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2000年2月


リンダ・ラ・プラント「凍てついた夜」「渇いた夜」「温かな夜」

「凍てついた夜」(ハヤカワ文庫796円+税)が1996年に出たときは、知らない作家ということもあり、文庫本の厚さに圧倒されて買う気が起こらなかった。ところが「買うたけど家に置いとく気がせーへん」と言って友人がくれたので読んだわけ。読みだしたらおもしろくって…。
アル中の元警官ロレイン・ペイジは警部補だったときに、勤務中に酒を飲んで無抵抗の少年を撃ち殺した。解雇され大酒を飲み、離婚されお金もなく、酒のために売春もするという最低の姿でこの作品に登場する。そこからはい上がり立ち直るまでの、まあ、なんと長くしつこい小説! そこがいいというか、好きというか…何回か読んだ。
次の「渇いた夜」上下(各680円+税)は、立ち直って私立探偵として活躍する様子が書かれているが、ストーリーはともかく、文章に緊張がなくだらーっとしていて「?」と思った。3作目「温かな夜」(920円+税)も同じく。
ただ、2作目の協力者の私立探偵が死ぬことになり、3作目も雇った青年があっさり死ぬ。ええっと思う間もなく…、この後はこれから読む人のために書かないでおくわね。
結局1作目だけでよかったような気がするけど、ここまで書いてけじめをつける必要があったと思う。
リンダ・ラ・プラントはテレビドラマの「第一容疑者」の脚本を書いている人で、あの女性主人公は大好きである。しぶいよね。ピーダー・ラヴゼイ、イアン・ランキンの警察小説にも地位の高い女性警察官が出てくるけど、実際存在しているからこうしてテレビにも小説にも出てくるんだろうな。

2000.2.29

映画「ギルティ・オブ・ラブ」再び

以前深夜映画で見たのを、レンタルビデオ屋で見つけたので借りてきた。覚えているのと、えらい間違いがあった。このページに感想を書いたのを思い出して探したら1998年12月26日に書いていて、やっぱり間違っていた。しかも深夜なのに目がばっちりで、きちんと覚えているなんてことまで書いている。アホちゃうか。
【自殺した若い人妻の夫(ショーン・ペン)の暴力性を検証するために昔の恋人(ロビン・ライト)を召喚する。】と書いているが、昔の恋人をやっているのはショーン・ペンではない。ショーン・ペンは映画の始めの数分間、ウイリアム・ハートと会話するヘンな男の役で、「抱きしめてくれ」ってウイリアム・ハートに言って、二人はがっちりと抱き合ってお互い背中をぽんぽんやる。出演はそれだけであった。テレビではカットしてあったのとちゃうかな。
映画の感想は前に書いたものと変わらないので、読みたいかたはバックナンバーを見てください。

2000.2.28

ジュリア・ロバーツ

ジュリア・ロバーツって見ないで嫌いだった。あんまり人気がありすぎて、かえって見る気がしないスターっているよね。
お正月から間もないころ、テレビでオランウータンの番組があった。スマトラ島に居住するオランウータンをジュリア・ロバーツが訪れる番組だった。船と徒歩でジャングルに入っていく。Tシャツと綿パン、素足に草履ばきというスタイルのジュリア・ロバーツに驚いた。日本の番組だと、きちんと帽子をかぶり靴も堅牢なサファリスタイルでかためるよね。ジャングルに入っても同じ格好で過ごし、洗濯もしている。オランウータンの赤ちゃんのお母さん役をして、オシッコを肩にされても笑っている。
そりゃ、カメラマンをはじめとして、いろいろな人がそばについていることはわかっている。でもTシャツでオランウータンを抱いているのは確かなことだ。
こりゃ、えらいやっちゃ、と思ったわけ。それでビデオを見ました。「ノッティングヒルの恋人」と「グッドナイト・ムーン」の2本。両方とも明日のハリウッドを担うにふさわしい演技だった。「ノッティングヒルの恋人」はハリウッドスターの役でヒュー・グランド(トシ取ってもおとこまえ)の書店主と結ばれる。貫禄がある。「グッドナイト・ムーン」はスーザン・サランドンとがっぷり組んで負けていない。仕事と家庭をどっちをとるかなんて問題を超越した、仕事ができる女性を自然体でやっている。2本とも人生でいまなにをするか、ちゃんとわかっている女性の役やねん。次作が楽しみ。

2000.2.27

友を訪ねて

わたしが「週末ボランティア」の「掲示板」にはじめて書き込みしてから、もう3年くらいはたつだろうか。仮設住宅訪問の感想やさまざまな思いをアップしてきた。その駄文にファンがついていたなんて思いもよれへんかった。去年の夏、知り合いを訪ねて平野まで行ったとき、見知らぬ人にすごく親切にしてもらった。そのことを「掲示板」に書いた。「掲示板」は毎週プリントされて「今週の資料」の一部となり、参加者と支援者に配布される。
「今週の資料」を読んだOさんがファックスをくださった。わたしの書いたものを楽しんで読んでいたけど、近くの平野のことなのでコメントしたくなったとのこと。びっくりしたわあ、もう。
Oさんは東住吉区で古本屋を経営しておられる。そして、地域で長いこと「田辺寄席」というのをやっている上に、阪神大震災の被災者援助活動に取り組んでいる。「週ボラ」とはその縁でつながったそうだ。
そのファックスから文通がはじまり、毎月「田辺寄席」の会報「寄合酒」を送っていただいている。神戸、トルコ、台湾の地震にかかわる支援活動の記事、「田辺寄席」のお知らせと報告、そして編集者の熱意に応える読者の手紙がたくさんある。毎月20ページを超える大作の通信である。
そのOさんの熱意がどこから出てくるのか知りたくて会いに行った。たくさんの本が整然と並ぶお店に、資料に囲まれてOさんは座っていた。「寄合酒」の版下を自分ですべて作る。今月は締切ぎりぎりの原稿が入ったので、レイアウトの変更でたいへんだったとのこと。印刷だけ頼んで、紙折りから発送まで全部やる。郵便代がかかるので、中央区くらいまでは手配りしているそうだ。店が終わってから深夜の配達を数日続ける。郵送分は料金別納がきらいなので、すべて記念切手を貼る。
ただひたすら感心して聞くばかりの2時間であった。圧倒されて元気をもらうどころではなかったような…。

2000.2.25

映画「メッセージ インアボトル」

ロビン・ライト・ペンは悲しい運命の役が似合う女優だ。今日のビデオ「メッセージ インアボトル」もテレーサという名の悲しい運命に出会う女性の役を演じている。
テレーサはシカゴの新聞社で調査の仕事をしている。離婚して子どもと暮らしているが、子どもを元の夫に託して一人で休暇の旅行に出かけ、ケープゴットの海岸をひとり散歩していてボトルを拾う。中には手紙が入っていた。ケビン・コスナーが亡き妻にあてて書いた悲痛な手紙である。その手紙に心をうたれた彼女は新聞社で同僚に話す。新聞社で話題になり、上司が記事に書き、読者の反応がたくさんあった。そして同じタイプライターで書いた、ボトルに入った手紙がもう2通、新聞の読者からとどけられる。
彼女は3通の手紙をタイプライターなどから特定して、ノースカロライナまで手紙の主を尋ねて行く。そこにはケビン・コスナーが妻を忘れられずに暮らしていた。気を使う父親役をポール・ニューマンがやっている。いい感じだ。
妻に死なれて孤独な男と、夫が他の女性に心を移したために孤独な生活をしている女性が結ばれていく。海辺や帆船や海辺の家などとてもロマンチック。やがてシカゴへケビン・コスナーが尋ねてきて、新聞社でみんなの温かい応対にとまどったりするうちに、彼女がボトルの手紙を読んで探しにきたことを知る。彼は怒ったまま彼女の必死の告白を聞かずに立ち去ってしまう。だが戻ってから考え直し、もう一度やりなおすための気持ちの整理のために出た海で、転覆した船に乗っている人を助けるために海に飛び込み命を落とす。
真実の愛を知り悲哀から立ち直って生きていくであろうロビン・ライト・ペンの姿が美しい。音楽がとても良かった。

2000.2.24

猫が死んでから1週間

飼い猫の花子が死んでから1週間、「ヴィク・ファン・クラブニュース」を発行し、人と会い、確定申告をしに税務署へ行き、また、メールを書いたり、毎日の用事は片づけたりしていたけれど、ふりかえってみると、夢の中を過ごしてきたような気がします。
昨日は猫関連の新聞・雑誌の切り抜きなどのファイルを整理しました。長期間にわたってのものですからたくさんあります。引っ越した飼い主を探して旅した猫、川に落ちて助けられた猫、ホワイトハウスのソックス君、震災にかかわる猫の記事も多い。整理していると、読んだ当時もこころを打たれた、作家の杉本苑子さんのコラムが出てきました。
「猫の死」という題で1994年1月27日の朝日新聞に載ったものです。【十九年間、共にくらしたメス猫が死んで、三年近くなるのに、悲しみが胸に居座って消えようとしない。】という書き出しで、愛猫に死なれた心境を書いておられます。当時のわたしは花子が死ぬということを、真剣に考えていませんでした。でも、この文章を読んでじーんときて、花子が死んだらわたしもきっとこう思うだろう、と考えたものです。いま、そのときが来てしまいました。
【猫が「悲しみ」に形を変えて、私に抱かれつづけている。そんな気がする。】という杉本さんの表現がいまのわたしにはぴったりです。“アホみたいに猫のことばかり考えてたらアカン”と、忘れようとしてみたのですが、忘れられるはずはないのですね。わたしも「悲しみ」に形を変えた花子を抱いて、これから生きていくことにしましょう。

2000.2.21

猫の死

バレンタインデーの深夜、19年近くわたしの部屋で生きてきた飼い猫の花子が死んだ。19年前の3月末にアパートの廊下に捨ててあった猫で、生後2ヶ月くらいの小さい子だった。ジャンパーのふところに入れて、もう少し大きくなったときには籐のバスケットに入れて、仕事に通った。仕事場は歩いて10分のところにあり、8ヶ月ほどは毎日連れていったが、だんだんいやがるようになり、部屋に1人で留守番するようになった。16年間、部屋の主をやっていたが、3年前に事務所をたたんだので、毎日昼も夜もいっしょに暮らせるようになった。わたしにとっては生涯最高の3年間であった。
最後の1年間はうるさかった。夜中3時、明け方5時に泣いて起こす。一人で起きていることに耐えられなくて起こしたんだなあと思う。この2ヶ月ほどは、テーブルに上がって人間の食べ物を食べたがった。ホッケやニシンの干物、鯖の煮付け、秋刀魚、イカの塩焼きなんかの、いままで見向きもしなかったものを食べたがった。抱かれるのが嫌いだったのに、なにかといえばにゃーにゃーと甘えて抱かれたがった。みーんなサインだったんだなあ。
健康な子で、風邪もひかず、歯も丈夫で、医者にかかったこともないし、たまに食欲をなくしても、そのうちけろっと治っていたのに、今回は違った。2日間、好きなモンプチのまぐろの缶詰も、にんべんの本枯削り節も、キャットニップ入りの小袋も、またたびの粉も、役に立たなかった。シャワーの水が好きなので飲ませたらかろうじて飲んだ。
最後の日には口を閉じてしまい、水も飲まなくなった。オシッコさせようとしても脚が立たなくなった。午後、陽の当たるところにお気に入りの椅子を持っていき、抱いて「チム・ラビットのぼうけん」を読んでやった。おとなしく聞いていた。深夜、徹夜の覚悟で、台所でお茶を沸かしているわたしをはかない声で呼んだ。しばらくして、夫の見守る前で、わたしに抱かれたまま、あっと口を開け、のけぞった。きれいなオシッコが少しこぼれた。見事に死ぬ という大事をやってのけたすごいやつ…。眠っているような静かな美しい姿だった。

2000.2.19

立売堀、京町堀、江戸堀あたり

休日だけど相棒は仕事なので、昨日買ってきた芥川賞発表の「文芸春秋」を静かに読んでいた。藤野千夜「夏の約束」は期待どおりおもしろかった。はしゃいでいる中にあるはかなさにひきこまれた。
夕方になって散歩に行こうってことになり、今日は北へ向かう。立売堀(いたちぼり)を過ぎ、京町堀のまだ知らなかった道を選んで歩き、なにわ筋を渡って江戸堀あたりへ。このへんは、つい数年前までは知り合いや取引先の事務所の多かったところ。最近はめったに来ないので目新しい感じがする。新しいイタメシ屋さんが目立っている。
2月も真ん中に近くなると、日が長くなって5時半になっても明るい。ロータリーに植えられた藪椿につぼみがいっぱいついている。12月、1月と違って、寒くても日差しの明るさに春の近さを感じる。
四つ橋筋へ出ると、肥後橋の南側に見知ったスターバックスの看板があった。さっそく入ってみる。ここは1階にコーヒーを買うところがあり、2階に広い客室がある。御堂筋のお店は休日は若い子供連れが多く、最近は座れないことが多い。屋外の席は寒いしね。ここは静かでゆったりと落ち着ける。客は若くてみなりの清潔な真面目そうな青年が多いようだ。まあ、1回だけ少しの時間の見聞だから断言できないけど。
今日のおすすめのモカバレンシアが美味しかった。熱いコーヒーに生クリームがたっぷりのっていて、お腹が空いていたんだけど、満腹してしまった。

2000.2.11

寒い日に、焼きたてスコーン

わりと暖かい日が続いていたのに、突然寒さがやってきた。歩きながら考えたいことがあったので、寒いけど散歩に出た。
吹きつける風に向かってイキがって歩いていたけど、やっぱり寒い。西風を避けてどこかで座ろう。歩いていると「おいしい焼きたてスコーンあります」という紙をドアに貼った、可愛い店があったので入ってみた。外は花屋になっていて、もう春の花が鮮やかに咲きほこっている。中に入ると、店の半分は雑貨の棚や台が並び、奥がお茶のコーナーになっている。テーブルと椅子も落ち着いていて、女の子がお店を持つならきっとこういうお店にしたいと思う、そんな感じ。
スコーンにはヨーグルトとブルーベリーのジャムがついていて、温かくておいしかった。コーヒーもおいしかった。おしぼりが豆絞りの手拭いやねん。容器がそれぞれ個性があってね。白地に花模様の砂糖を入れた小さな茶碗なんか持って帰りたいくらい。
雑貨コーナーにはおしゃれな文房具が並べてある。色とりどりの手帳類の中に欲しいのがあったが、家には使わない手帳がまだいっぱいあるのであきらめた。そういう今風のものの中ににコクヨの大昔の大判縦書き領収証用紙があった。どこかのデッドストックなんだろうな。思わず買おうとしたけど、いつかどうせゴミになると思いとどまって、ネコ絵はがきにしておいた。ブルーの毛並みに金色のきつい目のネコがふんばっているやつ。
お金を払うときに気がついたが、レジのカウンターにオレンジ色のiBookが開いたまま置いてあった。全体の雰囲気にすごい似合っているねん。ムムム。
最近アメリカ村が西に伸びてきて、四つ橋筋を越えて浪速筋までの間におしゃれな店が増えている。しっかり探索しなくちゃ。

2000.2.9

ジェーン・ラングトン「エミリー・ディキンソンは死んだ」

去年の夏、本屋の棚で気になるタイトルの本を見かけて買った(ハヤカワ文庫 680円+税)。すぐに読む気が起こらず置いてあったのだが、VFC会員のHさんがエミリー・ディキンソンに熱中しておられ、お見せした絵本「エミリー」も気に入っていただいたので、この本も読んでおかなきゃと思ったわけ。
ニューイングランドの田舎町だが、エミリー・ディキンソンが暮らした町ということで、世界中に知られたアマースト。大学教授のオーエンがエミリー生誕100年と口をすべらせたばかりに、100周年記念祭典をすることになる。そこに参加する人の中で殺人事件が起こり…というストーリー。
エミリーの家に泊まってエミリーの部屋のベッドで眠るなんて夢のような話だ。そこで暴力がふるわれるなんて…とわたしもけったいな愛好家の一員みたいなことを言っているわ。あちこちからやってくるエミリー愛好家の中に日本人の一団がいてね。なんやカッコわるいねん。
「エミリーが死んだ」というのは、殺人事件と100周年が片づき、最後にアリゾナからきた研究者が帰りたくないと言うのにたいして、“エミリーはここでは死んだけど、どこの町でも彼女の詩集を開いたときにエミリーは息を吹き返す。ニューヨークでもアリゾナでも”とオーエンと結ばれた女性が言う。そこで彼は納得してアリゾナへ帰る。タイトルの意味がわかった。

2000.2.6

バーバラ・クーニーの絵本「エミリー」

この絵本のエミリーはエミリー・ディキンソン。わたしにとって、エミリーという名はエミリー・ディキンソンとエミリー・ブロンテのことだ。わたしは英語ができないので、特に詩を日本語訳で読むのは“靴の上から足を掻く”ようで、エミリー・ディキンソンの詩を読むことはあきらめていた。訳されたものを読んでも、彼女の思いがどっか違うって感じ。
数年前に児童書専門店でこの本を見たときピンときた。この「エミリー」はエミリー・ディキンソンに違いない。それにいちばん好きな絵本作家のバーバラ・クーニーのだったから迷わず買った。それから何度も何度も読み、わたしなりのエミリー・ディキンソン像をもつことができた。
この絵本は一人の少女の目を通したエミリーが描かれている。マサチューセッツ州アマーストの街に両親と少女が引っ越してきた。通りの向こう側の家にエミリーと妹が住んでいる。少女の母はピアノを弾く人である。ピアノを聴かせてほしいと、ある日エミリーから手紙が舞いこんできて、少女と母親は出かける。猫がたくさん居る客間は静かですてき。母が弾くピアノを階段の上にいる白い服のエミリーが聴いている。階段の下に行った少女は上がるように招かれ、おみやげのユリの球根を渡すと、お礼にエミリーは詩を書いた紙をくれる。
この時代のエミリーは屋敷の2階から降りることも稀であったという。ただ子どもたちのことは好きで、よく2階から籠に入れたショウガ入りクッキーを降ろしてくれたという。

2000.2.5

ジョセフ・ハンセン「アラン─真夜中の少年」

図書館で見かけてびっくりした。ジョセフ・ハンセンって、あのゲイ探偵のデイヴ・ブランドステッター・シリーズの? 訳者の柿沼瑛子さんのあとがきを読むと、やっぱりそうであった。さっそく借りてきて読んだ。よかったわあ。
ジョセフ・ハンセンはこの作品を12年の歳月をかけて書き直し、出版してくれる人を探し続けたという。ゲイ小説はアメリカでも長い間相手にされなかったらしい。
アランという美しくて頭の良い少年が、自殺したと新聞に出た俳優の父親の葬式に出かける。そこで殺されたのではないかと疑念を持ち調べはじめる。いろんな人に出会って話すと、父はゲイであったことがわかる。さまざまな男たち、さまざまな愛のかたちに出会う。応対がとても賢くてナイーブ。ケガをして動けないアランを助けて、生活のめんどうをみてくれる黒人の少年がね、とてもいい。(1993年 二見書房 1165円+税)

70年代、デイヴ・ブランドステッター・シリーズはハードボイルド私立探偵小説に、新しい風を吹き込んだ。男性の目で語られるハードボイルドの形式に、やがて多様な女性探偵が生まれるまでに、男性の側からゲイの探偵というかたちで新しい視線を持ち込んだと思う。こんなことに最近気がついた。読み返してみなきゃ。

2000.2.2

MACのOS 9

マックのシステムをOS 9にしてもらった。7.6から8を飛び越してやってしまった。この2・3年の間、新しいOSを入れるのには消極的だったが、いっきょに流れにのることしようということになった。 今年の夏にはOS X(テン)のパッケージ版が発売の予定らしい。なんとか9に慣れておいて、X に備えようというわけ。
まだどこがどうって言えないけど、とにかく応対が早い。ちょっとしたところに気遣いがある。デスクトップの色を、若者向きの宇宙船柄とかいろいろあるけれど、落ち着いた淡黄色にした。
振り返れば、うちで初めてマック(Mac Plus)を買った1987年は漢字トーク1.0で、ハードデスクがなく、フロッピードライブにフロッピーデスクを入れ替え、入れ替えして使ったものだ。ワープロを使うのさえ、何枚かのフロッピーデスクを入れ替えるのでたいへんだった。漢字も第2水準が無く、98とかを使っている知人たちにホビーだとバカにされていた。でも、なにを言われたってカッコいいんだもん。これ以上のことはあるかって感じで余裕の笑い。もっとも、わたしの場合はほとんどインテリアとして使っていたんで…(笑)。
それからすぐ漢字トーク2.0になり、第2水準の漢字も入った。しかし、メモリ増設のための10万円の痛い出費がいまも語りぐさ。
2台目のSE/30を買ってからマック生活は飛躍的に進歩した。VFCの会報を発行することになって、初めて外に見せるものを作ったのだから。
なんやかやと考えると、隔世の感があるわ。うーん、パソコンっていつも過程にあるもんなんだ。

2000.2.1

写真は「エミリー」マイケル・ビダードぶん、バーバラ・クーニーえ、掛川恭子やく、ほるぷ出版

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