その後はなんばシティへ入ってバーゲン中のお店を眺めながら歩き、リーフという新しいお茶の店があるのを発見して入ったみた。キーマンティ(650円)を頼むとお茶のポットにお湯のポットがついていて、結局カップ4杯のお茶を飲んだ。木の実がのったでっかいケーキ(500円)がおいしかった。
お昼から夕方まで楽しい散歩だった。わたしは今年になってからどこにも行ってないのでとてもよい休日になった。

2001.1.22

今夜は鍋にしよう

長い間毎日晩酌というのが当たり前であった。飲み屋などで外食の時代もあったし、家で凝った酒の肴を作っていた時代もあった。夜は遊ぶ時間だった。だがここ数年で晩酌は毎日から週に3日くらいになっている。それも手のからないおかずばかりであっさりとすませている。年末に鮭が1匹とどくのを、以前は酒の肴にと氷頭なます用マリネ用と切り分けていたが、最近は切り身と頭を汁用にぶったぎるだけになってしまった。ちょとでもご飯のおかずとして長持ちさせようという根性である。
朝・昼はたっぷり食べるかわりに、夜は食事を軽くしてパソコンに向かう。仕事だけでなくいろいろすることがあって、飲んでしゃべっている時間が惜しい。本もまだまだしっかり読みたい。人生が押し詰まって来たとひしひし感じているようなところかな。
でも今日は日曜日だし、気持ちをゆったりさせてたっぷりと晩酌もしたいと思う。鍋にしよう。カワハギと豆腐ときのこと野菜を買ってきた。

2001.1.21

また、また「高慢と偏見」

「VIC FAN CLUB NEWS」1月号に「高慢と偏見」についての4人の原稿や手紙を載せた。また編集後記でもテレビドラマの3回分のうち(1)を持っている人がいたら出てきてと呼びかけた。ありましたよ、返事が。これが初メールのNさんからだったのにも感激した。
また会報を読んでいたら読みたくなったので「高慢と偏見」を買ったというメールがH・Sさんからきた。コリン・ファースのファンでもあるとのこと。これで6人目。みんな熱っぽく、なんだかヴィク・ファン・クラブでなくて、ジェーン・オースティン・ファン・クラブ、またはコリン・ファース・ファン・クラブのような有様になってきた(笑)。
「VIC FAN CLUB NEWS」1月号に載った下岡加代子さんの原稿「『高慢と偏見』ココが好き!」は近いうちにエッセイページにアップする予定。エリザベスの「おどかそうとなさればなさるほど、勇気が出るほうなんですの」を「あなたがおどかそうとすればするほど、こっちは勇気が出るの」とヴィクの言葉に下岡さんは置き換えた。ほんとにそうやわ、だったらヴィク・ファン・クラブのメンバーが「高慢と偏見」にはまるのは正しいヴィク・ファンの姿と言える。

2001.1.20

近くの公園をゆるゆる散歩

今日は少し寒さがゆるんで普通の冬の寒さという感じだ。銀行と郵便局へ行ったついでに近所の小さな公園を何カ所かめぐった。葉を落とした木々が凛として立っている。けやきの腕を広げたような美しい姿がかっこいい。山茶花がたくさん咲いている。やぶ椿のつぼみがたくさんついている。赤い実のついた木もけっこうある。
昨日図書館で読んだ水村美苗の「本格小説」が頭の中でうずまいている。図書館で本を読むのはあまり好きでない。でも雑誌は館内閲覧である。家では外から聞こえる自動車の走る音、向かい側にある自動販売機から落ちる缶の音がしょっちゅう聞こえる。消防署が近いのでよく消防車や救急車が通るが、全然気にしないで本を読んでいる。もっともそれが気になったらこのアパートに住んでいられないよね。図書館では携帯電話の着信音、女の子たちのひそひそ話、おっちゃんたちのいびき、すべて気になる。静かということを前提にしているからだろうけど。
でも昨日は100ページ近い小説をどっかり座って読んできた。中央図書館は夜8時半まで開いているのでありがたい。帰って続きを「新潮」2月号で読んだ。20数年前にアメリカへ貨物船で渡った貧しい青年が巨額の財産を築いたのに消えてしまった。謎の主人公東太郎の恋とはどんなものだったのだろうか。ヒースクリッフのような宿命の恋なのだろうか。キャサリンにあたる女主人公が次には出てくるのだろうか。少し寒さのゆるんだ冬の公園をゆるゆると歩きながら考えていた。

2001.1.19

居ながらにして

毎日寒い。あまり外に出ないで電話とファックスとメールでさまざまな人とつきあっている。ボランティアも出かけずに家でパソコンで作りファックスしたらすむ。ありがたいことだ。VFCの「ニュース」が着いたと続々とメールが入る。今年になってメールの交換をする人がまた2人増えた。
今朝は隣人が茨城県霞ヶ浦からとどいた蓮根をたくさん持ってきてくださった。うまそう。食べ方をいろいろと教えあった。この間は烏骨鶏の卵をいただいたがおいしかった。黄身がぽっかりと盛り上がっていてね。
そのうえに郵便で雑誌がとどいた。予告のあった水村美苗さんの小説が掲載されている「新潮」2月号である。さっそく開いたら先月号からはじまって〈来月に続く〉である。ここにはちょうど真ん中があるわけ。えらいこっちゃ、どないしょう、と思いつつ、まず送っていただいたのを読んだ。この前の部分を読みたい、どこかでバックナンバー売ってないかなあと考えたが、どうせ単行本になったら買うんだし、図書館に行くことにした。中央図書館が近いというのもありがたいことである。さっそく行って読んできた。感想は来月(3)を読んでから書くことにしよう。「嵐が丘」を連想させる謎めいた作品である。あわてて読んだせいが頭がぼーっとしてしまった。

2001.1.18

クレイグ・ライス「スイート・ホーム殺人事件」

わたしのミステリー体験を思い出すと、第一がドロシー・L・セイヤーズ「大学祭の夜」で、第二がクレイグ・ライス「スイート・ホーム殺人事件」となる。これはもう絶対。セイヤーズのことはミステリーのページに書いているうえに写真集までアップしてしまったが、クレイグ・ライスのはまだ全然ない。実は8年前「VI」第2号に書いているんだけど、テキストが残ってないし内容ももひとつと思えるのでボツにして、今日は今現在の感想を書くことにしよう。
「スイート・ホーム殺人事件」をはじめて読んだのは、やはり子どものころ。家にあった「宝石」というミステリー雑誌の特集号でだった。兄・姉たちと読んで、登場人物の3きょうだいが交わす言葉をみんなで真似した。後ろに「カキクケコ」をひっつけるから「おだまり」が「オコダカマカリキ」になる。うちのきょうだいにもこんな遊びが楽しかった時代があったんやなあ。
わたしはそれから何回「スイート・ホーム殺人事件」を読んだことだろう。現在持っているのはハヤカワ文庫で長谷川修二訳、多分、最初のも長谷川氏訳だったような気がする。解説が小泉喜美子で参考になる。「宝石」のは抄訳だったそうだ。そして抄訳のせいか作品の良さがすっかりそこなわれたからか日本での登場にケチがついたとか。そのせいでか初めのうちクレイグ・ライスは全然売れなかったそうな。そして、小泉さんは日本のミステリーの読者について辛口の意見を述べておられる。引用したら長くなるので、本を買って読んでみてください。きっと同感するよ。
しかし、うれしいことに最近はライスファンが増加しているように思う。著作がたくさん刊行されているのもその証拠だろう。わたしのまわりにもジャスタス夫妻のファンがたくさんいる。
さて、「スイート・ホーム殺人事件」だが、わたしは抄訳でも引き込まれてしまったのだから、クレイグ・ライスが売れなかったのは抄訳のせいでなく、日本のミステリーファンに問題があったのかも。こんなことを考えると、幼くしていかにわたしが成熟していたか証明できるじゃん(笑)。
主人公のカーステァズ家のダイナ、エープリル、アーチーの利発なこと、母親のマリアンの小粋なこと、それから美男の独身警官ビル・スミスと“九人のわが子を手塩にかけた”オヘーヤ巡査部長とすべて楽しく書かれている。もちろん殺人事件の書き方のうまさは抜群。
なによりもかによりも、当時、貧しい家庭のわたしにとって、ここに出てくる食べ物ほど憧れたものはない。少女小説に出てくる食べ物は食べられなくとも想像はつくが、この本の中に出てくる食べ物は知らないものが多かった。ダイナが作る、ハムをジンジャーエールソースで蒸して、おさつの甘露煮としろじゃがのすったのと、ロクフォー・ソースを書けたサラダと、コーン・マフィン、クリーム・パイのコース。七面鳥の丸焼きもうまそう。濃いグレービーをかけた昔風ミートローフ、メレンゲがたくさんはいったレモン・パイ、ビスケットのコースもうまそう。メープル・ファッジ、蜂蜜クッキーなどのお菓子も一度食べてみたかったものだ。まだコカ・コーラがなかったからどんなものかどんなに知りたかったか…。
エープリルとダイナのファッションがまた素敵でね。近所の人に栽培しているバラをいっぱい切ってもらうのもうらやましくってね。全身全霊アメリカ文化に憧れてしまった。

2001.1.17

今日はお知らせ⇒ホームページを移転しました

昨夜遅くまでかかってこのホームページを http://www.ne.jp/asahi/vic/site/ から http://www.sgy2.com/vic/ に移転しました。
昨夜から今までに見ていただいたかたは、もうわかっていらっしゃいますね。移転通知が出たのでびっくりされたことでしょう。
私たち「SGY2」は今年はじめからサーバーを借りて新しく出発しました。このヴィク・ファン・クラブのページも、ますます充実させるよう頑張りますので見守っていてください。

なお、メールソフトも復旧しました。以前からのアドレス(vic@osaka.email.ne.jp)でも大丈夫です。暖かいメールをお待ちしています。

2001.1.16

めちゃくちゃ寒い

ほんま、今日もめちゃくちゃ寒いです。朝、昨夜封筒に入れた「VFC news」をポストに入れに行った。うちの近くには数えたら6個のポストがあるのに、みんな一定の距離があってポスト6個の真ん中に住んでいることになる。それでまあ、ポストに入れたんだけど寒かったわあ。
午後遅く心斎橋まで地下鉄で行った。無印良品と東急ハンズで買い物したけど、考えたら両方とも東京資本なんだよね。ちゃんと家庭用品で基本のものが揃っているからさっさと買い物がすむ。いささかのお洒落心にも応えてくれる。ダイエーは大阪の買い物客の捉え方を間違っていたのかもね。
とにかく寒くてそうそうに帰ってきた。厚着してるのに、肩のへんがやけに寒くてたまらない。帰って部屋を暖めお風呂に入ったが、後々払う暖房費を考えると頭が痛くなってくるわ。

2001.1.14

水村美苗「續 明暗」

昨日は「高慢と偏見」のことから水村さんを思いだして「手紙、栞を添えて」を出してきて気に入った作家のところを拾い読みした。そこへ今日VFC会員の東田さん(当ホームページのエッセイとミステリーのところをご覧ください)から電話があった。ちょっと前の文芸雑誌の広告を見たかと言う、水村さんが小説を発表しているそうだ。最近文芸雑誌の広告は出てるなと思っても広告の内容まで読まないので、全然気がつかなかった。東田さんは親切にもわたしの分も買ってきたので送ってくれるとのこと、ありがたや。それにしてもなんたる偶然だろう。
それで、雑誌がとどくまで在庫の水村美苗の本を読んでおくことにした。「 明暗」は夏目漱石の未完の小説「明暗」の続編を水村美苗が書いたもので、発表当時ずいぶん話題になった。才気あふれる第1作である。わたしは漱石の小説の中で「明暗」がいちばん好きなので、はじめ物語をどんなふうにもっていっているのかと気になったが、読み始めたらそんな心配は吹っ飛んでとりこになった。題名の“”でわかるとおりの旧仮名遣いで、文章も漱石の文体であることにおどろく。それでいて、小説の中味はジェーン・オースティンのような家庭小説的でありながら、底にフェミニズムの思想が息づいている。“ 明暗”であっても水村美苗の小説なのだ。
主人公のお延は「高慢と偏見」のエリザベスのような女性だが、この時代の日本で女性が自分を通すのはたいへんなことだった。お延と夫の津田を引き回す吉川夫人はケァサリン令夫人みたいで、明治の有産者階級の夫人にはこういう人が存在したんだと思う。そうか、エリザベスとダーシーにはなり得なかった津田夫妻はケァサリン令夫人に刃向かえなかったのだ。最後にお延が瀧に飛び込まずに大自然の存在に気がつき、生きようとするところに漱石の思想を感じた。あーあ、漱石の小説も読み返したくなった。

2001.1.13

辻邦生 水村美苗「手紙、栞を添えて」

「高慢と偏見」をまた読んでしまった。以前ならこんな本を20数回読んだというのは恥ずかしくて公表するのは控えるところだが、「ユーガットメール」のメグ・ライアンが200回読んだというのに背中を押された。そして、水村美苗さん。「手紙、栞を添えて」(朝日新聞社 1800円+税)は辻邦生さんとの往復書簡で、世界の文学を縦横に語ったものだが、その最後がジェーン・オースティンなのだ。「われらのジェーン・オースティン」という1章はわたしを狂喜させたが、その中でずばり語っている。【この本がどんなに私たち女の間で人気があるか、男の人たちは知らないでしょう。女たちは遠慮して語らないのです。いったいどうしてこんなにも女の読者に人気があるのか──ハッハ、その答えを、モロに言います。頭のいい女が男に圧勝する物語だからです。】
日曜日の朝日新聞文化欄に往復書簡が始まったのは1996年4月、毎週読むのが楽しかった。途中辻さんが体調を崩されて中断したときはほんとにがっかりした。再開されてから水村さんはイタリアに住むことになり、その暮らしぶりがまぶしかった。だんなさんは東大教授だしさ、たいていならフンとなるところだ。水村さんの場合、そんなことは露ほども思わなかったですね。だって、「若草物語」「ジェイン・エア」「嵐が丘」ときて、樋口一葉、ディケンズ、スタンダール、プルーストとくる。書かれていることが、ぜーんぶ、わたしがふわふわと思っていることをずばりと言ってくれているんだから。そして、わたしがひっそりと読んでいた小説たちが明るい光を浴びている。
そのころ辻邦生さんは「光の大地」という作品で、あぐりとジョゼという2人の女性の愛を書いていたけど、どちらが先にしても、この往復書簡に書いていることと小説を書く心が響きあっていたように思える。このあとの作品をもっと読みたかったのに亡くなってしまわれた。

2001.1.12

米朝さんのはなしから「貧乏人の花見」

米朝さんのインタビューでもうひとつ勉強させてもらった。よく知られているはなしに「長屋の花見」がある。これはもともと上方のものだそうだ。「長屋の花見」は、まず大家さんが出てきて、天気が良いし花見にでも行こうじゃないかとなる。ところが、もともとの上方のはなし「貧乏人の花見」では、長屋に住んでいる人たちが集まってわいわいしているうちに花見に行こうかとなる。長屋に住む屋外労働者たちは、朝起きたら雨で仕事に行けない。それで働きそびれた面々が、朝降っていた雨があがって晴れてきたから花見にでも行こうか、というシチュエーションなのだそうである。
落語でさえも大家さんが主導して花見に行くというのが東京で、長屋の人たちが寄ってきて花見でもいこうかとなる横社会が大阪なんや。

昨日止まってしまったメールがまだ通じません。この際メールソフトを替えようかと思っています。今日は朝日ネットのホームページから、会員用サービスで未読のメールを読むことができました。返信は新しいメールアドレスで送りました。これだとうまくいけそうです。
新しいメールアドレスは kumi@sgy2.com ご面倒ですが変更をお願いします。

2001.1.11

米朝さんの「地獄八景」

午前中は今年最初の東洋体操教室に行った。メンバーほとんど全員が参加して明るい笑いのうちに初練習。わたしは足がまだ少し悪いので、周りの人たちにいたわってもらっている。こんなことは生まれて初めての経験である。しっかり人に甘えることを覚えてしまったぞ。
お昼に帰ってご飯を食べながらNHKテレビを見た。桂米朝さんがインタビューを受けている。その途中「地獄八景」の1シーンのところをビデオで見せた。そやそや、わたしが上方落語に目覚めたのはこれやった、と思い出した。
もう20数年も前のこと、いま「シャーロックホームズ」のある大阪駅前第一ビルの地下2階に「タイム」というジャズ喫茶があってよく行っていた。日曜日どこかへ遊びに行った帰りに寄ると、客がいないときは閉店までの2時間ほど落語のレコードをかけていた。いちばんおもしろかったのが「地獄八景」で、げらげら笑いながら聞いた。知っている地名が出てくる「池田のしし買い」もおもしろかった。いつも店主が作ってくれるラーメンを食べながら終電まで聞いていた。
子どものころ、家の人たちがラジオで聞いて「良い」と言っていたのは江戸落語だった。必死で夜行列車で東京の兄のところに遊びに行って寄席に連れていってもらったことが一度だけある。真打ちの人は忘れてしまって、林家三平だけ覚えているのがちょっと・・・だけどね。林家三平が「すみません」を連発していたが、これも才能だよなあ。落語家が書いた本もたくさん読んでいた。「あばらかべっそん」とかね。ほんとにおかしな女の子だったわ(笑)。
そんなわけで、江戸落語一辺倒で育ったわたしに、上方落語に目覚めさせてくれた「タイム」の店主のことを今日ありがたく思い出したのである。

今日はメールソフトを開くとエラーになり、サーバとつながりませんと告知が出る。午後からずっとこの状態。お正月に相棒のが同じ状況になり翌日直ったので、多分わたしのも明日には直ると思う。今日メールを入れてくれたみなさま、つながったらすぐ返信しますのでお待ちください。

2001.1.10

寒い

いやに寒い日が続いている。日曜日の昼に雪が降ってきたときはびっくりした。大阪市内で1月はじめに雪が降るってあまりないもんね。長期天気予報で今年は暖冬と言うのを聞いたとき、これは寒くなるぞと思ったらその通り寒くなった(笑)。短期予報では15日ごろ一段と寒くなると言っている。これは当たるでしょう。
どんよりした日が多くて洗濯物が乾きにくい。部屋の中に吊ったりオイルヒーターにのっけたりと、わさわさと気分が忙しい。
12月はクリスマスがあったり、年末があったりして気にならないけれど、お正月過ぎてからの冬は長い。この冬は猫の花子がいなくなって最初の冬だ。外から帰って来るとき、つい習慣で道の反対側で信号待ちしながら部屋の窓を見上げる。いつもあの窓の中に花子が待っていると思うと自然に微笑みが浮かんだものだ。いまはそのときのことを思い出してせつなくなるだけである。そんなふうに憂鬱に囚われてしまったときには、湯たんぽのお湯を沸かしたり、毛布を丸めて巣を作ってやったりの用事がなくなり、早朝の「メシくれ」コールから解放されたのがありがたいと思うことにしている。今夜も寒い、久しぶりに花子の写真に般若心経でも読んでやろうかしら。花子はわたしの声を聞いているのが好きだったから。

2001.1.9

キャベツをたくさん食べる─丸元さんの料理

昨日は七草粥を食べる日だったけれど、わざわざそれ用のセットを買うなんてね。そんなこと気にはしてはいないけれど、キャベツを食べようと思ったのは、やっぱりこの時期、からだが緑の野菜を要求しているのかな。
冬になるとよく食べるのがキャベツのミルク煮である。丸元淑生さんが昔「アンアン」に書いていたのが、ずっとわが家の定番になっている。キャベツを刻んでミルクで煮て、煮立ったところへ、そば粉をサラダオイル(2人分で両方とも大さじ1)で溶いたものを入れてどろっとさせ、塩胡椒で味付け。これだけだけど、キャベツをいっぱい食べたぞ、という満足感がわいてくる。
もう一つはキャベツのインド風、めちゃくちゃたくさんキャベツを食べられるので、一年中いつでもキャベツが余って困ったときに作る。中央公論社“丸元淑生のシンプル&ヘルシー/新家庭料理第3弾”「毎日の料理」に出ている。わたしはしょっちゅう作るので暗記している。
キャベツを半分から1個、芯を取って4×4cmくらいに切ってボールに入れ、塩小さじ1くらいで混ぜ合わせておく。鍋(ビタクラフトがグッド)に蓋をして1分強火で加熱してからキャベツを入れ、オリーブオイルをかけ蓋をする。キャベツに火が通ったらカレー粉を小さじ1〜2を混ぜて弱火にする。混ぜ合わせてしんなりしてきたらガラムマサラを小さじ1加えてさらに1〜2分加熱してできあがり。かんたんでおいしい。冷えてもおいしいから作り置きできる。

2001.1.8

雨の日曜日

お昼頃から雪が降り出しすぐみぞれになり、出かけるころには寒雨に変わっていた。正月早々仕事場で使っているパソコンのMOが壊れてしまい、すぐに代わりが入用ということで日本橋へ行くことにしたのだが、出かけたくない天気だ。でも帰りに新世界の更科の鍋焼きうどんを食べることを楽しみに出かけた。ソフマップに超奉仕価格のMOがあり予算を大幅に下回る値段で買えてラッキーだった。電気街のパソコン店は雨にもかかわらず賑わっていた。
相変わらず更科の鍋焼きうどんは具が豪華でおいしい。熱燗を1本頼んだ。
帰りは通天閣の下を通りジャンジャン横町に出て地下鉄動物園前に出ることにした。ジャンジャン横町は相変わらずのにぎわいで、串カツとどて焼きの2店の前はお客が並んで待っている。将棋の店は昔ながらに窓から覗いている人たちがいる。格段にきれいになったし観光客っぽい人も多いが、人の流れの感じは変わっていない。
大国町で乗り換えて四つ橋で降りチャルカが今日から開店なのでお茶しに寄った。正月休みの間にお店を改装したので、広くきれいになっていた。バナナケーキとコーヒーでくつろぎ、雑貨コーナーでちょっと人に贈りたいものを買った。それとセール品の大きな丸いお盆を買った。タイ製のホーロー引きで赤い花の絵が派手である。ちょっと傷があるが4500円のが820円だった。これにお茶やお菓子をのせてカーペットにぺちゃんと座って食べようというわけ。

2001.1.7

斉藤環「社会的ひきこもり」と、テレビの映画「男が女を愛する時」

斉藤環「社会的ひきこもり」(PHP新書 657円+税)をジュンク堂で立ち読み(用意してある椅子に座ってだけど)して、わかったような気がしていたのだが、やっぱり落ち着いて読まなきゃと気がついて買ってきた。ちょうど読んでいるときに考えさせる映画にぶつかった。「男が女を愛する時」で、メグ・ライアンとアンディ・ガルシアのラブロマンスを見るつもりが、アルコール依存症の映画だったのに驚いたが、「社会的ひきこもり」に書かれていることと共通するものがあったのでよく理解できた。
「社会的ひきこもり」のなかに、個人のひきこもりシステムについての考察で「星の王子様」から例をひいているところがある。酒飲みの星の話で、星の王子さまの質問に【酒飲みは「恥ずかしいから飲むのだと答えます。何がそんなに恥ずかしいかという質問への答えはこうでした。「酒を飲むのが恥ずかしいんだよ」このように病的な行動が新たな葛藤につながり、それがさらに当の行動をいっそう強化してしまう、という過程こそが嗜虐行動の特徴です。】と書かれている。ひきこもり状態にも同じ解釈が成り立つという。
そして現代ではアルコール依存症などの嗜虐患者が、自分の力で立ち直ろうとする努力はほとんど無意味で、家族の指導と自助グループへの参加という組み合わせが一般的なコースだそうだ。
「男が女を愛する時」では、妻は〈アルコール依存症者の会〉に参加して立ち直り、夫は心理的抵抗を経て〈アルコール依存症の家族の会〉に参加して人間性を取り戻す。非の打ちどころがないような愛情のある夫が、カウンセラーの助言で家族の会に参加するが、最初はわけがわからなかったのに、4カ月後に自分から発言する。アルコール依存症は本人の問題であると同時に家族の問題でもあることがよくわかった。
そこからこの本はひきこもりの人たちの治療と社会復帰について述べていく。勉強になりました。
読後、突然、R・D・レインを読みたくなり、20数年前に読んだまま本棚に収めてあったのを引っぱり出してきて埃を払った。

2001.1.6

どうぞこうぞやってます

元旦の朝日新聞文化欄に田辺聖子さんが「どうぞこうぞの新世紀」という文章を書いておられる。〈どうぞこうぞ〉という大阪弁なつかしい響きだ。でも最近使ったことはないし、若いころに使う言葉でもないから、なつかしくはあるがわたしは使ったことがないような気がする。田辺さんによると〈どうぞこうぞ〉は〈どうやらこうやら〉という意味だが、それよりもっと混迷度、惑乱度がたかいそうだ。ふむ、ふむ。
これからは「どう?」と聞かれたら「どうぞこうぞやってます」と答えることにしよう。と言っても、3日もすればころっと忘れて、「なんて言うんやったかいな?」と連れ合いに尋ねて「新聞切り抜いといたらどや」と言われてしまった。それで新聞を読みながら書いている。
独立して仕事をはじめたころ、以前の雇い主に道で出会った。「どうや」と問われて「まあ、ぼちぼちやってます」と答えたら、顔まで深刻にして「それはいかんなあ」やて。イヤミ! 大阪弁を知らぬふりした確信犯である。そのときのわたしのいらつきときたら! しっかし、20年も前のことを覚えているわたしって執念深い(笑)。これからは「どうぞこうぞやってます」とニコッと笑って言うことにしよう。

2001.1.5

「高慢と偏見」で大騒ぎ

2日〜4日の3日間、深夜にNHKテレビでイギリスのドラマ「高慢と偏見」が放映されている。一昨日は最初だから時代や人物の説明のような部分が多かったが、昨日は核心に入ってきた。小説にはないけれど、ダーシー(コリン・ファース)がエリザベスへの恋心を鎮めるために激しい剣のレッスンをし、家に帰ってからは庭の池に衝動的に飛び込むシーンがある、コリン・ファースが素敵なので画面に目が釘付けだったわ。
VFC会員の中に何人ぐらいジェーン・オースティンのファンがいるか知らないけれど、メールが来ているのはKさんとSさんである。Sさんは昨夜最後(2時30分)まで見て今日朝寝坊してしまったそうな。それで今夜はビデオに録っておくんだって。わたしはちゃんと6時半に起きたぜ(昼寝2時間したけど)。
なんだか3人で大騒ぎしている感じだが、Sさんは放映されることを知らなかったので、1日目を見ていない。Kさんは1日目はそのまま見て後の2回はビデオを録っておくそうである。だから1日目のビデオは3人の間には存在していない。だれか録ったかたはいませんか?

2001.1.4

斉藤環「戦闘美少女の精神分析」

タイトルが気に入って広告を見たときに買うつもりだったのをSさんが貸してくださった。わたしは“おたく”ではないかと自分で思ったことがあるけれど、この本を読み始めたときには本物の“おたく”という存在とは遠く離れていることがわかった。タイトルになっている“戦闘美少女”のアニメ(「リボンの騎士」「じゃりン子チエ」「風の谷のナウシカ」「セーラームーン」など)をひとつも見たことがないしね。本の「風の谷のナウシカ」でさえ、読み通せなかった。しかし、“戦闘美少女”を愛する人たちへの好奇心は人一倍あるので、好奇心を誘われて読みはじめた。
それだけではない、ものすごく嬉しいことがあった。ヘンリー・ダーガーを知ったことだ。Sさんによるとダーガーはこの本ではじめて日本で本格的に紹介されたそうだ。アウトサイダー・アートという言葉もわたしははじめて知った。
ダーガーは60年間にわたってだれにも知られず作品を創造していた。15000ページ以上のタイプ原稿と添えられた膨大な挿し絵があって、まだその物語の全貌は明らかにされていないそうだ。シカゴのノースサイドで掃除など単純重労働をしながら、貸間でひっそりと一人暮らしをしていて、80歳のとき老人施設に収容された。そのとき部屋にあるものをどうするかと聞かれて家主に全部あげると言ったのだが、その家主がダーガーの部屋の掃除をして、彼の膨大な作品を見つけたという。
10点ほど彼の絵が紹介されているのだが、中でも見開きのカラーの作品に惹かれた。「風が吹き荒れている」の部分なんだけど、少女たちがなにかに追われて走っている。淡い色使いが昔の絵本のようですごくきれいなのに全体が不気味なのだ。ヴィヴィアン・ガールズと名付けられたペニスをつけた6人の少女は「非現実の王国におけるヴィヴィアン・ガールズの物語」の中で闘っている。
ダーガー紹介をはさんでおたく論が展開されているのだが、なるほど、なるほど、の連続であった。わたしは“戦闘美少女”のアニメを見る欲求を持っていないけれど、「高慢と偏見」や「ジェイン・エア」など、違ったところで闘っている“戦闘的美少女”の“おたく”であるのかもしれないことに気がついた。(太田出版 2000円+税)

2001.1.3

海外テレビドラマ「高慢と偏見」

2年くらい前にBS放送から録ったビデオを見せてもらった。コリン・ファースがダーシー氏をやっていてとてもよかったんだけど、かんじんのエリザベスがなあって話になったんだっけ。それを1年くらい前にまたBSでやったらしい。「すぎやさんが騒いでいたのもだから見たけどどこがいいの」って聞かれたりした。なにがなんでもの「高慢と偏見」ファンではないとかったるいかもね。
いま3回目を普通のNHKでやっている。ビデオに録りたいけど、あいにくとうちのビデオは再生専門機となり果てて久しい。だれか録ったかたはそのうち貸してね。明日、明後日と3日連続らしい。見ながらこれを書いているんだからええかげんなことだが、ダーシーつまりコリン・ファースが出てくるとさっと見に立つのでなかなか進まない。これがダーシーだって感じのコリン・ファース、明日も明後日も夜更かししてしまうんだろうな。エリザベスに会った後に池に飛び込むところをまた見たいもん。そしてまた岩波文庫を出してきて20数回目の読書にかかるとしよう。

2001.1.2

新春第一報

あけましておめでとうございます。
わが家はこの休みに入ってから緊張の日々が続いていました。相棒が自身のホームページを作るために、この休みの日々を使うと宣言したからです。だいたいの構想はもっていて、写真を撮ったりしていたものの、凝り性の上に新しい技術を勉強しながらの制作なのでたいへんでした。大晦日の夜中にアップの予定がちょっとずれて、今日、2001年1月1日ぎりぎりにアップしました。パチパチ、やれやれ…。
ホームページの名前は「sugiya's page」 URLは http://www.sgy2.com/sugiya/ です。見てやってくださいませ。松の内のあいだに訪れると大阪名所おみくじをひくことができます。おもしろいよ。
家にあるマックを独占されてしまったので、おかげで私はじっと読書の日々でした。明日からはちょっと正月休みらしくなるかな。

2001.1.1

写真:「高慢と偏見」岩波文庫

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