|
推薦図書 12

誰にでも訪れる親の死、その時家族は
『無名』
沢木耕太郎著 幻冬舎刊
久しぶりに、おもしろい本を読んだ。それは、2つの意味がある。1つは読み終わって、良い時間を持てたということ。そしてもう1つは、長年の沢木ファンとして、楽しかったということである。沢木耕太郎という作家は、全集が出るくらいだから、かなり根強いファンがたくさんいるのだと思うが、その人たちは、それらをどう読んでいるのだろうか。
初めて彼の作品を読んだのは、『深夜特急』であったが、読み始めて、瞬く間にその魅力のとりこになり、出版されている彼の作品を一気に読んだものだ。彼の作品の特徴は、いつまでも変わらない青年っぽさで、特に初期の作品は、清々しさに溢れている。特に『深夜特急』と『一瞬の夏』は、若い人には、必ず薦めてしまうのだが、是非読んでほしい。
でも、ここしばらくは、付き合いという感じで、新作には目を通していたが、何となく、ただ「読んだよ」、という程度のものが多かった。しかし、今回の『無名』は、新刊で買おうか買うまいか迷ったが、それだけの価値がある本だった。
この作品で私にとって興味深いのは、今まで触れられることのなかった、プライベートな家族のことや、その中で育った彼の生い立ちの部分である。沢木耕太郎には、一種不思議な魅力がある。家柄の良さとは違う、育ちの良さがあるのだ。清潔な洗い立てのしかも糊のついた白いシャツ、男っぽいのに、脂ぎっていず、ソフトでソフィスティケートされている。それなのに素人っぽくもあり、知的過ぎない。今回、その個性がどうして出来たのか、少しなぞが解ける感じがあった。そして、個人的には、同時代、東京の同じ学区にいて、同じような文化を共有した、何か同窓生のような、憧れの先輩のような、そんな親しみも感じているのだが。
さて、『無名』という作品だが、実に読み易い本である。それは、父子の話であり、介護の話であり、親の死の話であり、テーマがとても身近なのだ。すでに、介護をし、看取り、死に立ち会った人にも、今、介護をしている人にも、これからそういう立場になるであろう人にとっても、それは興味深く、共感できる部分である。今、在宅看護や、家で死ぬということが、話題になっているが、そのことに関しても非常に参考になった。そして、大事な家族の1人を失うというそのときの家族のあり方、病人との接し方も、それぞれの思いが伝わり、このサイトを見ている方には、特に興味深い部分だと思う。
そしてもう1つのテーマ、タイトルどおり、「無名」ということだが、昔の友だちのことを思い出した。その人は、私より大分年上であったが、知的な人だった。岩波新書は全部読んだというように、かなりの読書家でもあり、年に100本以上も映画を見たり、ジャズなどもよく聴いたりという、中身の濃い人だった。本当だったら、彼女も文筆などで身を立てたいと思っていたのかもしれないが、結婚して形は平凡な主婦になってしまった。
彼女のこだわりは、子供を持つことだった。40歳近くまでなかなか恵まれなかったが、やっと女の子が授かった。子供を持たないことにこだわった私たちと逆に、どうしても子供をほしがった彼女の理由は、こうだった。彼女が蓄えた知識を、伝える人が、継承する人がほしかったのだ。それは、彼女が無名として生きる覚悟だったように思う。
沢木耕太郎の父親も「何でも知っている」と書かれているように、読書家で博学で、知的な人だった。1日一合の酒と一冊の本だけあれば、という無欲で穏やかな彼は、やはり無名に徹し、しかし彼の場合は、意図せず息子に繋げていったのだ。有名であれ、無名であれ、人は生きて死ぬ。有名な人もどれだけの人が、歴史に残るのだろう。そしてやがて、悠久の時の流れの中に、すべて溶けてしまう。
(2003年9月)
▲上へ |