VIC FAN CLUB花物語
VIC FAN CLUB: ESSAY
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VFC花物語

へくそかずら 下岡加代子
おおいぬのふぐり 下岡加代子

ままこのしりぬぐい 杉谷久美子

イラスト:下岡加代子

ヘクソカズラ

へくそかずら

下岡加代子
Kayoko Shimooka

幼い頃、私は父に連れられて山へ行き、せっせと杉の植林のお手伝いをしていました。
 花粉症の皆様、ごめんなさい。
 ガタガタゴトゴトと荒い山道を、今は懐かし三輪運搬車に乗って、緑濃い枝をかきわけて進んで行きます。陽は高いのにシンと涼しく、わんわんと響く蝉の声、息詰まるような、けれど吸い込めば胸の開けるような青い匂い……ガタガタゴトゴトと揺られながら、泥だらけの手をダッシュボードにこすりつける。泥はすぐに乾き、爪で擦ればサラサラと散っていきます。
 突然、キキッと三輪車が止まり、「おおっ」と吠えながら父が飛び降りて行きました。なんだ? なんだ? と後についていくと、父は鎌で蔓を切っています。
 近づいていくと、嬉しそうに私に言いました。
 「ちょっと、このにおい、嗅いでみ」
 父の笑みの奥底に潜む悪意に気づくには、あまりにも幼かった……そう、あまりにもイノセントだった。今では明確にそれを指摘できるのに。
 父の手には、白い小さな花がところどころについた蔓が握られていました。花はベル型で窪みが赤く染まり、ハート型の葉が青々と揺れています。
「あっ、かわいい」と叫びながら、小さな鼻を近づけた、その瞬間。
…………ウェェェェェェーーーーーー!!!!

 その頃、私の家は「ぽっとん便所」でした。それよりもずっとダイレクトな、ヴィヴィッドな芳香に、私は思わず後ずさりしていました。
 「これはなぁ、へくそかずら、っちゅうねん。あー、くさっ」
 父はポイっと草叢に投げ捨て、立ちションし、運転席に戻りました。
 再びガタガタゴトゴトと荒い山道を揺られて行きます。
 残り香に息を詰まらせながら、私は心に小さな傷を負ったのでした。
 かわいい花だからといって無闇に鼻を近づけてはいけない。それは、赤くてきれいな葉っぱだからといって無闇にちぎると、それはウルシである、という教訓とともに学んだことでした。

 ところで、へくそかずらの実をすりつぶして、しもやけに塗ると、半月くらいで直るそうです。北陸地方の小学6年生男子が読売新聞の家庭欄で先日、教頭先生に教えられたこの迂遠な民間療法を伝授してくれました。どうもありがとう。

1998年3月

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オオイヌノフグリ

おおいぬのふぐり

下岡加代子
Kayoko Shimooka

「おおいぬのふぐり」の花と名前は知っていても、「ふぐり」とは何かをご存知ない方もいらっしゃるでしょうから、ハッキリ申し上げますと、「きんたま」のことです。
 キャッ!
 私は幼い頃から、くだらないことに限って学究するタイプでしたので、むろんこのことも「新明解国語辞典第3版」で調べたのです。小学生の低学年の頃、たしか祖母に尋ねて、「そんなこと聞くな」とか何とか言われたので、自分で調べたんだったと思います。
 大きな犬のきんたま、などという名前が、あの素朴で清らかな濃青の花に付けられているのが不可思議でした。「きんたま」それ自体、少女の私にはショック充分でしたが…(今は全然)。
 なんでだろう、なんでだろうと思いつつ放ってたんですが、今回この原稿を書くにあたって、杉谷さんからいただいた「牧野植物大図鑑」で調べてみました。そしたら、あの花からの連想ではなかったことが明らかになりました。
 花の後に、小さな茶色の実がふたつ並んでできる、その様子から付けられたんだそうです。
 そうだったのかー。
 と、いうわけで、長年の疑問を解く機会を与えてくださったことに感謝いたします。

 稀代の名マンガ家、山岸涼子の作品に、「天人唐草」という一編があります。 主人公(女性)は幼い頃、友達と原っぱで遊んでいて、「あ、おおいぬのふぐりだ!」と喜んで摘みます。すると友達は「いやらしい」と言うのです。何故いやらしいのか、教えてくれません。家に帰って母に聞くと、「そんな言葉を口にするな」などと怒られます。主人公は訳も分からず、「この花は天人唐草というの。そのほうがきれいでしょ」という母の言葉を鵜呑みにします。
 やがて母が死に、厳格そのものの父と二人暮らしとなります。父の身の回りの世話をしながら、学校を卒業し、就職します。同僚の奔放な雰囲気の女性やだらしない感じの男性に圧倒され、彼らを避けつつ、両親に教えられたとおりに、清く正しく生きねばならぬと信じる彼女。
 ある日、父が交通事故に遭ったという知らせを受け、彼女は父の元に駆けつけます。そこで彼女が見た、本当の父の姿は……。
 人間の精神の暗闇を白日の下に曝け出す、山岸涼子ならではの作品。文春文庫ビジュアル版の『天人唐草』か、角川書店あすかコミックスの山岸涼子全集で読めます(どの巻に入ってたか忘れました。すいません)。
 しかしこの主人公、私みたいに自分で調べりゃよかったのに。そしたらこうやって、その本が手元になくて記憶を頼るだけで粗筋を紹介しちゃう、ずぶとい神経になれたのにねっ!

 ところで、私は傘を4本持っていますが、そのうち1本には白地にいろんな犬がたくさん描いてあります。大きめなので愛用してるのですが、ある時、その犬たちをよく見たら、全部「オス」でした。
 以来、その傘をもちろん「おおいぬのふぐり」と呼び、やはり愛用しつづけています。

1998年3月

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ママコノシリヌグイ

ままこのしりぬぐい

杉谷 久美子
Kumiko Sugiya

「私実は若いころ「歩く植物図鑑」と呼ばれていました。街を歩いていても、街路樹の足下の雑草を、「これは**やで」と教えたがるし、ハイキングなんか行くと、もう得意満面で、ひとにうるさがれることがしばしばでした。いまも変わりませんけどね。こんな町中でもオオイヌノフグリ、ハコベ、ホトケノザ、タビラコ、タンポポなどがけっこう見られるし、種子がトラックで持ってきた土の中にでも入っていたのであろうスミレも、しょもうない溝の中に毎年咲くのです。
 「歩く植物図鑑」の基礎は母親のふるさとの山梨県でできたのです。竹薮のそばを小川が流れ、わき水があふれる村で見た野の草花の数々。そのときは名前を知らなかったのも、ずっと後に図鑑や物語の本で、あの花は…とわかっていったのです。その中でいちばん強烈なのがママコノシリヌグイです。いちばんロマンチックなのがミズヒキグサで、立原道造の詩の一節「水引草に風が立ち/草雲雀が…」を初めて読んだとき、あれだ!って思ったのでした。
 ママコノシリヌグイがあの草だったとわかったのは、もちろん茎全体のトゲです。しかしまあ、なんてひどい発想でしょう! あかまんまの種類ですから花はピンクでかわいいんです。小川の岸というよか小川の側面に生えているような感じで猫柳や木瓜といっしょに生い茂っていました。名前はのちのち植物図鑑で知ったのですが、貧乏人の子だくさんの家庭で3人目の女の子だった私にはショックでしたねえ。姉のお古ばかりもらっていたので、自分でママコかしらって思っていたころでしたから。「シンデレラ」も「美女と野獣」も3人目の女の子が主人公で、姉2人にしいたげられていたのが、最後に幸せになるというのが私の救いだった時代でした。

 だけど、やっぱりこの名前はひどいよね。オオイヌノフグリは見た状態の名前だし、ヘクソカズラは匂いという現象の名前なのに、ママコノシリヌグイは悪意が立ちのぼってくるもんね。

1998年3月

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