KUMIKO PAGES/TOP PAGE
KUMIKO/BACKNUMBER


kumikoのほとんど毎日ページ

2000年8月


むしむし、蒸し暑い

今日で3日、毎日雨が降っているが、その度に、降り足りないので腹が立つ。降る前のむしむしと蒸し暑いこと、降りやんだ後にカーッと殺人的な日が射してくること、ほんとに、もう、やになってしまう。天気予報によると、今晩も明日も雨の降りやすい天気で蒸し暑いとのこと。ざーっと降って涼しくなるのはいつのことやら。
今日で8月が終わるが、いつまで暑いものやら。たった一つ良かったと思えるのは、ネコの花子が死んでしまっていないこと。この暑さにまいっている花子の姿を見ないですむのがありがたい。
萩の鉢植えがベランダの暑さで葉を落としだしている。背は伸びて若い葉はあるが花の咲く気配がない。水をかけたらジュッと音がしそうにベランダが熱い。
昨夜は夜中に痒さで目を覚ました。蕁麻疹でも蚊にかまれたのでもなく、汗疹なのであった。キーボードを叩くときに、手首が机の上にのっている。汗の出た手首が机にすれて汗疹になっているのがわかって、今日はタオルを置いている。
とはいえ、ここ数日セミの声がしない。ずーっと街路樹からシャーシャージャジャジャとクマゼミのうるさい声が聞こえていたのに…。少しは秋なのかな。

2000.8.31

秋月こお「フジミシリーズ」を2冊

そろそろ新刊が出ていないかと、土曜日VFCの例会に行く前にジュンク堂へ寄ってみた。ありましたよ、新刊「冨士見二丁目交響楽団シリーズ第4部 マエストロ エミリオ」(角川ルビー文庫 533円+税)が。そのうえ、わたしとしたことが、買い忘れていたなんて…「第3部 リクエスト」があったので買った。
手にしたら、読み終わるまで夜も昼もないという感じですぐ読んでしまった。第4部は桐ノ院圭と守村悠季が手に手をとって、ヨーロッパへ留学しての話でおもしろいけど、説明が多いのはしかたないね。これからに期待しよう。
「リクエスト」はこの後を読んでいて話がつながらないところがあったのが、一気にわかってよかった。3編収録されているその中でも「雨また雨」がすごくいい。クラシックの音楽家にとって演奏することとはどういうことかが、改めてわかった。作曲家が表現した音をいま演奏家がどう表現するのか。思った音が出せず、コンプレックスにさいなまれている悠季に「『僕なんかが、そんな素晴らしい音を持っているはずがない』とか思っているのでしょう?」と圭が話しかける。そして一度だけ悠季から“素晴らしい音”を聴いたときのことを話す。しかし、過去の音は現在追いかけても再現できない。圭の言う“前向きな過去・現在の否定によってもたらされる”はずの、これから出す音を求めて苦悩の末、練習に練習を重ねて、あるとき突然、“頭の中で捕まえてバイオリンで現実にできた愛しいその音”に開眼した悠季が、家まで待てずに電車を降りてプラットフォームでブラームスのソナタを弾くシーンが素晴らしい。

2000.8.30

サラ・パレツキー「バースデイ・ブルー」

サラ・パレツキーの「バースデイ・ブルー」(早川書房 2000円、文庫にもなっている)は何度読んでもその度に新鮮な発見がある。今回は目的があって読んでいるのだが、それ以上に、いま読んでよかったと思えてくる。(※「バースデイ・ブルー」については当ホームページのサラ・パレツキーサイトを読んでください)
わたしは5年ばかり前から「女性ライフサイクル研究所」(FLC)の会員になっていて、年誌と3カ月に一度のニューズレターを送ってもらっているが、原稿を書く協力がなかなかできない。FLCのニューズレターって、テーマが“ダイエットと摂食障害”“老い”“子育てで困ったこと、つまづいたこと”“3歳児神話について思うこと”だもん、わたしが入っていく余地がないねん。
今回のニューズレターのテーマは“私のお薦めする一冊”なので、これはわたしの領分だから書こうと思った。どの本にしようと考えること2カ月、わっ! もうすぐ締め切りだ。ようやくサラ・パレツキーしかないと気がついた。特に「バースデイ・ブルー」には、親による子供への虐待、夫から妻への暴力、ホームレス、黒人と白人、公務員と自営業、など現代の問題がぎっしり詰まっている。
ヴィク自身も昔から女性の主義主張を実践するための組織に関わってきた。このシリーズ常連の、医者ロティ・ハーシェル、やり手のビジネスウーマンでありバーを経営しているサル・バーテルも、同じ組織に関わって積極的に活動している。今回は非営利事業の調査にヴィクが労働時間15時間分を寄付する、というやり方で関わるところから事件がはじまる。ボランティアに関わる女性たちの感情の行き違いなども共感がもてる。
これだけ女性の間で話題になり、ファン・クラブまである(笑)ヴィクであるが、知らない人も多く、ミステリーというだけで敬遠してしまう人も多い。なんとか女性問題で活動している人たちに読んでもらえるようがんばって原稿を書こう。

2000.8.29

kumiko流大阪観光コース

今年はいつまでも暑い。夕方まだまだ暑い中を、知りあい夫婦を大阪ミナミ見物にお連れした。わたしも歩けるようになったので、久しぶりで出てこられたのがうれしい。まず千日前の古いお好み焼きの店へ行き、生ビールと串カツ、お好み焼きは張り込んで1100円のスペシャルを頼んだ。お好み焼き食べるのは久しぶりでうまかった。
まだ日が沈んでなかったから、ちょっと風情が足りなかったけど法善寺へ行った。水掛不動尊は相変わらず人がいっぱい。連れがお不動様に水をかけて、ろうそくをあげ、なにかゆっくりとおがんでいるのを待っている間、おみくじを引いてみたら「中吉」であった。
法善寺横町を抜け、道頓堀に出て、たこ焼き屋のにぎわいを見物、くいだおれ人形前で写真を撮って戎橋(通称ひっかけ橋)へ出た。橋の上はいつものように賑わっていた。グリコのネオンの前で写真を撮って、タイガースが優勝したときここからファンが川に飛び込んだ、と解説。わたしはそのとき目の前で見ていたんだからねッ。橋の上は歌っている人、似顔絵を描いている人、なんだか売っている人、に加えて「肩もみ」をする人が両側に1人ずついた。小さい椅子を置いてあり、「肩もみ500円」と書いてある。片方は空いていたが、片方はきれいな若い女の子が揉んでもらっている。肩にタオルをおいてけっこう本格的で気持ちよさそう。でもここじゃあ若くないと揉んでもらいにくいなあ、とぶつぶつ言いながら見物した。
西へ行ってアメリカ村見物、北へ歩き、東へ渡って、心斎橋でお茶、これがkumiko流大阪観光コースです。

2000.8.27

A・A・ミルン「赤い館の秘密」

いつだったか、姪が「母が残したミステリ本を処分したい」と言うので、亡くなった姉の本箱を点検し、昔から家にあったなつかしい本を数冊持って帰ってきた。その中の1冊がA・A・ミルン「赤色館の秘密」(妹尾アキ夫訳)で、昭和10年発行のもの。いまは創元推理文庫から「赤い館の秘密」というタイトルで出ている。
この本には「お父さんへ」というあたたかい献辞がある。子どものわたしはその献辞を読んで、ミステリーファンってそういう人間かって感心したものだ。そのときはA・A・ミルンが「クマのプーさん」の作者だということも、「クマのプーさん」の存在も知らなかった。「赤い館の秘密」は「クマのプーさん」のA・A・ミルンが書いた、ただ1冊のミステリで、とっても上等な本だ。
遺産が入って生活に不自由していないギリンガム氏は、いろいろな職業を体験して気ままに暮らしている。田舎を旅行中、たまたま友人のビヴァリーが遊びに来ている赤色館に寄っていこうと思う。だが館に着いたとたんに銃声を聞く。部屋の中で館のあるじの兄が死んでいて、当のあるじは行方不明になっている。兄はオーストラリアから戻ってきたいわくありげな男で…という展開がスピーディで、ギリンガム氏と友人ビヴァリーのおかしな友情もユーモアがあって楽しい。
秘密の通路もわくわくする。庭で入り口が見つかったトンネルで、一方が図書室につながっているはずだと推理する。そして本棚をさぐっていって、だれも手にしないだろう宗教書の本棚に目をつける。その本棚を押すとぐるりと回転して入り口があった。庭からトンネルをたどってギリンガムが図書室へ来ようとする。図書室で待っているビヴァリーは気が気でない。そこへ犯人と思われる人物が入ってくる。ギリンガムを通路に留めるために、ビヴァリーが本棚をたたきながらさりげなく歩き、宗教書のところで思いをこめる。読者はギリンガムが気がついたらいいが、犯人が気がつかなければいいが、とひやひやする。
結局ギリンガムが犯人をつきとめるんだけど、犯人に同情してしまってね。ああ、わからなかったほうがよったのにという思いが残る。

2000.8.26

「松葉」のきつねうどん

有名な松葉のきつねうどん、10年くらい前に1回しか食べたことがなかった。お店の近くまでよく納品なんかで行っていたけど、お昼はお弁当だったし、1回食べてみようと空いた時間を目指して行っただけ。おいしかったというだけで味は忘れていた。
北海道から来た人と大阪の味の話をしていて、きつねうどんの話になり松葉を思い出して、行こうということになった。お昼の混雑が終わったころを見計らってでかけた。松葉のきつねうどんは大阪を代表する味のように雑誌などに書かれている。でも、名前だけで実はおいしくないとも言われている。さて、自分で食べてみよう。ということで注文したきつねうどんの味は、わたしは好きです。
うどんは太くてかため、汁は少し濃いめ、揚げは薄い。これみんな想像よりね。最近はさぬきうどん系の艶のあるうどんを多く食べつけているせいか、ここのは田舎風に思える。
考えれば、このうどんは船場で働く人たちのお昼ご飯になっていたはず。うどんだけではお腹がくちくならない働く人たちが、ご飯のおかずにしたはずだ。納得のきつねうどんであった。550円でした。また行こ。

2000.8.25

ちょっとだけ、秋の気配

昨夜はアイロンかけをしたが、窓からの涼しい風で汗をかかなかった。花屋に吾亦紅と鶏頭があったので買ってきて、床に花瓶を置いたのが、とても涼しげ。わーい、秋だ。
それに昨夜は熟睡できた。風が通る部屋で11時からぐっすり眠ったので、寝不足が解消。今朝は朝寝坊してしまい、朝ご飯は冷蔵庫にあったカレーの残りでカレーライスになってしまった。大慌てでまくわ瓜をむき、ミルクと紅茶で、うん、けっこう美味い朝ご飯だったよ。
Kさんにいただいたガラスの小さなネコ(透明ガラスのからだに白い花がひとつ浮かんでいる)が、ブルーグレーの写真立てのフレームの色を写して微妙な色合いになっているのを発見した。ネコの写真の前は、小さい花や小さなおもちゃや小石でにぎやかで、機能性優先のうちのインテリアで、唯一の遊びのある空間である。
午前中涼しかったのに、午後から風が止まってどんどん暑くなった。こりゃ、なんじゃ。4時、西日に追われて外出し郵便局など用事をすませてから、時間つぶしにコーヒーを飲みに行った。雑貨店で絵はがきを買った。
帰ってからも日は照り、6時半ごろようやく落ちていった。と思ったら暗くなってきた。日が短くなった。ちょっとだけ秋の気配。

2000.8.24

ラッキーではないがハッピー

最近よく大阪の人や街はラテン系であると言われるのを耳にする。陽気でくよくよしない生き方や庶民的な街の様子を、よその人が見てそう思うのであろう。わたしは大阪人のなかでもいっそうラテン系らしい。明日のことを考えるよりも、今日を楽しんでぐっすり眠ってしまう。明日は明日になればなんとかなるさ、でずっとやってきた。これが当たり前で陽気にやってきたつもりだが、この間、ちょっときちんと話をしたら、東のほうの人に「大阪の庶民のくせに…」と言われてしまった。ふえーっ、東京の庶民というとなんとなく牧歌的だが、大阪の庶民とわたしを指して東の人が言うと、こいつは差別発言だぞ(笑)。
朝日新聞の家庭欄に連載されている「足元の幸せ─ラテン流暮らし術─」、今日はスペインの話である。仕事が不安定で経済的にも恵まれていないが、悲観はしていないという。インタビューに答えた人は「ラッキーではないがハッピーではあるんだよ。(中略)家に宝石はないが、食べるには困らない」と語っている。まさにわたしじゃん。また、セビリア市の職員が言うには「幸せな人間とは、多くのものを持っている人ではなく、ほかに必要なものがない人だ」という言葉をこの街ではよく聞くとのこと。これもわたしのことである。
「ほれ、みてみろ」と誰にともなくつぶやいてお茶を飲むのであった。もっとも、このラテン的生き方をよしとする人の気持ちであって、そうでない人とは関係ないし、そうでない人が多すぎることが、わたしを生きにくくしているのである。

2000.8.23

一度会った人─砂澤ビッキ

砂澤ビッキの名前を知ったのは創刊間もない雑誌「アンアン」で、東京のアーティストたちと混ざって、だれかのアトリエにいる写真を見たときだった。ヒゲ面の笑顔がすごく印象的だったので、作品なんかぜんぜん知らなかったけれど、ビッキという名前を覚えた。アイヌであることも知った。
それから何年も経って、大阪で個展をやるって話を北海道出身の人から聞いて、梅田の画廊へ行ってみた。いま手持ちの「砂澤ビッキ作品集」で調べたら1987年の、多分夏のことだった。
こぢんまりとした画廊に小品がたくさんあって、ビッキさんがいた。ビッキさんは真っ赤なポロシャツとジーンズ姿であった。ヒゲだらけでお腹が出ていて、とにかく大きな人であった。作品は小さなものながら、遊び心にあふれて楽しかった。特に「午前三時の玩具」と名付けられた作品数点が気に入って離れられなかった。トンボの変形といった感じの昆虫ぽい感じがあるが、飛行機のようでもある。もちろん木の彫刻。じっと眺めていると触りたくなってくる。その衝動をこらえていたら、ビッキさんがつかつかと側へ来て「触ってください」と言ってにっこりした。思わず、にっこりを返して「ありがとうございます」と言って触らせていただいた。ビッキさんの視線を感じながら、そっと触った、木から気が流れてくるようだった。帰りには握手もしてもらった。大きい手だった。
ビッキさんはそれから1年ちょっと経った1989年1月がんのため亡くなった。89年の末か90年になっていただろうか、回顧展という感じで作品展が夫人の手で開かれたので、同じ画廊へ出かけた。そのとき「砂澤ビッキ作品集」(用美社 5000円)を買ったのだった。それからもう10年経ってしまった。いつか北海道へ行って大地にそびえ立つ巨大な木の彫刻を見たい。

2000.8.22

昔ながらの花

近所の大きい会社なんだけど、道路沿いの事務所の前の50センチ×2メートルくらいの場所に花が植えてある。もともと事務所を建てたときにはツツジかなんかが植えてあったんだろうが、枯れてしまってそのままのところを、社員の好きな人が自分流の花壇にしたてたのだと思う。
それがね、すっごく楽しい。昔ふうな花ばっかりやねん。百日草、日々草、千日草、虫取りなでしこ、などが手厚く植えられている。そう言えば去年は鳳仙花が植えられていた。こういう花って種とか苗とか売っているのだろうか。ベランダなんかで育てるのはかえってむずかしいかもしれないな。

「失われた時を求めて」第1巻を読み始めた。
日本語でプルーストを読んでいるわけだけれど、井上究一郎さんの訳がとても凝っていて、プルーストの原文に近づいて読んでいるような気を起こさせる。味わってゆっくり読んでいる。いま1/3くらいまできた。第1巻を読み終えたら感想を書くことにしよう。

2000.8.21

はじめて降りた駅

知り合いが転勤で大阪へ来たので会いに行くことになった。借りたマンションの場所を聞くと昭和町とのこと。昭和町って御堂筋線よね、って地図を見たら天王寺の次であった。こんなに近くなのに降りたことのない駅である。それで考えてしまったけど、降りたことのない駅ってありそうだ。地図を見ながら、ここは知らん、ここはなんやらで一度だけ行ったことがあると数えていたら…けっこうありましたよ、御堂筋線だけでも。
気がついたのを機会にこれから地下鉄駅周辺散歩をするのもいいな。それで、今日は昭和町へ行くのだからまず第一歩として昭和町界隈を散策しようと思ったのに、行き先は駅の側のマンションで、食事に出たのもすぐ側であった。これからこの街で暮らす人によると、長い商店街があって住みやすそうなところのこと。今度来るときは早めに出て、商店街や下町風なところを歩いてみよう。

2000.8.20

レーザーディスクの映画「テルマとルイーズ」

もうレーザーディスクの時代は終わったみたいで、新しく買うこともないが、けっこう輸入盤を持っている。外国語はできないけど、見た映画だからわかっていると思い込んで買うわけだが、「チャイナタウン」のときは失敗した。映画を見たのがずっと前だったので細部を忘れていた。私立探偵のところへ失踪した人の妻だと言って依頼人が来る。それが妻を名乗っているだけということが理解できなくてね。ちんぷんかんぷん。あわててレンタルビデオを借りに行った。
「テルマとルイーズ」(1991年 リドリー・スコット監督)はそんなことはもちろんない。字幕を読まないぶん(字幕があるとどうしても目がいってしまう)充分画面に集中できる。今回は見ている最中は、テルマのせいでルイーズがずるずると引き込まれてしまったと思ってしまってね。テルマさえしっかりしてたら、こんなことにならへんかったやんと、たびたび思った。ルイーズの部屋のきちんと片づいたところとか、旅に出るときのきちんとしたブラウスとかに好感をもったから。それでテルマ=ひらひらした服が好きで、主婦の立場で生きている人、を非難する気持ちにおちいりかけたんだけど、問題はそこじゃあないんだよね。
17日に書いた「デッドライン」は男性以上にがんばる女性刑事であった。男性以上にがんばることで、普通の女性とちがう人というところでの評価であった。あんただけは認めてもええわ、みないな、ね。それなりにできていた映画ではあったが、いい気分になっていたのだからわたしも甘い。
「テルマとルイーズ」は、ちょっと解放された気分で週末に遊びに出ただけの中年女性を、たぶらかし、いたぶり、金を盗む、男たちを描いている。レイプする男を撃ち殺し、お金を盗まれたらそのぶんを強盗し、行きずりにもちかけてきた男のトラックと積み荷を銃で破壊し、みずからを解放していく女性2人の壮絶な死へのドライブ。

2000.8.19

雷三日

8月に入ってからずっと雨を待望して生きている。あー、オーバーやなあ。雨が降って欲しいと毎日思っているってことです。今日は朝から曇っていたが、お昼ごろからいよいよ暗くなってきたので、これは一雨あるぞと思っていたら、3時過ぎ、突如雷が鳴った。その音がすごいんだよね、もう。うれしくなって待っていた。そして雨が降ってきたんだけど、降りきらなかったなあ。洗濯物を取り入れたりしたのにさあ。降らないよりましやけど…。
去年の夏書いたけど、恒例の夏の読書、今年もマルグリット・デュラスの「タルキニアの子馬」を読もうと先日出してきた。バカンスで出かけたところが暑く、雨を毎日待っている。ずーっと共感というか、好意を持って読んでいたけど、いくら暑くてもバカンスやんか、ホテルの魚料理のモンクなんか言わんといてくれ、と今年のあたしは苛立っているわ。それでめずらしく最後まで読まないでしまいこんでしまった。
雷三日というから、明日も明後日も雷が鳴って雨が降るかもしれないね、と希望を持って今夜は寝ましょう。

2000.8.18

テレビの映画「デッド・ライン」

山城新伍が解説するサンテレビの映画は、ときどきとんでもなくおもしろいのをやるので見逃せない。15日の夜の「デッド・ライン」は「ターミネーター」のリンダ・ハミルトンが女性刑事になっていて、最後まで目が離せなかった。山城さんは、リンダ・ハミルトンはB級映画の女王と言われている、と解説していたが、この映画を見た限りうなづける。
離婚して男の子のいるリンダは、警察署で性犯罪課の刑事だが、レイプ犯を追っていて精神的にまいり、自分の恋人との間もぎくしゃくしている。そこで普通の課に変えてもらうよう上司に迫り、男性ばかりの課へ配属される。そこで男性刑事達に特大のイケズをされるが、ひるまずやり返し、仕事もして信頼を得る。お酒を飲みに行っても最後までイッキ飲みに挑戦する。最後まで残って勝つのだが1人になってから腰が立たなくなるのが愛嬌。そういう様子ががとてもよい。
最後、凶悪な銀行強盗を逮捕してから、相棒の刑事と飲みに行って、ひょんなことから相棒が殺される。アクションの常套をちゃんと抑えたB級警察映画。こういう映画で女性をきちんと描いているところがうれしい。

2000.8.17

今日はお知らせ⇒「ヴィク・シリーズの人々」アップしました

会報「VI」25号に掲載して会員たちに絶賛された、谷澤美恵さんの「ヴィク・シリーズの人々」をついに当ホームページの「サラ・パレツキー サイト」にアップしました。ヴィクの親族、警官たち、友人たち、恋人たち等30人の詳細な解説です。また彼らの関係の構成図もあります。サラ・パレツキーの作品を何度も読む人はうなづき、はじめて読む人には参考になり、だれでも読むのが楽しくなります。読みやすく美しく仕上がっています。ぜひ見てください。

2000.8.15

金井美恵子「彼女(たち)について私の知っている二・三の事柄」

金井美恵子の小説は好きでけっこう買って読んでいるが、手許に持っていない。だいたい本を置く場所がないので、置いておく本か、処分する本かを数カ月ごとに決めることにしている。そこで、処分するほうに入れてしまう。それでも新刊が出ると気になって買う。図書館で借りるという手もあるけど、きれいな新刊書で読みたい。
「彼女(たち)について私の知っている二・三の事柄」(朝日新聞社 1500円+税)はきれいな本だが、装本に凝りすぎていで可愛らしすぎて、ちょっといや。
しかし、内容は辛口で、金井美恵子の達成点の高さがよくわかる。デビューしたころ、若い詩人だったころは生意気でいやな女だと思っていたが、ここまで到達したかって感心してしまう。
10年前に「小春日和」って本に登場した桃子が30歳になって、同じアパートで、相も変わらずうだうだと暮らしている。本のはじめも終わりもうだうだしたままだ。友だちの花子もそう。彼女たちを私はとても好きなんだけど、読んだ後、本を手放してしまうのは、30歳でまだうだうだできる階級出身というところかもしれない。とはいえ、その立場がいつこわれるか、どうしてこの先を生きていけばいいのか、危うくなっているのは確かで、その不安がこの小説のテーマである。
けっこういいところの生まれだから持てる批判精神とか好みとかで成り立っていて、そこがおもしろいのだから、わたしも矛盾しているね。なんとか言いながら、いちばん好きなのは、登場人物がどんどん放つ悪口で、だいたい好みが似ているから楽しいねん。

2000.8.15

今日はフランスワイン

インターネットをしていないから、このページで「有次」の栓抜きのことを書いたのも、血液の循環にワインというのも読んでいない友人からフランスワイン数本とおつまみが届いた。東京新宿で飲み屋をやっている女性だが、念力がとどいたのかなあ。
それで、お盆休み中だし、豪華にしようって料理をがんばることにした。イカと野菜のサラダ、舌平目のムニエル、時間をかけてイエロースピリットピーとキャベツのシチューをこしらえた。フランスパンを買ってきてできあがり。赤ワインがおいしかった。ほんとに血液の循環がよくなった気がする。

2000.8.14

休日の楽しい街歩き

6月の例会に出て以来1カ月半ぶりの梅田である。久しぶりの大型書店である。じゅんく堂に入ったものの、クーラーのところに長居したくないので、相棒を待つのは外のベンチにした。まず金井美恵子の本を買い、文芸もののところを歩いて外に出ようとしたら、プルースト全集が目についた。
わたしがはじめに読んだのは井上究一郎ほかの複数の人が訳した本であった。この本はどこへいったのかな。2回目は友人が買ったのを借りて読んだ。たしか新潮文庫だった。その後、筑摩書房の井上究一郎個人全訳を買いはじめたが、買っていた本屋が閉店してしまい、3冊目でストップした。そのうち買うさと思っているうちに日が経ってしまい、現在にいたる、である。最近になって調べたら、もう在庫がないとかで諦めていたので、すごくうれしかった。1巻を除いて全部揃っている。とりあえず、4冊目「ゲルマントのほう1」を買った。4530円であった。ふぅ。
いつも例会をさせてもらっている「シャーロックホームズ」で7月の例会をしなかったので、一度は行っておかないと、というのは言い訳で、ギネスの生を飲みたくて顔を出した。あれこれ食べて、飲み、まんぞく。この店はダーツの普及活動で有名で、いつもたくさんの人がダーツに興じている。今日は男性3人と女性1人がやっていたが、見ているとプロ級の腕だ。思うところに矢が飛んでいく。わたしがやると的までとどかないので、みなさんに呆れられ、最近は誘いもされない。
いい気分になってL・L・ビーンへ行き、夏物バーゲンでTシャツを2枚買った。またいい気分になり、下へ降りて、スターバックスでコーヒーにした。丸ビルの外で空が周り中のビルに区切られているところに座った。夜が更けてきて風が冷たくなってきた。ああ、いい盆休みだ。

2000.8.13

おしろい花とほうずき

街はお盆休みモードになったようで、クルマの通りが少ないのがありがたい。こんなときに街から出ていくなんてアホだ(どこへも行けない人の独り言)。散歩に出ても閑散としている。ちょっと入った道の角におしろい花が咲いている。1日で終わる花なのに惜しげなくいっぱい咲いている、おしろい花の田舎臭いピンク色が好きだ。お盆ごろの、暑さに疲れた街の一角に、いかにも夕立を待っているというふうなわびしい感じで咲いているのがまた良し。
スーパーマーケットでほおずきを買った。ネコの花子が死んで半年になる。はじめてのお盆だもんなあと、親のお盆を気にしないわたしが思うのだからおかしい。写真の前に供えてやった。ほおずきを指でこねて種を小さい穴から出して空洞にし、口に含んでキューキューと音を出す。子どものころ、やったよね。よその子どもたちはさっさとやっているが、わたしはいつも種を出すとき破いてしまい、自慢じゃないがいちども成功したことがない。

2000.8.12

会報づくりの楽しみと苦しみ

毎月15日を「ヴィク・ファン・クラブ ニュース」の発行日に決めている。毎月A4で20ページくらいあるのだが、今月は付録があって合計30ページになる。毎月のことだから、決まったページはほいほいとレイアウトしていく。昨夜作っておいたのを朝一番にプリントしようとしたら、5枚目で突然、インキがぽたぽたという感じでついている。プリントヘッドのクリーニングをしたら大きな汚れはなくなったが、こすれたような点や線が入っている。プリンタはもう1台あるのだが、OS 9に対応していないので、OS 8.にもどさなければならない。やり方を教えてもらっていたので、やってみたがもどらない(なぜか、あとでやったらできた)。
仕方がないので、使用中のプリンタをなんとかしようとマニュアルを読んだ。先日プリンタ用紙を買いに行ったとき、専用紙が品切れで、代わりに汎用紙(値段がめちゃ安かった)を買ったのだが、それがいけないみたいだ。数日前に週末ボランティアの仕事をしたときはなんともなかったのに…。不思議だったが専用紙を買ってきてプリントしてみたら、少し汚れはあるが使えるのでほっとした。なんとか本誌のほうは完成した。
その上、今朝はコピー機のトナーが切れてしまったのだ。金曜日午前中ででよかった、ゼロックスはすぐ来てくれた。土曜日だったらたいへんだったわ。来週ならお盆休みがあったりして…。
まだ付録の10ページのレイアウトとプリントとコピーが残っているが、明日の土曜日1日楽しんでがんばって仕上げよう。付録の原稿を作ってくれたS嬢のことを思えば…ね。よっしゃー! やるぜー。

2000.8.11

シャルル・ペローの昔話「驢馬の皮」

澁澤龍彦の訳で雑誌「アンアン」創刊号から連載されていたシャルル・ペローの昔話を、1冊の本(1973年、大和書房発行「長靴をはいた猫」)になってからもずっと愛読しています。その中で一番好きでよく読む物語が「驢馬の皮」です。
夜眠れないとき出してくる1冊で、字が大きく行間もたっぷりなのがありがたい本です。たいていは蕁麻疹が痒くて眠れないのだから、頑丈な手作り耳掻き棒で、腕や背中やお腹を掻きながら読んでいます。ブランデーなんかをちょっと飲んだりして…蕁麻疹を楽しむ真夜中の宴(笑)。
さてと、「驢馬の皮」は生まれつき驢馬の皮を被っていたわけではありません。彼女は偉大な王と貞淑な王妃の間に生まれた美しい王女だったのです。王妃が亡くなって、後添えをもらおうとした王様ですが、どれもこれも前の王妃に比べものにならない。…そこで、目についてしまったのが、我が子の王女です。燃えるような恋心を娘に持った王様に、困った王女は仙女に相談します。そしていろいろと難題を教えてもらって王様にふっかけるけど、みんな聞き届けられてしまいます。王女は最後に驢馬の皮をもらって、それを被って遠い国へ逃げて行きます。
逃げた先の国で「驢馬の皮」とあざけられながら、人のいやがる仕事をして王女は生き延びます。汚い小屋の中で、驢馬の皮を脱いでドレスに着替えた美しい姿を、たまたま覗いたこの国の王子様が、彼女を探しだし、めでたく結婚するのです。情欲が消え悔い改めた父親の王様も結婚式にやってきます。
この話の要は、父親が美しく育った娘へ執着するところですよね。この本ではひとつひとつの物語の最後に教訓があるのですが、「驢馬の皮」でも4項目の教訓があります。最後のは【驢馬の皮の物語は信じがたいものです。でも世界に子供たちがあり、お母さんがあり、おばあさんがある以上、この記憶は守られていくでしょう。】とあります。
映画になっていたのを思い出しました。ミュージカル風だったように覚えています。若く美しいカトリーヌ・ドヌーブが驢馬の皮でした。驢馬の皮が竈でパンを焼くんだけど、オーブンって昔こういうものだったのかと納得しました。大きな鉄の竈にパン種を入れ上と下から火を燃やすのです。へんなことを覚えているものですね。

2000.8.10

チビがかかるビョーキ

わたしの今年の夏前半はワヤであった。とにかく歩けなかったんだから。そこそこ回復してきてようやく原因がわかってきた。
2・3日前にテレビをつけたときに、夏休みの海外旅行の注意みたいなのをやっていて、もう終わりに近かったのだが、画面に大きい字で「かかりやすい人は40歳以上の女性で背が低い人」とある。エコノミークラス病とかなんとか言って、飛行機の狭い座席に座ったときになるらしい。どういう症状かは、もう終わったあとでわからなかったのが残念。
座席に座るとき、太股が短いので、座席全体に押しつけてしまうのがアカンらしい。アシが長いと、太股は座席からはみ出しているから大丈夫なんだそうだ。対応策はアシをなにかにのせる、足首を回す運動をする、ひんぱんに水を飲んでトイレに行くこと、だって。
それで我が身を振り返れば、毎日長時間椅子に座っている。普通に座れば太股はいつも押さえつけられている。そこへもってきて、クーラーの効いた映画館でじっと固唾を飲んで映画を見た。広告や予告編を入れたら、3時間近くをじっとしていた。血液の循環が悪くなっていたんやね。お医者の友人がワインを送ってくださったときに、血液の循環がよくなっていいからと書いてあったのは、おわかりになっていたわけだ(冷や汗)。
台所の流しがわたしには高くて、いつもヒザをのばし立っている(特にヒザ裏がピンと張っている状態)のに気がついて、数年前に台を作ってもらった。数センチの台ですごくアシがラクになった。
背伸びだけでなく、なんでもかんでも頑張ってしまうチビの性格が、ひ弱な(これホンマ)私の体を無理に頑張らせて、ビョーキの原因になっているのにようやく気がついた。そろそろゆっくりしなくては…。

2000.8.9

今日はお知らせ⇒「こども診療所だより」復刊第4号が発行されました

梅村こども診療所発行の「こども診療所だより」復刊第4号が発行されました。
今回は子育て相談「チャット・チャット」開始のニュースが中心になっています。おしゃべり会のテーマも「孤立しない子育て」です。毎号掲載されている山田真さんの病気の話は、「子どもの発熱に関する論文から」。その他、「ことばの相談室」からの報告、難聴児のお母さんの想い、重い内容のおたよりのページなど、今回も充実した内容です。読みたいかたは私までメールをください。

2000.8.8

ビデオの映画「アイズ ワイド シャット」

話題の映画をいまごろビデオで見た。映画を見るって、ただその映画の時間だけでなくて、上映時間に合わせて外出するという余裕が必要なんだといまさらながら思う。この映画上映期間中、時間も心の余裕もなかったんだなあ。映画館で見たい映画だったのに残念だ。
スタンリー・キューブリックの作品は封切りでたいてい見ている。「時計じかけのオレンジ」を見たときは、マルコム・マクダウエルにショックを受けて、翌朝めまいがして起きられなかった。天井がぐるぐる回ってどうなるかと思った。「シャイニング」はほとんど嫌いだがすごい映画だ。という具合に相性は決していいわけではない。「フルメタル・ジャケット」もすごいと思うけど好きでない。全面的に好きなのは「2001年宇宙の旅」くらいかな。

そんなわけでビデオを借りてきて見たのだが、これは好きな映画で、すごい映画であった。トム・クルーズとニコール・キッドマンの実際の夫婦が夫婦役を演じているのも、2人のファンとして興味があったが、2人ともとてもよかった。
2人がクリスマスのパーティによばれて正装して出かけると、そこは大金持ちの家で知らない人ばかり。夫はそこの主人の相手が麻薬で倒れたので別室に呼ばれていく。妻はよその男に言い寄られる。シャンペンで酔ったニコールの美しいこと!
夫が夜の街を冒険して帰ってきたときに、妻が夢でうなされているのは、夫婦一心同体みたいということかな。だいたい夫が冒険に出るのは、妻の言動からの妄想から発しているのだし。タクシーに乗って妻の行動を妄想するときのトムの美しいこと!
セントラルパークのそばのアパートで暮らしている医者夫婦の暮らしが、こちらにはすっげえ金持ちの暮らしと思えるのに、もひとつクラスが上の生活ってあるんやなあ。どこやら郊外の、門を入ってから屋敷までクルマで行くんだから。その屋敷で「O嬢の物語」のような秘密の儀式のような会合があって、医者であるトムはそこでは小僧っ子だもんね。
なんやかんやとあって、最後はニコールの賢い考えで終わって、わたしもほっとした。まあ、結末なんかほんまはどうでもいい映画なんだと思った。でも結末はだいじだ。ほっとしたから大好きと言えるんだから。スタンリー・キューブリックは生きていくことについて、自分の考えを映像で伝えておきたかったんだろうな。トムとニコールにも夫婦の機微について教えておきたかったりして…。
「アイズ ワイド シャット」はほんものの映画であった。いつか映画館で見なくちゃ。この映像をビデオではもったいない。

2000.8.7

ラベンダーの匂い袋

Oさんに送っていただいたラベンダーの半分は、ドライフラワーにして壁に吊ってある。あと半分を花だけとって日陰に毎日干していた。すっかり乾いていい匂いがする。
以前、ネコの花子にキャットニップを乾燥させて小袋に入れてやっていた。そのための小花模様の布が少し残っているので、出してきて縫った。ミシンを持ってないし、裁縫は大の苦手ときているが、ひと針ずつ、いつも通り指に針を刺して血を流したりしながら縫った。中にラベンダーを入れ、細いリボンで口を結んでできあがり。4個できた。
昼寝の枕にはさんだら、ほのかな香りでよく眠れた。引き出しに入れたら、開け閉めの度によい香りがする。
ラベンダーの虫除けを「ポラン広場の宅配」で扱っているので、ずっと使っているけど、自分で縫った袋入りはまた格別な香りである。

2000.8.6

構成・文 アンヌ・ボレル「プルーストの食卓」

「モンテ・クリスト伯」を読んでいたら、パリでの豪華な晩餐会の様子が出てきて、どんな食事だったか興味が湧いてきた。遠くから生きた魚を運んできて作った料理が出る晩餐会や、庭にテントを張ってテーブルに山海の珍味を飾った豪華な夜会ってどんなんだろうな、と考えているときに、図書館で「プルーストの食卓」(宝島社 7800円)にぶつかった。プルーストの時代はアレクサンドル・デュマの時代からはちょっと後になるが、「椿姫」を書いた息子のデュマ・フィスの時代とは重なり合うはずだ。豪華な食卓の写真に魅せられて重い本を借りて帰った。
「失われた時を求めて」ほかのプルーストの作品からの引用がたくさんあって、それに解説文が入った構成で楽しく読める。「失われた時を求めて」に登場する料理やお菓子や果物のデザートが、現に作られ、盛られ、力のある写真家の手によって撮影されている。レシピもついているけど、材料は手に入らないし、器も超高級品だから、あくまでも参考までにって感じだ。暑い夜の窓辺で豪華な写真に酔っている。
「モンテ・クリスト伯」にも日本の花や花瓶や調度品が出てきた(メルセデスの屋敷の庭には石楠花と椿が植えられている)けど、プルーストの時代になると、もっとすごい日本調が流行ったのがわかる。この本にある紫陽花、石楠花、菊、百合などの花。花瓶、食器の模様もそう。なぜか日本調サラダというのもあるのだ。
読んでいるうちに、「失われた時を求めて」を読み返したくなってきた。20代、30代には読みとおせず、40代になってから、がぜん面白くなり2回読んでいる。もう一度読むことはあるだろうかと思っていたが、読み返してみたい気持ちがわきあがってきた。

2000.8.5

今年最高の暑さの日

今日の大阪は今年最高の暑さ37.7度だったそうだ。午前中に出かけたとき、太陽がこわいような照りかたを見せていた。東→西の道を歩くときは、午前中はまだビルの陰があってましだけど、午後になると西から照らす太陽からどうにも逃げられない。どうしても用事は東へ行くことが多いので、帰りがコワイ。
最近よく目に付くのは、サンバイザーして、首を覆う長袖の服を着て、手首に隙間無く手袋をはめて、テニスのラケットを自転車の前カゴに入れた女性。それまでしてテニスせんでもええのに思うのは、しない者のひがみかな。
朝日新聞の夕刊に、大阪の都心は川や堀、公園や街路樹の緑のおかげで、周辺部の住宅密集地や臨海工業地帯に比べると、地表温度が低いことが衛星写真の解析でわかったと出ていた。それはうなづけるような気がする。西日のあたる部屋でも、夜が更けてくると風がひんやりしている。
ベランダから空を見たらオレンジ色の三日月が出ていた。最近わりと星が見えるのがうれしい。

2000.8.4

久しぶりの心斎橋

昨日はなんかユーウツだった。「まだお盆前やというのに、どないしょう」というくらいに、わたしらしくない気分であった。でもユーウツの原因が夜になってひとつ片づいたので、「なんとかなるさ」に気分は変わっていった。ええかげんなことである。そうそ、昨夜は阪神タイガースが長い試合で勝ったのもあったっけ。
今日はちょっと知り合いへの結婚祝いを買いに心斎橋へ出かけた。50日ぶりの心斎橋である。パルコとオーパの雑貨店をまわって可愛いものを見つけて満足。人のものでも買うのは快感だ。そのあと周防町のアセンスで本を探したが、売場が変わっていて見つからなかった。1・2階を見ただけだが、本が少なくなったみたい。久しぶりに本屋へ行って買うつもりだったのに残念だ。金井美恵子の小説は見あたらないし、ウミウシの図鑑がほしかったんだけどあったのはださくて…。また日を改めて違う本屋へ出直そう。
結局、自分のものはなにも買わず、大丸の地下をぐるっとまわってパンを買っただけだった。せっかくおしゃれな雑貨を見ても欲しいと思わないんだよね。なんかちっちゃいものを買って帰ると喜ぶネコの花子がいないんだもんなあ。ああ、またユーウツ節だわー。と書いていたら花火の音、習慣で窓から見たら、北北西の方角、ビルとビルの間からほんの少しだが花火が見えた。淀川方面のようだ。

2000.8.3

遠い花火、よその朝顔

夜8時頃、どーん、どーん、どん、と遠くから音が聞こえる。花火のクライマックスの音だ。まわりはビルだらけで、音はすれども花火は見えない。天神祭と天保山は今夜だとわかっていたけれど、先週土曜日の神戸祭、昨夜8月1日の富田林PLの花火の音が、まさかここまで聞こえてこないだろうから、どこで打ち上げていたのだろうか。ちょっと木津川の橋の上まで出かければ、見晴らしが良いので見られるものを、なんとなくじっとしている。
今年はもたついて朝顔を植えなかった。去年はスーパーマーケットでもらった1本が、夏中どんどん咲いて楽しませてくれた。それでこれから毎年植えようと言っていたのに、梅雨の季節に体調を崩してしまってそれどころでなかった。
アパートの1階がお寿司屋さんで、お店の前から道路までいっぱい花を植えている。みごとな芙蓉、桔梗、風船カズラ、茄子などといっしょに朝顔もビルの壁を這っている。それを眺めて今年は過ごすか…。花火も朝顔もなくて、しけた夏、まだお盆前やというのに、どないしょう。

2000.8.2

わたしは街の子

思いがけない長い日にちがかかった脚の痛みであった。つくづく無理がきかないことを思い知った日々であった。最近は毎週1回は東洋療養センターに行ってハリ治療をしてもらい、毎日足湯や腰湯でいたわっている。それにワインで血液の循環をよくすることもやったし…(笑)。その結果かようやく日常生活がもどってきた。
今日は四つ橋筋の銀行2行に行って、久しぶりにオフィス街を歩く快感を味わった。街路樹も新鮮な緑に見える。脚を引きずって歩いていたときは、暴力的に思えたクルマの往来も、都会の活気ある音に聞こえてくるから不思議だ。
帰りに前から目を付けていたコーヒー店に入って、濃いコーヒーとガトーショコラを頼んだ。1週間ぶりのコーヒーがおいしかった。
昨日は図書館に行って本を借りてきた。毎日少しずつ日常生活を取り戻している。わたしってほんとに街の子だわ。

2000.8.1

 

写真はクマセミの抜け殻(8月1日靱公園にて採取)

VIC FAN CLUB  連絡先:kumi@sgy2.com