
山田 真
これは先日子ども診療所の診察室で起こったことです。
3才の女の子を連れてきたお母さんが女の子の病状について説明します。
「二週間ぐらい前に39度位の熱を二日間出しました。その後は元気にしていましたが、四日前にまた38度7分の熱が出ました。翌日下がったのですが今日また熱が出ました。なんか、熱が出すぎるようなので検査をしていただこうと思ってきました。」
お母さんはちょっと深刻そうな顔でいうのですが、ぼくはその間ずっと女の子を見ていました。その子はチョコチョコ動きまわって、診察室の中にある珍しそうなものをちょっとさわってみたりしています。顔色もよく、なにより生き生きしているのです。
ところでお母さんは「この子に検査を」といいます。でもぼくはこの元気な少女になんの検査をすればいいのかわからないのです。
そこで「この子に重大な病気が隠れているとはどうしても思えない、こんな元気な子にどうして検査が必要なのかぼくには解らない。だから検査はしたくない。」といった内容をできるだけていねいに話すことにしました。
そして実際に説明してみたのですが、お母さんはちょっぴり不満そうです。お母さんの気持ちはわかります。「この2週間、うちの子はどうもすっきりしない。母親の直感としてなにか重大な病気がひそんでいそうな気がする。でもなんでもないのかもしれない。そのいずれかは検査をしてみればわかるはずだ。そう思ってわざわざ遠くからこの診療所まで来たのに、検査はいらないなんていわれて….。不満だわ。」という感じでしょうか。
検査というものがみなさんの相当な信頼をかちえていることをぼくも知っています。しかしそれは少々過大な信頼のような気がします。そこでこれから何回かに渡って検査というものについて考えてみようと思います。
ぼくが医者になったのはもう30年以上も前のことです。その頃は今のようにいろいろな検査ができませんでした。検査の種類は限られているので自分の“感覚”をフルに活用して診察に当たらねばなりませんでした。具体的に言うと視覚、聴覚、嗅覚、触覚などを最大限動員して診察する必要があったのです。
そういう診察は視診、聴診、触診などと呼ばれていて診察の基本でした。
ある私立大学医学部の教授は患者さんの爪を見ただけで病気を当てるという、伝説だか実話だかわからない話を聞いたことがありました。その時は、ぼくもそうなれたらなあと夢見たものです。
またある国立大学医学部の教授は患者さんの胸に自分の指を当てて軽くコツンコツンとたたきその音で「胸の内部、深さ何センチのところに直径なんセンチ位の結核性の空洞がある。」というふうに当てたという話も聞きました。こういう技術を獲得するためには電話帳ぐらいの厚さの本のどこかの頁の間に五円玉などをはさみ、そして表紙を指でたたいてどのくらいの深さに五円玉があるか感触をつかむのがいいなどとも言われました。これを聞いてぼくは実際に練習してみたこともあります。(結局、何の技術も習得できませんでしたが。)
小児科の場合は、まず子どもが診察室に入ってきた時の様子をよく見ておくようにと教育されました。
大人はいろいろ演技をしますから、重症の様に見えて実は軽症だったというようなことも少なくありませんが、子どもは正直なので、見たままがちゃんとからだの状態を反映しているのです。なにかの理由で仮病を使ったとしても子どもはすぐ見破られてしまいます。ですから、子どもの場合はまずその子どもの全体の様子をみることで「あ、この子の病気は軽そうだな」とか「重そうだな」とか見当をつけることから診察がはじまるのです。
「40度も熱があるんです」「ひどい下痢なんです」というふうにお母さんが必死の面持ちで訴えることもありますが、「熱がいくらあろうが、下痢がどんなにひどかろうが、この子はこんなに元気そうな顔をしているんだから安心。熱や下痢と病気の重さは関係なし」とぼくの方は思っています。
重い病気にかかっている子どもは、いかにも重い病気と思わせるような顔つきやしぐさをしているのが普通です。こういう「いやな感じ」は「重篤感」などと呼ばれますが、ぼくが診察しながら大事にしているのは、子の重篤感の有無です。
例えば高熱が出ていて強い頭痛を訴える子どもは沢山いますが、その中で髄膜炎になっている子はごくわずかです。そしてそういう子どもはいかにも“物憂げ”な表情をしていることが多いものです。子どもが「なにをするのも面倒くさい。坐っているのもつらい。」といった表情をすることは珍しく、子どもなのにこんなに疲れた大人のような表情をしているんだからかなり思い病気に違いないと思わされるのです。
また、最近、川崎病の子どもを診察しましたが、この子も独特の顔つきをしていました。この子は前日にも診察していたのですが、その時は高熱の出る“単なる”夏かぜに見えました。しかし、翌日診察に来たときは前日と全く違う顔つきをしていました。充血した目、口紅を塗ったように赤くてちょっとひび割れしているように見える唇、手足の発疹などの川崎病の特徴を備えているだけでなく、いかにも重い病気という雰囲気を漂わせていました。一日で変わってしまったのです。
川崎病という病気は検査では診断できない病気です。まず、いくつかの特徴的な症状から川崎病と診断し、検査でそれを確かめていくということになる病気なのです。
こういうふうに、重い病気の子どもは「わたしは今、重い病気にかかっています」ということを表情やしぐさで訴えていることが多く、そのサインを正しく受け止めることが、検査をいろいろしたりするよりもずっと大事なことだと思います。
しかし最近、大学病院の外来などでは、聴診器を当てたりするのもきわめて雑で、すぐいろいろな検査がされるというような話を聞くことがあります。
若いお医者さんたちの中には、まず全身の検査をしてそのデータを参考にしながら診察をすすめるという人もいるようです。自分の目で見たり手で触れたりして得た所見よりも検査のデータの方を信用する傾向があるともいわれます。そんな情況なものですから、患者さんの側も検査データを第一に信用してしまう傾向が出ているように思われます。
ただ、子どもの場合は大人とは違います。大人の中には検査マニアといってよいほど検査好きな人もいて、全部異常なしといったデータが得られると無上の喜びを感ずるという人もいますが、子どもで検査好きという子はほとんどいません。検査をしようとすると頑強に抵抗するのがふつうです。ですから子どもの場合は滅多に検査をしないということになります。そしてその替わりに診察をていねいにすることになります。
子どもと大人で大きくちがうこともあります。大人の場合、無症状で、検査をしてはじめてわかるという病気がたくさんあります。例えば高血圧、糖尿病、肝臓病などいずれもほとんど無症状で、検査をしてはじめてわかります。だから人間ドックというようなものも意味があるのです。
しかし、子どもの場合、そういう病気はほとんどありません。子どもが元気で食欲もあり機嫌がよければ、それで十分、なにか病気がひそんでいないかなどと考えなくてよいのです。
「熱をよくだす子どもの場合」もほとんどはなんの心配もいりません。熱の度に肺炎になるというような場合は免疫系に問題があるのかどうか調べる必要もあるでしょうが、ただ繰り返し熱を出すだけなら特に問題はないのです。熱が十日も続いているというような時は検査が必要ですが、そういうことはめったにありません。
というわけで子どもに対して検査はほとんど必要ないのですが、「この子は問題なし」と云われても検査をして正常という結果が出ない限り安心できないというお母さんやお父さんもいます。(次号へ続く)

|