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ESSAY

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ひとの生死を左右するもの(1)

パーフェクト・ベイビー・ブルース

下岡 加代子


 5月5日の子どもの日、「子どもの数が高齢者より少ない」という調査結果が新聞にでていましたね。今後も高齢者は増え、彼らの生活を支えるための税金を稼ぎ出す経済力としての子どもの需要がますます高まります。
 挑発的な書き方でしょうか? でも、結局そういうことでしょう、この調査結果の表わし方は。子どもを産むか、産まないかは個人の自由です。「子どもを産まなければ一人前ではない」とは表立って言われなくなりつつありますが(もちろん、そう信じている人もまだまだたくさんいますが)、それに変わって、「子どもを産まなければ社会に貢献していない」という無言の強制があるように感じます。
 しかし、実際問題として、子どもを何人も産める環境にある人は少ないのです。家の狭さ、収入の低さ、仕事と育児の両立の難しさ、保育所の少なさ……。女は子産みの道具ではない、という女性運動の主張が、生き方を多様化しました。またそれ以前に、マーガレット・サンガーの産児制限運動がありました。彼女の起こした「家族計画」の浸透によって、昔のように8人も10人も産むことで母親が健康を害してしまうことは少なくなりました。子沢山のために貧困に陥るケースも、産む数を調節することによって少なくなりました。が、彼女の運動にも問題はありました。「優良な子どもを少なく産む」という問題です。

 女性運動と障害者運動は、人工妊娠中絶をめぐって対立してきました。女性は中絶する権利を求めて、そして障害者は中絶されない権利を求めて。現在、(少なくとも私の知る限りでは、)両者は互いの差別的視点を是正しあいながら、一致団結して運動を展開しています。その標的は、法律に限るなら、次の3つの「悪法」です。ひとつは、刑法第29条の「堕胎罪」。戦前の富国強兵策のもとで、人口増加を目的として人口妊娠中絶を禁止した法律です。これは現在も存在しています。
 戦後に優生保護法が制定され、これによって中絶が合法化されました。その優生保護法。母性の健康保護という名目で、人工妊娠中絶を行なうことができる、としていました。しかし、障害者は「不良な子孫」であり、本人の同意のない優生手術(不妊手術。子宮や卵巣、精巣を摘出する)や人工妊娠中絶を行なうことができる、としていました。つまり「子どもは少なくてもかまわない。けれど、優良な子どもでなければならない」という思想をもつ法律であって、女性の身体を通して「生命の質」を管理しようというものでした。

 この法律は1996年に「母体保護法」と改訂され、障害者に対する差別的要件は撤廃されました。が、経済的理由、「母体の保護」という抜け道は残っています。書類上の操作でどうとでもできるのです。
 また、日本産婦人科学会などからは、「胎児に障害がある場合は中絶できる」という内容の条文(胎児条項)を入れるよう要望が出されています。これは後に述べる出生前診断の実施を法的に保障するためですが、現在はこの点をめぐって、同学会との激しい攻防が行われています。
 そして三つめに、母子保健法。妊娠したら保健所に届け出て、母子健康手帳が交付され、それに基づいてさまざまな診断が行われる、という手順を定めた法律です。この届け出によって女性と子どもは行政的に管理されます。妊娠中、新生児、1歳6ヵ月、3歳児、その他の細かく分かれた時期ごとに健康診断が行われますが、これは障害児を発見するためです。発見し、早期に予防し、また分離して教育するためなのです。「子どもは健康で五体満足でなければならない。そうでない子どもは分離して特殊教育をせねばならない」という思想に基づいています。
 これら3つの法律はすべて、障害者と女性に対する差別そのものです。障害者は存在してはならない。女性は健康な子どもを産まねばならない。富国強兵策はいまだに続いているのです。

 女性の生き方が多様化し、それとともに晩婚者が増えてきました。晩婚が問題視されるのは、高齢出産はリスクが多いからでしょう。どんなリスク?  障害者が生まれるリスクです。母体の健康よりも、そちらの方が重大視されています。高齢出産は障害児が生まれやすい、不安だから中絶しよう。このような不要な中絶を防止するために、胎児の障害を検査する「出生前診断」がある、と産婦人科医はいいます。裏返せば、検査して、障害があったら中絶したらよい。しかし障害がないのに中絶するのはもったいない、ということです。こうして出生前診断は、何の基準もないまま非常な勢いで広がり、実施されています。
 いったいどのくらいの数の妊婦が、出生前診断の内容を説明されているのかは不明です。妊婦本人が選択して検査している、と医者は言います。自己決定の尊重! 障害者差別の実態をそのままにして、選択もへったくれもないんですが。

 ところで、現在行われている出生前診断の種類は以下のとおりです。
 超音波診断:超音波診断装置により画像を得る。中枢神経系障害・無脳症・心臓疾患・四肢障害などが判明する。妊娠5―6週から観察可能だが、診断可能な時期は疾患によって異なる。危険性はない、とされている。
 羊水診断:妊婦の腹部から子宮まで針を刺して羊水を採取し、培養して分析する。染色体異常や先天性代謝異常などが判明する。検査時期は妊娠15―18週。検査によって羊水の漏れや出血、流産などの可能性がある。
 絨毛(じゅうもう)診断:胎盤絨毛の一部を採取する。染色体異常や先天性代謝異常が判明する。妊娠9―11週。検査による感染・流産誘発率は3―10%。
 AFP診断:母親の血液検査。二分脊椎・無脳症などが判明する。危険性はなし。検査時期は、正確な結果を得るには妊娠16―19週。
 しかし、以上のような診断では、妊娠してから検査結果が判明するまでに時間がかかりすぎる。中絶可能な時期を超えてしまうかもしれない。そこで登場したのが、受精卵の段階で遺伝子を診断する方法です。

 今年3月31日、日本産婦人科学会の倫理委員会で、受精卵の遺伝子についての着床前診断を実施することを認める見解案が出されました。この診断は、体外受精(人工授精)して4―8分割した受精卵から細胞を1つ取り出し、その遺伝子を検査し、「正常」な遺伝子をもつ受精卵だけを子宮に戻す技術です。つまり、遺伝性疾患をもつ受精卵は捨てられます。
 現在、ヒトゲノム計画という、人間の遺伝子をすべて解明する調査が大々的に行われています。疾患の多くは遺伝的要因をもつので、遺伝子治療を行なえば「元から断つ」ことができるわけです。その対象疾患のトップに常に挙げられるのが、知的障害を起こすダウン症、全身の筋力が落ちていく筋ジストロフィー症です。

 しかし、たとえガン遺伝子を発見しても、遺伝子治療の成功率は現在でも非常に少ない。もっと効率よく病気持ちの人間を減らすには、受精卵の段階で断てばいい。
 日本産婦人科学会の倫理委員会が、この着床前診断をOKしたことで、遺伝子診断による生命の選別=人間の「改良」が大きく一歩前進したのです。4月18日、仙台で行われた同学会理事会では時期尚早として否決されましたが、これが決定していれば、まさに、ナチスのホロコースト計画が究極の形で実現するところでした。

 ナチスが大量虐殺したのは、ユダヤ人だけではありません。遺伝性疾患をもつ者、身体障害者、精神障害者、知的障害者、同性愛者もその対象でした。これら「不良な遺伝子を持つ低価値者」は強制収容され、「公共患者輸送会社」の灰色のバスに乗せられてガス室に送られ、「安楽死」させられました。その数は数十万人にのぼります。ナチスの理想とする完全な遺伝子をもつ完全な人間を手っ取り早く作り出すには、もっとも効率が良い方法でした。
 恐ろしいことに、ナチスはこの手段に「自己決定」を採用しています。ナチスはまず遺伝病子孫予防法によって、彼らの不妊手術を合法化し、さらに同法改正法により人工中絶を認めました。これにより合法的に劣等遺伝子をもつ子孫を断つことができました。自分の意志で不妊手術や人工中絶を選択したように見せかけ、その実、彼らには意志能力がないとして医師が本人の代わりに選択していました。 日本の旧・優生保護法と何ら変わるところはありません。

 ナチスはまた、安楽死法案を議会で審議しました。安楽死法案審議中にポーランド侵攻を開始し、第2次世界大戦に突入したため、法としては制定されませんでしたが、実際にはヒトラーの統帥権により実施されました。その法律では「死ぬ権利」が謳われました。そう、現在問題となっている「尊厳死」と同様に。これについても言いたい文句がいっぱいあるので、次回に譲ります。
 「死ぬ権利」の主張が、いま盛んに起こっています。しかし、それとは比較にならないほど重要なのが、「生きる権利」です。生きる権利こそが、まず全ての人間に、平等にあるのです。それを見誤らないでほしい。

 私の友達のTちゃんは21歳、ダウン症の女性です。養護学校で知り合った男の子とつきあってるんだけど、気が多くて、私の同僚Hにも4年も片思いしてます。私は前者にもっと力を入れろ、Hは冷たい男やで、と常々言ってるんですが…。恋に恋する乙女ってところでしょうか。ミュージカルが大好きで、ダンスがすごく上手。宴会の盛り上げ役です。彼女は一人暮らししたいんですが、お金の計算が苦手なので、きちんと小遣い帳をつけて練習しています。
 Yちゃんは22歳。口ではものが言えないので、彼女が自分の手のひらに字を書いて、私がそれを口に出して読むことでおしゃべりします。身体がすごく大きいんで、走ると地響きがする。偶数が好きで、なんでも偶数個を食べます。それと赤が好きで、小物や口紅、飲むジュースも赤いパッケージのリンゴジュース。

 ふたりとも、私にとっては本当に大事な友達です。彼女たちが存在しない世の中なんて考えられない。障害児を産んだら苦労する、と思われるでしょうし、実際に親御さんたちは苦労されてます。しかしそれ以上に、楽しんでおられます。健常児を産んだら何にも苦労しないのでしょうか?  同じように苦労されるだろうし、それ以上に子育ては楽しいんじゃないでしょうか。
 パーフェクト・ベイビーを求める気持ちが、私の友達を殺していくことになります。だから、絶対に許せないのです。

 先日、ジョディ・フォスターが妊娠した、という報道がありました。「妊娠の手段については公表しない」とのことですが、噂では精子バンクから白人の知能指数の高い男性の精子を買ったとか。本当かどうかは判りませんが、もし本当なら、やはり許せません。まったく信じられません。パーフェクト・ベイビーであることの悲しさを理解している人だと思っていたのに。

 今は障害者が普通に生きられる社会ではありません。障害者はコストがかかる、という根拠のない理屈がありますが、だいたいコスト論で計ろうということ自体が差別なのです。それが不思議と、皆がそう思ってしまっている。自然とそう思ってしまう、ということが差別ではないのか。
 まず、障害者が安心して普通に楽しく生活できる、差別のない平等な社会を造っていく。話はすべてそこから始まると思います。

1998年6月

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