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kumikoのほとんど毎日ページ

1999年1月

吉屋信子の「屋根裏の二処女」

「花物語」を出してきたついでに「屋根裏の二処女」を読み返した。大正8年に書かれた小説です。うわっ! これはすごい、最近流行りのやおい小説の源流ではないか。と言っても「やおい」という言葉も存在も3年前まで知らなかった。VFCの会報『VI』の下岡加代子さんの原稿ではじめて知って、おすすめの秋月こう「ふじみシリーズ」を読んだのが最初です。このあとは読んでないから最後でもあるけど。
主人公が貧しくて、頭が悪くて、才能もなくて、不細工と自分では思っている。その主人公が恋い焦がれる相手は、お金持ちで、頭が良く、才能があり、きれいで、その相手が主人公をなぜか愛するというのがパターンだけど、その「やおい」のパターンの源流が「屋根裏の二処女」に、もうすでにあったというわけ。
しかも「屋根裏の二処女」は2人の若い女性が凛々しく自立の宣言をする物語でもある。ふじみシリーズは2人の若い男性の音楽家の物語で、音楽を演奏することは生きることであると宣言している誇り高き物語である。少女小説、やおい小説のパターンをつかって作家が見事に自分の思想を語っている。

1999.1.27

吉屋信子の「花物語」

“吉屋信子「花物語」を読み直す”という3月にドーンセンターで行われる講演会のチラシを若きS嬢が持ってきてくれた。これは是が非でも行かねば。
「花物語」は少女時代からの愛読書で、買っては読んで卒業した気持ちになって捨てる、ということを何回も繰り返してきた。なんか吉屋信子の本を持ってるなんてカッコわるいと思っていたみたい。素直でなかったわ。でも昭和50年に朝日新聞社から発行された「吉屋信子全集」の1冊(「花物語」と「屋根裏の二処女」が入っている)を買ってからは、真価に目覚めて大切に持っている。そしてミステリーのドロシー・L・セイヤーズを英米のフェミニストたちが評価したように、吉屋信子も評価されることを心から願っていた。
チラシによると、70年代後半から80年代にかけてフェミニズムの立場からの再評価がなされているそうだ。知らんかった。
いつ読んでも、何度読んでも、花にたとえられた少女たちのいさぎよい生き方や友情があふれでてくる。むずかしい状況に立たされた美しい少女たちが選ぶ人生の厳しさが涙をさそう。美文の奥に真実がある。

1999.1.26

モノレール 2

父親の退院が今週に決まった。でも家へ帰れるわけでない。長いことベッドで暮らしたので元どおりの家庭生活にもどれるように、今度はリハビリする施設に行って歩く訓練をしたりするそうだ。
だから今日がモノレールに乗る最後の日になる。ということで、帰りはまっすぐ帰路につかず、反対側の大阪空港まで用事はないが行ってきた。大阪空港ははじめて行ったんだけど、ちょっと寂れた感じがする。さすがに飛行機は大きく見えたわ。
内田百間先生の「阿呆列車」にならった気持ち。でもあちらは東京・大阪間を用もないのに出かけたのに比べて、こちらはスケールがめっちゃ小さいね。
でも、たった30分ほどの道草が贅沢なもののように思えてうれしかった。

1999.1.24

欲しいのはいちご色

あたしが欲しいのはいちご色のi Mac。(言うだけならタダだ!)
やあ、みなさん、買いましたねえ、i Mac。たくさんの知合いが買ったと言ってきた。当然うちにもあると思ってるみたい。なんの、なんの、うちには置く場所も買うお金もございませんのだ。
「日経マック」をめくっていたら、新しいi Macが出ていた。いろんな色のが発売されるらしい。あたしは買うなら絶対にいちご色だ!(いつの話?)

1999.1.19

震災記念日

去年の1月17日は土曜日でいつもと同じように「週末ボランティア」に参加した。全国から沢山の参加者があった。それからもう1年。震災からは4年経った。
今年は日曜日だからいろいろな団体の催しがある。午後になってから神戸へ出かけた。三宮駅そばのフェニックスプラザ前の歩道には小田実さんたちが立ち、「生活基盤回復援護法」(案)をアピールする街頭リレートークが行われていた。
市役所前に行くと、「追悼・連帯・抗議の集い」が行われていたので、ここでカンパをして線香をあげさせてもらい、知合いのT氏に最近のことを聞かせてもらった。ここの代表の河村さんは白髪・白髯、目の優しい人である。
市役所横の東遊園地にはたくさんの人が集まっている。昨夜、遊園地いっぱいに1.17の文字のかたちにローソクが灯された。今夜も日暮れから12時まで灯されるという。長田区を出発点にしたアイ・ウォークの到着点にもなっている。
週ボラでは追悼集会を「ボランティアから21世紀への提言」というテーマで行うとのことで、会場のある元町へと急ぐ。元町駅周辺では「神戸市民投票を実現する会」の署名、救助犬のグループなど、震災一色の感があるが、そこへ行くまでの道は高級ブティックが建ちならび、震災は何処へ行ったの、という感じ。
えらい遅刻なので、後ろの席にそうっと座った。わたしの後から田中康夫さんが来られた。約50人が4年間の経験と今後の抱負を語って話が尽きない。18日の朝日新聞「天声人語」がこの会のことを書いている。うまいことインテリっぽくまとめてはりますわ。
閉会後、久しぶりに会ったTさんとお茶を飲む。彼は公務員を定年退職した人だが、仏教に帰依してお坊さんになり、仮設住宅で亡くなったかたたちのお通夜やお葬式をボランティアで執り行っている。
その後はごくろうさんの飲み会に誘われた。初めてあった人、久しぶりの人とおしゃべり。いつも仮設住宅訪問して終了ミーティングをした後には居酒屋でくつろぐことになるが、特に一人暮らしの人はこうして発散しなければ、心が重くてもたないでしょう。
最後にみんなで東公園へ行き、灯されたローソクを見つめてきた。よく晴れた星の美しい夜でした。

このVFCホームページのウエブデザインをしている杉谷正明さんが、震災関連のホームページをボランティアで制作しています。ぜひ見てください。
●「震災しみん情報室」
http://www.dodirect.com/kiroku/
の中の「みみずく通信」
●「兵庫県被災者連絡会文書集」
http://www.ne.jp/asahi/sgy/web/honmachi/

1999.1.18

モノレールで

父親の入院している病院から夕方帰るときに、病院の警備員にモノレールへの道を聞いている高齢の女性がいたので、いっしょに行きましょうと声をかけた。お連れ合いが入院しているそうで、付添いの帰りに千里中央まで買物に出ようと思い、モノレールに乗ることにしたのだそうだ。近くに住んでいるのだが、いつもバスに乗るのではじめての経験ですと言われる。千里中央駅で降り、わたしが地下鉄に乗るまでの30分ばかりの間、千里一帯の竹薮を切り開いてモノレールが通り、住宅や病院がつくられた様子など教えてもらった。こちらも父親の容体や、家庭の事情など聞いてもらった。おたがいに「お世話になりました」と言って別れたのだが、気分がさっぱりとしている。
いつも病院の帰りはなんともいえず憂鬱な気分なのだが、こうして偶然行き会った人と話して癒された。“そんなに簡単に癒されててどーするよ”(どこかのアホ評論家がサラ・パレツキーの『ゴースト・カントリー』についてこう言った)と言われそうだけど、わたしって素直なんだね(笑)。

1999.1.15

エイジズム(高齢者差別)

お正月に読もうと思って年末に図書館で本をたくさん借りてきた。買った本も読めていないのにね。ビクトリア時代のロンドンの下町の本3冊は時間があるときに読みたいと思っていたもの。結局1冊も読めなかった。女性問題の本数冊も表紙を見ただけ。
その中で気を入れて読んだ1冊は、地味な表紙のバーナラ・マクドナルドとシンシア・リッチのレズビアンのカップルによる「私の目を見て―レズビアンが語るエイジズム―」だ。高齢・女性・レズビアンという三重差別の対象であるバーバラ・マクドナルドが諄々と語る言葉にうたれた。
バーバラが女性が集まるところ、どこへ行っても最高年齢だと書いているが、これはわたし自身も経験するところで、遊びにしろ、ボランティアにしろ、パソコンにしろ「そのお年でようやる」みたいなことはしょっちゅうだしね。ものすごく共感してしまった。
「女性運動への公開状」には【高齢女性は、あなた方が若いという理由であなた方の役に立つために存在しているのではありません。】そして【高齢女性に「あなたはほかの高齢女性とは違って、楽しいし、根性があって、生き生きしていますね」ということが、その女性をほめていると思ってはいけません。】など、コピーして配りたいような言葉がいっぱいある。

1999.1.11

きなこ

お正月だからといってお雑煮を食べるわけでもないが、一応お餅は買ってある。去年のお正月がすんだころ、突然「あべかわ」というものを思い出した。子供のころ、お正月が終わって学校へ行かねばならないくらいのときにお八つに食べたものだ。「きなこ」を買ってきて母親がどうして作っていたかを、思い出しながら作ってみたが、どうして、なかなかおいしいものやんか。
「きなこ」って大豆の粉ってことは知ってたけどね。おいしいものとは思っていなかった。「あべかわ」に使った残りを、もったいないのでお湯でといて飲んでみたらこれもいける。風邪を引いたとき、夜寝る前に熱いのを飲んだらなんか体調が良くなったような気がした。

1999.1.7

アメリカ村の流行はミリタリー調

寝正月の毎日の中で、唯一の散歩はアメリカ村。少々しんどくても、人込みに行かないと落着かないという難儀な性格なのです。
えらい人やったよ、と言ってもいつものことやけど、新しいお店の名前が「サウスブロンクス」というのには笑ってしまった。左右に目をくばりながらそぞろ歩きしてたんだけど、今年の若者の流行はどうやらミリタリー調らしい。
お店の目立つところにあるのは全部といっていいほど、カーキ色と迷彩色やった。ドイツものが多い。こういうのってひとりふたりが着ていると、個性的だと思えるけど、みんながみんなじゃあね。アメリカ村を歩いていて楽しいのは若者の自由な着こなしなのに、どいつもこいつもミリタリー調じゃあ楽しくないわ。

1999.1.4

寝正月

お正月がすんでしまった。
あんなにお正月にすることを考えていたのに、実際はほとんど寝ていた。風邪引きは薬を飲んで早くおさまったのだが、芯からの疲れは眠ることでなおしたということかな。まあ、なにごとも、これから、これから。

1999.1.3

猫の鈴

去年の秋のことだけど、引き出しの整理をしていたら、30年近く前に買った金色の小さい鈴が出てきた。京都の古道具屋で何気なく買った貝殻の形をした鈴で、引き出しへ仕舞ったまま長い間眠っていたのだ。そのころは京都の吉田山近くに友人が下宿していて、できたてのカップルだったわたしたちを週末快く泊めてくれていっしょに遊んだ。西部講堂のコンサートや百万遍近くの喫茶店や飲み屋ですごした日々…。なつかしいなあ。
さて、その鈴をネコにつけてやった。ネズミがネコの首に鈴をつける相談をする昔話があるが、うちではわたしがつけてやった。ネコの名前は花子、3月には18歳になる男の子です。鈴がおおいに気に入りチャラチャラとならす。前脚で鈴をかき鳴らすのだが、神社の巫女さんが舞うとき手に持つ鈴と同じ音色。
のんびりとかき鳴らすときはとても優雅。でもお腹が空いたときや、人が寝ているのを起こすときときたらたまったものやない。でも、とってしまったら優雅に響く鈴の音が聴かれないしね。贅沢な悩みをかかえている。

1999.1.1
上の写真は花子

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