2008年06月20日(金曜日)
もう少し時間がほしかった

前略失礼します。

5月24日の散骨の儀式は、天気にも恵まれ、永年生活してきた辻堂海岸沖で実施できました事を、大変喜んでおります。

妻K子は、10年近く前から心臓系の病気となり、3度の大手術を乗り越えて来ました。昨年3月の手術により、少し安心感が出て来た所で、今年3月17日突然の死となりました。

やはり急に姿を消してしまったショックは大きく、一人で家にいる時や夜になると、最近の事が思い出され涙が止まらなくなります。(八百屋や魚屋、スーパー等へ買い物に行った事等、日常の動きや言葉が思い出されます。)

私も定年を迎え、やっと2人で話ができる様になり、たあいのない話なのですが心が休まる感じでした。もう少し時間がほしかったと残念でなりません。

幸い2人の娘が母の意志を継ぐべく努力しておりますので、私もいつまでも落ち込んではいられません。今、介護の手伝いと観光ボランティアを行っていますが、体力のある限り継続していくつもりです。今後とも、ご支援をよろしくお願い申し上げます。乱筆の上、たあいのない内容となった事をおゆるし下さい。



2008年05月07日(水曜日)
走水の春・・・2

新緑の美しい季節になりました。皆様お変わりありませんか?

月日の流れは早く、思い出深い母の散骨から、ひと月になります。今でも清々しい思いでいっぱいです。本当に有難うございました。

さて、本当にお恥ずかしいのですが、父が筆をとりました。乱筆乱文を、お許しください。



新緑がさえ、青葉、若葉の季節になってきました。この度は、亡き妻の海洋葬(散骨)を実施 執行していただき、有難うございました。

海洋葬については、生前二人の合意事項でもあり、人生の終末、エンディングについて、折々に話し合って来ましたが、実際にどのように進めたらいいのか、具体的な方法については、結論をえていませんでした。

今回、長女を通じて、貴社にお願いする事になり、3月23日、横須賀で実施していただく事となり、11時、現地集合(家族7人で)定刻に参上しました。

当日は、春先にしてはめずらしく、穏やかな日和に恵まれ、海はベタ凪ぎ、気持ちよく貴社にお任せする事が出来、ラッキーでした。

横須賀走水の里は、観音崎(灯台)に近く歴史的に有名な海であり、知名度の高い自然美にあふれた所で、絶好のロケーション、いい所でした。この海域については、妻もお母さんから聞かされていたようで、少女時代何回も訪れた所であり、走水(神社)、観音崎(灯台)、鴨居、浦賀(ドック)、馬堀海岸、猿島、三笠公園 etc、よく話していました。

私は久里浜で、キャンパスライフを送り、卒業後、東京水産大学(現海洋大)練習船に、ペリー上陸記念碑の前から、三等航海士として乗船し学生の指導とともに、自己研修の場として、数々の思い出をもっています。

今回、散骨した海域には、二人とも深い縁があり、恵まれたいい場所だなと心強く感じました。今回、周到に用意され、準備いただき、海洋葬のありようについて、ご指導いただき有難うございました。散骨にあたっての、儀式は始めて事でしたが、家族の納得のいくものでした。

ここで、永遠の別れをし、一路快適なクルージング気分でマリーナにつきましたが、短時間でしたが、大変印象的なクルージングでした。私自身、老水産人、海(船)に生活したものとして、独自の海洋葬を考えてまいりましたが、散骨の場所については、妻のねむっている海域でもいいなと、想いを新たにしました。

季節は刻々と移り、鳴り物入りで騒がれた桜も、葉桜にかわり、自然は大きくスピーディーに入れ替わっています。拙文を綴りましたが、ご判読下さい。

おわりに貴社のご繁営と、ご協力、ご指導いただいた三人の健勝を祈って、ペンをおきます。



2008年05月03日(土曜日)
走水の春・・・1

東京の国立市は、駅から続く広い大学通りの桜並木で有名である。その駅を中心に放射状に道が出ており、その一つ旭通りに母の営む小さなレストランがあった。コロッケ専門の店で、母は70歳位まで頑張っていた。

母が亡くなり、めったに行くことがなくなったが、好きな町の一つである。その近くに住むSさんの家に伺ったのは、桜にはまだ早い春の初めだった。亡くなったSさんの奥様(享年77歳)のお母様が、横須賀の走水に住んでいらしたという。それで少女時代によく訪れたということで、散骨場所も走水の沖に決まった。走水も海辺の桜が美しい場所だ。

暖かく天気に恵まれた3月23日、Sさん一家の散骨が行われた。お孫さん、お嬢さんご夫婦などと船に乗ったSさんは、航海士として船に乗っていらしたということで、船内から外の景色を見ては、終始懐かしそうにしていらして、そのころの話をして下さった。大先輩の航海士に、船長は少し緊張気味でした。

そのSさんからお手紙を戴いた。戴いたお手紙は連休明けに掲載します。



2008年03月11日(火曜日)
午前と午後の天国と地獄

3月9日、何と言う1日だっただろう。長期予報から、3日前くらいの予報になっても、その日は最高の1日になるはずだった。

しかし、前日になって、午後から風が強そうだ、という予報になった。それでも午前中、無風ならお昼は、何とか大丈夫だろうという見込みだったが、三崎港を出た船は、予想以上の高波と強風に翻弄されてしまった。

この日は、3つの散骨が重なり、前々日から準備をしても前の日はほとんど眠れず、準備も午前3時半から始まった。6名様分のお花が大変なのである。生ものであるからなるべく直前に準備したいが、何百の花をそれぞれの希望に分けて用意するのは、一種の格闘技である。それなのにぎっくり腰になり、湿布と飲み薬、座薬、コルセットを頼り大奮闘。

委託の方は、赤いバラやカネーションの方と桜を入れて欲しい方。合同の方は、白一色が良い方とフリージャーを中心の方、そして個人チャーターの方は、蘭を中心の方とカスミソウや小花でというご希望の方。

早い時間の方から取り掛かり、最後の時間のOさんの小花が残った。実は小花が一番大変なので、悩んだが花も弱いので、お昼までそのままにして置いた。
最初は、Kさんのご主人の葉山での散骨である。Kさんは、アメフトのコーチもしていらした方で人望があり、友人など14名が参加された。

9時半からの予定は、少し遅れてスタートしたが、晴天に穏やかな海、江ノ島の後に富士山も大きく見え、「マイ・ウェイ」「北国の春」「川の流れのように」「千の風になって」など故人に因んだ曲を流し、和やかに終わった。

その間、船長はオンディーヌZを三崎へ向け、剣崎沖にて委託散骨を進めていた。委託の方は、横須賀の方と名古屋の方で、それぞれ「磯節」と「ショパン」をお掛けし、ウィスキーと八海山で供養した。桜は、やはり咲いているものが難しく、桃やピンク系のストック、スイトピーを混ぜさせて戴いた。

私は午前の散骨後、葉山から陸路を移動、三崎港へ向った。心配したとおり、道は混み、午後の合同散骨にギリギリ間に合った。食事などする暇はない。三崎に着くと港の中もいつもより波がある。嫌な感じである。予報より早く風が上がっていたのだ。

合同散骨に参加される2組のご遺族4名が乗船し離岸。港の堤防を出たとたん物凄い波である。船の舳先は上がり、次の瞬間波に突っ込む。まるでロデオの暴れ馬、キャビンの本屋テーブルの缶コーヒーなどあらゆるものが動き回り落ちてくる。ご遺骨だけは何とかしっかり、お守りしなければならない。

たいていの場合、港のすぐ外が浅く波が悪いのだ。だから出てしまえば、ある程度、沖へ行った方が良い。Kさん姉妹は、お母様の散骨にいらしていたが、妹さんは、すぐグロッキー、お姉さまは何とか頑張り、散骨をなさったが、その後、船酔いでダウンされた。

もう1組の兄妹の方は、船にお強くて、しっかり散骨なさっていた。猛烈な波風の中、Kさん姉妹のリクエスト、ロシア民謡「ステンカラージン」がよくマッチしていたとは、船長の感想だ。

その後のリクエスト、サッチモの「キャバレー」は、明るく優しく温かく、この場の悲壮感を和らげてくれる。その恩恵を蒙りたくて、次の曲「ばら色の人生」も流す。

私も久しぶりの時化の海に、しばらくブルルが、何とか動き回る物たちを押さえながら、次のOさんのお花も準備した。

荒天の海で港ほど有難いものはない。それでも風向きによっては、入れない港もあり、入れる港を探すこともある。三崎港では、さっきまで繋留していたレジャーボートたちが、早々に引き揚げ岸壁は空いていた。合同の方たちが下船し、次のチャーター散骨の方の対策を考える。

結論は無理。三崎まで来ていらしたOさん母子とお祖母様、船に乗って戴くが、事情を話し来週に延期する。

私も母港の浦賀まで乗るのは、ちょっと辛く、陸路を帰ることにした。よって、船長と助手の富澤さんが荒海の中、剣崎を越え、浦賀へ向った。

1時間半後、帰港したオンディーヌZは、ジブセールが破れ、水道ポンプが壊れてしまった。でも、船長は、「なかなか楽しかった。この船は、荒天に強く凄くいいよ。」とのこと。

好んで荒れた海には出ないが、途中で荒れてしまえば仕方がない。船が信頼できれば、それなりに暴れる海も面白く、そのスピードは、楽しくもあるのだ。

私も臆病だから、最初は怖がるが、30分も乗っていれば、慣れてしまう。恐怖とは、そういうメカニズムなのだとこの間テレビで聞いた。でも、船酔いする人には、地獄かもしれない。

苦労して用意した小花たち、カスミソウ、2種類のマトリカリア、忘れな草、デルフィニウム、一重のストック等などは、帰路、船長ほ今まで海に還った方々のご供養に海にまいた。



2008年02月13日(水曜日)
〈貴方へ〉

貴方が『何カ・オ・カ・シ・イ・・・』と眠る私に言い、救急隊員に運ばれて行く時にはもう意識がなかったネ、でも私達は貴方がこの家に戻ると信じていた。

「脳出血で致死量です。」の医者の一言。そして「手術しますか?」貴方の生死を私が決めるの?! 信じられない現実でした。結婚生活27年、貴方の後を付いて行けば良かったし、これからもそのはずだった・・・。

お母様と楽しげにお喋りする、都会育ちで山とスキーが好きな、優しくてとても清々しい貴方に恋をし、結婚。三重の田舎の店屋で育った為、玄関のある家に住むサラリーマンの妻になりたかった私には夢のような新婚生活でした。

転居(転勤)も多かったネ、三重→横浜→千葉→神戸→大阪→千葉。カメラ好きだった貴方は一杯写真を撮ってくれたネ。

外資系企業だった為、会議で海外出張が多く、マイレージで海外旅行に連れて行ってくれたネ、韓国・バリ・タイ。

希望のサラリーマンの妻になったものの、仕事をしたくなり働きたいと言い出した時「家に居てストレスを貯めるより、出た方が良い」と賛成してくれた貴方。

仕事場の嫌な人の悪口を言ったら「人の悪口を言う君は好きじゃない」という言い方をしてくれた貴方。

『一度でいいから、“愛してる”って言われたい』の希望をやっと叶えてくれたのは、亡くなる一年程前だったネ。でもイザ言われてみると、とても照れ臭くて嘘っぽく感じちゃった、やっぱり言葉じゃないんだネ。

手術も効果なく昏睡状態のまま逝ってしまった貴方、枕元で言った私たちの『ありがとう』は貴方に届いていたよネ。

残された私は、貴方の分も二人の娘と頑張って楽しく生きて行くよ、見守っていてね!

「星影の小径」を聴きながら貴方の居ない淋しさに泣く時は、生前嫉妬(やきもち)を焼いてもらいたいと言った貴方だから喜んで見てるのかもネ。


〈船長夫妻へのお礼〉

菩提寺と京都本山への納骨をしても気分が落ち着かなかったのですが、1月19日、海洋散骨を済ませたら納骨時とは全く違う感覚を持ちました。彼をとても身近に感じ、彼が喜んでくれてると素直に思えました。

船長さんから想像以上の沢山の写真、そして京子さんからの暖かいお手紙のお陰も大だと思います。

海洋散骨は生前に彼の希望として聞いていた訳ではなく、残された私の一存でしたが間違ってなかった。本当に風さんに出会えて良かったです。『ありがとうございました!』

拙い文で恥ずかしいですが、気持ちがスッキリしました。彼への気持ちを文にする機会を頂き感謝して居ります。




2007年12月26日(水曜日)
「もとに戻すのは百年かかる」

二人きりの六十余年の生活で、明治生まれの主人は、戦後の教育、そして社会、人身の荒廃を憂い「もとに戻すのは百年かかる」が口癖でした。

自宅の一室を鏡張りの道場にし、ライフワークの禅の研究、坐禅、古武道の研究、読書、午後は庭の手入れや、警察、法務省のお手伝いで社会教育に東奔西走し続けた生涯でした。早朝、夜間も問題児を抱えた父母の相談を、受けることがしばしばでした。

九十二歳のとき、武道修行のツケがヒザに来て、寝た切りになり、私も背骨を折る事故に遭いましたが、食事だけはヘルパーまかせにせず、自分の力を出し切った厳しいながら悔いのない老老介護をつづけました。

若い頃から老後は広い静かな所で、土に親しみながらという生活設計を立てていましたが、無口な主人が最後に「生活設計は達成したネ、我が人生に悔いなし。」と言ってくれました。不思議に涙は出ませんでした。

以前、「君は、行が足りない」と言われた事があり、私なりに坐禅を続けた効果か、私の半分には、何時も主人がいるという不思議な心境になっていました。自分の「悟り」と思う事にしています。

生前、人生の終末について二人で話し合った事がありましたが、想像もしなかった境地でした。十一月の末、三日続けて夏服姿の主人の夢を見まして、あわててアルバムから夏服の写真を取り出しました。くしくもその朝、二十三日の散骨の報告と写真をいただき、心あたたまる儀式に私も参加している気がして、思い出の逗子の波間に主人の姿を見た様な気がして、思わず涙があふれとまりませんでした。斎場で最後の別れから一年九ヶ月振りの涙でした。これからも折々、海の様子を夢で知らせてくれるに違いないと、楽しみにしています。

残された者にもこうして落ち着きと、安心と希望を下さいますお仕事、そのお人柄と共に心から敬意を表したいと思います。本当に有難うございました。



このたび葉山の海に散骨された、T氏の奥様から頂いたお手紙を、許可を得掲載しました。

散骨をしていると、時に「生前、是非、お会いしたかった!」と思わずにいられない人物に行き当たります。

私(船長)も空手や柔術を修行し、少年達とも稽古をしました。入門仕立ての子供たちも道着の帯に色が付きだすと、空手家、柔術家としての礼儀、起ち居振る舞いも身につき、心身ともに見違える様に成長します。海軍士官だったT氏の戦後社会への憂い、武道を通じ、青少年を導きたいという想など、お話をお聞きしたかった。



2007年12月12日(水曜日)
母のシャコバサボテン

母が亡くなって、今年で6年が過ぎた。

生前、母がホスピスに入るとき、ベランダにあったいくつかの鉢植えを家に持って帰った。みんな駄目になってしまったが、シャコバサボテンだけは、細々と雑草のように何とか生きていた。

忙しさだけではなく、怠慢のせいで、水も肥料もまじめにはやっていなかった。でも、いつも母の形見として気になっていた。

今年の秋ごろから、何気なく比較的まじめに水をやるようになった。今、シーズンを迎え、それは見事な花を咲かせている。物凄い生命力である。同じようにほっておいたゼラニウムとベコニヤも花が光輝いている。

そんな花たちに元気をもらい、思いついたことがある。手元供養を観葉植物やプランターの花でしてもいいのではないかと。

私のように怠け者で、水遣りが出来ない人には不向きかもしれないが、それを契機に継続すれば素晴らしい。いつも話しかけ、成長が楽しめ、癒される。

万が一、それが枯れたり、駄目になっても、土は残るから、また新しいものにして継続できる。ミニチュア樹木葬、盆栽もいいかもしれない。やはり、生きているものは凄いのだ。



2007年12月08日(土曜日)
後悔したくないんです・・・2

セレモニーと証明書、写真等、本当に色々ありがとうございました。当日は本当に気持ちの良い陽気の中、我が家の近所である江ノ島を臨みながらTを見送る事ができ、とてもホッとしています。散骨をした事でようやく本当の意味で、わが子の死を受け入れられた様な気がしています。

遺骨を手放す時はやはり泣いてしまいましたし、一瞬ためらいそうになりましたが、母として、迷う事無く毅然とした姿を見せたくて決意を持って送り出しました。

この二年七ヶ月以上、本当に沢山の事があり、沢山の想いを胸に日々過ごしていましたが、Tの遺骨を手元に置いておくのは、私の執着心の表れの様な気がしていて、ずっと気にかかっていました。

主人とも沢山話し合い、時にはケンカもしましたが、息子への愛情を持つ両親として、当然だった様にも思います。そして、お二人のお人柄に触れ、納得してようやくTを解放できた様に思います。Tもやっと安心できたのでは・・・と思います。

当日の夜はTを亡くして以来、初めての深い眠りにつく事ができました。悲しみは完全に無くならないかもしれませんが、一つの大きな節目を迎え、前向きになれそうです。あんなに初めは反対していた主人も、とても安心していて、自分自身も散骨して欲しいと言っています。私は勿論初めから、そのつもりでしたが、親子三人で本当の意味で一つになれると思うと嬉しいです。

海の大自然に還っていくTを見送りながら、ママもいつか行くから待ってねと話しかけていました。そして、ママはもう大丈夫だからとねと話ました。当日は私の母、妹夫妻、兄夫妻がその時刻にTへの想いを胸にお祈りしてくれていたそうです。きっと、みんなの愛情に包まれ、幸せだったと思います。

余談になりますが、Tは「鉄腕アトム」と誕生日が同じなんです。生まれて間も無く亡くなったので性格は分かりませんが、私の中ではアトムの様にとても強くて、優しい子です(親バカですが・・・)。私の人生を終えてTと再会する事ができれば、アトムの様な息子に少しでも誉めてもらえる様に、生きて行く様に頑張ります。

本当に、本当に色々、ありがとうございました。これからどんどん寒くなりますので、お体にお気を付け下さい。私達もお二人の様に素敵な夫婦になれる様頑張ります。長文、乱筆で申し訳ありません。また、何か機会がありましたら、是非宜しくお願いいたします。

                              かしこ♡


T君のご両親の散骨時の写真も掲載します。撮影しながらファインダーも涙で曇りました。傷ついた心を癒すには、時間もかかるし、愛情を持って見つめてくれる人たちの存在が欠かせません。余り頑張らずに過ごして欲しいと思っています。



2007年12月08日(土曜日)
二階から眺める海に

前略

たくさんの写真、証明書、早速お送り頂き、ありがとうございました。また、お心のこもったお手紙を頂戴し、大変嬉しく拝見しました。

鎌倉の海は、私にとっては、小さな頃から身近な存在ですし、毎朝、二階から眺める海に母のお骨を流すことができ、一番良い選択をしたと改めて思います。

家の方向が見えるベストポジションを選んでくださったとのこと、細やかなご配慮に心から感謝しております。

私は元々、以前から考えていたことですし、ある程度イメージをしていたのですが、父も夫も、ああいう形での散骨を体験し、感動したようでした。「死んだら自然に還りたい」という考えは3人とも皆共通して持っていますので、ごく自然に心が動いたのだと思います。父も「是非、自分の時には同じようにして欲しい。」と言っておりました。

北田様をはじめ、スタッフの皆さんも、とても感じよく接してくれたことも、父は嬉しかったそうです。夫も同じことを言っていました。

というわけで、今後もまたお世話になるかと思います。(笑)何卒、宜しくお願いいたします。

頂いた写真は、親類に見せてあげようと思います。
本当に、ありがとうございました。

                                   かしこ



2007年12月08日(土曜日)
海には不安と自由がある

このたびは海洋散骨で、お世話になりました。

担当していただいた北田京子さんの、親身で、しかし過剰でない対応に心やすらぎました。ありがとうございました。

証明書にそえられたお手紙も、とても、心あたたまる結びでした。時々、海辺に行こうと思います。


旅立ち・・・
道にはたしかさと不自由さがある
海には不安と自由がある
船出にはいい日なのかも


11月23日に寄せて書いた駄文です。ありがとうございました。


ご友人の散骨を依頼されたNさんからのお便りです。



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