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kumikoのほとんど毎日ページ

1999年3月


夜桜

月がきれいなので、夜遅くに靫公園の夜桜を観にいった。満月に近い月と満開の桜を観られて大満足。こんなに明るい月に照らされた桜を観たのは、はじめてのような気がする。
夜の木々は幹が黒々として不気味な美しさがある。トールキンの物語に出てきそうな形のヒマラヤ杉は昼間見るのと全然違う。ケヤキの新芽は出たものの、まだ葉っぱになっていないので、枝そのものが美しいかたちを見せている。枝が手を挙げている形なので欅と書くそうな。

1999.3.31

ブルーのテント その後

この「ほとんど毎日ページ」3月15日に書いた、大阪市役所前にブルーのテントに600人の人たちが野宿していた件が、一応解決したので報告しておきます。昨夜の深夜の関西テレビのニュースで、引き上げることに決まったと報道されました。2月末で閉鎖されていた大阪府の労働福祉センター(西成区)を、再び夜間開放することになったからだそうです。
この1ヶ月間とても雨が多かったし、寒い日が続いたし、あの石畳の上で寝ている人たちのことが気になっていました。
今日の午後、中の島まで行ってきましたが、市役所前は何事もなかったように、きれいに片づけられていて、昨日までのことが夢のようでした。

1999.3.30

ヴィク・ファン・クラブの3月例会

今月は4人出席、上野さん、下岡さん、田村さんのカップルと私でした。10時まで、ビールのコップを傾けつつ、なんだかだの雑談をしつつ、会報「VI」25号の編集会議もやってしまいました。次号は「ヴィクのすべて」を語りあう会報にすることに決まりました。
ヴィクのスケジュール=下岡さん、ヴィクのファッション=上野さん、ヴィクが口ずさむオペラのアリア=杉谷、ヴィクのレシピ=嶽山さんに頼もう(食べ物に関してはこの人しかいない)など、案が出されました。その他の案を思いつかれたらご一報ください。

1999.3.28

会報『VI』24号

半年に一度の会報「VI」24号を出してから、どっと疲れが出て、あたまがまわらない状態が続いて、書き込みがえらく少ない3月です。郵便代を節約しようと、毎月の「ヴィク・ファン・クラブ ニュース」もいっしょに送るべく、がんばって奮闘したせいもある。花粉症やしなあ、と言いわけしときますね。
「VI」はサラ・パレツキーの小説「ゴースト・カントリー」読後感の特集号で、迫力ある原稿がヴィク・ファン・クラブ会員の力を示しています。このホームページを読んでいる会員でないかたにも読んで欲しいです。読んでみたいかたはメールでご連絡ください。
「ヴィク・ファン・クラブ ニュース」は「出生前診断に関する意見書」がいつものニュースに加わっているので、これも興味のあるかたはご連絡ください。

1999.3.27

新しいお店

心斎橋に東急ハンズ心斎橋店が開店したので、台所用品で買うものもあるし、開店日に行ってきた。長い列が並んでいて、30分待ちとのこと。せっかくここを目当てに来たのだから待つことにした。向こうからは帰りの人が歩いてくる。人数の割に買物袋を提げている人が少ないような気がする。列に並んでいる人が「買物してる人少ないんとちゃうか」と話している。同じようなことを考えているんやな。
お店の中は江坂の東急ハンズとたいして変わらない印象だが、こちらが欲しいものがちゃんとあってさすがだわ。百貨店やスーパーにはない、ちょうどいいものがある店だ。
新しいものついでに開店早々の本屋さん、じゅんく堂へも行ってきた。これは広い、感激ものの広さです。ざっとまわってみたが、あるある、なんでもある。ここへ来ればいつでも買えると思って、安心してなんにも買わずに帰ってしまった。

1999.3.18

中の島のブルーのテント

先週月曜日の散歩で偶然知った市役所前のブルーのテント。600人の人がここで野宿している。もらったチラシ(釜ケ崎反失業連絡会発行)によると、3月1日からここで仕事と仕事の準備ができるまでの命をつなぐための、最低限の寝場所と食の提供をもとめている。
ちらしの一部を紹介します。
【私たちは大阪市に何を求めているのか。路上で死にたくない、この一念で対策を求めているのです。磯村市長が1万人と認める市内野宿者は日々路上死にさらされています。西成区では今年に入ってすでに20人が路上で死んでいます。市内全域では何人になっていることでしょうか。皆さんのご理解とご支援をお願いします。】
新聞でもテレビのニュースでも知らされていないので、これを読んで関心を持たれたかたは、ぜひ行って、炊き出しのカンパをしてほしいです。
「ゴースト・カントリー」となんと似た状況か…。

1999.3.15

街中にスズメのお宿

「スズメのお宿」というものは「舌きりすずめ」の昔話以来、竹薮の中に決まっているとわたしは思っていた。それが、こんな街中にあるとは信じがたいことだけど、あるんです。
図書館とスーパーマーケットが並んでいる新なにわ筋。毎日のように通るんだけど、いつも同じとこらへんでスズメの鳴き声がやかましい。見上げると数十羽のスズメが街路樹の銀杏の木に止まっている。通るたびに見上げるくせがついた。いつも沢山のスズメがさえずっている。銀杏の木はずっと並んでいるのにこの木だけ。木の下には無数のフンが落ちた跡が歴然と歩道に残っている。
雨の夕方、あせってスズメのことなどころっと忘れて歩いていると、やかましくさえずる声がする。ほっとして、なつかしい気持ちになる。いったいスズメたちは「スズメのお宿」でなにを話しているんだろう。

1999.3.10

ぶらっと中の島

用事で出かけた帰り、時間が少しあったので天神橋から淀屋橋まで散歩することにした。柳の芽が出ているし、バラ園のバラも手入れがされて春を待っている。うきうきしてきた。大阪市立東洋陶磁美術館の前に来たら、無性に陶磁器が見たくなったので久しぶりに中へ入った。
この美術館は近いし空いているので好きなのだが、この前に来たとき2回も3人連れの中年婦人のおしゃべりに悩まされたので、ちょっと敬遠していた。今日は静かに見たいなあ、と思っていたところへ、タイミング悪く3人組が入館。しゃべるわ、笑うわ、ずっと先の部屋にも響いてくるので、観念してそこそこで出てきた。ここへひとりで来ている女性はたいてい質素で静かなのに、3人組はめいっぱいおしゃれしている。あとでイタ飯でも食いながらしゃべってくれよ、と言いたくなるで、まったく。でも、お気に入りの常設品を見たので満足して陽の当たる公園を歩いていた。
と、そのふわふわ気分をぶんなぐるように、図書館横から大阪市役所にかけてブルーのビニールシートの天井が見えた。道の両脇にずらっとビニールのテントが張られている。びっくりして近寄ると、中には毛布を敷いたり掛けたりのおっちゃんたちが数百人座っている。市役所前の階段には警備員がたくさん立っている。チラシをもらった。「野宿生活者 緊急に救済を」とシェルター設置を呼びかける「釜ケ崎反失連」の人たちだった。炊き出しのためのカンパをして帰宅した。

1999.3.4

映画「ダロウェイ夫人」

去年の秋に見損なっていたからサンケイホールでの上映はありがたかった。ヴァージニア・ウルフの原作で、ヴァネッサ・レッドグレーヴの主演ということであれば、是が非でも見なければ。
観客は女性が多くてけっこう入っていた。上映前になにか食べている人もそーっと食べているのが、いじましい感じがして、名画観賞みたいなのはきらいだなあと思うのだけれど、自分もその中にいるのだからしかたないか。
第一次大戦が終わったころのイギリスの物語で、貴族階級の話の中に、彼らの若いときの回想がまじる。また、戦争の経験から逃れられず精神を病んでいる労働者階級の夫婦の話が入り交じる。
若いときのいろいろな可能性の中で、豊かな生活を保証できる平凡な夫を選び、名前を呼ばれるのもダロウェイ夫人でしかない、パーティだけが生き甲斐の彼女のもとへ、昔の恋人がインドからやってくる。昔革命的な発言をし、レズビアンのような間柄だった女友だちが、いまや、労働者階級出身ながら資本家になり貴族になった夫との間に5人の子どもを持ち、という環境でやってくる。
パーティに遅れた医師夫婦が遅れた理由を、患者である若い元兵士の自殺のせいだと話すと、ダロウェイ夫人はパーティを汚されたような気がして気分を害し、ひとり部屋を出て窓の外をながめる。そして若者の死を考え、自身の死の不安と向き合う。
若いときのときめきをそのまま生きることをしなかった、安全な生活を選んだ女性のその後の惨めさをヴァージニア・ウルフははっきりと描いた。パーティの優美さの中身は空っぽだ。さしせまる老い、死の不安を優雅なしぐさでぬぐうダロウェイ夫人の空虚を演じたヴァネッサ・レッドグレーヴの演技が素晴らしかった。

1999.3.2

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