散骨式などのエピソードを読める「風の日誌」を過去のものから全てを掲載しています。過去のものは右の目次からどうぞ。
風の日誌バックナンバー2002年10月
2002/10/28 Kさんからのお便り
2002/10/26 10月の合同散骨
2002/10/20 天気晴朗なれど波高し
2002/10/19 葬儀組合青年部の散骨研修
2002/10/01 家の近くの海に・・・2
2002年10月28日
Kさんからのお便り
Kさんより掲載の了承を頂きました。
10月12日は大変お世話になりました。お陰様で、無事に故人を自然に帰してあげることができました。<海洋葬実施証明書>も先日届き、これでやっと一つの区切りがつきました。
前日に「明日は大丈夫です」というお電話を頂きながらも、台風の接近もあり不安な朝を迎えたのですが、思いのほか気持ちのいい一日で、久しぶりにゆったりとした時間を過ごさせていただきました。また昼食も肩が凝らないのに、新鮮なお魚がおいしいお店で、現地に不案内な私たちではとうてい探し出せなかったでしょう。
散骨しようと決めたものの、初めての経験でまわりには詳しい人もいない。また、日射しのきれいな秋の日がいいね、と秋に実施を決めたものの、台風の心配もあるし、雨が降れば極端に冷え込むこともある、しかも海の風は陸より冷たいだろうし…… などなど、半年前はいろいろなことが頭の中を駆けめぐっていました。
そんな心配も不安も当日はどこかに吹き飛んでしまいましたが、これも船長ご夫妻、それからお手伝い下さった方(ごめんなさい。お名前を失念してしまいましたがフットワークの良いあの彼のことです)のお心遣いのお陰と心から感謝しております。
今年の冬は例年になく寒いと聞いております。お三方の一層のご自愛、ご健勝をお祈り申し上げます。
お礼まで。
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2002年10月26日
10月の合同散骨
1日延ばして行われた合同散骨は、正に海日和。年に何日もないような素晴らしい海のコンディションだった。穏やかな波風、紺碧の水。艇速も北の風に押され、申し分ない。
この日は、偶然2組共お母様を亡くされた、若い姉弟だった。1組は旦那様もいらしていた。55歳と48歳で亡くなられた2人の女性には、ビル・エバンスと小野リサのボサノバを捧げた。「On
A Clear Day /You can see forever」そして、「Dream」。その世代を感じる。
海上の気持ち良さに誘われ、帰路、油壺に寄り道する。ここは、何度来ても、東京近郊の海の聖域、別世界で心が洗われる。その名のように油を流したような静かな海面、森の中の池にいるような秘密の入り江。その奥のヨットの林。
本当に浮世を忘れてしまう場所である。海鳥も多い。陽気なとんびを始め、水なぎ鳥、数種のかもめ、コウミスズメ?そしてのんきな鴨の家族やあひるもいる。その静寂さの中、ビル・エバンスのジャズピアノが妙に合う。いつか船のピアノを使って、ここで船上コンサートをしたいと思っている。
復路、三崎港を抜けるが、港内にもかかわらず、いつもよりかなり水がきれいだ。船の作り出す水の泡に、ユーミンの歌が思い出される。まるでソーダ水の中を走っているようだった。
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2002年10月20日
天気晴朗なれど波高し
天気晴朗なれど波高し
この日、熱海の防波堤では17名が高波にさらわれ、2名死亡。三重県辺りでも漁船転覆で1名死亡。
私たちは、逗子マリーナにいた。母港ヴェラシスを出て、やや風は強いものの沖合い、波はさほど悪くなかった。ただ、逗子マリーナへの入港が危ぶまれた。
案の定、マリーナのゲストバース、出入口付近は、最悪のコンディションである。渦が巻き、海水が川のように流れる。防波堤の向こうでは、サーフィンをしている。目の前の海岸でも、めったに見られない、まるでハワイのような大波が立ち、サーファーたちはそれをエンジョイしている。そのような状態で、入港した『オンディーヌ5』、着岸は四苦八苦で、隣の大型艇のクルーに手伝ってもらい何とか舫いをとれた。
これから、海や山、自然を愛し、若くして亡くなられたOさんの散骨が行われる。奥様のご希望で逗子から出港ということで、すでに70名の見送りの方も集まっておられる。
日本の天気予報は、本当に当たらない(ニューヨークではよく当たる)。前の日にやっと70%くらいの確立で当たるくらいだ。週間予報など無いほうがましなくらい、90%当たらない(統計ではなく、気分的に)。
3日前までにレストランのキャンセルの都合で、実施を決めたが、かなり難しい状況に追い込まれてしまった。12名の皆様をお乗せして出港することは可能だが、また戻ってくることは難しい。風向きや波によって、入出港が難しい港が多いのだ。結局、スケジュールを変え、先にレストランで、お別れ会をしてもらい、散骨後、帰りは、油壺に近い、シーボニアで下船してもらうことにした。葉山マリーナも考え、問い合わせたが、やはりとても入港できる状況ではないということだった。
出港も波と渦を読み、ワンチャンスという感じですばやく出る。浅瀬の波を乗り越え、その後は順調に沖へと進む。水の青さが素晴らしい。白い水の泡も清清しい。奥様は亡き旦那様の写真を胸に抱き、走り去る風景を見せている。湘南に住んで、海を愛してらした故人には、やはり、桑田佳祐の曲とコーラがよく似合う。『白い恋人達』が流れる中、12個に分けて包まれたご遺骨が花々とともに海に還される。野の草花が好きだったという彼のために、奥様はすすきを持っていらしていた。
秋になって、海鳥が多くなった。この日も、野鳥の会のメンバーだった彼のために、たくさんの鳥たちが空から見送った。
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2002年10月19日
葬儀組合青年部の散骨研修
いよいよ町の老舗の葬儀社さんたちも「散骨」に興味をもちだした。大手葬儀社さんでは、すでに取り入れているところが多いが、町の葬儀社さんでは、関係ないという感じのところが多かったのだ。
もちろん、散骨と葬儀は対立するものではない。散骨をなさる半数の方は、葬儀もし、納骨もなさる。
当日は、亀戸駅前から2台のマイクロバスに分乗し、約40名の若手葬儀関係者が、研修場所の油壺シーボニアに向かった。片道2時間の行程を、1時間づつ、それぞれのバスで、『風』の船長が『散骨』の講義をする。みんな熱心に耳を傾け、質問も盛んであった。
昼少し前にマリーナに到着。当初『風』の船『オンディーヌ5』で行う予定であったが、人数が増えたため、大型ヨット『シナーラ』を使わせてもらうことになったのだ。イギリスの貴族が使っていたという96フィートの2本マストの木製ヨットは、さすが豪華で優雅である。その贅沢さは、まるでモナコの王様になった気分である。
晴天に恵まれ、やや強い風の中、滑るようにヨットは進む。速度は6ノットと決して速くはないが、目的地が遠くなく、時間に余裕があり、海の条件がよければ、素敵な速度である。30分ほど走り、相模灘西方海上にて、体験散骨が行われる。出席された葬儀社さんの中から、女性数人にご遺族の役をお願いし、模擬散骨をしていただく。いつもと船が違い、人数も多いので、多少かってが違うが、ラジカセから音楽も流し、お茶を捧げ、無事に終わる。
出席された中には、石屋さんやローソク家さんもおり、少々複雑なものもなくはなかったが、おおむね、世の趨勢でもあり、理解して頂けたようだ。
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2002年10月01日
家の近くの海に・・・2
Sご夫妻からの、お便りです。「風の日誌」への掲載を了承頂きました。
拝啓
先日は、4年3ヶ月家に安置していた長男Kの遺骨を海洋自然葬していただき誠に有り難うございました。散骨証明書も受納いたしました。
私共が希望した海釣公園から見える場所に散骨して頂き、昨日、海釣公園の三階レストラン及び桟橋から散骨地点を眺めてまいりました。当日と同じく曇天でした。
大変お世話になり感謝しております。御社の益々の御発展を祈念申し上げます。
敬具
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