散骨式などのエピソードを読める「風の日誌」を過去のものから全てを掲載しています。過去のものは右の目次からどうぞ。
風の日誌バックナンバー2002年2月
2002/02/25 散骨への質問と答え
2002/02/21 2月の合同散骨、無事終了
2002/02/03 2002年2月4日号「アエラ」より
2002年2月25日
散骨への質問と答え
(質問)
家族のなかに散骨に対するイメージを悪く持ち、強硬に反対する者がいるのですが、説得をするにあたり、協力して頂くといったことは可能でしょうか?
もし、そういった業務をされていましたら、具体的にはどのような方法がありますか?
(答え)
「散骨」は「葬儀」とちがい、決して急いで行う必要はありません。根気よく、少しづつ説得していくのが良いでしょう。有名人などの前例や世間一般のデーターなど、具体的に分かり易く話してみてください。そのお手伝いはこちらでもできますので、お電話などでご相談ください。しかし、どこにでも宗教や慣習的に絶対反対の方もいます。その場合、分骨にさえ賛成してもらえれば、それぞれのやり方で供養できると思います。
▲上へ
2002年2月21日
2月の合同散骨、無事終了
今日、南の風2M/S、快晴の中「合同散骨」を終わらせることが出来ました。若干のウネリはあるものの波が無かったので、航程も延ばし、いつもの散骨海域よりも沖を目指しました。今回、「ジャズ シンガー」だった方のご遺骨があり、「ビリーホリデイ」の曲を船内に流しながら、散骨海域まで行きましたが、ご遺骨を海にお還しするときに、機械の調子で歌が止まってしまったのは少し残念でした。故人は、赤いバラの似合う方だったのでしょう、参加された方がお持ちになった花びらが海の上で印象的でした。そして暖かかったせいか、水平線は霞がかかり、その上に真っ白な富士山も見ることが出来ました。あまりの海上の好条件に帰路、油壺により、浦賀の母港に戻ってからも、湾奥の住友重工のドックの近くまで足を伸ばし、修理入港中の大型護衛艦、潜水艦をすぐ近くで見物し帰港しました。散骨に参加された方たちが暖かい日差しの中、美味しそうにビールを飲んでいました。
▲上へ
2002年2月3日
2002年2月4日号「アエラ」より
アフガニスタン暫定政権議長ハミド・カルザイ氏が大きく表紙になった「アエラ」に興味深い記事が出ていたので紹介したい。
「静山社」社長の松岡佑子さんを扱った記事である。
空前の大ヒットとなった「ハリー・ポッター」シリーズを出版した会社の社長として、紅白歌合戦の審査員
にもなった有名人だそうだが、予備知識は全然なかった。彼女の夫であった松岡幸雄氏は、1997年のクリスマスに逝去。同時通訳の仕事をしながら、赤字だらけの出版社も引継ぎ、ロンドンで「ハリー・ポッター」に出会ったというわけだ。
子供のいない彼女は、亡き夫の遺骨を3つに分け、その1つは、彼の大好きだった故郷の海へ、そしてもう1つは自宅に、そして残りは、彼女の旅行先の素敵な場所、例えばペルーのマチュピチュやタイのプーケットなどに少しづつ撒いていて、そのためにいつも遺灰を
小さな巾着袋に入れて持ち歩いているという。そして、いよいよ自分も死んだら、愛犬の骨と残してある遺骨を一緒に葬ってもらうつもりだと言う。
とても素敵な話だと思った。同世代として非常に共感できる。
▲上へ
|