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1999年7月


ああ、せからしい蝉の声

朝から街路樹の蝉の声がやかましい。
窓を開け放して寝るので、朝はいろんな音が聞こえてくる。クルマの音、ビルのシャッターをあげる音、話し声…。夏真っ盛りのいま、それら日常的な音を超えて響いてくるのが蝉の声です。
蝉の声に関心をもったことって若いときにはなかった。ツクツクボーシは秋がくる前触れとして、風の音にも秋を知る、みたいな感傷的な気分を起こさせるけど、真夏に蝉の声はやかましいものと、思いこんでいた。
ずっと前、友人の連れ合いの関東人が、大阪へ転勤してきたのだが肌が合わなかったらしい。「大阪は蝉の鳴き声までせかせかしている」とたまたま夏に会ったときに言った。そのときから大阪の蝉の声をわたしは意識して聞きはじめた。
大阪の蝉はクマゼミだという。とにかく、せからしい。ガチャガチャガチャガチャ、シーシーシーと梅雨明け前から街路樹で騒いでいる。大阪の夏はせわしなく過ぎていく。
どっかの田舎の縁側で、ミーンミーンという、のどかな蝉の声を聞きながら昼寝をしたいと思わんでもないが、そんなとこがあるのかねえ…。

1999.7.31

マルグリット・デュラス「タルキニアの子馬」

もう20年くらい前から、夏になるとマルグリット・デュラスの「タルキニアの子馬」を読む。暑い地中海の沿岸の小村に毎年ヴァカンスに行くインテリフランス人たちの話。
サラとジャック夫妻と子どもと女中は別荘を借りている。この暑い土地にこよなく愛着を持っているルディとジーナ夫妻も女中連れで1軒借りている。あとは女友達のディーナほかホテル暮らしの人が30人ほど。そこへモーターボートで新顔の男性がやってくる。
海に山が迫った狭苦しい村。その山で地雷が爆発して青年が死ぬ。その親たちが山に居座り、書類にサインしないので事件が片づかない。親たちに食事を運ぶジーナとルディのけんかが暑苦しさにわをかける。ヴァカンスなのにダンスもできないと客たちは不満。
サラが連れてきた女中がたいへんなあばづれでね。でもサラは裏表ない彼女に好意を持っている。サラと他の人との女中についての会話もおもしろい。
とにかく暑くてアタマが回転しなくて、周りは知り合いばかりの重苦しさ。みんなビター・カンパーリのお変わりをするばかりだ。モーターボートでやってきた青年が、サラに惹かれて言い寄りさざ波を起こす。愛についての登場人物たちの果てしもない会話がうっとうしくもまた楽しいのだ。
毎日、明日は雨が降るだろうって希望して眠り、明日もまたかんかん照りの日がくる。

1999.7.30

天神祭

今年も天神祭がやってきた。日曜日だし、たんへんな人が集まるにちがいない。いつ出かけようかと言っているうちに夕方になってしまった。そこへ夕立。降り止んでから出かけたら、もう宮入になるから、神社へは入れなくなるという。正門からは入れず、横から入って宮入を待つことにした。最後の花火があがった。声や音ばかり聞こえてなかなか入ってこない。チビなので人の背中しか見えないのでいらついたが、ロープの前から出ていく子ども連れのあとに立つことができた、よかったー。なにもかも見られてラッキーだったわ。
人がぎっしりで暑かったけれど、待った甲斐があって、ふれ太鼓が賑やかに入ってきて、鉾が入ってきて、だんじりが入ってきて、踊り子がたくさん入ってきて、それぞれみんな賑やかに収まった。それから菅原道真公の魂が帰ってこられた。道真公の魂は梅の小枝に宿られて御輿に乗っておられたのだ。
立ちっぱなしで疲れたけれど、いつもの年とは変わった天神祭で楽しかった。

1999.7.25

iMacを買いに行った

iMacを買いには行ったけど、自分のものではない。兄が買うのにつきあっただけです。でも、パソコンを買うのははじめての人なので、わたしがなにもかもまかされた。いままでは夫が調べたり手続きしたりするのを、お金をしっかり持って横に立っていただけだけど、今回はそうはいかない。
本を買って勉強し、友人に電話して教えてもらった。メモリ増設、プリンターに加えて細々した便利ものも調べた。エクセルで表を作って買うものを書き出し、表示価格と実際価格を調べて予定金額も決めた。わたしとしては生まれてはじめての大仕事(オーバーだけど)でした。
日本橋のソフマップにも一人でさきに見に行ってきたので、買う日は大きい顔して出かけることができた。兄は日本橋に来たのははじめてなので、パソコン販売店の喧噪ぶりにびっくりしていた。
色はブルーがいいと決めて係りの人に声をかけた。表を見せると、ここまで調べてきたんですかとびっくりされた。素人がなにもわからずに買いに来たと思ったみたい。なんの、なんの。
iMacの一式を買って、ソフトの売り場へ行き「オフィス」ほかを買った。人のお金ながら、買い物は楽しかった。

1999.7.24

岡本綺堂「玉藻の前」

岡本綺堂というと「半七捕物帖」をまず思い出す。家にあった「半七捕物帖」を子どものとき読んでかっこいいと思った。今でも傘を持って外出して、雨が降り止むと、「ちぇっ、傘がお荷物になったか」って半七のせりふを口に出してしまう。
友人に借りた夢枕貘原作で岡野玲子が漫画化した「陰陽師」を読んで、阿倍晴明にほれぼれしていたので、新聞でこの本の広告を見たときにすぐ思い出した。たしか、玉藻の前は狐で、やっつけるのが陰陽師だったはずだ。さっそく買ってきた。なんと、「玉藻の前」では陰陽師は阿倍晴明の子孫、阿倍泰親ではないか。
しかし、この小説は陰陽師のかっこよさよりも、玉藻の前の妖艶さと、幼なじみで最後まで彼女に惹かれる千枝松の恋物語が主題になっている。陰陽師の阿倍泰親に助けられ師事して、玉藻の前を排除する側にたちつつ、狐が取り憑いた玉藻の前ということを知っていながら、恋い焦がれる千枝松が哀しい。
高貴な阿闇梨を誘惑する玉藻の前のなんとかっこいいこと。老僧の心を一瞬に奪う妖艶さを、悪いと一言で片づけられない。人間の煩悩を感じてしまった。

ついでに同じ作者の古ぼけた文庫本「青蛙堂鬼談」を探しだして読んだ。これはほんまに怖い。夜中にふと目が覚めると、壁にかけてある猿の仮面の目が蒼く光っているのだ…。

1999.7.22

難波神社の夏祭り

難波神社の夏祭りに夕食後ぶらりと出かけた。お賽銭をあげてビールを片手に境内をぶらぶらしつつ、いつの年からか、太鼓の奉納があるのを今年も聞きたいと思っていたらすぐ始まった。「打打打団天鼓」というグループで和太鼓なのだが、気に入っているのは、そのスピード。大阪のグループであるせいか、とにかくせからしい。間合いがあることはあるが、思わせぶりなところはいっさいなしで、どんどん、どんどん、間なしに太鼓を叩くのです。すっごく気持ちがよい。
難波神社は御堂筋に面していて、境内に見事に大きな楠の木があり、出かけるといつもその木を仰いでくる。5月には菖蒲の鉢植えが100鉢以上ずらりと並ぶ。街の中のオアシスです。

1999.7.21

大観覧車に乗ってきました

午後になってから、どこか散歩でも行こうということになって、山方面〈生駒山〉か海方面〈天保山〉のどっちにしようか検討した。山方面は歩くのがいまのヒザ状態ではつらいので海方面にする。どちらも地下鉄中央線で行けるところだ。安易やなあ。
地下鉄を降りて少々歩くと海遊館が見えてくるはずが、でっかい観覧車が見えてきた。長いこと行っていない間に、こんなものができたのだ。きっと行列が続いていると思ったのに、あまり人が見えない。連れ合いは、わたしがこんなものに乗りたがるとは夢にも思わなかったそうだ(笑)。
一人700円を払って、15分待って乗り込むときは少し緊張した。世界最大級と看板に書いてあったが、ほんまに大きいわ。一番高いところに上がったときはかなり怖かった。並んで座ると、ゴンドラが傾くので、向かい合わせに座って水平を保った。ひょっとして、わたしって高所恐怖症と閉所恐怖症の気味があるのではないかと思ったくらい。切れ目なくアナウンスが入るのがありがたい。ふだんはこういう案内は大嫌いなんだが、見捨てられていないって気になって助かったわ(笑)。
観覧車前は夜になったら長蛇の列でした。やっぱりカップルたちは夜になってから乗るのがええねんな。

1999.7.20

「出生前診断と障害者の人権」講演会

「出生前診断と障害者の人権」の講演会に行って来ました。友人が企画から司会まですべてをやるということで、少し心配もしましたが、とてもよい講演会でうれしかったです。
参加者は女性ばかりでなく、男性がたくさんいるのが心強い気がしました。障害者のかたが多かったです。
友人の司会で、講師は女性が2人。1人は「DPI(障害者インターナショナル)女性障害者ネットワーク」の人で車椅子に座っていました。もう1人は大学でカウンセラーをしている人で、子どもさんの1人が障害者だとのことでした。 一人目の子どもさんが障害者である講師のかたは、次の子どもを妊娠したとき、周りの人たちから「出生前診断」をすすめられましたが、ここで診断を受けることは最初の子どもの存在を否定することだと気がついて、診断を受けなかったそうです。たくさんの理屈より、こういうお話はこころのなかに直接響いてきます。
「出生前診断」で障害を持つと診断された胎児を中絶することは、いまこの社会で生きている障害者を排除してしまおうというのと同じだと教えられました。また、障害者が明るくのびのびと生きている社会であれば、「出生前診断」で中絶という事態を、変えていけるのだとも教えられました。
レジュメも気配りがあり、講師の人選も最適で、心意気を感じた講演会でした。ほんと、わたしは励まされました。

1999.7.17

ジーン・ポーター「リンバロストの乙女」

今月の表紙の写真(ホームページのほうで)に使った本です。
小学生のころ誕生日に父にもらった本で、好きで好きでたまらなかったのに、いつのまにかなくしてしまった。その本のタイトルは「黄色い皇帝蛾」(イエロー・エンペラー)で、古本屋でずーっと探していたのに見つからなくてあきらめていた。よく有名人が探しものをする掲示板みたいなのが雑誌にあるやんか、有名になったら、あそこに投稿しよう、そしたらだれか返事してくれるだろう、なんて夢みたいに考えていたはたちのころ…。

数年前、児童文学研究会「ホビットの会」で、ある作家の本をテキストにしたとき、「黄色い皇帝蛾」のお弁当の話が出てきて、びっくり仰天したのだった。会員の図書館員が検索してくれて、その本が千里の万博公園の中の児童図書館にあることがわかった。万博公園に行くのは万博に行かなかったから初めてだった。どきどきしながら出かけた。事情を説明すると、相手をしてくださった図書館員は、「こういうことのために図書館はあるのですよ」と言って本を出してきてくださった。汚い本に感激のご対面であった。
晴れた午後、きれいな図書館のゆったりした椅子で、至福のときを過ごしたのは一生の思い出であります。その場で読み切り、もう出版されてから50年過ぎているから大丈夫とのことで、本全体のコピーをしてもらった。たしか6000円かかった。

主人公は母に疎んじられて育ち、自分で学資を稼いで(リンバロストの森で標本用の蛾を採って)高校へ行くのだが、卒業式に着る服がなくて困惑するが、助けてくれる人があった。そのときの白いドレスを身につけるところが、子どものころ、どんなに好きだったか…。からだにあわすためにピンで止めたり、花をかざったり、リボンを巻いたり…。
それでようやく作家の名前ジーン・ポーターがわかった。それから間もなく難波の本屋で文庫本を見ていたら、可愛い赤のチェックの表紙が目についた。いままであったはずなのに気がつかなかったのだ。ジーン・ポーター「リンバロストの乙女」上・下、村岡花子訳で全訳だった。(「黄色い皇帝蛾」は子ども向きに抄訳)しかも、「リンバロストの乙女」の前の話になる「そばかすの少年」もあった。角川文庫 マイディア・ストーリー。平成2年発行だけど、最近見ないなあ。絶版になっているのかもしれないね。わたしには宝物の3冊です。もうどこへもやれへんで。
けなげな少年少女の物語で、あまっちょろいと言えばそれまでだけれど、わたしはこの本で育ったのだ。この本と「若草物語」「少公女」「あしながおじさん」と吉屋信子とともに育ったのだ。「言われたら言い返す」という当たり前のこともこの本たちに学んだのだ。

1999.7.13

映画「ラブ・ジョーンズ」

最近レンタルビデオっ子になってしまった。うちの近所のレンタル屋さんには新作が入っても本数が少ないので、なかなか見られない。それで最近は大きなレンタル屋がある大正区まで行っている。うれしくてついたくさん借りてしまう。帰りはだれかが言っていた「大正にまずいものなし」を信じて、晩のおかずを買って帰ったり、商店街を探検したりする。
昨日借りたビデオを見た。箱の解説にシカゴの物語と書いてあったので借りたのだが、こんな「アタリ」があるなんて…。
白人は3人ちょい役で出ているだけ。シカゴに住む黒人の男女の恋物語です。作家になりかけの青年とカメラマンとして世に出ようとしている女性が会って、好きあっているけど、意地をはったり誤解したりして離れてしまう。最後は1年ぶりに会って誤解がとけてハッピーエンド。ああ、よかった。
シカゴのライブハウスでジャズをやっていて、司会者が指名して詩を朗読させる。その場で即興で始めてあった女性を詩にしたりしてとってもおしゃれ。
友人たちも感じがよくおしゃれだし、ライブハウスやパブもいいけど、友人宅でのパーティもいい。部屋の広さがうらやましい。雨降りの場面が多くて、傘をささずにコートを来て歩く姿がかっこいい。
レコード店でこれを聴いて欲しいと彼がかけるのがチャーリー・パーカーで、彼女はバードのこの曲は知らなかったという。ふーん、シカゴの若者はいまもバードを愛しているのだ。インパルスのレコードをかけるところはなつかしかった。だって、とうの昔にうちではCDにしちゃったもん。多分コルトレーンの曲も流れ、久しぶりにジャズを聴きたくなった。

1999.7.12

ハーブがある幸せ

春に1本100円くらいで買ったハーブの苗が植木鉢で繁っている。サラダを作っても、野菜炒めをしても、いつでもバジル、ミント、タイム、レモンバウム、キャットニップがある。うれしいことだ。お風呂にも一枝切って入れる。香りが心にもしみてくる。
夜のベランダはすべてのハーブのまじった香りで気持ちいいし、朝、戸を開けるとバジルの強い香りの風が入ってくる。
ずっと前から防虫剤をやめてラベンダーの匂い袋をタンスや物入れに入れている。わたしのささやかな贅沢。

1999.7.9

映画「日陰の二人」

ビデオレンタル店でみつけて、タイトルが陰気だなあ思ったが、「乙女の祈り」で気に入ったケイト・ウィンスレットが出ているので借りてきた。解説を読むとトマス・ハーディの原作で「日陰者ジュード」なんですねえ、これはまいったなって思った。読んだことはないけど、読むのがつらくなる本だということは知っていた。
19世紀末のこと、勉強好きの少年ジュードがちょっとした過ちで結婚したのが足かせになっている。結婚した翌日家を出たんだけど、当時は離婚ということはありえなかった。街に出て労働者になり、自由に生きる従姉妹スーと出会って宿命的な恋におちる。ジュードをやってるクリストファー・エクルストンは感じが良くて好きになった。
最初の妻との子どもと従姉妹との間にできた子ども2人を連れて転々とするが、まず子ども連れということで断られ、次は正式の結婚ではないため、部屋を借りてもすぐ追い出される。スーは正式な結婚をしていないと、ちゃんと言ってしまう人なのだ。
ものすごい悲劇的なつらい結末なのだが、そこからやりなおしていこうと言うジュードに、スーはもう応えられない。神にすがるスーの姿が痛々しい。
「学歴がないが知識のある人間が生きていくのはしんどい」というようなことをジュードとスーが話しあうところでは、笑ってしまった。だっていまだってそうだもん。
ヴァネッサ・レッドグレーヴの「ダロウェイ夫人」は同じ時代に、安楽な人生を選んだ、からっぽな女性の不幸だったが、この映画は真実を求めて敗北した女性の不幸を描いている。どちらの映画もすごくまじめな映画をすごくきちんとつくっている。その姿勢に感激した。

1999.7.9

夏も足湯

梅雨が終わったかと思うほど天気がよく暑い日が続いています。出かけると冷房の中に入るのがわかっているのに、目先の暑さでつい半袖で出かけてしまうのよね。上着を忘れないようにしなくては。 今年はショートステイにいる父のために箕面までよく出かけるのですが、電車に乗っているうちに腕や足が冷たくなっていくのがわかります。ちょっと大げさだけど、冷房車に30分乗っていると地獄だよ。そして電車を降りるとほっとするのもつかの間、暑い日照りに堪えねばなりません。そしてまた建物の中の冷房。 オフィスで仕事をしている人たちも男性のスーツに合わせた冷房ということで、冷え過ぎに悩んでいる人がたくさんいるようです。 さて、そこでいいこと教えてあげるわね。夏も足湯です。足湯は冬だけの健康法ではないのです。バケツにお湯を入れてふくらはぎまで温める。全身から汗が出てきます。この汗がいいのです。外出しから帰宅したら、顔を洗ってから足湯、これにかぎります。

1999.7.5

映画「恋におちたシェクスピア」

急にヒマができたので、映画に行こうということになった。たいていはミナミの映画館に行くのだが、せっかくだから大きな映画館で見ようということになり、梅田スカラ座に行くことにしたのだが、あれ、どこだっけという始末。下岡さんに場所を教えてもらって出かけた。地下鉄を降りてから一直線にナビオ阪急まで行ったのに、エレベーターの場所がわからない、時間ぎりぎりだし難儀した。まるでおのぼりさんみたい。
グウィネス・パルトロウは「セブン」ではじめて見てから好きだし、「大いなる遺産」も良かったので、「恋におちたシェクスピア」は期待していた。「セブン」のときは、ブラッド・ピットが演じていた刑事の妻役で、地味だけど存在感があった。きっと殺されるという予感がする不幸な感じがとても良かった。この映画でのグウィネス・パルトロウを「貧乏臭い女」とえらくくさした映画通がいたが、彼女にこの2年間の活躍をどう思うか聞いてみたいものだ。
さて、「恋におちたシェクスピア」は楽しい映画だった。シェクスピアが芝居を創っていく過程をじっくり見せてくれてうれしかった。劇場や邸宅など当時のロンドンの様子がわかったし、エリザベス女王もこんな人だったと思わせる。「ロミオとジュリエット」の芝居が喜劇を書くと言っていたのが、悲劇になっていく。現実の恋の言葉やしぐさが芝居で生きていく。
ヒロインは恋を貫いて死ぬという道を選ばずに、女王が認め親が決めた婚約者と結婚するのだが、その前に男性だけしか芝居に出られない時代に、男装して役を獲得する向こう見ずな行動をやってのける。結婚してもちゃんと屈服しないでやっていける人ということで、ハッピーエンドでないけれど結末が明るいのだろう。シェクスピアも次の芝居に彼女を生かしたのだ。グウィネス・パルトロウは美しいし、うまいし、言うことなしだったわ。
テレビドラマの「高慢と偏見」でダーシーをやって、黒い瞳が印象的だったコリン・ファースが、損な婚約者の役だったので、ちょっとがっかりだった。ふと気がついたのだが、ローレンス・オリヴィエの若いときに似ている。今度はロマンチックな彼にふさわしい役があたりますように…。

1999.7.2

写真はジーン・ポーター「リンバロストの乙女」角川文庫

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