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kumikoのほとんど毎日ページ

1999年11月


大根がうまい

夏大根の大根おろしだって辛くて好きだけど、秋になって秋刀魚が出てくるころに格別おいしくなる。若いときグループの混合ハイキングで、休憩時間に輪になってひとりひとり質問する遊びをした。わたしの番になって「好きな食べ物は」と聞かれて「秋刀魚と大根おろし」といやらしい返事をして、みんなから笑われて目立つのに成功した覚えがある(笑)。そのころは毎日秋刀魚を食べても平気だし、一度に2匹食べていたものだ。さすがに最近は1匹になったが、スダチをしぼって佐藤春夫の詩を口ずさみつつ食べる。
いまは秋刀魚もそろそろ終わり、大根はだんだん甘くなってくる。おでんもいいけど、イカと炊いたのが好きだ。それにみそ汁、おいしいっ! 毎朝でもOKだ。
そうそう、タヌキ汁もしなくちゃ。タヌキ汁は鬼兵犯科帳に出てきたもので、うちでは冬の定番になっている。ほんまのタヌキを入れるわけではない。こんにゃくを手でちぎって空煎りする。それとゴボウと大根を乱切りしてごま油で炒める。みそ汁にして七味をふり、あつあつを食べる。

1999.11.27

アマンダ・クロス「インパーフェクト・スパイ」

アマンダ・クロスはミステリーを書くためのペンネームで、本名はキャロリン・ハイルブラン。米国コロンビア大学の先生をしていて「女の書く自伝」というフェミニズムの視点に立った本を書いている。この「インパーフェクト・スパイ」も早川書房や創元社でなく三省堂から出ていて、解説も大学の先生が書いている。
わたしが以前読んだ3冊「精神分析殺人事件」「殺人の詩学」「ハーヴァードの女探偵」には、3冊とも東京大学教授・瀧田佳子氏の同じ解説(今回もそう)があって、冒頭に【サラ・パレツキーは、アマンダ・クロス作品の女性探偵ケイト・ファンスラーのことを、「私たちが待ち続けていたヒロイン」と呼んだ】と書いている。それで買って読んだんだけど、書かれた時代が1964年(「精神分析殺人事件」)というせいもあるのだろうが納得いかなかった。女性が探偵で主役ということだと思うけど。
ケイトは裕福な家で育ち頭が良く美人でユーモアがあって、非の打ち所のない人だけどつまらない。それならドロシー・L・セイヤーズのピーター・ウィムジイ卿はそれ以上の良い条件の人なんだけど、もうめっちゃかっこよくて大好きである。どこが違うかというと、やっぱり生活費のために書いたドロシー・L・セイヤーズがすごみがあるってことだと思う。アマンダ・クロスの方は大学の先生が図面をひいて書いたような小説という印象だ。そうそう、学問はあるけど魂がないっていうか…。
それで買うのをやめたのだが、図書館にあったから借りてきたわけ。1995年に書かれたこの本はなかなか良かった。ケイトと夫のリードさんが良い人間過ぎるのが「ふふん」って感じなんだけどね。
白人の男性の大学教授が女性差別に怒り立ち上がるところで、ケイトが「あなたも境界線を越えたのね」と言うところがあってなるほどと思った。この言葉使える。
作品のテーマである、年とった女性に対する差別、大学教育での女性差別、夫に暴力を振るわれ逃げ出せない女性の問題(バタード・ウーマン・シンドローム)、娘の危機を救おうとする母親の捨て身の行動、などが今回は納得いった。読んでいたらとても暖かくなった。

1999.11.25

本屋でナンパされそうに

日曜日、梅田のじゅんく堂へ行きました。もちろん本を買いにです。夫がお医者さんの待合室に置いてあった雑誌「Hanako」の別冊で「すぐわかるツボの本」というのを見て、良さそうだったと言うので散歩がてら買いに行ったのです。
本はすぐ見つかりました。でも相棒はコンピューターの本売場を離れません。さあ、大好きな本屋の中巡りです。わたしはなんでもよい、本の背中を見て歩くのが好き。混んでいるところは敬遠して空いているところをゆっくり見て歩きます。心理学を見て哲学にかかったときです。ちょうど通路に近いところでした。
向こうから中年の男の人が一人こっちに向かって歩いてきます。ナンパされるって感じでわかるやん。そんな感じの歩き方でした。そいつがそばまで来て言うことにゃ「ええつ! 哲学か!」そして行ってしまいました。ミステリーのところだったら誘われていたかも…。

1999.11.22

ジョン・モーガン・ウィルスン「虚飾の果てに」

主人公のベンジャミン・ジャステスは以前「ロスアンゼルス・タイムス」の花形記者で、ピューリツァー賞を受賞したことがあるのだが、その記事が事実(事実以上の真実であった)でなかったことで賞を剥奪され、いまはフリーのライターでようやく食いつないでいる。
前作「夜の片隅で」はゲイの彼の恋がせつなかった。そのシリーズ第2作の「虚飾の果てに」は前の恋人をエイズで亡くした彼が新しくダニエル・ロメロという恋人を得るが、ダニエルもエイズのために余命幾ばくもない状態なのだ。
ハリウッドの虚飾に満ちた脚本業界、ゲイやレズビアン、そしてエイズ。ジャヤステス自身も妹をレイプしようとした父親を銃で撃った過去がある。セックス描写のきわどいところをいやがるミステリーファンがいるけれど、時代の流れだと思う。
読後がとてもすっきりとして終われたのはロメロとの恋が純化されているからだろう。そして家主であるゲイのカップルの優しさが全体を救っている。エイズの患者に対する食事の配達や病院の対応などが細かい配慮でされているのを知ったのも収穫だった。

1999.11.20

田辺聖子「ゆめはるか吉屋信子」上・下を読み終わって

ようやく読み終わった。田辺聖子が構想から10年かかった力作である。吉屋信子ひとりを書くだけでなく、時代と周辺に生きた人たちをいきいきと書いている。こんなに熱中して読んだ本は久しぶりだ。
特に上巻は信子が幼かったころ、信子の父が谷中村を含む栃木県下都賀郡の郡長であったことから古河鉱業・足尾鉱毒事件について詳しく、田中正造の行動についても改めて教えられた。
生田花世と春月夫婦の結婚の潔いいきさつ、彼らがどれだけ信子や後輩たちを助けたかということにも感動した。また青鞜の女性たちについても、かつて読んだことを復習できてうれしかった。
私が昔熱狂的に読んだ「伸子」の中條(宮本)百合子のこと、大杉栄と伊藤野枝のこと、徳富蘇峰、与謝野晶子、林芙美子、田村俊子、宇野千代…。また終生ともに生きた門馬千代さん、千代さんを紹介した母子福祉運動の山高しげりのことなど、もう素晴らしい先達についての記述がたくさんあって、お節介ながら、若い人たちに読んで欲しいなあと思った。作家として成長していく過程もわりやすく、特に上巻がおもしろかった。藤田嗣治画伯や藤間静枝(元永井荷風夫人)のパリの日本人についてもおもしろかった。
「一生バージンですごし、近づく男性もいなかった」なんて、死亡記事にさえ書かれた吉屋信子だが、千代さんと終生変わらぬ愛で過ごした幸せな人だったのだ。

振り返れば、吉屋信子について世間の誤解を怒りながら、私は田辺聖子についてなにを知っていただろう。私は田辺さんの本を雑誌連載以外で読んだことがなかった。杉田久女の伝記「花衣ぬぐやまつわる…わが愛の杉田久女」も、吉屋信子が先に書いている「私が見なかった人」ですませていた。これから読んで、いままでの埋め合わせをしなければと思う。山口はるみの装画もすてき。朝日新聞社 上・下とも2200円+税

1999.11.17

藤田美術館

天気の良い土曜日、午後からどこへ散歩に行こうかと相談した結果、藤田美術館へ行ってみようということになった。長い間大阪に住んでいるのに行ったことがなかった。北東方面には弱いのよね。いまは地下鉄1本で行けるのだから、これからは親しんでいこう。大阪ビジネスパークで降りて少し歩いて行った。天満橋の上流をちょっと町に入ったところで、大阪とは信じられないほど静かだ。川を下って行くと桜宮公園になる。網島町という地名は「心中天の網島」の網島なのだろうか。
藤田美術館と書かれた門を入ると、庭があって美術館はひっそりとしている。おそるおそるドアを開いて入った。きっと藤田家の蔵みたいなものだったのだろう。古い板の床、分厚い板壁、太い梁のたくましい部屋。入り口のドア上の飾りの彫り物が美しい。1階と2階の2部屋が展示室で、いま展示しているのは「唐物」。掛軸や器や仏像が展示してある。
その中で元時代の「寒山拾得図」が気に入った。子どものとき、おばあちゃんにいつも「あんたの頭は寒山拾得やな」と言われていたからなんだけど、「寒山拾得図」はいつも気になってしまう。ここのは箒をおっぽりだして手紙を読みながら笑っている図。彼らがなんでいつも箒を持っているのか知らないけれど、その箒を足下にして読んでいる手紙にはなにが書いてあるのだろうか。顔を上に向けて大口開けて笑っているのだから、きっといいことに違いない。
美しい螺鈿の筺、桜の絵が描かれた器、華やかな花瓶、ゆっくりと時間が流れていく感じがとてもうれしい。
静かな街をビジネスパークまで歩き、にしむら珈琲店でおいしい珈琲とフロインドリーブのケーキでくつろいだ。

1999.11.14

映画「トワイライト」

ポール・ニューマンが私立探偵で、スーザン・サランドンとジーン・ハックマンの元映画俳優でお金持ち夫妻の家に居候をしているというビデオの説明を読んで、うれしくなって借りてきた。
ポール・ニューマンは警察で20年働き、私立探偵になって5年、妻子に愛想をつかされて独身生活である。2年前に金持ち夫婦の娘が家出したのを連れ戻しに行き、その娘に撃たれて怪我してから居候になっている。ある日ジーン・ハックマンから、脅されている女に渡すように頼まれたお金を持って行ったら死体にぶつかる。自分も撃たれそうになってあやうく逃れる。
スーザン・サランドンは気のあるそぶりでベッドに誘う。ハリウッドの人気女優だった中年の女性を演じてすごく美しい。夫婦は深く結ばれており、自分たちの愛のためならなんでもするのだ。
ポール・ニューマンにスーザンが「私たち、お金がないのよ」というところで、彼が「こういうところに住んでいる人間が使う言葉でない」と言い返すところが気に入った。人生のトワイライトにさしかかっている、ちょっとニヒルで誠実な男の魅力がよかった。

1999.11.9

イチゴ色はやんぴしてグラファイトにするわ

日曜日の午後、日本橋まで夫がソフトのバージョンアップ版を買いに行くというので、散歩がてらついていった。パソコン売場は相変わらず混雑している。わたしの周りでは不景気な話ばかりなので、レジに並んだ人を見るとほっとする。商品が動いているやんか…。
買い物はすぐすんだので、あとはぶらぶらと見てまわる。新しいiMacがあった。本体の中味が透けて見えるのよね。全体の色は黒っぽい(後で調べたらグラファイトとなっていた)。さわってみた。とてもいい感じ。1987年11月13日にはじめてコンピューターを買った。“マッキントッシュ・プラス”、高かったなあ。でも美しい形に惚れこんでしまって、これしかないと思ったもんね。あのときのときめきが甦ってきた。/P>

1999.11.8

秋の贈り物

友人から宅急便がとどいた。箱を開けると秋の花と果物と野菜がぎっしり入っていた。庭で実った柿、柚子、ぎんなん、庭に咲いている小菊と野菊とあかまんま、ハーブ類、近所の畑のさつまいも、里芋。新聞紙にくるんだ花はくしゃんとしていたが、花瓶に入れるとすぐよみがえった。
湯豆腐に柚子をしぼって食べたらおいしくて、出汁までみんな片づいてしまった。さつまいもは芋きんとんを作った。今夜はぎんなんを煎って食べよう。いろいろと当分味わえると思うと楽しい気分。

1999.11.6

ビデオで「ユーガットメール」

またまた、たまらなく見たくなって、「ユーガットメール」のビデオを借りてきた。はじめのほうに、出勤の途中コーヒーを買うところがあって、そのお店がスターバックスだった。なんだニューヨークにもあるチェーン店なのか。そしてどこの店も街角にあるみたいやね。と書いていたら、今日の夕刊の新聞広告で「六甲アイランドに新生リンク誕生」の中に、シアトル発「スターバックスコーヒー」ってのがあった。シアトルから日本にも展開してるのか…。
どうってことのない映画なんだけどね。ちょっといやなことが重なって気分が重かったので気晴らしになるかと思って…。なりましたよ、気晴らしに。笑わないでね、1週間に3回見た。
3回見たから細かいところに気を使っているのがよくわかった。メグ・ライアンとトム・ハンクスの表情やしぐさがとてもよくてね。メグ・ライアンはだいたいセーターとカーディガンとパンツスタイルで、すごくいい着こなし。そして歩きかたがいい。少し威張り気味のところがなんともかわいい。それにニューヨークの秋から冬、そして春の街が美しい。
メールで知り合った人と会うのはとてもスリルがある。わたしもこのVFCホームページを見た未知の女性からメールをもらって、先日会ったところ。そのお話はまた今度するね。

1999.11.5

田辺聖子「ゆめはるか吉屋信子」まだ読み終わらないけど…

だんだん読み進んでいくと、終わるのが惜しくなる本だ。それにこの本には「ねえ、ねえ、聞いて」って人に話したくなるところがたくさんある。その一つ。
長谷川時雨という女性作家、粋な江戸っ子で、面倒見がよくて、吉屋信子が世話になり、尊敬する人である。その彼女に後輩の女性作家が洋行から帰って言った。
「先生もぜひパリにいらっしゃるべきですわ。そんなにたいそうなお金でなくてもいけますよ」カチンときた時雨さんの答えは「あたしは東京にいてもパリへいってるよりお金使ってるわ」だ。
いまはどこへでもだれもが行ける。だからあたしなんかが言われるんだけどね。ただあたしはみなさんが海外旅行する費用以上の贅沢はしていないので、時雨さんのようなタンかはきれない。でも「あたしは大阪にいても、パリやらバリやら行っているあんたより楽しい生活しているわ」とは言える。楽しい旅の話しならいくらでも聞くけど、「そんなにたいそうなお金でなくてもいけますよ」はやめてほしい。

1999.11.2

胡弓演奏会

当ホームページのエッセイページに上野聖子さんが「胡弓を習いはじめて」を書いています。10月30日に先生のWang Junさん(中国語の文字がなくてすみません)の来日10周年を記念する演奏会があったのでごいっしょさせてもらいました。胡弓を目の前で聴くのははじめてです。
わたしが世話になっている東洋療法のSさんがホームページの上野さんの文章を読んで、胡弓を始められました。前から胡弓を習いたかったそうです。とても熱心で、最近はWang Junさんが弾かれる胡弓の玄妙な音のテープを聴きながら治療してもらっています。
練習日時が違うため二人はまだ会っていなかったので、ロビーで引き合わせてから会場に入りました。プログラムは古典、現代曲、日本の曲、西洋の曲、とさまざまでしたが、やっぱり中国の古典が良かったです。絶世の美女といわれた王昭君をうたった「昭君怨」、杜甫の詩につけた「新婚別」が哀愁あふれてすてきでした。哀愁あふれるなかに華やかさがあるというのかな。久しぶりに「紅楼夢」が読みたくなった夜でした。

1999.11.1

写真は靱(うつぼ)公園

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