知っていますか?出生前検査
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アンケート集計に参加して
正親和代

 自分自身が出生前検査については全くの無知で、羊水検査しか知らなかった。
 母体の神秘とでもいうのか、まだ見ぬ我が子をのぞけるというだけの単純なものであったが、今回のアンケートを通して、超音波検査が出生前検査だったということを初めて知った。
 私の場合、超音波検査で判ったことは児頭骨盤不適合。つまり、赤ちゃんの頭部と母体の骨盤との大きさが合わないので、帝王切開になるとのこと。普通分娩をすれば赤ちゃんが危険な状態になること、赤ちゃんの頭部がつぶれる可能性があり、それは死ぬより悪いということを医師から宣告された。確かに命がなくなることを思えば帝王切開で良かったのかもしれない。
 待望の長男は4歳の時に難聴が発覚。どうしてうちの子が…というやりきれない思いの中「誰のせいなのか」ばかり考えている自分に気付いた。そして、出生前診断で判っていれば中絶したのにと頭をかすめたりもしたが、今ではこの子の存在に感謝している。
 しかし、あの頃の私はこの子が出生前診断で陽性反応が出たとすれば迷うことなく中絶を選択していただろう。障害のある子を受け入れる気持ちはなかったから…。
 難聴が発覚してからは、この子を育てるためにしてきたこと、これからしていこうと考えていた希望は消えたと思った。しかし難聴を理解し、難聴の我が子を理解し、同じ境遇のお母さん達に出会っていくうちに、今までの自分の考え方がどこか違うような気がしてきた。「補聴器は目立つし、周りからはすぐに聴こえないことが判ってしまう。隠さなくては…」そうではなくてこの子にとって一番必要なことは聴くということ。そのために補聴器が最も必要なものだということに気付いた。私は初めて難聴という事実を受け止めることができた。
 また、聴こえないことを「個性」としてとらえていけたら、子育てもきっと楽しくなるのではないかと思い始め、病院の帰り、駅のホームでもどこでも子供に教えたいことはその場で大きな声で教えた。親としてどんな小さなことでもできる限りのことはしてあげたいと思ったので恥かしいとは思わなかった。子供が少しでもできるようになると嬉しいし、自分への励みにもなっていた。次第に自分が抱いていた「障害者」に対する壁も取れ、あせりも消えていた。その後良い訓練の先生に出会い、普通学級に入学し、もうじき5年生が終わる。
 この先心配事は尽きないが、友だちにも恵まれ毎日楽しく学校生活を送っているのでとりあえず今の学年に追いついていってくれれば良いと思っている程度である。

 この集計に参加して、いろいろと考えさせられることが多かった。出生前検査についての説明、方法、検査後のフォロー、カウンセリング等まだまだ不十分な体制の中で安易に出生前診断を薦めて欲しくないこと、障害については、外見から見える障害(すぐ判る障害)、見えない障害(判らない障害)とがあると思う。それがいい・悪いではなく、どんな障害を持っている人でもごく自然に、普通に接することができるような社会であったらと願いたい。
 自分もいつ、どこで、どのような障害を持つことになるかもしれないし、お互いを理解し合うためにも障害者と健常者は共存する必要性があると思った。
 このアンケートに答えて下さった方々の本音と建て前が見え隠れするものの、実際の当事者になったとしてもきっと立派に乗り越えていけることだろうと思った。

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